日本屈指の織物の町、桐生を味わう店・食・宿。1日めぐって見えたもの

ああ、ここからも東京スカイツリーが見えるのか、と驚いたのは群馬県桐生市で取材中のこと。

朝に到着した新桐生駅から取材先のある市街地への道はゆるゆると下り坂になっていて、車のフロントガラスからは町の三方を囲む山々と、その山裾にたっぷりと立ち込める朝霧が見えた。

「キリュウという町の名前は、桐がたくさん生えていたからという説と、霧の多い町だからという説があるんですよ」

わざわざ駅まで迎えに来てくださった取材先のメーカー、笠盛の新井さんが教えてくれた。

1300年続くものづくりの町、桐生の歴史と今

「西の西陣、東の桐生」とも謳われる織物の町、群馬県桐生市。

周囲をぐるりと山に囲まれ、中心部に渡良瀬川が注ぐ湿潤な環境は、乾燥を嫌う織物づくりにぴったりなのだという。

奈良時代にはすでに織物を税として納めた記録が残り、関ヶ原の戦いでは徳川家康勢の依頼で2300もの旗をたった1日で作ったという逸話が残る。

昭和期には「織機をガチャンと動かすたびに、万の金が儲かる」と言われた「ガチャマン景気」に町が沸き、当時次々と建てられたノコギリ屋根の織物工場は、町のシンボルとなっている。

そんな歴史ある織物の町には今、世界的ファッションブランドの生地づくりを担うメーカーもあれば、逆に海外からファンが駆けつける洋品店もある。

刺繍技術を生かしたアクセサリーブランドがヒットした工房や、産地ならではの理由で広まった一風変わったご当地うどん、桐生の作り手との協業で完成した宿坊など。

1300年の歴史の上に、なお進化を続ける今の桐生の作り手と食、宿を訪ねた。

毎月7日間だけ開くリップル洋品店に、世界中から人が服を買いに来る理由

リップル洋品店

「晴れた日にはここからスカイツリーが見えますよ」と教えてくれたのは、丘の上にある「RIPPLE YōHINTEN (リップル洋品店) 」の岩野ご夫妻。お店が開く月初の7日間には、色、素材、形、ひとつとして同じものがない洋服を求めて国内外から人がやってくる。

今や世界中にファンを持つ人気ブランドは、夫婦ふたりが「自分と家族のため」に始めた服作りが始まりだった。

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桐生「ひもかわうどん」はなぜ平たい?老舗「藤屋本店」で知るご当地うどんの楽しみ方

ひもかわうどん

桐生の郷土料理といえば、まるで帯のように平たい「ひもかわうどん」。県外でも人気が高く、人気店には平日でも行列ができる。つるっとなめらかな平たい麺が桐生で広まった背景には、織物産地ならではの台所事情があるという。

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素材は糸だけ。常識破りのアクセサリー「000 (トリプル・オゥ) 」を老舗の刺繍屋が作れた理由

トリプル・オゥ

糸だけでできたアクセサリー「トリプル・オゥ」。金属にない質感とデザイン、金属アレルギーの人でも身につけられることで人気を集めるブランドは、どのように誕生したのか。

ファクトリーショップも併設する本社に、仕掛け人を訪ねた。

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桐生に泊まるなら、宿坊 観音院へ。美しき中庭と桐生にしかない「職人技」ダイニングは必見

宿坊 観音院

気鋭のブランドや郷土料理を1日かけてめぐったが、桐生には他にも訪ねてみたい作り手やお店がまだまだある。

1日では足りない‥‥という時に、ものづくりの町を泊まりで楽しむならここ、という宿を教えてもらった。

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トリプル・オゥを手がける笠盛の工房、色とりどりの服が並ぶリップル洋品店、どちらでも「自分達だけではものづくりは成立しない」という言葉が印象的だった。

例えばネックレスの糸を仕入れる糸商さんや洋服を縫いあげる熟練の縫い子さん。桐生では作り手をひとつ訪ねるたびに、その背景にあるまた別の作り手の顔が見えた。

文:尾島可奈子

めでたく「ポン!」と鳴る!ぽち袋「ポチポン」で新年をお祝いしよう

少しずつ新年の支度が始まる季節です。お年玉やご祝儀入れとして活躍するぽち袋に、一風変わったおめでたいものがありました。

「ポン!」という音で、お祝いごとを盛り上げる

まずはこちらの動画をご覧ください。

蓋をあけると、小気味良い「ポン!」という音がします。これが、今回紹介するPOCHI-PON (ポチポン) です。

音が持つ神聖な意味合い

柏手を打ったり、鐘を鳴らしたり、古来から私たちは祝いの場で音を鳴らしてきました。

一説には、音を出すことは「神様をお招きする」「悪いものを祓う」という意味合いがあったといいます。おめでたい席で重要な役割を担っていた音。拍手やクラッカーなど、音自体が祝福の意味合いを含んだものも今の暮らしに根付いていますね。

老舗紙器メーカーの技術が生んだ、ぽち袋

松竹梅のデザイン
松竹梅のデザイン

このぽち袋を作ったのは、紙の道具「紙器具(しきぐ)」を提案する大成紙器製作所。印刷・パッケージづくりの老舗メーカーTAISEI株式会社のブランドです。

蓋と本体の密接度が精密だからこそ、誰でもフタを開けるだけできれいな音が鳴るのだそう。ついつい何度も開けたり閉めたりしたくなりますね。

もともと工業製品であった紙管 (紙でできた筒) を、化粧品パッケージなど美しさが求められる製品に活用できるよう技術を磨いてきたTAISEI。筒のカッティングやカーリング(紙の閉じ目部分の仕上げ)、紙の重なり具合にもこだわり、型くずれしにくい強度と美しさを実現したのです。

紙をカットした断面や、天面の仕上げも美しく、密閉度が高くなっています
紙をカットした断面や、天面の仕上げも美しく、密閉度が高くなっています

愛らしいイラストで新年を祝う

2020年の干支「子」のイラスト入りデザインも
2020年の干支「子」のイラスト入りデザインも

お正月にぴったりの、干支が描かれたものもあります。

イラストは、犬を中心に動物をモチーフとした作品を数多く発表しているイラストレーター、てらおかなつみさんの描きおろし。柔らかい線で描かれた愛らしい姿に癒やされます。

「小さなお子さんから、おじいちゃんおばあちゃんにまで『可愛い』と思ってもらえたら嬉しいです。」

他にも、子どもの頃から犬好きと語るてらおかさんらしい、こんなシリーズも。

犬のイラストが描かれたポチポン

「お正月らしく紋付袴姿の犬は、実際にこんな服装のわんちゃんがいたのでその子をモデルに描きました。それぞれの犬を描くにあたって実在する子を観察したりもしていますが、『うちの子に似てる!』と、いろんな方に身近に感じてもらえたらと思っています」と、てらおかさん。

犬への愛情と想い入れあふれるてらおかさんのイラストは犬好きの方へのお祝いにもぴったりですね。

POCHI-PONは、100円玉が約40枚入るサイズ。筒型なので、お札は折り目をつけることなく入れられます。お金だけでなく、飴やチョコレートを入れたり、手紙を入れて贈りものに添えたりとアレンジして活用することも。

ポン!という音とともに新年のお祝いの場で活躍してくれそうです。

<掲載商品>
POCHI-PON (大成紙器製作所)
EMBOSS POCHI (大成紙器製作所)

文:小俣荘子

*こちらは、2017年11月23日の記事を再編集して公開しました。

出雲大社周辺で立ち寄りたい、お土産・工芸スポット5選。出雲松江の「いいもの」と縁結び

出雲大社前のお土産店「えすこ」、勾玉ゆかりの「玉作湯神社」、松江の人気雑貨店「objects」ほか

クリスマスを過ぎると、街には一気に年の瀬の雰囲気が押し寄せてきます。みなさん、新年を迎える準備は万端でしょうか?

初詣はご近所の神社へという、いつものお正月もいいですが、令和最初という節目の年のお正月は大きな神社に新たなご縁を結びに行くのもいいかもしれません。

今回ご案内するのは出雲大社へのお参り旅。出雲ならではのうさぎモチーフのお土産や松江の縁結び神社、工房見学とお買い物が一緒に楽しめる窯元まで、初詣と一緒にぜひ立ち寄りたい、出雲松江のさんち編集部おすすめスポットをご紹介します!

うさぎのお守り袋が人気「えすこ 出雲大社前店」

出雲に行く際はぜひ立ち寄りたい「えすこ」

出雲大社からほど近く、モダンな外観が目を引く「えすこ 出雲大社前店」。運営するのは、日本で唯一の勾玉 (まがたま) の作り手、1901(明治34)年創業の「めのや」さんです。店名の「えすこ」とは、出雲弁で“いい具合”という意味なんだとか。

お店の1階には島根の職人が手がけた工芸品や島根県産の素材を使った食品やお菓子、雑貨などのお土産物が並びます。

中でもおすすめは、ここでしか手に入らない「うさぎのカップル」のお守り袋。出雲にまつわる「縁結び」と「兎」というキーワードから着想を得た、出雲ならではのデザインです。

うさぎのカップル お守り袋
こんなかわいい限定アイテムも。中に勾玉が入れられます。「うさぎのカップル お守り袋」(本体価格700円+税)

お店の2階では、好きな天然石を選んで、世界にひとつだけのアクセサリーを作ることも。店名のとおり、“えすこ”なものと出会える場所です。ありがたいことに、年始も休まず営業しています。

運営する「めのや」さんを以前さんちで取材した記事はこちら:
「出雲大社が認めた、勾玉づくりのプロフェッショナルとめぐる玉造」

民藝の精神を受け継ぐ「出西窯」で今年のひと皿を手に入れよう

青い器

JR出雲市駅から車で約10分の場所にある「出西窯 (しゅっさいがま) 」は、1947(昭和22)年に5人の若者によって立ち上げられた窯元。柳宗悦らによる民藝運動に影響を受け、今も民藝に根ざした器づくりを続けています。

工房や登り窯は、個人であれば事前の予約や手続き不要で自由に見学可能。しかも職人さんたちに気軽に話しかけてOKという、とてもオープンな窯元なので、はじめて窯元を訪ねるという人にもおすすめです。

併設の「無自性館 (むじしょうかん) 」には、出西窯の器がずらり。出西窯の器でコーヒーをいただける休憩スペースもあり、器の使い心地を確かめることができるのも嬉しいところです。

年始は、工房は1/4までお休みですが、無自性館は1/2から営業。ただし無自性館も1/4までは通常より早めの17時閉館となっているのでご注意を。


「出西窯」さんを以前さんちで取材した記事はこちら:
はじめての窯元めぐり「はじめて買う『出西窯』。作り手と会話して選ぶ醍醐味」

「願い石・叶い石」で縁結び。勾玉づくりの祖人気の、松江の「玉作湯神社」へ

玉作湯神社は、勾玉づくりの祖と言われる神様、櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)をお祀りしている神社。

神社の家紋、神紋 (しんもん) にも勾玉が象られている

近年「願いを叶えてくれる石がある」といって話題になり、パワースポットとしても注目を集めています。その不思議な力が宿る石の名は「願い石」。天然の石にも関わらず、ほぼ球体に近い、とても神秘的な石です。

願い石
こちらが「願い石」

もともと「願い石」は、この土地の勾玉職人が「またいい勾玉が作れますように」と感謝と決意を込めてお参りするものだったそう。「願い石」に、社務所で授けてもらう「叶い石」を触れさせて願をかけると願いが叶う、と言われています。

「玉作湯神社」を以前さんちで訪ねた記事はこちら:
「日本最古のお守り「勾玉」の神様を祀る神社へ」

新年に生活道具と新たな出会いを「objects」

古くてモダンな石造りの建物。中に入る前から心が踊ります
古くてモダンな石造りの建物。中に入る前から心が踊ります

JR松江駅から徒歩13分ほど。宍道湖へと流れ込む大橋川沿いに「objects」はあります。どこか趣きがある石造りの建物は、もとはテーラーだったそうで、船室をイメージして作られたという店内も雰囲気たっぷり。

お店では、陶器、ガラス、木工、織物といったさまざまな工芸品を扱っており、どれも店主の佐々木創(ささき・はじめ)さんが全国各地の作家さんや窯元を巡って見つけてきたものです。

その時々の巡り合わせでお店に並ぶ商品が変わるので、季節が変わるたびに何度でも訪れたい場所。夕暮れどきには川辺の美しい景色も堪能でき、松江散策時に立ち寄るスポットとしても最適です。1/1はお休みですが、1/2〜1/4は18:00まで営業しています。

店主の佐々木さんへのインタビュー記事はこちら:
「全国から工芸好きが訪れる、器や生活雑貨を扱うセレクトショップ『objects』」

「理想の店を開くための、移住。人気店『objects』店主が貫く“嘘のないお付き合い”」

ご当地料理をいただくならここ。宍道湖七珍を味わえる「やまいち」

宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜

JR松江駅から徒歩10分ほどの新大橋のたもとに位置する「やまいち」は、地元民に愛されるローカル居酒屋。壁には味のあるお品書きが多数貼られ、カウンターには旬の食材を活かした大皿料理が並びます。

大皿にたっぷりと盛られた今日の料理。どれにしようか目移りしてしまいます
大皿にたっぷりと盛られた今日の料理。どれにしようか目移りしてしまいます

たくさんあって何を注文しようか迷ってしまいますが、そんな時は店のご主人に相談してみるのがベスト。その日仕入れた食材や客の好みからおすすめを教えてくれます。

とはいえ、はじめて訪れたのなら、淡水と海水の混ざる宍道湖ならではの宍道湖七珍、“スモウアシコシ (スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ、シラウオ、コイ、シジミ) ”も外せません。年中楽しめる松江おでんや地酒もたっぷりと味わったら、最後はやっぱり具だくさんのシジミ汁で〆ましょう。年始は1/5から通常営業です。

シメの一杯は漁獲量日本一、宍道湖のシジミがたっぷりのシジミ汁
シメの一杯は漁獲量日本一、宍道湖のシジミがたっぷりのシジミ汁

「やまいち」さんを以前さんちで訪ねた記事はこちら:
産地で晩酌「宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜」


出雲大社の参拝記念にぜひ立ち寄ってほしい、出雲松江のおすすめスポット。お参りの参考にして、すてきな一年のはじまりにしてください。年始は営業時間が通常と違う場合があるので、事前のチェックはお忘れなきよう!

<紹介したところ>

えすこ 出雲大社前店

島根県出雲市大社町杵築南841

0853-31-4035

https://www.magatama-sato.com/esuko/

出西窯

島根県出雲市斐川町出西3368

0853-72-0239

https://www.shussai.jp/

玉作湯神社

島根県松江市玉湯町玉造522

objects

島根県松江市東本町2-8

0852-67-2547

http://objects.jp/index.html

やまいち

島根県松江市東本町4-1

0852-23-0223

文:岩本恵美

*こちらは、2018年12月27日の記事を再編集して公開しました。

【わたしの好きなもの】DYK ペティナイフ


待望の朝支度の包丁

デビューしてまだ間もないDYKのキッチンツールたち。そのラインナップの中に、私にとっては、待ってましたの包丁がありました。
それがこの小さな刃渡りのペティナイフ。
なぜ待望だったのかと言いますと・・・朝食の時に使う包丁が大きすぎるとかねてから思っていたところに、この小さな包丁の登場。(あくまで我が家の朝食レベルだとという話なんですが。)




すぐに我が家のキッチンに仲間入りし、活躍しております!
朝食って小さな食材が多いもの。
そこでDYKのペティナイフを使ってみると、ソーセージに切れ目を入れて、プチトマトを半分に、スクランブルエッグに入れる緑をちょこっとだけ切りたい、どれを切っても「そうそう、この大きさ!」としっくりくること。




バナナやキウイなんかにも、やっぱりちょうどいい。
刃が短いので食材に手が近くて、とても取り回しやすいんです。
取り回しやすさのもう一つの秘密は、軽さ。持った瞬間、「軽い!」と口から出るほど。中空の持ち手は見た目よりずっと軽いし、持ちやすいのです。




普段は、朝食を作りながらお弁当の用意もしています。よく作るおかずのひとつがかぼちゃの煮付け。4分の1サイズのかぼちゃを買ってきて使っています。
 
その小さいかぼちゃを見てふと、ペティナイフ1本で煮付けづくりに挑戦してみようと思い立ちました。
 
感動したのは、種の取りやすさ。刃渡りが大きなものは、最後の実に近い種が取りにくいのですが、まるでスプーンでこそげているかのように、くるくるっと取れました。
そしてレンジでチンしてから本体のカット。大きな包丁だと背を押せますが、それは無理。しかし、力が入れやすいので、意外と切れる。おっ、切れるぞ!と包丁を替えることなく、面倒くさがりな私は朝の支度を1本の小さな包丁で完結させました。




最後はササッと洗って終わり。小さいうえに継ぎ目のないデザインは、洗うのがとても楽ちん。サッと拭いて終了。小さいので、カトラリーと同じ引き出しに入れることができて、邪魔になりません。
待望のちょこちょこ切りの小さな包丁は、朝のバタバタの時間を助けてくれる頼もしい相棒です。





編集担当 今井

「かるた」で養う想像力。神保町の専門店で聞いた魅力

正月の遊びとして古くから日本人に親しまれてきた、「かるた」。

古今東西、実にバラエティに富んだかるたがつくられてきており、歌人に焦点を当てたもの、切り絵や版画がモチーフのものなど、大人が楽しめる題材も数多い。

そんなかるたの歴史や魅力、一風変わったユニークな商品などについて、神田神保町のかるた専門店「奥野かるた店」で話を聞いた。

奥野かるた店
白山通り沿いにある、奥野かるた店

かるた専門店「奥野かるた店」

奥野かるた店は、1921年(大正10年)に「奥野一香商店」として新橋に創業。屋号にある“奥野一香(おくのいっきょう)”とは、現在代表をつとめる奥野誠子(ともこ)さんの曽祖父の名だ。

奥野一香は将棋指しでもあり、将棋の駒づくりの職人でもあった。その息子である徳太郎が将棋盤などを扱う問屋業を始め、以来、囲碁、将棋、麻雀、花札、トランプといった『室内ゲーム』全般を取り扱ってきたという。

奥野かるた
奥野かるた店 代表の奥野誠子(ともこ)さん

「戦争があったために新橋から神奈川の大船に疎開し、戦後、東京・神保町で店舗を再開したのが、昭和25年頃でしょうか。

その後、昭和54年には小売業もはじめ、屋号も『奥野かるた店』となりました」

ちょうど20年前には現在のビルが完成。昭和から平成になり、誠子さんの父である先代は、「かるたづくり」にも取り組み始めた。

奥野かるた
かつてつくられていた「かるた」の復刻品も手掛ける
双六などの屋内ゲームも扱う
双六などの屋内ゲームも扱う

「色んなかるたやゲームを扱う中で、『自分がやるなら、こんなものを作りたい』という思いが出てきたのでしょう。

10年前に2階を改装してギャラリーにしましたが、これも父の意向でした。美術館風に『小さなかるた館』と称しています」

ギャラリーへの入場は無料。直近ではタロット、トランプの催しや、版画家 柳沢京子さんの物販イベントを実施した。

かるた
貴重な百人一首の展示も

ポルトガルからやってきた「かるた」の歴史

ここで、あらためて「かるた」の歴史に触れておきたい。

藤原定家(1162~1241)により小倉百人一首が選ばれたのは13世紀。その目的は歌人・宇都宮頼綱の依頼によるものだった。時は流れ、安土桃山時代にスペイン、ポルトガルから入ってきた南蛮文化の中にカード式のゲーム「Carta」があった。

日本には平安時代から、2枚ひと組の貝を合わせて遊ぶ貝覆いという遊びがあり、これがCartaと融合したことで、カード式の小倉百人一首が誕生。現在に至る。

かるた
百人一首も「かるた」の一種

奥野さんによれば「百人一首」「いろはかるた」「花札」、これらは全てかるたの一種と言えるのだそう。そのモチーフに制限がなく、これまでに様々な「かるた」が考案されて親しまれてきた。

奥野かるた
花札も「かるた」と紹介されている

小さな札の中で世界が表現されている

ずばり、「かるた」の魅力は何処にあるのだろう。

「札の中で、完結した世界が表現されているところですね。ひとこと、的確なセンテンスとセンスのある絵で『あぁ、そうだね』という感情を沸かせる。

絵札のモチーフによっては、美術品にもなり得るでしょう」

奥野かるた
かるた
短いセンテンスと、想像をかきたてる絵がかるたの特徴

小さい頃からスマートフォンなどデジタル機器に触れることが当たり前の時代においても、アナログなものに触れ、想像力を働かせることは必要と話す。

「読んで、見て、触って、想像する。小さな札に描かれた絵を見て、『年寄りの冷や水』はこれかな、という具合にイメージを膨らませるわけです。

検索すればすぐに答えが見つかる便利な世の中になりましたが、想像の余地があるアナログなものにも触れてもらいたいなと思います」

奥野かるた

たとえその場で正確な意味がわからなくとも、耳や目で覚えておくことに意義はある。

「教育学者の齋藤孝さんもおっしゃっていますが、たとえば、『春高楼の花の宴』や『汚れちまつた悲しみに』などの文学の一節について、耳だけでも覚えておいて欲しいんです。

大人になってから『あれ、この一節はどこかで聞いたな。知っているな』というタイミングが必ず来るので。子どもに敢えて難しい言葉を発信していくことは大事だと思います。

また逆に、お年寄りのリハビリとして利用する方もいます。百人一首など、子どもの頃に遊んで覚えたことは、歳をとっても忘れていなくて。その遊びがリハビリ効果になるんだそうです」

奥野かるた

確かに、子どもにいきなり文学作品や古典を読ませることは難しいかもしれないが、「かるた」であればゲームとして親しめる可能性はある。

そんなことを狙って、5枚1組で金太郎や浦島太郎、イソップ物語などの物語をぎゅっと詰め込み、紙芝居のように装丁している「かるた」もあったのだとか。

奥野かるた
物語を「かるた」にしたものも

全国に存在する「郷土かるた」

特定の地域に暮らした人にとって馴染みが深い「郷土かるた」というものがある。群馬県の「上毛かるた」が特に有名だが、実は各都道府県に必ずひとつは存在しているという。

奥野かるた
上毛かるた
奥野かるた
上野界隈かるた

「群馬県と長野県が特に多いですね。描かれるのは、街の様子であったり、祭りなどの慣習だったり。ただし、市区町村が主導してつくったけれど定着せず、住んでいる人でさえ地元の郷土かるたの存在を知らないことも多いです」

戦後間もない頃に誕生した「上毛かるた」は、遊ぶものがない時代に「豊かな心を失わずに育って欲しい」という想いから地域の人たちが企画したもの。

かるたをつくるだけでなく、小学校や地域ごとに毎年かるた大会を実施して、その年のチャンピオンを決めるということを何十年も続けてきた。

「そうした取り組みの積み重ねで浸透しているわけです。今でも、第一回の優勝はどの小学校の誰だったかという公式記録が残っています。県のチャンピオンを目指すと、燃えますよね。

群馬で電車に乗っていた時に、たまたま乗り合わせた中学生の女の子たちが『私たち、なんで百人一首が下手なんだろうね。上毛かるたばっかりやっていたからかもね』と話しているのを聞いたんです。

本当に浸透しているんだなと感動しました」

奥野かるた店には、東京都内の郷土かるたとして、寅さんや漫画の両さんが登場する「葛飾区郷土かるた」、三越やにんべんが登場する『日本橋かるた』なども置かれている。

奥野かるた
葛飾郷土かるた
奥野かるた
千代田区川柳 絵葉書かるた
奥野かるた
地元を代表するものとして、「武田信玄」などの武将にフォーカスした「武将かるた」なるものも

「上毛かるた」ほど有名なものは珍しいが、それでも地元の文化や風習が描かれた「かるた」があると分かれば、少し興味が出てくるのではないだろうか。

改めて地元のことを知るきっかけにもなり、正月に実家でやってみると意外に盛り上がるかもしれない。

モチーフは尽きない。つくられ続けるオリジナルかるた

新しいオリジナルかるたも、続々とつくられている。

奥野かるた
漢字をつかってことわざをデザインした「かるた」も
奥野かるた
まさに“なんでも”書き込める、「無地かるた」

「最近では、持ち込みの企画で『感染症かるた』をつくりました。感染する病気の秘密が学べるもので、白鴎大学の教授が企画・編集しています」

他にも、「落語の有名なセリフを読み札にしたかるたをつくりたい」「三番瀬の生物を知ることができるかるたをつくりたい」といった問い合わせもあったそう。

「かるたをつくりたい」と考える人が意外にも多いことに驚かされる。

奥野かるた
奥野かるた
野菜の花と実をあわせる「かるた」

「かるたが人と人の縁を取り持ち、画家さんやアーティストさんを繋いで、新しい作品がつくられることもよくありますね。きっかけは、様々です」

神田古書店街の賑わいとは違い、落ち着いた大人の雰囲気が漂う白山通り。イチョウの並木道に店舗を構える奥野かるた店に一歩、足を踏み入れた途端、何百種類という「かるた」、そして室内ゲームの数々に圧倒された。

子どもの頃に遊んだ「かるた」があれば、ユニークな新作「かるた」もある。ここでは誰しも童心に帰るだろう。

奥野かるた
筆者世代にも懐かしい「かるた」たち
奥野かるた

2階の小さなかるた館では12月7日から1月中旬まで『百人一首展』を開催中。江戸時代の手彩色の桐箱に入った豪華な品物なども、入場無料で楽しめる。年末年始の散歩で立ち寄ってみるのも良いかも知れない。

かるた
1階はショップ、2階はギャラリー風スペース「小さなカルタ館」となっている

<取材協力>
奥野かるた店
http://www.okunokaruta.com/

文:近藤謙太郎
写真:カワベミサキ

箱根寄木細工の職人が手がける、世界にひとつの箱根駅伝トロフィー。唯一の作り手、金指さんが描く夢

箱根寄木細工・金指ウッドクラフトさんを訪ねて

新年から手に汗握る箱根駅伝。

往路のゴール近くで、選手がテープを切る瞬間を毎年、特別な思いで待っている人がいます。

金指勝悦 (かなざし・かつひろ) さん。

金指ウッドクラフトの金指勝悦さん

箱根生まれ箱根育ち、箱根駅伝に欠かせない「あるもの」の作り手です。

それは往路優勝校にだけ贈られる、箱根寄木細工のトロフィー。

毎年9、10月ごろから製作をスタートし、12月に箱根町に引き渡します。

1月2日はゴール地点で往路優勝の瞬間を見届け、トロフィーを手にした選手を写真に収めるのが、金指さんの20年続く「お正月」です。

箱根寄木細工とは?

箱根寄木細工とは江戸時代末期、箱根町畑宿の地に興った独特の工芸。

さまざまな風合いの木を組み合わせて、精緻で幾何学的な模様を創りだす美しい木工芸品は、旅人の土産物としても人気を呼びました。

昭和59年には国の伝統的工芸品に指定されました
昭和59年には国の伝統的工芸品に指定されました

その発祥の地、箱根町畑宿にある金指さんのお店には、歴代トロフィーのレプリカがずらりと並んでいます。

箱根湯本の駅からバスで20分ほど、寄木細工発祥の地・畑宿に金指さんの工房とお店があります
箱根湯本の駅からバスで20分ほど、寄木細工発祥の地・畑宿に金指さんの工房とお店があります
寄木細工づくりの体験もできる金指さんの直売店
寄木細工づくりの体験もできる金指さんの直売店
店先の窓いっぱいに並ぶのは‥‥
店先の窓いっぱいに並ぶのは‥‥
歴代のトロフィーらしきものが!
歴代のトロフィーらしきものが!
さらにお店の奥には、ここ数年のトロフィーを飾った棚があります
さらにお店の奥には、ここ数年のトロフィーを飾った棚があります
トロフィーのそばには金指さんがカメラに収めた選手の写真も
トロフィーのそばには金指さんがカメラに収めた選手の写真も

2017年は今年も活躍した藤井聡太4段が題材に

「トロフィーはその年の明るいニュースをテーマに創作します。

できるだけタイムリーなものにしたいので、ギリギリまで製作をしないんです」

例えば前回大会では、2017年に大活躍をみせた藤井聡太4段のニュースから、将棋のモチーフを取り入れたトロフィーが完成しました。

金指ウッドクラフトの箱根寄木細工トロフィー
側面に将棋の駒と盤面が表現されています
第94回大会の往路優勝校、東洋大学の田中龍誠選手が手にする将棋型トロフィー。レプリカとは逆さになっています。その理由はのちほど‥‥
前回大会の往路優勝校、東洋大学の田中龍誠選手が手にする将棋型トロフィー。レプリカとは逆向きになっています。その理由はのちほど‥‥

毎年趣向を凝らしたデザインは、実は設計図が一切ありません。

箱根駅伝のトロフィー
本体と土台もわざわざ違うデザインにしています
本体と土台もわざわざ違うデザインにしています

テーマが決まったら実際に手を動かしてみて、イメージを形にしていくのだそう。

このレプリカは実は、その試行錯誤の過程で生まれた試作品。なので本物とはちょっとずつ色かたちが違います。

金指さんが手に持つのは、右手前のトロフィーの試作品。こうした試作の繰り返しでトロフィーが生まれます
金指さんが手に持つのは、右手前のトロフィーの試作品。こうした試作の繰り返しでトロフィーが生まれます

印象に残っているものを聞いてみると、ひときわ背の高いトロフィーを示してくれました。

これはいつの年のトロフィーか、わかりますか?
これはいつの年のトロフィーか、わかりますか?

「富士山が世界遺産に登録された時のものです。下の部分は湖に映る逆さ富士を表しています」

富士山と箱根・芦ノ湖の湖面に映る逆さ富士を表したトロフィー。第90回大会にちなんで、逆さ富士は90層で表現されています
富士山と箱根・芦ノ湖の湖面に映る逆さ富士を表したトロフィー。第90回大会にちなんで、逆さ富士は90層で表現されているのだとか

では最新の2019年大会のモチーフだったのは‥‥?

幻の二刀流トロフィー

「実は直前まで、大谷翔平投手の『二刀流』にしようかと思って少しずつ作り始めていました。ただ故障のニュースもあって、どうするか迷っていたんですね。

そこへ、地元の箱根八里が日本遺産に選ばれたというニュースが飛び込んできたので、今回はこれで行こう、と即断しました」

「日本遺産」とは、地域活性化を目的に2015年から文化庁が定めた制度。

これまで四国のお遍路文化や「さんち」でも取り上げた新潟の火焔型土器出雲のたたら製鉄など、地域の有形無形の文化が認定されています。

選ばれた「箱根八里」は、駅伝でも毎年多くのドラマをうむ「山登り5区」の舞台、箱根山の険しい山道を整備して築かれた、江戸時代の大幹線。

箱根山は東西の往来の要所。お店の近くにも旧街道の史跡がありました
箱根山は東西の往来の要所。お店の近くにも旧街道の史跡がありました
お店の前に金指さんが作った箱根八里のパネル。寄木細工の里・畑宿はその道中にあります
お店の前に金指さんが作った箱根八里のパネル。寄木細工の里・畑宿はその道中にあります

まさに「天下の険」を制して勝ち取る往路優勝のモチーフにふさわしい、嬉しいニュースでした。

使うパーツは2000越え。箱根寄木細工への思いが生んだトロフィー誕生秘話

12月の箱根町への引き渡しまで門外不出という新作トロフィー。2019年大会前に、特別に見せていただいたトロフィーの製作途中の姿がこちらです。

完成度はこの時点で7割。これから更に手直しをするそう
完成度はこの時点で7割。これから更に手直しをするそう

険しい山並みが鋭くカットされた寄木で表現されています。

鋭く尖った「天下の険」
鋭く尖った「天下の険」

使うパーツは例年2000〜3000パーツに及ぶといいます。

金指さんが毎年こうして趣向を凝らしたトロフィーを作るのは、地元・箱根の寄木細工に対する強い思いがあってのことでした。

「私はもともと別の木工の仕事をしていましたが、その頃は寄木細工をやる人もかなり減っていました。

私が寄木細工の道に入ることも、当時は周りにはずいぶん反対されたものです。『衰退する産業で今更何をやるの』って」

金指さん

しかし、金指さんはこの寄木細工に一筋の光明を見出していました。

地元工芸の衰退が気にかかり、作り方を習ううちに、これまでになかった「新しい寄木細工」の作り方がひらめき、商品化。少しずつ評判を呼んで、寄木細工を生業にしていく道が拓けていったのです。

それは箱根寄木細工トロフィーの原点とも言える斬新なアイディアでした。

ピンチが生んだ、新しい寄木細工

「従来の寄木細工は木を寄せ合わせて模様にした木のブロックを、薄くスライスして製品に貼り付けていました」

従来型の寄木細工の作品
従来型の寄木細工の作品
元は、こうした様々な模様の寄木ブロックを金太郎飴のように薄くスライスして装飾していました
元は、こうした様々な模様の寄木ブロックを金太郎飴のように薄くスライスして装飾していました

「でも同じような模様をこまごま貼り付けていくのは性に合わなくて。スライスせずに、ブロックそのものから作品を削り出す、立体の寄木細工を考えついたんです。

こうすると大量には作れないけれど、削り方によって様々な模様が生まれて、従来にない寄木細工を作ることができました」

組み合わせ方や切り出し方で、これだけ模様のバリエーションがあります
組み合わせ方や切り出し方で、これだけ模様のバリエーションがあります
それを削ることで、さらに表情に変化が生み出せます
それを削ることで、さらに表情に変化が生み出せます
ブロックから削り出して作る立体の寄木細工。今までのイメージを刷新する作品は、評判を呼ぶように
ブロックから削り出して作る立体の寄木細工。今までのイメージを刷新する作品は、評判を呼ぶように
こんな可愛らしい小物入れも。それぞれに模様の出方が異なります
こんな可愛らしい小物入れも。それぞれに模様の出方が異なります

この手法を金指さんは積極的に地域で共有。

箱根寄木細工の復興を牽引する金指さんに箱根町がラブコールを送り、1997年から寄木細工の箱根駅伝トロフィーが誕生しました。

箱の寄木細工のトロフィー

「箱根寄木細工は、関東では知っている方も多いですが、全国的な知名度はまだまだです。

箱根駅伝の放映でトロフィーが全国の方の目に止まれば、箱根寄木細工の大きなPRになる。そう思って、毎年新しいデザインで作らせてもらっています。大変?いえいえ、面白いですよ」

箱根寄木細工のトロフィー

箱根寄木細工の職人と、2代目・山の神との出会い

20年作り続ける中で、嬉しい出来事もありました。東洋大学時代、4年間「山登り5区」を任され、その全てで往路優勝を果たした「2代目・山の神」こと柏原竜二さんのエピソードです。

「大学卒業時のインタビュー記事で、100本以上はあるトロフィーの中から『印象深いものを2本選んでください』と言われたときに、彼が選んでくれたのが2本とも私の作った寄木細工のトロフィーだったんです。あれは、嬉しかったですね」

箱根寄木細工の金指さん
直売店の一番目立つところに、優勝当時の柏原選手の写真が飾られていました
直売店の一番目立つところに、優勝当時の柏原選手の写真が飾られていました

現在、工房には若い職人さんが2人働いています。2人とも「寄木細工をやりたい」と県外から弟子入りにきたそう。

取材中も黙々と作業に集中するお弟子さん
取材中も黙々と作業に集中するお弟子さん

地元工芸の復興を志してきた金指さんの願いは、着実に実を結んでいるようです。

「100回大会までは頑張ろうって決めているんです。誰もやっていないもの、新しいことを生み出したいですね」

さて、次に寄木細工のトロフィーを手に金指さんのカメラに収まるのは、一体どの大学の選手でしょうか。

金指さんは来春も、その瞬間を箱根山のゴールで待っています。

<取材協力>
金指ウッドクラフト
神奈川県足柄下郡箱根町畑宿180-1
0460-85-8477
http://www.kanazashi-woodcraft.com/index.html

文・写真:尾島可奈子

*こちらは、2018年12月21日の記事を再編集して公開しました。