この暮らしの道具、ちょっと変わってるんです。どこが違うかわかりますか?

これからお見せする商品、普段よく目にするものと何かが違います。さて、どこが違っているでしょうか?

握ったところを想像してみてください。

カッター

これは‥‥、かなり難易度が高そうです。

一般的な急須に見えますが、パーツの位置が違う?

急須

メモリの数字の向きにご注目!

定規

さて、何か気づきましたか?

実はこれ、すべて「左利き用」に作られた道具なのです。

8月13日は「国際左利きの日」

きょう8月13日は、国際左利きの日。左利きの生活環境の向上に向けた記念日です。世界人口の約10%が左利きと言われています。

1992年8月13日、イギリスにある「Left-Handers Club」により、右利き用だけでない誰もが安全に使える道具を各種メーカーに対して呼びかけることを目的に提唱・制定されました。

今日は、左利きの道具について紹介します。

全国から左利き客が訪れる「駆け込み寺」

左利き用アイテムに詳しい方がいると聞き、お話を伺うことに。

訪れたのは、神奈川県相模原市にある文具雑貨店「菊屋浦上商事」。同店には「左利き用グッズコーナー」があり、その品揃えは約100種類!

「日本で一番左利きグッズが揃っている」と、全国からお客さんが訪ねてくる駆け込み寺のようなお店なのだそう。

棚には数々の左利き用の道具が並んでいます
棚には数々の左利き用の道具が並んでいます

社長の浦上裕生 (ひろお) さんは、左利きに関するデータを収集したり、海外に赴いて文具の買い付けや調査を行うなど、左利き事情に精通している方。

元SMAPメンバーで左利きの稲垣吾郎さんとラジオ番組で対談したり、人気バラエティ番組「アメトーーク!」で「左利きを幸せにするお店」として紹介されるなどを皮切りに、メディアからの取材依頼や企業からの相談も舞い込んでいます。国内だけでなく、海外メディアからの取材を受けることもあるのだとか。左利きへの注目の高さが伺えます。

1973年に開店以来40年以上の歴史を持つ文房具店「菊屋」(正式には菊屋浦上商事株式会社)浦上裕生さん
元々は左利きで、今は両利きという浦上裕生さん。「世界でこれだけ大きく専用コーナーを設置しているのはうちだけですよ」と自信たっぷり。左利きコミュニティでの交流や情報発信も積極的に行なっています

かつては左利き文具は在庫しつつも店頭には並べず、注文があれば出す程度だったという同店。ではなぜ、これほどに「左利き用グッズ」をたくさん揃えるようになったのでしょう。

左利きの弟が右手用の道具で大怪我

「25年以上前、左利きの弟が右利き用カッターを使って大怪我をしました。右手用に設計された道具を使うと刃が手に刺さりやすかったり、危険なことも多いんです」

カッター
こちらのカッターは左利き用。刃の向きが利き手によって異なるので、反対の手で使うときは注意が必要です

「弟の怪我を機に、当時店を経営していた両親が左利きのためのコーナーを設置しました。1998年に私が店を継ぎ、品揃えを充実させて今に至ります。

『左利きグッズがなんでもある』とネット上で話題になり、日本の方だけでなく、海外からのお客さんも来てくださるようになりました。調べてみると海外では日本より左利き用の道具が作られていないんです」

無理なく安全に使える向きに整える

それでは左利き用の道具について、浦上さんに詳しく解説していただきましょう。

「例えば、急須は左手で持って注ぎやすいように、取っ手が左側、注ぎ口が右側についています」

左手で持ちやすい急須

左利きの方が一般的な急須を使う場合、取っ手が右にあるため右手で持つか、左手で持って手をひねって注ぐ必要があるのだとか。それは使いにくそう。

「ハサミは刃の合わせに工夫があります。紙に刃を入れた時に、切っている部分が見えるように刃を合わせます」

左のハサミは左利き用、右のハサミは右利き用。それぞれ切っている面が刃の手前に見えるようになっています
左のハサミは左利き用、右のハサミは右利き用。それぞれ切っている面が刃の手前に見えるようになっています
こちらは浦上さんの私物。右利き用ハサミに慣れてしまったけれど、持ち手の穴の大きさが右手仕様だと指が痛くなる。そんな悩みに対応して、持ち手は左利き、刃の合わせは右利き用に作られていました。泣けます‥‥
こちらは浦上さんの私物。右利き用ハサミには慣れたけれど、持ち手の穴の大きさが右手仕様だと指が痛くなる。そんな悩みに対応して、持ち手は左利き、刃の合わせは右利き用に作られていました。泣けます‥‥

「こんなものもあります。扇子は右手で開いて使うようになっているので、左手で仰いでいるとだんだん閉じてきてしまうことがあるんです。だから、開く方向が反対になったものを作ってもらいました」

左利き用の扇子
左利き用の扇子
定規
左利きグッズの中で一番売れているのが定規。塾の先生がまとめ買いしていくことも。左手で線を引く場合、右から左へペンを進めるとスムーズ。線を引く向きに合わせて、目盛りの数字が右からついています。「右利き用の定規を使う時は引き算をしていた」なんて左利きの人の声も
速乾性の水性ボールペン
こちらのボールペンはインクに秘密があります。速乾性の水性インク。左利きの人は横書きで文字を書き進めると、書いた直後の文字をこすりながら手を移動させるため、手やノートがインクで汚れてしまうことが多いそう。すぐに乾くことでこの悩みを解決してくれると大ヒットしました

ロゴの向きが自分に合っていると嬉しい

ところで冒頭で紹介した鉛筆はどこが左利き用だったのでしょうか。

左利き用えんぴつ

「この鉛筆は、ロゴの向きが一般的なものと反対なんです。左手で持った時にロゴが正位置になるように作られています。なんてことないのですが、自分のための道具と思えて嬉しいという声を聞きます。

他にもマグカップの柄は右手で持った時に正面を向くように作られていたり、自動販売機の投入口は体の右側に設置することが一般的だったり。世の中には右手で扱うことを想定して作られているものが多いですから」

左利き用えんぴつ
ロゴの向きにご注目!

ロゴの向きだけで喜びを感じるなんて。左利きの方は道具に苦労されることが本当にたくさんあるんだろうなぁと改めて実感しました。

バターナイフ
お店にはこんなものもありました。向きの異なる2本のナイフをつなぎ合わせ、どちらの手でも使えるユニバーサルデザインのバターナイフ
バターナイフのロゴ
左手で持った時にロゴが正面に来る珍しい仕様です

浦上さんに解説していただきながら、たくさんの左利き用アイテムを試しました。私は右利きなので、左利き用の道具を使ってみるとその使いにくさに驚きます。つまり、左利きの人たちは日常的にこの使いづらさに向き合っているということ。知らなかった‥‥。

少数派にも使いやすい道具を

「昔に比べて矯正されなくなったこともあり、今、左利き人口は増えていると言われています。とはいえ全体の割合から考えると少数のため、まだまだ左利き用の道具は少ないのです。

道具の存在を知らない左利きの人もいますし、少量生産になるので在庫終了とともに廃番となってしまう商品も少なくありません。

でも、少数派だから不便なままで良いってことはないですよね。クラウドファンディングを活用して左利きグッズを作ることも企画中です」

左手用のおたま
浦上さんの提案で生まれた左利き用のおたま。給食の配膳でおたまが使いにくいという生徒の声を受けて、近くの小学校に寄贈したことも。このおたまがあることで、右利きの子どもたちが左利きの道具を体験する機会にもなっているそう

「必要としている人がいること、使いやすい道具があることをもっと発信して、広めていきたいと思っています」

そう熱く語る浦上さん。昨年2017年2月に新たな取り組みをスタートしました。

2020年東京五輪・パラリンピックを世界中の左利きの人が集まる機会ととらえ、メーカーと協業し、左利きグッズを充実させていこうという「レフティ21プロジェクト」。

浦上さんの呼びかけに応じて、文具メーカーのゼブラ、プラス、ライフ、調理器具メーカーのレーベン販売、ペンタブレットを手がけるワコム、輸入文具を扱うドイツ系のエトランジェ・ディ・コスタリカが参加を決め商品開発が進んでいるそうです。

自分にぴったりの道具があると、使うのが楽しくなったり、道具に愛着も湧きます。使いやすい道具の拡充、楽しみですね。

<取材協力>

菊屋浦上商事株式会社

神奈川県相模原市中央区相模原6-26-7

042-754-9211
http://www.kikuya-net.co.jp/

文・写真:小俣荘子

人間国宝がデザインした、暮らしに溶け込む「ござ」

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱久美です。
連載「日本の暮らしの豆知識」の8月は旧暦で葉月のお話です。旧暦の名前の由来は諸説ある場合が多いようですが、葉月の由来もやはりいくつか説があります。

新暦では9月上旬から10月上旬の秋にあたるため、「葉が落ちる月」の説が有力と言われていますが、他には、稲の穂が張る「穂張り月 (ほはりづき) 」という説や、雁が初めて来る「初来月 (はつきづき) 」という説、南方からの台風が多く来る「南風月 (はえづき) 」という説など多数あります。

新暦の8月はと言えば、秋の気配はまだまだ先のこと。暑さのピーク時期ですね。最近の猛暑振りには辟易 (へきえき) もしますが、暑い夏ならではの楽しみやモチーフもたくさんあります。

海水浴、花火、盆踊りなどのお愉しみや、ビールや最近大流行のかき氷も暑いほど食べたくなります。

毎夏話題になり、注意喚起されるようになった熱中症も、外を歩いているとすぐにクラクラしてくるので、他人事ではありません。太陽の光の下を歩くと、暑さとは別に、疲れを感じることはありませんか?

日傘も無ければ相当の紫外線を浴びることになります。紫外線が肌に良くないことは知られていますが、細胞の働きに影響を与えることで免疫力が落ち、結果疲れを感じるそうです。目からも紫外線の影響は受けるので、夏の外出時はサングラスをかけるのはファッション以外の効果もあるのだそう。

夏の休日の外出後は、昼寝 (夕寝?) をすると、疲労回復にもなり気分がすっきりします。その際は、水分を取らないと逆効果なのでお忘れなく。

「三宅松三郎商店」の「花むしろ」

私は、リビングでは床座りタイプで、通年はウールラグを敷いていますが、夏はイ草で出来た「花むしろ」も利用します。イ草は触感がさらりとし、座っても寝転がっても気持ちがよいもの。夏の昼寝にも最適です。

愛用の花むしろは、岡山県倉敷の「三宅松三郎商店」のものです。書籍「日本の暮しの豆知識」でも紹介していますが、三宅さんの民芸運動の流れを汲んだ長年変わらぬ丁寧なもの作り、季節や日本文化を大切にした丁寧な暮らしには、尊敬と憧れを抱いています。

イ草栽培の盛んな岡山県南部では、さまざまなイ草製品が造られてきました。その中で、模様を織りこんだござを、花ござとか花むしろと呼びます。

「三宅松三郎商店」は、1912年の創業以来、花むしろなどのイ草製品を製造し続けて、現在三代目の三宅隆さんと操さんご夫婦お二人で、イ草の仕入から製品の販売まで切り盛りをされています。

人間国宝「芹沢銈介」がデザインした、モダンでカラフルな図案

この工房は、民芸運動の一翼をになった人間国宝の染色家、芹沢銈介 (せりざわ・けいすけ) 氏がデザイン図面に関わったことがあります。今でもその図案集が大切に保管されており、工房にお邪魔した際に貴重な資料を拝見することが出来ました。

芹沢銈介氏の図案集
芹沢銈介氏の図案集

赤、緑、黄色などカラフルなストライプや格子状にデザインされた図案や試作品は、今見てもモダンで欲しい!となるものばかりでした。

当時の織り機は現在とは違うこともあり、再現の難しいデザインも多いのですが、シンプルでシックな色使いの花むしろは、現代の生活にも取り入れやすいと思います。

織りは機械と言えど、手仕事の行程が思った以上に多いのです。イ草の選別、染め、織ったら10メートルほどの長い花むしろを天日干し。

そのあと、サイズにカットして縁処理や手縫いで縫い合わせなどを施します。製造工程を拝見すると、体力仕事でもあり根気も必要で、価格がとてもリーズナブルに思われます。

何度かお邪魔していますが、毎回奥様の操さんが、お抹茶と和菓子でおもてなししてくださいます。その茶器をはじめ、ご自宅のインテリアには花むしろをはじめとする民芸品や工芸品が多く、そのどれもが毎日の生活に使われ、暮らしにとけ込んでいるのを感じます。

花むしろも、夏のイメージが強いですが、サイズによって畳敷きや、テーブルランナー、コースターなどいたるところに年中使うそうです。手入れもサッと拭くだけ、巻いたら意外と嵩張らず出し入れも気軽です。

醍醐味はやはり寝っころがって、すべすべ気持ちの良いイ草の心地よさを感じること。香りも穏やかで、気持ちの良い夏のお昼寝に欠かせない、葉月の暮らしの道具です。

<掲載商品>
花むしろ各種 (三宅松三郎商店)

<関連書籍>
日本の暮しの豆知識

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、
美味しい食事、美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文:細萱久美
写真:木村正史

こちらは、2017年7月30日の記事を再編集して掲載いたしました。

はじめて買う「出西窯」5つの楽しみ方。作り手と会話して選ぶ楽しさを、出雲で味わう

島根県出雲市にある「出西窯 (しゅっさいがま) 」。

出雲大社へのお参りに向かう人たちで賑わうJR出雲市駅から車で約10分。赤瓦の屋根と木の看板が見えてきました。

看板
職人さんの姿

小川が流れる道の両脇に、ずらりと並んだ焼きものや道具類。作業中の職人さん。最近は「出西ブルー」の名でも知られる、出西窯に到着です。

もともと、工房を訪ねて気に入った器を作り手さんから直接買い求める「窯元めぐり」に憧れを持っていました。

一方で「どこに訪ねていったらいいのかな?」「いきなり行っていいのだろうか‥‥」と勝手がわからず尻込みし続けてはや幾年月。はじめの一歩を、この記事で踏み出したいと思います。

楽しみ方 1:窯元の背景に触れる。出西窯と民藝運動の関係とは

出西窯のある島根県一帯では、古くから生活用具としての焼き物が盛んに作られてきました。

そんな中で昭和初期に起こった柳宗悦ら率いる民藝運動は一帯のものづくりにも影響を与え、今も数々の窯元で、「民藝」の意志を受け継いだ器を見ることができます。

出西窯も民藝の影響を受けた窯元のひとつ。

出西窯の工房内にある、河井寛次郎の言葉
出西窯の工房内にある、河井寛次郎の言葉

昭和22年に、一帯を流れる斐伊川 (ひいかわ) 沿いの村に暮らす仲の良い5人の青年が、「自分たちで仕事を起こそう」と始めたのが出西窯の始まりだったそうです。

開窯してほどなく、当時民藝運動を率いていた河井寛次郎、濱田庄司、そして柳宗悦に会い、彼らの説く「民藝」に深く感銘を受けた5人。

「野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具」をものづくりの指標に掲げ、今も民藝に根ざした器作りが続けられています。

楽しみ方 2:出西窯の器が生まれる全工程を、間近でじっくり見学

この日、出西窯に到着したのは9時ごろ。併設の展示販売場がオープンする時間には少し早かったのですが、すでに工房には職人さんたちが出入りし、仕事を始めている様子が伺えます。

「もう工房は動いているので、見学して大丈夫ですよ」と取材に応対くださった横木さんが教えてくれました。

出西窯では、定休日の火曜日と元日以外、一般の人が工房の中を自由に見学することができます。個人での見学であれば、事前の予約や訪問時の手続きも不要。

お米の倉庫を改築して作ったという工房。屋根には出雲地方特有の石州瓦。赤茶色が特徴的です
お米の倉庫を改築して作ったという工房。屋根には出雲地方特有の石州瓦。赤茶色が特徴的です
丁寧に案内が掲げられている工房入り口
丁寧に案内が掲げられている工房入り口

工房内には立ち入りを制限するロープや仕切りもなく、例えばろくろを回している職人さんのすぐ後ろまで近寄って、その仕事ぶりを間近で見ることもできます。

ろくろを回す後ろ姿

フラッシュや三脚利用など作業の妨げにならなければ、撮影も可能です。

出西窯では器の種類ごとに専門の職人がいます。一人ずつに1台のろくろがあり、成形から焼いて完成させるところまで、一貫して一人の担当が行うそうです。

一人一台のろくろ。使い勝手のいいように物が配置されています
一人一台のろくろ。使い勝手のいいように物が配置されています

お邪魔した日も、土を作っている人、ろくろを回す人、釉薬をかけている人‥‥と、人によって行っている作業が様々。見学に行く時期や時間帯に関係なく、器ができるまでのあらゆる工程を横断的に見学することができます。

原料を精製中
ろくろを使った成形
焼き上げ後に色を出しわけるためのひと手間
釉薬をつけているところ
釉薬をかける前準備中
箸置きの仕上げ処理中
粘土づくりの工程

楽しみ方 3:わからないこと、知りたいことは直接聞いてみる

さらに驚いたのが、いきなりやってきた私のような見学者を、職人さんたちが自然と受け入れてくれていること。通りがかれば「こんにちは」と和やかに声をかけてくれます。

どうしてこんなにオープンなのでしょうか、と横木さんに伺うと、「おかげさま」という言葉が返ってきました。

「併設の展示販売場には『無自性館 (むじしょうかん) 』という名前がついています。無自性には何事もおかげさまである、という意味があるんです。

自分たちの手柄ではなく、みなさんのおかげで今・ここがある、という精神を表しています。だからこうして来てくださる方に対しても、常にオープンにしてあるんです。

なかなか話しかけづらいと思いますが、みんな慣れているので聞きたいことがあったら気軽に声をかけていただいて大丈夫ですからね」

嬉しいことに、ただ「見る」だけでなく、見学していて気になったことは、職人さんにその場で尋ねてOK。

私も、今何の作業中ですか、この道具は何ですか、といろいろな方にお声がけしましたが、みなさん気さくに丁寧に教えてくれます。

「この道具はね‥‥」と、素朴な疑問にも丁寧に答えてくれます
「この道具はね‥‥」と、素朴な疑問にも丁寧に答えてくれます

楽しみ方 4:ここならではのものづくりに触れる

工房の中には本当に数え切れないほど様々な色かたちをした器があちこちに並んでいます。焼く前のもの、焼きあがって出荷を待つもの。その数は別注品なども合わせると数千種にのぼるそうです。

道路沿いで天日干しされている器たち
道路沿いで天日干しされている器たち
青い器

中でも「出西ブルー」という深みのある青い器が有名ですよね、と横木さんにお話しすると、

「出西ブルーと呼ばれる青い器は、電気窯、灯油窯、登り窯の中でも灯油窯が一番きれいに出せる色なんです」

と教えてくれました。さらに意外なお話も。

「実は“出西ブルー”って、私たち自身は一度も言ったことがないんですよ。もともとは黒い器がこの窯を代表する色だったんです。

大きな賞をいただいた作品が青い器で、その頃から次第にその呼び名が広まっていったようですね」

こんなお話を聞けるのも、作り手さんを直接訪ねる醍醐味です。

電気窯
電気窯
今も現役の登り窯
今も現役の登り窯
出西ブルーと呼ばれる美しい青色が生まれる灯油窯
出西ブルーと呼ばれる美しい青色が生まれる灯油窯
美しい黒色はかつての出西窯の代表色
美しい黒色はかつての出西窯の代表色
ずらりと並んだ釉薬
ずらりと並んだ釉薬

楽しみ方5:実際に使ってみる、暮らしの中に持ち帰る

工房をあちこち見て回って、所要時間は1時間ほど。ここからは併設の無自性館で、買い物を楽しむ時間です。

無自性館の外観
無自性館の外観

工房直営なので、この時期、この場所でしか買えない器も並びます。これも窯元めぐりの嬉しいところ。

2階には靴を脱いであがります
棚にたくさんの器
センスよくセレクトされた地域のお土産物も並びます
センスよくセレクトされた地域のお土産物も並びます

両手いっぱいにお土産を抱えて、タクシーを待つまでの間に戦利品を眺めながら少し休憩を。

日差しの差し込む休憩スペース
日差しの差し込む休憩スペース

無自性館の中には、出西窯の器でコーヒーをいただける休憩スペースがあります。ずらりと並んだマグカップを、どれにしようかと迷うのもまた楽しいひと時です。

マグカップがずらり

さっき目の前で作られていた器を実際に使ってみることができるという嬉しいサービス。地元・出雲の和菓子「生姜糖」とともにゆっくりとコーヒーを味わいながら、器の持ち心地や口当たりを楽しみます。

テーブルにご自由にどうぞと置いてある「生姜糖」と一緒にいただきます
テーブルにご自由にどうぞと置いてある「生姜糖」と一緒にいただきます

初めての窯元めぐり。ビギナーにも優しい出西窯でデビューできたのは幸運でした。まさに「おかげさま」。

午後は平日でも工房、無自性館ともに賑わうそうで、午前中のほうがゆったりと見学できておすすめだそうです。

窯元めぐりをやってみたい人、自分好みの器をじっくり探したい人、今度出雲・松江に行こうと思っている人、思い立ったらぜひ。

<取材協力>
出西窯
島根県出雲市斐川町出西3368
0853-72-0239
https://www.shussai.jp/

周りは広々と田園風景が広がります
周りは広々と田園風景が広がります

文・写真:尾島可奈子

こちらは、2017年11月13日の記事を再編集して掲載いたしました。2018年5月にオープンした、出西窯のうつわで楽しめるベーカリー&カフェ「ル コションドール出西」も合わせて訪ねたいですね。

「大地の芸術祭」を支える仕事人。「アーティストと喧嘩してでもいいものを」

史上例を見ない逆走台風が日本に上陸した日。嵐の影響をほぼ受けなかった快晴の新潟・十日町市で、ある施設に大勢の人が詰め掛けていました。

レアンドロ・エルリッヒの作品

広々とした中庭の床には水が張られ、子供から大人まで、足をつけてはしゃいでいます。よく見ると、「何か」模様が描かれています。

その中庭をぐるりと囲むように、またたくさんの「何か」が並び、人が驚いたり喜んだりしています。

建物の2階から見た様子
建物の2階から見た様子
矢印の形をした何かの中を、みんなで覗き込んでいます
矢印の形をした何かの中を、みんなで覗き込んでいます

ここは越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。

3年に一度のアートの祭典「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開幕初日を迎え、中心拠点であるキナーレの企画展に、大勢のお客さんが詰め掛けていました。

来場者数50万人超えの巨大アートイベント

近年、街なかや自然の中でアート作品に触れるイベントを国内各地でよく耳にしますが、大地の芸術祭は日本におけるその元祖。今回で7回目の開催です。

51日間にわたる期間中、東京23区の1.2倍以上ある広域なエリア(十日町市、津南町)のあちこちに、世界各国の作家が手がけたアート作品が展示されます。その数なんと376点。

実は先ほどの中庭は、今年東京の森美術館で開かれた個展が歴代最高来場者数を誇った、レアンドロ・エルリッヒの新作。2階から眺めると‥‥?
実は先ほどの中庭は、今年東京の森美術館で開かれた個展が歴代最高来場者数を誇った、レアンドロ・エルリッヒの新作。2階から眺めると‥‥?

前回は来場者が50万人を突破した巨大アートイベント。人気の裏には、普段は決して表に出てこない「影の立役者」がいます。

実行委員会なくして芸術祭なし。

世界各国のアーティストと開催地域の住民・企業・行政の間に立ち、イベント運営の全てを取り仕切る「大地の芸術祭 実行委員会」事務局。

さんちでは開幕の2ヶ月ほど前に、その担当者の一人である浅川さんを訪ねていました。

浅川雄太さん。開催の1年前から現地入りし、展示する作品の選定からアーティストの現地での制作サポートまで、まさに縁の下の力持ちを担っています。写真はキナーレ回廊内に建つ、仮設の事務所にて
浅川雄太さん。開催の1年前から現地入りし、展示する作品の選定からアーティストの現地での制作サポートまで、まさに縁の下の力持ちを担っています。写真はキナーレ回廊内に建つ、仮設の事務所にて

もともとは芸術祭の目玉である企画展の見どころを教えてもらっていたのですが、浅川さんが語る事務局仕事の話がどれも面白い。「この人たちなくして芸術祭は成立しない!」と確信して帰ってきたのでした。

人々を惹きつけるアート作品は、いかにして設計図から実際の立体に成っていくのか。制作の舞台裏を、当時はまだがらんとしているキナーレで伺いました。

芸術祭前のキナーレはこんな様子でした
芸術祭前のキナーレはこんな様子でした

*「さんち」おすすめ4作品の浅川さんによる解説は、こちらの記事をどうぞ:「3年ぶり開催『大地の芸術祭』を先取り取材。『四畳半』アートに世界から27の回答」

ある時は交渉人として

浅川さんは、キナーレで行われる企画展「2018年の<方丈記私記>」を主に担当。

企画展のテーマは、「方丈 (=四畳半) の空間で実現できる人間の営み」。その回答として、選考に選ばれた28の作品が実寸大でキナーレの回廊を埋め尽くします
企画展のテーマは、「方丈 (=四畳半) の空間で実現できる人間の営み」。その回答として、選考に選ばれた28の作品が実寸大でキナーレの回廊を埋め尽くします

キナーレのように、施設内に作品が集合して展示される場合もあれば、突如田んぼの中に、というものも。時にはその建物自体が作品の一部となることもあります。

こちらも期間中多くの人を呼びそうな注目作品、マ・ヤンソン/MAD アーキテクツの「ライトケーブ」。もともとあった清津峡渓谷の見晴らし台が作品に活かされている
こちらも期間中多くの人を呼びそうな注目作品、マ・ヤンソン/MAD アーキテクツの「ライトケーブ」。もともとあった清津峡渓谷の見晴らし台が作品に活かされている

作品のコンセプトに基づいて、設置するベストの場所や素材などを地域の中から見つけ出し、持ち主や集落に協力の交渉をするのも、事務局の仕事です。

「作品は1年ほど前から公募して選定します。それとほぼ同時に、展示場所や協力先探しが始まります。

僕らは3年に一度、芸術祭に向けて集中的に地域に通いますが、その度に『ああこんな場所があったんだ』って発見があるんです」

キナーレに向かう途中、車窓から見えた越後妻有の景色。窓枠がそのまま1枚の絵のよう
キナーレに向かう途中、車窓から見えた越後妻有の景色。窓枠がそのまま1枚の絵のよう

「ここでこんな作品が展示できたら面白いね、この素材はあのアーティストの作品にあいそうってスタッフがそれぞれ脳内にリストアップしておいて、3年後に備えます。

ぴったりの作品があると、そのプランを持って集落に話をしに行くんです」

作家から提出される作品の提案書の数々
作家から提出される作品の提案書の数々

「例えば小川次郎さんの作品は、全部割り箸でできている蕎麦の屋台です。実際に蕎麦を振舞います」

アーティストによる説明:割り箸集成材による蕎麦屋台
アーティストによる説明:割り箸集成材による蕎麦屋台

「鍬柄沢 (くわがらさわ) というそば文化の残る集落は、以前から小川さんの作品展示にも協力してくれた実績があり、今回も蕎麦や道具の提供など、何か一緒にできないかと相談しに行きました」

ところが思いがけない返事が返ってきたそうです。

「説明会を開いたら、知恵は出せるけどパワーは正直出せないよと言われて。これは芸術祭の常なんですが、今年で7回め、つまり第一回目から21年が経っていて、地域全体の高齢化がすごく進んでいるんです。

そこで蕎麦の提供は十日町のお蕎麦やさんに頼むことにしたのですが、鍬柄沢の人たちも蕎麦打ち機なら提供できるよ、付け合わせを作ろうか、とできることを一緒に考えてくれました」

こうして場所や協力体制が整い、ようやく作品作りが動き出します。

完成した小川さんの作品。割り箸入れももちろん割り箸でできている
完成した小川さんの作品。割り箸入れももちろん割り箸でできている

しかし、まだまだ解決すべきことは山ほどあるようです。

時には現地ディレクターとして

「アート作品を訪ねながら、越後妻有の自然や文化と出会えるのが大地の芸術祭の一番の醍醐味です。

それはアーティストが作る過程も同じなんですね。地域に長期滞在して、自分の肌で感じたものを大事にしながら制作を進める作家が多いです。

例えば、地元・十日町の土で作った『家』の中に農耕具の鍬を飾った『つくも神の家』の作家、菊地悠子さん。彼女はまさに滞在型の作家さんです」

完成した「つくも神の家」
完成した「つくも神の家」
十日町の土を壁に使うことは、もともとのプランにはなかった設定。まさに滞在によって作品が「完成」した例
十日町の土を壁に使うことは、もともとのプランにはなかった設定。まさに滞在によって作品が「完成」した例

「他方、十日町の織物メーカーと協業しての作品づくりが決まった建築家のドミニク・ペローは、海外に仕事の拠点があります」

ドミニク・ペローの作品、DRAPE HOUSE
ドミニク・ペローの作品、DRAPE HOUSE

「こちらに長く滞在するのは難しいので、図面をもらったらあとの制作は事務局で手配していきます」

なんと、制作まで事務局でやるんですね!しかもその仕事内容がとても細かい。

「最初に送られてくるのはこの提案書だけです」

企画展応募時の提案書
企画展応募時の提案書

「例えばドミニク・ペローは金属メッシュを使った作品を多く手がけています。今回も、メッシュの網目の大きさから色合いまで、メールでやり取りしながら詰めていくんです」

実物のDRAPE HOUSE。布のように見える金属メッシュは、事務局との細かなやり取りの中でディティールが決まっていった
実物のDRAPE HOUSE。布のように見える金属メッシュは、事務局との細かなやり取りの中でディティールが決まっていった

「他にも、展示の外枠は四角いパイプと指示があるけれど、角は直角がいいのか、多少丸みを帯びていてもいいのか、とか」

ドミニクの場合は、建築家なので本人が図面を起こしてもらえる分、まだやりやすいそう。

「図面がない、なおかつ対面で話せない海外作家の場合は、もうどうしようってなりますね (笑) まめに連絡して、1/10の模型を作ってもらって写真や動画を送ってもらったり」

浅川さん

それを376点、同時進行で作っているのですね‥‥!

「だから僕らも、担当した作家のことはむちゃくちゃ勉強します。と言ってももちろん本人にはなりきれないので、僕の場合はよく喧嘩します」

なんと、ちょっと物騒な話です。

時には喧嘩してでも、いいものを

「基本的に作家が主体なので、彼らの意見は尊重します。その上で、地域のこと、芸術祭のことはこっちの方がよくわかっているので、お客さん目線だとこうだよ、こっちの方が絶対仕上がりがきれいでしょ、とか押し問答をしたりします」

浅川雄太さん。キナーレ回廊内に建つ、仮設の事務所にて

「中途半端なものを作っても誰もいい思いをしないですからね。だったら喧嘩してでもいいものを作りましょうっていう気持ちです」

作るからには作家の本気を出してもらう。

喧嘩も辞さない真剣な姿勢には、浅川さんが過去の芸術祭で受けた、ある原体験が関係していました。

芸術祭実行委員会の野望

「以前の芸術祭で、人気作品を置いていた地域のおじちゃんが『もうすごい人で、大変だったよ』ってわざわざ言いに来たんです。とても嬉しそうな顔で。

そんな風に、協力してくれた地域の方にささやかでも何かを『還元』できる芸術祭を目指したい。僕個人としては、それがないと作品の意味がないと思っています」

実は今回の企画展には、とても大きな「還元」の野望があります。それは評判を得た「方丈」作品を、実際に十日町の商店街にオープンさせるということ。

「2018年内に1店舗くらいはって思っています。取り組みは、イベント期間中だけで完結しないんです」

十日町の商店街。いつかここで、企画展で見た作品が実際に「営業」しているかもしれない
十日町の商店街。いつかここで、企画展で見た作品が実際に「営業」しているかもしれない

取材当日、浅川さんが野望を語ったキナーレの回廊で、静かに制作が始まっている作品がありました。

asobiba / mimamoriba

井上唯さんによる作品「asobiba / mimamoriba」。完成すると編み物でできた子どもの「遊び場」になるそうです。

アーティストの井上唯さん
アーティストの井上唯さん

「この作品、作っているとご近所の方やいろんな人が手伝いに来てくれるんですよ」

完成像の模型を手に
完成像の模型を手に

そう話している間に、井上さんの元にさっと顔見知りらしい方がやってきて、1枚のチラシを手渡しました。

「美味しいお店があるから行ってみて」

載っていたのは先日さんちで紹介した「Abuzaka」

その様子を後ろからにこにこと、とても嬉しそうに浅川さんが眺めていました。

<取材協力>
大地の芸術祭実行委員会
http://www.echigo-tsumari.jp/

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、廣田達也
作品画像・資料提供:大地の芸術祭実行委員会

田舎町を賑やかな観光地へ変えた、ある陶芸家の楽しい革命

それまで、そこは“閑散とした田舎の集落”だったという。

もともと江戸時代から続く窯元「幸山陶苑」が営む製陶所のあった場所。2001年に閉窯し、そのまま放置されていた。

絵付け場や釉薬精製所、登り窯など、製陶所の面影を残しつつ、なにもかもが、ひっそりと佇んでいるだけだった。

それが、いまでは。

年間15万人もが訪れる一大観光地になっている。─ 長崎県の波佐見町にある「西の原」。

波佐見町の西の原 看板
レストラン、カフェ、雑貨店、グロサリーなど、様々な店が集まる
波佐見町の西の原 花わくすい
波佐見町の西の原 はなわくすい
波佐見町の西の原 yosuke

昭和初期のノスタルジックな雰囲気が残るなか、お洒落なカフェや雑貨店、ギャラリーなどが建ち並ぶ人気のスポット。そればかりか、この地の存在が長崎を代表する陶磁器、波佐見焼を世に広く知らしめるきっかけにもなったとか。

この町にいったい、なにがあったのか?

仕掛け人は、肩の力が抜けた陶芸家

この地に変化をもたらしたのは山形県からやってきた1人の陶芸家。

こんなふうに言うと、エリアリノベーションやコミュニティデザインといった今どきの言葉を思い浮かべるかもしれないが、この人の場合はそうした感覚とは少し違う。

「自分が楽しいと思うことをして、欲しいと思ったものを作っただけなんだけど‥‥」と穏やかに語り、目を細めて笑う。

長瀬渉さん
長瀬渉さん。1977年、山形県山形市生まれ。東北芸術工科大学・大学院を修了後、東京藝術大学工芸科研究生修了

おこぜ、あらかぶ、ふぐ、たこ、あんこうなど、海の生き物を忠実に、繊細に再現した作陶を多く手掛け、数々の賞を受賞する気鋭の陶芸家である。

長瀬渉さんの作品
長瀬渉さんの作品
長瀬渉さんの作品

そんな長瀬さんが波佐見町に移住してきたのは2003年のこと。本人の言葉を借りるなら「移住」ではなく、「ただの引っ越し」だったとか。

「うちの奥さんが佐賀県の有田にある窯業大学で絵付けの勉強をするというので、それならと僕も一緒に越してきたんです。都会の人が『田舎暮らしを始めます』みたいな感覚じゃなくて、ただ単に引っ越してきた、って感じです。

本当は有田のアパートに住むつもりだったけど、知り合いに波佐見のほうが家賃が安いと聞いて。それがここに決めた一番の理由かな(笑)」

当初は波佐見に長く居るつもりはなかった。1年後には作陶のため韓国に移る予定で、波佐見は「ちょっとだけ住む場所」のつもりだったとか。

ところが、そこで運命の声がかかる。

 

町が、人が、ゆるゆると動きだす。

「西の原を自由に使っていいよ」

そう言ってくれたのは、この場所を所有していた西海陶器株式会社・代表取締役会長の児玉盛介さん。西海陶器といえば波佐見焼の大手老舗メーカーだ。

この土地、ここにある建物を「無償で使っていい」ことになったのだ。

「面白そうだから、それもありか」

そう思った長瀬さんは、まず自分が作陶するための工房をかまえることにした。

元窯元とはいえ建物はボロボロだ。壁ははがれ、屋根からは雨漏りが。手先が器用な長瀬さんは自ら改修工事を行い、2005年「ながせ陶房」をつくる。

「それで、仕事をしているとおいしいコーヒーが飲みたくなるじゃないですか。あと、おいしいランチが食べたくなりますよね。

近くにカフェなんてものは少なかったから、だったらここに作っちゃえ、と。でも自分ではやれないなぁと思って、友人の岡ちゃんを口説き落としてお店を開いてもらったんです」

それがカフェレストラン「monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)」。西の原の象徴ともいうべきお店だ。
岡ちゃんこと店主の岡田浩典さんはもともと、東京のオーバカナルなど有名店で勤務。東京生まれ・東京育ちの岡田さんは、長瀬さんの誘いで長崎の田舎町、波佐見町でカフェを作ることにした。

波佐見町のカフェ monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)
岡田さん/左・長瀬さん/右 後ろの白い建物が、monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)。昭和初期の建物をリノベーションして作られた

製陶所の出荷場だった建物を利用して、古き良き佇まいを生かしながら自分たちで修繕・改築。いまでは観光客はもちろん、地元の人が気軽に立ち寄ることのできる心地良いスペースになっている。

 

すると今度は「作品を展示するギャラリーが欲しいな‥‥」と長瀬さん。

元ろくろ場だった建物に手を入れ、展示会やイベントもできる、ギャラリー&ショップ「monné porte(モンネ・ポルト)」をつくってしまう。

ちなみにその後、「monné legui mook」と「monné porte」は国の有形文化財、ならびに県のまちづくり景観資産に登録された。

あるときは焼き物の町であることを活用し、長瀬さんの出身大学をはじめ金沢美術工芸大学や有田窯業大学校の美大生に声をかけて、世界のいろいろな窯たきのワークショップを展開。

波佐見の陶芸家 長瀬渉さんと美大生
ワークショップに集まった美大生たち

またあるときは音楽フェスを主宰した。友人や地元の人と一緒に廃材でステージをつくり、倉庫だった場所をライブ会場にしてしまったこともある。

 

─ 「はっきり言って私利私欲で動いています(笑)」

そう長瀬さんは言うけれど、その行動の1つ1つは西海陶器を動かした。大学の後輩や遠くにいる友人をも巻き込んだ。もちろん、いつもうまくいくわけじゃない。地元の人とぶつかり合ってしまうことだってある。

それでも。

寂れていた土地、集客とは無縁だった場所に、新しい風がゆっくりと吹き込まれていく様子に、いつしか心を動かされたのだろう。

いつのまにか、波佐見町の町長をはじめ、観光協会、振興会といった行政までもが長瀬さんの活動に協力してくれるようになったのだ。

「『やりたいと思う』と言うと、周りの人はできない可能性を考える。でも『やる』って断言すると、意外とみんなが協力してくれる。不思議と物事が回り始めるんですよ」

ときに強引に。いつも笑顔で。小さな町に一つ一つ革命を起こしていく。
そして気がついたときには「西の原」が一大観光地になっていたのだ。

 

新天地、陶郷「中尾山」。

中尾山の風景
波佐見焼を作るための、型屋、生地屋、窯元、が集まる焼き物集落

10年の歳月を経て長瀬さんはいま、焼き物業者の多い集落地「中尾山」にいる。西の原から車で5分ほどの、いわゆる波佐見焼の総本山である。

大きな煙突のある製陶工場跡地を購入し、こちらも一からリノベーション。新しい生活を送っている。

リノベーションの時の様子
陶芸家 長瀬渉さんの工房
工房の中の暖炉も自身で設置
陶芸家 長瀬渉さんの工房
工房の横のスペースはライブや映画上映などをするイベントスペースに

その日の夕食は地元で採れた野菜のサラダとパスタ、長瀬さんが佐世保港で釣ってきたスズキと烏賊のトマト煮込み。

長瀬渉さんの手料理
長瀬渉さんの手料理
長瀬渉さんの料理風景

言い忘れていたけれど、長瀬さんは釣り名人。その腕前は、作陶を仕事にしながら「陶芸よりも釣りの方が得意」と言うほどだ。仕事の合間に、週1〜2回は海釣りに行くという。

「波佐見は海に面してないけど、実は有明海や伊万里湾、東シナ海とか、どこの海も40分圏内で行けちゃうの。大村湾なら15分だよ」

釣ってきた魚はさばいて刺身や切り身にし、ご近所におすそわけ。それと引き替えに新鮮な野菜が手に入るという、ありがたい物々交換システムが息づいている。

長瀬渉さんの手料理
長瀬渉さんの愛犬ムーア

だから家族3人とアシスタント、友人やボランティアスタッフ1~2名分、愛犬ムーアの食費は月2~3万円でまかなえるとか。

陶芸家長瀬渉さんの家
長瀬さんの作った器が食卓を彩る

 

新たな革命は、静かに幕を開けていた。

そしていま、長瀬さんには新たに欲しいものがあるという。

1つは「宿」。

作陶はもちろん、ライブやワークショップなど、好きなことを糧にして楽しく生きている長瀬さんのまわりにはいろいろな人が集まる。活動を手伝ってくれる仲間、陶芸作家を志す若者、ミュージシャン‥‥。

「気の合う仲間を受け入れられる寮みたいな場所があったらいいなと思って」

物件の目星はすでについている。かつて仕出し屋さんだった一軒家で「とにかく変な造りで格好いい建物」なんだとか。

さらにどうしても欲しいものが、もう1つ。

「保育園」だ。

「子どもが生まれる前は保育に興味なんてなかったけど、子どもができて、その必要性を感じて。だったら作っちゃおう、かなと」

長瀬さんの頭の中には楽しい構想がいっぱいだ。

たとえば、園庭一面を「食べられる庭」にする。自然に生えてくる筍や山菜はもちろん野菜や果物、ハーブなどの食材を植えておいしい庭をつくってしまう。

地元の子どもたちだけでなく「都会で暮らす子どもが遊べる日」をつくる。土に触れ、野菜を収穫し、料理を作って食べるといったワークショップも考えているという。

また、送迎用のバスはアニメに出てくるみたいなかわいいボンネットバスに。「日中は観光バスとして町を回ると賑やかだよね」と話す。

こうしてまた、新たな観光資源ができていくのかもしれないと思った。だけど、長瀬さんの考えはもっと深い。

「集落を盛り上げるためには、観光で集客することももちろん大事だけど、まずは地元にいる人が幸せにならないとね」

そのために、一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんを雇用したり、「園児のお母さんがそのまま先生になる」なんていう発想も。

「料理や裁縫、大工、陶芸など、それぞれの人が自分の得意なことを子どもに教える場にしたい。それが仕事になったら楽しいですよね。

子どもを軸にして集まってきたお母さんたちは、保育園で子どものためのビジネスを立ち上げてもいいかもしれない。たとえば、子ども用食器や家具を作って全国に販売したり。それが、卒業した後でもお母さんたちの仕事として続けていけるといいですよね」

また、「園の行事は、集落全体の行事にして町のみんなで楽しめるといい」とも話す。

次々に出てくるアイデアからは、子どもたちだけでなく、園に関わる人たちみんなが幸せになっていく姿が想像できる。

決して画一的な保育園ではない。この地だからこそ生まれるアイデアがあり、この地でなければできない保育のかたちがあるのだ。

「まだちゃんと決めてないんだけど、『保育園』じゃなくて、『遊学園』って名前にしようかな」そう、長瀬さんは言っていた。

新しい概念を説明しようとすると、適切な言葉が難しい。だけど確かに、今長瀬さんが作ろうとしているものは、これまでの「保育園」とはまた違う場所のように感じた。

ここが一面、「食べられる庭」になる予定

「ここが予定地です」

案内してくれたのは、長瀬さんの保育園を作ろうと計画をしている土地。桜の木に囲まれた自然豊かな場所だった。

「春になると本当に綺麗よ。モグラもいるし(笑)」

 

ゆっくりと静かに。でも着実に。陶芸家の新しい革命は、すでに動き始めていた。

 

長瀬さんご家族
長瀬さんご家族とアシスタントのアリナさん

< 取材協力 >
ながせ陶房 長瀬渉さん
Instagram

長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷417−2

 

文:葛山あかね
写真:mitsugu uehara、長瀬渉さん提供

フィリップ・ワイズベッカーが旅する こけし作家が生み出すユニークな酉を求めて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載10回目は酉年にちなんで「挽物(ひきもの)玩具の酉」を求め、宮城県白石市にある「鎌田こけしや」を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイを、どうぞ。

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宮城県白石市の「鎌田こけしや」

仙台から車で1時間ほどの町にやってきた。木のろくろを使い酉の玩具をつくる木地職人、鎌田さんに会うためだ。

迎えてくれたのは、昔ながらの壁掛け時計。止まったままだ。

「これは良いサインだ。職人は時間を気にしてはいけないのだ」と思う。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」工房内

木の良い匂いがする。こけし用に荒削りしてある円柱形の木。木片や削りくずが、あちこちに。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」工房内

削りくずがランプにもぶら下がっている‥‥

宮城県白石市の「鎌田こけしや」工房内

工房の隅は、時間の経過から忘れられているようだ。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」で使用している工具

あまりにも特殊な刃を使っているので、今日でも、手で鍛えられている道具。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」製作風景

一瞬の不注意も許されない。驚きの眼差しで見つめる私の前で、あっという間に出来上がったのは、完璧な小さい独楽。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」で使用している工具

まだ着色の過程が残っている。それを私に任せてくれるというのだ!

この感動的な思い出の品は、ずっと私の旅行バッグに入って、パリまで来てくれるだろう。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」のこけし

鎌田さんは、主に伝統的なこけしをつくっている。しかし私は、彼の創作玩具のほうが好みだ。

少しずつ出して見せてくれる。非常に独創的で、繊細で、工夫にあふれている。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」のこけし「虎」

例えば、このおそろしい目つきの寅は畳の上に物憂げに寝そべっている。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」のこけし「岡っ引き」

そして、反対側にいて絶対に捕まえられない泥棒を追いかけ続ける岡っ引き。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」のこけし「雄鶏とひよこ」

おかしなちょび髭をつけた雄鶏。チビのひよこが周りをくるくる回る。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」のこけし

小さなスヌーピー。埃の中で最後の日を迎えている。

宮城県白石市の「鎌田こけしや」

インスピレーションにあふれる工房訪問の最後に、変わったインスタレーションを見つけた。

何だろう。気になるが、この秘密を知ることはないだろう!

──

文・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
写真:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子

撮影:吉岡聖貴

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。