熊本 小代焼を愛でる一日

訪ねるといつも元気をもらうような明るい窯がある。

うつわの作り手といえば、気難しいようなイメージが強いかもしれないけど、ここは主やその家族、弟子とみんなが明るく、いつも笑い声が聞こえてくる。熊本の県北、福岡県と隣接する荒尾市の小代焼(しょうだいやき)ふもと窯。

毎年2月の終わりの土日に誰もが参加できる窯開きをやっていて、そこに参加してきました。みんげい おくむらの奥村です。

熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯

お客さんと作り手がふれあうイベントがある窯は少なくないが、直前に窯を焚いて、できたてのうつわをその場で取り出す作業まで見せる窯はめずらしい。

しかもそれが作り手とおしゃべりしながら、その場で買えるんだ。そりゃ足が向くでしょう。

熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯
熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯

ふと見渡せば、当主の井上泰秋さんが窯から出てきたうつわの底をすりながら何人ものお客さんと談笑している。

その奥では、窯から出たうつわの焼き上がりを見ている息子の井上尚之さんと弟子陶工たち。笑い声、時に落胆の声が響いて、それを見ているお客さんも笑っている。

なんともなごやかな時間だが、僕がふだん一人で訪ねてもこの窯はこんな感じなのだ。

熊本県伝統の小代焼

熊本の伝統、小代焼といえば白・黄・青のような色があり、いずれも灰をベースに使った釉薬から生まれる。同じかたちに同じように同じ釉薬を掛けて同じ窯で焼いても、写真のように差が出る。

これ、すごいでしょう。窯のどこに置かれたかによって温度が微妙にちがうし、火の当たり方もちがうのでこれだけの差が出る。

「火にまかせる」「窯にまかせる」という言葉を各地の窯で聞くのだけれど、まさにそう。

こう焼けて欲しい、というイメージを狙って焼くのだけれど、なかなか思い通りにはならない。焼き物のおもしろさってこういうところ。

熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯

窯出しも終わって、ふもと窯のある荒尾市から南にくだって熊本市へ。

小代焼を使う郷土料理屋さんもあるけれど、今日のおめあては郷土料理とはちょっとちがう。おめあての店PAVAO(パバオ)は熊本市の中心部、上通りのはずれにある。

雑居ビルの2階。階段をのぼって、ドアの前に立っても中が見えず入るのをためらうが、思い切ってそのドアを開けてもらいたい。

熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAO内観
熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAO内観

この店は、入ったそばからおいしい。

入り口からすぐに本の棚、CDの棚。そしてキッチンが見えてくると、そこかしこにたくさんのうつわ。どの棚もワクワクがあふれている。

店主の思いつくまま集められたそれらは雑多なようでいて、でもどこかまとまりがある。料理のおいしさは味のみならずだな、とつくづく思う。

ここはおいしいものが出てくる予感しかないのだ。旅でまったく初めての土地に降り立ったような高揚感がある。

ふわふわと、どこの国とも言えない不思議な居心地の良さ。そういえば、ここは諸国家庭料理PAVAO。諸国なのだ。そりゃどこでもないわけだ。

熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAOメニュー表
熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAOの定番メニュー「ちくわ天」

黒板のメニューを見ていつもワクワクするこちらですが、定番で外せないのが「ちくわ天」。

店主の出身である、熊本の日奈久(ひなぐ)というちくわの名産地のものを使って。和食の店で使ったらどっしりと重厚に感じそうなこの小代焼のうつわをどこかさらっと気負いなく。

熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAOの「あさりとターサイと生きくらげの和え物」

続いての一品は、あさりとターサイと生きくらげの和え物。酸味と辛味。おお、アジアの味。これまた、肥後鉢という伝統の形の鉢が絶妙に似合うじゃないですか。

ここのうつわのセレクトは国内外、民藝のものもあれば作家のものもさまざま。うつわ好きならカウンターに積まれたうつわにも、隣席のテーブルに並ぶ料理とうつわにもワクワクが止まらないはず。

いつもこの店をスタートに夜の熊本を飲み歩くからなかなか食べられないのだけど、実はこの店カレーもうまい。食事使いでも、ふらっと一人でも。どうぞお気軽に。

 

<取材協力>
PAVAO
熊本県熊本市中央区南坪井町1−9 山村ビル2F
電話 096-351-1158
営業日 木金土 18:00-23:00
※営業日や時間が変わることもあります。最新情報はinstagramをチェックしてください。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

マイルドヤンキーと民芸と。飛騨高山「やわい屋」に地元の若者が通う理由

「さんち必訪の店」。

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。

必訪 (ひっぽう) はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

今回訪ねたのは、飛騨高山の「やわい屋」。民芸の器を中心とした生活道具のお店です。

やわい屋

築150年の古民家でご夫婦が暮らしながら営むお店は、2016年のオープン以来、他府県からもわざわざ人がやってくる人気店となっています。

高山市の中心からは離れた立地ながら、遠方から訪ねてくるお客さんも多いそう
高山市の中心からは離れた立地ながら、遠方から訪ねてくるお客さんも多いそう
ご夫婦で各地を回り、直接買い付けてきた器や道具が並びます
ご夫婦で各地を回り、直接買い付けてきた器や道具が並びます

前回はご主人の朝倉圭一さんに、扱うものの選び方や「やわい屋」というお店の名前に込めた想いを伺いました。

店主の朝倉さん
店主の朝倉さん

実は、このお店で器と対になっている魅力が、2階にあります。

階段

階段を上っていくと‥‥

秘密の書斎のような空間が!

みっちりと本が詰まった書棚
みっちりと本が詰まった書棚
テーブルの奥には‥‥
テーブルの奥には‥‥
こんなスペースも!思わず寝っ転がりたくなります‥‥
こんなスペースも!思わず寝っ転がりたくなります‥‥

お店の説明の代わりに、古本屋?

「1階のお店を始めた翌年にこの屋根裏を改装して、古本屋も始めたんです。

それまではこの町に、個人経営の古本屋さんって一軒もなかったんですよ。

でも、高山は家具産業が盛んで、若い人たちの移住も多い。彼らの知的な好奇心を満たせる場所が必要だろうと思って始めました」

本棚

「この町に、こういう本を読む人が増えたらいいな、そう思うものを選書して持ってきています。

そうすると、僕らがここでやりたいことが視覚化されて、言わなくても伝わるんじゃないかなと思ったんです」

一冊一冊に、奥さんの一言メモが挟んであります
一冊一冊に、奥さんの一言メモが挟んであります
いつ来ても発見があるように、本の入れ替えや配置換えもこまめにやっているそう
いつ来ても発見があるように、本の入れ替えや配置換えもこまめにやっているそう

高山生まれ、高山育ち。

27歳までサラリーマンをしていたという朝倉さんが、ここでやりたかったこととは一体何なのでしょう?

「僕はもともと、地元愛のないマイルドヤンキーだったんです」

マ、マイルドヤンキー?

地方都市や郊外に多い地元志向型の若者の姿として、数年前に流行語にもなりました。

一般的なイメージでは、身近な仲間や家族を大切にし、行動範囲は広くなく、週末は郊外のショッピングセンターなどで買い物を楽しむ。何より地元愛が強い。

それなのに、「地元愛のないマイルドヤンキー」が、なぜ土地に根ざした民芸店を開くことに?

10年後、彼らと同じ場所にいるために。

「お店を始めようと思ったのは、2011年。結婚した直後に震災がありました。

高山市内の飲食店で働いていたんですが、震災がきっかけで一生続けられる仕事って何だろうと考えるようになって。

同級生の半分はだいたい自営業の息子です。僕はそのとき27歳で、飲み会があれば『やりたいことがあったけど、そろそろ実家を継がなきゃいけない』みたいな話を彼らから聞くんですね。

うちはサラリーマンの家庭で何も継ぐものがない。何でもできるのにやりたいことをやらずにとりあえず仕事をしているというのは、こいつらに失礼だと思ったんです。

このままサラリーマンを続けていたら、10年後、20年後に彼らが居る場所と、僕の居る場所はずいぶん変わる。たぶん、ゆくゆく彼らと話せなくなってくる。

それはあまりにもさみしいし、もったいないなと思って。

じゃあ、僕も自分で何かを商う道に進もうと思いました」

ヒントは当たり前の風景の中に

ものを商う。では何を扱おうか。

ヒントを求めて、有名なセレクトショップや雑貨店をあちこち見て回ったそうです。

「それでわかったのは、都会のお店と同じやり方ではこの町で必要とされないだろう、ということでした」

真冬には人の背丈ほど雪が積もる飛騨の町。都会とは人の流れも暮らし方も違います。

雪の日の様子。150センチほどの積雪になる時も
雪の日の様子。150センチほどの積雪になる時も

やるなら、ここでやる意味のあるお店にしなければ。でも何を、が見つからない。

「自分が何が好きで、何をいいと思うのか、その時は説明もできませんでした」

買い物はもっぱら他県のショッピングセンター。「地元には何もない」と本気で思っていたそうです。

答えを悶々と探す中で、「民芸」に出会いました。

「もともと人類学とか人の生活文化に興味があったので、思想としては知っていたんです。

でも、実際に各地で作られている手仕事の道具‥‥と考えた時に、『この町こそ、そういうものづくりの産地じゃないか!』って、やっと気が付いたんです」

良質な木材に恵まれ、古くから春慶塗や木版、家具などのものづくりが育まれてきた飛騨高山。

黄色が美しい飛騨を代表する伝統工芸、飛騨春慶塗
黄色が美しい飛騨を代表する伝統工芸、飛騨春慶塗
憧れの家具メーカーとしても人気の高い飛騨産業の家具
憧れの家具メーカーとしても人気の高い飛騨産業の家具
真工藝 木版手染めぬいぐるみ
木版文化を活かした真工藝のぬいぐるみも人気です

「子どもの頃から当たり前にあるから、木材がたくさん積んである風景とか、普通なんですね。自分たちにとってはかくれんぼをする場所であって」

例えば木を積んだ大きなトラックが次々に走っていく姿も、朝倉さんたちにとっては昔からの日常風景。

「そうした、土地に根ざした生活道具なら、このものづくりの町のお店に置くのにふさわしいかもしれない」

3年間嫌いにならなかったら一生の仕事にしようと決めて、「民芸」をキーワードに全国のお店や産地をまわったそうです。

それからは、土地土地の民芸品を自身の暮らしの中に持ち帰る日々。

ある日、変化が起こりました。

ボディーブローのような変化

「物ってやっぱり、すごいですよね。

僕ら夫婦は、当時はアパートに住んでいました。

いたって普通の賃貸住まいで、使っているテーブルセットもよくある量販型のもの。

各地から買って帰ってきた器を、その木目調のテーブルに置いたんですね。

そうしたら、急に今まで全く気づかなかったテーブルの傷が、目に付いたんです。きったないなぁって。それまでぜんぜん気にしなかったのに。

逆に、器ひとつテーブルに置いたことで『箸置きがあるといいな』とか、次は『花があるといいな』と思うようになって。

そういう小さい変化が、じわじわボディーブローのように効いてきたんです。

木目調じゃなく、本当に木で作られているテーブルが欲しいと、思うようになりました」

朝倉さんの中で、自分の好きなもの、いいと思うものがクリアになった瞬間でした。

いいと思う暮らしを、自分ごと化する

「民芸の器に触れたことで、改めてものづくり産地である飛騨を築いてきた先人に、敬意を感じるようにもなりました。

この土地には素晴らしいものがあると、やっと自分ごととして言えるようになったんです」

朝倉さんの「自分ごと」化は徹底しています。

飛騨に昔からある古民家を店舗兼住まいに決めたのも、不便さとも向き合いながら飛騨の暮らしを実践するため。暮らしと地続きのものの豊かさを、お客さんに感じてもらうためでした。

「このお店には、この町に暮らす人が子や孫の代まで使い続けたいと思ってもらえるようなものを置いています」

地元のガラス作家、安土草多 (あづち・そうた) さんのランプシェード
地元のガラス作家、安土草多 (あづち・そうた) さんのランプシェード
長崎のスリップウェア作家、小島鉄平さんの器
長崎のスリップウェア作家、小島鉄平さんの器

「それを、同級生や地元に暮らす20代、30代の世代が家族や友人への贈り物にと、買いに立ち寄ってくれるんです。

マイルドヤンキーなんて言葉をわざわざ持ち出さなくても、家族や仲間をとても大切にします。それは同級生と飲み会をした27歳のあの時から、僕も変わっていません。

ここで買われていった道具がいつか土地の栄養になって、この町の次の文化を作るかもしれない。

もしかしたらその使い手の中から、次に産地を支える作り手だって、出てくるかもしれません。

1か月で1000点売れたとしたら、1年で12000点、10年で1億点です。

そんな膨大な数がここで暮らす人たちの生活に入っていくんだと思ったら、これはすごくいい仕事だなと思ったんですよね」

やわい屋店主、朝倉圭一さん。

その肩書きはあくまで道具店と古本屋のオーナーですが、朝倉さんはものや本を通して、5年10年先、家族や友人たちと過ごす飛騨高山の暮らしを、自らの手で作ろうとしているようです。

<取材協力>
やわい屋
岐阜県高山市国府町宇津江1372-2
0577-77-9574
https://yawaiya.amebaownd.com/

文:尾島可奈子
写真:今井駿介、岩本恵美、尾島可奈子

各地の「さんち必訪の店」

長崎の知られざる魅力は路地にあり。「さるく見聞館」をめぐるまち歩き

長崎の観光地と聞いて、どこを思い浮かべますか?

グラバー園や眼鏡橋、大浦天主堂や平和公園などが有名ですが、地元の方に尋ねると、おすすめの場所は他にもあるのだとか。

小さな路地を入って見つけるお店や、曲がりくねった石畳の坂道を上りきったところの景色にこそ、長崎の本当の魅力は眠っているといいます。

長崎の歴史や文化を体感できる「さるく見聞館」

長崎では、「長崎の良さを味わうには、まちを歩くのが一番!」という考えのもと、「長崎さるく」という企画が立ち上げられました。

「さるく」とは、長崎の言葉で「まちをぶらぶら歩く」という意味。

特製マップを片手に自由に歩く「遊さるく」、地元の方によるガイド付きまち歩きツアー「通さるく」、専門家による講座や体験を組み合わせた「学さるく」などが用意されていて、観光客だけでなく、地元の方々にも人気があります。

このまち歩きの中でひときわ魅力的なのが、まちのなかに19箇所ほどある「さるく見聞館」と呼ばれる場所。

さるく見聞館のポスター

「さるく見聞館」とは、長崎のまちの伝統や文化、くらしを伝えるスポットです。

長崎のまちに点在する旧家や老舗などの協力のもと、それぞれの家やお店の当主を館長として、仕事場や生活の場などを公開しています。つまり、普段は入ることのできない工房の中や歴史ある建物に足を踏み入れて、見て回ることができるのです。

貴重な古い道具や資料、仕事の様子を見学したり、工房によっては、ものづくり体験のできる場所まであります (要事前連絡) 。

通常の観光では足を踏み入れられない場所での発見や、地元の方とのふれあいをも楽しめることが大きな魅力です。

さっそく私もまちを歩きながら、工芸に関わる「さるく見聞館」をめぐってみました。

今回訪れた3軒を紹介します。

世界で認められたべっ甲作品が鑑賞できる「江崎べっ甲店」

1709年 (宝永6年) 創業の江崎べっ甲店。和洋折衷の建物は、国の登録有形文化財に指定されています
1709年 (宝永6年) 創業の江崎べっ甲店。和洋折衷の建物は、国の登録有形文化財に指定されています

最初に訪れたのは、長崎特産「べっ甲」の老舗「江崎べっ甲店」。

日本でもっとも古い、伝統あるべっ甲専門店です。店内に展示されているべっ甲に関する歴史資料や道具類、べっ甲作品を鑑賞できます。さらには、実際の製作の様子を眺めることも。

べっ甲の詳しい製作工程については、関連記事「長崎特産『べっ甲細工』の工房で、水と熱の芸術を見る」をご覧ください。

江崎べっ甲店9代目当主、江崎淑夫さん
館長は、江崎べっ甲店9代目当主、江崎淑夫 (えざき よしお)さん
べっ甲の歴史をめぐる資料の展示
べっ甲の歴史をめぐ資料の展示
べっ甲の歴史をめぐ資料の展示
素材の解説や、工程見本などが並びます
素材の解説や、工程見本などが並びます
店内には。工房が覗ける大きな窓が設置されている
店内には、工房が見える大きな窓が設置されていて、べっ甲細工ができ上がる様子が眺められます
1937年、パリ万博にて最優秀賞を受賞した作品「鯉」。6代目江崎栄造作
1937年、パリ万博にて最優秀賞を受賞した作品「鯉」。6代目江崎栄造氏作

6代目の故・江崎栄造氏は、べっ甲業界ではただ一人の無形文化財に指定された方。栄造氏の作品は世界で大きな賞をいくつも受賞し、宮内庁御用達にもなりました。同氏の作品も展示されています。

昭和天皇の即位式で使われた御冠台も江崎べっ甲店が手がけました。作成にあたって、試作品として作った茶棚。べっ甲をつなぎ合わせて大きな製品をつくるには手間と高い技術が必要となります
昭和天皇の即位式で使われた御冠台も江崎べっ甲店が手がけました。作成にあたって、試作品として作った茶棚。べっ甲をつなぎ合わせて大きな製品をつくるには手間と高い技術が必要となります

長崎にやってきた海外の人々は、お土産にべっ甲を買い求めて持ち帰っていたそうです。国の要人も訪れたという同店。こんなものも残っていました。

ニコライ皇太子からのサイン
来日中に訪れた、ロシア帝国のニコライ皇太子の直筆サインの展示も。来店をきっかけに親交があり、当時の当主はロシアに招待までされたそう

気さくな江崎さんのお話を伺いながら、じっくりと作品や資料を見られる店内は、まるで博物館のようでした。

長崎くんちを支える「平野楽器店」

続いて訪れたのは、江戸時代から続く和楽器の老舗「平野楽器店」。

平野楽器店の入り口
平野楽器店

江戸時代の三大花街で今も残る長崎丸山の芸妓の楽器や、長崎くんちで使う和楽器の修理やメンテナンスを行っているお店です。

店内には、古くから伝わる和楽器の修理道具が展示されていて、その使い方などを館長が解説してくれます。

館長の平野慶介 (ひらの けいすけ) さん
館長の平野慶介 (ひらの けいすけ) さん
三味線作りの道具。見慣れないものがたくさんありますね
三味線作りの道具。見慣れないものがたくさんありますね
こちらの道具は、三味線の胴に皮を貼る際に使うのだそう
こちらの道具は、三味線の胴に皮を貼る際に使うのだそう。どんな風に使うのでしょうか

ドキドキする?!「三味線の皮貼り」

この日は、三味線の皮の貼り替えをされていました。その様子を間近に見せていただくことに。先ほど登場した、不思議な道具の使い方も知ることができました。

三味線に貼る皮を軽石でこすり、全体の厚みを揃え、表面をなめらかにします
三味線に貼る皮。軽石でこすり、全体の厚みを揃え、表面をなめらかにします
水と練り合わせた糊を三味線の縁に乗せ、その上から皮を貼っていきます。乾燥すると高い粘着性を発揮する糊は、再び水で濡らすと簡単に剥がせるので、貼り替えのたびに楽器を傷つけずにすむのだそう
水と練り合わせた糊を三味線の縁に乗せ、その上から皮を貼っていきます。乾燥すると高い粘着性を発揮する糊は、再び水で濡らすと簡単に剥がせるので、貼り替えのたびに楽器を傷つけずにすむのだそう
木のクリップのような道具で縁に乗せた皮を仮止めします
木のクリップのような道具で縁に乗せた皮を仮止めします
クリップに杭を打って、皮がピンと張った状態で貼り付くようにします
クリップに杭を打って、皮がピンと張った状態で貼り付くようにします

さて、ここで先ほどの道具、四角い木の板と紐が登場しました。

ここで、先ほどの道具が登場します。道具の上に、作業中の三味線の胴を乗せて、紐を掛けます
木板の上に作業中の三味線の胴を乗せて、紐を掛けていきます
どんどんと締め上げていきます。こうすることで、皮にテンションをかけていっているのだそう
紐を締めて、クリップを傾けて引き、皮を張っていきます
紐をかけ終わったら、道具の隙間に杭を打ち、ジャッキの要領で、さらに皮を張っていきます
紐をかけ終わったら、道具の隙間に杭を打ち、ジャッキの要領で、さらに皮を張っていきます

三味線の音をよくするには、皮がピンと張っていることが重要。皮の状態を見ながら、限界まで張りつめさせていきます。

先ほどの道具はこのためのものだったのですね。

紐をねじって固定して、どんどんきつくしていきます
杭だけでなく、紐もねじって引っ張ります
皮の張り具合を指で確かめて、ギリギリの状態まで張りつめさせます
皮の張り具合を指で確かめて、ギリギリの状態まで張りつめさせます

皮には薄いところと厚いところがあるので、場所によって圧のかけ方を変えて調整します。

破れないギリギリのところを見極めるのが職人の腕の見せ所。「黒ひげ危機一発」のゲームを見ているようでドキドキしました。

見学している私の緊張をよそに、余裕の表情の平野さんですが、新人の頃は失敗もしたのだそうです。

「状態を見誤って破いてしまうと、最初からやり直しになるし、皮も無駄にしてしまうので真剣勝負です」とおっしゃっていました。

最後は熱で乾燥させて、貼り替え完了です
最後は熱で乾燥させて、貼り替え完了です

長崎ビードロを現代に伝える「瑠璃庵」

3軒目は、現存する日本最古のキリスト教建築物、国宝「大浦天主堂」そばにあるガラス工房「瑠璃庵 (るりあん) 」。

瑠璃庵の店内。奥に窯があり、製作中はその作業の様子が直接見られます
瑠璃庵の店内。奥に窯があり、製作中はその作業の様子が直接見られます

長崎の伝統工芸であるビードロをはじめとする吹きガラスの専門店です。吹きガラスやステンドグラスの製造工程の見学、製作体験 (要予約) もできます。

関連記事「古文書から『長崎チロリ』を復元した、ガラス職人の情熱」では、館長の竹田克人さんのインタビューがお読みいただけます。

館長の竹田克人さん
館長の竹田克人さん。江戸時代に作られていた瑠璃色の冷酒用急須「長崎チロリ」を復元した方。長崎のガラス工芸の歴史やその技術を詳しく解説してくれます

店内にずらりと並ぶ美しいガラス製品と共に、長崎に伝わるガラス工芸の様子がわかる資料の展示も。

長崎のお祭、「くんち」の山車の装飾にもガラスが用いられている。こちらは竜の目
長崎のお祭「長崎くんち」の山車の装飾にもガラスが用いられています。こちらは竜の目
江戸時代に海を渡ってきたガラスボトル。ロッテルダム (オランダの地名) が書かれている
江戸時代に海を渡ってきたガラスボトル。ロッテルダム (オランダの地名) と書かれています

間近で見る工房の様子

工房の様子ものぞいてみましょう。

1100度以上の高温の窯で溶かしたガラス
1100度以上の高温の窯で溶かしたガラス
窯で1100度以上の熱で熱して溶けたガラスを成形していきます。手で添えているのは濡れた新聞紙
ブローパイプ(吹き棹)の先に付けたガラスを、濡らした新聞紙の上で転がしながら成形していきます
小さい穴に箸を入れてガラスを広げていきます。さらに全体を調整して除冷炉に入れたら完成です
小さい穴に箸を入れてガラスを広げていきます。さらに全体を調整して除冷炉に入れたら完成です

工房の脇には、窯の中での役目を終えた「るつぼ」が置かれていました。

ガラスを溶かす窯の中には、「るつぼ」と言われるガラスの入った器が入っている。毎日使い続ける窯。高熱とガラスによって侵蝕するので1年ほどで交換が必要となる
ガラスを溶かす窯の中には、「るつぼ」と言われるガラスの入った器が入っています。毎日使い続ける窯の中は、高熱とガラスによる過酷な環境。侵蝕するので1年ほどで交換が必要となるのだそう
使い終わったるつぼを割ると侵蝕して薄くなった断面が現れる。たった1年でこんなにもダメージを受けてしまうのだ
使い終わったるつぼを割ると侵蝕して薄くなった断面が現れます。たった1年でこんなにもダメージを受けてしまうのですね

職人と同じ道具を使って体験できる、吹きガラスやガラス細工

瑠璃庵では、吹きガラス、万華鏡、ステンドグラスなど、手づくりガラスの体験学習を行なっています。長崎の地でガラスの魅力を伝えたいという思いから始まり、30年以上続く企画だそうです。

職人さんが普段使っているものと同じ道具で体験できるのが嬉しいですね。

事前申し込みで、吹きガラスを体験することも
事前申し込みで、吹きガラスを体験することも
フュージングのワークショップ
フュージングのワークショップ
自分だけのデザインが作れます
自分だけのデザインが作れます

長崎の人々の気質から生まれた「さるく見聞館」

さるく見聞館は、それぞれ通常の営業をしながら観光スポットとして利用者を受け入れています。どの場所も観光専門の場所ではないのですが、とても気さくに丁寧で詳しい解説を受けられて、実際の仕事場などが見られるのでとても充実していました。そしてなにより、それぞれのお店の歴史や技術に親しみが湧きました。

「長崎は、鎖国時代に唯一世界に開かれていた場所でした。

当時、各地から勉強のために訪れた多くの人を受け入れ、お世話をしていた長崎の人々。外からやってきた人に親切で、お節介気質な人が多い土地なんです。

道を聞かれたら、その場所まで連れて行ってくれるくらいです。 (笑)

寡黙に仕事をしている職人さんでも、尋ねると親切に答えてくれる。お話好きの方も多いんですよ。

見聞館を訪れることで、地域の人と交流しながら、長崎のことをもっと知っていただき、魅力を感じていただけらと思います」

そう語ってくださったのは、「長崎さるく」を企画している長崎国際観光コンベンション協会の的野さん。

私も、長崎の方々のたくさんの親切を受けました。荷物を預けるコインロッカーを探していたら、帰り道のルートを尋ねられ行程に一番向いている場所を教えていただいたり、飲食店を尋ねたらそのお店の一押しメニューについてまで教えていただいたり。

ものづくりの現場でも、職人同士で技をシェアしあって技術を高めていく風土が作られているそうです。海外の文化や技術の発信地であった長崎。江戸を始め、全国にその技術が伝え広まった背景には、長崎の人々の気質によるところが大きかったのかもしれません。

<取材協力>
一般社団法人 長崎国際観光コンベンション協会
長崎市出島町1-1 出島ワーフ2階
095-811-0369
長崎さるく公式サイト

江崎べっ甲店※現在閉店
長崎県長崎市魚の町7-13

平野楽器店
長崎市鍛冶屋町5-4 鍛冶屋町通り 平野楽器ビル奥
095-822-1398

瑠璃庵
長崎県長崎市松が枝町5-11
095-827-0737

文・写真 : 小俣荘子
写真提供:一般社団法人 長崎国際観光コンベンション協会、瑠璃庵

波佐見の観光で探したい、道端に隠された波佐見焼。世界最大級の登り窯跡や、焼き物の神様も注目です

総面積約56㎢、人口約1万5000人の長崎県波佐見町。この小さな町で作られている焼き物が、日用食器のおよそ16%のシェアを誇るということを知っていますか?

最近になって「波佐見焼」という言葉を耳にする機会が増えている印象ですが、そのシェア数が物語るように、実は400年以上もの歴史をもつ焼き物なんです。

波佐見焼
どこかで見た覚えがある器がありませんか?

今日は、かつて波佐見焼を大量に生み出した世界最大級の登り窯跡が存在するという中尾山へ。

はさみ観光ガイド協会会長の石原正子さんと一緒に、何気ない風景の中に潜む「焼き物の町」らしさを探しながら歩いてみました。

波佐見町
やきもの公園を出ると、食器の生地を載せたトラックを発見!窯元まで運ぶのでしょうか。やっぱり焼き物の町に来たのだなと実感させられます
波佐見町案内図
商店街の案内図だって、焼き物でできています

中尾山で波佐見焼の“日常”を覗く

中尾山の麓へは、やきもの公園から車で5分ほど。中尾山は、波佐見の中で今でも数多くの窯元が集まる場所です。ここからは、歩いて山上にある中尾上登窯跡を目指します。

中尾山ゲート

道沿いの塀には地元の窯元さんたちが協力して作った焼き物の装飾が施されていました。この丸みを出すのが至難の業なのだそう。

波佐見町 中尾山
波佐見町 中尾山
色々な絵柄を見つけながら、勾配のある坂道も楽しく登れました
波佐見町 中尾山
波佐見町 中尾山

道中、石原さんの案内で、波佐見焼の工房にお邪魔することに。中尾山には見学可能な工房が多く、波佐見焼がどのように作られているのかを間近で見ることができます。

波佐見町 中尾山
波佐見焼の特徴は分業制。こちらは生地づくりを行う工房。石膏型に入れて乾燥させているところでした
波佐見町 中尾山
こちらは窯焼き屋さん。窯道具の一つ、「サヤ」がずらり。サヤは器を守る保護ケースのようなもので、これに入れて窯で焼きます
波佐見町 中尾山
ろくろを使った成形作業も見せてくれました

焼き物の神様にも会えます

もうすぐ中尾上登窯跡というところに、焼き物の神様を祀る陶山神社がありました。石原さんによれば、「地元の人たちは、陶の山であることは当たり前のことだからか、『山神社』と呼びます」とのこと。昔から、人々の生活のすぐそばに焼き物があったことがうかがえます。

陶山神社
陶山神社
社殿の中に入ると、色鮮やかな天井絵が目に飛び込んできます。これらは中尾山の窯元の絵師たちが描いたもので、2016年11月に刷新されました
陶山神社
陶山神社
陶山神社
社殿の脇には、焼き物に必要な三大要素「火」「水」「土」の文字が彫られた石碑も
波佐見町 中尾山
山神社の隣にある展望所からの眺め。明治・大正に作られた8本の石炭窯の煙突が焼き物の里らしい風情を残しています

世界第2位の大きさを誇った登り窯

ようやく、お目当ての中尾上登窯跡に到着。

江戸時代半ばごろには、全長約160m、33室もの窯室を擁した世界第2位の規模を誇っていた登り窯です。ちなみに、同じころ世界第1位だった大新登窯跡も中尾山にあり、大量の波佐見焼がこの小さな里山で次々に生産されていたのを想像すると、驚かされます。

中尾上登窯跡
登り窯で焼いたレンガを用いて復元整備中の中尾上登窯跡
中尾上登窯跡
一番上まで登って振り返ると、素晴らしい見晴らし。里山の向こうには鬼木の棚田が見えました

「おそらく、半分くらいの長さだったものが、波佐見焼の需要が増えていくにつれて上へ上へと開墾して窯室を増やしていったんでしょうね」と石原さん。

私たちの手元に磁器が届くようになったのも、この大量生産のおかげ。かつて、波佐見焼の職人たちが日々この坂道を行ったり来たりしていたかと思うと、何だか頭が下がる思いです。

里山の風景に溶け込んだ窯道具たちにも注目を

中尾山を歩いていて面白いのが、しばしば景色に溶け込む窯道具たちに出くわすことです。

道端には、窯焼きをする際に焼き物を載せる「ハマ」がよく落ちていました。ハマに載せて焼くことで形が歪まずにきれいに仕上がるとのこと。焼くとハマも縮んでしまうので、使い捨てなんだそうです。

波佐見町 中尾山
「この辺の子どもたちは、石の代わりにハマで水切りをして遊んだりするんですよ」と石原さんが教えてくれました
波佐見町 中尾山
波佐見町 中尾山
ハマもこんな風に並べると、道を飾る装飾に
波佐見町 中尾山
窯元の建物を交流の場へと改修した「文化の陶 四季舎」。外壁にサヤを埋め込んでアクセントに
波佐見町 中尾山
窯に使われていた耐火レンガも入口部分に再活用
波佐見町 中尾山
「陶芸の里」と記された石碑は、中尾山で見つかったさまざまな時代の波佐見焼のかけらやトンバイが埋め込まれていて、ちょっとしたアート作品のよう

焼き物づくりの気配が随所に感じられる波佐見の町。

もうすぐ、桜陶祭(2018年4月7日~4月8日)や陶器祭り(2018年4月29日~5月5日)で町がにぎやかになる季節です。町の空気や匂いを感じながら、ぜひ自分の足で波佐見焼が生まれてきた現場を歩いてみてください。きっと、波佐見焼がもっと身近に感じられるはずです。

 

<取材協力>
長崎県波佐見町観光協会
http://hasami-kankou.jp/

はさみ観光ガイド協会
http://hasami-kankou.jp/guide

文:岩本恵美
写真:岩本恵美、波佐見町観光協会

庭を知ると旅の景色が変わる。世界の庭師とめぐる、山と庭園

300年以上の伝統を誇る焼き物の町、長崎県波佐見町に世界的な庭師がいる。

世界三大ガーデンフェスティバルのひとつ「シンガポール・ガーデン・フェスティバル」の10回目となる2016年、最高賞の金賞を受賞した庭師、山口陽介さんだ。

庭師山口陽介

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の二代目である山口さんは、京都で5年間修業を積んだ後、ガーデニングを学ぶため、23歳で発祥の地イギリスへ。

現地では王立植物園「キューガーデン」で1年間勤務し、2006年に波佐見町に戻ってからは、国内外で数々の受賞歴を誇る。

最近では、シンガポールの資産家から依頼を受けて現地に日本庭園を造園。南半球最大の規模を誇る「メルボルン国際フラワー&ガーデンショー」(2018年3月21日~25日開催)からも、日本人として初めて招待を受けた。

今回は、山口さんの案内で長崎と佐賀にある3つの庭を巡った。日本屈指の庭師から庭の見方、楽しみ方を教わると、そこには新しい世界が広がっていた。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが所有する山の頂上からの風景
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さんが所有する山からの風景

「愛される庭」とは?

山口さんにとって「良い庭」とは、「愛される庭」。

庭の手入れには、お金も手間もかかる。業者が整備をしても、日々のケアは家主の仕事だ。庭の存在を面倒に感じるようになれば、放置されて荒れてしまったり、最悪の場合、代替わりの時に一掃されてしまう可能性もある。

だからこそ、「後々まで残していきたい」と思われることが必要なのだ。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さん

「愛される庭」とはどういうものなのか。2月某日、山口さんが連れて行ってくれたのは、波佐見町の隣町、川棚町の私邸。

外見からもその大きさと品の良さが伝わってくる、築150年のお屋敷だった。ここ数年、山口さんが勤める「西海園芸」が庭の手入れを請け負っているという。山口さんいわく「このあたりでは、間違いなく一番良い庭」。

家主に挨拶し、玄関の脇から庭に向かう細いアプローチから山口さんの解説が始まった。

「まず、この細いアプローチに置かれた敷石のラインを見てください。なにげなく置かれているようで、計算された配置です。大きさも、並びも野暮ったさがないでしょ。150年前の職人のセンスを感じますよね」

長崎県川棚町の私邸にある庭の敷石

庭の素人である僕には比較対象がないのが残念だけど、確かに苔むした敷石が並ぶこのアプローチには静けさが漂っている。

アプローチを抜けると、しっかりと手入れが行き届いた日本庭園が現れた。足を踏み入れた瞬間、思わず、わあ!と声を上げてしまった。

長崎県川棚町の私邸にある日本庭園
長崎県川棚町の私邸にある庭の敷石

「京都の庭にもありそうな景色だよね。スッと抜けているでしょ。サラッとしているけど、間の取り方がすごくいいから、心が鎮まる。

変に豪華なものを使っていなくて、敷石もこのあたりの地の石だと思うんだけど、使う人が使えばこんなに品が良くなる。もちろん、苔の生え方も計算していたでしょう。入場料を取ってもいいぐらいの庭ですよ」

150年前の職人との対話

山口さんによると、石を置く位置、置き方、樹木や草花の選び方、植栽の位置取り、すべてが繊細に計算されているそうだ。「これを見てください」と山口さん。ランダムな形をした敷石のなかで、ひとつだけ四角のものがある。

長崎県川棚町の私邸にある日本庭園の石
ひときわ目立つ色と形が違う石

「一枚の人工的な切り石で、この先はプライベートのエリアですよ、お客さんは手前で楽しんで、ということを暗に示しているんだと思います。プライベートのエリアには社(やしろ)があるでしょう。昔はなにかしらの垣根、仕切りがここにあったんじゃないかな。すごくセンスを感じるよね」

一枚だけある切り石の意味を読み解く。これが、山口さんの仕事でもある。

「150年前の腕の良い職人が丁寧に、センス良く作ってきた庭を手入れするのは、すごく気を遣いますよ。どこを目指していたのか、過去と対話しながら仕事をしています」。

庭園長崎県川棚町の私邸にある日本に咲く桜の花

しかし、昔ながらの庭をただ守るだけではない。「京都は、庭を昔の形のまま維持しようとします。その文化はすごいと思うけど、アップデートは少ない。僕は守るべきものは守りながら、新しいものを作りたい」と語る山口さん。成長する植栽に合わせて、自分ならではのアイデアを加えていく。

長崎県川棚町の私邸にある日本庭園
山口さんが家屋のほうに伸びるように枝をコントロールしている百日紅

「例えば、150年前からある百日紅(さるすべり)は、僕が枝を伸ばす方向をコントロールしています。夏場、下に生えている苔を枯らさないために影が欲しいし、家に強い陽ざしが入るのを避けるためにも、枝を横に伸ばしています。

百日紅は夏に真赤な花を咲かせるから、庭に散る真赤な花びらを縁側から見て楽しむこともできる。秋には落葉するから、冬場は陽ざしを遮りません」

先人の仕事に敬意を払いつつ、庭をアップデートする。現在の家主からこの庭のすべてを任されているというのは、山口さんの仕事のスタイルが評価されているからだろう。

古文書を読み解くことから始まった庭

翌日は早朝に待ち合わせて、佐賀の武雄にある「高野寺」に向かった。

1200年以上前に弘法大師が立ち寄り、草庵を建てたという歴史を持つこの寺には、今年38歳の山口さんが自ら「三十代の代表作」と表現する日本庭園がある。寺の門をくぐると、そこには色味に乏しい冬でありながらも木々、植物の彩を感じさせる艶やかな庭があった。

高野寺
数年前に完成したとは思え
ない趣のある雰囲気
武雄 高野寺の庭
高野寺

「いま、庭園があるエリアはもともと何もない平地だったんです。住職からの依頼は、そこに日本庭園を造ってほしいというものでした。でも、意味のないものは作りたくない。

それで、歴史あるお寺だから古文書はないんですかと聞いたら、出てきてね。境内には石楠花(しゃくなげ)が多くあり、ほかに小滝や止観石(瞑想する場所)などもあると書かれていました。それを自分なりにくみ取って、弘法大師がここで最初に見た景色を見せたいという想いでこの庭を作りました」

高野寺のシャクナゲ

依頼があってから構想2年。「すべての植栽には意味があって、ひとつひとつの配置の理由を説明できます。最低でも350年は残る技術を使った庭」が2014年の春に完成した。

「山寺だから、山の景色を作りたかった。ところで山ってなんだろうと疑問がわいて、ひとりで山にこもりました。そこで見た自然の草木、そこで聞いた川の音などを模写して、庭というフィルターに通しました」

音にも、人の心にも気を配る

まず、平らな土地に莫大な量の土を加えて、実際の山にあるような起伏を作った。庭を流れる小川の水はパイプで循環させているが、まるで庭の背後にそびえる山から流れ出てきているように見せた。

古文書にあったように小さな滝をいくつか作り、流れ落ちる高さを工夫することで水の音もコントロール。立つ場所によって違う水の音が聞こえてくる。

高野寺
高野寺の庭園
武雄の高野寺
古文書に書かれていた「小滝」を現代風に表現

例えば、庭の右手に位置する茶室は、小さなせせらぎの音しかしない。それは、茶道の所作の音を邪魔しないためだ。

「音は振動でしょ。それをどう当てて逃がすか。だから、入り口に高低差をつけて、葉がついている木を多くしたり、壁で包み込むことで音が来ないようにしてるんですよ」

高野寺の庭から茶室までの道
庭から茶室までの道

回廊から茶室に向かうアプローチも独特だ。

「これは亭主の気持ち、茶会に参加する人の気持ちを意識した道なんです。ラフな配置の敷石が途中から整い、土壁に挟まれた道がすーっと伸びて茶室に続く。そうすることで徐々に気持ちが落ち着いて、無意識のうちにお茶の世界に入っていけると考えました」

西海園芸 山口陽介が作る佐賀 武雄にある高野寺
日本庭園の回廊から茶室に向かうアプローチ

また、この庭園の敷石には、人の手で加工した四角の切り石が一枚だけ使われている。

「川棚の庭からヒントを得てね。ここからが山、ということを示すために人が手を入れている石を持ってきました。もちろん気づかない人が大半だけど、それは関係ない。誰かが気づいてくれたら、それが粋でしょう」

高野寺の切り石
中央の石が切り石

視覚的な美しさだけでなく、音や人の気持ちまで考え抜く。

そこまでしてはじめて「人に愛される庭」が作れるのだろう。花が上品に咲き誇る春も、緑が濃い夏も、紅葉が鮮やかな秋にも訪れたいと思う庭だった。

“究極”の庭

最後に向かったのは、山口さんが「究極の庭」と表現する山だった。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山

山口さんはいま、波佐見町近郊にある山を買い集めている。そして、一昔前に植林され、いまや使い道がなくなって伸び放題の杉を切り倒し、桜とモミジに植え替えている。これまで植えた桜とモミジは2000本を超えるが、誰かに頼まれた仕事ではない。

「将来、波佐見が陶器だけじゃ食べられなくなった時に備えて、観光名所を作ろうと思ってね。春に桜、秋に紅葉を楽しめるようにと始めたんです。

そのうちツリーハウスも建てるし、最終的にはこの山に村を作りたい。それができたら、庭師の仕事として究極じゃないですか。

花の見ごろはあと100年後ぐらいだけど、町が苦しくなった時に、あの植木屋がやりおったと言われたい(笑)」

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さん

いま植林が行われている山の頂上に立つと、山間に波佐見の町が見えた。ということは、町からもこの山が見えていることになる。いずれ、観光客だけでなく町の人たちも春にはピンク、秋には朱色に染まった山を見て、心を和ませるのだろう。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さん

そうしてもうひとつ、「人に愛される庭」が増えてゆく。

庭師の解説を聞きながら庭に目を凝らすと、時代を超えた日本人ならではの気遣いや粋な計らいが浮かび上がってきた。

かつて栄えた工芸の町には、庭園も多く残されている。日本各地の庭園を歩いて共通点、あるいは異なる点を探してみるのもまた一興。

<取材協力>
高野寺

文:川内イオ
写真:mitsugu uehara

遠足の前日のような楽しさを毎日に。飛騨高山の道具店「やわい屋」

「さんち必訪の店」。

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。

必訪 (ひっぽう) はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

今回は、飛騨高山へ。

「高山に行くなら、すごく素敵なお店があるから行ってごらん」

そう人から聞いてワクワクしながら訪ねたお店は、目の前に田畑の広がる、最寄りの駅からもかなり離れた場所にポツンとありました。

やわいや外観

名前を、「やわい屋」さん。

入り口の看板

築150年の古民家を移築したという店内は、入った瞬間から居心地の良さを感じます。

店内

柔らかなオレンジの明かりは、飛騨のガラス作家、安土草多 (あづち・そうた) さんのもの。

安土さんのランプ

以前取材した飛騨に古くからある民具、有道杓子の姿もありました。

右が有道杓子
右が有道杓子

土地のものを扱うお店かと思いきや、長崎や京都、瀬戸など、置かれているのは飛騨のものに限りません。

店内の器

「商店街の魚屋さんと考え方は一緒なんですよ。この町で暮らす人に必要なものを置くようにしているんです」

魚屋さん?意外な言葉で、店主の朝倉圭一さんが迎えてくれました。

扱うのは、「通える範囲」の民芸

やわい屋さんは、2016年にオープンした生活道具のお店。扱うものの多くが、7人の作家さんを中心とした民藝の器です。

「あまり遠くのものは扱わないようにしているんです。

できれば直接作り手のところに自分で行って、話をして、ものを選びたい。

極力は窯出しとかに伺ってその場で選んでこようと思うと、距離が近いほうがやりやすいんですよね」

どうしても遠方へ直接買い付けに行きたい時は、年に一度、1月と2月を待ちます。

寒くなれば人の背丈ほど雪が積もる飛騨の冬。週末だけお店を開け、平日にはご夫婦揃ってあちこちを時間をかけて回るそうです。

雪の日の様子。真冬には150センチほどの積雪になる時も
雪の日の様子。真冬には150センチほどの積雪になる時も

目指すのは、町の魚屋さん

店内に並ぶ器は東は静岡から、西は沖縄まで。どうやって選んでいるのでしょう。

店内

「ここは、ハレとケでいえばケの部分に寄り添うお店でありたいと思っています。

要るものがあるから顔を出したり、用がなくてもぶらっと来て『元気?』というような。

だから作家さんのものも、個展より常設ベースで扱う。いつきても取り扱いの作家さんの器をある程度まとめて見てもらえるよう、心がけています」

店内

「当たり前にあるものが良いものというのが、理想ですね。

例えば町の魚屋さんや酒屋さん、八百屋さんみたいに生鮮食品を扱っている『地元のいいお店』って、何の説明も要らずにいいじゃないですか。

何気なく手に取るものでも旬を押さえていてハズレがない。だから『あの親父さんが選んできたものならいい』となる。

そういう鮮度と信用を大切にしたいから、町の魚屋さんみたいなお店を目指しているんですよ」

ものの鮮度の保ち方

置くものはあまり変えない代わりに、ものの配置はふた月にいっぺんはガラッと入れ替えるそう。

店主の朝倉さん
店主の朝倉さん

「ネットやアプリでものを買える時代でも、実際に手にとってものを選ぶ喜びは他に変えがたいと思います。

だから旬のものは店頭に、季節を感じる色合いのものは日の当たるところに置いたり」

店内

「そうすると、商品のラインナップ自体は何も変わっていないのに、新商品が入りましたねって言われるんですよ。

お客様が季節ごとにものとの出会いを楽しめるように、場所替えをよくすることで、ものの鮮度を保ってあげるんです」

衣食住一体の場所からの発信

「あとは、変えてみて自分たちがしっくりくるかどうか、かな」

店舗の奥は居住スペースになっています。お店は、朝倉さんご夫妻の生活空間の一部でもあるわけです。

「ここでの暮らしには、雪解けや田畑の支度、祭りといったハレとケの区別が明確にあります。

僕らにとっては当たり前の生活のリズムでも、今では珍しい景色になってきている。

だから都会と同じものを扱うのではなく、自分たちが実際にここで暮らしながら、琴線に触れたものだけを扱うようにしています。

衣食住が一体化された場所で、日々の暮らしから地続きで提案されるものって、かなりインパクトがあるみたいで。

実際、今はお客さんの8割が他府県からの方なんです」

この「日常」に寄り添う気持ち、実はお店の名前にしっかりと込められていました。

結果は突然来ない。だから遠足の前の日みたいに楽しく「やわう」

入り口の看板

「『やわい』というのは飛騨の方言で、『準備する、支度をする』という意味なんです。

『祭りのやわいをする』とか、お母さんが子どもに朝、『早く服着なさい!なんでちゃんとやわっとらんの!』みたいな。

毎日、準備なんですよね。お洗濯も、料理も。

そのやわいが楽しくないと、出来た結果や手に入れたものも、楽しくないんじゃないかなと思って。

遠足なんかは準備のほうが本体よりも楽しい例かもしれません (笑)

行った記憶はあまりないんだけど、あの、おやつを真剣に買っているときが、前日わくわくして寝れなかったときが興奮のピーク。

もしかしたら、人生はそういう、名もない日常の支度が主役なんじゃないかと思ったんです。

無形のやわいの中に、喜びとか、悲しみとか、人のいろんな大事なことが詰まっている。

例えばお惣菜を作る時間や、服の糸を紡ぐ時間、焼き物の土をこねる時間。

僕らものの『配り手』は、そこを伝えないといけないなと思うんですよね。

1枚のお皿を作るためにどれだけの時間がかかるか。木材を引くのにどれだけの手間がかかるのか」

安土草多さんのガラスシェード作りの様子
安土草多さんのガラスシェード作りの様子
飛騨の民具、有道杓子の材を削っている様子
飛騨の民具、有道杓子の材を削っている様子

「作り手がかけた時間や手間の分、ものに宿る『気配』や『余韻』があると思うんです。

手にとった時に暖かい気配を感じて、日々使い込むほどに余韻を感じられるようなものを届けたい。

そんな想いを、やわいという言葉の中に、込めました」

意味のないポップ?

たずねるほどに、たくさんのことを教えてくれる朝倉さん。

けれど普段は、あえてお客さんにあまり説明をしないそうです。商品説明を担うはずのポップも、いたって控えめ。

黒い紙に白鉛筆で書かれています
黒い紙に白鉛筆で書かれています

「ポップは、ほとんど置いてないですね。それによく見ると、意味のないことしか書いてないですよ」

一体どういうことなのでしょう。

言葉を尽くす代わりに

「今話したようなことは、来た方にこうやってわーっと話せば、伝わるかもしれません。けれど本当は、言葉を尽くさないものだと思うんです。ものづくりも。

例えばとてもきれいな景色に出会ったとして、僕らの仕事はその景色が見える場所に手をとって連れて行くところまで。

いかに美しいかを言葉を尽くして伝えるのでなく、直に触れてもらってどう感じるかは相手に委ねたい。

だから基本的にはあまりしゃべらないようにしているんです」

店内は、そんな朝倉さんの想いを体現するかのように、とても静かです。

店内

けれど不思議と、ピンと張りつめたような緊張感のある静けさではありません。

外の雑音も、さっきまで頭の中にあった余分な考えもすぅっと吸い込んで消えてしまうような、穏やかな静寂。

自分が気に入った器を手に取る時の、コツン、コトンという音だけが体に響きます。

「だから話さない代わりに」

と、朝倉さんが階段を指し示しました。2階があるのです。

階段

「ここで僕たちがやりたいことを視覚化できればと思って」始めたという上のフロア。

器たちが置かれた1階とは全く違う空間が広がっていました。

ここがまた、ずっと居たくなるような、季節を変えてまた来たくなるような、心地よい場所なのです。

朝倉さんがこの場所で「やりたかったこと」とは。

次回、2階に上がりながら「やわい屋」さんができるまでの道のりを伺います。

2階の様子

<取材協力>
やわい屋
岐阜県高山市国府町宇津江1372-2
0577-77-9574
https://yawaiya.amebaownd.com/

文:尾島可奈子
写真:今井駿介、尾島可奈子