瀬戸「招き猫ミュージアム」で知る、招き猫の意味と楽しみ方。お金招きはなぜ右手?

焼きもので有名な愛知県瀬戸に、日本最大の招き猫専門博物館があると耳にしました。その名も「招き猫ミュージアム」。

そもそも身近にありすぎて、その由来や付き合い方を意外と知らない招き猫。ミュージアムを訪ねて、その魅力を探ってきました。

器だけじゃない。招き猫の街・瀬戸へ

名古屋から私鉄で1時間ほどのところにある愛知県、瀬戸市。言わずと知れた焼きものの街ですが、ミュージアムの存在を知るまで招き猫のイメージは持っていませんでした。

瀬戸は陶器と磁器両方の産地。手前は磁器の破片を手すりにあしらった橋、奥は陶器作りの工程が描かれたタイル絵が続く陶橋。
瀬戸は陶器と磁器両方の産地。手前は磁器の破片を手すりにあしらった橋、奥は陶器作りの工程が描かれたタイル絵が続く橋
川沿いには器を売るお店がずらり。
川沿いには器を売るお店がずらり
街の中にも、焼きものの気配。
街の中にも、焼きものの気配
マンホールの蓋にも瀬戸らしさ。
マンホールの蓋にも瀬戸らしさ

 

実は瀬戸はかつて人形や鳥などを゙精密に表現したセト・ノベルティと呼ばれる海外輸出向けの置物を多く生産していた街。その元祖が招き猫だったそうです。

歴史は明治30年代から始まりおよそ100年。2005年にオープンしたというミュージアムは、洋風文化が入ってきた当時をイメージしたという和洋折衷の外観でした。

尾張瀬戸駅から歩いて10分ほど、本日お話を伺う、招き猫ミュージアムに到着です!
尾張瀬戸駅から歩いて10分ほど、本日お話を伺う、招き猫ミュージアムに到着です!

案内いただく井上さん、鈴木さんに続いて展示フロアの2階へ向かうと、様々な出で立ちの招き猫たちが、右手をあげ左手をあげ、お出迎え。‥‥すごい数です。

階段を昇ると、そこには…
階段を昇ると、そこには‥‥
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「ここには日本中から集めてきた招き猫がおよそ5000点、収蔵されています。日本で最大規模の招き猫専門博物館なんですよ」

5000点!一体どうやってこれだけの数を集めたのでしょう?

「実は全て、板東寛司さん、荒川千尋さんというご夫妻が個人で集められたコレクションなんです。元は群馬県の嬬恋にコレクションを展示するミュージアムがあったのですが、冬は豪雪地帯で、来られる方も限られていたのですね。

すると来たお客さんがみなさん、『もっとたくさんの人に見てもらった方が良い』と仰られて。それで元々招き猫づくり発祥の地であったわが町にぜひ、と移転先として手を上げました。運営している私たちは中外陶園という地元の焼きものメーカーです。日本で一番多く招き猫を作っているんですよ」

メーカーさんが運営している博物館というのも珍しいですね。ただ、正直に言うと、あまり瀬戸に「招き猫」のイメージがなかったのですが‥‥

「そうですよね。実は招き猫にも様々な変遷があって、時代や土地によってとっても表情豊かなんです。ひとつずつご紹介していきますね」

招き猫、お金招きはなぜ右手?

「招き猫は日本発祥の縁起物。江戸の町人文化の中から生まれました。浮世絵にも露天商が招き猫を売っている姿が描かれています。まず、右手、左手の違いはご存知ですか?右手がお金招き、左手が人招きの手ですね」

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「元々の招き猫は左手を上げていたそうです。そのうち右手上げも作られるようになり、当時人々は着物の左のたもとにお金を入れていたので、お金を出し入れをする右手を上げた招き猫をお金招きと呼ぶようになったようです」

なるほど。左右による意味の違いは後からできたんですね。

「発祥は諸説あるのですが、豪徳寺の白猫伝説は有名な話です。他にも浮雲伝説や金猫・銀猫など遊郭が舞台の話も多く、遊女がお客を手招きする姿を真似た、花街のお土産だったとも。

江戸の花街で遊んだ旦那衆が郷里の奥さんに申し訳ないからと、お土産に買って帰るのが流行り、それが全国に伝わるきっかけになったという説です」

招き猫発祥にまつわる逸話は様々あるそうですが、どれも「猫の恩返し」の話だと言います。そちらも調べてみると面白そうですね。

「縁起物のひとつとして京都伏見稲荷の門前で売られるようになると、全国から参拝に来た人々が郷里へのお土産に持ち帰り、次第に全国各地でも様々な招き猫が作られるようになったと言われています。北の方は、色彩が鮮やかなんですね。伏見の招き猫は、やはりきつね顔です」

岩手県・花巻の招き猫。鯛に乗って、おめでた尽くし
岩手県・花巻の招き猫。鯛に乗って、おめでた尽くし
珍しい伏見の子持ち招き猫。ついそちらに目がいってしまいますが、確かに顔はきつね顔です。すごい迫力
珍しい伏見の子持ち招き猫。ついそちらに目がいってしまいますが、確かに顔はきつね顔です。すごい迫力

「黒猫の招き猫は、黒が魔除けや厄除けの意味を持ったためです。羽織りを着ているものもあります。これは、猫を格上げさせるため」

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こちらも伏見人形の一種。座布団にも座って、人間のようです。
こちらも伏見人形の一種。座布団にも座って、人間のようです

「この三河系土人形は、背中が塗られていないでしょう。なぜだかわかりますか?これは『質素倹約、無駄なことはしない』という三河の人間の気質なんですね。わざわざ裏まで見る人は少ないですからね」

かわいいだけじゃなく…
かわいいだけじゃなく‥‥
ちらりと覗く背中に、産地の気質までわかってしまうとは。
ちらりと覗く背中に、産地の気質までわかってしまうとは

「これは養蚕の盛んな地域で作られた招き猫です」

土地の産業と結びついた、群馬の招き猫。いい顔です
土地の産業と結びついた、群馬の招き猫。いい顔です

「お蚕の繭をネズミが食べてしまうので、本当は養蚕農家さんは猫を飼いたいけれど、すべての家が飼えるわけではありません。

そこで張子の招き猫や猫の描かれた掛け軸を家に飾ることが、さかんに奨励されたそうです。養蚕で有名な群馬はだるまの産地でもありますから、だるまさんを抱えた招き猫もいますね」

地域ごとに、なんて個性豊かなのでしょう。ミュージアムには、何時間でも滞在して棚の前から離れない方もいらっしゃるそうですが、その気持ちもわかる気がします。

瀬戸の招き猫、一味違う表情は手探りの証

次はいよいよ瀬戸の招き猫のゾーン。ちょっと、よく見かける招き猫と雰囲気が違います。

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「伏見稲荷の門前で売られていた招き猫は、はじめひとつ一つ手作りでしたが、買い求める人が多くなると大量につくる必要から、石膏の型を使って焼きものを量産している瀬戸に白羽の矢が当たったそうです。

明治30年代頃でした。初めて作るものですから、一体どんなものか、はじめは手探りでのスタートです。

瀬戸の招き猫はスリムで猫背、より本物の猫に近い姿ですね。当時伏見稲荷の門前の商人から注文を受けたこともあってか、ちょっときつね顔で、伏見の招き猫に似ているでしょう」

確かに先ほど見た伏見のものに、面影が重なります。

「一方で、三河の土人形と古瀬戸招き猫の流れを組んでいるのがこちら。見覚えありませんか?」

招き猫3大産地

招き猫ミュージアム

あっ
これだ!いつも見慣れている招き猫。

「こちらは同じ愛知県、常滑の招き猫です。愛知県は招き猫の一大産地なんですよ。

常滑は、瀬戸の50年ほど後に招き猫づくりが広まりました。昭和20年代、常滑の主要産業だった土管が不況になってきた中で招き猫の新デザインを考案し量産したところ、そのデフォルメされた姿が人気になったのです。

それまで願掛けやお守りとしての縁起物だった招き猫が、高度経済成長とともに商売繁盛を願うアイテムとして日本中に広まり、現代まで招き猫の定番スタイルになりました。瀬戸型と常滑型、何が違うのかちょっと見比べてみましょう」

・瀬戸型

「瀬戸の招き猫の多くは磁器です。招き猫に欠かせない赤や金色の絵の具は一般的な1200℃の窯だと燃えて無くなってしまうので、750℃でもう一回焼いています。他にも色数が多いほど、焼く回数が増えていきます。

鈴は複数ありますね。前掛けにはひだがあります。手の上げ方が控えめなのも特徴です。焼く工程に手間がかかる分、価格も高くなります」

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・常滑型

「対して常滑の招き猫は陶器です。常滑の土は赤いので、まず最初に全体を白く塗って、その上から絵付けをしていきます。もうひとつ、それまで首についていた鈴が、小判に変化しました。今では招き猫の定番スタイルですね」

はじめは鈴の代わりだった小判(一番右)が、次第に手に持つように
はじめは鈴の代わりだった小判(一番右)が、次第に手に持つように

見れば見るほど違いが浮かび上がってきます。時と場所が変わると、こんなに違うのですね。

両者を見比べていくと、常滑は「ザ・招き猫」なスタイルで一貫しているのに対して、瀬戸の方はちょっとずつ表情やポーズが違います。

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「瀬戸の土は粘り気があるのが特徴です。海外に輸出された『セトノベルティ』は、人形の服のひだや指先など、細かな表現に瀬戸の土が向いていたからこそ生まれました。いろいろな形を作れる分、招き猫にもこれ、という定型がないんです」

なるほど。ふたつの産地をじいっと見比べていると、「もうひとつ、招き猫の三大産地と言われる産地があるんですよ」と教えていただきました。

・九谷型

極彩色‥‥!今まで見たことがありません。
極彩色‥‥!今まで見たことがありません。

「あまり見たことがない姿でしょう。九谷焼の招き猫です。顔にまで模様が入っていてユニークですよね。オリエンタルな雰囲気が受けて、作られたものはほとんど輸出されたために、あまり国内で出回らなかったのですね。他と違って耳は横向きで鈴も横についています。

また、ちょっと変わった座り方をしていますね。九谷焼の土は焼く前と焼いた後では収縮率が大きいので、安定するようにこういう座り方をしているとか、テーブルスタンドにも使われていたようなので、土台になるようこういう格好になったなど、諸説あります。以前九谷の方に聞いてみたのですが、今となってはもうわからないとのことでした」

他にも展示室にはコレクター垂涎の珍しい招き猫を集めたコーナーや、毎年のように増えていくコレクションを少しでも多く見てもらえるようにと設けられた企画展コーナー、ゆかりのある神社などを紹介したスペースなど、日本全国で育まれてきた「招き猫」文化がギュギュッとワンフロアに濃縮されています。

アイドル顔です
アイドル顔です
なごむ‥‥
なごむ‥‥
珍しい海外の招き猫
珍しい海外の招き猫
全国にある、招き猫ゆかりの神社などを紹介するスペースも
全国にある、招き猫ゆかりの神社などを紹介するスペースも

「2Fが、これまでの『過去』の招き猫を集めたフロアだとしたら、1Fは『現在』と『未来』の招き猫のフロアです。

現代のねこもの作家さんの作品を展示、販売しています。その横で、招き猫の染付体験もできますから、ぜひ後でやってみてください」

未来とは、自分がこれから作る招き猫、の意味だったのですね。体験は後の楽しみにとっておいて、せっかく興味と理解の深まった招き猫、最後に暮らしの中での付き合い方を伺いました。

招き猫おすすめの飾り方とは

「飾るのは、テレビの上でも、玄関でもどこでもいいんです。大事なのは、目につくところに置くこと」

あ、そんなお話を、以前取材に伺った高崎だるまの職人さんのところでも伺いました。家に迎え入れた時の自分の決意や願いを忘れないように、いつでもそばに置くのが大切、と。

「招き猫が好きで、ご自分のコレクションを写真に撮って手製したカレンダーを、送ってくださった方もいらっしゃます。『本物の猫のように大切にしている』とのお話でした。

今は大変な猫人気ですが、お家の事情で飼えない方もいますよね。そういう方のために、最近はペットショップで招き猫が置かれることもあるようです」

確かに、飼いたいペットの代わりになって、さらに福も招き寄せてくれるなら、これほど良い相棒はないかもしれません。

「目が合っちゃったから連れて帰る、という人も多いですね。このコレクションを蒐集されてきたご夫妻も『目の合った子を連れて帰ったら、その子がまた次の子を連れて来てくれて、今ではこんなことに』と笑って話されていました。願いがかなったら、また違う子を家族に迎え入れてくださいね」

時代によりところにより、こんなにも個性豊かな招き猫たち。

自分からお気に入りを探しに行くもよし、ある時はたと目があう運命を待つもよし。みなさんお一人おひとりにぴったりの招き猫との出会いがありますように。

<取材協力>
招き猫ミュージアム
愛知県瀬戸市薬師町2番地
0561-21-0345
http://www.luckycat.ne.jp/


文・写真:尾島可奈子

【おまけ】招き猫の染付体験をやってみました

(おまけ1)最後に体験した招き猫の染付体験。通常の商品を作る窯の、空いたスペースを活用して焼くために、お値段も良心的。こちらは手のひらサイズの貯金箱600円。焼きあがった後、送料別途で送ってくれます。今から届くのが楽しみです。
(おまけ1)最後に体験した招き猫の染付体験。通常の商品を作る窯の、空いたスペースを活用して焼くために、お値段も良心的。こちらは手のひらサイズの貯金箱600円。焼きあがった後、送料別途で送ってくれます。今から届くのが楽しみです
(おまけ1-2)後日、無事届きました!
(おまけ1-2)後日、無事届きました!
(おまけ2)館内にはあらゆるところに「隠れ猫」がいます。ぜひ見つけてみてくださいね
(おまけ2)館内にはあらゆるところに「隠れ猫」がいます。ぜひ見つけてみてくださいね。
(おまけ3)この中にも、猫が‥‥
(おまけ3)この中にも、猫が‥‥

*こちらは、2017年2月26日の記事を再編集して公開いたしました。

<関連商品>

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工業デザイナー、秋岡芳夫が愛した工芸品とは。『いいもの ほしいもの』に見る暮らしのためのデザイン

こんにちは。細萱久美です。

仕事では、日本の工芸や食品など、生活に関わる商品の仕入れや、オリジナル商品の企画に携わっています。そんな仕事柄、工芸にまつわる情報にアンテナを張っていると、単純に面白かったり、素敵なので紹介したい本がたくさんあります。ここでは、工芸や、工芸のある生活が好きな方には、ご興味頂けそうな本を紹介していきたいと思います。

工業デザイナー秋岡芳夫『いいもの ほしいもの』

初回に紹介する本のタイトルは『いいもの ほしいもの』。1984年発行のいきなり絶版からで恐縮ですが、古本は比較的手に入ります。

著者の秋岡芳夫さんは、戦後日本の工業デザイン黎明期から90年代にかけて活躍した工業デザイナー。工業デザイナーでありながら、消費社会に疑問を投げかけ「暮らしのためのデザイン」を持論に、各地で手仕事やクラフト産業の育成にも尽力された方です。

秋岡さんの提唱していた「身度尺(しんどじゃく)」という概念が興味深く、人間の体の寸法に作ったものは使いやすいく、体の寸法や体のうごきに合わせてものを作ることを「“身度尺”で測って作る」と言い、しばしデザインに活かされていました。機能とデザインの両立は、中川政七商店のブランドコンセプトに通ずるものがあるので参考となる考え方です。

この本では、産業ロボット任せでは作れない、工芸による「いいもの ほしいもの」を蒐めています。

秋岡芳夫考案のロングセラー「あぐらのかける男の椅子」誕生秘話

例えば、漆のお椀。秋岡さんの考える工芸は、毎日使えるようなものを言います。漆椀も毎日使うので、秋岡さんの3年使ったお椀は1日あたりで計算すると9円だそう。しかも初めより艶が増し、まだまだ使えるのでかえって割安である、というお話。現代でも数字はそう変わりません。

他には関市の小さな工場で作られるポケットナイフ。工程の一部で機械を使うので、「機械で手づくり」です。このような工芸品は意外と多く、機械を手道具のように使いこなせるかは生き残りにおいても鍵。意識のめざめた現代の職人にしかやれないと秋岡さんは言っています。

そして、先ほどの身度尺の発想から生まれた椅子のお話も。

街の椅子と家の椅子には、違いが必要だと。日本では普通、家では靴を履かないのでその分座面高が街の椅子より低いべきで、しかも女性の身長に合わせた高さがなぜか男性にもしっくり。椅子の座は、低が高を兼ねる発見をしたとのことです。近い考えから生まれた「あぐらのかける男の椅子」は商品化されて今でも販売されています。

他にも30余りの工芸品が、職人やデザイナー、工場での手づくり、という観点から紹介されており、中には今では作られていないモノもありますが、いいモノ、気に入ったモノを大切に使おうという「消費者から愛用者へ」の秋岡さんの考えは、現代でも志向のひとつの主流となっているシンプルライフスタイルの参考になる本です。

<今回ご紹介した書籍>
『いいもの ほしいもの』
 秋岡芳夫/新潮社出版

<この連載は‥‥>
仕事柄、工芸にまつわる基礎知識から、商品のアイデアソースとなるモノ・コト・ヒトには常にアンテナを張っていると思います。

情報源は、製造現場や一般市場、ネットやSNS、自分や他人の生活そのものから見つかることもありますが、幅を広げる点で頼りにしているのは、本や雑誌などの紙媒体かもしれません。製造現場を知ることは深掘りするには欠かせませんが、幅広い知識や思想、イメージと言ったことを広げる作業には本がとても大事です。

アナログ人間なので紙が好きとも言えますが、ふと思い立った時にいつでも見返すことが出来る本は増える一方です。

仕事上で何らか影響を受けた本の中ではありますが、単純に面白かったり、素敵なので紹介したい本がたくさんあります。ここでは、工芸や、工芸のある生活が好きな方には、ご興味頂けそうな本を紹介していきたいと思います。

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。


文・写真:細萱久美

*こちらは、2017年2月21日の記事を再編集して公開いたしました。

尾道の“泊まれる”文化発信拠点「LOG」。昭和30年代の鉄筋アパートが新しい町の顔になるまで

銅製の網戸に映る夕日を眺める至福の時

昼訪れたら夜に。夜訪れたら昼に。また来たくなってしまうのが尾道にあるLOGのカフェ&バーだ。

尾道にあるLOGのカフェバー内観

明るい室内から尾道の街並みを眺めながらのティータイムもいいが、夜、わずかな街明かりを背にカウンターで静かに飲むひとときも心地いい。

「ぜひ、日が沈む頃にいらしてください。夕日が銅の網戸に反射して、すごくきれいなんです」というスタッフの言葉どおり、日が沈む数十分間はまるでシアター。ただ黙ってそこにいるだけで、映像を見ているような至福の時間を味わうことができる。

長い石段を上がっていくと息が切れる。それでも、あの場所に身を置きたいがために坂道をあがって通いたくなる。

LOGまでの道にある石階段

数時間を過ごすだけのカフェ&バーに魅了されるくらいなのだから、宿泊すれば、どうなることだろう。

LOGの宿泊スペース
LOGの宿泊スペース
LOGの宿泊スペース

白いベッドルーム、青いプライベートダイニング、緑のライブラリー‥‥と、部屋ごとに室内の色合いが変わる。和のようであり洋、洋のようであり和。

LOG内のインテリア

新しいようで懐かしい、不思議な調和が漂い、初めて訪れた場所なのに自然にくつろげる宿泊施設がLOGだ。

立派な門構えに、どんなお屋敷だろうかと門をくぐり進むと、そこには優しいピンク色の3階建ての建物が現れ、意外な取り合わせに驚く
立派な門構えに、どんなお屋敷だろうかと門をくぐり進むと、そこには優しいピンク色の3階建ての建物が現れ、意外な取り合わせに驚く

昭和30年代の鉄筋造りのアパートを再生

1963(昭和38)年に山の手エリアの中腹に建てられた鉄筋コンクリートの〈新道アパート〉をリノベーションし、宿泊施設としてよみがえらさせたのがLOGだ。

山の手エリアの中腹に建てられた鉄筋コンクリートの新道アパート
山の手エリアの中腹に建てられた鉄筋コンクリートの新道アパート

再生を手掛けたのは、〈ONOMICHI U2〉などを運営する地元企業のせとうちホールディングス (現ツネイシホールディングス)。ビジョイ・ジェイン氏が率いるインドの建築集団、スタジオ・ムンバイ・アーキテクツ (以下、スタジオ・ムンバイ) が建築の指揮を執った。

人の「手の力」を取り入れる─。大地からの素材を用い、人の手で空間を創り出すのがビジョイさんの建築の特徴だ。

LOGのプロジェクトでは、スタジオ・ムンバイとの共創を通じて、自然や景観への配慮はもちろん、過去から現在、そして未来を構想する視点で尾道のまちと調和する持続可能な場所づくりを進めてきた。

作家の手で生み出されたLOGならではの空間

1階にはレセプションとショップ、ダイニング、2階にはカフェ&バー、プライベートダイニング、ギャラリー、宿泊者専用の3階には6つの客室とライブラリーがある。

外階段
内観
宿泊者以外でも気軽に立ち寄れるショップ。尾道につながりのある土産品や工芸品が並ぶ
宿泊者以外でも気軽に立ち寄れるショップ。尾道につながりのある土産品やLOGで実際に使われている工芸品が並ぶ

客室 (広さ42平方メートル) は土間→寝室→縁側というしつらい。縁側の開放感溢れる大きな窓越しに尾道の街並みが広がる。

客室
客室から見える風景

ベッドルームの床、壁、天井に使われているのは和紙で、床にはガラスコーティングを施している。

張り巡らされた和紙は音を吸収するので、ベッドに横たわって交わす会話の声も穏やかに伝わり、心地よい。外光がやわらかく差す室内は、まるで繭の中にいるような安心感を覚える。

ベッドルームの床、壁、天井に使われているのは和紙で、ガラスコーティングを施している

こうした手漉きの和紙を使った内装を担当したのが和紙職人のハタノワタルさん。個展、展覧会を通じて京都・綾部の黒谷和紙の魅力を世界に発信しており、2007年に京もの認定工芸師に認定。ダイニングに置かれた壁と同色のテーブルやカフェ&バーのカウンターも和紙を貼ってつくられたものだ。

和紙にベンガラを塗ったカウンター
和紙にベンガラと漆を塗ったカウンター。暗い赤みを帯びた色合いが印象的

LOGを特徴づけるのが色。建物の外観からダイニング、ライブラリーなど室内の彩色を手掛けたのは、イギリスのカラーアーティスト、ムイルネ・ケイト・ディニーンさん。

様々な色見本

彼女は尾道に滞在し、LOGのメンバーと現場で色の検証を繰り返し、114色に及ぶカラーレシピをつくりあげた。

ライブラリーの壁の色に、向かいに見える島々の緑を思わせる、セージグリーンを選んだのも彼女だ。

庭の木々を思わせるグリーンの壁色

スタジオ・ムンバイにあるビジョイさんの書斎をイメージしてつくられた空間には、書棚に哲学、詩、動物、料理といった多彩なジャンルの書籍が並び、知の豊かさが漂う。

階段の壁にあるカラーモザイク。塗料にケミカル素材が含まれていることが分かり、使われることはなかった
階段の壁にあるカラーモザイク。塗料にケミカル素材が含まれていることが分かり、使われることはなかった

幾つもの苦境を乗り越えて

LOGが完成したのは2018年12月。

リノベーションを始めたのは2014年。実に5年の歳月をかけて完成している。

江戸後期から明治初期の歴史的建造物を宿泊施設として再生した〈せとうち 湊のやど〉が1年、〈ONOMICHI U2〉が1年半と、同社がこれまでに手掛けたプロジェクトに比べると随分と時間がかかっている。

「昭和30年代の建物ですから耐震補強などもされておらず、立地も車が入れない坂道にあるので資材を運ぶのも人力。

自分たちでできることは自分たちで、というスタンスでやってきましたが、工事にお金がかかり、資金面で苦しい時期もあり、実際に1年ほどプロジェクトがストップしていたこともありました」

LOGへ通じる石段の道
LOGへ通じる石段の道

とLOG支配人の吉田挙誠さんは振り返る。

LOG支配人の吉田挙誠さん

さらに、工期が終盤に差し掛かった時期に起きた2018年の西日本豪雨災害も影響した。10日間の断水で工事は止まり、家具が冠水して仕上げ作業は困難をきたした。幾多の困難を乗り越えて完成したのがLOGなのだ。

LOGのロゴマーク

尾道にランタンのような明かりをともす活動拠点として

LOGの原型となった〈新道アパート〉は尾道の山の手に建つ鉄筋コンクリートのアパートという新しさも手伝って、尾道の新婚夫婦の住まいとして人気があった。商店街の60代、70代の店主の中には新婚時代をアパートで過ごしたという人も少なくない。

新道アパートの様子
新道アパートの様子

LOGとは「Lantern Onomichi Garden」の意味。尾道にランタンのような明かりをともす活動拠点に、との思いが込められている。

「LOGには記録や航海日誌という意味もあるんです。尾道に残る古い町並み。その面影を大切にしながら今ある建物を再生し、年を積み重ね、過去、現在、未来をつなぎ、町と人をつなげていく取り組みがLOGのプロジェクト。

木が年月とともに成長し、年輪を重ねていくように、この地で重ねた歴史を記録し、次に進んでいく存在でありたい」と吉田さん。

LOG支配人の吉田挙誠さん

変わらず、手を止めず

人が住まなくなり廃墟のようになっていた鉄筋コンクリートの建物を、人の手で生まれ変わらせたプロジェクトは、建物の完成が終わりではなく、むしろ、これから。

LOG

建築物という「点」で尾道と人を結ぶのが同社の役割と吉田さん。

ここを拠点に人の交差、交流、賑わいをつくりだしていくことがLOGの目指すところだ。
住環境と観光ツーリズムの展開にはまだまだできることがある。

ビジョイさんの思いを「咀嚼する」

プロジェクトがスタートした当初は、ビジョイさんの「哲学」を咀嚼しプロジェクトメンバーとの意思疎通をはかるのに時間がかかった、という。

言葉ひとつとっても、英語の会話をただそのまま訳したのではスタッフや職人には伝わらない。

尾道で指揮を執るビジョイさんの思いを汲み取り、理解し、それを日本語に翻訳して伝える必要があり、英語に堪能なだけでは乗り越えられない難しさがあったという。

尾道滞在中のビジョイさんの通訳兼サポート係として、共に仕事をした小林紀子さんは、ビジョイさんの言葉を出来る限りまっすぐ伝えられるようにと、細かな言葉ひとつ確認を取りながら、対話を重ねてきたそうだ。

通訳兼サポート係として、共に仕事をした小林紀子さん

一方で、作業現場ではビジョイさん自ら職人とともに手を動かし、通訳を介さずにジェスチャーを交え、対話した。

こうして「なぜ、いいのか」「なぜ、悪いのか」を意見しあう中で、プロジェクトの焦点が定まってきた。ビジョイさんの思いを「咀嚼する」時間はかかったが、若いスタッフにはその時間と経験こそが財産になった、と吉田さんは言う。

LOG支配人の吉田挙誠さん

こうしてつくりあげてきたプロジェクトの軌跡をLOGでは、ギャラリーとして宿泊者向けに展示している。

LOGのギャラリー

荷物を抱え坂道を上り下りし、関係者と折衝し、意見を戦わせながらLOGをつくっていった時間はもう戻ってこない。

「汗しかかいてない」と振り返る吉田さんだが、その汗がしみついた素材サンプルや図面、スケッチを燃やさず残しておくことは、プロジェクトが前に進むための小さな「明かり」になるのではないだろうか。

LOG
LOG
LOG

スタジオ・ムンバイと重ねてきたプラクシス(実践・検証)の過程をともにしたスタッフや関係者ばかりではなく、ここを訪れた宿泊客にとっても。

尾道と人、尾道の人と尾道を訪れる人をつなぐ「グルー」に

私たちは“手をつなぐ係”だと、吉田さんは言う。

LOGのプロジェクトは、尾道に建つ古い建築物に、スタジオ・ムンバイをはじめとする国内外のクリエイターたちの手が加わり、その手はさらに建物をつくる職人やサービスを提供するスタッフへと広がり、幾つもの人の手が重なり、形づくられてきたものだ。

そして、今、この手はLOGを訪れた宿泊客へとつながり始めている。

以前LOGに1週間滞在した海外の陶芸家は、帰郷後にLOGをイメージした器を制作し、自国で展示会を開催したという。

こんなふうに、作家の手で創り出されたLOGの環境やしつらいが、今度はLOGを訪れた誰かの創作意欲をかき立て、新たな作品や文化を生み出す。

尾道という土地の魅力がLOGという空間とあいまって、そこを訪れた人の感性を刺激する。目には見えないが、LOGの存在が人の心に小さな明かりをともし始めている証ではないだろうか。

「坂道」「ノスタルジー」「人情」など、尾道を語る言葉は幾多あるが、それにとらわれず、でも、尾道という地に根を下ろしながら、LOGは新しい言葉で語られる場になろうとしている。

LOG

「人と人、人と尾道、尾道の人だけでなく尾道を訪れる人をつなぐ、グルー(のり)の役割を果たすのがLOG。そういう存在でありたいです」と吉田さん。

どこを見ても、どこから見ても洗練されたイメージの宿泊施設だが、LOGの魅力は、それだけではない。

体温。人のぬくもりを感じる心遣いが、そこここに垣間見れる。
取材中にも大きな枝を抱えたスタッフに通りかかった。

大きな枝を抱えたスタッフ

自宅の庭にある花や枝を切り、LOGの一室に飾る。LOGに飾るといいんじゃないか。お客様に喜んでもらえるのでは?

そんな気持ちで20代から70代の幅広い年齢のスタッフがLOGに通っているようだ。共通するのは、LOGを大事にしたいという思い。

人の手はあたたかい。人の手が加わったものも、またあたたかさや熱を帯びる。そんなことを感じるLOGの空間だった。

LOG

<取材協力>
LOG
広島県尾道市東土堂町11-12
0848-24-6669
https://l-og.jp/

文:神垣あゆみ
写真:福角智江

沖縄土産なら北谷の「タイムレス チョコレート」へ。「カカオ豆と沖縄のサトウキビだけ」から生まれるここにしかない味わい

「チョコレートって豆から作るものなんです」

そんなシンプルな真実を、改めて教えてくれたのは沖縄のチョコレートショップでした。

タイムレスチョコレート

お店の名前は「TIMELESS CHOCOLATE (タイムレス チョコレート) 」。

沖縄生まれのBean to Barチョコレート専門店です。

芳醇なカカオの香りに包まれる店内は、観光のお客さんだけでなく、一年を通して老若男女のお客さんで賑わっています。

タイムレスチョコレート

沖縄初のBean to Barチョコレート専門店「TIMELESS CHOCOLATE」へ

「バレンタインシーズンは若い女性で賑わいますが、この間は『クッキー1枚ください』と小学生の女の子が買いに来てくれました。

焙煎したカカオ豆も売っているのですが、こちらは60、70代の方がよくリピートされるんですよ」

Bean to Barとは、チョコレートの原料であるカカオ豆の買い付けから製造、販売にいたるまで一貫しておこなう作り方のこと。

店内にはディスプレイのようにさりげなく、カカオ豆の入った麻袋が積まれていました
店内にはディスプレイのようにさりげなく、カカオ豆の入った麻袋が積まれていました
お店の奥の工房はガラス張り。チョコレート作りの様子が伺えます
お店の奥の工房はガラス張り。チョコレート作りの様子が伺えます

豆の状態から扱っているため、自分たちでレシピや商品アイデアを考え、様々なチョコレートの楽しみ方を提案しています。

定番のチョコレートは産地ごとに味わいを楽しめるように
定番のチョコレートは産地ごとに味わいを楽しめるように
サラダやヨーグルトと合わせても美味しいカカオニブ(カカオ豆の胚乳部分)
サラダやヨーグルトと合わせても美味しいカカオニブ(カカオ豆の胚乳部分)

原材料はカカオ豆とサトウキビだけ

商品づくりでTIMELESSが大事にしているのが、豆の味を最大限に引き出す「焙煎」の工程。

このロースト具合と豆の産地、育った季節などで、味わいは千差万別に変わるそうです。

実はお店がオープンしたきっかけも、元々バリスタだったオーナーの林正幸さんが「自身の焙煎技術を活かして何か作れないか?」と6年ほど前に考えたところがスタート。

そこに沖縄が誇るサトウキビを活かすアイデアが掛け合わさり、「原材料はカカオ豆とサトウキビだけ」という、沖縄にしかないBean to Bar専門店が誕生しました。

3年ほど前に、現在の北谷のお店に移転してきました
3年ほど前に、現在の北谷のお店に移転してきました
人気は様々な産地の味を楽しめるアソートボックス
人気は様々な産地の味を楽しめるアソートボックス
カフェスペースで楽しめるスイーツも充実
カフェスペースで楽しめるスイーツも充実
ドリンクのうつわは今沖縄で注目の作家、今村能章さんのもの
ドリンクのうつわは今沖縄で注目の作家、今村能章さんのもの

老若男女に愛されるTIMELESS CHOCOLATEの秘密

チョコレートは人工的に作られた素材や保存料や乳化剤、カカオバターなども不使用。

タイムレスチョコレート

サトウキビは多良間島産純黒糖や島ザラメといった特徴の異なるものを使い分けます。

素材に対する林さんたちの想いは深く、年々生産者の減るサトウキビは、その味わいや歴史を守ろうと自分たちで農園を設立。

「沖縄で受け継がれてきた“命薬 (ぬちぐすい) ”としての純黒糖を絶やさないように」と、自ら生産する取り組みを行なっています。

自然栽培で育ったサトウキビを手刈りして焚き上げ純"生"黒糖を、砂糖を一切加えていないガーナ産カカオ100%のチョコレートで包んだ「生黒糖ボンボン」
自然栽培で育ったサトウキビを手刈りして焚き上げ純”生”黒糖を、砂糖を一切加えていないガーナ産カカオ100%のチョコレートで包んだ「生黒糖ボンボン」

「君たちがやろうとしていることってタイムレスだね」

店名の由来は、お店づくりを考え始めた当初に、林さんが友人からもらった何気ない言葉だったそう。

古い、新しいという枠を超えて、いつの時代も胸を張って出せるもの。心や身体の栄養となる、「ぬちぐすい」のような存在。

タイムレスチョコレート

それを支えるのが、「原材料はカカオと沖縄のサトウキビだけ」という、シンプルな分、途方もなく手間ひまのかかる製造工程と言えそうです。

潔く、ごまかしのきかない作り方だからこそ、若い世代にも、小学生にもおばあちゃんおじいちゃんにも愛される味になる。まさに「TIMELESS CHOCOLATE」だなと思いました。

<取材協力>
TIMELESS CHOCOLATE
沖縄県中頭郡北谷町美浜9-46 ディストーションシーサイドビル2F
098-923-2880
https://timelesschocolate.com

文:尾島可奈子
写真:武安弘毅

*本文中の写真は2018年春の撮影時点のものです。
*こちらは、2019年8月19日の記事を再編集して公開しました。

尾道の今はこの人に聞く。“負の遺産”を人気のカフェや宿に再生する「尾道空き家再生プロジェクト」豊田雅子さんが語る町の魅力

尾道といえば‥‥千光寺に尾道ラーメンだけとは限りません。新しくなった尾道駅、長い長い商店街には昔ながらの商店と新店が混在。

例えば、長屋をリノベーションしたゲストハウス「あなごのねどこ」、深夜に開店する古本屋「弐拾dB」。

昭和のアパートを工房やギャラリー、カフェとして再生させた「三軒家アパートメント」、築約100年の古民家を再生した宿「みはらし亭」など、新しいのにどこか懐かしい、ユニークな見所が増えています。

細長い路地の先に辿り着くゲストハウス「あなごのねどこ」。「うなぎの〜」の代わりに地域の名産あなごを名前に掛けている
細長い路地の先に辿り着くゲストハウス「あなごのねどこ」。「うなぎ」の代わりに地域の名産あなごを名前に掛けている
千光寺に向かう石段を300段ほど登った先にあるみはらし亭。眼下には尾道水道と町並みの絶景が広がる
千光寺に向かう石段を300段ほど登った先にあるみはらし亭。眼下には尾道水道と町並みの絶景が広がる

そうしたスポットの多くに共通するのが、現地の空き家や空き店舗を活用していること、移住してきた人が営んでいることです。

尾道に新しい風を起こしてきた立役者を訪ねました。NPO法人尾道空き家再生プロジェクト、通称「空きP」代表の豊田雅子さんです。

豊田さん達が手掛けた最新の再生物件「松翠園大広間」を案内してもらいました。

昭和の意匠を残す旅館の大広間をよみがえらせる

JRの線路を挟んで北の山側に住宅街、海側に商店街が広がる尾道の町。

尾道全景

その日待ち合わせた豊田さんはJR尾道駅北口からすぐ、住宅街の間にある石段を上へ上へとあがっていきます。

住宅街の間にある石段を上へ上へとあがっていく豊田さん

さすが“坂の町”の住人、手慣れたもので、斜面を登る速度も早い。

住宅街の間にある石段を上へ上へとあがっていく豊田さん

息を切らして、たどりついた先は、大きなお屋敷でした。かつて「松翠園」という旅館の離れとして、宴会や冠婚葬祭に利用されていた場所なのだとか。

玄関前には、かつて料理を下の厨房から運んでいた機械が
玄関前には、かつて料理を下の厨房から運んでいた機械が

玄関から渡り廊下を進むと、眼下には尾道駅周辺の町並みが広がり、室内に目を向けると60畳もの大広間が。60センチ四方に区切られた格天井、老松を描いた小上がりの舞台は往時をしのばせ、圧倒的なスケールです。

松翠園内観
松翠園渡り廊下
松翠園大広間

縁側は一枚ものの松の床板でできていて、長さ16メートル。

松翠園 縁側

大広間の舞台対面にある床の間は二間 (約360センチ) の幅があり、松皮菱と瓢箪の透かしが施された凝った意匠。

「ここは戦後間もなく建てられたので築70年余り。手の込んだ造りの建物がずっと放置されていて、欄間などは勝手に外され、売り飛ばされたりして‥‥」

松翠園内観
松翠園内観
松翠園内観

「二度と再現できない貴重な建物も、使わなければ傷んでいくばかりです。

ここは2016年から有志を募って再生作業を続け、2019年10月に完成しました」と豊田さんが建物内部と再生の経緯を説明してくれます。

建物内で説明する豊田さん

25年も放置されていたガウディハウスで見たものは

空きPが手がけた再生物件は、この「松翠園大広間」を含め、18件にのぼります。中でも空きP発足のきっかけとなったのが通称「ガウディハウス」こと、旧和泉家別邸。

ガウディハウス

尾道駅裏の狭い斜面地に建つ、必要以上に装飾が施された、洋風建築に近い和洋折衷型の住宅です。

特異な外観もさることながら、細工や工夫を凝らした内部を初めて目にした豊田さんは、尾道の地域遺産としてここを残さなければ、と直感。

25年間空き家として放置され、部屋の随所に損傷のある建物の再生を決意し、2007年に空きPを立ち上げたのです。

「長く放置するほど手がつけられなくなるんです。だから、早く手をつけ再生していかないと」

斜面にひしめくように建つ住宅の多くは、一度壊すと次に家を建てられないばかりか、人しか通れない細い道では駐車場にもできない。

畑か花壇にするしか使い道がなく、解体にも費用がかかるため、地元の不動産業者からも「負の遺産」として敬遠されるそう。

骨組みだけ残された建物を見かけることも
骨組みだけ残された建物を見かけることも

ガウディハウスの再生に着手後、「待ってました」とばかりに空きPに相談が相次ぎ、その数100件近くにのぼりました。

空き家を持て余している持ち主がいる反面、住まいを探す移住者もいたのです。

「持ち主と移住者、双方のニーズはあるのに、それが情報化されてないことを目の当たりにしました」

豊田さん自身も2000年に尾道に帰郷した際には家探しに苦労し、自力で空き家を再生した経験がありました。

空き家は負の遺産?それとも宝の山?

車も入れず下水工事もままならない斜面では、トイレは汲み取り式のままの古い住宅群。

しかし、斜面の限られた土地に建てられた住宅や別荘は、戦災や大きな災害を受けず現存し、人の知恵と工夫、職人の技術を今に伝え、坂の町ならではの景観をつくりだしているのも事実。

豊田さん
窓の下をゆっくりと船が通る
窓の下をゆっくりと船が通る
一歩足を踏み入れると、わざわざ寄り道したくなる道がたくさん
一歩足を踏み入れると、わざわざ寄り道したくなる道がたくさん
ハッとするような瞬間に出会えることも
ハッとするような瞬間に出会えることも

負の遺産と言われる空き家も、見方を変えれば、尾道を特徴づける宝の山。再生して息を吹き返せば、町の財産となります。

「不便さを人の知恵と助け合いで乗り越えてきたのが尾道のスタイルだと思うんですよね」と豊田さん。

豊田さん

不便でも災害時には強い。

2018年の西日本豪雨で尾道が2週間の断水に見舞われた際も、汲み取り式のトイレは通常通り使え、町中に400か所ある井戸から給水もできたことから、ライフラインの全面ストップという事態を免れ、避難所へ行かずともなんとか自宅で生活できたのです。

蛇口

空き家も増えるが、広島県内外からの移住者も

結成して13年目を迎える空き家再生プロジェクト。活動当初、2日に1人のペースだった空き家バンクの登録者も、今ではひと月に10人程度に落ち着きました。

それでも現在、空き家の登録は140軒、利用登録は1000人を超えます。

後継者がいなかったり、入居者が移転したりで、10年もするとまた新たな空き家が発生する一方で、広島県内外からの移住者は年々増えており、ひと月に10組の相談があることも。市内2キロ圏内のエリアで、1年に15人が出生した年もあるそう。

30代の家族連れを中心とする若い移住者が店舗や飲食店を始めると、訪れる人も自然と若い層が増え、観光客もバス旅行の団体客から電車で移動する個人客へと変化。

年齢層も若返ってきているのを感じると豊田さん。

休日には人気店に列ができることも
休日には人気店に列ができることも

1回きりで終わる観光地ではなく、リピートして訪れ、町に馴染み、そぞろ歩きを楽しめる場所へと変わってきたということでもあります。

大型のショッピングモールやテーマパークを目的とする米国型の旅行先には、地形的にも向かない尾道。

すり鉢状の地形でコンパクトな市街は、商店街やマルシェを楽しむヨーロッパ型の旅行に向く地と、添乗員として海外の観光地を見てきた豊田さんは分析します。

「土地が狭いので大型店が建ちにくく、開港850年の歴史のある港町の尾道は、人の気質がオープンで排他的でない分、地産地消で地元の人や物に還元して、皆で町を良くしていこう、良くなっていこうという意識が強いんです」

豊田さん

「だから、一人勝ちとか、自分さえ儲かればよいという商売をしていると、はやらない。

商店街には創業100年を超える商店が30軒以上もあり、伝統とプライドを守り、地元意識も強いです」

豊田さん

「人のつながりを大切にしている土地柄だから、老舗と新店が混在し、新旧世代が入り混じっているところが尾道らしさなのかも」

生活者として尾道に根を下ろすために

空きP発足当初は、手弁当の有志やボランティアの力で手掛けてきた空き家再生も、工期が長期に及ぶ物件を扱うようになるとまとまった資金も必要となります。人材を雇用し、法人として組織を整え、活動内容も年々充実してきました。

「ただ、初期からかかわってくれているコアメンバーは変わってません。学生で参加していたスタッフが社会人になり、結婚し、子どもが生まれ家庭を持つようになる。

そうやって、スタッフも尾道で暮らし、仕事をし、生活者として町に根を下ろしながら活動を続けています」

豊田さん自身も双子のお子さんを育てながら、空きPの運営を続けてきました。

移住してきた若い世代の人たちから尾道生まれの子が育ち、やがて大人になって尾道を離れることがあっても、また帰ってきて暮らしたいと思える町であるように。

そうして、尾道に戻ってきた人たちがきちんと生計が立てられる環境をつくっていきたい、と豊田さんは言います。

豊田さん

家業を継ぐにせよ、新たに起業、開業するにせよ、個人商店が成り立つ町でありたい。そのためにもこの先10年は、教育に力を入れていきたいそう。

「10年間、尾道の環境、建造物、文化をより深く知るために合宿であったり、町歩きやトークイベントを実施してきました」

プロジェクト参加を呼びかけるチラシ
プロジェクト参加を呼びかけるチラシが貼られていました

「空き家再生の取り組みを通じて再生の仕組みづくりができた今、そういった教育活動を本格化していきたいです。

尾道市立大学など地元の教育機関と連携しながら、尾道の環境デザインを研究し、相談できる組織作りが必要と感じています」

豊田さん

もっと広く、総合的な視点で尾道を捉え、20代、30代という若い世代の尾道の担い手を育てていかなければ、という豊田さんの思いがそこにはあります。

道に迷って、地図を広げた途端に‥‥

最後に、尾道を知り尽くした豊田さんに、尾道ビギナーにおすすめの楽しみ方を尋ねました。

曰く「点の魅力が多いのが尾道。個々が生きているから多様性があり、何回来ても楽しめると思います。移住者も旅で訪れ、やがて好きになって、住むようになったという人は多いです。

路地や坂道がいたるところにあるので、迷子になりながぶらぶら歩いて、そこに暮らす人たちの生活に触れてほしいですね」

変化に富む坂道。迷い込むように景色との出会いを楽しめる
変化に富む坂道。迷い込むように景色との出会いを楽しめる
豊田さん

「道に迷って地図を広げた途端、地元の人が声をかけてくる土地柄です。老若男女ともひとなつっこくて、誰とでも世間話が始まりますから。

お店も小さいところが多いから、知らない人同士でもすぐに仲良くなってしまうほど、人との距離感が近いんです。

旅人として訪れても、一歩踏み込んでいくとディープな世界が広がるので、面白がりながら楽しんでほしいですね」

尾道

よそ行きでなく普段着感覚で、ふらりと迷子になりに出かけてみてはいかがでしょう。

<取材協力>
NPO法人尾道空き家再生プロジェクト
尾道市三軒家町3-23
http://www.onomichisaisei.com/

文:神垣あゆみ
写真:尾道空き家再生プロジェクト、尾島可奈子、福角智江

恵方巻きの「巻き簾」を求めて。江戸っ子職人が作る「海苔巻きすだれ」に惚れた

ひょっこり出てきた3代目の祖父の写真を、大きくプリントして仕事場の見えるところに飾ってある。

田中製簾所

「なんでこんな手間のかかることを」

仕事に迷いが出る時、ふと写真が目に入って思い直す。

田中製簾所

「いけねぇ。これはそういうもんじゃねぇやな」

田中耕太朗さん、55歳。

田中製簾所

東京・浅草に生まれ、すだれを作り続けて30年になる。明治から続く「田中製簾所」の5代目。都の伝統工芸士にも認定されている。

私が個人的に海苔が好きで、恵方巻きの季節も近いからと、海苔巻き用の巻き簀 (す) を探していた。

海苔巻き作りといえばこの巻き簀
海苔巻き作りといえばこの巻き簀

調べていくと、こんなに日常的な道具なのに、わざわざ東京都の伝統工芸品に指定されているすだれがあった。それが田中さんの作っている「江戸すだれ」だった。

東京都指定伝統工芸品「江戸すだれ」とは

種類は、夏の日よけに使う定番のすだれや座敷用、私が出会った海苔巻きすだれやそばを盛り付けるものまで。

日よけのすだれや
日よけのすだれや
意匠を凝らした室内用も
意匠を凝らした室内用も
工房にはすだれづくりの材料がいっぱい
工房にはすだれづくりの材料がいっぱい
田中製簾所

江戸すだれは町の発展とともに庶民の間にも普及していった。元禄時代の書物には御簾師というすだれ専門の職人の存在も記されているそうだ。

「江戸は各地からいろんな文化が入るから、いいとこ取りなんだよ。

元々あったものの、いいところをミックスして色々なものが生まれてきた。すだれもそういうひとつかなと思うんだよね、個人的には」

他の産地のように、もともと素材が豊富だったり、優れた技師がいたわけではない。人が集まり、必要から江戸の町で作られるようになった道具だった。

田中製簾所はその江戸当時からの作り方を、今も忠実に受け継いでいる。

田中製簾所

口コミで注文がやってくる

昔は軒先にかけるような大きなすだれと、調理などに使う小物とで職人も専門が分かれていた。

しかし今では作り手も都内に数えるほど。田中さんは大小に関わらず様々な種類のすだれを作る。

「できないのは格好悪い。注文や相談があれば、引き受けるというのがうちのスタイル」

用途に合わせて使い勝手よく作られるすだれは口コミで評判を呼び、「◯◯さんの紹介で」と注文が入ることも多いという。

「使ってくれている人も、満足しているから他の人に言ってくれたんだなと思うと、ありがたいね」

田中さん

素材の不思議

大物の夏のすだれの需要がない冬には、調理用などの小物を中心につくる。

用いる素材はさまざまだが、食品用の道具は竹が多いという。

小物のサイズに合わせてカットした竹筒
小物のサイズに合わせてカットした竹筒

「竹だとこれくらい細くしても折れない。柔らかすぎてしなってしまうこともない」

そうめんのような細さ!
そうめんのような細さ!

「不思議だよね。誰が使い出したんだかわからないけれど、使ううちに便利さに気づいて、いろんな場面に使われていったんだろうね。

便利なだけじゃなくて衛生面でも具合がよかったから、これだけ使われてきた。笹団子や食品を包む経木だってそうでしょう」

今日に合わせて作ってくれていた海苔巻き用のすだれも、竹でできている。

竹筒を割って割って、まず細い竹ひごにしていく
竹筒を割って割って、まず細い竹ひごにしていく
田中さん

必要な長さに切り出した竹筒を、鉈で割っていき、竹ひごを作って紐で編む。

書けばシンプルだが、その道具も工程も、工夫に溢れている。

効率よくするための工夫でなく、使い勝手をよくするための工夫だ。

一筋の竹筒から、一枚の巻き簀ができるまで

「竹は割れば真っ直ぐに割れると思うかもしれないけど、そうじゃない。

機械で切ると、幅は真っ直ぐのように見えても繊維の流れを無視して切断されてしまうから、あとで変に割れてしまうことがある」

田中製簾所

「だから特にこういう、人が手で握って使うような巻き簀は、繊維がまっすぐ丈夫なように、必ず手で割っていくんだ」

確かにぎゅっと手で掴んで使う。掛けるすだれとは求める使い勝手が違う
確かにぎゅっと手で掴んで使う。掛けるすだれとは求める使い勝手が違う
現場には面白い道具があった。竹で作った「分差し」。尖らせた先端に墨をつけ、竹に当てて割る時の目当てにする
現場には面白い道具があった。竹で作った「分差し」。尖らせた先端に墨をつけ、竹に当てて割る時の目当てにする
割りたい幅に合わせて、サイズも様々
割りたい幅に合わせて、サイズも様々
鉈でさっと細く割れていく
鉈でさっと細く割れていく

実は完成した巻き簀は、隣の竹ひご同士を繋げると元の竹筒の姿に戻る。

完成品の巻き簀。シミの跡が、もともとひとつながりの竹筒だったことを物語る
完成品の巻き簀。シミの跡が、もともとひとつながりの竹筒だったことを物語る

「バラバラに組んじゃうと、竹ひごを編んだ時に隣同士が変にぶつかったり、隙間も不自然で使いづらくなる。

オモテの模様や色もバラバラじゃ見映えが悪いでしょう」

もともと割った順に並べて組むことで、製品として無理のない、美しい作りになる。

組む前の竹ひご。どうやって元々の並び順がわかるのだろう、という疑問は、あとで氷解することになる
組む前の竹ひご。どうやって元々の並び順がわかるのだろう、という疑問は、あとで氷解することになる

「割った後はへぐ。細長くしただけじゃ使うときに手のあたりがよくないから、削ってひごの角を取ってあげなきゃ」

削っている様子
削っている様子
削っている様子
時にはカンナも使う
時にはカンナも使う

ここに使う人のためのひと手間が込められていた。

巻き簀で具材を包むとき、手にあたる側は、よく見ると竹ひご1本1本、かまぼこ型に削られている。

巻き簀

「平べったい竹ひごで作ってみたこともあったけど、自分で使ってみたらこっちの方が使いやすかったから」

手のあたりを自ら研究してきた
手のあたりを自ら研究してきた

こうして削っていくと、切り出した材料の実に2/3は捨ててしまうという。ものによっては削りに削って材料の9割を捨てるということもあるそうだ。

削った後にはたくさんの竹のクズが
削った後にはたくさんの竹のクズが

「特にこういう道具の場合、ちゃんとした材料を使わないと、どんなに手をかけてもダメだな。

いい竹だと思っても切ってみると使えないというものもある。そういうのは潔く捨てないといけない」

捨ててしまう部分。削り台を挟んで、使うものとは反対側に除けてあった
捨ててしまう部分。削り台を挟んで、使うものとは反対側に除けてあった

「だからと言って素材をあまりに厳選したら、無駄に高くて、無駄に手間かけたものになる。

これは芸術品とは違うから、そこのバランスは、作る人に依存するよね。

自分がどこまでやるか次第。これでいいやと思ったらそれまでだし」

作業の合間に、ちょっと一休み
作業の合間に、ちょっと一休み

「人が見てわからなくても、自分が一番わかる。自分が一番怖い。

自分をごまかすような事するんだったらこんなめんどくさくて儲からない仕事しないほうがいいよ。

なんでこういう仕事をお前はしているんだ、といつも自問自答。でも、あそこにおじいさんがいるでしょう。

ちらっと目に入った時は『あ、やべ、そういうもんじゃねぇやな』って思う」

「こんなめんどくさくて儲からない仕事」と言いながら、田中さんは「ここからもう一工夫」「これが最後の仕上げ」とひとつひとつの手間を惜しまずに作り上げていく。

削ったひごを並べる。実はうっすら表面に線が引いてある
削ったひごを並べる。実はうっすら表面に線が引いてある
線をめがけて並べ替えていく
線をめがけて並べ替えていく
田中製簾所
きれいに揃ってきた。これが本来の並び順
きれいに揃ってきた。これが本来の並び順
竹ひご同士を編む作業にはちょっと変わった道具が登場。重りを下げた綿糸を竹ひごの間に交差させて、編んでいく
田中製簾所
竹ひごを差し込んで‥‥
竹ひごを置いて‥‥
両サイドの重しを前後させることで、編み込んでいく
両サイドの重しを前後させることで、編み込んでいく
田中製簾所
木の重しは80年ものだそう
木の重しは80年ものだそう
もうすぐ完成!ここからさらに頑丈にするため、左右の編み込みを手で二重にしていく。端をカットしたら完成だ
もうすぐ完成!ここからさらに頑丈にするため、左右の編み込みを手で二重にしていく。端をカットしたら完成だ
二重に編んでいく
端を結んで、完成!
端を結んで、完成!

「手間をかけりゃいいってもんでもないんだけどね。一番は、使いやすくなきゃいけないんじゃない」

そう言って昔話をひとつ聞かせてくれた。

田中さん

自分がよかれと思っても

「若い頃、よく直しが来た巻き簀があったんだよ。

こんなにしょっちゅう壊れるんじゃ、もっと丈夫な糸で切れないようにしてやろうって勝手に僕がやって納めたら、すんごい勢いで怒られちゃってさ。兄ちゃんこれじゃだめだ、ちょっとこい!って。

それで調理場を見せてくれた。『これはこうやって使うんだ。丈夫にしようと思ったんだろうけれど、こんなに頑丈に作ったら糸が伸びねぇから見てみろ、こうなっちゃうんだ』って」

蒸し物などだったのだろう。調理後の具材の膨らみ具合を糸が吸収できずに、竹ひごの隙間から具材がはみ出してしまっていた。

「自分がよかれと思ってもよくないこともある。そこはちゃんと使う人のことを聞いて作らないとだめなんだってその人には教えてもらったよ。

今でも注文を受ける時は、どういう風に使うんですかとか、できるだけ聞くようにしてる。それでちょっと仕上げ方を変えたり。納めた後も、一回使ってみてどうですかって聞いたりしてね。

その人がどういう風に使うかが一番大事なんだ」

ぎゅっと押さえこんだ時に、きちんと役目を果たすかどうか。手へのあたりはどうか
ぎゅっと押さえこんだ時に、きちんと役目を果たすかどうか。手へのあたりはどうか

東京の職人が作るなら

使い手の声を聞く、という姿勢には、5代続いてきた東京という土地への思いもある。

「江戸の町に人が集まって、必要から江戸すだれが生まれてきた。そういう使う人との近さが他の産地にはないところ。

だから市場の声を自分でよく聞いて、それを商品に落とし込む能力がなければ、東京で職人なんてやっている意味がないよ。

こんな狭っ苦しい、ゴミを出すのも高いみたいなところでね (笑)」

持ち帰ってきた海苔巻き用の巻き簀が、なんだかとても格好良く見えた。

田中製簾所の海苔巻き用すだれ
海苔巻きすだれ 2,500円 (税別)

定番型というこの巻き簀も、これまでのお客さんの声を吸収して今の姿かたちになっているのだろう。それも要望があれば、竹ひごの細さやサイズを調整したりするという。

「別にこういうものは特別なもんじゃない。普通にさ、使うための道具だから。

残そうって思いでこの仕事をやっているわけじゃないよ。すだれがいらない世の中になったら、仕事する出番がない。

でも、生き残るために目先を変えて新しいものを作ろうっていうより、このほうが使いやすいだろうっていう方を向いて作らないと、違う仕事になっちゃう気がするんだ」

作っているところ

ちゃんとお客さんと向かい合って商品を届けるために、現在田中さんの作るすだれは、田中製簾所でしか購入できない。

それでも先日はどこかから噂を聞きつけて、イタリアから注文の電話が入ったそうだ。

春には、以前田中さんのすだれ作りを見た高校生が、新弟子としてやってくる。

「まずはこの変人とやっていけるかどうかかな」と田中さんが笑った。

田中さん

伝統工芸だから買うんじゃない。田中さんから買いたい。

そう思わせてくれる出会いだった。

帰りにその足で、少し早い恵方巻き用に、海苔を買いに行った。

<取材協力>
株式会社田中製簾所
東京都台東区千束1-18-6
03-3873-4653
http://www.handicrafts.co.jp/

(翌日談)

早速使ってみました。田中さんに教わった通り、さっと水洗いして水分をとった後、具材をのせて‥‥
早速使ってみました。田中さんに教わった通り、さっと水洗いして水分をとった後、具材をのせて‥‥
くるくるくる‥‥
くるくるくる‥‥
ぎゅっ
ぎゅっ
そっとめくると‥‥
そっとめくると‥‥
できた!
できた!
ちょっと具が寄っているのも、ご愛嬌。内側はぎゅっと押さえても海苔離れがよく、外側はくるくると回す手触りが心地よい。長持ちの秘訣は、仕舞い込まずによく使うこと、だそう
ちょっと具が寄っているのも、ご愛嬌。内側はぎゅっと押さえても海苔離れがよく、外側はくるくると回す手触りが心地よい。長持ちの秘訣は、仕舞い込まずによく使うこと、だそう

文・写真:尾島可奈子

※こちらは、2019年1月28日の記事を再編集して公開いたしました。