「京都の若手庭師で、今いちばん実力があるのは一帆じゃないかな」
そう紹介されてお会いしたのは、猪鼻一帆(いのはな かずほ)さん。
名庭とされる庭が多く、いわゆる日本庭園の「産地」とも言える京都。そこで活躍する庭師とはどんな方なのでしょうか。彼の生き方や、庭作りへの考えについて、お話を伺ってきました。
庭を見て、美しいと思えるか。
「いのはな夢創園」の二代目である猪鼻さん。両親共に庭師で、子どもの頃から仕事を手伝っていたものの、若い頃は造園屋以外の職につきたいと思っていたそうです。
理由を聞くと、「自分に庭造りの全てができると思えなかった」と話します。
「造園屋は面白さを感じるまでにすごく時間がかかる仕事です。木を切る、石を組む、木を植える、どれも全然違う仕事だし、庭を作ろうと思ったら電気工事も水道工事もできなあかん。いろんな要素があってひとつなんですよね、庭って」
それでも18歳の時、父親に「この家に生まれたからには修行に行け」と言われて熊本へ。「『庭』という雑誌に載ってた、かっこいい庭を作ってる方に電話をかけたんです。そこがたまたま、熊本でした(笑)」
修行に出たものの、仕事にすぐに興味を持てるはずもなく、毎日のように「辞めよう」と思っていたのだそう。
ところが、面白さはじんわりやってきます。
個人宅の庭。猪鼻さん作庭(写真提供:猪鼻一帆)
「庭を美しいと思える瞬間があるんです。自然を相手に仕事をしていると、いろんなものの道理みたいなのがぼんやりと見えてくる瞬間があります。そうすると庭の見方も変わってきて、その時からあれもこれも面白く感じられるようになりました」
気がついたらいつのまにか造園の仕事にのめり込んでいた。
「ハマるとすっごい魅力的なんですよね。広い場所をもらって、自分の頭で考えた美しいものを作らせてもらえた上に、お金までいただける。そしてみんなが褒めてくれるなんて、これ以上のことはないですね(笑)」
20代でいい庭はつくれない
造園の仕事で大切なのは積み重ね。
「例えば、竹垣を作るのは、1年間それだけやれば絶対に誰でもできること。それは技術じゃなくて知識やから。物が作れる、石を積めるのは大前提で、そこから何をするかが本当の僕らの技術です」
庭造りは、常に室内から見てどう映るかを計算する。木を植える時も建物からの奥行きを考えながらバランスを整える(写真提供:猪鼻一帆)
「自分のカードが多ければ多いほどいろんなことができるので、積み重ねが少ない20代でめっちゃいい庭を作る人はなかなかいません」
造園家としての積み重ねの中には、「茶道」や「華道」の知識も含まれます。
「どこの庭師でもそうですが、特に京都で仕事をするならお茶もお花も必要です。掛け軸や花入れのこと、出されたお菓子の意味をわかるかどうかで、仕事も変わってきます。その知識が茶庭造りにもつながってくるからです」
手水鉢の石質によっては苔を生やせることができ、造形物が自然と同化していく景色が見られる。庭の手前に瓦の通路を直線で通すことで、石や木の輪郭が引き締まって見える(写真提供:猪鼻一帆)
「伝統を知っていればお客さんに伝えられるし、お客さんもそれを来客に話したくなる。そうやって“庭”という空間を愛してくれる人が増えると、僕たちはすごくうれしいです」
“ひび”に込められた想い
庭を作るのも好きだけど、植物や石などの後ろにある物語が好きだという猪鼻さん。
石や木は一つとして同じ物は無く、皆個性を持っている。それらを配置して設えるのが庭。その後、植物が庭をゆっくり飲み込んでいくことで、完成されない美しさが現れる(写真提供:猪鼻一帆)
「利休が作った園城寺(おんじょうじ)という花入れがあります」
園城寺は、天正18年、秀吉の小田原攻めに帯同した利休が、秀吉との最後の茶席に飾ったという竹の花入れで、国宝にもなっています。
「その花入れには、ひびが入っているんです」
雪割れと言って、何百本かに1本、寒さで竹の節が黒ずんで、ひびが入ることがあるそうです。
物語があるのは、その「ひび」。
「園城寺(滋賀県・三井寺)には“弁慶の引き摺り鐘”があって、それは弁慶が奪って比叡山まで引き上げていったという伝説の鐘で、その時の傷や破れが残ってるんです。
利休は雪割れを破れた鐘にちなんで、自分とあなたの関係性が修復できないという想いを表したと言われています。まぁ、完成されていない美しさを求めていたのかもしれませんね」
2本の石橋を繋ぐのは、江戸時代の分銅を模した金属のクサビ。そこにある物語を想像するのも面白い(写真提供:猪鼻一帆)
雪割れはとてもきれいだそうです。
「お茶関係の人はこの話を知ってる人が多いので、竹屋さんで雪割れを見つけたら真っ先にとって園城寺を作ります。もらった時にすごいシビレるというか、この人そこまでの物語を知っててこれを私に贈ったんだと思うと嬉しいですよね」
人や国、様々な縁を繋いでいく
猪鼻さんの作る庭にも物語があります。
こちらは、2014年にハウステンボス主催のガーデニングワールドカップに出場した時の庭「悟りの夢枕(木火土金水)」。
人が産まれ人生を歩む中で、未来へと続く希望が表現されています。
生まれる前の世界から、トンネルをくぐっていく
トンネルは産道でもある
トンネルを抜けると人生が広がる。タイルを使った飛び石は、五行(木・火・土・金・水)の元素を色で表している。飛び石を苦楽と共に自分で選択し踏みしめて人生を歩んでいく
世界の一流デザイナーが参加したこの大会で、猪鼻さんは見事、金賞を受賞。
これをきっかけに自分の中の意識も変わったといいます。
「精神的にも肉体的にも辛かったですけど、自信にも繋がりました。考え方も柔軟になったのかな」
大会で猪鼻さんを全面的にサポートしたのは、以前、さんちで紹介した長崎・波佐見町の庭師・山口陽介さん(左)です
2016年には、「シンガポール・ガーデンフェスティバル」に参加。こちらでも金賞を受賞しました。
庭を通して、人や国、様々な縁を繋いでいく。この先の活躍が楽しみです。
手水鉢のコウモリに見る侘び寂び
さて、これはなんでしょう。
(写真提供:猪鼻一帆)
杉の葉を使い瓢箪を模した猪鼻さん作の門松。
なんとも可愛らしい形が印象的です。
とても斬新な門松。京都は伝統と文化を重んじる印象がありますが、その中で、このような新しいものを作っていくのは大変ではないのでしょうか?
「400年くらい前までは、お菓子でも器でも文化でも中国から来たものが最上で、安土桃山時代になって、利休たちが活躍して、文化や美しさの概念を変えていった。
だから、京都は常に伝統を変えようとしてきた場所のはずなんです。もしかすると、それを“伝統”と言い始めた頃から止まってるのかもしれません」
「もちろん、アバンギャルドな人もいっぱいます。以前、見たことのある手水鉢には、覗き込まないと見えないぐらいのところにコウモリの模様が彫ってあったんです。すごいオシャレなことしてるんですよ。それを誰に伝えたかったのかはわからないですけど、たぶん彫りながら自分でニヤニヤしてるんじゃないかと」
それが庭の世界の“侘び寂び”。
「見せたいものを敢えて見せなかったり、敢えて歩きにくい道を作ったりするのが“詫び”。それを受け取って楽しむのが“錆び”。受け取る側の器の広さというか、コウモリの柄を見つけられたことで作り手とやりとりできるところに面白さがあります。
わかりやすいこともいいことではありますが、わかる人だけにわかるというのもあっていいと思うんです。それが一番ええとは言いませんけど、でもそれも面白いですよね」
ワクワクしながら作ったものは見てわかる
「18でこの世界に入って、20年ですが、最近になってようやく自分がやりたいことを本当にやらせてもらえるようになりました」という猪鼻さん。
猪鼻さん作庭、帽子ブランド「MANIERA」南青山店の坪庭(写真提供:猪鼻一帆)
樹歴100年以上の山桜の根に水鉢を入れ込み、太い根が石を引き上げる一瞬をイメージ(写真提供:猪鼻一帆)
これから、どんな庭師になりたいのかと尋ねると、江戸時代の名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)の話になりました。
ある時、彫り物勝負で鯉を彫ったら、甚五郎の鯉はとても魚には見えない仕上がりだった。ところが、池に放つとまるで泳いでいるかのように見える。「鯉は水の中にいてこそ鯉」と言ったとか。
またある時、ネズミの彫刻で腕を競うことになった甚五郎。両者のネズミは見事な出来栄え。甲乙つけがたく、ネズミの専門家である猫に鑑定させることに。すると、猫は一方のネズミに噛みつくもすぐに吐き捨て、甚五郎のネズミをくわえて逃げたという。
「実はこのネズミ、鰹節で彫られていたんです(笑)」
この話が大好きだと言う猪鼻さん。
「甚五郎はじめ、ものづくりに卓越した人には”ものづくりを積み重ねたからこそ表現できるユーモア”があって、その部分に痺れます。そんな風にワクワクしながら庭造りをしたい。魯山人(ろさんじん)も『楽しみながら作ったものは作品を見ればわかる』と言っていますが、僕もそういう世界にいたいと思っています」
「いつの時代でも伝統っていうのは、“守るもの”じゃなくて“変えるもの”なんです。いつか、『伝統』と言われるような新しい文化を僕は作っていきたい。左甚五郎みたいに楽しみながら、ね。
これだけは言える。僕は、この仕事を一番楽しんでる人間じゃないかな」
伝統があるからこそ、その先にも進める。
新しい文化をつくり続ける庭師の手で、京都の庭はまだまだ変化していきそうです。
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<取材協力>
いのはな 夢創園
京都市伏見区日野岡西町4-30
075-572-1546
文 : 坂田未希子
写真 : 太田未来子