こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、なかなか機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。
そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けしています。
なにはなくとも、茶巾
9月某日。
今日も東京・神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎 (きむら・そうしん) 先生による茶道教室11回目。お茶室の真ん中に、何かの容れものが置いてあります。
「これまで帛紗 (ふくさ) 、茶筅 (ちゃせん) 、茶杓と、お茶に関わる道具をいろいろと見てきました。
そろそろ、扱うべきものの話は終わりにして実践に移っていこうと思いますが、もうひとつ、お茶に不可欠な道具があります。茶巾です。
お点前の際にお茶の粉がダマになったりしないよう、茶碗についた水滴を拭き清めるのに茶巾を用います。
ですが、いいですか。これからお点前を始めるときに、茶巾で茶碗を『拭こう』と思ってはだめですよ」
拭き清める所作をするのに、拭こうと思ってはだめとは、一体‥‥?
謎かけのような言葉にきょとんとしていると、先生がそっと1枚、白い布を先ほどの箱の中に入れられました。
清らかな布、麻
「麻生地の茶巾です。綿のものもありますが、茶巾といえば、麻生地です。その理由は後でお話しますが、麻は神事でも重んじられている布です。それを表しているのが、この箱です。
天皇陛下が神前に献上する、特に食べもの以外の捧げものを幣帛 (へいはく) と言います。代表的なものが麻をはじめとした織物です。
5色に染め分けた反物を糸でくるんで、柳の木で作った『柳筥 (やないばこ) 』という箱に入れて献上します。
この箱は柳筥を模して小さく作らせたものです。伊勢神宮ゆかりの茶会が行われた時に使われるために作られたものです」
麻の茶巾を神様に捧げる幣帛に見立てた、お茶会のための「柳筥」。板同士を糸でつなぎ合わせた大変手の込んだつくりになっています。中に収められるものの重要さ、神聖さを物語るようです。
「麻は一般庶民の衣服にも用いられてきた生地です。実はそのままでは繊維がゴワゴワとしていて、染料にも染まりにくい。
そこで白く晒すことで柔らかく、色に染めやすくもするという工夫がされたのです。清らかな白さは、ここから生まれているのですね。
16世紀の後半には、晒し技法の改良に成功して一大産地となった奈良のような土地も現れます。「奈良晒 (ならざらし) (*1) 」は徳川幕府の御用品指定も受けたほどです。
真っ白な麻の布は大流行しました。侘び茶について書かれた『茶話指月集』にも、有名な千利休のエピソードが収録されています」
利休も愛した晒の茶巾
先生のお話によると、侘び数寄でならした茶人がある日、利休に大金を送ってきて「とにかく自分のためにいい茶道具を選んでください」と目利きを頼みます。
ほどなく利休から届いた荷物を喜んで開くと、新しい真っ白な晒の布が大量に入っている。
慌てて添えられた手紙を読むと「なにはなくとも真新しい白い茶巾。これさえあればお茶はできます」と書いてあった、というお話です。
「はじめは単なる侘び数寄の例えかと思っていたのですが、技法を改良して生まれてきた奈良晒などの晒生地の話と重ねると、晒の白さ (*2) を誇る茶巾というのは、利休にとっても最先端の、ソリッドな真新しい美だったのだと思います。
侘茶の湯という新しいものを打ち立てようとしていた当時に、何百年も前から大切に残されたの名物の器に匹敵する美しきものとして、真白き使い捨てのものをこそ、と利休が語ったというのは、大変象徴的なエピソードです」
そうして真白い小さな布が、次々とお茶室の真ん中に置かれていきました。
昔ながらの作り方が最高?
これまでのお稽古で拝見した帛紗 (*3) や茶筅 (*4) のように、茶巾にもお茶人さんや流派の好みで様々な種類があるようです。
見比べてみると確かに、どれも少しずつ様子が違うのですが、具体的にどこと聞かれると、うまく答えられません。
ほら、と先生が示されたのは生地の上下の端部分。
「かがったところが潰れているでしょう。正式な茶巾は、竹ヒゴで生地の端をくるんでから、かがるんです。だから竹ヒゴを抜いた跡が丸い筒状に見える。
「さらに、この中でひとつだけ違うものがあります。どれかわかりますか。
答えは糸のかがり方。効率を考えると斜めにかがりますが、これは1本ずつ、生地端に対して縦にかがっています」
こちらがもっとも古風で正式な茶巾だそうです。何気なく眺めていたのでは気付けない細部に、驚くような手間暇がかけられています。
「なぜわざわざ手のかかったものを求めるのか。昔ながらの作り方が最高だ、と言いたいのではないのですよ。
人の手で真剣に入念に調えられた茶巾を使って、これをつくった人自身の想いまで受け取って茶碗を拭くことで、ものが清まるのだということです。
茶巾は単に茶碗を拭う道具ではなく、ものを清める道具なのです。
茶巾は晒、である理由
「茶巾で茶碗を拭く時に、物理的に拭こうと思ってはいけない。だからお点前では、よく絞った乾きやすい茶巾を手に沿わせて、茶碗の上を滑るように回します」
「回していくうちにその浸透圧で茶巾に水滴を吸わせるんです。これなら茶碗も傷つけません。
茶巾を手に沿わせるには、あまり柔らかすぎたりさらっとしていては具合が悪い。だからこそハリがあり、神事にも用いられる清らかな麻の晒生地こそがぴったりなのです」
茶碗を拭いているようでいて、拭いているのではなく清めている。ようやく、先生がお稽古の始まりに仰った「謎かけ」が解けてきました。
またものを見る目がひとつ変わったところで、今日のお菓子の登場です。
秋の遊びごころ
今日のお菓子は奈良・樫舎 (かしや) さんの「初雁 (はつかり) 」。
初雁はもともと、黒糖の葛の中にゆり根を散らし、秋の空に到来した雁を表す9月のお菓子。今回は奈良・吉野の本葛で餡を包んだ、樫舎さんオリジナルだそうです。
一服いただいた後は、これまで拝見してきた道具を実際に使って、お点前の稽古も実践していきます。
今日の水指は、井戸に吊り下げる釣瓶 (つるべ) の形。本来夏用の道具を「秋の日はつるべ落とし」にかけて使います。
釣瓶なので、お道具を下げる時も茶巾に吊るして運びます。なんという遊びごころ!
茶碗ひとつ、茶巾ひとつの扱いに心を込めてお点前をすることも、こうした季節を取り入れた遊びごころも、その場に会したお客さまをもてなそうとする真剣な想いがあってこそ。
毎回、私はその全てにきちんと気付けているだろうかと、お茶室の中をじっくりと見渡します。そろそろ、お稽古も終わりの時間が近づいてきました。
「今日は茶巾のお話をしました。
ゴシゴシと茶碗を拭くことが目的ではない、ということをお伝えしましたね。ものを清めるという儀式に使う、大事な道具です。
晒の茶巾で茶碗を拭いている時には、神社の神主さんが御幣 (ごへい) を振っているような心持ちで臨まないといけませんよ。
では、今宵はこれくらいにいたしましょう」
◇本日のおさらい
一、なにはなくとも、茶巾
<参考記事>
*1 奈良晒:「歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒」
*2 晒の白さ:「はじまりの色、晒の白」
*3 帛紗:「三十の手習い 茶道編七、帛紗が正方形でない理由」
*4 茶筅:「三十の手習い 茶道編九、夏は涼しく」
文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店