ものづくりの宝庫、奈良を1日でめぐるスペシャルツアーに行ってきました

2019年11月1日、「さんち 〜工芸と探訪〜」はおかげさまで3周年を迎えました。

このめでたい記念に企画したのが、読者の方と一緒にものづくり現場を訪ねるさんちツアー。

今年、ツアーの舞台は関西へ。さんちを運営する中川政七商店の創業の地、奈良で開催しました!

奈良

奈良と言えば、奈良公園に、鹿に大仏‥‥?実は、さまざまなものづくりの宝庫なのです。

そこで「さんち〜工芸と探訪〜」の編集部がガイドとなり、奈良の知られざる工芸スポットをまわるスペシャルツアーを企画。

その様子を、ちょっとだけお届けします!

いざ、奈良のものづくりを訪ねるスペシャルツアーへ

一行は奈良定番の待合せスポット、近鉄奈良駅の行基像前に集合。

集まった総勢6名の方と、専用のバスに揺られてまず向かったのはこちら。

奈良筆あかしや

300年続く奈良筆の老舗、あかしやさんです。

【見どころその1・筆】飛鳥から続く伝統。「奈良筆」のものづくりを見学

日本に中国から筆がもたらされたのは飛鳥時代。その後、唐に渡った弘法大師(空海)が筆づくりを習い、伝授したと言われるのが他でもない奈良の地です。

そんな日本の筆づくり発祥の地ともいえる奈良で今も作られているのが「奈良筆」。国指定の伝統的工芸品です。

あかしや奈良筆
穂先の種類だけでも様々。毛質によって、書き味も変わります
穂先の種類だけでも様々。毛質によって、書き味も変わります

お邪魔した「あかしや」さんは、もともと東大寺や興福寺など、南都七大寺に出入りを許されていた由緒ある筆司 (筆職人) 。

江戸時代に問屋業をはじめ「あかしや」の看板を掲げてから、300年の歴史を誇ります。

ツアーではあかしやさんのショールームにお邪魔して、伝統的な筆づくりの一部を体験させていただきました。

奈良筆あかしや

体験したのは最後の仕上げの工程。穂先に糊を含ませて固める工程なのですが、見たこともない道具や器具ばかりです。

奈良筆あかしや
根元までたっぷりと糊を含ませたら‥‥
根元までたっぷりと糊を含ませたら‥‥
手で大まかに絞った後‥‥
手で大まかに絞った後‥‥
根元に巻きつけた糸を穂先の方へずらして、くるくるっと絞りだす!これがなかなか難しい
根元に巻きつけた糸を穂先の方へずらして、くるくるっと絞りだす!これがなかなか難しい
最後は手でどこから見ても傾きがないように穂先を整えます
最後は手でどこから見ても傾きがないように穂先を整えます

みなさん四苦八苦しながらも楽しそう。

奈良筆あかしや

大小2種類の筆で体験させてもらいましたが、それぞれ10分ずつはかかっているでしょうか。

松谷さんに伺うと「自分でやると1本あたり1〜2分かな」とのこと。さすがです。

奈良筆あかしや

筆づくりには機械を一切使いません。どれほど細やかな手作業で1本の筆ができているか、その一端を覗かせていただきました。

夢中で作業を終える頃にはそろそろお昼時。

蓋をして、完成!来年の年賀状はぜひこの筆で
蓋をして、完成!来年の年賀状はぜひこの筆で

体験した筆はそのまま持ち帰ることができます。早速お土産をゲットして、一行は斑鳩エリアへ。

ランチをはさんで向かうは【染】の工房です。

【見どころその2・染】明治に始まった、手わざと機械のハイブリッド工芸。「注染」のものづくりを体験

手ぬぐいや浴衣の染めに用いられる注染 (ちゅうせん) 。じゃばらに重ねた生地に染料を「注」いで「染」める技法は、明治時代に始まりました。

発祥は大阪ですが、実は奈良にもそのものづくりを極める作り手さんがいます。

奈良の法隆寺そばにある「注染工房」さんにお邪魔しました。

事務所に伺うと、様々なデザインの手ぬぐいがずらり。

注染工房

その手ぬぐいに重ねるように代表の大森さんが見せてくれたのが、注染のものづくりの出発点、形紙 (かたがみ) です。

注染工房

こちら、全て手彫り。

「伊勢形紙」といって、主に三重県の鈴鹿市で作られている伝統的な形紙です。手ぬぐいや浴衣を染めるために用いられてきました。

「この形紙の上から、生地に『防染糊 (ぼうせんのり) 』を置きます。そうすると柄の部分は糊が載らないので、そこだけ色が染まるんです」

生地自体の色と使う染料の色を変えれば同じ形紙で全く印象の違うバリエーションを作れるのも注染の面白いところ。

注染工房

さらに、形紙を組み合わせると、一層複雑な模様を作ることが可能になります。

と、説明するよりも、百聞は一見にしかず。いざ、現場へ!

工房には糊独特の香りが立ち込め、どこからか機械の音が響き、もうもうと湯気が立ちのぼります。

視覚も嗅覚も聴覚も、いつも感じている日常とは別世界。

ワクワクと緊張感を同時にたずさえながら、最初に見学したのは「板場 (いたば)」と呼ばれる工程。

生地の上に先ほどの形紙を置き、満べんなく糊付けをしながら生地を折り重ねて行きます。

左手に持っているのが、先ほどの型を固定したもの。これを生地の上におろして‥‥
左手に持っているのが、先ほどの型を固定したもの。これを生地の上におろして‥‥
さっと糊を置いて行きます
さっと糊を置いて行きます

「商品の出来の7割は板場で決まる」

と大森さんが仰るほど、大切な工程。糊が形紙通りにムラなくのらないと、柄がぼやけたりずれたりしてしまいます。

職人さんはことも無げにやっていますが、体験させてもらうと‥‥これが難しい!

注染工房

力加減を間違えると途中で糊がのらないところが出てきてしまいます。

注染工房
注染工房

「やってみると、難しさがよくわかりますね」

とは参加された方の言葉。

生地を平らに置くにもコツがあり、一苦労です
生地を平らに置くにもコツがあり、一苦労です

編集部も体験させてもらい、見ているだけより一歩奥の世界を知った瞬間でした。

続く工程はいよいよ「注染」の名前の元となっている、染めの工程。

注染工房
見本を見ながらじょうろのような道具で染料を上から注ぎ、足元のペダルを操作して下から吸引し、下の生地まで染み込ませます
見本を見ながらじょうろのような道具で染料を上から注ぎ、足元のペダルを操作して下から吸引し、下の生地まで染み込ませます
代表の大森さん自ら披露くださいました
代表の大森さん自ら披露くださいました
みんな真剣に見守ります
みんな真剣に見守ります

この後水洗いで糊を落としたら、干し場で天日干しで乾燥。4階建ての高さから吊り下げられた生地が風に揺れる姿は圧巻です。

注染工房
検品とたたみの工程も体験
検品とたたみの工程も体験

特別に見せてもらった倉庫には、色とりどりの浴衣用の生地が。

注染工房

用尺が手ぬぐいよりずっと長い浴衣は、一箇所でも汚れや不具合があれば、生地が丸ごと使えなくなってしまいます。

注染の中でも浴衣の染めを得意とする注染工房さん。毎年多くの注文が舞い込むのは、高い技術の証です。

注染工房
みなさん、私はこれがいい!とすっかりお買い物目線で生地を広げます
みなさん、私はこれがいい!とすっかりお買い物目線で生地を広げます

現場の熱気と職人技に終始感動しながら、いよいよバスは最後の【鹿】のものづくりへ。

【見どころその3・鹿】未来の郷土玩具を目指して。奈良の新しいお土産「鹿コロコロ」とは?

奈良の不動のアイドル、鹿。

奈良には様々な鹿モチーフのお土産がありますが、100年後に受け継がれることを目指した、奈良の新しい郷土玩具が誕生しています。その名も「鹿コロコロ」。

従来の木型でなく、3Dプリンターで型をつくった新郷土玩具「鹿コロコロ」

奈良にもともとあった伝統工芸の「張り子鹿」と、観光客に人気の「ビニール鹿風船」という、新旧の奈良土産を組み合わせて誕生しました。

ユニークなのが、その型作り。

鹿コロコロは、型に和紙を貼り合わせて最後に型を取り除く「張り子」の製法で作るのですが、年々こうした型を作れる職人さんが減少しています。

そこで鹿コロコロでは、従来の木型に代わり3Dプリンターで型を製作。

型を作る3Dプリンター

安定かつスピーディーなものづくりが可能になりました。

ミルフィーユ状に形成されていて、中は空洞。持つと軽く、出来立てはほんのり暖かさがありました。

「この3Dプリンター、きっと日本のなかでも群を抜く稼働率です」

と語るのは、「鹿コロコロ」の作り手である「Good Job!センター香芝」の藤井さん。

Good Job!センター香芝のスタッフ、藤井克英さん
Good Job!センター香芝のスタッフ、藤井克英さん
Good Job!センター香芝

ここは奈良市でコミュニティ・アートセンターを運営し、アートを通して障がいのある人の社会参加と仕事づくりをしてきた「たんぽぽの家」が、新たな拠点として2016年にオープンさせた施設。

センターではこの3Dプリンターを駆使して、鹿コロコロをはじめ様々なアイテムが日々生み出されています。

こちらは首がゆらゆら揺れるおじぎ鹿。右から順に、3Dプリンターで作った型に和紙を貼り合わせ、張り子になるまでの工程がわかります。型は和紙の貼り残しがすぐわかるように、あえてカラフルな色味にしているそう
こちらは首がゆらゆら揺れるおじぎ鹿。右から順に、3Dプリンターで作った型に和紙を貼り合わせ、張り子になるまでの工程がわかります。型は和紙の貼り残しがすぐわかるように、あえてカラフルな色味にしているそう
Good Job!センター香芝
さまざまな商品の展示販売もされている

ツアーでは藤井さんにレクチャーいただきながら、オリジナルの鹿コロコロを作れる絵付けを体験しました。

体験できるのは、鹿コロコロかおじぎ鹿の2種類。迷う!
体験できるのは、鹿コロコロかおじぎ鹿の2種類。迷う!
下書きも真剣
下書きも真剣
絵の具やポスカなど、道具を使って絵付けしてい行きます
絵の具やポスカなど、道具を使って絵付けしていきます
いざ絵付けスタート!
いざ絵付けスタート!
鹿コロコロ
鹿コロコロ
鹿コロコロ

型作りはデジタルでも、和紙を貼り合わせたり絵付けをするのは全て手作業。

伝統的な手法を受け継ぎながら今の技術も取り入れた鹿コロコロは、ものづくりの面でも「新しい」郷土玩具と言えそうです。

愛らしくも奥深い郷土玩具の世界に触れながら、少し工芸の未来を覗いたような気持ちになりました!

完成した鹿コロコロ。みなさん上手!
完成した鹿コロコロ。みなさん上手!

センターを出る頃には、あたりはすっかり暗くなっていました。一人ひとり感想を伺いながら、バスは再び近鉄奈良駅前に。

ものづくりの世界は普段は閉ざされていて、なかなか日常に知る機会がありません。

ですが一歩足を踏み入れると、外からはわからない熱気や迫力に満ちています。

取材の帰り道に、すっかりものや町を見る目が変わっていることもしばしば。

ツアーやこの記事でお見せできたのはほんの一部ですが、そんな工芸に触れる楽しさを、さんちはこれからも日々の読みものを通して伝えていけたらと思います。

ご参加いただいたみなさん、ご応募くださった方、ご協力いただいたメーカーさん、本当にありがとうございました!

センターのみなさんと一緒に
センターのみなさんと一緒に

<取材協力> *登場順

株式会社あかしや
奈良県奈良市南新町78-1
0742-33-6181
http://www.akashiya-fude.co.jp

注染工房株式会社
奈良県生駒郡斑鳩町服部1-2-26
0745-75-2522
https://chusen.co.jp/

Good Job!センター香芝
奈良県香芝市下田西2-8-1
0745-44-8229
http://goodjobcenter.com

文:尾島可奈子
当日写真:西木戸弓佳

京都の万年筆インク「文染」は、文具店と染め文化が生んだ“日本初”の書き味

文房具好きにおすすめしたい、TAG STATIONERYの万年筆ブランド「文染」

2019年春、文房具好きにはたまらないアイテムが誕生しました。

京都の染め文化が生んだ、日本初の「草木染めの万年筆インク」。

tag stationary 文染

「文染 (ふみそめ)」という美しい名前のインクは全部で「藍」「葉緑」「梔子 (クチナシ) 」「地衣」の4種類。

tag stationary 草木染めの万年筆インク「文染」

名前そのままの天然素材から、色を抽出しています。草木染めで作った万年筆インクは、日本初とのこと。

こちらは合わせて新登場する「やわらかな万年筆」
こちらは合わせて新登場する「やわらかな万年筆」

生まれたのは京都。

それぞれ違う立場にある三者が運命的に出会って仕掛けた、これはひとつの壮大な「実験」だと言います。

開発秘話からパッケージに込めた意味まで、仕掛け人にお話を伺いました。

仕掛け人に聞く、「草木染めの万年筆インク」開発秘話

とある会議室に集まっていただいた3名の男性。

tag stationary 文染
tag stationary 文染

業界初である「草木染め」の染料を使った万年筆インクの、仕掛け人の皆さんです。

呼びかけ人はこの方、森内孝一さん。

森内孝一さん

京都の文具店が前身の文具・雑貨メーカー「TAG STATIONERY」で、商品企画マネージャーをされています。

TAG STATIONERYの本店があるのは、京都室町。染色文化が色濃く残るエリアです。

「そういう京都の文化を汲んだ文房具を作りたくて、はじめ合成染料で日本の伝統色を表現した万年筆インクを開発していました。

色味の再現をお願いしてしたのが、高橋さんです」

森内さんが頼ったのは同じく室町に構える「京都草木染研究所」顧問、高橋誠一郎さん。「草木染めの万年筆インク」2人目の仕掛け人です。

高橋誠一郎さん

TAG STATIONERYと京都草木染研究所は立地的にもご近所の間柄。

同じ染め文化の町に生きる者同士、森内さんは前作の開発段階から、高橋さんにこんな話をするようになりました。

「どうせなら、いつか草木染めに使う天然染料でインクを作りたいですね」

京都の染織業界で、職人たちからも頼りにされる「色」のスペシャリスト高橋さんの、最初の反応はしかし、「難しい」でした。

草木染め研究のスペシャリスト、高橋誠一郎

「洗濯機が家庭に普及してから、日本の染め物は洗っても色落ちしない合成染料主流にガラリと変わりました。

その中で付加価値を出すために『天然染料で染めたい』という相談はたくさんいただくのですが、色の持ち具合や発色の良さでは、合成染料に負けてしまいますからね」

tag stationary 草木染めの万年筆インク「文染」

「使用にかなう天然染料の研究は、40年、50年とずっと続けて来ました」

高橋さんの著書
高橋さんの著書
見せていただいた倉庫には膨大な色の「素」が
見せていただいた倉庫には膨大な色の「素」が

定年となる年齢を越えても、周囲の要望から研究を続けてきた高橋さん。今でも常時、20種類以上の染料の開発を同時進行で手がけているそう。

高橋さん

しかし、長年の取り組みの中でも、紙に着色させる草木染めのインク開発は研究者として初めてのことでした。

tag stationary 草木染めの万年筆インク「文染」

「天然染料で作るインク」がなぜ難しいのか?

草木染めに使う天然染料のほとんどは、そのままでは透明に近い色。

通常の染織は、生地に浸した液体の染料を化学反応で水に溶けない性質に変化させ、繊維に固着させることで色をつけます。

tag stationary 草木染めの万年筆インク「文染」

しかしインクは、液体でなければ使えない。しかも紙の上で、天然の成分が長期間、色褪せずに持つだろうか。

高橋さんの研究ノート
高橋さんの研究ノート

液体のまま着色させる染めノウハウもあるものの、液が強い酸性になるため、きっと万年筆のペン先を痛めてしまう。

「これは全く新しい技術開発になる」

染めを熟知する高橋さんだからこそ、「天然染料で作るインク」の難しさが見えていました。

「でも技術者として、相談を受けたら何でもやりたいほう。難しくても、ニーズがあるのならつい、やってしまう性格なんです」

高橋誠一郎さん

いつか、どこかから相談が来た時にはすぐ応えられるよう、日々の研究で得たノウハウは常にストックし、一番最初に依頼に来た人にだけ、ふさわしいアイデアを提供することにしています。

「難しい。でも、チャレンジしてみようか」

tag stationary 草木染めの万年筆インク「文染」

こうして、それまで誰も成功したことのない「草木染めの万年筆インク」の開発が始まりました。

大事にした2つのこと

目の前の難題に対して高橋さんが決めたのは、大きく2つのことでした。

ひとつは、しっかり色がでる素材を使うこと。

tag stationary
tag stationary 文染

もうひとつは、筆圧によってインクの色合いが変わるような調合をすること。

文染イメージ

「色の再現だけなら合成染料でもできてしまいます。でも、このインクは天然“風”でなく、本物の植物素材を使っていることに価値がある。

機能性だけを求めない、こういう詩的なものをせっかく作るんだから、何かインクの書き味にも個性を持たせたいなと思いました。

それで、ちょうど筆のように書いた人の筆圧が相手に伝わるインクに出来ればいいなと。濃淡による色差や、彩度の差が大きくでるような混色を意識しました」

高橋さんの研究ノート
混色の見本帳
混色の見本帳

草花、石、樹皮、キノコ、トンボにカタツムリまで。何千という原材料を、高橋さんは自らの足で全国に採取しに行きます。

墨や
墨や
岩に含まれる鉱物も、貴重な色の素です
岩に含まれる鉱物も、貴重な色の素です

そうした山谷海あらゆる選択肢の中から目利きした素材に、少しの化学の力を加えて生まれたのが「藍」「葉緑」「梔子 (クチナシ) 」「地衣」の4つの草木染めインクです。

tag stationary 文染

草木染めの万年筆インク「文染」の4色

文染 01藍

「藍は藍染の藍ですね。もとは水に溶けない顔料なんですが、それをちょっとだけ、化学反応させて。水に溶ける形に変えたんです」

淡い水色から藍ならではの深い青さまで、筆圧によっても美しい青のグラデーションが楽しめます。

葉緑 (はみどり)

文染 02葉緑

「これは葉緑素そのものです。例えばほうれん草の緑ですね。

でもほうれん草を煮ても、煮汁はほとんどグリーンにならないですよね。葉緑素は水に溶けない油性の染料なんです。

それを、アルカリで処理して不純物を取り除いて、液にしたものです」

ことも無げに語られますが、業界では退色しやすいことで知られる染料だそう。それを「まぁなんとか、いろいろやって」高橋さんは美しい緑色のインクを生み出しました。

梔子 (クチナシ)

文染03 梔子

「黄色は、クチナシの実ですね。昔から、料理にたくさん使われています。

栗きんとんの色はクチナシの実で染めているんですよ。年末になると料理人の方がよく、染料を買いに来られます」

地衣 (ちい)

文染04 地衣

最後に、あまり聞きなれない「地衣」。深い紫色をしています。

「これは実際に素材をご覧になった方がいいですよ。元はこんな姿なんだって、びっくりすると思います」

そう語るのは、3人目の仕掛け人、綾 利洋さん。

綾さん

代表を務める京都のデザイン事務所o-lab inc.が、今回の万年筆インクのデザインを森内さんから一任されました。

「地衣って、菌類なんですよ」

乾燥させた地衣
乾燥させた地衣

「古い石垣とかに、アザみたいに薄いグリーンのもの、ついてたりしますよね。それから松や梅の木、桜なんかにべちゃっとついている緑色のもの。あれが地衣です。

なんせ、変わってます。菌糸の間に、藻類の細胞が入っている。お互い全然違う生き物同士が、自然界でうまく巡り合って、地衣という特別な生物になっているんですよ」

それが、こんな鮮やかな紫に。デザインに当たって高橋さんのラボを訪れた時、綾さんはこの天然素材の世界に衝撃を受けたと言います。

デザインを手がけたのは、元・有機化学者

「私自身が実は大学院まで、有機化学の研究をしていたんです。ラボに伺った時は、その頃の面白さが蘇るようで。

こうした自然界にある菌類が、化学反応によって鮮やかな紫色になる。すごく楽しい実験という感覚を覚えました」

綾さん

「だからパッケージも、コスメティックにきれいな形にするのとは今回は違うかなと。

感情に訴えかけるような、植物の知的な実験、というテーマが浮かんできました」

主役はインクそのもの、という思いから、ボトルを入れるのはシンプルな白の紙箱。

文染

商品の取り扱い説明書は人工的な印象になるので入れない。代わりに箱の内側に、必要な情報を記しました。

文染

「箱のフタを引き上げると、そこに情報の花がパッと咲くみたいに」

綾さん
tag stationary 文染

ラボを訪れた際も、「これは何ですか?」と新しい素材について話が盛り上がる3人。

tag stationary 文染
tag stationary 文染
tag stationary 文染

「今度は赤いインクも作りたいんですけどね、これが難しくて‥‥」

と高橋さんが語るように、日本初の草木染めの万年筆インクは、まだ4色が出たばかり。

ボトルの数字が、続くNo.5、6‥‥を期待させます
ボトルの数字が、続くNo.5、6‥‥を期待させます

3人の楽しい実験は、まだまだ続きます。

<掲載商品>
「文染」 (TAG STATIONERY)

tag stationary 文染

<取材協力>
文具店TAG 寺町三条店
京都府京都市中京区天性寺前町523-2
075-223-1370
(営業時間:10:00~19:00)
https://store.tagstationery.kyoto/

文:尾島可奈子
写真:木村正史

*こちらは、2019年4月4日の記事を再編集して公開しました。

【デザイナーが話したくなる】セミフォーマル ラップパンツ

特別な場所にも着ていくけれど、1年に1回着るか着ないかというよりも、
仕事や友人との食事会など、キレイめな装いにも使える1着を作りたいという思いで
セミフォーマルのシリーズをデザインしている河田さん。

河田さん自身、最近スカートをだんだん穿かなくなってきたなと思うところが多く、今回のパンツスタイルが生まれました。

普段着慣れているものの延長で肩肘はらず楽しんで着ることができれば、もっと身近になるのでは。
全体的にきれいに見えて、体型もふんわりカバーしてくれるけど、スッキリとしている。
もちろん先に作ったブラウスに合わせた時にも、きれい見えるように。
いくつもの希望を盛り込むために試行錯誤しました。



シンプルな生地だけど、ヘンプを使った素材は少し光沢がある上品な仕上がり。
デザインのどこに華やかさをもたせるか、考えてできたのが大きく重なったドレープ。
このドレープがふんわりとやわらかな印象を与えながら、着用の際にはゆるやかなカーブが生地の表情を豊かにしています。
さらにこのドレープが気になる腰回りを、ふんわりとカバーしてくれる効果もあるんですよ。



裾に向かって少しだけ細くしているのですが、それだけでスッキリとした印象に。細身のパンツではないけれど、足元が引き締まって見えます。



セミフォーマルのシリーズですが、機会があるごとに手持ちの服と合わせてほしいと、シリーズ当初から河田さんから聞いていました。

今回のラップパンツだったら、どんなものがオススメですか?
カットソーとカーディガン、ブラウスにもニットにも合います。夏にノースリーブのカットソーでもきれいですね。
・・・ということは、だいたいの手持ちのものが大丈夫なのでは!

セミフォーマルというと入学式や卒業式、次に着るのは発表会かな、なんて思いながら、一度着たら次はいつ着るのだろうとクローゼットにしまってしまうのではなく、日常にも楽しめるパンツスタイルとして持っていたい1枚ができました。
 

丈夫なかばんを探して琵琶湖へ。工業資材から生まれた「高島帆布」の魅力

「Made In Japan」のタグを見て、その先の“産地”も知りたいな、と思うのは私だけだろうか。

作られている地域が自分の地元だったり馴染みのある場所だったりすると、一気に親近感が湧いてくるものだ。そして「なぜその地域で作ることになったのか?」というものづくりの背景を追ってみると、その地域の風土や歴史が分かるからおもしろい。

たとえば、今回紹介する“高島帆布”。その特徴である「丈夫さ」は、産地の降水量の多さと冬の寒さが関係している。

高島市が織物の産地になった訳

滋賀県北西部に位置する高島市は、古くから織物の産地として知られてきた。

その所以は、わが国最大の淡水湖・琵琶湖と、さまざまな気象条件によって生まれる特異な気候にある。

この地域は「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉があるほど、とにかく雨の日が多い。日本海側の若狭湾から吹く季節風が比良山にぶつかり雲が低く立ち込める。そこに雨雲が発生しやすく、「高島しぐれ」と呼ばれる霧のような雨が多く降る。1年を通して湿度が高く、この湿度こそが製糸業にとっては抜群の作業環境といえる。

湿度の高さは糸を撚ったり(よったり)織ったりする際の糸切れを防いでくれる。高島は撚糸(ねんし)業を専門とする業者も残っており、強い撚りをかけた強撚糸(きょうねんいと)を使用した「高島ちぢみ」の産地でもある。

そんな高島で古くから生産されてきたのが「高島帆布」。工業用帆布として使われており、一般向けのアパレル製品をあまり作ってこなかったせいか、知っている人もまだ少ないかもしれない。

江戸時代、琵琶湖を往来する船の帆に用いられていたほど強度に優れ、あらゆる工業用製品の資材として重宝された。戦時中はなんと水汲み用のバケツとして使用されていたという。

高島帆布の生地

かつて綿帆布に定められていた厳格なJIS規格もクリアし、1997年に廃止となった今でもその規格に準じた生産を続けている。

高島特有の気候が、特に厚手で耐久性のある高島帆布を生み出しているのだ。

工業用資材からファッションアイテムへ

そんな帆布の強度を生かし、オリジナルのかばんを制作するのが「kii工房」。

丈夫な生地を生かしたラインナップと、どんなファッションにも取り入れやすいシンプルなデザインが人気だ。

白い帆布かばん
厚手で大きめの帆布かばんは旅行やピクニックなどのおでかけにも大活躍。丈夫なので型崩れしにくく、マチも広いのでたっぷり荷物を詰め込める
荷物を入れていなくても独立するほどしっかりした素材。カラーもホワイト、イエロー、レッド、カーキなど、さまざまなコーディネートに合わせたくなるバリエーションが揃う。
荷物を入れていなくても独立するほどしっかりした素材。カラーもホワイト、イエロー、レッド、カーキなど、さまざまなコーディネートに合わせたくなるバリエーションが揃う
ピクニックでの使用例
赤い帆布かばん

リスタートに何気なく選んだ、織物の郷

代表の來住(きし)弘之さんは、24年前、奥さんの恵美子さんとともにkii工房を立ち上げた。

元々大阪でかばんのサンプルづくりをしていたが、田舎暮らしに憧れ心機一転縁もゆかりもない滋賀県へと家族五人で移り住んだ。それが偶然にも、帆布の産地である高島だった。

平成7年にkii工房を立ち上げた弘之さん
平成7年にkii工房を立ち上げた弘之さん

自分のオリジナル商品で勝負したいと考えていた弘之さんは、早速高島帆布を使ったかばんの製造に着手する。しかし、現実はそう甘くはなかった。

「最初は京都や新旭の駅前にも店を出しましたが、これがうまくいかなくて。」

百貨店への営業も積極的に行ったが、売れ行きはいまひとつ。そこで弘之さんは、一度自分の商品を見つめ直すことになる。

高島帆布の魅力とは何か

來住(きし)弘之さん

「昔はファスナーなどいろんな飾りをつけてみたり、色や柄を多用したり、凝ったデザインのものばかり作っていたんです。

そこから基本に立ち返り、良い素材を使っていかにシンプルに作るかだけを考えました。」

さまざまな要素を極限までそぎ落としたデザインを追求。持ち手を牛ヌメ革に変え、必要最小限のポケットをつけた。商品を作りだして、14年目の方向転換だった。

「kii」のロゴがはいったかばん

本来、高島帆布の魅力は「厚くて丈夫」な生地にある。そこに飾りは必要なく、シンプルであればあるほど、その特徴は際立つのだ。

そこからじわじわと人気を集め、着実に売れ行きは伸びていった。

糸を先に染めてから織る「先染め」での技法でチェックなどの柄を作り出す商品も。
糸を先に染めてから織る「先染め」での技法でチェックなどの柄を作り出す商品も

全国行脚して対面販売

kii工房は12~3年前から、イベントにも積極的に参加している。北海道から九州まで、全国の手づくり市やクラフトフェアに出展するため、月に1~2回は遠征へ出かけているという。

製作風景
革ひもなどの素材

「対面販売が基本だと思っています。実際に見て、この生地に触ってもらいたいんです。」

kii工房代表の來住(きし)弘之さん

「青森や福島へも毎年出展していますけど、お客さんが覚えていてくれたりして。だから次の年には、定番に加え新商品も少しだけ持っていくようにしています。」

人とのやりとりを大事にし、10年以上も全国行脚を続けている弘之さん。そうしてファンやリピーターを増やし、ブランドを着実に育ててきた。

等身大で、最大限のものを作る

工房は弘之さん夫妻の自宅の2階。ここへ毎日、近くに住む長女とその旦那さんがやってきて一緒に作業をする。さらに少し離れたところでは、長女夫妻が作業をしているという。

そう、kii工房の商品はすべて家族7人の手作業だけで作られているのだ。

工房内での製作風景
ミシンを使った製作風景

「子供たちには忙しい時期だけ、ちょっと手伝ってもらうはずが‥‥(笑)」と弘之さん。
今や長男や娘もその婿も、立派な職人だ。

お婿さんの作業風景

サイズ違いや色違いなどを合わせると、商品点数は今や200近くにのぼる。

新しい商品のアイデアや、形や色、ロゴの付け方などのデザインは家族みんなで出し合って決める。外注のデザイナーに頼んだことは一度もない。

工房での制作、全国への出店、長浜にある実店舗の店番と、家族それぞれがすべてのパートをこなしながら、kii工房を支えている。

弘之さん、美恵子さん夫妻と娘夫妻
弘之さん、恵美子さん夫妻と長男、娘夫妻

商品の魅力はその手頃さにもある。商品の平均単価は6000円弱。

まずはお客さんに実際に使ってもらい、その感触を確かめてほしいと、良心価格で提供する。

「良いものを作っても、売れなければそれはただの自己満足。凝ったデザインにしたくなるのをグッと抑えて、この価格帯でできる最大限のものを作っています。」

代表の來住(きし)弘之さん

本当に良いものを多くの人に届けるために、何を捨て何をすべきか。

その答えは、とてもシンプルだった。

 

<取材協力>
kii工房
滋賀県長浜市元浜町21-38(店舗)
kiikoubou@kym.biglobe.ne.jp

文:佐藤桂子
写真:桂秀也

老舗「あかしや」で真剣な筆選び。空海ゆかりの「奈良筆」で新年を迎える

お正月には書を見ることが多くなりますね。

筆で書かれた年賀状は、目を引きます。

日本の文化を感じるし、何より美しく、かっこいい。

自分もこんな年賀状が送れたらと憧れますし、書いた人に尊敬の念すら抱いてしまいます。

正月行事には「書き初め」もあります。

新年の抱負を、思いを込めて書く。PCやスマートフォンに打ち込むより、決意も覚悟もずっと深く、筆が表してくれそうです。

大人のたしなみとして、筆を持ってみたい。

いつかはと願うなら、それは年の改まる今かもしれません。

「“弘法は筆を選ばず”と言いますが、それは超名人の空海さん(弘法大師)ならでは。良い筆を選ぶと書が楽しくなりますよ」と語るのは、奈良筆のトップメーカー、「あかしや」の代表取締役社長、水谷豊さんです。

株式会社あかしやの代表取締役 水谷豊さん
株式会社あかしやの代表取締役 水谷豊さん

筆発祥の地で伝わる奈良筆とは

筆は飛鳥時代に中国から奈良に伝来し、作られるようになったのは平安時代。

製法を唐から奈良へ持ち帰ったのは、空海と伝わります。

代々多くの筆匠が、発祥の地で奈良筆ならではの伝統の技を磨き上げてきました。

あかしやは創業300年以上。もとは「南都七大寺」に仕える筆司(筆職人)の家でした。

奈良市に本社を構える
奈良市に本社を構える

南都七大寺とは東大寺や興福寺など、奈良(南都)で大きな勢力を持っていた寺のこと。

その筆司であるということは、はるか昔から筆のトップメーカーであったということです。

江戸中期には筆問屋として看板を上げた、老舗中の老舗です。

そのあかしやが作る奈良筆とは、日本の筆の起源にさかのぼる、国指定の伝統的工芸品です。

動物の毛を丹念に練り混ぜて

奈良筆の最大の特色は、丹念な練り混ぜ技法にあるとされています。

毛は1本1本が異なるため、筆作りに機械は使いません。

規格品を作るには、熟練した匠の手技が必要となるのです。

筆匠は高度な技で、リスやムササビ、イタチにタヌキやヒツジなど9種類にもおよぶ動物の毛を、巧みに組み合わせていきます。

たとえばリスは筆のすべりを良くし、運筆を助けるもの。イタチは柔らかで弾力があり、筆先に鋭さと粘りを兼ね備えます。

そんな個体ごとの特性から長所を引き出し、修正を繰り返し、練り混ぜることで弾力を与え、絶妙の穂先を持つ1本に仕上げるのです。

練り混ぜの作業。重ね合わせた毛をむらのないように練り合わせていく
練り混ぜの作業。重ね合わせた毛をむらのないように練り合わせていく

その技がよく分かるのが、水谷さんが「奈良筆の代表選手です」と胸を張る「円転自在」という筆です。

奈良筆
円転自在

筆には写経用、かな用、漢字用があり、さらに漢字には楷書用、草書用、行書用の三体があり、それぞれに用途も使命も異なります。

ところが「円転自在」は、五役すべてを兼ねるもの。

「練り混ぜを究め、自在に弾力を与えることで、オールマイティに使うことができるのです」

奈良筆と遊べるショールームへ

そんな「奈良筆の魅力を知ってもらいたい」と本社に併設されたショールームにお邪魔しました。

明るいショールームには、筆をはじめ、化粧筆などのオリジナル商品も多数並ぶ
明るいショールームには、筆をはじめ、化粧筆などのオリジナル商品も多数並ぶ

場所は歴史を感じさせる平城宮跡(大内裏)の近く。奈良時代の都、平城京があったところです。

「筆と遊んでもらいたい」

ここでは販売する筆の全てを見て、試して、相談して。好みの1本を選ぶことができます。

プロの書道家が選ぶハイクラスな筆から初心者向けまで。姿かたちも様々な筆が勢ぞろい。

1本あれば便利な筆ペンや、道具を吟味した「大人の書道セット」も取り揃え、筆を手にしたい人の様々な思いをかなえます。

奈良筆の歴史も学べるコーナーや、筆匠による実演見学や筆づくり体験も。

良い筆は、コシが強く穂先がよくまとまり、ストレスなく筆がすっと伸びるもの。

「筆は難しいという思いが変わります。“奈良筆体験”をして、書の喜びを知ってください」

筆のコストは原料半分、人件費半分と言われます。

同社は中国に業界初の生産拠点を築き、動物ごと、部位ごとの毛を現地で直に買い付け。高品質の毛を安定価格で仕入れる独自の仕組みを持ちます。

「コストダウンをした分、第一級の腕の良い職人さんを揃えることができ、とっておきの奈良筆を作ることができるのです」

ショールームの一番奥で作業する筆職人。間近で筆作りを拝見できる

老舗だから新しく

老舗だから新しく。これが300年間奈良筆のトップメーカーであり続けるあかしやの社風です。

筆に水を含ませると色が出る、画期的な水彩毛筆ペン「彩」を開発したのもその一つ。

水彩毛筆ペン「彩」
水彩毛筆ペン「彩」

日本の伝統色を本格的な筆で描くことができるもの。

絵手紙はもちろん、お礼状やカード、年賀状にも活躍しそうです。

「国内だけでなくヨーロッパでも好評いただいています。先のとがった筆の文化は西洋にはなく、しかも色の出る筆ペンは珍しい。中国やアジア諸国でも、これまでにない新しい筆だと喜ばれています」と水谷さん。

新商品誕生の裏には「使いやすく楽しくなければ、筆の文化は後の世に続かない」という思いがあります。

「奈良筆の伝統を守り継ぐためにも、今の時代に進化したニュー奈良筆を作りたい」

これからも、あかしやの挑戦は続きます。

新たな年に筆と仲良くなることができるでしょうか。奈良筆が頼もしい味方になってくれそうです。

<取材協力>
株式会社あかしや
奈良県奈良市南新町78番1号

0742-33-6181

http://www.akashiya-fude.co.jp


<企画展のお知らせ>

奈良の一刀彫をはじめ、筆や墨を展示販売される企画展が開催されます。

企画展「奈良の一刀彫と筆」

日時:12月18日(水)〜1月14日(火)*1月1日(水・祝)は休ませていただきます
開催場所:「大和路 暮らしの間」 (中川政七商店 近鉄百貨店奈良店内)
https://www.d-kintetsu.co.jp/store/nara/yamatoji/shop/index02.html

大和路

*企画展の開催場所「大和路 暮らしの間」について

中川政七商店 近鉄百貨店奈良店内にある「大和路 暮らしの間」では、奈良らしい商品を取り揃え、月替わりの企画展で注目のアイテムを紹介しています。

伝統を守り伝えながら、作り手が積み重ねる時代時代の「新しい挑戦」。

ものづくりの背景を知ると、作り手の想いや、ハッとする気づきに出会う瞬間があります。

「大和路 暮らしの間」では、長い歴史と豊かな自然が共存する奈良で、そんな伝統と挑戦の間に生まれた暮らしに寄り添う品々を、作り手の想いとともにお届けします。

この連載では、企画展に合わせて毎月ひとつ、奈良生まれの暮らしのアイテムをお届け。

次回は、「大和高原のお茶」の企画展より「茶園」の記事をお届けします。

文:園城和子、徳永祐巳子
写真:中井秀彦、北尾篤司

「こぼれない出前そば」を支えるマルシン出前機、日本唯一の技術とは

全国で唯一となった出前機の製造販売を手がける「マルシン」

あっという間に年末も近づいてきました。

年越しそばを出前する方もいるのではないでしょうか。

そばの出前というと、バイクで運ばれてくることが多いですが、つゆがこぼれずに届きますよね。

これ、ごく当たり前になっていますが、改めて考えてみるとすごいことだと思いませんか?

バイクに揺られても、なぜこぼれないのか。

その秘密は、この出前機です。

マルシン出前機

街のお蕎麦やさんのバイクに乗っている、あれです。

昭和30年代に開発され、日本の高度成長期に活躍した出前機。かつては3社で作られていましたが、現在は1社となりました。

開発から50年以上、出前機の製造・販売を手がけるマルシンを訪ねました。

つゆがこぼれないことが絶対条件

府中市にある株式会社大東京綜合卸売センター。

マルシン出前機

その一角に、業務用の調理道具を扱うお店「マルシン」があります。

マルシン出前機

ここで販売しているのが「マルシン出前機」です。

マルシン出前機

株式会社マルシンの代表、森谷庸一さんにお話を聞きました。

「うちは、昭和40年頃から作っています。私も生まれる前の話なので、詳しい開発経緯はわからないのですが、最初に作ったのはエビス麺機製作所というところです」

エビス麺機製作所の出前機が開発されたのは昭和30年代前半。とある日本蕎麦屋さんが考案し、商品化されたそうです。

「うちは出前機の製造販売からはじめて、だんだん他の調理道具を扱うようになって、今の形になりました」

出前機の製造は、創業時から変わらず群馬県にある協力工場で行われています。

「部品はいろんな工場で作っているので、それを群馬に集約し、溶接と組み立てをして、こちらで出荷しています」

マルシン出前機
お店ではパーツだけの販売もしている

販売当初からこれまで、大きなモデルチェンジはないそうです。

「素材を見直して新しくしたパーツもありますが、色も形も構造も変わっていません。それだけ優れてもいるんでしょうが、そもそも完成しないと商品にならなかったってことなんでしょう。今も変わっていないのは、手を加える必要がないのだと思います」

ちなみに、エビス出前機も構造は同じだそうです。

全国どこでもこの出前機を使っているのでしょうか?

「南は沖縄までありますが、北は仙台より上からの注文はほとんどないんです」

寒い地域では冷めてしまうからか、出前は車で運ばれてくることが多いようです。

シンプルながら優れた構造

では、どうしてつゆがこぼれないのでしょうか。

こちらはカタログにある出前機の構造です。

マルシン出前機
注:古い型のため、背当シートなどない部品もあります

要となるのは、厚くて弾力性のあるゴムでできた空気バネの部分。

「今でいうエアーサスペンションですね」

マルシン出前機
マルシン出前機
特許も取得した優れもの

バイクが走行中に揺れてもバネで緩和され、荷台は振り子のように水平に動いて傾かないようになっています。

マルシン出前機
出前機を斜めにしても荷台は水平が保たれる
マルシン出前機
バネが伸び縮みして揺れを吸収
マルシン出前機

すごいシンプルな構造!

「説明すると、みなさんそうおっしゃいますね。もっとすごい構造かなと思われていらっしゃるんですけど」

もう一つ大事なのが丼を上から押さえる荷台部分。

マルシン出前機

中央にあるスプリングの働きによって、程よい力で上から丼を押さえ、左右の揺れを防ぎます。

マルシン出前機

「どの部分も大事ですね。どこか1個が欠けても商品として成り立ちません」

出前機がオリンピックの聖火を運んだ!?

構造の優秀さがわかるエピソードがあります。なんと、1972年の「札幌オリンピック冬季大会」の時に、聖火を運んだのです!

マルシン出前機

「聖火ランナーが持つものとは別に、予備の聖火を運んだみたいですね。1964年の東京オリンピックではエビスさんの出前機で運んだようです」

予備とはいえ、万が一に備える大事な聖火。伴走する車で運ぶよりも安全だと判断されたのかもしれません。

日本の食文化を支えてきた

現在、販売されているマルシン出前機は4種類。

日本そば屋や一般食堂用の1型。寿司店など岡持桶を使う2型。

マルシン出前機
(カタログより)

中華料理などアルミ出前箱を乗せられる3型。自転車用の小さな5型。

マルシン出前機
(カタログより)

運ぶものによって使い分けることができるので、出前をするお店は重宝しますね。

「開発当初はそんなに売れてなかったみたいですが、昭和40年代、高度成長期になって売れ始めたと聞いています」

生活が豊かになり、仕事も忙しくなると、仕事先や自宅で出前をとる人も多くなる。

それまでは、自転車で肩にいくつもせいろを重ねて運んでいたことを考えると、画期的な開発であり、考案したのがお蕎麦やさんというのもわかる気がします。

しかし、その後、出前機に転機が訪れます。

「1970年の大阪万博の時、ファーストフード店が初登場したんです」

同時期にファミリーレストラン、コンビニが登場。

「それまで、出前でお蕎麦やカツ丼を食べてた人たちが、ファーストフード店やファミレスに行くようになって、日本の食文化が変わってきたんです」

マルシン出前機

出前が少なくり、出前機の需要も低迷する中、今度は新しくデリバリーピザが登場。

「ピザができるならと、いろんな食品の宅配がはじまると、出前機を使わないと運べないというお店もあって、また出前機が出るようになりましたね」

それでも出前機の需要はかつてほどなくなり、製造する会社もマルシンさんだけになってしまいました。

「街のお蕎麦屋さんも減ってきましたよね。あったとしても立ち食い蕎麦屋とか。昔から街に馴染んでるようなお蕎麦やさんで、今も一軒で5台使ってくださってるところもありますけど、全体としては少なくなりましたね」

革新的な発明だった

高度成長期からこれまで、日本の食文化の変化とともに活躍してきた出前機。

お蕎麦屋さんが必要としなければ誕生しなかったのでしょうか。

「どうなんでしょうね。道具というのは、これがあったら便利だなというところから始まっている気がするので、それと同じじゃないんですかね」

マルシン出前機

それまで手で運んでいたところから、出前機ができる。

「すごいですよね。洗濯板から洗濯機ができるぐらい革新的なものだったんじゃないですかね」

この先、出前機はどのようになっていくのでしょうか。

「作っているところはうちだけになってしまったので、出前機を必要としている方がいる以上は、なるべく長く作り続けたい、販売し続けたいですね。これでずっと生活させてもらってきたわけですから、続けていかなきゃなと思っています」

マルシン出前機
お話を伺った森谷庸一さん

街で出前機を乗せたバイクを見かけたら、ぜひ美しく滑らかな動きに注目してください。

実際に見ると感動すること請け合いです。

<取材協力>
株式会社 マルシン
東京都府中市矢崎町4-1大東京綜合卸売センター第3通路東側
042-364-0933

文・写真 : 坂田未希子

*こちらは、2018年12月29日の記事を再編集して公開しました。