富山名物?「野花そば処 つるや本店」のけんちん蕎麦

こんにちは。さんち編集長の中川です。
旅をするときは事前にあの店に行きたい、この店にも行きたいと考えますが場所が離れていたりしてうまくいかないことも度々。一方で、旅が終わってから地元の友人と話をしていると「あの店に行ったのならここにも行っとかなきゃ!」ということも度々。
経験則として、たいてい名店のそばには隠れた名店があることが多い気がします。

今回は講演のために富山に行ってきました。5年ぶりの再訪です。前回はプライベートでしたが、今回は大澤寛さんと一緒。大澤さんはCHILLING STYLEという雑貨とインテリアのお店を経営されている富山出身の方です。7年来の友人でもある心強い旅のパートナーです。

CHILLING STYLE店内と、お世話になった大澤寛さん。
CHILLING STYLE店内と、お世話になった大澤寛さん。

まず向かったのは富山といえば、林ショップ!一般的に有名なお店ではないかもしれませんが、工芸・民芸好きには必訪のお店です。もちろん5年前にも訪ねています。

林ショップと林悠介さん。
林ショップと林悠介さん。

林ショップは鋳物デザイナーでもある林悠介さんが国内外から民芸と手仕事の品を集めたお店。扉を押して中に入ると上から私達を見下ろす大きなフクロウの置物がお出迎え。

見上げるとフクロウが。
見上げるとフクロウが。

店内にはセンスの良い食器やファブリック、くすっと笑ってしまうような人形たちが並んでいます。日本のものと世界各地のものが上手にミックスされた世界観。あれもこれもと手に取りながら最後にエクアドル製のフラミンゴ柄のタペストリーを購入。鳥柄コレクションがまた一つ増えました。
そしてほどよくお腹が空いたところでお昼に何を食べるのかと楽しみにしていると、大澤さんは「じゃここで」とはす向かいのお店へ。近っ!
なになに??なんのお店?見ると老舗感のある、しかしながらよくある感じの店構えのお蕎麦やさん、つるや本店。前に来た時には全く気づかなかったです。

青い屋根が林ショップ。まさに目の前です。
青い屋根が林ショップ。まさに目の前です。
つるや本店の入り口。
つるや本店の入り口。

店内に入るとお店の方との挨拶もそこそこにメニューを見る間もなく大澤さんは「けんちん蕎麦」をセレクト。ん?けんちんって富山名物だっけ??けんちんとは野菜や豆腐を炒めて汁などに混ぜる料理のことで、一説では「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったとか。特に特定地域の名物ではないようで、つるや本店では寒い時期の名物メニューなんだそうです。なるほど、これはぜひ食べなくては!

名物のけんちん蕎麦。
名物のけんちん蕎麦。

運ばれてきたけんちん蕎麦は鶏肉と根菜を中心に具沢山。少しとろみのついた汁で蕎麦へのからみもよく、ほうっほうっ言いながら箸もすすみ身体も温まりました。
帰りがけにけんちん蕎麦はいつまでやっているのですかと聞くと「大根が美味しい間」との答え。いいですね、そのアバウトな感じ。
大澤さんのおかげで前回は気づかなかった美味しい地元色溢れる美味しいお昼ご飯をいただけました。やっぱり旅は地元の友人に案内してもらうに限りますね。

野花そば処 つるや本店
〒930-0083 富山県富山市総曲輪2丁目8−15
076-421-2908


文 : 中川淳
写真 : 松井睦

デザインのゼロ地点 第3回:ライター

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」の3回目のお題は「ライター」。
禁煙推進の社会背景の中ですっかり出番が減ってしまった感がありますが、お線香や蝋燭、花火やバーベキューなど、日々の生活からイベントごとまで、意外な時にまだまだ登場の機会があったりします。
今回は「手の中で火をつける」という道具の進化と、その意匠設計の変化を題材に、デザインのゼロ地点を探っていこうと思います。

ライターという道具の定義により諸説ありますが、発明されたのはAC1700年前後と言われています。日本でも早い段階で発明されていて、1772年に平賀源内が「刻みたばこ用点火器」を作っていたという記述が残っています。

平賀源内(1728年~1780年)
平賀源内(1728年~1780年)

余談ですが、マッチの発明は1827年で、なんとマッチよりも先にライターが生まれていたそうです。自動車の原型と呼ばれる蒸気自動車の発明が1769年ですから、道具の需要と発明の相関ってすごく面白いなぁと思います。

ライターを機能で大別するとすれば、点火による分類と、燃料による分類に分けられます。点火は発火石及び放電、燃料はオイルもしくはガス。
古くは火打石のような発火石による点火方式から、最近のガスコンロのような放電による点火方式があり、燃やすための燃料もオイルを燃やしたりガスを燃やしたり。

近年のライターの製造は点火方式である発火石(フリントと呼びます)の発明からはじまります。フリントが発明されたのは1906年、(これまた意外と最近!)鉄とセリウムを主原料とした合金でした。
当時のライターは、オイルを染み込ませた芯に発火石で火をつける、という原理で、今でも目にする代表的なメーカー「ZIPPO」も同じ方式です。

いち早くライターの製造に着手したのはオーストリアのメーカー「IMCO」。
フリントの発明の翌年1907年にボタンメーカーとして創業し、1918年からライターの製造を開始。第一次世界大戦の兵士が使う道具として「イーファ」という名前のライターが開発されました。

IMCO イーファ 1920年(出典:LIGHTER MUSEUM)
IMCO イーファ 1920年(出典:LIGHTER MUSEUM)

その後(僕の中では)ライターの原型とも言える「トリプレックス」というライターが生まれます。当時、大量に生産するために考えられたであろう軽量で簡素で機能的な作りは、2012年に製造を終了するまで80年以上も基本構造の改変はありませんでした。今でも様々なメーカーから似た製品が作られています。

IMCO トリプレックス
IMCO トリプレックス

また、IMCOは老舗メーカーの中でも特に創業が早かった為、イムコの発火石や芯が後の世界基準になっていきます。

続けて革命的な発明をしたのがアメリカのメーカー「RONSON」。
1927年に、点火と消火をワンアクションで行う世界初のワンタッチライター「バンジョー」を開発します。つまり、押し込んだら火がついて、離すと火が消える、というものです。実はこれ以前のライターは、蓋を開けて火をつけて、蓋を閉めて消火する、というものでした。なんだそんなことか…と思うかもしれませんが、ライターが生まれてから100年以上、ワンタッチで点火と消火を行うという機構を考える人がいなかったのです。

RONSON バンジョー 1927年 (replica)その名の通り楽器のバンジョーから名付けられたと言われています。
RONSON バンジョー 1927年 (replica)その名の通り楽器のバンジョーから名付けられたと言われています。

そしてその後、お馴染みの「ZIPPO」の登場です。
1933年(1932年説もある)にアメリカで生まれたジッポーライターは、構造をあえてシンプルにすることで生まれた頑丈さから、一度買ったら永久保証する、という打ち出しで世界中に普及し、今でもオイルライターの代名詞的存在となっています。

ZIPPO 1933年~
ZIPPO 1933年~

フリントの発明から大量生産の為の機能的なデザイン、ワンアクションライター、そして永久保証付きの堅牢性、とそれぞれの時代に応じてデザインに変化がありましたが、さらにここから抜本的な方式の進化が起こります。
1950年代に入ってガス燃料が登場したのです。ブタンなどの可燃性ガスは低圧力で液状化し、オイルと違って臭いも少なく、ライターの燃料にはうってつけでした。(オイル燃料は放っておくと気化して中身が空になってしまうという欠点もありました)

発火石→オイル着火方式から、発火石→ガス着火方式が普及し、この着火方式の進化はライターの製法の発展にも関係していきます。

綿にオイルを染み込ませたものを覆う金属ケースから、液化ガスを入れるための完全に密閉された金属ケースへ、金属加工の技術やプロダクトデザインも進化を余儀なくされます。
金属の深絞り技術が精錬されていく中で、R形状の深絞り技術を武器に、いち早くガスライターの製造に着手したのが東京・墨田で創業した「SAROME」(サロメ)でした。

日本のメーカー・サロメ社のガスライター
日本のメーカー・サロメ社のガスライター

東京・墨田の金属加工職人の集団であるサロメ社は今でもほとんどの工程を手作業で行い、もちろん修理もメンテナンスも可能です。

サロメ社の工房道具
サロメ社の工房道具

そして、ガスライターの隆盛から十数年、さらに進化を生んだのが、放電による点火方式。一般に電子ライターと呼ばれるものです。
今度は、発火石→ガス着火方式から、放電→ガス着火方式へ変化していきました。この方式転換の中で1970年代から一気に普及したのがプラスチック製のディスポーザブルライター、俗に言う100円ライターです。

代表的なメーカーは日本の株式会社東海。1975年に日本で初めてプラスチック製のライターを開発し、あの「チャッカマン」を生んだメーカーです。

東海 電子ライター 1975年~
東海 電子ライター 1975年~

この後、更に更に、ガスの噴出を利用して混合気で効率よく燃焼するターボライターなども登場してくるのですが、長くなるのでこの辺で割愛。
とはいえ300年以上に及ぶライターの歴史の中で、化学的な要因による着火方式の変化から、所作による形状の変化、そして素材や機能、価格に至るまで様々なバリエーションと進化が生まれてきました。

しかし近年、簡単に火がつくライターは子供の着火による事故が増え、子供が火をつけられないようにするための「チャイルドレジスタンス機構」(以下、CR機構)の義務化が、アメリカでは1994年から、ヨーロッパでは2007年から、日本でも2010年からはじまっています。

簡単に火がつけられないように、ボタンが重く(固く)なっているもの、ずらしながら押すといった2つ以上の動作を同時に行うものなど、2010年以降、各社様々なCR機構を考案していますが、デザイン(問題解決方法)において僕のお気に入りは、フランスのメーカー「BIC」の製品です。

BIC社のライターは丸くプレスされた金属の板を外からはめ込むだけでCR機構を実現しています。フリント式に限ってのことですが、大人と子供の親指の腹の表面積に着目し、子供の親指の大きさでは金属の板で指が滑ってしまうけれど、大人の親指であれば今までとほとんど変わらずに火をつけることができるという機構で、金属板の付加は外観上もさほど気にならないし、おそらく他メーカーの方式に比べてコスト負担も少ない。
使い捨てということで廃棄と再生の循環が社会的にも最大の懸念点ですが、現時点で僕にとってのデザインのゼロ地点に最も近いライターはこれだなぁと思っています。単純に外観形状が好きなのも理由の一つですが。

BIC社のライター。回転するフリント部分に金属板を付加している。(出典:3NTA)
BIC社のライター。回転するフリント部分に金属板を付加している。(出典:3NTA)

如何に簡単に火をつけるか、という機能の進化は、歴史上の課題から生まれたデザインの進化でもありますが、問題解決というのは常に新しい課題を生むものです。上記のライターの例は、機能的な問題解決が、文化的な課題を生んだ形になります。そう考えると、ものづくりやデザインのゼロ地点の探求も終わりがない旅と言えるかもしれません。

 

ライターにおけるデザインのゼロ地点、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
株式会社サロメ
株式会社東海
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

【燕のお土産】板前さん御用達、ツボエの「銅製おろし金」

こんにちは、さんち編集部の井上麻那巳です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんにご紹介する “さんちのお土産”。第9回目は新潟県は燕から「ツボエの銅製おろし金」をお届けします。

さんちでも何度かご紹介している新潟県燕市。新幹線燕三条駅の北側に位置する燕市は、ステンレスをはじめとした金属加工で知られ、特に金属製のカトラリーにおいては日本国内生産シェアの90%以上を占めています。

今回のお土産は、その燕市で明治40年にヤスリ専業メーカーとして創業したツボエの銅製おろし金です。ツボエは現在では金属おろし金の専門メーカーとして、業界一のアイテム数を誇っています。お手入れのかんたんなステンレス製や、軽くておろしやすいアルミ製、金属臭のしないチタン製など様々なおろし金がありますが、今回はその中でも本格派、銅製のものを選びました。銅の色も相まってかわいらしい姿をしていますが、実は板前さん御用達の働きものなのです。

dsc00684

この小さな刃は手しごとの目立て技術を再現した自社オリジナルのマシンで分厚い銅板から一目ずつ掘り起こしています。切れ味をよくするために刃の配列はあえて不均等に。この細かい刃が素材の繊維をきめ細かく切りおろし、素材の風味を際立たせてくれるそう。

「おろす」という調理法は日本料理独特のもの。フランス料理にも中国料理にもない日本独自の食文化を、日本のものづくりの技術と楽しんでみてはいかがでしょうか。

ここで買いました。

燕三条地場産業振興センター
新潟県三条市須頃1-17
0256-32-2311

株式会社ツボエ
www.tsuboe.co.jp

文・写真 : 井上麻那巳

ハレの日を祝うもの 香川のふわふわ嫁入り菓子「おいり」

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介します。

讃岐の国の嫁入り菓子

一生に一度の「ハレの日」といえば、やはり嫁ぐ日でしょうか。
瀬戸は 日暮れて 夕波小波~
小柳ルミ子さんの名曲「瀬戸の花嫁」の舞台としても知られる、香川県・西讃地方では、嫁入り道具と一緒にかならず「おいり」を持たせるという習わしがあります。「おいり」というのはこの地方のお菓子ですが、その由来は今から400年以上も前のこと、丸亀初代藩主である生駒親正公の姫君のお輿入れの際に、お百姓のひとりが5色の餅花を煎ってつくった「あられ」を献上したのが始まりといわれています。以来、婚儀の際にはおめでたいお菓子として広まり、この5色の「お煎りもの」は「おいり」と呼ばれるようになったのだそうです。

黄・緑・紫・桃・赤の淡い5色と、白が混ざった「おいり」。
黄・緑・紫・桃・赤の淡い5色と、白が混ざった「おいり」。

ふわふわ、カリカリ。則包商店の「おいり」

香川県丸亀市で長い間この「おいり」をつくり続けている「則包商店(のりかねしょうてん)」。大正時代の初期に創業して100年以上、今は3代目の則包裕司さんがおいりづくりを担っていますが、つくりかたは昔から変わっていないのだといいます。

ところで、「おいり」はどのようにつくられているのでしょう。「おいり」のもとになっているのは、お餅。小さくサイの目切りにしたお餅を、瀬戸内の風にさらしながら乾燥させます。十分に乾かしたお餅を煎ると、小さな角ばったお餅がぷっくりふくらんで、まん丸に!真っ白な「おいり」に5色の甘い蜜をかけて「おいり」を色づけます。これに白を混ぜることで、色が引き立ち優しい色合いになるのだといいます。

「おいり」の上にのっている「小判菓子」も、お餅からつくられています。
「おいり」の上にのっている「小判菓子」も、お餅からつくられています。

「おいり」を持って他家にお嫁入りするときには、「その家の家族の一員として入り、こころを丸くしてまめまめしく働きます」という意味が込められているのだそう。お餅を煎って、角が丸くなるというつくりかたにも通じていますね。

お配り用の小袋「おいり」。
お配り用の小袋「おいり」。

嫁入り先で、ご近所へのごあいさつとして配ることもある「おいり」は、新しい地に嫁ぐお嫁さんにとって強い味方。県内で「おいり」をつくっているところは数えるほどしかないそうで、今や貴重な存在になっていますが、西讃地方のお嫁入りには「おいり」は欠かせない存在です。これからもこの淡く優しいお菓子「おいり」は、寿ぎのときに彩りと優しさをそえ、瀬戸の花嫁をお祝いしてくれるのだと思います。

<関連商品>
桐箱入りおいり(中川政七商店)

<取材協力>
則包商店
香川県丸亀市中府町5丁目9番14号
0877-22-5356
http://www.marugame.or.jp/shoukai/norikane

文・写真:杉浦葉子

【琴平のお土産】歯が立たないお菓子、熊岡菓子店の「堅パン」

こんにちは、さんち編集部の西木戸弓佳です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんへのお土産にご紹介する “さんちのお土産”。第8回目は香川・善通寺にある熊岡菓子店の「堅パン」です。

sunchi_omiyage2

「こんぴらさん」の愛称で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)のある琴平町のお隣町、善通寺。四国にある88ヶ所のお寺を巡る“お遍路さん”の第75番礼所でもあり、弘法大師の誕生地としても知られています。

善通寺の小道を入っていったその先に、とても素敵な佇まいをした古民家があります。軒先で営んでいるのが、「熊岡菓子店」さん。明治29年創業、120年以上続く老舗のお菓子屋さんです。

レトロなショーケースに入ったお菓子は、グラムや枚数で注文。ロゴの入ったかわいい紙袋に入れてくれます。
レトロなショーケースに入ったお菓子は、グラムや枚数で注文。ロゴの入ったかわいい紙袋に入れてくれます。

熊岡菓子店さんの名物「堅パン」。その名の通り、カッチカチに堅いパンは、小麦粉を練って伸ばした生地を、手で切って焼き上げ、そこから更に乾燥させたお菓子です。

種類によって、少しずつ味を変えているとう堅パンは、どれも素朴で優しい味。ただし、びっくりするほどの堅さです・・!すぐには噛めず、口の中にしばらく転がしてから柔らかくして頂きます。

「堅パン」の種類は、「石パン」と「小丸パン」と「大丸パン」。
「堅パン」の種類は、「石パン」と「小丸パン」と「大丸パン」。
sunchi_omiyage5

もともとは、軍事食だったという堅パン。日清戦争の頃に「日持ちがして、腹持ちがいいものを」という軍のリクエストにより、熊岡菓子店の初代・和市さんが作りはじめたのだそう。以来、変わらない味と同じ製法を守り続けているという堅パンは、「ひとつひとつの工程を今でも手でやってるので、そんなにたくさんは作れない」とのことで、毎日夕方前には売り切れてしまうのだとか。
時代を超えて今も愛され続ける、熊岡菓子店。ぜひ、旅のお供やお土産を買いに、訪れてみてはいかがでしょうか。

ここで買いました。

熊岡菓子店
香川県善通寺市善通寺町3-4-11
0877-62-2644

文・写真 : 西木戸弓佳

愛しの純喫茶〜高松編〜 カフェ グレコ

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。第6回目は、高松の商店街で間も無く創業40周年という老舗喫茶「カフェ グレコ」です。

香川を巡る旅に欠かせないのが県民御用達の路面電車、琴平電鉄(通称ことでん)。高松市内を走行することでんを見て驚くのが、長い長いアーケード商店街を突っ切るように走る姿です。高松はかつての城下町。「旅籠町」「磨屋町」など高松城のお膝もとで古くから町人街が栄え、それが現在の商店街に受け継がれています。

img_1994

そんなことでんに乗って瓦町駅で下車。この駅は香川県内を走ることでん3路線全てが乗り合わせる主要ターミナル駅です。駅から歩くこと数分、商店街の一角に思わず足を止めてしまう店構えの喫茶店を見つけました。お店の幅いっぱいの、古い世界地図のような看板。その下には独特な書体で「カフェ グレコ」の電飾。入り口のレトロな食品サンプルが旅行者を誘います。これは間違いなさそう。

img_2687
img_2707

勇気を出して中へ入ると、一人か二人連れの男性客が目立ちます。スーツ姿に作業服。今日は平日、そろそろお昼どきです。赤いビロードの椅子に小さく体を収めて食事をとる背中が、ギリシア神殿風の柱やクラシックな照明とも妙に似合っています。聞けば世界初のカフェがイタリアの「グレコ」というお店だったとのこと。そのお店の名前をとって、内装もヨーロッパ調なのだそうです。

img_2704

さて、そろそろ注文を。メニューを開いてはじめに目に飛び込んでくるのは「モーニング」。なんと1日中やっているそうです。種類も6種類ほどあって目移りしますが、今朝は栗林公園で朝粥を食べてきたところ。ここはやはり、ランチのメニューを。メニューの一番上にあった生姜焼き定食を頼みます。

「生姜焼き、ワンです」

実はさっきから店内にはひっきりなしに生姜焼き定食のオーダーが響いていました。あちこちから掛かる注文をさばくように、店員のお姉さんは立ち止まることがありません。そのキビキビとした動きに見惚れていると、間もなく軽快なピアノ曲の間をぬって運ばれてくるいい香り。どん、とテーブルの置かれた定食は、さすが純喫茶、漆塗りのお盆などでなく銀のトレイに生姜焼きのお皿がのっています。さりげなく器の下に敷かれた紙ナプキンがはみ出しているのも、なんだか愛おしい。

img_2693

味はもちろん間違いなし。ボリュームも満点。これは働くお父さんたちがひっきりなしに入ってくるのもうなずけます。ペロリと完食したところで、食後のコーヒーを。定食とセットなら追加100円でいただけます。嬉しい。

main_img_2700

一息ついたところで、「すいません、満席なんです」と今入ってきたお客さんに詫びる声が聞こえてきました。

気づけばあっという間に店内は満員御礼。あまり長居してはいけません。身支度を整えながら、活気があるのに気忙しくない、なんだか港のような空気感だな、と思いました。この街に働く人、観光に来た人を受け入れてはちょっと栄養をつけてまた送り出す。

今度はモーニングの時間に、カウンター席に座ってみようかな。再訪の席に目星をつけつつ、高松の昼下がりに戻りました。

カフェ グレコ
香川県高松市田町11-2
087-834-9920
営業時間:7:00-18:00


文・写真:尾島可奈子