奄美「大島紬」を支える伝統技法「泥染め」とは。泥にまみれて美しくなる不思議

日本でつくられている、さまざまな布。染めや織りなどの手法で歴史を刻んできた布にはそれぞれ、その産地の風土や文化からうまれた物語があります。

「日本の布ぬの」をコンセプトとするテキスタイルブランド「遊 中川」が、日本の産地と一緒につくった布ぬのを紹介する連載「産地のテキスタイル」。今回は奄美大島の伝統染織「大島紬(おおしまつむぎ)」を支えてきた技法「泥染め」がテーマです。

奄美大島の「泥染め」

奄美の伝統染織「大島紬」とは

大島紬とは、鹿児島県南方にある奄美群島の伝統工芸品。深い黒に加え、緻密な染めと織りの技術で知られる、日本が誇る絹織物の最高峰のひとつです。

その大島紬にとって重要な工程である「泥染め」の歴史はとても古く、正倉院の書物の中に“南方から赤褐色の着物が献上された”という記述があるほど。1300年前にはすでに奄美では文化として根付いていたと言われています。

そんな、名実ともに日本の伝統工芸品である「大島紬」。その泥染めを担う染工房・金井工芸さんを訪ねるため、鹿児島市から海を越え南に370キロ。奄美大島に向かいました。

奄美大島に生える木
天然染色工房・金井工芸の工房。使い込まれ、染料が付着した道具や作業台などから、今までに染められた色の歴史を伺い知ることができます
天然染色工房・金井工芸の工房。使い込まれ、染料が付着した道具や作業台などから、今までに染められた色の歴史を伺い知ることができます
金井工芸の二代目・金井志人(ゆきひと)さん
金井工芸の二代目・金井志人(ゆきひと)さん

大島紬の伝統色は山の恵み「テーチ木」から

奄美で「テーチ木」と呼ばれる車輪梅(しゃりんばい) の木
チップ状にしたテーチ木

泥染めの染料づくりは、奄美で「テーチ木」と呼ばれる車輪梅(しゃりんばい) の木を、工房の職人さんたちが山から切り出すところから始まります。

チップ状にした車輪梅600キロほどを大きな鉄かごに入れ、工房内の大釜で2日間に渡って煮出します。

その後煮汁を寝かすこと数日間。煮出してから1週間ほどかけてようやく泥染めの染料ができあがります。

染料となった車輪梅の煮汁は少しトロみがあり、独特の不思議な香りが。その染料を生地に幾度となく揉み込むことで味わいのある茶褐色が生み出されます
染料となった車輪梅の煮汁は少しトロみがあり、独特の不思議な香りが。その染料を生地に幾度となく揉み込むことで味わいのある茶褐色が生み出されます

大島紬には欠かせない。天然の染め場「泥田」

工房の裏手に設えられた天然の染め場である「泥田」
金井工芸の創業者、金井一人社長

大島紬の泥染めをはじめ、様々なブランドの依頼で泥染めを手がけてきた金井工芸の創業者、金井一人社長。

車輪梅の煮汁で褐色に染められた糸や生地たちは、工房の裏手に設えられた天然の染め場である「泥田」に運ばれます。

泥田の底を踏み込みながら、攪拌させた泥に生地を深く潜らせ、こするようにして泥をすり込む。奄美の土壌に多く含まれる鉄分と、車輪梅の染料に含まれるタンニンが化学反応を起こすことで、生地は少しずつ大島紬の伝統色「大地の色」に染まっていきます。

大島紬の深い黒を生み出すためには、車輪梅と泥の染めが80〜100回ほど施されると言います。

奄美の泥は、とても粒子が細かくなめらか

奄美大島の泥は、とても粒子が細かくなめらか。この粒子のキメ細かさがあるからこそ、奄美の泥染めは生地や糸を傷めることなく、美しくそしてしなやかに染めあげることができるのだそうです。

また、泥染めを施すことで、その天然成分により防虫効果や、消臭作用も生まれます。

産業としてだけではなく、自然の恵みと先人たちの知恵から生まれた奄美大島の泥染め。1300年以上ものあいだ受け継がれてきたその文化を知るほどに、この島だからこそ生まれた偶然と必然を見つけることができました。

大島紬の未来。新たな色を創造するギャラリーショップ

工房と同じ敷地内にあるギャラリーショップ。様々なクリエイターとの協働で制作されたプロダクトが並びます
工房と同じ敷地内にあるギャラリーショップ。様々なクリエイターとの協働で制作されたプロダクトが並びます
泥染めだけでなく、車輪梅をはじめ藍、福木、茜染めと鮮やかな天然染色のストールたち。色を重ねることで様々な色が生まれます
泥染めだけでなく、車輪梅をはじめ藍、福木、茜染めと鮮やかな天然染色のストールたち。色を重ねることで様々な色が生まれます

二代目・金井志人さんの代から始まったギャラリーショップには、長く重厚なその泥染めの歴史とは対照的に、軽やかで鮮やかな「草木染め」のストールをはじめ、様々な染めのプロダクトが並びます。

大島紬という伝統染織における泥染め文化を守りながらも、国内外のクリエイターとともにその文化に新しい色を重ねるようにスタートしたこの取り組み。この工房の新たな魅力となるとともに“奄美の染め”の魅力を再発見することができます。

奄美大島に群生する蘇鉄(ソテツ)をイメージした布

金井工芸のある奄美大島。この島はその自然の豊かさから東洋のガラパゴスと称され、南国特有の植生はもとより、手つかずの原生林が多く残っています。

南国特有の植生はもとより、手つかずの原生林が多く残る奄美大島

中でも奄美大島に多く自生する蘇鉄(ソテツ)は、昔から泥田の鉄分が少なくなってくると、その葉っぱを浮かべることで、泥田に鉄分を補う役目を担ってきました。まさに、鉄を蘇らせる植物、なのですね。

今回、ブランド「遊 中川」が金井工芸さんとつくったテキスタイルは、大島紬の古典模様にも使われてきた蘇鉄をモチーフに、大胆な大柄で表現されています。

「ソテツ」のテキスタイルシリーズ

金井工芸さんとつくった「ソテツ」のテキスタイルから、「遊 中川」オリジナルのバッグやストール、ネックレスが生まれました。奄美の島々を囲む海やものづくりの背景を思い浮かべて、ぜひ手にとってみてください。

 

〈掲載商品〉
奄美草木染め・泥染め ソテツ (遊 中川)

▼ ワンピース ソテツ(テーチ木)

中川政七商店 遊中川のバック

▼ バック横長 ソテツ(テーチ木)

「奄美・金井工芸」シリーズ(遊 中川) バック大 テーチ木

 

▼ バッグ小 ソテツ(藍)

「奄美・金井工芸」シリーズ(遊 中川) バック小 藍

 

▼ ネックレス 奄美草木染め・泥染め(泥藍)

ネックレス 奄美草木染め・泥染 泥藍

 

※在庫状況はHPでご確認いただくか、店舗までお問い合わせください。

 

<取材協力>
金井工芸
http://www.kanaikougei.com/
鹿児島県大島郡龍郷町戸口2205-1
0997-62-3428

文:馬場拓見
写真:清水隆司

陶芸一家の次男はうつわを作らない。京都「HOTOKI」に学ぶブランドづくり

京都洛北・岩倉の地にあるうつわの工房・カフェ・shop「HOTOKI」。陶芸家・清水大介さんが代表を務めるkiyo to-bo(株)の実店舗のひとつで、「うつわを買って、使えて、作れる」が一度に体験できる総合ショップだ。

店を運営するのは大介さんの父である清水久さんと奥さんの祥子さん、次男の洋二さんの親子3人と2名のスタッフ。久さんがうつわの体験教室もできる工房、祥子さんがカフェ、そして洋二さんがお店全体のプロデュースを担っている。

店に並ぶうつわはすべて自社の製品。商品の8割は、同じくkiyo to-bo(株)が運営する「トキノハ」の工房で作られている。

「トキノハ」は京都屈指の焼き物の里・清水焼団地にあり、大介さん夫婦を中心に、8名ほどのスタッフがデザインから作陶までアイディアを出し合って作り上げる。その他の商品は、考案を洋二さん、作陶を久さんが中心に担い、この店の工房で作られる「HOTOKI」のオリジナルだ。

今回は、作家とは違う立場で店を運営する洋二さんにHOTOKIとトキノハのうつわづくり、ブランドづくりについて話を聞いた。

HOTOKIの運営全体を担う次男の洋二さん
HOTOKIの運営全体を担う次男の洋二さん

「個性を消す」そこが自分たちの個性

「トキノハ」にも「HOTOKI」にも共通するのは、「誰か一人」の作品ではないこと。制作の指揮を執るのは清水さん親子ではあるが、トキノハにもHOTOKIにも、名の知れた清水焼の「職人」や「作家」は存在しない。

チームとしてアイディアを出し合い、それぞれのパートに分かれてひとつの作品を作り上げる。コンセプトはあくまで「日常使い」のうつわだ。

「作者名やうつわの個性が前に出てしまうと、大事にするあまり『特別な時に使おう』と食器棚にしまったままになっていることがあると思います。僕たちが作りたいのは日常使いのうつわ。個性的なデザインや装飾を省き、いかに料理が映えるか、生活に馴染むか、使い勝手がいいかを考えています」

気軽に買って帰れるよう、商品は1000~5000円台のものを中心に揃える
気軽に買って帰れるよう、商品は1000~5000円台のものを中心に揃える

あえて作家の色を出さない、「個性を消す」ことが僕たちの個性と洋二さんは語る。純粋に作品を日常の生活道具として広めようとする姿勢は、名もなき職人の手から生み出される「民藝」の考え方にも通じるものがある。

料理人の想いに寄り添う、新たなブランド

「料理」を引き立てることに重きを置いた作品は、さまざまなジャンルの食文化が根付く京都の料理人からも好評で、個別相談を受けることも増えた。

そこで2019年、大介さんが新たに立ち上げたのが、料理人のオーダーメイド専門ブランド「素-siro-」だ。

作陶工程においてまだ特徴が何もない段階を指す「素地(きじ)」という言葉に由来する通り、まったく素の状態から対話を重ね、完全受注生産のオリジナルを作成する。

カタログも見本も一切ない、対話のみから生まれるうつわ。そこには形の良い食器を作る技術だけではなく、作り手の想いを丁寧に汲み取るセンスも要求される。料理人との信頼関係がなければ成り立たない仕事だ。

「料理人の方に使っていただけることは僕らにとっても喜び。そのお店のお客さんが料理とともにうつわに触れて、また僕らのことを知ってもらうきっかけにもなればうれしいですね」と洋二さんは言う。

実際に料理人と制作したうつわ
実際に料理人と制作したうつわ Photo by 中島光行

コンセプトを体現する、新たなうつわの提案

また、うつわの「日常使い」というコンセプトから、洋二さんが新たにひらめいたアイテムが壁に掛けられる小さな花器「TUKU」。

「TUKU」母の日ギフトセット

「壁にくっツク」手のひらサイズの一輪挿しで、押しピンとドライフラワーがセットになっている。

「普段うつわを買う習慣がない人にも手に取ってもらえるような、うつわを買うひとつ前の段階のものを作りたかったんです。花は日常的に飾るものですし、そこにさりげなくうつわを取り入れられたらと思って」

まさに「うつわのある風景」。壁にピンをさし、花器を取り付け、花を生けるだけ。お気に入りのうつわに季節の花を飾ることで、少しだけ生活が豊かになる。清水さん親子が大事にする、「うつわの日常使い」を体現する商品となった。

「日常の中にうつわがあることの豊かさを、このTUKUが伝えてくれたら。それに、うつわ(焼き物)って意外となんでも作れるんです」

形はぽってり丸みを帯びた「MARU」とほっそりとした「TUTU」の2種。どちらも押しピンひとつですぐに付けられる。うつわといえば皿やカップ、椀や鉢など料理のための道具を思い浮かべがちだが、「TUKU」はその概念を覆し、うつわの可能性を広げてくれた。

「TUKU」母の日ギフトセット
外部のデザイナーと共同で開発したパッケージ

パッケージもTUKU専用に制作したオリジナルで、ギフトにも喜ばれているそう。さらに、母の日前にはカーネーションがセットになって限定品を販売するなど、季節によってさまざまな商品を提案している。

母の日限定セット。カーネーションのドライフラワーがついている
母の日限定セット。カーネーションのドライフラワーがついている

また、レジの上やカフェの天井には陶器のランプが。もちろんこれもオリジナル商品。アンティークとはひと味違う、柔らかな印象を与えてくれる。

オリジナルのランプも陶器製
オリジナルのランプも陶器製

作り手ではないからこそ、できること

最初から陶芸家としての道を歩んでいた久さんと長男の大介さんに対し、次男の洋二さんは数年前まで、バリバリの営業マンとして一般企業に勤めていた。

「アパレルの企画営業をしていました。当時は売れないものはないと思ってやっていましたね。4年前にHOTOKIがオープンしたくらいから兄のトキノハの方が忙しくなって、父と母だけでHOTOKIを回していたんです。それで土日だけ手伝うようになって、いろいろテコ入れするところがあるなと‥‥」

HOTOKIを運営する清水洋二さん

洋二さんは会社を辞め、HOTOKIの運営に参加することを決意。作り手目線ではないからこそ、まったく新しい角度から店を俯瞰し、時に大胆な提案もする。

まずはファンを作るために、人を呼び込まなければならない。岩倉まで足を運んでもらうにはどうしたらよいか。そこで企画したのが「岩倉マルシェ」だった。

岩倉にもっと人を呼ぼうと2016年にHOTOKIの店先で7店舗で始めた小さなマルシェが、今では宝が池公園に約40店舗が集まるイベントになった。今年は6月2日の開催を予定している。

「僕は岩倉で生まれ育ちました。そして改めてここに帰ってくると、個性的なお店はたくさんあるのに、横のつながりが薄いことに気づいたんです。みんなで手をつないだら、もっと岩倉の個性を出して、人を呼び込める場所になるんじゃないかと考えました」

マルシェへの出展は、岩倉で商売をする人だけに限定。出展時の業態も、パン屋ならパン屋、焼き鳥なら焼き鳥と、通常営業と同じものに統一している。

「京都はたくさんのマルシェが開催されていますが、僕たちは岩倉に限定することで岩倉の個性を出し、ここにしかないマルシェを作りたいと思っています。そして普段のお店の業態に限定するのは、普段の岩倉にも足を運んでほしいからなんです」

まずは岩倉に人を呼び、岩倉のことを知ってもらう。

地道に種をまくことで、着実に自分たちのファンを増やしていく。

入り口の窓には店名の由来が。店からは比叡山も見渡せる
入り口の窓には店名の由来が。店からは比叡山も見渡せる

すべてはうつわを「ブランド化」するための種蒔き

お店に足を運んでもらえるような工夫にも余念がない。

ひとつは年に2回開催している「utsuwaku」だ。うつわの制作工程において、数個に一個多少の傷がついてしまうことは避けされられない。もちろん、日常使いのうつわとしては問題ないが、店の商品として並べることはできない。

それを捨てるのではなく、アウトレット商品として一気に売り出す。これが周囲の住民や京都市内外のうつわ好きにも好評を博している。

さらにイベントではうつわの修理ワークショップや、店内の「あるモノ」を探し出した人に、箸置きや小さなオブジェが入ったガチャガチャを1回プレゼントするなど、大人も子供も楽しめる仕掛けが盛りだくさん。もちろん陶芸体験も受け付ける。

HOTOKI

また、工房では京都精華大学の学生も活躍している。店から大学が近く、洋二さんも同校の卒業生である縁もあり、実践の場を学生にも提供しているのだ。年に一度、陶芸コースに通う学生の有志展も開催する。

「学生さんは自分の器を見てもらう機会が少ない上に、作り方は教わっても売り方まではなかなか教えてもらえない。自分の作品が陶芸の世界で通用するか、食べていけるかを就職前に、仕事を通じて一度考えてもらう場を提供できれば」

工房の作業を手伝う精華大学の学生スタッフ
工房の作業を手伝う精華大学の学生スタッフ

柔軟な発想で、さまざまな想いを形にしていく洋二さん。作り手とは全く別の視点と経験が、HOTOKIという場所に新たな風を吹き込んでいる。

「作り手はどうしても制作で手がいっぱいになってしまい、売り方まで頭が回らない。僕のように作陶にかかわっていない人間も、ここには必要なんです」

サラリーマン時代の営業経験も、お店やブランドを運営する上での貴重な財産だ。

「例えばファッション業界では、ブランドイメージが何より重要になります。質の良いものだけを作っていても、ブランドイメージが薄いと人はなかなか動かない。僕たちのうつわも、商品の良さをお客さんに語るだけではなく、もっとブランド化していきたいと思っています」

根底にあるのは、「お客様のために」

ブランディングや売り方に関することなど、一見ビジネスライクな考え方だが、その真意は「お客さんを喜ばせたい」という洋二さんの想いにある。

「私たちの特徴は、うつわを自ら企画、製作、販売できるところです。質の良いうつわを届けるのが第一ですが、その先に店舗もあり、オンラインストアもあり、オーダーメイドもある。お客様のご要望に応じた様々なチャネルがあることが強みだと思います。

これからもそれぞれのチャネルを強化しつつ、生活に寄り添ったうつわ作りを通して、幸せを感じてもらえるお手伝いが出来れば嬉しいです。

そのなかで私は、作り手ではない目線で、いかに喜んでもらえるかを追求していきたいと思います」

HOTOKIの運営全体を担う次男の洋二さん

お客さんに楽しんでもらうアイデアを常に考え、アメリカのアンティークであるガチャガチャの機械を探し当てた時の喜びを、少年のように目を輝かせて語ってくれた洋二さん。彼の内側から溢れ出るうつわやお客さんへの想いが、数々のアイディアを生み出す何よりの原動力になっていると感じた。

「HOTOKI」が次は何を仕掛けてくれるのか、今後の展開も楽しみだ。

<取材協力>
HOTOKI(https://hotoki.jp/
京都府京都市左京区岩倉西五田町17-2
075-781-1353

トキノハ オンラインストア(https://shop.tokinoha.jp
siro(https://siro.kyoto

文:佐藤桂子
写真:松田毅

国産カモミールで肌も心も癒される。カミツレの里のビオホテル「八寿恵荘」へ

白い花びらに黄色い花芯、ジャーマンカモミール(和名:カミツレ)の花。長野県北安曇郡池田町。北アルプスの山々に囲まれた豊かな自然の中に「カミツレの里」があります。

5月中旬から6月上旬は、あたり一面が満開のカモミールでいっぱい、甘くやさしい香りに包まれます。

カモミールを用いたスキンケアアイテム「華密恋(かみつれん)」シリーズを扱う「カミツレ研究所」のカミツレ畑とエキス製造工場、そして自然を感じるお宿「八寿恵荘(やすえそう)」が佇む「カミツレの里」を訪ねました。

「ふるさとに恩返しを」土づくりからはじめたカミツレ畑

ここは、創業者である北條晴久(きたじょう・はるひさ)さんの故郷。ご自身の病が漢方で完治したことから植物に興味を持ち、その中でもハーブカモミールの効能に魅せられて、カミツレエキスの抽出法を研究したという北條さん。

1984年、「ふるさとに恩返しをしたい」との思いで、美しい土壌と美味しい水が豊富なこの地に工場をつくり、土づくりからこだわってカミツレ畑を開墾。自然豊かな里をつくりあげたのだといいます。

「カミツレの里」へご案内くださったのは、松澤英(まつさわ・すぐる)さん。道中、田んぼの隣に作られたカミツレ畑に立ち寄ってくださいました。「『カミツレの里』はもう少し山のほうにあるのでまだ満開ではないんですが、ここは今ちょうど満開です!カミツレの花、かわいいでしょう?」と松澤さん。

満開のカミツレ畑
満開のカミツレ畑
薬効の高い「ジャーマンカモミール」という品種。黄色い花芯が盛り上がっているのが特徴
薬効の高い「ジャーマンカモミール」という品種。黄色い花芯が盛り上がっているのが特徴
ご案内くださった松澤さん
ご案内くださった松澤さん

少し車で走るとようやく「カミツレの里」へ到着です。自然豊かな約4万坪の広大な土地。とにかく空気がきれいで気持ちいい。周辺散策も楽しみですが、まずはカミツレのことや「華密恋」のスキンケアシリーズをどんな風につくっているのかをお聞きしました。

カミツレの里に到着!奥に見えるのはカミツレの宿「八寿恵荘」
カミツレの里に到着!奥に見えるのはカミツレの宿「八寿恵荘」

ハーブの女王、薬草カミツレ

カミツレとは、4000年以上も前から薬草として親しまれてきたジャーマンカモミールの和名。ハーブの女王と呼ばれており、植物療法が盛んなヨーロッパでは昔から薬のように使われてきたのだといいます。

肌への効用もよく知られており、肌にうるおいを与え、乾燥や湿疹、あせもなどの肌トラブルを鎮めてくれるといいます。こちらでは、国産カモミールの持つ自然の力を生かすため30年以上にわたってカミツレエキスをつくり続けてきました。

日本ではカモミールティーが身近ですが、ヨーロッパでは薬草としても有名です
日本ではカモミールティーが身近ですが、ヨーロッパでは薬草としても有名です

スキンケアシリーズ「華密恋」の原料となる国産カモミールは、農薬を一切使わず、有機JAS認定の自社農園と国内の契約農家でつくられています。畑に1株ずつ植えられたカミツレは、寒い冬は雪の下でじっくり栄養を蓄えながら春を待ちます。

暖かくなったら流れ込んでくる北アルプスの雪解け水が、カミツレをぐんと成長させるのだそう。5月末〜6月上旬に開花、晴天の続く日に根元から手作業で刈りとります。

カモミールの花びらが下を向いたら収穫の合図
カモミールの花びらが下を向いたら収穫の合図
自然乾燥させて、水分量を調整します
自然乾燥させて、水分量を調整します

一般的に、カモミールティや精油に使うのは花の部分だけですが、こちらのカミツレエキスはカモミールの全草(花・葉・茎すべて)を使い、カミツレの持つ自然なちからを余すことなく抽出します。3センチほどに刻んだら、安曇野の水とサトウキビ由来の発酵エタノールを混ぜ入れて漬け込み、熟成。カモミールの成分はとてもデリケートで熱に弱いため、非加熱でじっくりじっくりエキスを抽出。

濾過したところに、手間と時間、そして愛情をたっぷり注ぎ、濃密なエキスにするのだそうです。

刻まれたカモミール。契約農家さんからは米袋で納入されます
刻まれたカモミール。契約農家さんからは米袋で納入されます
タンクでエキスを抽出中。タンクには生産者の名前や日時が記載され、安心・安全に管理されます
タンクでエキスを抽出中。タンクには生産者の名前や日時が記載され、安心・安全に管理されます
琥珀色の濃密カミツレエキス
琥珀色の濃密カミツレエキス
濃度や純度をチェック。肌に余計なものは一切入れないという製法を長年守っています
濃度や純度をチェック。肌に余計なものは一切入れないという製法を長年守っています
入浴剤はカミツレエキス100パーセント。すべての製品にカミツレエキスを高配合した「華密恋」のスキンケアシリーズは、赤ちゃんからお年寄りまであらゆる方々におすすめ
入浴剤はカミツレエキス100パーセント。すべての製品にカミツレエキスを高配合した「華密恋」のスキンケアシリーズは、赤ちゃんからお年寄りまであらゆる方々におすすめ

出雲・松江の1泊2日おすすめルート。フルコースで楽しむ良縁の旅

間も無くに迫った平成から令和への改元。

それに伴い、今年のゴールデンウィークは4月27日(土)から5月6日(月・祝)の10連休になることが決まっています。

改元という記念すべきタイミングでの大型連休。今回は、あらためて日本を深く知るための旅のルートをご紹介したいと思います。


1日目:神々より一足先に。まずは出雲へ集合!

・出雲大社:神々の国、出雲のシンボル
・えすこ:出雲大社のお膝元で”えすこ”なものと縁を結ぶ
・ふじひろ珈琲:バラのようなご当地パンと美味しいコーヒーを一緒に
・皆美館:宍道湖畔に佇む、文人たちの愛した老舗旅館

2日目:話題の神社からセレクトショップまで。松江をフルコースで周遊

・玉作湯神社:「願い石・叶い石」が注目を集める、勾玉づくりの神様
・いずもまがたまの里伝承館:全国で唯一、勾玉づくりの様子が見学できるファクトリーショップ
・松江城:18万6000石の城下町・松江のシンボル
・objects:工芸好きなら必ず訪れたい、器と生活道具の店
・宍道湖:豊かな幸と、美しい夕日を堪能
・やまいち:宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜

では、早速行ってみましょう!


1日目:まずは出雲へ集合!

1泊2日の出雲・松江旅はやはり出雲大社からスタート。最寄りのJR出雲市駅からは、バスを乗り継いで向かいます。

【昼】神々の国、出雲のシンボル
出雲大社

『古事記』にすでにその創建が記されている出雲大社。縁結びの神・福の神として知られ、毎年200万人以上がさまざまな縁をお願いに参拝に訪れるそう。「二拝四拍手一拝」など独特のお参り作法にも気を配りながら、清らかな気持ちで参拝したいですね。

お参りの帰りにはお土産ものや名物のぜんざい屋が並ぶ、神前通りの賑わいも楽しみたいところ。お昼時に到着した人は、気になったお店の暖簾をくぐって、出雲名物「出雲そば」に舌鼓、もいいですね。

【午後】出雲大社のお膝元で“えすこ”なものと縁を結ぶ
えすこ 出雲大社前店

えすこ

早速土地ならではのお土産を買っておきたい、という人は、島根・山陰のお土産を揃えた店、その名も「えすこ」へ立ち寄っては。

出雲大社のほど近く、門前町のまち並みに溶け込んだモダンな外観が目印です。1階は島根の職人が手がけた工芸品や土地ゆかりの雑貨を揃えたお土産店、2階はさまざまな天然石から自分だけのアクセサリーを作れる体験スペースになっています。

【午後】バラのようなご当地パンと美味しいコーヒーを一緒に
ふじひろ珈琲

ふじひろ珈琲店表
つたの絡まるまさに純喫茶な雰囲気

ちょっと休憩を、という人はぜひ一足伸ばしてふじひろ珈琲へ。出雲大社から車で約15分、ツタの絡まる重厚なたたずまいの純喫茶です。名物は何と言っても出雲市民が愛するご当地パン「バラパン」と自家焙煎のコーヒーをセットでいただける「バラパンセット」。

自慢のコーヒーを丁寧に淹れてくれるマスターの笑顔と心地よい空間を楽しみに、わざわざ訪れたくなるお店です。

マスター

>>>>>関連記事 :愛しの純喫茶〜出雲編〜バラのようなご当地パンが楽しめる「ふじひろ珈琲」

【宿】宍道湖畔に佇む、文人たちの愛した老舗旅館
皆美館

皆美館メインビジュアル庭園から仰ぎ見る。

晩秋を迎える出雲、あっという間に日も暮れてゆきます。暗くなる前に、そろそろ今晩のお宿へ。

宍道湖畔に位置する「皆美館(みなみかん)」は1888年創業の老舗旅館。宍道湖を借景にした庭園は美しく、その居心地の良さは島崎藤村も紀行文に記したほどで、小泉八雲をはじめ数多くの文人たちに愛されてきた名宿です。

ぜひ早めにチェックインして、宍道湖と庭園を眺めながらゆったりと過ごしたいところです。

緑あふれる皆美館のエントランス
緑あふれるエントランスが出迎えてくれる
宍道湖を借景とした枯山水式の湖畔庭園。夜の様子。
宍道湖を借景とした枯山水式の湖畔庭園。時間とともに様々な表情を見せてくれる。

2日目:話題の神社からセレクトショップまで。松江をフルコースで周遊

1日の始まりは、やっぱりお参りからにするといいことがありそうです。松江市内の観光は午後にとっておいて、午前中は温泉街としても有名な玉造へ向かいます。玉造ではやや広域を巡るので、上手にタクシーなども利用すると効率的です。

【午前】「願い石・叶い石」が注目を集める、勾玉づくりの神様
玉作湯神社

玉作湯神社

JR玉造温泉駅から車で5分ほどの位置にある玉作湯 (たまつくりゆ) 神社。ここ数年、「願いを叶えてくれる石がある」として話題のパワースポットですが、もともとは玉造で古くから作られてきた勾玉づくりの神様をお祀りする、土地のものづくりと関係の深い神社です。

注目のきっかけとなった「願い石・叶い石」も、玉造の職人たちが「いい勾玉がつくれますように」と感謝と決意を込めてお参りするものだったそう。ものづくり視点で尋ねてみると、話題のスポットもまた違った表情を見せてくれそうです。

願い石
神秘的な「願い石」に、社務所で授けてもらう「叶い石」を触れさせて願をかけると、石のパワーがおすそ分けされて願いが叶う、と言われている
神社の家紋、神紋 (しんもん) にも勾玉が象られている

>>>>>関連記事 :「『願い石・叶い石』で人気の玉作湯神社を、ものづくり視点で訪ねる」

【午前】全国で唯一、勾玉づくりの様子が見学できるファクトリーショップ
いずもまがたまの里伝承館

実は玉作湯神社以外にも、三種の神器・勾玉を身近に感じられる場所が数々ある玉造。土地のものづくりに興味がわいたら、ぜひ実際に勾玉が作られる現場を覗いてみましょう。

「いずもまがたまの里伝承館」を運営する株式会社めのやは、今も皇室や出雲大社に勾玉を献上している日本で唯一の作り手。宍道湖沿いにたつガラス張りの工房では湖を背景に職人たちが手を動かす様子を間近で見学できます。

1階には勾玉づくりの歴史がビジュアルわかりやすく展示されているほか、2階は宍道湖の絶景を見ながら食事の取れるレストランになっているので、こちらでお昼にしても。

宍道湖が目の前のレストラン
宍道湖が目の前のレストラン

>>>>>関連記事 :「出雲大社が認めた、勾玉づくりのプロフェッショナルとめぐる玉造」

【午後】18万6000石の城下町・松江のシンボル
松江城

午前中に玉造を堪能したら、お昼を済ませて午後はいよいよ松江市内を巡ります。まず向かったのは松江城。

2015年7月に国宝に指定された松江城は、日本に現存する12箇所の天守のひとつ。千鳥が羽を広げたように見えることから別名「千鳥城」とも呼ばれるそうです。堀を小船でめぐる「堀川めぐり」はまさに風光明媚な城下町といった風情。

松江城の堀を小船でめぐる「堀川めぐり」は四季を通じてさまざまな景色を楽しむことができる

時間に余裕のある人は、夜に開催される「松江ゴーストツアー」(開催日限定・要予約) もチャレンジしてみると、また昼とは違った松江の顔が覗けるかもしれません。

>>>>>関連記事 :「小泉八雲が愛した松江の『異界』を訪ねて。『松江ゴーストツアー』体験記」

【午後】工芸好きなら必ず訪れたい、器と生活道具の店
objects

さて、午後も半ばを過ぎるとそろそろ帰りの時間が気になりだしますが、ぜひしっかり立ち寄る時間を確保したいのが、宍道湖の目の前にたつ石造りの店「objects (オブジェクツ) 」。

品物は店主の佐々木氏が全国の作家や窯元を訪ね歩いてセレクトするそう。訪れるたびに新たな出会いを期待できます。

かつてはテーラーだったという落ち着きのある店内、絶好のロケーションの中、時を忘れてものと向き合う時間を堪能できそうです。

>>>>>関連記事 :「全国から工芸好きが訪れる、器や生活雑貨を扱うセレクトショップ『objects』」

【夕方】豊かな幸と、美しい夕日を堪能

宍道湖

宍道湖

夕方にこの場所にいたら、この景色を見ないわけにはいきません。日本一とも謳われる宍道湖 (しんじこ) の夕日を旅の思い出に持ち帰りましょう。日没のクライマックスは中ほどに浮かぶ嫁が島のシルエットが印象的に浮かび上がります。

嫁が島の後ろに夕日が沈む
嫁が島の後ろに夕日が沈む

絶景を胸におさめたら、そろそろ出雲・松江の旅もおしまいの時間です。日も沈んで、ちょっとお腹がすいてきませんか?あと小一時間、時間があるという人は、ぜひこのお店に。旅の締めくくりは湖近くのお店で宍道湖七珍、絶品のシジミ汁に舌鼓といたしましょう。

【夕方】宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜
やまいち

宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜

島根県松江市と出雲市にまたがる宍道湖は、淡水と海水の入り交じる汽水湖。そのため魚類が豊富に獲れ、シジミ、白魚などの宍道湖七珍は松江を代表する味覚として有名です。

地元民に愛される居酒屋、やまいちのカウンターには、宍道湖七珍を始めその時々の旬の素材を活かした大皿料理がずらり。松江では通年メニューというおでんも、カウンターの奥で湯気をたてています。

大皿にたっぷりと盛られた今日の料理。どれにしようか目移りしてしまう
松江おでん、大きな具には女将さんがハサミを入れてくれる

注文はぜひ、店のご主人に相談を。その日仕入れた食材や客の好みからおすすめを教えてくれます。松江の地酒とともに堪能したら、たっぷりの具が入ったシジミ汁で旅も大団円。心も体も暖かくして帰路につきます。

>>>>>関連記事 :「産地で晩酌 宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜」

出雲・松江をめぐる1泊2日の旅、お楽しみいただけたでしょうか?改元という歴史的なタイミングで、神々の息づく地へ、訪ねてみてはいかがでしょうか。

さんち 出雲・松江ページはこちら

撮影:小俣荘子、尾島可奈子、築島渉
写真提供:島根県観光写真ギャラリー

※こちらは、2017年10月31日の記事を再編集して公開しました。

デザイナーが話したくなる「もんぺパンツ」


長年愛されているベストセラー商品

発売以来、長年にわたって愛されている中川政七商店のベストセラー商品「もんぺパンツ」。社内でも愛用者が多い商品なのですが、その特徴のひとつが履きやすさ。あらためてこの履きやすさの理由を、担当したデザイナーの河田さんに教えてもらいました。
秘密は、実は裏地にあるのだとか・・・。




「この白い布、何かわかりますか?」
これは「和晒(わざらし)」と呼ばれる生地で、ふきんや手拭い、赤ちゃんのおむつや肌着など、40年ほど前まではどこの家庭でも一般的に使われていたものです。




大阪・堺の伝統産業としても知られるこの「和晒」を、昔ながらの製法でつくり続けているのが、同地域で1931年に創業した角野晒染株式会社です。
実は、こちらでつくられた「和晒」との出会いが、もんぺパンツをつくるきっかけになりました。

「木綿生地と聞くと、白い布を想像する方も多いと思いますが、天然繊維である綿は、織りあがった段階では茶褐色の状態なんです。また、油分や糊なども付着しており、それらの不純物や色素を取り除くのが晒加工になります」

現在、一般的に使用されている綿製品のほとんどは、「洋晒加工」という方法で仕上げられているんだとか。これは、自動精錬機という設備を用いて、生地に熱や圧力をかけながら、40分前後の短時間で仕上げる方法です。
一方「和晒加工」は、大きな釜に生地を入れて、緩やかな水流でゆっくりと時間をかけて焚きこみ、およそ3日間かけて晒をおこないます。生地にきついストレスをかけないことで、柔らかな吸水性のよい仕上がりになるのが特徴です。





また、もんぺパンツで使っている和晒は、着物をつくる時と同じ約36cm幅に織られています。
もともと、もんぺは着物を加工してつくられていて、この小幅の布を直線裁ちして型をとっていました。布を余らせることなく衣服にする日本人の知恵が詰まったものです。
そんな和晒の良さを知ってもらいたい、そして「もんぺ」を現代の日常着として着てほしい。河田さんはそう考えて「もんぺパンツ」の開発をスタートしました。




綿の風合いが残っている柔らかな和晒。その和晒のガーゼ生地を裏地として使ったことが、もんぺパンツの履き心地の秘密なんです!
赤ちゃんの肌着にも使われていた布なので、肌触りの良さはもちろん、汗の吸収と湿気を外へ逃がすことも得意で、足にまとわりつかずさらっとした状態が続きます。




すっかり和晒に魅せられてしまいましたが、現代の生活に馴染むデザインとして表地が大切なのは、言うまでもありません。
中川政七商店のもんぺの元祖である「綿麻もんぺパンツ」は、ちょっと落ち感があって、やわらかい風合い。家着用だけではなく、サルエルの様なおしゃれボトムスとして外でも履けるようにつくられています。
驚いたのは、形状自体は昔からのもんぺのままということです。きっと今風にデザインを変えているのだとばかり思っていたのですが、大阪の生地メーカーさんと一緒に、ハリ感、やわらかさ、強度も考えて、生地を選んでは試作して、出来上がりました。




綿麻もんぺパンツの表地を変更して登場したのが「しましまもんぺパンツ」と「千鳥格子もんぺパンツ」です。
「しましま」は新潟産の見附織を使用しています。
「千鳥格子」は、兵庫県播州で織られた生地で、ところどころに見られるネップと呼ばれる節がナチュラルな風合いを醸し出しています。
プリントではなく、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の織りで柄を表現しているため奥深さと立体感が生まれます。裏地の和晒とあわせて、きちんと見えて涼しく過ごすことができます。




そういえば、よくご質問をいただくのですが、もんぺといえばポケットは前なんです!
つい、ポケットを後ろにして履いてしまいがちですが、昔からもんぺは前ポケットなので、そのままデザインにいかしました。
大きめサイズなので、携帯電話やハンカチなど、ぽいぽいっと入れることが出来て、慣れるとけっこう便利です。




私自身、綿麻もんぺパンツを履き続けて5年目になります。家に帰ったらすぐもんぺに着替える生活です。履きごこちがよくて楽チンだし、そのまま出かけられるしと、もんぺって本当に重宝します。
そんなもんぺパンツについて語る度、河田さんが何度も口にした「ほんとにすごいんですよ」という言葉には、先人たちの知恵への敬意が込められていました。

 


<掲載商品>
綿麻もんぺパンツ

日本で唯一の「杼」職人に、世界中から依頼が舞い込む理由

人間国宝級の織物作家、伊勢神宮への奉納品、さらにはフランスの文化財修復プロジェクト。世界中から依頼が舞い込む「ある道具」の職人さんがいます。

それは「杼(ひ)」という織物を織るときに欠かせないもの。

長谷川製作所の杼

機織り機にぴんと張られた経糸(たていと)のあいだに緯糸(よこいと)を通すときに使われます。

英語では「シャトル」と呼ばれ、手織り職人の手と緯糸のあいだを行き来することから「織る人の手の一部」などと表現されることもあるんだとか。

長谷川杼製作所の杼
これが「杼」。織物を織っていくうえで欠かせない道具です
西陣織会館の織物実演
杼を使って、機織り機に張られた経糸のあいだに緯糸を通して織っていきます
杼
こんな風に色ごとに使い分けます

今、この杼を作る職人さんが、日本にはたったひとりしかいません。その工房を訪ねて京都に向かいました。

織物の産地、西陣にひとり残る杼職人

最後の杼屋、長谷川杼製作所があるのは、京都市内の金閣寺や北野天満宮にもほど近い町の一角。3代目杼職人の長谷川淳一さんは、国選定保存技術「杼製作」保持者に平成11年に認定された、現在の日本に残る唯一の杼職人です。

60年以上ものあいだ、杼を作り続けてきた長谷川さん。やはり作務衣が作業しやすいとのこと
60年以上ものあいだ、杼を作り続けてきた長谷川さん。やはり作務衣が作業しやすいとのこと
長谷川杼製作所の入り口
長谷川さんのお父さん・繁太郎さんが結婚を機に新築したという、住まいと工房がひとつになった京町家

表戸口を開けてすぐのところにある店の間で、杼の仕上げをしながらお客さんの対応をします。座布団のまわりには、ヤスリや金槌、カンナなどの道具がたくさん。

杼職人さんの道具
金槌、ノミ、カンナ、ヤスリ…。その他にも聞いたことがないような道具もたくさん

「ちょっと動かすと『あら、どこいった』って言うから、掃除ができないんですよ」

奥さんの富久子さんが言うと「このほうが『あれ持ってきてくれ』言わんでも、自分でできますやろ。それに、気分が乗らしませんしね」と長谷川さん。

引き出しに手をのばす職人さん
仕事場にある古い箪笥は80年ほど前にあつらえたもの。なんでもすぐに手が届く

「100とおりの形」がある杼づくり

長谷川さんの仕事場を見渡すと、さまざまな大きさや形の杼が目に入ります。

うすい作りで経糸をすくいやすくした「すくい杼」や、先端が角ばった「縫取杼」、最も一般的な手織りで使われる「投げ杼」、そして「バッタン」と呼ばれる装置がついた織り機で使われる「弾き杼」など、それぞれ形や重さが違います。

西陣織会館の杼の展示
織物の種類や機織り機に合わせて使い分けられるという杼は、大きく分けて5種類ほどの基本の形があるといいます

西陣の特産品であるつづれ織りは太い糸を扱うことが多いですが、繊細な細い糸を扱う織物もあります。また同じ織物のなかでも、部分によって杼を使い分けたり、複数の杼を使って同時に織っていくこともあるそう。

「まあ、お客さんが100人いれば100の手がありますわな。そしたら『私はちょっと軽いのにしてくれ』とか『私はもうちょっと短いのにしてくれ』とかね。

お客さんに合わせてアレンジして作らなんので、お客さんが100人いたら100とおりの形があるわけですわ」

引き出しに入っている完成した杼
引き出しにはさまざまな形、大きさ、種類の杼がびっしり
お客さんの名前がつけられた杼
お客さんが気に入った杼には、お客さんの名前がつけられて「その人の杼」になります

ひとりのお客さんから一度に受ける注文は、一度にだいたい1丁から2丁。価格は小さいもので2000円から8000円ほどですが、オーダーしたものは4、5万円です。

「何十年、百年と持ちますから」

1丁の杼を、3代に渡って、100年以上使い続けているお客さんもいるそう。そのようなお客さんの杼を修理したり改良したりしながら、長谷川さんは杼職人としての技術を磨いてきたのです。

「使われるほど、その方の手に馴染んで使いやすくなるようです」

長谷川杼製作所の表戸口
店を訪れたお客さんと、この棚を挟んで話をします

作り続けた理由「それしか私はでけへんのです」

長谷川杼製作所は、長谷川さんのお祖父さん・辰之助さんがはじめ、およそ120年ものあいだ西陣の織物文化を支えてきました。

太平洋戦争中は、国から許可があった唯一の杼屋として、シャトル工場組合を作って他の杼屋を雇っていました。パラシュート用ベルトの杼を作っていたこともあったそう。

長谷川杼製作所の作業場
戦前に建てられたこの家。畳や棚など部屋の隅々からも、長い歴史を感じます

長谷川さんは子どものときから家業として杼作りを身近に見て育ち、高校卒業と同時に本格的に杼作りを始めました。

修行を始めた1950年代はちょうど杼の生産のピークとなり、年間の注文数が千丁も入っていたといいます。着物や帯用の杼に加え、当時流行していた起毛型のパイル織物「ビロード」用の杼を多く生産していました。

1970年代にも帯の人気により注文が増えますが、それ以降は徐々に減少。需要の変化や後継者不足から、西陣の杼屋は少しずつ姿を消していきました。そして最盛期の20年前には10軒あった杼屋が、今では長谷川杼製作所の一軒だけに。

杼の職人さん
「戦争中に許可を得て一軒やったんが、70年経って、また一軒に戻った」

また杼の材料となる部品にも、需要減少や高齢化の影響が出ています。「糸口」と呼ばれる糸が通る穴に使われている京都の伝統工芸品、清水焼です。

「この方ももう辞められてね、職人さんが年がいきましたやろ」

清水焼で作られた糸口
現在はもう作られていない清水焼の糸口。辞めると言われたときに何千個という在庫をまとめて買ったそう

同業者が次々と店をたたんでいくなか、長谷川さんが続けてこられた理由を伺いました。

「それしか私はでけへんのです。織物界でしか、仕事がでけしません」

作業場で杼を作る職人さん
「これしか私にはできない」と何度も繰り返す長谷川さんからは、杼づくりに捧げてきた覚悟を感じました

世界中の織物作家を魅了するこだわり

長谷川さんに、注文がどこから入るのかと伺うと「世界中」との答えが返ってきました。

「フランスのお城でタペストリーを復元している方がおられましてね。日本の技術が向こうで花咲いてるわけです」

フランスのみならずイギリスやドイツなど、まさに世界中で長谷川さんの杼が「織る人の手の一部」として活躍しているのです。

その他にも、伊勢神宮の御神木である桜の木を使っての杼の注文があったり、人間国宝の染織家、志村ふくみさんや北村武資さん、そのお弟子さんなどからの注文が絶えません。長谷川さんの杼を使った織物で、伝統工芸展に入選した方もいます。

着物の写真
長谷川さんの杼が活躍し、多くの人々を虜にする織物になっています

世界中、国内中から織物作家たちが注文に訪れる長谷川さんの杼。一体、何がお客さんを惹きつけるのでしょうか。

「織る人が希望する杼と、私が作る杼の寸分が合ってるんですね。相性がええわけです。だから私の杼を使うてはる人は、スムーズに織れて量産できるんです」

一点ずつ丁寧に織っていくからこそ、美しくスムーズに織り上げられることが重要な手織りの世界。引っ掛かりのない滑らかな長谷川さんの杼は、本当に「手の一部」のように経糸のあいだをくぐり抜けるのでしょう。

ヤスリで杼を磨いている
銅や紙のヤスリを使って、すみずみまで手を使って磨く作業は奥さんの富久子さんの仕事

また、織る人の握力や紐を引く力なども考慮して、杼を作っていくといいます。女性は弾く力が弱いため、軽い杼を。力の強い男性であれば、赤樫の中心部であるより固くて黒い木材を使います。

杼の材料になる宮崎県の赤樫
宮崎から取り寄せている、まっすぐで丈夫な赤樫。ようやく杼の材料として使えるようになるのは、20年ものあいだ自然乾燥させたものだけです

赤樫を板状の角材に切り出す製材、機械や小刀を駆使した穴開け、そしてなんと、おもりの鉛を溶かして流し込む作業まで、長谷川さんがおこなっています。

「これも、してくれるところがなくなって。しょうがなく自分でやってるんです。杼だけ作ってるわけじゃなし、鍛冶屋もしんならんし、大変です。後が続かへんわけですわ」

杼の鉛が入っている部分
おもりが入っている部分。長い年月をかけてしっかりと自然乾燥させた赤樫でないと、鉛を流し込んだときに割れてしまうそう
杼の中に流し込まれた鉛
七輪で鉛を溶かして杼の中に流し入れることで、適度に重く安定感のある杼になります

織物がある限り、杼はなくならない

最後の杼職人である長谷川さんには、お弟子さんはいません。どういう人が杼職人に向いているのかを聞くと、長谷川さんと富久子さんから出てきた言葉は「1に辛抱、2に辛抱」。

「ひとつ完成させるだけでも、根気がいりますさかいね」と言う長谷川さんを、富久子さんは「強情なんです」と言って笑います。

「このあいだテレビ局の方に『どんなご主人ですか』て聞かれたとき、とっさに『強情です』って言うてしもうた。そこカットして下さい言うたんですけどね」

「絶対に作り上げる」という信念があるからこそ、硬い赤樫から滑らかな杼が作り出せるのです
「絶対に作り上げる」という信念があるからこそ、硬い赤樫から滑らかな杼が作り出せるのです

杼の品質を決める、一番のポイントにも「辛抱」の言葉はつうじています。それは角度。木材それぞれが持つ角度に合わせて、杼として使う部分や穴を開ける場所を決めるのです。

「角度が命綱。直角ではあきませんのや」

木材の角度を測る
定規で見て、ようやくわかるような小さな角度。長谷川さんが木材を見ただけでわかるのは、小さい頃から杼を作るお祖父さんやお父さんを見てきたから

ひとつひとつの木材を見て、その角度に合わせて削っていく。それも、お客さんの持つ機織り機や、手に合わせて。聞いているだけで、根気のいる作業だということがわかります。

杼をつくる職人さん
効率よく作っても、完成させられるのは一日に1丁か2丁

また杼の材料である赤樫も、後継者が見つからない理由のひとつ。

「箪笥とかって桐の木でされますやろ。赤樫は硬くて全然違いますから」

大工さんや家具職人さん、樽職人さんなどが杼の技術を受け継ぎたいとやってきても、赤樫にさわるとあまりの硬さに断念して帰っていくそうです。

原材料の赤樫の木材
板にした状態で20年寝かせた赤樫は、他の木材と比べものにならないくらい硬いといいます

それでも、杼がなくなることはないと長谷川さんは信じています。

たとえば、機織り機の部品のなかで経糸の密度を決める「筬(おさ)」と呼ばれる部分。以前は竹が原料の「竹筬」が主流だったものの、今では主にステンレスを使った「金筬(かなおさ)」が使われています。

それと同じように、赤樫とは違う材料でも杼を作る人が現れるかもしれません。これから、硬い赤樫から杼が作りたいという「強情な」人も現れるかもしれません。

「きっと、どなたかがされると思います。全国に織物がある以上ね」

織物がこの世界にある限り、「織る人の手」となる杼はなくなることはない、いえ、なくなっては困るのです。

硬い赤樫を削り続ける、固い意志。きっとそれを受け継ぐ人がやってくると信じて、長谷川さんは世界中の織物作家さんへ、杼を届け続けます。

<取材協力>
「長谷川杼製作所」

上京区千本西入風呂屋町55

075-461-4747

文:ウィルソン麻菜

写真:尾島可奈子