ふわりと淡く醸し出す繊細な青の風合い、 鍋島青磁

特集「産地のうつわはじめ」

中川政七商店の全国各地の豆皿
11窯元の豆皿をご紹介していきます

鍋島といえば「青磁」

今回ご紹介するのは、凛とした風情でハレの日の祝う、「鍋島焼」。佐賀県伊万里市で江戸時代から続く窯元「虎仙窯(こせんがま)」でつくられた、青がきれいな豆皿です。

鍋島焼の手法のひとつ「鍋島青磁(なべしませいじ)」は、同市、大川内山(おおかわちやま)でとれる原石を使っています。天然の青磁は、採掘される山の層によって色のゆらぎも多く、釉薬と粘土がマッチせずに割れてしまうことも多いのだそう。

そんな青磁の釉薬は、厚くのせないと美しく発色しません。うつわ全体に青磁釉をたっぷりつけて焼きあげられた一枚は、ふわりと淡く醸し出す繊細な青の風合いが特徴です。

完成までに一段と手間暇がかかり、量産が難しい「鍋島青磁」。

食卓を華やかにひき立てる「輪花」と、魔除けの効果があるとされる「籠目」模様の2種類をご用意しました。

鍋島焼 虎仙窯の豆皿

お殿様が愛した門外不出のうつわ

・将軍家お抱えの「鍋島焼」
その昔、将軍家や諸大名への献上品・贈答品として、日本で唯一、藩直営の御用窯として焼かれた鍋島焼。

格式高い品物をつくるために集められた選りすぐりの陶工・絵付師たちを招き、妥協を許さない優雅で精緻な焼き物は、採算度外視でつくられたそう。

近世陶磁器の最高峰とも言われ、気品あふれる高貴な色みと、繊細な絵付けが特徴とされます。

・「鍋島焼」様々な技法
「藍鍋島」と呼ばれる染付、染付と鉄釉を併用した「銹鍋島」、染付材料の呉須を釉薬の中に入れて作った「瑠璃鍋島」、鮮やかな色絵が美しい「色鍋島」、そして「鍋島青磁」。

左から色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁
左から色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁

鍋島焼には、ひと括りでは語りつくせない様々な技法があります。いずれも、将軍家への献上品という気品を忘れず、現代に受け継がれる贅沢なうつわです。

・黄色い石から生まれる、透明な青
空気をまとったように軽く、透明で美しい青。それは、大川内山で採石される黄みがかった「青磁原石」から生まれてきます。原石を細かく砕き水に溶かして釉薬状にして、白磁にかけて焼き上げる。

青磁の釉薬掛け
青磁の器。黄色い石から美しい青磁色に
青磁の器。黄色い石から美しい青磁色に

青磁の表面には、目には見えない無数の気泡が存在します。それが光を乱反射させることによって、柔らかく奥ゆきの感じられる風合いを醸します。自然光のもとで様々な表情を見せてくれる青の魅力。青物、和菓子など、ちょっとした一品も、美しく引き立てます。

自分たちの芯となる「青磁」を

「今後、鍋島焼で食べていくために自分たちの芯となるものが一つあった方がいい。基礎から学び集中して技術を磨き、青磁のエキスパートになろう!」

焼き物文化が低迷して苦しい時期に、「虎仙窯」を牽引されるおじいさまは決めました。

鍋島青磁の凛とした風情は、つくり手たちのこうした心意気によって守られ、途絶えることなく、いまに伝わります。

鍋島焼 虎仙窯の豆皿

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豆皿の写真は、お料理上手のTammyさんが撮ってくださいました。他にも普段の食卓のコーディネイトの参考になるような写真がたくさんあります。Instagramも、ぜひ覗いてみてください。

文:中條美咲

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目指すは左甚五郎!「ワクワクしながら庭づくりをしたい」京都で活躍する庭師の想い

「京都の若手庭師で、今いちばん実力があるのは一帆じゃないかな」

そう紹介されてお会いしたのは、猪鼻一帆(いのはな かずほ)さん。

名庭とされる庭が多く、いわゆる日本庭園の「産地」とも言える京都。そこで活躍する庭師とはどんな方なのでしょうか。彼の生き方や、庭作りへの考えについて、お話を伺ってきました。

京都で活躍する庭師の一人、猪鼻一帆さん

庭を見て、美しいと思えるか。

「いのはな夢創園」の二代目である猪鼻さん。両親共に庭師で、子どもの頃から仕事を手伝っていたものの、若い頃は造園屋以外の職につきたいと思っていたそうです。

理由を聞くと、「自分に庭造りの全てができると思えなかった」と話します。

「造園屋は面白さを感じるまでにすごく時間がかかる仕事です。木を切る、石を組む、木を植える、どれも全然違う仕事だし、庭を作ろうと思ったら電気工事も水道工事もできなあかん。いろんな要素があってひとつなんですよね、庭って」

それでも18歳の時、父親に「この家に生まれたからには修行に行け」と言われて熊本へ。「『庭』という雑誌に載ってた、かっこいい庭を作ってる方に電話をかけたんです。そこがたまたま、熊本でした(笑)」

修行に出たものの、仕事にすぐに興味を持てるはずもなく、毎日のように「辞めよう」と思っていたのだそう。

ところが、面白さはじんわりやってきます。

個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)
個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)

「庭を美しいと思える瞬間があるんです。自然を相手に仕事をしていると、いろんなものの道理みたいなのがぼんやりと見えてくる瞬間があります。そうすると庭の見方も変わってきて、その時からあれもこれも面白く感じられるようになりました」

気がついたらいつのまにか造園の仕事にのめり込んでいた。

「ハマるとすっごい魅力的なんですよね。広い場所をもらって、自分の頭で考えた美しいものを作らせてもらえた上に、お金までいただける。そしてみんなが褒めてくれるなんて、これ以上のことはないですね(笑)」

京都の庭師 猪鼻一帆

20代でいい庭はつくれない

造園の仕事で大切なのは積み重ね。

「例えば、竹垣を作るのは、1年間それだけやれば絶対に誰でもできること。それは技術じゃなくて知識やから。物が作れる、石を積めるのは大前提で、そこから何をするかが本当の僕らの技術です」

個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)
庭造りは、常に室内から見てどう映るかを計算する。木を植える時も建物からの奥行きを考えながらバランスを整える(写真提供:猪鼻一帆)

「自分のカードが多ければ多いほどいろんなことができるので、積み重ねが少ない20代でめっちゃいい庭を作る人はなかなかいません」

造園家としての積み重ねの中には、「茶道」や「華道」の知識も含まれます。

「どこの庭師でもそうですが、特に京都で仕事をするならお茶もお花も必要です。掛け軸や花入れのこと、出されたお菓子の意味をわかるかどうかで、仕事も変わってきます。その知識が茶庭造りにもつながってくるからです」

個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)
手水鉢の石質によっては苔を生やせることができ、造形物が自然と同化していく景色が見られる。庭の手前に瓦の通路を直線で通すことで、石や木の輪郭が引き締まって見える(写真提供:猪鼻一帆)

「伝統を知っていればお客さんに伝えられるし、お客さんもそれを来客に話したくなる。そうやって“庭”という空間を愛してくれる人が増えると、僕たちはすごくうれしいです」

“ひび”に込められた想い

庭を作るのも好きだけど、植物や石などの後ろにある物語が好きだという猪鼻さん。

個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)
石や木は一つとして同じ物は無く、皆個性を持っている。それらを配置して設えるのが庭。その後、植物が庭をゆっくり飲み込んでいくことで、完成されない美しさが現れる(写真提供:猪鼻一帆)

「利休が作った園城寺(おんじょうじ)という花入れがあります」

園城寺は、天正18年、秀吉の小田原攻めに帯同した利休が、秀吉との最後の茶席に飾ったという竹の花入れで、国宝にもなっています。

「その花入れには、ひびが入っているんです」

雪割れと言って、何百本かに1本、寒さで竹の節が黒ずんで、ひびが入ることがあるそうです。

物語があるのは、その「ひび」。

「園城寺(滋賀県・三井寺)には“弁慶の引き摺り鐘”があって、それは弁慶が奪って比叡山まで引き上げていったという伝説の鐘で、その時の傷や破れが残ってるんです。

利休は雪割れを破れた鐘にちなんで、自分とあなたの関係性が修復できないという想いを表したと言われています。まぁ、完成されていない美しさを求めていたのかもしれませんね」

個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)
2本の石橋を繋ぐのは、江戸時代の分銅を模した金属のクサビ。そこにある物語を想像するのも面白い(写真提供:猪鼻一帆)

雪割れはとてもきれいだそうです。

「お茶関係の人はこの話を知ってる人が多いので、竹屋さんで雪割れを見つけたら真っ先にとって園城寺を作ります。もらった時にすごいシビレるというか、この人そこまでの物語を知っててこれを私に贈ったんだと思うと嬉しいですよね」

人や国、様々な縁を繋いでいく

猪鼻さんの作る庭にも物語があります。

こちらは、2014年にハウステンボス主催のガーデニングワールドカップに出場した時の庭「悟りの夢枕(木火土金水)」。

人が産まれ人生を歩む中で、未来へと続く希望が表現されています。

「悟りの夢枕(木火土金水)」生まれる前の世界から、トンネルをくぐっていく
生まれる前の世界から、トンネルをくぐっていく
「悟りの夢枕(木火土金水)」トンネルは産道でもある
トンネルは産道でもある
トンネルを抜けると人生が広がる。タイルを使った飛び石は、五行(木・火・土・金・水)の元素を色で表している。飛び石を苦楽と共に自分で選択し踏みしめて人生を歩んでいく
トンネルを抜けると人生が広がる。タイルを使った飛び石は、五行(木・火・土・金・水)の元素を色で表している。飛び石を苦楽と共に自分で選択し踏みしめて人生を歩んでいく

世界の一流デザイナーが参加したこの大会で、猪鼻さんは見事、金賞を受賞。

これをきっかけに自分の中の意識も変わったといいます。

「精神的にも肉体的にも辛かったですけど、自信にも繋がりました。考え方も柔軟になったのかな」

大会で猪鼻さんを全面的にサポートしたのは、以前、さんちで紹介した長崎・波佐見町の庭師・山口陽介さんです
大会で猪鼻さんを全面的にサポートしたのは、以前、さんちで紹介した長崎・波佐見町の庭師・山口陽介さん(左)です

2016年には、「シンガポール・ガーデンフェスティバル」に参加。こちらでも金賞を受賞しました。

庭を通して、人や国、様々な縁を繋いでいく。この先の活躍が楽しみです。

手水鉢のコウモリに見る侘び寂び

さて、これはなんでしょう。

猪鼻一帆さんの門松
(写真提供:猪鼻一帆)

杉の葉を使い瓢箪を模した猪鼻さん作の門松。

なんとも可愛らしい形が印象的です。

とても斬新な門松。京都は伝統と文化を重んじる印象がありますが、その中で、このような新しいものを作っていくのは大変ではないのでしょうか?

「400年くらい前までは、お菓子でも器でも文化でも中国から来たものが最上で、安土桃山時代になって、利休たちが活躍して、文化や美しさの概念を変えていった。

だから、京都は常に伝統を変えようとしてきた場所のはずなんです。もしかすると、それを“伝統”と言い始めた頃から止まってるのかもしれません」

猪鼻一帆

「もちろん、アバンギャルドな人もいっぱいます。以前、見たことのある手水鉢には、覗き込まないと見えないぐらいのところにコウモリの模様が彫ってあったんです。すごいオシャレなことしてるんですよ。それを誰に伝えたかったのかはわからないですけど、たぶん彫りながら自分でニヤニヤしてるんじゃないかと」

それが庭の世界の“侘び寂び”。

「見せたいものを敢えて見せなかったり、敢えて歩きにくい道を作ったりするのが“詫び”。それを受け取って楽しむのが“錆び”。受け取る側の器の広さというか、コウモリの柄を見つけられたことで作り手とやりとりできるところに面白さがあります。

わかりやすいこともいいことではありますが、わかる人だけにわかるというのもあっていいと思うんです。それが一番ええとは言いませんけど、でもそれも面白いですよね」

ワクワクしながら作ったものは見てわかる

「18でこの世界に入って、20年ですが、最近になってようやく自分がやりたいことを本当にやらせてもらえるようになりました」という猪鼻さん。

猪鼻さん作庭、帽子ブランド「MANIERA」南青山店の坪庭
猪鼻さん作庭、帽子ブランド「MANIERA」南青山店の坪庭(写真提供:猪鼻一帆)
樹歴100年以上の山桜の根に水鉢を入れ込み、太い根が石を引き上げる一瞬をイメージ
樹歴100年以上の山桜の根に水鉢を入れ込み、太い根が石を引き上げる一瞬をイメージ(写真提供:猪鼻一帆)

これから、どんな庭師になりたいのかと尋ねると、江戸時代の名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)の話になりました。

ある時、彫り物勝負で鯉を彫ったら、甚五郎の鯉はとても魚には見えない仕上がりだった。ところが、池に放つとまるで泳いでいるかのように見える。「鯉は水の中にいてこそ鯉」と言ったとか。

またある時、ネズミの彫刻で腕を競うことになった甚五郎。両者のネズミは見事な出来栄え。甲乙つけがたく、ネズミの専門家である猫に鑑定させることに。すると、猫は一方のネズミに噛みつくもすぐに吐き捨て、甚五郎のネズミをくわえて逃げたという。

「実はこのネズミ、鰹節で彫られていたんです(笑)」

この話が大好きだと言う猪鼻さん。

「甚五郎はじめ、ものづくりに卓越した人には”ものづくりを積み重ねたからこそ表現できるユーモア”があって、その部分に痺れます。そんな風にワクワクしながら庭造りをしたい。魯山人(ろさんじん)も『楽しみながら作ったものは作品を見ればわかる』と言っていますが、僕もそういう世界にいたいと思っています」

猪鼻一帆さん

「いつの時代でも伝統っていうのは、“守るもの”じゃなくて“変えるもの”なんです。いつか、『伝統』と言われるような新しい文化を僕は作っていきたい。左甚五郎みたいに楽しみながら、ね。

これだけは言える。僕は、この仕事を一番楽しんでる人間じゃないかな」

伝統があるからこそ、その先にも進める。

新しい文化をつくり続ける庭師の手で、京都の庭はまだまだ変化していきそうです。

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〈 職人の仕事 〉

エジソンが電気の発明に使った京都の竹は、食べ物にも武器にもなる

京都の庭の特徴

猪鼻一帆さんに京都の庭を案内してもらいました。なんと、京都の竹がなかったら電気はなかったかもしれないのだそうです。

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稀代の左官・挾土秀平が語る。ものづくりの果てなき苦悩と無限の可能性

挾土秀平インタビュー

「助かった、神様ありがとう」左官として、日本で唯一無二の地位を築いている挾土秀平さんは、ひとつの現場が無事に終わるたびに、そう思うのだそう。
NHK大河ドラマ『真田丸』の題字、総理公邸、洞爺湖サミット会議場、アマン東京、JALファーストクラスラウンジ……。「日本の顔」となる場所の土壁を手がける「職人社 秀平組」。
「休む方法を探さんと死ぬぞ」と医者に言われながら、「一家の親分として、自分を殺してでも仲間を守る」という挾土さんの人生・仕事観に迫りました。

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庭を知ると旅の景色が変わる。世界の庭師とめぐる、山と庭園

波佐見の庭師 山口陽介と巡る庭


計算してつくり出される光と影。一つひとつに意味が込められた敷石。
そんな庭があるのを知っていますか?
数々の受賞履歴を誇る、日本屈指の庭師から庭の見方や楽しみ方を教わりながら、今までに見たことのない「庭」を探訪してみましょう。

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“This is a pen”だけで単身渡英した25歳が「世界の庭師」になるまで

波佐見の庭師 山口陽介

2016年、世界三大ガーデンフェスティバルのひとつで金賞に輝き、国内外を飛び回るスゴ腕の庭師・山口陽介さん。波佐見町の造園会社の2代目だった彼はなぜ海外へ?
そして、荒れた山を買い、波佐見町で「究極の庭づくり」を手がける理由とは?
彼の原点、歩み、そして100年後を見据える眼差しを追いました。

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<取材協力>
いのはな 夢創園
京都市伏見区日野岡西町4-30
075-572-1546

文 : 坂田未希子
写真 : 太田未来子

聞こえてくるのは、身体に染みついた「ろくろ」のリズム

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ろくろのリズムから生まれた「飛び鉋」と「刷毛目」の技法

じーっと覗き込むほどに、職人さんとうつわが奏でるリズムが聞こえてくるような、端正であたたかみのある模様。それが、小石原焼の大きな魅力です。

これらの技法を、「飛び鉋(かんな)」「刷毛目(はけめ)」と呼びます。

化粧土のかかったうつわに鉋の先やハケをあてながら、ろくろを回転させていくことで、一定のリズムが生まれて、みるみると規則的な模様が刻まれていく。

旬の食材が映える、ワクワクと小気味のよい一皿です。

小石原焼 土秀窯の豆皿

福岡県東峰村。里山生まれ、素朴で朗らかな日常雑器

福岡県朝倉郡東峰村(とうほうむら・旧小石原村)は、標高1000メートル級の山々に囲まれ、里山文化がいまに続く、のどかな場所です。

江戸時代中期、陶工・柳瀬三右衛門が現在の大分県日田市の小鹿田村に赴き技法を伝えたため、小石原焼は小鹿田焼(おんたやき)のルーツと言われています。

1931年、民藝運動の主導者・柳宗悦が小鹿田を訪ねた直後に記した「日田の皿山」に、こんな一節がありました。

--私たちは何が美を産むかを学びたいのである。‥‥日田の皿山はまさに現代の反律である。だがそれだけに学ぶ点が極めて多い。吾々に欠けている一面を豊富に有っているからである。そうしてかかる一面には時間に左右されない力がある。(『柳宗悦全集著作篇第十二卷』筑摩書房「日田の皿山」より)

「時間に左右されない力」

小石原では300年以上に渡り、里山の赤土と白色の化粧土を使い、「飛び鉋」「刷毛目」が目印の日常雑器をつくり続けています。

つくられる物、素材や製法、暮らしのリズムに到るまで、いずれも時代や技術の変化に大きく左右されることはありません。

時間を超えて親しまれる美しさの一端は、「時間に左右されない力」に秘められているのかなぁと。あれこれ問いかけながら、ゆっくりじっくり、時間をかけて付き合っていくのも楽しみのひとつです。

土秀窯、和田さんが手掛ける暮らしの道具

土秀窯(どしゅうがま)代表の和田隆男さん

土秀窯(どしゅうがま)代表の和田隆男さんは、1953年に小石原で生まれます。22歳より小石原の窯元で修行をし、その後独立。

小さな豆皿に均一な模様を刻んでいくのは熟練の技。40数年に渡って身体に染みついたリズムに乗せて、遊び心や作陶の楽しさがスパイスに加わります。

土秀窯 製作風景

2017年の九州北部豪雨では、同地区50軒のうち、半数近い窯元さんが土砂崩れなどの被害を受けました。

幾度もの雨にも風にも負けず、夫婦共に支えあいながら、和田さんは今日も素朴で朗らかな暮らしの道具を生みだします。

土秀窯のうつわ

掲載商品

小石原焼の豆皿
各1,000円(税抜)

豆皿の写真は、お料理上手のTammyさんが撮ってくださいました。他にも普段の食卓のコーディネイトの参考になるような写真がたくさんあります。Instagramも、ぜひ覗いてみてください。

文:中條美咲

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益子焼
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土佐ジローは生きて死ぬ

こんにちは。BACHの幅允孝です。

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。高知の旅もいよいよ最終回、5話目になりました。

幻の地鶏を食し、谷川俊太郎の詩を噛み締める

谷川俊太郎さんの絵本に『しんでくれた』という1冊があります。

うし
しんでくれた ぼくのために
そいではんばーぐになった
ありがとう うし

という文章から始まる短いストーリー。

「うし」や「ぶた」や「にわとり」や「いわし」は(それを食べる)人のために死んでくれるけれど、「ぼくはしんでやれない」から、屠った生き物の分も生きる!という少年の表情が印象的な絵本です(「そいで」の使い方なども絶妙ですね)。

高知の旅では美味しい食べ物にたくさん出会いましたが、僕は幻の地鶏といわれる「土佐ジロー」を食した時に上記の『しんでくれた』を急に噛み締めたくなりました。

幻の鶏「土佐ジロー」を育てている「はたやま憩の家」

高知が生んだ幻の地鶏、「土佐ジロー」

「土佐ジロー」と呼ばれる地鶏は、一般的な養鶏とはまったく違った育て方をしているそうです。

通常の養鶏は鳥の増体率を増やすことが最優先。24時間光を浴びせ続け、屠殺するまでの40-50日間に急激に大きくするそう。けれど、「土佐ジロー」の飼育はまず鳥の健康を考えます。そして、肉の旨みを引き出す育て方を追求し、ゆっくりと究極の鶏肉をつくっているのです。

高知龍馬空港から車で90分。なんども「この先に集落なんてあるの?」と同行スタッフに問い続けるくらい細い山道を抜けた先に「土佐ジロー」を育てる「はたやま憩の家」はありました。

はたやま憩の家
細い山道を抜けた先にある「はたやま憩の家」
テストテスト
「土佐ジロー」を紹介した雑誌や新聞記事
「土佐ジロー」は多くの雑誌や新聞記事で紹介されています

遥かなる山道の先に。「はたやま憩の家」で幻の地鶏と対面

なんでもこの場所、以前は800人程いた集落が今では40人以下になっており、何か産業を興こさない限り村は消滅してしまうという危機に瀕していたそうです。


だから、「土佐ジロー」の養鶏を中心に、それが食べられる食堂や宿泊設備といった複合的な「地場」をつくり、トライ&エラーを繰り返して現在に至ります。

「土佐ジロー」は通販でも買えますが、せっかく遥かなる山道を登ってきた僕たちは、ここ「はたやま憩の家」ならではの食べ方で鶏をいただきます。強めの炭火で肉を転がしながら焼くのです。

養鶏場だからこそ味わえる食べ方で「土佐ジロー」を食す
炭火でいただく幻の地鶏「土佐ジロー」
「はたやま憩の家」を切り盛りする小松圭子さん自ら焼いてくれる
「はたやま憩の家」を切り盛りする小松圭子さん自ら焼いてくれる

正直、ひとくち目を口に入れて肉を噛むまで、普通の鶏肉とそんなに違うものだろうかと訝しく思っていたことをここに告白しておきます。


ところが、ひと噛み、ふた噛みして、これはすごいものを頬張っているのだと確信しました。鶏肉特有のゴムっぽい食感など皆無。溢れる肉汁も口の中での広がり方が尋常ではありません。

もも肉、胸肉、首皮と続いてゆき、僕らはだんだん無口になりました。皆、目の前の鶏肉を味わうことに集中してしまうのです。

土の上で育てる鶏の砂肝の弾力と瑞々しさ。通常の養鶏では生える前に出荷してしまうトサカを僕は初めて食べましたが、なんですかこれは。コラーゲンの塊です。ハツも印象的で血の味はしっかりするのに臭みがない。心臓を捧げてもらっている味がします。

なんでも急激に太った動物は人間であれ、鶏であれ臭くなるそうです。ほかにも育ちきった「土佐ジロー」だからこそ食べることができる鶏のシラコや卵焼き、親子丼などなど「土佐ジロー」の隅から隅までの滋養をいただきました。満腹です。

土佐ジローの白子焼き
「土佐ジロー」だからこそ食べられる鶏のシラコ
新鮮な「土佐ジロー」の卵
「土佐ジロー」の親子丼

年一回、土佐ジローを食べることができれば。

谷川さんの絵本では、死んでいった動物たちがどんな飼育をされたのかまで描いていませんが、少なくとも「はたやま憩の家」で食べた「土佐ジロー」は、存分に生きたあとで「しんでくれた」鶏たちだったと思いました。

もちろん、土佐ジローは皆が毎日食べるほど出荷できないし、値段も少しだけ高い(ブランド牛肉と比較したら随分値打ちだと思いますが…)。けれど、山道を登った先にある鶏肉体験が、その人の鶏肉のモノサシを変えることが大事だと思いました。

この良い定点を思い出し、年一回でも「土佐ジロー」を食べることができれば、(社会構造の中で)必要に迫られ追求した通常の養鶏と、こういった地鶏の違いを体感することができます。それが分かれば、時と場合に応じてちゃんと自分で選ぶこともできますものね。

「土佐ジロー」たち、「しんでくれて」ありがとう!

《まずはこの1冊》

『しんでくれた』 (佼成出版社)

谷川俊太郎「しんでくれた」

〈 合わせて読みたい : BACH幅允孝の高知旅 〉

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。ブックディレクター幅允孝といく高知の旅。

高知・梼原町で見る「負ける建築」家、隈研吾。

BACT幅允孝 高知・梼原町で見る隈研吾

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君は「土佐源氏」を読んだか?

BACT幅允孝 土佐源氏

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何はともあれ、高知県立牧野植物園へ行こう。

BACT幅允孝が行く高知県立牧野植物園

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<取材協力>
はたやま憩の家
高知県安芸市畑山甲982-1
0887-34-8141
http://tosajiro.com/


幅允孝 (はば・よしたか)
www.bach-inc.com
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「神戸市立神戸アイセンター」「JAPAN HOUSE LOS ANGELES」など。その活動範囲は本の居場所と共に多岐にわたり、編集、執筆も手掛けている。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)、監修した『私の一冊』(弘文堂)など。早稲田大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。


文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之

Awabi wareが取り組む、珉平焼へのオマージュ

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中川政七商店の全国各地の豆皿
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昔からある色・かたちに再編集を

「Awabi ware」の豆皿は、珉平焼(みんぺいやき)にならった鮮やかな釉薬(ゆうやく)と、マッドでつややかな質感が特徴です。

作家である岡本さんは、昔からある色・かたちをモチーフに型をおこし、釉薬を調合しています。

制作方法は大きく二つ。成型から釉薬をかけて焼き上げる工程までをすべてを自身で行う場合と、原型をおこして島外の職人さんに依頼して焼き上げる分業制とがあります。

100年経っても使ってもらえるように。自分以外にも「Awabi ware」をつくり続ける人が存在する重要性を提唱し、実践しているのだそう。

洋食化する現代の食卓に合わせて細やかな再編集がほどこされた製品からは、手仕事の安らぎとプロダクトの安定感、両方の良さが滲み出します。

Awabi wareの豆皿

幅広いバリエーション、多様性に富んだ珉平焼

珉平焼は江戸後期の文政年間(1818-30)、伊賀野村(現在の南あわじ市北阿万伊賀野)で賀集珉平(かしゅう みんぺい)が始めた焼物で、別名を「淡路焼」とも呼ばれています。

京焼の陶工・尾形周平を招いて色絵の技術とデザインを導入後、古今東西のさまざまな技法を写していきました。

そんな珉平焼の特徴は、幅広いバリエーションにあります。江戸時代後期の日本で、これほど多くの種類を焼いていた窯は恐らくなかったのではないかと言われています。

黄色・緑・青・水色・白などの透明感のある釉薬を用いた目を惹く色合いがとても印象的です。

淡路に息づく美しの品、現代の民藝の可能性を求めて

陶芸作家・岡本純一さんは柳宗悦の唱える「民藝論」に共感し、2010年より故郷である淡路島で農的生活の傍ら、独学で作陶を始めます。

2012年、「Awabi ware」を屋号に日用食器の制作を開始。コンセプトは100年後も使われているような「受け継ぐ器」。淡路の美しさと書いて「あわび」、「ウェア」には製品の意味が込められいるそうです。

自宅から車で5分。かつては島の診療所だった趣のある建物にアトリエ兼、予約制のショップを構えます。

自然と人間をつなぐ里山風景の残る淡路島で、岡本さんは手仕事と量産できる製品のあいだに立ちながら、淡路に息づく美しの品を生み出し続けます。

掲載商品

Awabi ware 八角豆皿 瑠璃
1,300円(税抜)

Awabi ware 四方豆皿 トルコブルー
1,500円(税抜)

豆皿の写真は、お料理上手のTammyさんが撮ってくださいました。他にも普段の食卓のコーディネイトの参考になるような写真がたくさんあります。Instagramも、ぜひ覗いてみてください。

文:中條美咲

産地のうつわはじめ

益子焼
九谷焼

私はこうして職人になった。転職・移住・起業、夢を叶えるそれぞれの形

年度末が近づくと、今までの仕事を振り返ってみたり、この先のことを考えてみることが増えてきます。

今回は、「職人」という道を選んだ人のストーリーをご紹介。未来を変えるきっかけは些細なことなのかもしれませんね。

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高知県 田野町の天日塩、田野屋塩二郎

元サーファーの塩職人が作る「白いダイヤ」。1キロ100万円の味と輝き

高知龍馬空港から1時間。高知県田野町から日本全国、そして海外の料理人も惹きつける人がいる。
「田野屋塩二郎」という屋号を掲げている佐藤京二郎さん。彼の塩が、すごい。

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産地:高知

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ブレード

フィギュアスケート選手からの転身。若きブレード研磨職人の妙技

年間500人の滑りを支えるその人は、元フィギュアスケート選手。研磨の技術には選手時代の経験が生きていると語ります。転身の物語とともに、わずか4ミリ幅の刃研ぎの世界をお届けします。

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産地:神奈川

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山のくじら舎

子どものために作ったおもちゃからの起業。高知「山のくじら舎」誕生秘話

「子どもがお風呂で遊べる、木製のおもちゃが欲しい」。知人のお母さんの声から作った手作りのおもちゃが、口コミで人気となって起業。今や全国にファンがいるおもちゃメーカーが、高知県の安芸市に工房を構える「山のくじら舎」です。その誕生秘話を伺いました。

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産地:高知

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鯖江・漆琳堂の塗師・嶋田希望さん/さんち〜工芸と探訪〜

「この漆器がつくれるなら、どこへでも。」移住して1年。職人の世界と、産地での暮らしを聞きました。

出会いは東京のセレクトショップ。「人、募集してませんか?」数日後には正座して電話をかけていた・・・と話すのは福井県鯖江にある漆琳堂の嶋田希望さん。産地への移住、Iターン。ものづくりの仕事と暮らしのひとつの形。

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産地:鯖江

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めざせ職人!金沢には未経験から伝統工芸の職人を目指せる塾があった

伝統工芸の技を3年間学べる学校がある。しかも、受講料無料!いったいどんなところなのか、見学してきました。

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産地:金沢

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。