「となりのトトロ トトロ トトロ トトロ 森のなかに むかしから住んでる ♪ 」
(『となりのトトロ(作詞:宮﨑駿)』より引用)
この歌を口ずさむ時はいつも、心にゆとりがあり、楽しく心地好い気持ちに包まれているような気がします。
森を見守るように、やさしいまなざし。誰もが一度は触れたいと願う、あのふかふかな毛、大きなおなか、繊細なヒゲ…目が合えばきっと歌いだしたくなる。
映画から飛び出してきたかのような、「くすの木のトトロ」を作りました。
一本の木から、一人の木彫刻家の手によって、丹念に命が吹き込まれています。「くすの木のトトロ」がどのように生まれているのかをお届けしたくて、富山県南砺市、井波彫刻の産地を訪ねました。
産地を訪ねて、日本一の木彫りの町・井波へ
木槌のトントン、カンカンという音があちこちから聞こえてくる井波彫刻のふるさと、富山県の「八日町通り」。木造の町屋が並ぶ通りを歩けば、木彫刻の工房やノミを売る商店などが立ち並びます。
「人口約8000人のうち200人が木彫り職人なんですよ。僕の橫の家も、斜め向かいの家も、木彫り職人の家です」
そう話すのは、「くすの木のトトロ」を彫る、田中孝明さん。
町全体が、木彫刻美術館と称され、日本遺産にも登録される井波。町のシンボルとも言える、瑞泉寺が江戸時代中期に火災で焼失した際、京都から招かれた彫刻師が地元の宮大工に木彫りの技を伝えたことが、井波彫刻の始まりとされています。
持ち家率全国No.1で、家を大事にする土地柄の富山県において、明治時代以降は和風住宅の「欄間(らんま)」が広がり、町の産業として発展してきました。
通りを歩けば、いたるところに木彫刻が飾られており、美術館と称されるのも頷ける景観です。
そんな木彫りの町の一角に、田中さんが構えるトモル工房はあります。
自然と向き合いながら表現するもの
井波彫刻と言えば、神社仏閣に端を発するだけあって、写実性のある力強い印象をもっていましたが、田中さんの作品を見て感じたのは、やさしさ、でした。
擬音で表現するなら、「ふわり」。
少し浮いているんじゃないかと思う、重力を感じさせない、やさしくおだやかな佇まい。思わず、ほっと力が抜けて、自然と周囲に目が向くような気持ちにさせてくれます。
「何で人形を彫っているんですか?と聞かれることが多いんですけど、僕としては人形を作っているつもりでもなくて。
自然や庭の中で感じたことを何か形にできないかなと思って表現した時に、それが、たまたま人の形をしたものだったんですよね。
見てくれた人がこれは何だろう、と感じる余白を残しつつ、自分なりの表現を形にするために作っています」
依頼のお仕事や節句人形を彫るだけでなく、自身の表現を形にする作家活動を行う田中さん。
作品に共通するコンセプトは、「平常心」や、「自然からのなにか」。一つひとつ形は違えど、作品を作り始めてから、そのコンセプトは変わっていないのだと言います。
「今回のトトロは依頼のお仕事で、その姿形を誰もが知っていて。自分の感じるままにはもちろんできないんですが、自然に向き合うような気持ちで彫っていたのは、同じかもしれません。
子どもの頃はトトロと言えば愛らしいイメージをもっていたんですが、今回くすの木を彫る中で、木そのものなのかもしれないと感じながら彫り出していきました」
360度どこから見ても、トトロらしくあるように
「彫りながら、トトロとはなんぞやということは、ずっと考えていました。それは、目に見える形としてもそうだし、トトロという存在自体についても。
形で言えば、映画は2Dなので、3Dに起こした時にどこから見てもトトロらしくあるように、という難しさはやっぱりありました」
「設定資料なども沢山拝見したのですが、生き物なので、シーンによってシルエットとか鼻の位置とかが結構違うんですよね。でもみんなトトロに見える。その理由を今でも知りたいと思ってるんですが、
そういえば、作ってる最中に、たまたまアメリカのご家族が工房に立ち寄られたことがあって。まだすごい荒彫りの状態の物が並んでたんですけど、それを見て“トトロだ!”と、小さな女の子が言ってくれたんです。
トトロになるんだよと言ったら、もうトトロだって言ってくれました。それだけシルエットが世界中に浸透していることがよく分かる出来事でした」
世界中に浸透しているということは、その分、トトロのシルエットへの期待があるとも言えます。荒彫りの状態でも分かるようなトトロらしさは、どのように作りだしたのでしょうか。
「横から見た時のシルエットにはこだわりました。中心の芯をしっかりとりつつ、お腹がぼーんと出るように。だらしなかったり、どちらかに倒れるような感じにはしたくなかったので、足の位置を少し後ろに持ってくることで安定感を出しています。どっしりしつつ、たぷっとした感じも出るように心がけて彫り出しました。
あとは、もこもこした印象を出せるように、全体的にあえてノミ跡を残しています」
そしてついつい見入ってしまうこの表情。間近で見ると分かるのですが、目は立体的に彫り出されています。
「顔は、宮﨑さんが描かれたトトロの設定資料を忠実に守って彫っています。
目尻目頭が必要とか、獣であることが必要だということを言われていて。動物であり、だけど可愛らしさもあり、ちょっとだけ気持ち悪さのようなものもあり、みたいなところを出来る限り再現したいなと。
身体は毛に覆われているので自由度が高いらしくて、トトロらしさをしっかり見せるには、やっぱり顔が大事だなと思ったので、慎重に彫り出していきました。
最初の頃は、目を彫るのが本当に怖くて…失敗したらやり直しが効かないので、少しずつ刃を入れていましたね」
目は口ほどに物を言う。そんな言葉があるように、仏像や獅子頭を作る上でも、やはり最後の目入れは、気を配る部分なのだそうです。
「黒目の部分は、ただただ黒いと少し怖い感じになってしまったので、ほんの小さな白い点を入れて、生きた感じが出るようにしました。間近で見ないと分からないような点なのですが、目に力が入ったと思います」
黒目にほんの小さな光をいれる、その誠実なものづくりは、すべてに通じています。
例えばヒゲは、弾力性に富む椿の木を細く割って作っているそうです。削り出して作ると折れやすくなってしまうので、ある程度細くなるまでは割っていき、そこから少しだけ削ることで、出来る限り折れにくいようにしています。
白目は真っ白ではなく、ほんの少しだけ黄色を混ぜて自然な色に。お腹はなるべく明るくなるように一度脱色して、光らないようにうっすらアイボリーを混色して。
頭の上に乗る葉っぱは、側面を鋭角に尖らせることで、間に空気を感じさせるように。
聞けば聞くほど、丁寧に作られたことが伝わってきます。
自分のとなりにいるかもしれない、不思議なもの
物としてのトトロらしさの追及はもちろん、彫る中で、トトロとはなにか、ということについても思いを馳せる日々だったと言います。
「くすの木は、もともと大好きな素材で、自分の作品でもお世話になっていたんですが、今回彫る中で、トトロがくすの木そのもののような気がして、くすという素材がより身近なものになったように感じています。
もしかしたら神様かもしれないし、すごい生き物かも、あるいは生き物じゃないかもしれない。でも身近にいるような。それこそ“となりのトトロ”と言うように、思っている以上に、自分のとなりには、カテゴリーに属さない不思議なものが近くにいるんじゃないか。それが、半ば具現化したものかもしれないと思ったり、見えるものがすべてじゃないなと感じたり…。
トトロを、というよりも、くすの木を彫りながら、そんなことを考えていました」
最後に、「くすの木のトトロ」を迎える方に届けたい言葉はありますか?と聞くと、
「うーんと…そうですね、安心して暮らしてださい、というのが近い感覚ですかね。
神様でもなく仏様でもなく、でも家族をいつも見守ってくれる存在にはなると思うので。木そのものみたいな感じなので、穏やかに見守られながら暮らしていただければいいなと思います」
自然そのもののような、お守りのような、「くすの木のトトロ」は、こうして、一人の木彫刻家の手によって、誠実に丹念に命を吹き込まれて生まれました。
映画『となりのトトロ』を見ると沸き起こる、宝物のように大事にしたくなる感情。この記事を読んでいるかたは、きっと誰もが一度は受け取っているのではないでしょうか。
自然と、自分の外に目を向けてみれるような、世界へのまなざしがすこし変わるような。
今回作ったものが、映画と同じように、心の余白が生まれるきっかけになり、皆さまの暮らしに温かい時間をお届けできるものであれば幸いです。
<木彫実演会のご案内>
2023年3月4日(土)、5日(日)には、中川政七商店 渋谷店にて、田中孝明さんによる、木彫りの実演会を開催いたします。
くすの木がもつ温かみと彫りたての木っ端の香り、井波彫刻という産地の歴史がつなぐ技、田中孝明さんという一人の木彫刻家がもつ世界へのまなざし。
私は今でも、工房にお邪魔した時のことが時折頭に浮かびます。中川政七商店に集う皆さんなら、きっと私たちと同じように、素敵ななにかを受け取っていただける時間になるのではないかと思います。お時間許す方、お近くにお住まいの方、どうぞぜひ足をお運びください。
<掲載商品>
井波彫刻 くすの木のトトロ
<関連特集>
<関連記事>
・手仕事の愉しみを次世代につなぐ、スタジオジブリと日本の工芸の出会い
・井波彫刻とは。日本一の彫刻の町の技と歴史
写真:阿部高之
文:上田恵理子