日本画を彩る胡粉と岩絵具。伝統画材の製造現場を訪れる

伝統的な胡粉(ごふん)を守るナカガワ胡粉絵具へ

まず向かったのは日本画絵具国内シェア80%を誇るナカガワ胡粉絵具さん。京都市の南側、宇治茶で知られる宇治市に拠点をもつナカガワ胡粉絵具さんは、明治26年から水車による胡粉製造を始められたという老舗の日本画絵具メーカーです。

今回はそのルーツである胡粉の製造工程を見せていただきました。

胡粉とは貝殻からつくられる日本画の白色絵具のこと。最近では胡粉ネイルという製品もあったりと、少しずつ知名度を上げている胡粉ですが、日本画絵具の中でも用途が幅広く、他の絵具との混色や下地にも使われる日本画には欠かせない重要な存在だそうです。

これが胡粉です
これが胡粉です

原料は天然のイタボガキだけ。10年以上かけて風化させたものを使う

「ご存知かと思いますが、胡粉の原料は貝殻です。ほんの少しの不純物を除いて99.8%が貝の粉でできているんですね。だから食べることもできます。『塩豆』などの豆菓子のまわりを覆っている白い粉は実は胡粉なんですよ」

「ナカガワ胡粉絵具で使われる貝殻は天然のイタボガキだけ。みなさんが召し上がっている牡蠣の1種です。他のメーカーさんではホタテなど他の貝を使うこともあるようですが、ナカガワ胡粉絵具では天然のイタボガキにこだわっています」

dsc02544
dsc02546

「海から上がってきた貝殻をそのまま使えるかというとそうではない。屋外に積み上げて風化させるために10年以上の年月が必要です。有機物が分解され、チョークのようにもろもろになります。ここからがやっと胡粉の製造がスタートです」

余計なものを取り除いて純粋な貝に

「胡粉の製造はひたすらに精製と粉砕、そして水簸(すいひ)です。とにかく貝殻から不純物を取り除いて粒子を細かくしていくこと。そのためにまず貝車という機械で研磨していきます。

ドラム缶のようなものの中に貝殻を入れて、ぐるぐると回す。そうすると中で貝殻同士がガチャガチャと当たって表面の鱗や汚れが取れるというわけです」

dsc02601

「研磨できたものを人の手で選り分けていきます。やはり海から来たものなので、他の貝殻や石ころなど余分なものが混じっていたり、貝殻にくっついていたり。そういった不純物をハンマーなどを使いながら取り除きます」

粉砕し、粒子を均一に整えていく

「ここからは精製できた貝殻を粉砕して粒子を均一に整えていく作業です。胡粉の粒子の細かさは他の岩絵具と違い、すべて一緒で5ミクロンです。ナカガワ胡粉絵具では6種類の胡粉をつくっていますが、その違いは粒子の細かさではなく原料である貝殻の質によるものです」

dsc02573

「ハンマーミルやスタンプミルと呼ばれる機械を使って何段階かを経て粉砕していき、最終的に60メッシュの網を通るまで細かくしていきます。この段階で大分粉らしくなってくるのですが、触るとまだジャリジャリとした感覚が残ります」

dsc02581

「ここからが胡粉づくりの最大の特徴です。宇治茶のように石臼でゴリゴリと挽いていくのですが、お茶やコーヒーと違い、水を加えたウェットな状態で挽いていき、水簸と呼ばれる作業で分級(ぶんきゅう)していきます。

水の流れる層をいくつも用意し、粒子の粗いものが沈み、細かいものが隣の層へ送られていく。そうして粒子の大きさによって選り分けていく方法です」

dsc02585
dsc02551
dsc02588

「例えば、バケツの中に水を入れて、その中に砂と粘土を入れて手でかき回すとする。すると粘土は水に溶けるが、砂は粒子が大きいので下に沈みますよね。それと似たようなことが層内で起こっているんです。

胡粉以外にも、砂金を採集する場合や、陶石から粘土を作るときに使われる手法です。この作業を何日もくり返し、最後の沈殿層に沈んだものを汲み上げて乾燥させたものが、私たちの目にする胡粉です」

dsc02596
dsc02600

純粋な貝だけでできた絵具、胡粉。雛人形の頭(かしら)にも使われているマットな質感は、粒子が細かいので薄く塗っても白く発色する唯一無二の画材だと教えてもらいました。

工房の中はあらゆるものが真っ白になっていました
工房の中はあらゆるものが真っ白になっていました

世界中で愛される日本画絵具メーカー、吉祥へ

次は京都の日本画絵具メーカー 吉祥さんへ。吉祥さんは日本画絵具を専門としながら欧米やアジアを中心に世界20カ国以上で商品を展開するグローバル企業。こちらで新岩絵具の製造工程を見せていただきます。

main

天然岩絵具と新岩絵具

「岩絵具には大きく分けて2種類のものがあります。ひとつは天然の良質な鉱物をそのまま粉砕・精製した天然岩絵具。もうひとつは新岩絵具。こちらは新岩と呼ばれる色の塊の原石をつくり、それを天然岩絵具のように粉砕・精製した絵具です。

天然岩絵具だけでは色相に限りがあるために、新岩絵具の種類の豊富さは日本画の歴史を変えたとも言われています」

「天然岩絵具も新岩絵具も同様に粒子の粗さによって色味が変わります。粒子が細かいものが明るく白っぽい。さわってみても全然違いますよね。粒子の粗さは5番から13番まで番号がつけられているのですが、その中でいちばん粒子が細かいものは白(びゃく)と呼ばれています」

細かいものは粉状
細かいものは粉状
粗いものは砂のような手触りです
粗いものは砂のような手触りです

新岩から絵具へ

「新岩絵具のもととなる新岩は、フリットと呼ばれるガラス体質に金属酸化物を混合し、700度から1000度の高温で焼成しつくられます。安定した色をだすために、徹底した一定の温度管理が必要です」

粉砕する前の新岩
粉砕する前の新岩

「こうして出来上がった新岩を粉砕し、分級をしていきます。小さく砕いた何度もメッシュに通して粒子の大きさごとに選り分けていく作業です。このあたりは胡粉の製造工程と似ていますが、胡粉との違いはさまざまな粒子の大きさごとに製品としているところですね。

同じ新岩からできていても粒子の大きさによって色が変わるので、それぞれの活かし方、楽しみ方があります」

dsc03186
dsc03190
dsc03209
粒子の大きいものがメッシュの上に残ります
粒子の大きいものがメッシュの上に残ります

「何度もふるい分けをしていく中で、大きな粒子は番号の若い絵具に、小さな粒子は13番や白(びゃく)に、などそれぞれの品番へ分級し、乾燥して仕上げていきます」

実は、歴史は明治からだという岩絵具の世界。それまでは胡粉に染料を染めつけて中間色をつくっていたそうですが、明治になり、西洋の油絵が入ってきてから、それに対抗するように生まれた岩絵具はこれからも進化を続けていきそうです。

dsc03266
色とりどりの絵具が作られていました
色とりどりの絵具が作られていました

岩泉さんにご案内いただいた日本の伝統画材の世界、いかがでしたでしょうか。美術を学ぶ学生やプロのアーティストですらなかなか訪れないという伝統画材の製造現場。想像よりもずっと奥深く、道具をよりよく知ることで創作の可能性も無限に広がっていきそうです。ぜひお店に足を運んで日本の伝統画材に触れてみてください。


<取材協力>

ナカガワ胡粉絵具株式会社
京都府宇治市菟道池山24番地
0774-23-2266
nakagawa-gofun.co.jp

株式会社 吉祥
京都府京都市南区豊田町5-2
075-672-4532
www.kissho-nihonga.co.jp

画材ラボ PIGMENT
東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F
03-5781-9550
pigment.tokyo

文・写真:井上麻那巳

こちらは、2017年5月11日の記事を再編集して公開いたしました。

森下典子さんに聞く、映画「日日是好日」の楽しみ方と茶道具の秘密

それまで縁がないと思っていた人にも茶道の面白さや奥深さを感じさせてくれる、そんな映画『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)が一般公開された。

エッセイストの森下典子さんによる自伝エッセイを原作にした、樹木希林さん、黒木華さん、多部未華子さんらの共演作品だ。

日日是好日に登場する茶道具
劇中で使われる茶道具はすべて本物
日日是好日に登場するお茶碗

劇中で使われる茶碗や棗(なつめ)、掛け軸といった茶道具はすべて本物。スクリーンに登場するお宝を愛でつつ、いわば眼福にあずかりながら、日本の伝統文化であるお茶に親しむことができる内容となっている。

原作は2002年に刊行された森下典子さんのエッセイ

原作となった『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』は、2002年に刊行された森下典子さんのエッセイ。20歳から茶道教室に通い始めた著者の目を通じて、茶道の心得、人生のあり方などが優しいタッチで綴られている。

「日日是好日」(新潮文庫)
「日日是好日」(新潮文庫)

ここで注目したいのが、森下さん自身、若い頃は茶道に疑問を感じることもあったという事実。

茶道について「カビくさい稽古事」と感じていたことや、茶道教室に通い始めた頃の心境について、「日本の悪しき伝統の鋳型にはめられる気がして反発で爆発しそう」、とまで感じていたことなどが原作に書かれている。

ひょっとすると映画館の来場客の“お茶”に対するイメージも、これに近いものがあるのではないだろうか。それだけに、映画後半、主人公の心境の変化にグッと感情移入させられるはずだ。

さんち編集部では今回、原作者の森下典子さんに、映画で使われた茶道具にまつわるエピソード、特に見てもらいたいシーンなどを聞いた。

茶道具は季節を表す

「日日是好日」原作者の森下典子さん
原作者の森下典子さん

劇中の茶道具はすべて、今回の撮影のために森下さんの師匠である武田先生(※原作で用いられている仮名)に借りたものだという。

森下さんは、「武田先生が集めている茶道具は、女性らしく可愛らしいものが多い印象です。茶道具がつくりだす季節感が好きなんですよね」と話す。

茶道では、季節に沿った茶道具を使い分ける。

これは一例だが、秋なら棗(なつめ:薄茶用の抹茶を入れる茶器)の絵柄に、秋草と鈴虫が描かれているものを使い、掛け軸には「開門多落葉」(もんをひらけば らくようおおし)、あるいは「掬水月在手」(みずをすくえばつきてにあり)といった禅語が書かれたものを掛ける。

茶花(ちゃばな:茶室に置く自然の草木)には清らかな秋の草花である秋明菊を挿れて、食籠(じきろう:御菓子を入れた蓋付きの器)を開けると、そこには柿など、秋の味覚をテーマにした生菓子が入っている。

日日是好日に登場する掛け軸
「掬水月在手」(みずをすくえばつきてにあり)と書かれた掛け軸

繰り返しになるがこれはほんの一例で、その組み合わせは無限と言ってもいい。

「茶道具に触れて、和菓子を食べて、花を眺めて、掛け軸に展開されている世界を想像して。いまという季節を、五感に味わわせてくれるのがお茶の世界です。それはもう、総合芸術と言えますね」

ただ、大事なのはあまり華美にならないこと、とも付け加える。

「和菓子にしても、お道具にしても、お茶の世界では要素を引き算していきます。どんどん引き算していくので、そこに大きな間や余白が生まれます」

茶道具にはちょっとした季節のヒントになるものが、余白の中に極めてさりげなく表現されている。それが、日本文化に特有の遊び心につながるのだろう。

もてなす側が仕掛ける壮大な“なぞなぞ”を楽しむ

「ちょっと待って、これ何だろう。スーッと描かれた曲線の上に、ゴマ粒のような点がある。そうか、秋草の上で鳴く鈴虫だ。そんな具合で、大きな間の中に想像の余地を残してくれている、そんなところも茶道具の魅力だと感じています」

森下典子さんによる棗のイラスト
「虫に秋草蒔絵中棗(むしにあきくさまきえちゅうなつめ)」
『好日日記(こうじつにっき) 季節のように生きる』
森下典子著(PARCO出版)

森下さんに言わせれば、もてなす亭主は客に、壮大な“なぞなぞ”をかけているに等しい。

掛け軸に円相(えんそう:宇宙などを象徴的に表した、丸を描いたもの)をかける。茶花の中にすすきを1本。和菓子に衣被(きぬかつぎ:里芋の形を模した月見団子)を出せば、客人は円相を満月に見立てた”お月見”がテーマだと気が付く。

十五夜に食された里芋を模した月見団子「きぬかつぎ」
昔、十五夜に食された里芋を模した月見団子「きぬかつぎ」

お客が、ひょっとしてこれはと気付き、亭主と交わす会話の中で答え合わせをする。そんなコミュニケーションが取れるのも、お茶の楽しさのひとつだと話す。

「お客は、これはきっと何かの仕掛けだぞ、と思うわけです。お互いが、気付くかどうかで楽しみ合い、分かったときには『ああ!』という感動がある。

そんな瞬間に、窓の外から心地の良い風が入ってきていることや、月の光が差し込んできていることに気づく。人の営みに呼応して、自然がシンクロしてくるときがあるんです」

お茶室では、そんな体験をすることがよくあるらしい。

日日是好日に登場する茶道具
茶道具には、もてなす亭主から客人への“なぞなぞ”が隠されている

意外にも自由でクリエイティブな、茶道具の選び方

「武田先生も、普段から様々な茶道具の組み合わせを考えていらっしゃいます。稽古のとき、『これとこれを組み合わせて良いの?』なんて戸惑うこともあるんですよ」と森下さん。

お茶の世界というと、どうしても厳格なイメージを抱きがちだが、必ずしもそういうことでもないらしい。

「例えば、海外旅行でベトナムに行くでしょう。すると現地でボウルなどの器を見て、このデザインならお茶碗や水差しにできる、なんて発想が浮かびます。

お茶道具には“こうであらねばならぬ”という決まりはありません。作法は厳しく、細かい仕草まで決まっているのに、使う道具には自由さが認められている。だから、そこにメッセージや遊びの要素を入れ込むことができるんだと思います」

「日日是好日」原作者の森下典子さん
「映画の中で、私が組み合わせた茶道具をお茶の先生方が見たら、と思うと、冷や汗の出るところではあります」と、おちゃめな笑顔でニコッと微笑む森下さん

風をあらわす掛け軸の前に、花を置いて香りを感じる

このほか、劇中で使われた思い出深い茶道具について聞いた。

森下さんは、掛け軸がとても好きだという。

「掛け軸は『書』としての魅力もありますが、その背景には哲学が込められています。映画では滝の掛け軸の前で、主人公が(想像の世界の中で)滝壺から吹き上がる冷気を感じ、水しぶきを顔に浴びて涼しさを楽しむシーンがありました」

「同じく、劇中に登場する『風』の掛け軸もお気に入りです。この書体はいかにも、そよりと吹いてきた風、という感じがするでしょう。風従花裏過来香(かぜ かりより すぎきたって かんばし)と書いてあるんですが、花のそばを通り抜けた風がその香りを運んでくるという、その禅語の内容も含めて好きですね」

劇中に登場する「風」の掛け軸
劇中に登場する「風」の掛け軸。風従花裏過来香(かぜ かりより すぎきたって かんばし)と書かれている

お気に入りの書に関しては、劇中の茶道教室に掲げられている「日日是好日」も挙げた。

「これは当時(映画の撮影時)小学6年生だった中西凜々子さんによる書です。映画の中の茶道教室の空気が、これでバチっと決まりました。明るくてのびやかで、それでいてすごく一生懸命。大人には決して書けないおおらかな書です」

中西凜々子さんが書いた「日日是好日」の書
撮影時、小学6年生だった中西凜々子さんが書いた「日日是好日」の書。人生に同じ日は無いという想いから、それぞれ違った雰囲気で“日”の字が書かれている

12年に1度しか使われない干支の茶碗

茶道教室で正月に行われる「初釜」の席では、干支の茶碗が使われる。文字通り十二支をテーマにした茶碗だが、正月とその年の最後の稽古に使われるだけで、その年を終えれば12年後まで箱にしまわれたままだという。

「戌のお茶碗だけは、武田先生のところで見つかりませんでした。そこで、お道具屋さんに数点を見繕っていただいたものを、助監督と相談して決めました。12年後の戌年のお正月に『これ、映画に出た茶碗だよね』と思い出すことでしょう」

戌のお茶碗
戌のお茶碗

坂高麗左衛門(さかこうらいざえもん)の水指や即中斎宗匠の書かれた掛け軸など、名のある高額な茶道具もたくさん使われている。

そうした茶道具を慈しむように確認しながら、撮影当時を振り返る森下さん。

「日日是好日」原作者の森下典子さん
映画に使われた茶道具の写真を眺める森下さん

お茶は美味しいもの!普段の飲み物として、自宅で気軽に始めてみる

一方で、「これからお茶を始める人は、最初から名器を揃える必要はありません」ともアドバイスする。

「茶碗、お茶入、棗などは、教室に通っているうちに欲しくなるものです。そこでデパート、お茶道具屋さんに行くわけですが、さほど高額でないものも店頭には並んでいます。

 

最初は、お茶碗だって数千円のもので十分。そういうものから揃えて、お台所のやかんでお湯を沸かし、まずは普段の飲み物として、自宅でお茶を飲んでみるところから入っていただけたら良いと思います」

映画では、美味しそうに淹れられたお茶がアップになる場面がある。

表千家ではあまり泡立てずにお茶をいただく
美味しそうなお茶のアップ。表千家ではあまり泡立てずにお茶をいただく

作法や道具が重要なのはもちろんだが、やはりお茶の美味しさも大きな魅力。

「お茶が美味しいのは、何よりも大事なことです。茶道は、お茶という飲み物の周りにできた文化ですから」と森下さんも話す。

茶道が心のモヤモヤを取り払ってくれる。入り口はさまざま

お茶をやめようと思っていたときに、森下さんの原作に出会って続けられたという方もいる。

いま、森下さん自身にとって、茶道はどんな存在になっているのだろうか。

「心の中に重たいものを抱えているとき、人間関係のしがらみに悩んでいるとき、茶道教室で“なぞなぞ”の気付きに出会うと、靄が一緒に消えてくれるんです。そんなとき、今日は来て良かったと思う。帰り道は風が気持ちよく、また空の高さを感じます。こんな感覚を味わって欲しいと思います」。

自分の将来に悩んだときも、お茶に助けられたという。

「稽古場の中に、世間とは違う価値観や時間の流れがあることに助けられました。お茶、仕事、その両方があったからクルマの両輪のように前に進んでいけました」

短時間で結果が求められる世の中になりつつある。しかし、長い目で遠くからモノを見ることも大事。ゆっくりとめぐる季節を感じ取る、そんな茶道の精神が息づいていたことで、森下さん自身も救われていた。

日日是好日に登場する茶道具

お茶を習いに行くように、映画を観に来てほしい

映画については、「事件は何も起こりません。サスペンスの要素もないし、淡々とした映画ですが、その静けさが良いのだと思っています」と穏やかに総括する。

「お茶を習いに行くようなつもりで、観に来てくれたら良いなと思います。派手なBGMも使っていませんし、水の音と、湯の音が聞き分けられるくらい、静かなシーンが続くので、そんな空間で時間を過ごしてもらえたら。

毎日が慌ただしく、追い立てられる生活を送る私たちに、いま必要な映画になっているのではないでしょうか」

今回の映画の撮影を開始するにあたり、大森立嗣監督は森下さんの通う茶道教室に足を運んでいる。

「足をしびれさせながらも3~4時間、見てくださいました。スマホの電源も切ってらしたようで、帰りに往来に出て電源をつけた時に、『もう4時間か』と時間の経過に驚かれつつ、『見上げた空がスカっと抜けているように感じた』と仰っていました。

わずか数時間でもスマホから離れてお茶室で過ごすだけで、日常が非日常に変わります。そこに、象徴的なものを感じました」

「日日是好日」原作者の森下典子さん

原作のまえがきには、次のように書かれている――。

世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、何度か行ったり来たりするうちに、後になってじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

お茶って、そういうものなんだ、と森下さん。

「茶道教室に通っていても、初めは脚がしびれるだけで、何も見えてこないと感じるかも知れない。でもきっと、そのうち『お稽古を続けていて良かったな』と思える瞬間がやってくる。お稽古の時間を積み重ねていくことは、自分の中に豊かなものを積み重ねていくことではないでしょうか」


森下 典子(もりした のりこ)

1956年、神奈川県生まれ。1987年、『週刊朝日』の名物コラム「デキゴトロジー」の記事を書くアルバイトをしていた体験を描いた『典奴どすえ』(朝日新聞社)でデビュー。以後、雑誌などにエッセイを執筆している。2002年、茶道の稽古を通じて得た気づきを書いた著書『日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ』(飛鳥新社)を出版。2008年に新潮文庫化され、現在もロングセラーを続けている。

映画「日日是好日」

絶賛全国上映中
監督:大森立嗣
出演:黒木華 樹木希林 多部未華子 鶴見辰吾 鶴田真由
原作:森下典子「日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ」(新潮文庫刊)
配給:東京テアトル ヨアケ
映画公式サイト:http://www.nichinichimovie.jp/

茶道文化の入り口を開く茶道の総合ブランド「茶論(さろん)」と、「日日是好日」のタイアップ企画を茶論各店及び一部劇場で実施中。詳しくは茶論公式サイトで

文:近藤謙太郎
写真:mitsugu uehara

「絶対にやらない」と決めていた仕事は天職だった。三代目西村松逸が歩む、加賀蒔絵の世界。

この器、白い部分はなんと卵の殻でできています。

こちらの一見シンプルな棗 (なつめ) は、厚みがわずか0.3ミリ以下。手に持つと木地の向こうが透けて見えそうな薄さです。

木地は樹齢300〜400年を超えるヒノキのなかでも、年輪が最も細かい部分のみを選んでつくるそう

あっと息をのむような作品を手がけるのは、工芸大国、金沢で3代続く蒔絵師、西村松逸(しょういつ)さん。

西村松逸さん

金沢漆器を美しく彩る「加賀蒔絵」の名手はしかし、祖父の代から続く漆芸の仕事を「絶対に継がない」と、ある時期まで心に決めていたそうです。

今回は、一度は家業である伝統工芸の世界に背を向けた青年が、現代の名工になるまでのお話。作品づくりの現場にもお邪魔しました。

この仕事だけは継がないと決めていた幼少期

金沢といえば、言わずとしれた伝統工芸大国。

そのなかの一つ、金沢漆器は、その端正な佇まいと優美な「加賀蒔絵」の彩りが、時代を超えて多くの人々を魅了しています。

金沢の知られざる漆器文化のお話はこちら:「金沢は、漆器なしで語れない。『まちのみんなが目利き』のご当地文化」

加賀蒔絵の繊細な技術が金沢漆器の美しさを引き立てます

蒔絵とは、漆で文様を描き、その上に金や銀の粉を蒔いて固め、研ぎ磨いたもの。漆工芸の技法の一つで、今から約1300年前に誕生し、全国に広がっていきました。なかでも加賀蒔絵は約400年前に加賀藩主の前田利常が京都から職人を招いたことから、蒔絵の一大産地として発展。

蒔絵のなかでも加賀蒔絵は特に豪華絢爛で美しいと言われています (写真提供:金沢市)

西村さんは、祖父、父ともに金沢で漆芸に携わる家に生まれ、幼い頃からその背中を見続けてきました。二人の生み出すもの、働く姿を子供ながらに誇らしく思いながらしかし、この仕事だけは絶対に継がないと決めていたそうです。

「こんな大変な仕事はないと思ってました。私は子どもの時に父や祖父と遊んだ記憶がないんです。お休みは年に元日とお盆の数日だけ。もちろん家族で旅行したこともなく、せいぜい木地を調達するときに一緒についていくくらいのものでした」

漆器に施される豪華絢爛な蒔絵は、複数の工程を経て仕上げていくため、気が遠くなるほどの時間と手間がかかります。その大変さは、幼い頃の思い出とともに西村さんの心に深く刻まれていました。

漆器の世界を離れて、気づいたこと

漆器の世界とは早々に縁を切ろうと、西村さんが目指したのは建築家。高専を卒業後、建築会社に入社しました。しかし、周りには喜んでくれる人が誰もいなかったそうです。

それどころか、西村さんが建築の道に進んだことで、家全体に暗い雰囲気が漂うように。働くうち、西村さんの考えは少しずつ変わっていきました。

「建築に携わる人は世の中に山ほどいるが、自分のように漆の仕事を継承できる人は、限られているのかもしれない」

そんな気づきから、ついには家業に戻る決心を固め、建築会社を退社。

家族は特別喜ぶことはなかったそうですが、「どこかほっとしたような雰囲気だった」と当時を思い返します。

「感じが違う」と言われる日々がはじまる

その後、西村さんは人間国宝の大場松魚(おおば・しょうぎょ)氏に弟子入り。師のもとで3年半を過ごし、蒔絵だけでなく塗りの技術も身につけました。

今でこそ、多彩な技を駆使し作品づくりに生かしている西村さんですが、技術の習得には長い時間を費やしたと言います。

「父は、祖父から何ひとつ『教えてもらう』ことはなかった、と語っていました。

早朝から一日かけて漆を塗り、頑張ってつくったものを祖父に見せても、祖父は特に何も言わず、黙って漆を拭き取ってしまう。それが何日も続き、さすがに何がだめなのかを聞いてみたところ、『感じが違う』と一言だけ言われた、と」

なんとも抽象的なアドバイスですが、求めている感覚をつかむには、自分で考え試行錯誤するのが一番の近道。これまで西村さん自身も、先代、先先代から技術的なことも含め、何も教えられたことはないそうです。

「漆器でもなんでもそうですが、ものを選ぶときは技術云々よりも、『なんとなくその感じががいい、好き』と思って選ぶ方がほとんどではないでしょうか。その感覚は人によって違う。だからこそ、これまでもこれからも体で覚えていくしかないのだと思います」

左は先先代、右手前は先代の作品。わずかな表現の違いに、蒔絵師の「個」が現れる
左は先先代、右手前は先代の作品。わずかな表現の違いに、蒔絵師の「個」が現れる

「松逸」の名を継いだ日

その後、公募展には出品しなかった祖父や父と異なり、師である大場松魚氏が参加する日本伝統工芸展などに出品。数々の賞に輝きます。

先代の父、そして母が他界してしばらく後、祖父の代から続く「松逸」を襲名。現在は、他界された大場氏の後任として、地域の漆芸関係者を束ねる金沢漆芸会の会長も務めています。

「漆の世界に入って10年くらい経った頃、私が跡を継いだことを祖父が大変喜んでいたというのを知人から聞きました。祖父は普段、そういうことを表に出すような人ではなかったので、私も嬉しかったですね」

実はこれまで一度も「跡を継いでほしい」と言われたことはなかったという西村さん。

「漆芸は手間暇がかかる大変な仕事。たとえ跡を継いでほしいと心の中で思っていても、簡単に『継ぎなさい』とは言い出せなかったのだと思います。自分もこの歳になって、祖父や父の気持ちが一層わかるようになりましたね」

そして今では、かつては嫌っていた「気が遠くなるほどの時間と手間」を誰よりも惜しまない作品づくりで、金沢を代表する加賀蒔絵師に。

その美しい作品を、西村さんの仕事場で見せていただきました。

卵の殻をモザイクに。器の厚みを紙より薄く

自宅の一室にある、西村さんの仕事場

最初に出していただいたのは、西村さんが約30年前につくった作品。「卵殻」という技術が使われており、白い部分はすべてうずらの卵の殻をモザイク状に貼り付けています。

「健康なうずらの卵を選別し、殻の薄皮をはがすところから始めます。殻は外側の方が丈夫で硬いので、外側と内側で見分けがつくように、殻の片面だけ色をつけていきます」

下準備の工程を聞くだけでも、何日かかるのやら……想像がつきません。

次に西村さんが見せてくださったのは棗(なつめ。茶事で抹茶を入れる道具)。

「一見簡単なつくりに見えるかもしれませんが、こちらは通常の作品よりずっと難しく、さまざまな工夫を凝らしています」

感動したのは、その蓋がよどみなく閉まっていく姿です。

蓋を乗せるだけで、すぅっと吸い付くように閉まりました。動画でお見せできないのが残念です。

「見えないところや軽く見えているところにこそ、手数をかけて苦労を重ねる。そんな部分を大切にしたいし、これからの漆器づくりにも欠かさずに取り入れたいですね」

さらに、竹取物語の羽衣をイメージして作ったという棗も見せていただきました。

木地は樹齢300〜400年を超えるヒノキのなかでも、年輪が最も細かい部分のみを選んでつくるそう
木地は樹齢300〜400年を超えるヒノキのなかでも、年輪が最も細かい部分のみを選んでつくるそう

この棗の大きな特徴は、紙のような薄さ。なんと、その薄さは漆を塗った状態で0.3ミリ。つまり木地の状態だとさらに薄くなります。

「この木地はろくろで挽くのですが、専門の職人からも『こんな薄いものは挽いたことがない』と言われます。薄くすればするほど変形しやすくなるため、時間をかけてゆっくりと挽いていくので、一つの木地ができあがるのに軽く2〜3年はかかってしまうんです」

木地だけで2〜3年。さらにそこから木地にじっくりと漆を吸い込ませ、蓋がぴたっと閉まるように砥石を使ってひたすら研いで厚みを調整していきます。

薄さだけでなく、重さもわずか20gあまり。見た目からは想像もつかないほどの繊細な作品です。

蒔絵が誕生したのは平安時代。その技術は約1300年前の創世記から、もはや省くところがないほど完成されているといいます。

しかし、そんななかでも「削ぎ落とせるものや加えていけるものはまだまだあるはず」と語る西村さん。

「一作一作、何かひとつ新しい技法を入れることにしています」

西村さんはこれからも見た人の情感を揺さぶる作品に挑み続けます。代々つないできた言葉にできない感覚を、蒔絵に込めて。


文・写真 石原藍

金沢は、漆器なしで語れない。「まちのみんなが目利き」のご当地文化

「金沢はまちの人みんなが目利きなんですよ」

そう語るのは、西村松逸(にしむら・しょういつ)さん。数々の受賞経験をお持ちの、金沢で3代続く蒔絵師です。

石川県金沢市でさまざまな作品を手がけ、地域の漆芸関係者を束ねる金沢漆芸会の会長もつとめます
石川県金沢市でさまざまな作品を手がけ、地域の漆芸関係者を束ねる金沢漆芸会の会長もつとめます

豪華絢爛かつ繊細な「加賀蒔絵」。

蒔絵を施した漆器というと高級品のイメージがあるかもしれませんが、金沢では昔から暮らしのさまざまなシーンで漆器を使う文化が根付いてきました。そしてその文化が、“目利きの力”を養うのに一役買っていたそうです。

今回は西村さんに話をうかがいながら、金沢の知られざる漆器文化をご紹介します。

前田家が生んだ金沢の美「加賀蒔絵」

まずは簡単に加賀蒔絵についておさらいを。

江戸時代、加賀藩主の前田利常が京都から名だたる蒔絵師を呼び、技術振興に力を入れたことによって、技術が確立していった加賀蒔絵。

もともとはお殿様が集めた文書などを収納する箱に蒔絵の箱を用いたのがはじまりでした。そこから数々の調度品に蒔絵が施されるようになったそうです。

日本各地の漆工芸のなかでも群を抜いていると言われている、豪華絢爛で繊細な加賀蒔絵

「例えば弓矢の羽のコレクションをいれるための箪笥や刀の小柄 (こづか) をしまうための箱など、お殿様や大名といった特権階級の人だけが使うものに施される装飾だったんです」と西村さん。

これが近世になると、加賀蒔絵は茶道具をはじめ、庶民の道具にも取り入れられるようになっていきました。

嫁入り道具に欠かせない加賀蒔絵のお重と「セイロ」

「金沢では各家庭にお重やお盆があり、それぞれに蒔絵が施されています。特に女の子が結婚すると、昔から嫁入り道具としてお重を持っていく文化があり、家紋がついたものから豪華な蒔絵が入ったものまで、その家によってさまざまなものがつくられていました」

嫁入り道具として各家庭で作られたお重(清瀬一光作/写真提供:株式会社能作)

また、昔は結婚する時に「五色饅頭」という和菓子をお重に入れ、親戚や近所に配るのが金沢の風習だったそう。

「日・月・山・海・里」の天地の恵みを表した五色饅頭は、婚礼に欠かせない祝い菓子のひとつ(写真提供:金沢市)

「当日、饅頭が届くとそのお重に入れて近所や親戚などに配ります。もちろんお重はその都度返してもらうのですが、五色饅頭を受け取った家ではお重の美しさも観賞するため、『女の子が生まれたら、ちゃんとしたお重を作らないと!』と親御さんは気合が入ったものです(笑)

他にも、結婚式が近づくと、漆塗りの『セイロ』と呼ばれる箱が家の前に積まれます。五色饅頭を作る菓子屋の屋号が入った大きな箱で、『もうすぐ婚礼がありますよ』と近隣の人に知らせる合図のようなものなんですね」

このように、家の中やまちなかでも漆器に触れる機会が多く、金沢の人たちは見ることも見られることにも慣れているのだか。

「加賀百万石というと豪華絢爛なイメージがあるかもしれませんが、そこで生まれた文化はまちの日常の中に、さりげなく息づいています。

普段から見たり見られたりするなかで、蒔絵一つとってもそのさじ加減を見極めることができるようになる。まちの人たちが目利きとなり、つくり手もそれに見合うようなものを作ってきた、これが金沢の工芸を支えてきた一番大きな力だと思います」

漆器でピクニック!?使うことで活きる漆器の良さ

次に西村さんに見せていただいたのは、なんと、漆器のピクニックボックス。4段のお重に取り皿、さらに徳利や盃も入るようになっている、大変珍しいものです。

今から約400年前につくられたという漆器のピクニックボックス

「これは安土桃山時代から江戸時代の初期につくられたものです。外に持ち出すことが前提なので蒔絵も簡素ですが、使う人のことを考えたつくりになっていて、とても気に入っています」

よく見ると、取っ手が当たる部分に突起があり、漆器が痛まないような工夫がされています

なんと、このピクニックボックスを使って、実際に外でお茶会と酒宴を開いた西村さん。その時同席した方に「器が喜んでいる!」と言われたのが、とても印象的だったと言います。

一般社団法人 ザ・クリエイション・オブ・ジャパンが昨年開催した「工芸ピクニック」での一コマ。食材を入れることで漆器も映えます
一般社団法人 ザ・クリエイション・オブ・ジャパンが昨年開催した「工芸ピクニック」での一コマ。食材を入れることで漆器も映えます

「漆器はやはり使い続けることで、その美しさも価値も、高まるのだと実感しました。江戸時代初期の頃までは、蒔絵はこのピクニックボックスのような豊かで大らかな作品が多かったのですが、技術が確立していくことで、次第に見た目重視なものが多くなっていきました。

漆器は手袋をして扱うようなイメージもありますが、本来、漆のお重や箱は使うためにつくられたもののはず。なんだか本末転倒ですよね。

工芸が生活や暮らしから離れて『観賞するもの』になりつつあるのが、一番の課題だと感じています」

お酒を美味しくする?「金沢盃」で漆器をもっと日常に

漆器をさまざまなシーンで楽しんでもらうため、西村さんは新しい取り組みも始めています。近年では金沢で漆工芸に携わる作家さんたちと「金沢盃(かなざわさかずき)」という酒器をつくりました。

「金沢盃」(西村松逸作/写真提供:金沢漆芸会)

「素地は木なので外側の熱が伝わりにくく、冷酒は冷たいまま、熱燗は温かいまま楽しめます。表面は漆なので口当たりが優しくなり、驚くほどお酒もまろやかになります。同じお酒でも全く味わいが変わるんですよ。

また、お酒を注ぐと内側の金がキラキラと揺れたりして、盃の表情の変化も楽しめます。今まで漆器に馴染みがなかった方もぜひ試していただきたいです」

同じ型でも可飾する人が違うと雰囲気がガラッと変わります。より多くの人に触れてもらうため、無償貸し出しも行いました(現在は終了)(写真提供:金沢漆芸会)
同じ型でも可飾する人が違うと雰囲気がガラッと変わります。より多くの人に触れてもらうため、無償貸し出しも行いました(現在は終了)(写真提供:金沢漆芸会)

使い続けることで、使う人の目が養われ、ものづくりの技術も発展していく。工芸大国・金沢は、こうして受け継がれてきたようです。

しかし、今でこそ金沢漆芸の旗手である西村さんですが、ある時期までは「この仕事は絶対に継がない」と心に決めていたそうです。

一体、現代を代表する名工に何があったのか。

次回、西村さんの半生を伺いながら、伝統を継ぐことの「リアル」を追いたいと思います。息をのむような美しい作品にもご注目ください。

文:石原藍
写真:石原藍、金沢市、金沢漆芸会、株式会社能作

パンはくるくる回して焼くのがコツ!?プロに教わる焼き網の使い方

先日、「美味しいトーストが焼ける!」という焼き網に出会いました。

作っているのは、京都の「金網つじ」。手で編む京金網の美しさと、道具としての使いやすさが評価され、世界からも注目されている工房です。

金網つじの焼き網は、暮らしの道具に精通している方々の間で愛用されており、エッセイストの平松洋子さん著書「おいしい日常」の表紙にも登場しています。パン好きの間で人気が耐えない商品で、生産が追いつかないほどの売れ行きなのだそう。

金網つじが作る「手付きセラミック付き焼き網」。焼き網の下の白い板がセラミック。遠赤外線効果で食材が美味しく焼きあがるそう
金網つじが作る「手編み手付きセラミック付き焼き網」。網の下の白いセラミック板が発する遠赤外線の効果で、食材が美味しく焼きあがるそう
焼き網に付いている白い部分がセラミック
大きさは2種類。縦横22.5センチメートル四方の一般的なサイズ (左) と、トースト1枚がちょうど乗る縦横16センチメートル四方のもの (右) 。小ぶりなサイズは、コンパクトなキッチンでも使いやすい大きさです

※辻さんに教えていただいた、「トーストが美味しく焼ける網の秘密」はこちらをご覧ください。

お話を伺いにお店を訪れた際、トーストサイズの焼き網を買って帰ってきました。

おいしく焼けるだけでなく、コンロの脇に立てかけても邪魔にならないちょうど良いサイズ、お手入れの簡単さも魅力でした。使い始めて約1ヶ月、もうすっかり毎日使いの道具となっています。

今日は、金網つじ直伝の美味しいトーストの焼き方を紹介します!

パンを乗せる、その前に

焼き網をコンロに乗せたら、パンを乗せる前に火をつけて15~20秒ほど網を温めます。余熱しておくと一気に表面を焼けるので、パンを無用な乾燥から守れるのだそう。外はカリッと芳ばしく、中はしっとりふわふわに仕上げるには、この余熱が肝心です。

まずは網を火にかけて。中火で15秒ほどあたためます
まずは網を火にかけて。中火で15秒ほどあたためます
火であぶることで白いセラミックが黄色く変色することがありますが問題ありません
火であぶることで白いセラミックが黄色くなったり、板の表面が凸凹になることがありますが、自然な変化なのでそのままで問題ないとのこと

パンをくるくると回す

焼き網に手をかざして、熱さを感じたらちょうど良い頃合い。中火のまま、網の中央にパンを乗せます。

コンロの火は、位置によって多少の強弱差があるもの。全体にムラなく焼き色をつけるには、裏表を返すのに加え、90度ずつ回転させるのがおすすめの方法なのだそう。

パンを乗せたら10〜15秒ずついろんな方向にひっくり返して行く 上下左右
パンを乗せたら10〜15秒ごとに上下左右色々な方向に回転させていきます
網の下から覗いて胃見ると、少しずつきつね色に色づく様子が
網の下から覗いてみると、美味しそうなきつね色が見えました
くるくると返しているうちに良い焼き色がついてきました
パンの香りを楽しみながら、くるくると返しているうちに全体が良い焼き色に

2分でトーストが完成

慌ただしい朝の時間、調理はできるだけ短時間で完了したいものです。

どうぞ、ご心配なく。遠赤外線効果で一気に火が入るので、2分とかからずに焼きあがります。

1分と経たないうちに、表面がカリッと焼きあがりました。火を止めて熱々のトーストの上にバターを落としてみました
火を止めて熱々のトーストの上にバターを落としてみました。パンの熱でバターがとろり

後片付けも簡単

トーストを焼いただけの網はさっと水洗いで十分きれいになります。脂の乗った食材でベタつきが気になる時や焦げ付かせてしまった時は、スポンジか亀の子たわしを使いましょう。

枠に巻き込んだ網の仕上げも滑らか。指で触れても滑らかで引っかかりがなく、怪我をしにくい上にスポンジなども引っかからないので洗いやすい
網の先は枠にしっかりと巻き込まれ溶接されています。枠を指で撫でてもなめらか。スポンジも引っかからないので洗いやすく、怪我をしにくい設計です
網を洗うときはスポンジで
網を洗うときはスポンジで
焦げ付きをとるのに少し強めにこすりたいときは亀の子たわしがおすすめ。金属製のたわしはセラミックを痛めてしまうので避けましょう
焦げ付きを取るのに少し強めにこすりたい時は、亀の子たわしがおすすめ。金属製のたわしはセラミックを傷めてしまうので避けましょう

使い込むほどに美味しく焼ける

金属は熱で変化するもの。数回使っているうちに、その状態が安定するのだそう。

「毎日ほんの数分トーストを焼くだけなら、2週間経った頃からが本領発揮。金属の状態が安定した後は、より美味しいトーストが焼けるようになります」と辻さん。

セラミックの遠赤外線効果は長く使っていると弱まってくるもの。毎日使っている場合は、2年ほどで交換するのがおすすめとのことでした。

セラミックは火にかけると黄色くなったり黒っぽくなったりしますが、問題ありません
少しずつ、色が変化して馴染んでくるのが誇らしい今日この頃。金網つじでは、交換用のセラミック板のみの販売も行なっています。下の部分だけ交換して、馴染んだ道具を長く使えるのも嬉しい

いろんな食材を焼いて美味しく

「朝食は、ごはん派!」という人には、こんな使い方も。ご飯をおにぎりにして醤油をひと撫で。焼き網でさっと炙れば、香ばしい焼きおにぎりの完成です。

前日の夕食に作った炊き込みご飯を焼きおにぎりにしてみました
前日の夕食で余った炊き込みご飯を焼きおにぎりにしてみました

少し余裕のある朝は、トーストの付け合わせやお弁当のおかずを網で焼いてみたり、椎茸をあぶって晩酌のお供にしたり。買い物に出かけると、食材を眺めながら「これは網で焼いてみたらどうかな?」なんて想像を膨らませるようになりました。

トーストのおともに、ウインナーとトマトを炙って
ウインナーとトマトを炙って朝食に
炙った椎茸は、表面が香ばしくて、中はジューシー。美味でした!
炙った椎茸は、表面が香ばしくて中はジューシー。美味でした!

子供の頃から毎日焼き網を使ってきた辻さんに、おすすめ食材を伺ってみました。

「季節の野菜をはじめ、練り物、エビなどの魚介類、そしてもちろんお餅も。お正月にはぜひこの焼き網でお餅を焼いて欲しいですね」

金網つじのインスタグラムでは、金網の使い方やオススメの食材の紹介もされています。どれも美味しそうです!

「鮭などの脂が乗った魚やお肉は、どうしても脂が下に垂れてしまいます。掃除に手間をかけたくない場合は、牛タンや干物など焼いても脂が落ちにくいものをおすすめします。とはいえ美味しいので、脂の乗ったものを掃除覚悟で焼いてみるのもアリですよ!」

秋口は、脂が乗って美味しい魚が出回る時期。すっかり焼き網の虜となった私は、きっと掃除覚悟でトライすることでしょう。

焼き網がある暮らし、満喫しています。

< 関連記事 >

辻さんの金網づくりには図面があります。美しい京金網をうみだしています

金網つじさんに製造のことをきいてきました。
「トーストが美味しく焼けるという不思議な金網の秘密」

<取材協力>

高台寺 一念坂 金網つじ

京都市東山区高台寺南門通下河原東入桝屋町362

075-551-5500

http://www.kanaamitsuji.com/

instagram @kanaamitsuji

文:小俣荘子

写真:山下桂子・小俣荘子

老舗飴屋が受け継ぐ裏メニュー「ててっぽっぽ」とは?

こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載11回目は戌年にちなんで「赤坂人形の戌」を求め、福岡県筑後市の赤坂飴本舗を訪ねました。(ワイズベッカーさんのエッセイはこちら

「ててっぽっぽ」こと赤坂人形

東北地方と並んで郷土玩具の宝庫といわれる福岡県。

数多い玩具の中でも、武井武雄さん、川崎巨泉さんなどの玩具研究家が口を揃えて、天下の名玩と推したとされるのが「赤坂人形」です。

江戸時代中期頃から、有馬藩の御用窯・赤坂焼の産地であった筑後市の赤坂地区。
その窯元で働いていた陶工たちが本業の傍ら、笛などの子供のおもちゃや恵比寿・大黒などの縁起物を作っていたのが、赤坂人形のルーツといわれています。

土人形は元々、以前の連載で紹介した京都の伏見人形をルーツとして、かつては全国百ヶ所近くの産地で、様々なモチーフが作られていたとされます。

福岡を含む北部九州にも、佐賀県の尾崎人形や長崎県の古賀人形などがありますが、どれも雰囲気が似ているのは、腕を磨くために窯元を渡り歩いた職人が、地元に戻って開窯していったからなのかも。と思ったりもします。

赤坂人形は赤土を素焼きしたものに胡粉をかけ、紅、黄、青などの絵の具で彩色するという昔ながらの製法が今も守り続けられている、日本でも数少ない土人形。型合わせの際にできた耳と荒いタッチの絵付けを見ると、昔と変わらない素朴さとほのぼのとした温もりを感じます。

筑後地方では「ててっぽっぽ(不器用な人)」という愛称で、こどもの玩具や民芸品として親しまれてきました。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗の「ててっぽっぽ」と呼ばれた古い赤坂人形
「ててっぽっぽ」と呼ばれた古い赤坂人形

かつての赤坂地区には、数軒の人形屋があったそうですが、現在赤坂人形を作っているのは「赤坂飴本舗」店主の野口紘一さんただ1人。唯一の作り手を訪ねました。

知る人ぞ知る、老舗飴屋が受け継ぐ裏メニュー

福岡県筑後市、明治初期創業の老舗飴屋「赤坂飴本舗」
明治初期創業の老舗飴屋「赤坂飴本舗」
福岡県筑後市、明治初期創業の老舗飴屋「赤坂飴本舗」
店内には飴菓子のほか赤坂人形や看板が並ぶ

赤坂人形の製造元は、実は老舗の飴屋でもあります。
米を原料にした名物・赤坂飴をはじめ、茶飴、棒飴などの懐かしい飴菓子をつくる「赤坂飴本舗」は明治15年の創業。

野口家で赤坂人形作りが受け継がれ始めたのは、それ以前の江戸時代末期頃から。
飴屋が郷土玩具をつくっているのは、日本中探してもここだけではないでしょうか。

野口さんは若い頃から、先代を手伝って東京での物産展の準備や祭りの行商などをしていたそうです。今では当時のブームも落ち着き、趣味や収集のため注文をされるお客さんのために、予約販売で年間200個ほどを一人で作っておられます。

「赤坂飴本舗」の野口さんご夫婦
野口さんご夫婦

赤坂人形作りは、口伝では野口さんで6代目。

人形作りもできる息子さんが、このまま跡を継ぐかはまだわからないそうですが、「自分の時も跡を継げと言われたことはなかったし、どけんかなるっさい。」

どうにかなるでしょうと期待を込めて仰っているようでした。

赤坂飴本舗で継承されているのは、技術ともう一つ。
人形作りに欠かせない型枠です。かつて、周りの赤坂人形の窯元が店をたたんだ時に譲ってもらったという型を、今も大事に使い続けておられます。

「近くの田んぼで人形の型が見つかったと、持ってきてくれた人もいましたよ。」

型枠は素焼きなので壊れやすく、使っていくうちに欠けてしまうことも。
それでも新しい型は作らず引き継いだものを大事に使い続け、現在は笛ものを中心に小型の大黒、猫、梟など20数種類の人形を作られています。

「赤坂飴本舗」で使用している型枠
現在使用している型枠は20数種類
「赤坂飴本舗」で使用している型枠
長年使い続けるうちに粘土型の端が欠けてしまうことも

赤坂人形の笛ができるまで

今回は、野口さんに戌とふくろうの笛の作り方を見せてもらいました。

飴の加工場の隣にあるガレージが人形づくりの作業場
飴の加工場の隣にあるガレージが人形づくりの作業場
赤坂人形の製作工程

まずは成形から。
ダンボールの上に、椅子・台・ヘラ・箱・灰をセットして準備完了です。

赤坂人形の製作工程

灰は事前に漉し器を通して、粒子を細かく整えます。
漉し器を作る職人さんも最近は少なくなってきているそう。

赤坂人形の製作工程

型枠に粘土を埋め込む前に、灰をまぶします。
型離れをよくするためであり、昔は竈の灰を使っていたとのこと。

赤坂人形の製作工程
赤坂人形の製作工程

表面・裏面がセットになっている型枠にそれぞれ粘土を埋め込みます。顔の表情など細かな凹凸を出すため、片面ずつしっかりと、型が割れないように配慮もしながら押さえるのがコツ。

最後に表裏を貼り合わせます。この時に型枠からはみ出した粘土が赤坂人形の特徴である「耳」になります。

赤坂人形の製作工程

表裏が一体になった型枠と粘土に手で振動を与えながら、片面ずつ型を外していきます。

赤坂人形の製作工程

型をはずすと犬の形状が見えてきました。
型が欠けている箇所(犬の耳)が盛り上がっているのは、後ほど仕上げるそう。

赤坂人形の製作工程

型の合わせ目からはみ出してた耳を少し残しながらヘラで削り、仕上げに水をつけて成形。

赤坂人形の製作工程
赤坂人形の製作工程

乾燥させる前に、笛を鳴らすための空洞を作ります。
波状のトタンを加工してつくったお手製のドリルをグルグル回して、まずは息が抜ける側の穴を掘り出します。息を吹く側はヘラを使って、斜めに風があたるように掘り出します。

ここまでの作業を、野口さんひとりで一日に20個ほどこなすそうです。
そして、冬は1週間強、夏は5日くらいかけて粘土を乾燥させます。

成形に使うヘラと職人野口さんの手

成形に使うヘラはどれもお手製。
手の皮の厚みや指の太さも、まさしく職人さんの手です。

赤坂人形の素焼き風景

続いては、素焼き。
江戸時代は登り窯を、そして最近までは写真の薪窯を使っていたそうです。
その頃は、一日かけて煤だらけになりながら焼いていたとのこと。

素焼きに使用する電気釜

そして現在使用しているのは電気窯。
800℃の低温で9時間素焼きをします。だいたい、100個くらいずつ2回に分けます。

色付け前の赤坂人形
色付けして完成した赤坂人形

最後に、仕上げの彩色。
素焼の生地に胡粉を塗り、彩色をほどこします。

昔の藍や紅花などの植物染料に代わり、今は食用色素の紅、黄、青などを使用。
時間をかけず一刷毛でさっと彩色した、味わいのある絵付けが特徴です。

「年年歳歳、色が褪せて、10年もするとほとんど粘土の色に戻っていきますよ」

時が経つほど味わいが深くなり、自分だけのものになっていくのも楽しみの一つ。

飴づくりと笛づくりの根っこにあるもの

「自慢じゃないですが、100%はできません」

赤坂人形作りにおいてはベテランの野口さんが最も難しいというのは、笛を鳴らすこと。
火加減によって焦げたり収縮したりして、笛が鳴らなくなっていた薪窯の時は仕方ないとして、電気窯になってからも古い型をそのまま使用しているため、型通りに作ったとしても笛が鳴らないことがあるのだそうです。

低い音を鳴らすふくろうなどには太い穴を、高い音を鳴らすものは細い穴をと作り分けているのも、難易度が高い理由の一つであるのかもしれません。

また、赤坂人形をよく見ると、笛の吹き口にはどれも胡粉が塗られていないのがわかります。
本体に塗られる絵の具も、昔は植物染料、今は食用色素と口に入れても安全な素材が使われているのですが、吹き口は子供の口に触れる部分なので、更に安全性を考えて昔からこうしているとのこと。

飴も笛も子どもが口に触れるもの。子どもへの思いやりは、通じるものがあるようですね。
どちらのものづくりも途切れることなく、末永く続いていってほしいものです。



さて、次回はどんないわれのある玩具に出会えるでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」
第11回は福岡・赤坂人形の戌の作り手を訪ねました。
それではまた来月。

第12回「奈良・一刀彫の亥」に続く。

<取材協力>

赤坂飴本舗

福岡県筑後市蔵数赤坂312

電話 0942-52-4217

文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」8月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。