「アルミの雪平鍋」が和食に最適な理由。上手に選べば長年使える相棒に

こんにちは。細萱久美です。

若かりし時、フードコーディネーターなど食の仕事に憧れた時期もありましたが、今は単なる美味しいものが好きな大人になりました。

この歳になると量より質で、なるべく良い素材をシンプルに味わう料理が好みです。外食では海外の食も色々試したいのですが、自炊は和食が中心です。

和食の基本と言えば、「出汁」。

汁物、煮物、おひたし、うどんなど出汁のきいた料理はしみじみ美味しいと思います。出汁を引いたり、煮る・茹でるも和食の基本と言えますが、道具として最適なのは、アルミ製の雪平鍋です。行平鍋とも言い、どちらも正解だとか。

雪平鍋の豆知識あれこれ

雪平鍋は底が丸く胴が上に広がっているので、火にかけると液体がうまく対流するので、煮炊きを中心とした和食をつくるのに最も適している訳です。

雪平鍋

昭和初期の一般家庭では、伊賀焼の行平鍋があり、七輪などでお粥や煮物を作っていたとか。昭和20年代中頃になると、安価なアルミ鍋が一気に普及したそうです。

粥を炊くと米が雪のように見えるとか、槌目の模様が雪のように見えることから雪平鍋の字が当てられたという説があります。

槌目があるのは製造工程で出来る跡。丸いアルミの板を叩いて鍋の形に作っていきます。叩く理由は、表面積が広がって熱伝導が良くなる為と、叩くことで強度が上がる為です。

海外製の非常に安価な雪平鍋はプレス加工で模様を付けているだけのものも多く、それだと強度面で劣ると言えます。

特に和食料理屋の厨房でもよく見かけ、料理人にとっても欠かせない料理道具の一つです。プロが取っ手の無い丸鍋とヤットコを使いこなしているのをみると憧れますが、家庭ではやはり取っ手ありが安全で使いやすいと思います。

雪平鍋

サイズは家族の人数に合わせて

アルミよりも更に熱伝導の良い銅鍋も見た目の美しさに惹かれますが、やはり高価であることと美しさを保つお手入れが必要です。

そう思うと、十分に熱伝導も良く、軽くて、比較的廉価なアルミの雪平鍋はサイズをいくつか揃えたくなるほど使い勝手は良いものです。

サイズとしては、一人か二人暮しなら15センチと18センチ、三人以上なら21センチもあると良いかと。二人暮らしなら、15センチで味噌汁、18センチで青菜を茹でるなり、煮物を作るなりのイメージです。

21センチ以上の大きな鍋は、家庭のガスコンロサイズと合いにくく、必要な対流が生まれない可能性があります。

私は少し小さめの14センチと15センチ、21センチを持っています。14センチはキリッとした片口があるので、ミルクパンとしても使いマグカップに注ぎやすく気に入っています。

ちなみに弱点としては、酸やアルカリに弱いので、酢やワインなどを加えて煮るには向きません。また泡立て器などの金属の調理道具も苦手なこともあり、こんな理由からも西洋料理より和食向きであると言えます。

あと、普及の進むIHで使えない素材でもあるのですが、ガスコンロ用の鍋類をIHでも使えるようにする便利な金属板も販売されているそうです。

新生活を期に、自炊をスタートされる方にもまずは雪平鍋を一つ持ってもらいたいなと思います。無理せず「一汁一菜」からでも良いと思います。

選ぶときには、なるべく伝統的に槌目の打ち込まれた雪平鍋が、長く使えておすすめです。

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

*こちらは、2019年7月10日の記事を再編集して公開いたしました。

わたしの一皿 琉球の白いマカイ

2ヶ月も連載が空いてしまいました。家族の環境の変化で原稿書きが追いつかずご心配お掛けしました。もうすっかり大丈夫。みんげい おくむらの奥村です。

隣国中国の少数民族の多い地域の手仕事を探し求めた拙著「中国手仕事紀行」がいよいよ1月末に発売開始です。日本の工芸とは違ったり、同じだったり、きっと「さんち」をご覧の方にも読みがいのある本になっています。ぜひ手にとってご覧ください。

さて、2020年第一回目の連載は昨年中国を巡り歩いて出会った味を再現。昨年は秋に中国の福建省で日本の手仕事の展示会を行いましたが、その福建省で覚えて帰ってきたスープ。

なんと真っ黒なスープで、初めて食べた時は「???」という感じ。色からは想像が付かない味。コクがあって、後味がややフルーティーで果たしてなんの素材かわからなかった。

じわじわと旨くて、三杯、四杯と飲んでしまって、作り方まで聞いてきた。それからわずか数ヶ月だけど、何回作っただろうか。簡単で美味しいのです。

黒にんにく

主役は「黒にんにく」。よく青森の物産展とかで売ってるあれです。

黒にんにくと骨つきの肉など(現地で食べた時は豚の軟骨やスペアリブだった)を水から炊く。それだけ。なんて簡単な。コツはアク取りと、スープが真っ黒になるまでじわじわ炊くぐらい。

今日は中国雲南省の有機の黒にんにくを使っています。日本のものよりも小玉でかわいらしい。もちろん日本のものでも同じように出来上がります。

わたしの一皿

福建省と言えば台湾や沖縄とも文化的に繋がりが強いので、今日は沖縄のうつわ。うちの開店当初からお世話になっており、今の沖縄の焼物(やちむん)の人気を引っ張る窯元、北窯(きたがま)のうつわを使いました。

北窯は四人の親方からなる共同窯。各親方のところに弟子がいて、四つの工房で一つの登り窯を焚く。今日はその一つ、松田共司工房のマカイ(沖縄の碗のこと)。

北窯(きたがま)のうつわ

マカイはご飯茶碗でもあり、汁椀でもあり、大きなサイズなら麺丼でもある、お碗の総称。独特の形状だけれども、慣れると使いやすい。

今日は染付けも何もない、シンプルな白だけのマカイにした。形の差は多少あれど、琉球の歴史の中でずっと作り続けられてきている伝統的なうつわ。

通常は、鉄分の多い黒っぽい原土を包み込むように白い土が掛けられているのだけれども、これは沖縄では希少な白土だけを使ったもの。白といっても、沖縄の土は柔らかい黄色味がかった白で、この温もりのある色合いがたまらないのだ。

染付けをしてしまえばそこに目がいってしまう。逆に言うと白のものは形にしか目がいかない。作り手たちに聞けば、白だけで世に出すのは自分のろくろ技術がバレてしまうので怖くもあるのだそうだ。

この白は松田共司さんご本人がろくろを挽いたもの。普段と土も違うので、のんびりはしているけれどどこかシャープな感じもある。

一年を通して、かなりの数の焼き物を扱うけれど、たまに手放したくないなと思うものがある。これもその一つだった。

もう食器棚は飽和状態だし、特にご飯茶碗サイズなんて日替わりで使っても一ヶ月分はあろうかというのに、また増えてしまった。これは2019年のとっておきの一枚。

サイズ的にはご飯でも汁物でもいい。手にすっぽりと収まる優しいうつわだ。スープを口に含んだ時も、繊細すぎず、ぽってりすぎず、適度な厚みが口に心地よく感じられる。

調理風景

そうそう、スープはじっくりと炊いて、最後に塩を。これだけで味が決まりますよ。

わたしの一皿

今日もスープは良い味になった。今日は鳥のなんこつを使ったので豚のものよりも少しあっさりした味になった。これもいい。当然おかわりです。

福建は琉球と中国の交易の拠点だったため、琉球から色々なものが運ばれていった。いつか中国の骨董屋で古い琉球のマカイに出会うことがあるだろうか。そんな出会いがあったらうれしいな。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

HARIOのガラス職人、藤枝さんと宮田さんの“仕事の理由”——「好き」と「難しい」の間にあるもの

ものづくりの世界に飛び込んだ若きつくり手たちがいる。

何がきっかけで、何のために、何を求めてその道を選んだのか。そして今、何を思うのか。さまざまな分野で活躍する若手職人を訪ねる新連載。

今回、取材したのはアクセサリーをつくる2人の女性ガラス職人だ。聞くと、経歴も職人になった経緯もバラバラだとか──。

訪れたのは耐熱ガラスでアクセサリーづくりを行う東京・日本橋「HARIO Lampwork Factory(ランプワークファクトリー)小伝馬店」。

「HARIO」といえばビーカーやフラスコなどの理化学器具や、コーヒードリッパーやティーポットなどの製造で名を馳せる耐熱ガラスメーカー。

HARIOのビーカー、フラスコ

そんな同社が2013年、耐熱ガラスの手加工の技術を守るためにとアクセサリーをつくる工房を立ち上げた。

HARIO Lampwork Factory 小伝馬店

繊細にして緻密。そんなガラス職人の世界に飛び込んだ2人の女性とは──。

「根っからのガラス好き」と「異業種からの転職」と

まず1人目は入社して3年目の藤枝奈々さん。

「学生の頃からこちらでアルバイトをさせてもらって、そのまま社員にしてもらいました」

入社して3年目の藤枝奈々さん
「ガラス大好き!」の藤枝さん

そう話す藤枝さんは根っからのガラス好き。そもそもガラスに携わりたいことから、美術大学の工芸学科に進学。土を扱う陶芸や、金属素材を使用する彫金など選択肢はいくつかあったものの、迷わずガラスを専攻した。

「昔からキラキラとした素材が好きで。美術館に行ったり、いろんなアート作品を見てきたんですけど、いつも心惹かれるのはガラスでできたものでした。

ガラスは、木や砂、岩石、金属といった素材に比べてキラキラしているというか、光っているのが何とも魅力で‥‥とにかく素材としてのガラスが素敵だなとずっと思っていて‥‥すみません、私、ガラスバカなんです(笑)」

藤枝さんの「素材としてのガラスが素敵」という言葉を聞いて深く頷いていたのがもう一人のガラス職人、宮田麻衣子さん。

「私も、ガラスのツルンとした、つやっとした感じがすごく好きなんです」

HARIOのガラス職人、宮田麻衣子さん
「難しい‥‥けど、ガラスが好き」の宮田さん

そう語る宮田さんは入社2年目。実は、以前はまったく別の仕事をしていたという。

「それまでは美容系の仕事をしていました。たまたまガラス工房で吹きガラスの体験をする機会があって、グラスをつくらせてもらったんですけど、それが、すごく難しくて‥‥。

そのときにガラスという素材を扱うことの難しさを知りました。と同時に、扱うのが難しい素材であるということが、私にとってはとても新鮮で、魅力的で‥‥。それがきっかけで、この道に進むことを考えるようになったんです」

体験後、ほどなくして、10年ほど続けた仕事をきっぱりと辞め、ガラス工房主宰の講習に本格的に参加。ガラスづくりを始めたのは20代後半のことだとか。

正球から始まるガラス職人への道

経歴はそれぞれ違うものの、ガラス職人になって最初の試練になったのが“正球をつくること”。

「きれいな丸型を成形することがガラス職人としての基礎なんですけど、はじめからきれいな丸がつくれたわけではありませんでした」(藤枝さん)

「正球づくりは、今でもやっぱり難しいですね」(宮田さん)

藤枝さんがつくっていた“ウォータードロップ”シリーズ
藤枝さんがつくっていた“ Water Drop”シリーズは球体の連続だ

HARIOの耐熱ガラスを使ったアクセサリーづくりは、バーナーワーク(別名:ランプワーク)という成型技術によって行われている(詳しくは、ハリオのアクセサリーは使い手にも職人にも優しい。ランプワークファクトリーで知る誕生秘話をご覧ください)。

ガラスを研磨・カットするといった手法とは異なり、棒状のガラスをガスバーナーに当て、酸素の量を調節するなどしながら、粘土のように形をつくるフォーミングというやり方でさまざまな形をつくり上げていくのだが、

「火を当てることによってガラスを溶かし、同時にガラス棒を回転させながら成形していきます。適度なスピードで回転をかけないと溶けたガラスがどんどん下に落ちてしまってきれいな丸にはならないんです。

火加減やスピード、ガラスの状態、力の入れ方などポイントはいくつもありますけど、最終的には何度も繰り返しやり続けることでしか得られないのかな、と。数をこなすことで体に覚えさせるしかないんだと思います」(藤枝さん)

いくつもの正球をつなげてつくり上げる“ Water Drop”シリーズは、同店の人気商品となっている。

揺れ動くたびにキラキラ光る。ウォータードロップシリーズの“イヤリング・アール”
揺れ動くたびにキラキラ光る。Water Dropシリーズの“イヤリング・アール”

さらにその日、宮田さんが取り組んでいたのは新作の“ピアス シャーベット”。細かく砕いたガラスの粉(フリット)を用いる製品づくりだ。

雪が降り積もったようなデザインが印象的な“シャーベット”シリーズのピアス
雪が降り積もったようなデザインが印象的な“シャーベット”シリーズのピアス

「私はこの作業がすごく苦手で(笑)」

製作工程
フリットをつけて‥‥
製作工程
ガスバーナーで焼くと‥‥
できあがったガラスの部品
こんな表情に!

「ガラスでつくった本体にフリットをつけて焼くんですけど、火を当てすぎると溶けてしまうし、焼きが足りないとすぐにとれてしまうことになる。その加減が難しくて」(宮田さん)

また、プロダクトとしてのものづくりをするうえで難しいこともあるという。

「縦・横・高さなど、サイズが決められているガラスをつくることですね。大学生のときは好きなものを好きなようにつくれば良かったけど、ここではそうはいきません。

作業工程
作業の途中でサイズ感を確かめる

でも、それってとても大事なことで。

たとえばWater Dropシリーズの場合。丸型をつくるなら4ミリにするか、4.5ミリにするのかで見た目はまったく違うし、丸型と丸型をつなげる溶着の仕方が太いのか、細いのかによって印象はガラリと変わりますから。デザインの再現性は職人としてとても重要だと思います」(藤枝さん)

さらに、ただ繊細であればいいかというと、それははっきりいってノーである。繊細でありながらも求められるは“強度”だ。

「いくら美しくてもすぐに壊れるようではだめで。きちんと強度がなければ日常的に使っていただくことができませんから」(宮田さん)

HARIOのアクセサリー

美しく、繊細でありながら、日常使いできるものを。ガラス職人として試行錯誤を繰り返しながら、一つ一つ丁寧に手加工でつくり上げていくのだ。

手加工技術を守り、未来へつなげる

アクセサリー製作のほかにも、同社のガラス職人は手加工でなければできないことを行っているという。

たとえば「HARIO」で発売している冷酒器の「地炉利(ちろり)」。

HARIOで発売している「八角地炉利」冷酒器の
写真は「八角地炉利」

地炉利の本体部分は工場でつくられるものの、注ぎ口のところだけは機械では難しいとか。

注ぎ口となる部品
注ぎ口となる部品も手加工でしかつくれないとか

部品をつくるのも、本体に穴を開けるのも、穴を開けたところに部品を取り付けるのも、すべてが職人による手加工によってできているというが、職人歴3年の藤枝さん曰く、

「まだ難しくて‥‥。これをつくっているとき何度も悔しい思いをしましたね。できなくて『もうっ!』と投げそうになったことも何度か‥‥(笑)」

注ぎ口
「この部分が難しい」と藤枝さん

この注ぎ口のように、どんなに機械化が進んだとしても、人間の手でしか生み出せない部分があるという。逆に言うと、手でつくれないものは機械に落とし込むことができないそうだ。

だからこそ、手加工は絶やしてはならない大事な技術なのである。

同社でガラス職人になるということは、そうした歴史を守ること。伝統の技術を未来に紡ぐことにもつながるのだ。

「不安はない?」──その答えは‥‥

最後に二人に聞いてみた。「これから先、ガラス職人として進むにあたって不安みたいなものはありませんか?」

すると二人は顔を見合わせて‥‥

藤枝さんと宮田さん

「不安ですか?」
「あるかな?」
「どうだろう‥‥」
「別にないかな‥‥」
「うん、とくにないよね」という答え。

藤枝さんは言う。

「もちろん、まだまだできないことはたくさんあって、それはそれで不安ですけど。でも、できないって言っちゃうとそこまでですよね。

それに、できることが増えていけば不安は自然と取り除けると思うので、なるべく挑戦し続けることが大切なのかなと思います」

使用している道具たち
できることが増えるたびに道具の数や種類も増えていく。「それが嬉しい」とふたりは言っていた

続いて宮田さんも。

「私はまだまだ職人歴は短いし、できるものは限られていますから、とにかくは目の前のことを一つ一つクリアしていければな、と思います」

エプロンについた焦げ穴
エプロンには焦げ穴が。ガスバーナーを使うガラス職人ならではの勲章だ

そして今日もまた。

彼女たちはガラスに向き合い続ける。

<取材協力>
HARIO Lampwork Factory 小伝馬町店
東京都中央区日本橋大伝馬町2-10
TEL:03-5623-2143
https://www.hario-lwf.com/

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子

「食洗機が使える漆器」が漆の常識を変えた。開発秘話を職人が語る

漆は食洗機では洗えない。

数年前までそれは、世間の常識だったと思います。

だけど、本当にそれでいいのか? —— 食洗機が普及しはじめた頃、その常識を疑った職人さんがいます。

「漆器は“日用品”であり、毎日の生活に使われるべき」。

そうして開発されたのが、“食洗機に耐えられる漆”です。

3年がかりで開発したその漆の誕生秘話を、職人さんが語ります。


「食洗機で洗える漆椀」
漆琳堂 内田徹

実家の家業を継いで10年が過ぎようとしていた。

福井で200年続く越前漆器の塗師屋に生まれ、後を継いで8代目。

父、祖父に漆塗りに必要な技術や理屈を教わり、おおよそ一人前の技術を身に着け、なんでも漆が塗れる。塗る速さなら誰にも負けないという意気込みもあったし、深夜12時を過ぎて塗り続けることができた。

若さゆえのエネルギーに溢れるころ、食洗機椀の開発はスタートする。

食洗機で洗える漆椀

「漆器はなぜ食洗機にいれられないのか?」冷ややかに受け流したクレーム

ある時、福井商工会議所が行っていた「クレーム博覧会」に、若手メンバーの一人として参加することになった。

物やサービスに対して全国からたくさんのクレームが集積され、その意見を基に改善し新たな商品を生み出そうといった事業だったと記憶している。

はっきりとした記憶ではないが、「雨傘が強風時に反り返るのはなぜだ、何とかしてほしい」とか、「老眼鏡をかける年になったがコンパクトでセンスのいいものが市場にはない」とか、さまざまな要望が記されていたと思う。

そんなクレームの1つに、「漆器はなぜ食洗機にいれられないのか?」というものがあった。

ちょうど世の中に食洗機が普及し始めたころだったかもしれない。

そのストレートな漆器に対してのクレームを見て、「いやいや漆器とは元来そういうものだ、食洗機を使いたかったらプラスチックの器を使えばいいのに」など冷ややかな意見もあり、すぐに開発という機運にはならなかった。

“漆器は食洗機では使用できない。”

業界内では周知の事実であった。なんせ天然塗料である。

また、漆器は英語で「JAPAN」と呼ばれ、日本を代表する工芸品でもある。海外にはない日本固有の技術であるという自負があったし、他の伝統工芸と比べても特別な工芸品とも考えていた。

—— 果たしてそうだろうか?

漆器は工芸品であって日用品である。

毎日の生活に使われて始めて日用品になることを私たちは忘れていたのかもしれない。

食洗機で洗える漆椀 制作風景

伝統工芸×化学

ちょうど同じころ全国の国立大学では、より地域に根ざすことが問われていた。福井大学も同じ状況で、私は「福井大学 産学官連携本部」にプロジェクトメンバーとして入会することが決まった。

「越前漆器」の産地の中で、漆が塗ることができる、大卒の若手後継者という観点からの選出だ。

そもそもこの産学官連携本部のメンバーは、上場している大企業や福井県の名立たる企業が多い。そんな中で「伝統工芸」の会社、しかも若手職人の入会は異例であった。

「何か困っていることはないか。」

直ぐに大学側から直球の質問がきた。

「‥‥別にありません」。

1500年続く越前漆器だ。伝統工芸に化学で研究することなどないと思い込んでいた。
また、あったとしても商売ベースになることはない、と全く期待もしていなかった。

何度も連絡があったが、その後も「別に」は続いた。今思えば定期的に連絡をくれていたのかもしれない。

何度目かの連絡の時、ふとクレーム博覧会を思い出した。

「あ、そうだ。漆って食洗機にかけれないのですが、何とかなりませんかね?」

「おーーー。内田さん!それは課題を見つけましたね」。

課題を見つけてうれしそうな担当の准教授のあの声を今でも覚えている。

食洗機で洗える漆椀 制作風景

諦めも感じた、無謀な挑戦

複数の偶然が重なり、食洗機で洗える漆椀の開発がスタート。

大学では漆の酵素であるラッカーゼの研究や、電子線との併合した研究、漆に特質基材を混合する研究、などたくさん行った。

その度に、本業の漆塗りができず作業がストップするため、大学に行きたくないことも多々あった。それでも先生が待っていると思うと休めなかった。

また、「産学官」というからには福井県にも協力を得ることができた。

福井県には他県にあまりない“福井県工業技術センター(工技センター)”という、県内産業の諸所研究を扱う出先機関が存在する。

「研究とは課題における実験を一つずつ卒なくこなす」という教えも、工技センターの漆担当・研究者の渡邊さんに教わった。
だけど研究は答えが明確に出ているものではないので、まるで霧の中にいるようにも感じた。

福井の漆器メーカー・漆琳堂

研究はいろんな可能性を見出そうと思いもよらない方向に向き、無謀なことだったのかと諦めを感じたこともあったが、軌道修正してくれたのも工技センターの渡邊さんだった。
どこまでのスペックを求め、どれくらいの費用で出来るのがベストなのか、など具体的に指標を示してくれたのだ。

多少の回り道もしたが、3年ほどの歳月を費やし、産学官(漆琳堂×福井大学×福井県)で食洗機に耐えうる漆器を開発することができた。

前段で記した通り、当初は商品化しても格安で耐熱プラスチックの器や陶磁器があるのですぐに広がるとは思っていなかったが‥‥

食洗機で洗える漆椀 使用例

漆器を日常食器で使ってほしい。普段の生活に何気なく存在する器であってほしい。

そんな想いで開発した「食洗機で洗える漆椀」は、人気商品になった。社会で活躍する女性が増え、家事をささえる男性が増えているのも要因かもしれない。

私は、今後も家庭にふつうに漆器が存在するように、頑張って漆を塗っていきたいと思っている。

株式会社 漆琳堂
代表取締役 塗師 内田徹

<掲載商品>
食洗機で洗える漆椀
株式会社 漆琳堂

除夜の鐘の音はゴーン?ガーン?作り手に教わる梵鐘の秘密

もうすぐ大晦日。年が暮れゆき、新しい1年が幕を開ける頃。近所の寺から毎年恒例のあの音が響いてくる。

テレビから流れてくる音を聞く人もいるだろう。NHK「ゆく年くる年」の中継で全国各地の寺が奏でる厳かな、あの音を。

日本人なら誰もがきっとなじみのある除夜の鐘が日本中で鳴り響く‥‥。

除夜の鐘の音の違い

ところで。

あなたがいつも聞いている除夜の鐘ってどんな音?

ガーンなのか、それともゴーンか。つくられた時代によって音は違う

「いま多くの方が連想されるのは『ゴーン』という音ではないでしょうか。どちらかというと重低音で、長い余韻のある『ゴーン』です」

そう話すのは富山県高岡市にある梵鐘のつくり手「老子(おいご)製造所」の代表取締役・元井秀治さん。

初代老子次右衛門より14代目となる元井さん
初代老子次右衛門より14代目となる元井さん
梵鐘だけでなく、仏像や銅像、カリヨンなども製作している老子製作所
梵鐘だけでなく、仏像や銅像、カリヨンなども製作している

老子製作所は、400年以上の歴史を誇る高岡銅器の生産地において、14代にわたり梵鐘をつくり続けてきた老舗。

驚いたことに同社は国内の鐘づくりの60%以上を占める梵鐘の大手メーカーである。

成田山新勝寺にある梵鐘から、比叡山延暦寺阿弥陀堂、京都の三十三間堂、沖縄平和記念堂にある梵鐘など、これまで納入した鐘は大小合わせて2万口(鐘の数え方は「口(こう)」)にのぼる。

「でも実のところ、昔からこの音だったわけではありません。『ゴーン』という音は、時代の流れのなかで日本人の感性がつくり出した音なんです」

そもそも梵鐘とは仏教法具の一つ。撞木(しゅもく/鐘を打つ棒のこと)で撞き鳴らす釣り鐘のことであり、中国や朝鮮半島を経て日本にもたらされたものだ。

「本家本元の中国の鐘の音はどうかというと、もうね、『バーン』なんです。よく映画などで、中国の場面になると『バーン』とドラのような音がするでしょう。まさにあんなイメージで、求められているのは広がる音です。

実際、中国人にお聞きしたところ長い余韻などは求めていない。大きな音で、『バーン』と広がるように鳴ればそれで良いそうです」

それが日本にもたらされ、すぐに「ゴーン」という音になったのかというと、そうではないらしい。

「京都の妙心寺に、698(文武2)年に製造された、日本最古の鐘と呼ばれるものがあります。

実際にこの鐘の音を聞いたことがありますが、どんな音だと思います?言葉にすると『ゴーン』ではなく『ガーン』という、ちょっと甲高い音なんです」

福岡の観世音寺には妙心寺の鐘との兄弟鐘があるというが、こちらも同じく「ガーン」という甲高い音がするという。

「さらにいうと、鎌倉時代につくられた狂言の一つに釣り鐘をテーマにした題目があるのですが、鐘の音を『ジャーンモンモンモンモンモン』と表現するんです。『ジャーン』といった時点で、もう高い音であることが分かりますよね」

バーンが、ガーンやジャーンになり、ゴーンになってきた‥‥と。

「これは私見ですが、日本にはわびさびの文化があります。世の中のはかなさや無常観といったものに美しさを感じる心があります。

そんな日本人ならではの感性がいつしか『ゴーン』という落ち着きある音を好むようになり、長い余韻のある音を求めていった。

おそらく私たちがいまイメージする『ゴーン』という音に定着したのは、江戸時代くらいではないかと思います」

梵鐘の姿形を見れば音が分かる

江戸時代に「ゴーン」という音に定着したのではないかという元井さんの仮説には、梵鐘をつくる人だからこその裏付けがある。

「先ほどお話しした『ガーン』と甲高い音の鳴る妙心寺の鐘は、撞座(つきざ)の位置が非常に高いんです」

撞座とは撞木で鐘を撞く丸い部分のことである。この位置が上にあるほど高い音が鳴るというが、時代とともにこの位置が下がってきているという。

丸い部分が撞座。妙心寺の梵鐘の撞座はもっと上の位置にある
丸い部分が撞座。妙心寺の梵鐘の撞座はもっと上の位置にある

さらにもう一つ。鐘の一番下にあたる裾部分は駒の爪(こまのつめ)というが、ここにも違いがあるという。

「それまでのものはシュッと下にそのまま落ちていくんですが、江戸時代あたりから駒の爪がポンと突き出すんです。出っ張りをつくる、というのでしょうか。これによって何が起きるかというと、余韻が長くなるんです」

ちなみに「バーン」という音を求める中国では、鐘の裾はびらびらと広がっているそうで「おばけのQ太郎みたいな形をしています」と元井さん。

落ち着いた重低音で、長い余韻があること。さらに日本の梵鐘において重要なのが、

「唸ってくれることです」

うなり、ですか?

「ええ、ほどよい唸りです。うわんうわん言うのはいけませんが、うぉーん、うぉーん‥‥とゆったりとした唸りがあることが大事なポイントで、良い鐘の条件でもあります」

これを再現するために必要なことはほかでもない「手でつくること」にあるという。

「つまりね、きれいな真円にしてしまうと唸らないんです。唸る必要のないカリオンなど西洋の鐘をつくるときには真円にしますが、日本の梵鐘はきれいすぎるとだめ。もちろん下手すると唸りすぎてうるさくなるので、そこには技術が必要です」

音色や響きを左右する200もの作業工程と熟練技

ここで簡単に梵鐘の基本的なつくり方を説明しよう。

まずは原寸大の図面を引く。形や文様、文字などのデザインはもちろん、厚みに至るまで綿密に決めていく。

「なかでも音にとって重要なのは肉厚のバランスです。鐘というのは肉が厚いと音が高くなり、薄いと低くなるんですが、全体が同じ厚みだと遠くまで響かない。なので、上は薄めにして、下にきてぐっと太く厚くなるような設計にしています」

裾部分の厚みがかなりあるのが分かる
裾部分の厚みがかなりあるのが分かる

次は型づくり。鐘の表面となる外側の鋳型と、内側の空洞部分の中子(なかご)をそれぞれ製作。

いずれも金属の高温に耐えるべく、頑丈につくらなければならず、時間と手間、職人の技術と経験が必要になる。

鐘の表面を形づくる外側の鋳型
鐘の表面を形づくる外側の鋳型
中子の材料は厳選した砂や粘土などを練り合わせたもの
中子の材料は厳選した砂や粘土などを練り合わせたもの
煉瓦を組むように中子を製作。このときつくっていたのは2尺8寸の釣り鐘
煉瓦を組むように中子を製作。このときつくっていたのは2尺8寸の釣り鐘

そしていよいよ鋳込み作業だ。中子に鋳型を被せ、そのすき間にそれぞれ溶解した銅と錫の合金をおよそ1200℃に沸かしてから1100℃前後で流し込む。ダイナミックでありながら繊細さを求められる作業である。

金属それぞれの溶解温度や合金の配分、鋳込みの温度、乾燥させる時間などの1つ1つがすべて音に影響するというのだから一切気は抜けない。

形ができたら色づけや、字や模様の彫金などを施していくが、その工程はおよそ200。1つの鐘をつくるために最低でも3カ月はかかる。

ちなみに原型から鋳造、仕上げ、着色、彫金といった工程のすべてを同じ地域でまかなえるのは高岡だけだとか。400年続く高岡銅器の歴史こそが、日本の梵鐘を支えているといっても過言ではないのだ。

日本が誇る3つの名鐘。ロケーションもポイントです

さて、鐘のことを学んだらきっとその形が気になったり、実際に音を聞き比べたくなるのではないだろうか。

たとえば日本には三名鐘と呼ばれる鐘がある。

一つ目は京都「神護寺」にある梵鐘。875(貞観17)年に鋳造された国宝であり、菅原是善(菅原道真の父)による銘文などが刻まれていることから“銘の神護寺”と呼ばれている。

また、見た目の美しさから“姿(形)の平等院”と称されるのが京都「宇治平等院」にある梵鐘。こちらは1053(天喜元)年建立の鳳凰堂と同時期に製造されたものと推測されている。

そして三つ目は滋賀「三井寺(園城寺)」にある梵鐘で、通称“声(音)の園城寺”。その名の通り音に関して名を馳せる。製造は1602(慶長7)年。江戸時代に変わる直前につくられた鐘である。元井さんは言う。

「鐘そのものの音はもちろんですが、三井寺はロケーションも抜群にいいんです。寺の後ろに山があって下には琵琶湖が広がります。

ここで梵鐘を鳴らせば山がレフ板のようになって鐘の音を反射して響かせてくれるんです」

では、元井さん自身がオススメする鐘ベスト3は?

「まずは『広島平和の鐘』です。これはうちがつくりました。広島平和記念式典のセレモニーで黙祷を捧げるときに鳴る鐘で、世界中に流れているんです。

平和記念式典の黙祷時の写真
平和記念式典の黙祷時、広島平和の鐘は鳴り続ける

子どもの頃は8月6日になると正座をさせられてずっと聞かされたものです。夏休みなのに遊びにも行けなくて(笑)

でも、やっぱりうちの会社の誇りですし、平和の鐘、鎮魂の鐘をつくろうという社是の理念にもなっている大事な鐘です。

そういう意味では『釜石復興の鐘』も同じ。東日本大震災があった年の6月に、どうしても年末に除夜の鐘をつきたいと釜石の方がいらして。

釜石復興の鐘
釜石復興の鐘
これまでの作品づくりに思いを馳せる元井さん
これまでの作品づくりに思いを馳せる元井さん

災害後、何もできんなと思っていたところに『つくってください』と言われたことで逆にこっちが助けられたといいますか‥‥。デザインもすべてゼロから考えてつくらせていただきました。

もう一つ挙げるなら、2000年に製造した京都「西本願寺」の鐘でしょうか。

あそこは朝の鐘を絶やしたことがないそうです。戦時中も空襲があっても、毎日鳴らし続けてきた。この鐘を取り替えるにあたって夜9時から朝4時までにやってくださいという注文があったんです。

世界遺産ですから草木一本折ってはいけないという状況のなか、120トンのクレーンでなんとか必死に取り替えた。そんな思い出の詰まった鐘です。もちろん音も良いですからぜひ、聞いていただきたい」

これまでなんとなく聞いていた梵鐘の音。鐘の音に違いがあるなんて考えたこともなかったが、今ではすっかりその音を聞きたくて仕方ない‥‥。

まずは除夜の鐘から──。

我が家の近くにある寺の梵鐘は、一体どんな音色を響かせるだろう。

<取材協力>
老子製作所
富山県高岡市戸出栄町47-1

文:葛山あかね
写真:浅見杳太郎

丈夫なかばんを探して琵琶湖へ。工業資材から生まれた「高島帆布」の魅力

「Made In Japan」のタグを見て、その先の“産地”も知りたいな、と思うのは私だけだろうか。

作られている地域が自分の地元だったり馴染みのある場所だったりすると、一気に親近感が湧いてくるものだ。そして「なぜその地域で作ることになったのか?」というものづくりの背景を追ってみると、その地域の風土や歴史が分かるからおもしろい。

たとえば、今回紹介する“高島帆布”。その特徴である「丈夫さ」は、産地の降水量の多さと冬の寒さが関係している。

高島市が織物の産地になった訳

滋賀県北西部に位置する高島市は、古くから織物の産地として知られてきた。

その所以は、わが国最大の淡水湖・琵琶湖と、さまざまな気象条件によって生まれる特異な気候にある。

この地域は「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉があるほど、とにかく雨の日が多い。日本海側の若狭湾から吹く季節風が比良山にぶつかり雲が低く立ち込める。そこに雨雲が発生しやすく、「高島しぐれ」と呼ばれる霧のような雨が多く降る。1年を通して湿度が高く、この湿度こそが製糸業にとっては抜群の作業環境といえる。

湿度の高さは糸を撚ったり(よったり)織ったりする際の糸切れを防いでくれる。高島は撚糸(ねんし)業を専門とする業者も残っており、強い撚りをかけた強撚糸(きょうねんいと)を使用した「高島ちぢみ」の産地でもある。

そんな高島で古くから生産されてきたのが「高島帆布」。工業用帆布として使われており、一般向けのアパレル製品をあまり作ってこなかったせいか、知っている人もまだ少ないかもしれない。

江戸時代、琵琶湖を往来する船の帆に用いられていたほど強度に優れ、あらゆる工業用製品の資材として重宝された。戦時中はなんと水汲み用のバケツとして使用されていたという。

高島帆布の生地

かつて綿帆布に定められていた厳格なJIS規格もクリアし、1997年に廃止となった今でもその規格に準じた生産を続けている。

高島特有の気候が、特に厚手で耐久性のある高島帆布を生み出しているのだ。

工業用資材からファッションアイテムへ

そんな帆布の強度を生かし、オリジナルのかばんを制作するのが「kii工房」。

丈夫な生地を生かしたラインナップと、どんなファッションにも取り入れやすいシンプルなデザインが人気だ。

白い帆布かばん
厚手で大きめの帆布かばんは旅行やピクニックなどのおでかけにも大活躍。丈夫なので型崩れしにくく、マチも広いのでたっぷり荷物を詰め込める
荷物を入れていなくても独立するほどしっかりした素材。カラーもホワイト、イエロー、レッド、カーキなど、さまざまなコーディネートに合わせたくなるバリエーションが揃う。
荷物を入れていなくても独立するほどしっかりした素材。カラーもホワイト、イエロー、レッド、カーキなど、さまざまなコーディネートに合わせたくなるバリエーションが揃う
ピクニックでの使用例
赤い帆布かばん

リスタートに何気なく選んだ、織物の郷

代表の來住(きし)弘之さんは、24年前、奥さんの恵美子さんとともにkii工房を立ち上げた。

元々大阪でかばんのサンプルづくりをしていたが、田舎暮らしに憧れ心機一転縁もゆかりもない滋賀県へと家族五人で移り住んだ。それが偶然にも、帆布の産地である高島だった。

平成7年にkii工房を立ち上げた弘之さん
平成7年にkii工房を立ち上げた弘之さん

自分のオリジナル商品で勝負したいと考えていた弘之さんは、早速高島帆布を使ったかばんの製造に着手する。しかし、現実はそう甘くはなかった。

「最初は京都や新旭の駅前にも店を出しましたが、これがうまくいかなくて。」

百貨店への営業も積極的に行ったが、売れ行きはいまひとつ。そこで弘之さんは、一度自分の商品を見つめ直すことになる。

高島帆布の魅力とは何か

來住(きし)弘之さん

「昔はファスナーなどいろんな飾りをつけてみたり、色や柄を多用したり、凝ったデザインのものばかり作っていたんです。

そこから基本に立ち返り、良い素材を使っていかにシンプルに作るかだけを考えました。」

さまざまな要素を極限までそぎ落としたデザインを追求。持ち手を牛ヌメ革に変え、必要最小限のポケットをつけた。商品を作りだして、14年目の方向転換だった。

「kii」のロゴがはいったかばん

本来、高島帆布の魅力は「厚くて丈夫」な生地にある。そこに飾りは必要なく、シンプルであればあるほど、その特徴は際立つのだ。

そこからじわじわと人気を集め、着実に売れ行きは伸びていった。

糸を先に染めてから織る「先染め」での技法でチェックなどの柄を作り出す商品も。
糸を先に染めてから織る「先染め」での技法でチェックなどの柄を作り出す商品も

全国行脚して対面販売

kii工房は12~3年前から、イベントにも積極的に参加している。北海道から九州まで、全国の手づくり市やクラフトフェアに出展するため、月に1~2回は遠征へ出かけているという。

製作風景
革ひもなどの素材

「対面販売が基本だと思っています。実際に見て、この生地に触ってもらいたいんです。」

kii工房代表の來住(きし)弘之さん

「青森や福島へも毎年出展していますけど、お客さんが覚えていてくれたりして。だから次の年には、定番に加え新商品も少しだけ持っていくようにしています。」

人とのやりとりを大事にし、10年以上も全国行脚を続けている弘之さん。そうしてファンやリピーターを増やし、ブランドを着実に育ててきた。

等身大で、最大限のものを作る

工房は弘之さん夫妻の自宅の2階。ここへ毎日、近くに住む長女とその旦那さんがやってきて一緒に作業をする。さらに少し離れたところでは、長女夫妻が作業をしているという。

そう、kii工房の商品はすべて家族7人の手作業だけで作られているのだ。

工房内での製作風景
ミシンを使った製作風景

「子供たちには忙しい時期だけ、ちょっと手伝ってもらうはずが‥‥(笑)」と弘之さん。
今や長男や娘もその婿も、立派な職人だ。

お婿さんの作業風景

サイズ違いや色違いなどを合わせると、商品点数は今や200近くにのぼる。

新しい商品のアイデアや、形や色、ロゴの付け方などのデザインは家族みんなで出し合って決める。外注のデザイナーに頼んだことは一度もない。

工房での制作、全国への出店、長浜にある実店舗の店番と、家族それぞれがすべてのパートをこなしながら、kii工房を支えている。

弘之さん、美恵子さん夫妻と娘夫妻
弘之さん、恵美子さん夫妻と長男、娘夫妻

商品の魅力はその手頃さにもある。商品の平均単価は6000円弱。

まずはお客さんに実際に使ってもらい、その感触を確かめてほしいと、良心価格で提供する。

「良いものを作っても、売れなければそれはただの自己満足。凝ったデザインにしたくなるのをグッと抑えて、この価格帯でできる最大限のものを作っています。」

代表の來住(きし)弘之さん

本当に良いものを多くの人に届けるために、何を捨て何をすべきか。

その答えは、とてもシンプルだった。

 

<取材協力>
kii工房
滋賀県長浜市元浜町21-38(店舗)
kiikoubou@kym.biglobe.ne.jp

文:佐藤桂子
写真:桂秀也