中川政七商店が残したいものづくり #01陶磁

2019年11月1日(金)にオープンする渋谷店は、「日本の工芸の入り口」をコンセプトにしたお店。
オープンまでのわずかな期間ではありますが、皆さまに「工芸」に触れて頂きたいという思いで、ものづくりにまつわる読み物をご用意しました。
しばらくの間、お付き合いください。



中川政七商店が残したいものづくり
#01陶磁「産地のうつわ きほんの一式」

商品三課 榎本 雄


昔、祖父母の家に大きな食器棚がありました。

祖父母の家は縁側と土間のある古い日本家屋で、玄関をくぐると土間が広がり薄暗くどことなくひんやりしていて遊びにいくといつも幼心にワクワクするような場所でした。
土間を渡ると離れに台所があり、そこにある大きな食器棚にはうつわが沢山つまっていました。

祖母はグリーンピース入りの肉じゃがやエビフライなど気取らない料理を作ってくれ、大きな食器棚からうつわを取り出し、盛り付けてくれました。色とりどりの料理が盛られたうつわたちをお盆いっぱいに抱えて料理をこぼさないようにと、バランスをとりながら土間の向こうに運ぶのがわたしの大切な役目でした。
土間の向こうには兄弟や従妹、叔父や叔母、両親の笑顔があふれていました。
それがわたしのうつわにまつわる幸せな記憶です。
祖父母が亡くなった今、大きな食器棚の中のいくつかのうつわはわたしの家の小さな食器棚に収まっています。


大人になりうつわに興味を持ち地元の産地を訪ねた際に、あの大きな食器棚にあったうつわと同じものを偶然見つけたことがあります。その瞬間、祖父母の家ですごした時間を思い出し嬉しいようなくすぐったいようななんとも表現できない不思議な気持ちになったことが忘れられません。
産地のうつわは美味しさだけでなく豊かな記憶を盛るうつわなのかもしれません。


日本には歴史的なうつわ産地が約30も存在するといいます。
なるほど日本の焼物産地の地図を眺めてみると内陸部の点と点を結ぶように、北から南へ産地が帯のように存在しているのがわかります。その産地をルーペで覗くように細かく観察してみると、見えてくるのはその産地に暮らし生活の生業として焼物を作っている方たちの姿です。

当たり前ですが一人ひとりの顔は違い、話される言葉も土地によって違うものです。
さらに歴史あるそれぞれの産地でこれまで作られてきたうつわを眺めて、実際に手に取ってみると、同じ焼物でも産地によってその質感や触感はまったく違うことがよくわかります。
時代によって形や色が違っていたり、同じように作られたものでも一つひとつにゆらぎがあってひとつとして同じものがない、産地のうつわの自然さに惹きつけられます。
特に、仕上がりの美しさや繊細さを競い合うようなうつわではなく、人の日々の暮らしの営みに供されるために素っ気なく作られたような日常づかいのうつわを見るとその違いが良く伝わってくる気がします。

効率化や経済競争の末、外国で作られた安価なうつわも簡単に手に入るようになった今、産地のうつわの良さや使うことの本当の価値はあまり顧みられなくなったような気がします。
そんな中で、画一的で取りつく島がないようなうつわではなく、余白を残すような良き生活のためのうつわを模索して真摯に追い求める方たちが産地にはいます。

今回わたしが企画に携わった「産地のうつわ きほんの一式 」では今の暮らしに寄り添ううつわを、日本の4つの産地のこだわりを持った作り手さんたちと制作しました。
気負わず毎日使えるうつわを目指して作りましたので気軽に生活に取り入れてもらい、それをきっかけに各地の焼物産地へもぜひ訪れてもらえたら嬉しいです。

そしてこれからも産地のうつわが使い手の豊かな記憶を盛るうつわになるといいなと思っています。  


シリーズ名:産地のうつわ きほんの一式
工芸:陶磁
産地:栃木県益子町/岐阜県東濃地方/滋賀県甲賀市/佐賀県有田町
一緒にものづくりした産地のメーカー:和田窯/作山窯/明山窯/金善窯
商品企画:商品三課 榎本雄

大塚国際美術館が誇る「世界の陶板名画」4つの楽しみ方

日本で見られる「モナ・リザ」「最後の晩餐」「ゲルニカ」‥‥徳島が生んだやきもの技術で造る美術館

2018年のNHK紅白歌合戦。米津玄師さんがテレビ放送で初めて歌唱を披露し、話題を呼びました。

舞台となった荘厳な空間に注目が集まっています。ライブ会場となったのは、徳島県にある「大塚国際美術館」のホール。世界遺産であるバチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画を陶器の板 (陶板) で原寸大に完全再現した空間です。

人気歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが「システィーナ歌舞伎」と題した和洋コラボレーションの新作歌舞伎公演を行うことでも知られており、美術館の名前を耳にしたことがある方も多いかもしれません。

この大塚国際美術館、世界から注目される「ちょっと変わった」美術館なのです。

大塚国際美術館 正面玄関
大塚国際美術館は、瀬戸内海を臨む国立公園の中にあります。景観を損わぬよう、山をくり抜いた中に建てられました。地下3階から地上2階まで合計5つのフロアからなる、鑑賞距離4キロメートルにも及ぶ広大な美術館です。約1000点もの作品が展示されています (画像提供:大塚国際美術館)

「現地お墨付き」の陶板名画が並ぶ美術館

ここは、世界で初めての「陶板名画美術館」。

「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「ゲルニカ」‥‥展示されているのは、古代壁画から現代絵画まで世界26カ国190以上の美術館が所蔵する西洋名画を原寸大に「再現」した陶板名画です。

スクロヴェーニ礼拝堂
北イタリアにある「スクロヴェーニ礼拝堂」。現地に何度も足を運び、実際に鑑賞し許認可を得て撮影した写真を元に製作
スクロヴェーニ礼拝堂現地調査
礼拝堂の現地調査の様子。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)

陶板名画の見どころ1:質感や筆遣いまで再現

独自のやきもの技術で製作された陶板名画は、サイズや色彩はもちろんのこと、表面の質感や筆遣いまで原画に忠実です。

館内に展示された作品を詳しく見てみましょう。

数々の名画のレプリカが並ぶ圧巻の回廊
世界中の数々の名画が描かれた陶板がずらり。圧巻です
消失したゴッホのヒマワリ
ゴッホ「ヒマワリ」。筆跡もそのまま再現。立体的な油絵の様子が見て取れます
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」
ルーヴル美術館では防弾ガラスに入れられているレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」。柵やロープもないので、間近で鑑賞できます
レオナルド・ダヴィンチ「モナリザ」
この距離で眺めると、スフマート (ぼかし) 技法で描かれていて輪郭線がないことや、ひたいのベール部分までしっかりと目にできます。現地では体感できない細かいディティールまで詳細に鑑賞できるのも大きな魅力です。研究者が足を運ぶというのも頷けます

現地で撮影した原画写真を元に、凹凸も原画の通りになるよう職人の手で陶板へ反映させます。その再現性の高さは原画の所有者からお墨付きをもらうほど。

来館者は観光客にとどまらず、アーティスト、美術研究者、教育機関の関係者など多岐に渡ります。中には、海外から足を運ぶ人も。

美術書や教科書以上に原画に近い状態を味わえる、日本にいながらにして世界中の美術館を訪れたような体験ができる場所なのです。

陶板名画の見どころ2:朽ちない、触れられる絵画

陶板は、半永久的な耐久性を持ち、約2000年以上色褪せず劣化する心配がありません。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」のレプリカ
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」。館内の作品にはそうっと触れることも可能。筆跡や絵の具のひび割れの様子を肌で感じながら作品を味わえます

太陽光や雨風にも耐久性があることから、屋外での展示も実現しました。

モネの「大睡蓮」
屋外に展示されたモネの「大睡蓮」。青空の下の睡蓮は、光の描写がよりいっそう美しく感じられました (画像提供:大塚国際美術館)

この「大睡蓮」、モネは「自然光のもとで鑑賞してほしい」と願っていたのだそう。原画の置かれている展示室でも自然光を取り入れる部屋作りはされていますが、屋外で作品を楽しめるは陶板名画ならでは。モネの思い描いた作品の姿がここにあるのかもしれません。

雨の日のモネの「第睡蓮」
もちろん水にも強い陶板。雨の日は、絵画を流れる雫が水面の様子を引き立てていました

さらには、失われた作品の復元に挑戦した展示も。

消失したゴッホのヒマワリ
ゴッホ「ヒマワリ」

この作品は、ゴッホの残した花瓶の「ヒマワリ」全7点のうちの1点。1945年8月の空襲により兵庫県芦屋市で焼失したものです。

大正時代の貴重なカラー印刷の画集を元に、絵画学術委員の監修を受けながら復元したのだそう。耐久性の高い陶板で再現することで未来に残す試みのひとつとして製作されました。

館内に展示された 「最後の晩餐」は、なんと2枚。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
向かって左側に修復前、右側に修復後の姿が向かい合わせで並んでいます
レオナルドダヴィンチ「最後の晩餐」の修復前の様子
修復前の「最後の晩餐」の姿が見られるのは世界でここだけ

陶板名画の見どころ3:様々な素材を表現

ここまで、壁画やカンヴァスに描かれた油絵の再現を紹介してきましたが、世界には様々な素材に描かれた名画が存在します。陶板を立体的に焼き上げたり、表面を削ったり、釉薬を盛り上げて焼くことで、素材の様子を表現した作品もありました。

サン・ヴィターレ聖堂 ラヴェンナ「皇妃テオドラと侍女たち」
モザイクで描かれた壁画、サン・ヴィターレ聖堂所蔵「皇妃テオドラと侍女たち」。金が輝くよう角度をつけて組み合わされたモザイクの欠片。オリジナルに合わせて絵柄のみならず凹凸も忠実に再現しています。臨場感ある大きな作品に、ため息が漏れました‥‥
「キリストと十二使徒の祭壇前飾り」 カタルーニャ美術館 スペイン
スペインのカタルーニャ美術館所蔵「キリストと十二使徒の祭壇前飾り」。板に描かれた作品です
「キリストと十二使徒の祭壇前飾り」 カタルーニャ美術館 スペイン
木目や剥離など、その全てを陶板の凹凸と釉薬による彩色で再現しています。まるで「だまし絵」のよう!
フランスのクリュニー美術館 (国立中世美術館) が所蔵する「我が唯一の望みの」のレプリカ
フランスのクリュニー美術館が所蔵するタピスリー (つづれ織り) 「我が唯一の望みの」
フランスのクリュニー美術館 (国立中世美術館) が所蔵する「我が唯一の望みの」
陶板の凹凸と釉薬でつづれ織の質感まで表しています。うさぎのモフモフ感が伝わってきますね

陶板名画の見どころ4:現地を訪れたかのような臨場感

また絵画の再現にとどまらず、システィーナ礼拝堂をはじめとする礼拝堂や古代遺跡などの壁画をそのまま再現した空間で展示を行なっているのも見どころです。

イタリアにあるジョット作「スクロヴェーニ礼拝堂」の壁画を陶板で再現
北イタリア「スクロヴェーニ礼拝堂」。現地の礼拝堂にいるような臨場感に圧倒されます
ポンペイ「秘儀の間」
イタリアのポンペイ遺跡「秘儀の間」。床の模様も忠実に再現されています。現地では室内には入れませんが、ここでは展示室の中に足を踏み入れて間近で鑑賞することも

長い時間をかけて作られる陶板

オリジナルを鑑賞したかのような気持ちになる見事な陶板名画の数々。一つの陶板名画ができるまでには、長い時間と職人の高い技術が必要です。

一体どのように陶板名画は生まれたのか。次回、作り手を訪ねてその舞台裏に迫ります。

*後編記事はこちら:あの名画の質感を再現。大塚国際美術館「陶板名画」の制作現場

<取材協力>

大塚国際美術館

徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福池65-1

088-687-3737

http://o-museum.or.jp/

文:小俣荘子

写真:直江泰治

*こちらは、2019年4月19日公開の記事を再編集して掲載しました。芸術の秋にもおすすめの美術館探訪。見どころをぜひチェックしてお出かけしてみてください。

究極の履き心地に加わったデザインと手軽さ。伝統の「八幡靴」はこうして生まれ変わった

滋賀県・近江八幡市。近江商人ゆかりの地であり、豊臣秀吉の弟・秀次が城を構えた場所であり、名建築家・ウィリアム・メレル・ヴォーリズが教鞭を執り、メンタームを創業した地でもある。

元商家の風格ある町家の中にヴォーリズ建築が点在し、やがて琵琶湖へ注ぐ水が「八幡掘り」をたゆたう旧市街の一帯は、定番の観光地とはひと味違う静謐な空気に満ちている。

そんな旧市街からほど近い住宅地にあるのが、近江八幡の伝統工芸品である「八幡靴」を製作する「リバーフィールド」の工房「コトワ靴製作所」だ。

瀕死の状態にあった、「八幡靴」という工芸品

八幡靴の原点は江戸時代初期にまでさかのぼる。城下町であった近江八幡にはさまざまな技術や資材が流入し、革細工産業が発展した。

明治期には西洋化の流れを受け、それまでの皮革加工を生かした履物製作が始まり、戦後には高級手作り靴「八幡靴」が確立。ピーク期には年間35万足が生産され、辺りには八幡靴の工房が軒を連ねていたという。

八幡靴に用いるのは甲皮と靴底を直接縫い合わせる「マッケイ式製法」という技法で、中底のないシンプルな作りゆえに反り返りがよく、軽く仕上げることができる。

しかし安価な輸入品の台頭や、1足を数人がかりの分業制で手掛けてきた職人の高齢化により、次第に産業は衰退。2000年初めには、八幡靴を製造するのは「コトワ靴製作所」一軒となった。

そんな時、八幡靴を復活させたいと2002年に「リバーフィールド」を立ち上げたのが代表の川原勲さんだ。

リバーフィールド代表の川原さん。八幡靴の魅力を伝えたいと同社を創業
リバーフィールド代表の川原さん。八幡靴の魅力を伝えたいと同社を創業

全国チェーンの靴販売店に勤めていた川原さんは、八幡靴を「履き心地が抜群」とその確かな技術を見抜いて販売を開始。しかし、店で売れたのは1年間でたった1足だけだった。

それでも、手づくりならではの品質の良さを確信していた川原さんは、「売り方次第で売れる」と独立を決意する。

「時代は大量生産・大量消費から良いものを時間をかけて作る流れへとシフトしていました。独立を考えていたこともあり、そんな時に出会ったのが八幡靴でした」

近江八幡の伝統産業、復活の狼煙をあげる

川原さんは、リバーフィールドを立ち上げた後、さまざまなアイデアで窮地にあった伝統産業を盛り立てていく。

まず始めたのはオーダーシューズに限定したネット販売。職人3~4人を抱えるコトワ株式会社に製造を依頼し、2万円前後で売り出した。

自らの足で営業も行った。滋賀県の異業種同好会に参加しながら、県内の著名人20名に限定して八幡靴を配り歩き、商品の周知に努めた。最初はひと月に5足しか売れなかったネット限定のオーダーシューズも、数ヵ月後には2~30足の注文が入るようになったという。

ここで画期的だったのはネットだけで注文できる「イージーオーダー」という試み。注文後リバーフィールドから送られる「トリシャム」というスポンジ素材の計測器で足型をとり、返送後2週間ほどで今度は仮縫いの靴が届く。

試し履きして修正箇所を伝えると、10日後には完成品が自分の手元に届く。さらに気になる箇所があれば、仮縫いのやり直しにも対応してくれるという。

ドイツ製の足型計測器「トリシャム」。ネットから注文すると、自宅にトリシャムが送られてくる
ドイツ製の足型計測器「トリシャム」。ネットから注文すると、自宅にトリシャムが送られてくる

そして手頃な価格とカスタムの幅広さも大きな魅力だ。トリシャムを導入することで石膏や木製の足型を作るコストを削減し、4万円台からのオーダーシューズを実現している。

デザインは22種、皮はキップやカンガルーなど5種、色は最大10色から選べる。

「イージー」とはあくまでその手軽さのこと。計測はトリシャムでしっかり行う上、工房が持つ数百点の靴型の在庫から最も適した型と照合して仕上げていくので、ほぼすべての人が自分の足にあった靴を作ることができる。

工房にはさまざまな足の形に対応できる靴型をストック
工房にはさまざまな足の形に対応できる靴型をストック
八幡靴
八幡靴

来店の必要がなく、手頃な価格で好みのデザインをネットから簡単に注文できるのが、リバーフィールドの「イージーオーダー」シューズなのだ。

伝統の世界に最新技術を投入

フルオーダーにも川原さんらしいアイデアで対応する。

通常はプラスチック樹脂などで自分だけの靴型を作り、そこから世界に一つだけの靴が生まれる。しかし靴型製作の業界が限られているため、ひとつの靴型自体が高価なものとなる。よって「オーダーメイド」というと10万円を優に超えるのが一般的だった。

そこで川原さんが導入したのが3Dフットスキャナーと3Dプリンターだ。

フットスキャナーが計測した足型のデータをPCへ転送し、ソフトを用いて足型設計を行う。歪みなどの微調整もPC上で行い、最後に3Dプリンターで立体プリント。大幅なコストダウンと時間短縮に繋がり、7万円台で作れるフルオーダーシューズが実現した。

八幡靴

こうして八幡靴は、川原さんのアイデアにより息を吹き返していく。

八幡靴の技術を継承するだけではなく、「オーダーシューズ」という市場にも新たな価値を見出した川原さん。

足の形は一人ひとり、時には左右によっても違うため、靴に悩みを持つ人の来店も多いそう。「ピッタリな靴ができて嬉しかった」と喜びの声も届き、数人に一人はリピーターになるという。なお、一度作った足型は5年間保管してもらうことができる。

そして2015年には近江八幡市のふるさと納税の返礼品にも採用された。一時は注文が殺到し、半年待ちの状態になることもあったそう。八幡靴の名は、着実に全国へも広がりを見せている。

八幡靴の未来を担う、若き後継者たち

2010年、コトワ株式会社が職人の高齢化などから廃業を決断し、川原さんが工房ごと引き取ることになった。

工房では後継者の問題を視野に入れ、職人を目指す研修生を積極的に受け入れ始めた。すると、職人の技術や八幡靴に興味を持つ若者が全国から集まるようになる。

工房の1階は革に靴底をつける底付け師、2階は靴の設計や革の断裁などを行う甲革師がそれぞれ作業を行い、ベテラン2人と6人の若手が活躍する。ベテランの職人が直接指導を行い、技術の継承に努めている。

靴底を付ける作業や靴の修理を行う1階の作業場
靴底を付ける作業や靴の修理を行う1階の作業場

以前社会福祉関連の会社に勤め、障害者用の靴を製作していたという高井諒太さん(28)は、「もっと靴づくりのことを学びたい」と3年前に工房に入り、ベテラン職人に指導を受けた。将来は専門の店を持ちたいという夢を持ちながら、日々作業に励んでいる。

八幡靴
八幡靴
八幡靴
八幡靴
八幡靴
糸の通り道(ガイド)を作る。ガイドがずれるとステッチもずれてしまい、全体的なバランスに関わる
八幡靴
甲革との縫い合わせ。靴の形ができてくる

「職人という存在にあこがれて」と名古屋から移住してきたのは安井龍之介さん(24)。最年少だが経歴は若手の中で最も長く、現在は全工程を任される頼れる若手職人だ。「ゆくゆくは独立したい」と笑顔で語ってくれた。

八幡靴
八幡靴
甲革を靴型の裏に引っ張って伸ばし、靴底に固定していく「つり込み」。ベテランでも気を使う難しい工程
八幡靴
八幡靴
作業で穴の開いたズボンは革の端材をワッペン替わりにして補強する
八幡靴
八幡靴
革の断裁と、縫製を行う2階の作業場。建物や年代物のミシンなどにも歴史を感じる
八幡靴
オーダー用紙に書かれた計測結果に沿って革を切り出して行く
八幡靴
八幡靴
甲部にあたる革(アッパー)を縫製する作業

「八幡靴」の可能性、さらに広がる

手頃な価格ながら、手縫い特有の履き心地が支持を集めている八幡靴。しかし、まだまだ購入者の年齢層は高めで、若年層への普及が課題。

そこで川原さんが新たに取り組んでいるのがスニーカーの試作。表面に革を用いながら、手縫いならではの履き心地を実現しようと試行錯誤を重ねている。

八幡靴

福岡県宗像市からやってきた泉祐貴さん(31)も、スニーカープロジェクトに携わる一人。八幡靴の魅力を若い人にも知ってもらいたいと、新商品の開発に向けて奮闘する。

八幡靴

近年ファッション誌でも特集が組まれるなど、注目を集める八幡靴の技法を用いたスニーカー。若い層を積極的に取り込む新たな看板商品になりそうだ。

受け継がれた伝統には、訳がある。

かつて数百軒を超えていたという工房は最後の一軒となり、絶滅の危機に瀕していた八幡靴。しかしそこには確かな技術と、手づくりならではの温かみが残っていた。

本当に良いものは、それを愛する気持ちとアイデア次第で何度でも息を吹き返す。そして、人々を魅了し続ける。

そんなことを、目の前で証明された気がした。

八幡靴

<取材協力>
リバーフィールド株式会社
滋賀県近江八幡市八幡町336(工房)
0748-37-5451
http://easyorder-shoes.com/

文:佐藤桂子
写真:平田尚加

雨にも負けず、雪にも負けない。丈夫で美しい金沢和傘の秘密は独特の作り方にあり

「弁当忘れても傘忘れるな」

こんな言葉をご存知でしょうか?

これは、金沢を含む北陸地方に伝わる格言。年間を通じて雨や雪が多く、一日のうちに曇り、雨、雪‥‥と目まぐるしく変わっていく、この地方の天気を言い表したものです。

そんなこの地方ならではの工芸品が「金沢和傘」。実用性とともに、美しさも兼ねそろえた一品です。

金沢和傘、唯一の作り手「松田和傘店」へ

現在、金沢和傘を作り続けているのは、1896年 (明治29年) 創業の松田和傘店。最盛期には118軒もの和傘屋があったそうですが、今ではここ1軒を残すのみとなりました。

金沢・松田和傘店

お店に伺うと、2年前に父親の跡を継いで三代目となった松田重樹さんが笑顔で迎えてくれました。

松田和傘店・松田重樹さん
松田和傘店三代目の松田重樹さん

洋傘や車の普及に伴い、すでに先代の時代には和傘の需要は激減。和傘で生計を立てるのは難しい状況でした。子どもには苦しい思いをしてもらいたくないのが親心。重樹さんは一旦は会社勤めをしたものの、それでも「いつかは継ぎたい」とずっと思い続けていたといいます。

「やっぱり、和傘と一緒に大きくなったようなものだから、失くしたくないんよね」

複雑な金沢和傘の千鳥掛けも、小学生のころから父親が作業する姿を見ていたので、初めて取り掛かる際もすんなりできたそう。これには先代も驚いたとのことです。

金沢和傘糸掛け

金沢和傘糸掛け
ある日、うとうとしながら作業した時も、きちんと千鳥掛けができていたとのこと。体が技を覚えこんでいる証拠です

金沢和傘糸掛け用の糸
カラフルな千鳥掛け用の糸

金沢和傘の道具
道具類は先代から受け継がれてきたものです

雨雪に耐える丈夫さの秘密

金沢和傘の最大の特徴は、その頑丈さ。金沢は雨が多いだけでなく、水分量の多い重い雪が降るため、その重さに耐えられるように作られています。

傘のてっぺんである天井部分には和紙が四重にも貼られており、これは他の地域の和傘にはみられないものだそう。

金沢和傘
金沢和傘の天井部分。和紙を四重に重ねて頑丈に仕上げます

さらに、和傘の「軒」、いわゆる縁の部分には「小糸がけ」といって、しっかりと糸がかけられ、補強の役目を果たしています。まるでステッチが入っているようで、デザインとしても小粋です。

金沢和傘
縁の部分にうっすらと糸が見えます

金沢和傘
傘をさして見上げるとカラフルな糸。これも金沢和傘を強く、美しくしてくれるものです

手入れがよければ、なんと半世紀はもつのだとか。

「親父がそう言っていたけど、『まさか』と思っていたんです。ところが、実際に四十数年前とか、半世紀近く前に作られた傘の直し依頼が来るんですよね」と重樹さん。

金沢和傘を積んだ車が事故に遭った際も、車は大破したものの、傘は柄が少し壊れたくらいで済んだそう。そんな驚愕エピソードも残っています。

意外と知らない和傘と洋傘の違い

和傘は、洋傘と色んなところが真逆なのも面白いところ。

洋傘を持ち運ぶ際には柄の部分を持ち手にしますが、和傘は天井部分を持つのだそう。天井部分に皮の紐があるのは持ちやすいようにするため。和傘をさす際に持ち手となる柄の先には石鎚があります。

金沢和傘 松田和傘店
皮の紐があるので、こんな風に吊るすことも可能

金沢和傘
持ち手の先には石鎚

さらに、傘の折り込み部分も、洋傘は外側に、和傘は巻き込まれるように内側に折り込まれています。

金沢和傘
たたんで見るとよくわかります

40以上もの工程を経て出来上がる1本の和傘

和傘の制作は、本来、分業制とのこと。その工程は細かくわけると40以上もあるといいます。重樹さん曰く、一説によると「傘」という漢字に「人」という字がたくさん集まっているのは、傘づくりにたくさんの人を要することに由来するのだとか。

松田和傘店では、その工程全てをひと通りやっています。細分化された工程の中でも、最も難しいのが天井張りの部分だそう。金沢和傘の強度を保つ、大事な部分です。

金沢和傘 松田和傘店

「紙に余裕をもたせて貼るのが難しいんです。和紙、特に楮 (こうぞ) 100%の厚い和紙は扱いが難しいもの。『言うこと聞いてね』と和紙に語りかけながら作っています」と、重樹さんは笑います。

持つ人を引き立たせる和傘づくりを

「昔ながらの作り方も大切にしつつ、見る人を楽しませる綺麗なもの、若い人たちも和傘をさしたいと思えるものを作りたい」と語る重樹さん。

その思いは、店いっぱいに所狭しと並ぶ色とりどりの和傘に映し出されているようです。

金沢和傘 松田和傘店

金沢和傘 松田和傘店
本物の笹の葉が入っているものも

現在、金沢和傘のオーダーは最長で男物が1年半、女物が8ヶ月待ちのものもありますが、店頭にあるものは購入可能とのこと。和の心を感じる和傘で雨の日を楽しんでみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
松田和傘店
石川県金沢市千日町7-4

文・写真:岩本恵美

*こちらは、2018年5月28日公開の記事を再編集して掲載しました。9月も雨が増える季節。お気に入りの傘があると雨の日も楽しみになりますね。

めざせ職人!金沢には未経験から伝統工芸を学べる「職人大学校」がある

ものづくりが好きな方であれば、一度は「職人」に憧れたことがあるのではないでしょうか。

しかし、伝統工芸の技を一から学ぶのは簡単なことではありません。師匠に弟子入り?下積みに何年かかるの?さまざまな疑問が頭をよぎります。

そんななか、まったくの未経験から伝統工芸の技術を学べる塾があるという噂を聞きつけた、さんち編集部。今回はその現場を訪ねるため、石川県金沢市にやってきました。

受講料無料!3年間で伝統工芸の技を学ぶ「金沢職人大学校」

到着したのはJR金沢駅から徒歩15分の場所にある「金沢市民芸術村」。金沢市が市民の芸術活動を支援する目的でつくった総合文化施設で、伝統文化の継承技能者養成を目的とする「金沢職人大学校」が併設されています。

赤レンガが特徴的な建物は、旧紡績工場倉庫群を改修したもの。広々とした芝生が広がり、敷地はなんと約10ヘクタールに及びます

この「金沢職人大学校」内で行われているのが、今回お邪魔する「希少伝統産業専門塾」(以下、専門塾)です。

国の「伝統的工芸品」に指定されている金沢の工芸品は、金沢箔や加賀友禅、金沢漆器など6種類。これらの業種以外にも金沢表具や竹工芸、加賀象嵌、二俣和紙など、さまざまな希少伝統工芸が息づいています。

しかし、なかには技術者の高齢化や後継者不足によって、存続が危ぶまれる業種も。そこで、金沢市は約20年前から希少伝統工芸の後継者育成を目的に、この専門塾を開校しました。

現在開講しているのは「加賀象嵌」「竹工芸」「木工」「二俣和紙」の4つのプログラム。週1回行われる実習に3年間参加し、専門的な知識や技術を学んでいきます。(二俣和紙は2年間。2018年10月にプログラム終了)

驚くのは、なんと受講料が無料だということ!(別途材料費はかかります)基本は金沢市内在住者が対象ですが、3年間の実習に意欲と熱意を持って取り組める方であれば、まったくの未経験者でも参加することができるそうです。金沢市の本気度の高さを感じます。

道具の使い方から手入れまで、基本をしっかり学ぶ

この日は半年前から第7期がスタートした「木工」の実習が行われていました。トントンと木を削る音が鳴り響くなか、さまざまな年代の受講生が作業を進めています。

図工室のような教室で熱心に作業を進める受講生たち

開講当初から木工の授業を担当しているのが、福嶋則夫先生です。金沢市内で2人しかいない木工芸の職人として数々の作品を生み出しています。

石川の伝統工芸展や現代美術展で数々の賞を受賞している福嶋先生

実習では、まず何から学ぶのでしょうか?

「最初はのみや鉋(かんな)の使い方から教えていきます。受講生のなかには、はじめてのみを持ったという人も多いんですよ。道具を買ったからといってすぐに使えるわけではありません。刃物の研ぎ方や調整の仕方など、自分の手に馴染みやすい道具にするための手入れの方法をしっかりと学んでいきます」

木工に欠かせない刃物。研ぐ作業は何より重要です
鉋も台の調整や刃の角度など、微妙な違いで仕上がりが大きく変わるそう
木は一つひとつ表情が異なります。反りはないか、加工しやすいかなど、素材の見極め方も学んでいきます

専門塾では、刃物で木をくりぬいて加工する「刳物(くりもの)」から始まり、木の板を組み立てて加工する「指物(さしもの)」を学びながら作品をつくっていきます。一つの作品が完成するのに半年〜1年。3年間のプログラムで2〜3個つくるのがやっとです。

一枚の木の板をのみで削る「刳物」。盆や盛器などに加工されることが多い技法です
木の板を組み合わせる「指物」は箱や机、箪笥などに取り入れられています

「刳物は木工のなかでも一番原始的な方法です。自分の手で少しずつ削っていくからこそ、自由なかたちになるんですよ。一方、指物は0.01ミリの微妙な調整が必要な繊細な技法。同じ木工でも、その振り幅が大きいのが面白いですよね」と福嶋先生。

刳物は仕上がりを頭の中でイメージすることが大切だそう。手で厚みや感触を確かめながら刳りぬいていきます

授業の進め方は、受講生が各々自由に作品づくりを進めていくスタイル。それぞれの進度に応じて先生がアドバイスをくれるので、初心者でも経験者でも無理なく技術を磨くことができます。

「私が修行していた頃は、手取り足取り教えてもらうことはありませんでした。ずっと下積みをやってるなかで師匠や職人がやってるのを見て覚えろってね。でもここでは初心者でも初回から実際に手を動かしつくっていきます。

3年間のプログラムは長いように感じるかもしれませんが、週1回5時間なので短いくらいです。受講生のなかには3年間のプログラムが修了したあとも、継続して受講する人もいるんですよ(最長9年間まで受講可能)。卒業生のなかには、実際に金沢漆器やほかの産地の木地師として独立した人もいます」

未経験者から研究者や漆器の職人まで。受講生が木工を始めた理由とは

では、専門塾にはどんな人たちが参加しているのでしょうか。受講生に話をうかがいました。

もともと職人のからだの動きを計測する研究をしていた関規寛(せき・のりひと)さんは、ものづくりする人の教え方に興味があり、木工を始めました。

しかし通っているうちに作品をつくる楽しさに目覚めたそう。最初の3年間が終わった後も継続して学び、現在で通い始めて8年目になります。

通い始めて3期目になる関さん

「この塾は自分のつくりたいものに挑戦できる自由度の高さがいいですね。
今つくっているのは栃の木を使った銘々皿。木工の機械は大型のものが多のですが、小型の丸ノコでミニチュア版のようなものに仕上げようと思っています」

ただでさえ緻密な指物の技術。作品が小さくなるほど、難しくなりそうです

半年前から専門塾に通い始めた金山麻里(かなやま・まり)さんは、金沢市民芸術村内にある「アート工房」に勤務。木工はまったくの初心者でしたが、木の材質が好きだったことから入塾しました。

アート工房でTシャツなどをつくっている金山さん

「木工は鉋がけ一つにしてもわずかな刃ので具合によって変わるので調整が難しいですね。これまでは現代アートが好きだったのですが、木工を始めてから伝統工芸にも興味を持つようになりました」

「次はこんなのを作りたいんです」と金山さんに見せてもらったのは、なんと人間国宝の作品。インスピレーションを得るため、さまざまな人の作品を見ることも多いそうです。

「木工はシンプルなものほど難しいですね」と金山さん

専門塾で一番のベテランが栂坂美紀子(とがさか・みきこ)さん。美術大学出身でもなく、仕事も木工とはまったく関係がなかった栂坂さんですが、昔から職人に憧れていて「いつか自分でも‥‥」と漠然とした思いを持っていたそうです。

新聞でこの塾のことを知り、3期9年受講した栂坂さん。福嶋先生の助手として受講生の作品づくりのサポートをしながら、自らも作品をつくり続けています。

真剣な表情で作業を進める栂坂さん

「今も平日は仕事をしながらものづくりを続けています。9年通ってもまだまだ勉強することはたくさんありますね。この場所は実習がない日(週3回)も夜の9時まで使うことができるので、仕事が終わったあとに制作を行うことも多いんですよ」

すぐにアドバイスをもらえる先生との距離の近さも、この塾の魅力の一つ

鶴田明子(つるた・あきこ)さんは、なんと現役の職人。金沢の伝統工芸である金沢漆器づくりに携わっています。

「漆器づくりは分業制なのですが、下地となる木地をつくる職人が金沢では一人しかいなくて、このままでは漆器づくり自体が成り立たないのではと思っていました。そんな時に『自分で木地もつくってみては?』とすすめられ、この塾に通うことになったんです」

普段は蒔絵職人として漆器づくりに携わっている鶴田さん

木地から漆塗り、蒔絵まで一人ですべてできる日も遠くないかもしれません。

「木工は体力が必要。蒔絵とは違った難しさがありますね」

工芸の技術を絶やさないために

ものづくりに興味がある人は多いものの、なぜ後継者が少ないのでしょうか。その理由を福嶋先生に尋ねました。

「時代の変化に伴い、工芸品の需要の減少や職人の高齢化などさまざまな問題があります。職人として続けていくためには体力や根気が必要ですしね。しかし、それ以外にも理由があります。木工は機械や道具を揃えないといけないし、音の問題もある。木を削る音や機械の音が大きいので広い場所が必要など、環境の面からも独立しにくいのです」

金沢市ではこれらの問題を解消するために、工房を開設する際や工芸品の開発促進のための助成など、専門塾以外にも職人を目指す人たちのサポートにも力を入れていますが、まずはものづくりの楽しさをより多くの人に知ってもらうことが大切だと、福嶋先生は語ります。

機械も工具も揃っているなかで、しっかり木工の技術を学べるのは石川県のなかでもここだけ。もちろん、音を気にすることもありません。

希少伝統産業専門塾は開講中のため現在受講生の募集は行っていませんが、見学はいつでも可能とのこと。なんとなく面白そう!と思った方はぜひ見学してみてはいかがでしょうか。

始める理由は何であれ、ものづくりに興味を持つ人が増えていく。そうすれば自ずと工芸の未来がつながっていくのかもしれません。

<取材協力>
金沢市経済局営業戦略部クラフト政策推進課
希少伝統産業専門塾
問い合わせ先 craft@city.kanazawa.lg.jp

文・写真:石原藍

*こちらは、2018年5月10日公開の記事を再編集して掲載しました。伝統工芸を後世に受け継ぐ“きっかけ”を生み出す取り組み、さんちは今後も応援していきます!

「石垣の博物館」金沢城の楽しみ方。プロに教わる謎多き庭園の魅力

金沢の人気観光地、金沢城には別名があります。

出入口や庭園など、場所に応じて様式を使い分けた多種多彩な石垣が存在し、石垣に関する歴史資料が備わっていることなどから、ついた名前が「石垣の博物館」。

今回は、そんな金沢城の石垣の魅力をプロと一緒に巡ります!

まずは玉泉院丸庭園で、庭の景色として石垣を見る。

金沢城の石垣

金沢城は1583(天正11)年、前田利家の入城後、本格的な城作りが始まり、1869(明治2)年まで加賀藩前田家14代の居城として置かれました。

明治以降は陸軍の拠点、終戦後は金沢大学のキャンパスとして利用。金沢城公園として一般公開されたのは2001(平成13)年のこと。

公園整備をするため発掘調査や研究が行われ、そこではじめて石垣が注目されたそうです。

石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫さんに、中でも一番金沢城らしい石垣が見られるという「玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)」を案内していただきました。

金沢城玉泉院丸庭園

美しい風景が広がる、一般的な庭園のように見えますが、なんだかちょっと違う。

「庭というと、景色の一つに石を置いたりしますが、ここは石垣を見て楽しむ庭になっています」

金沢城玉泉院丸庭園

確かに、言われてみれば石垣ですが、あまりに景色に馴染んでいて石垣とは思えず、ここがお城であることを忘れてしまいそうです。

「たまたま石垣があって、それを庭の借景にしているのではなく、石の積み方を変えたり、石の色合いを変えるなど意匠的な石垣をしつらえています」

そもそもここに石垣は必要だったのでしょうか?

「斜面ではあるので、擁壁(ようへき)という本来の機能を持っていることは間違ありません。でも、もっと簡単に作ることもできるのに、あえて手の込んだ作りをしているのは、やはり石垣が庭の一部になっているからだと思います」

色、形も様々な石垣、実はものすごい労力が‥‥

回遊路に沿って、石垣に近づいてみます。

金沢城切石積石垣

「これは“切石積石垣”と言って、ぴっちりと隙間なく合わせて積み上げていく技法です」

同じ形の石を積む方法もあるそうですが、ここは形がバラバラ。

「形が違うので、ひとつ石を積んだら型取りをして、その形に合わせた石を作って隣に積んでいく。ものすごく時間がかかります」

想像しただけで気が遠くなる作業です。

「石は“戸室石”を使っています。戸室石には茶系の赤戸室と、灰色系の青戸室があって、その色使いもポイントになっていますね」

いろんな色があってパッチワークのようです。

「ほかのお城の石垣は形や積み方に変化はあっても、色の変化はありません。どこまで意識していたかわかりませんが、戸室石ならではのメリットだと思います」

石垣で庭に変化をもたせる

パッチワークの石垣の横には、刻印のある石垣が並んでいます。

金沢城玉泉院丸庭園

「刻印が面白いと発想した人がいて、わざわざここに集めたのではないかと」

これは何のマークなのでしょうか?

「重臣たちのマークなのか、ひとつの仕事をするグループのマークなのか、はっきりしたことはわかっていません。家紋とも違います」

刻印は城内に200種類以上あるそうです。

「他の藩の石垣にも刻印はありますが、金沢城は種類が多いので、百万石を構成する家臣の多さと関連しているのではないかという説もあります。あとは運用の仕方も違うのかもしれません」

それにしても、少し歩くだけでいろんな石垣を見ることができて、楽しくなります。

「庭というのは変化に飛んでいることが大事で、単調では面白くない。ここは石垣で変化をつけていたのではないかと思います」

石垣にあるまじき不自然な段差

こちらは、池に架かる「紅葉橋」の前にある石垣です。

金沢城玉泉院丸庭園

「元は庭の入り口になる大きな門を載せていた石垣ですが、全体のプロポーションを見ると、橋を渡る時に目を引くような石垣になっています」

プロポーション?

「普通、石垣というのは高さより幅が広く作られますが、ここは逆に幅より高さを大きく作られていて、存在感が際立っています。不自然な段差といってもよいでしょう」

なるほど。紅葉橋だけに、石垣で山を表現していたのかも。そんな想像をするのも楽しくなります。

石垣滝の景色を表現した「色紙短冊積石垣」

「これは“色紙短冊積石垣”と名付けられた石垣です」

金沢城色紙短冊積石垣

「上にあるV字型の黒い石が石樋で、そこから水が流れ、滝になっていました」

金沢城色紙短冊積石垣

石垣に滝を組み込むという、大胆な発想!このようなものは他にはなく、金沢城独自のものだそう。

「普通、石垣は頑丈にするために石を横にして積んでいきますが、ここは縦長の石を段差をつけて三段に組み込んでいるのも大きな特徴です。庭に石を置くとき、高さを変えて配石するのが定番ですが、それを石垣で表現したのでしょう。縦方向のラインは滝の水の流れとマッチしますから、全体としては庭の景の要である「滝石組み」の景色を石垣で表現したのではないかと考えられています」

なんと!滝を組み込むだけでなく、さらに水の流れを表現しているとは!

いったい誰がデザインしたのでしょうか?

「それがわからないんです。古文書にも記録されていないので。ただ、庭というのは一般の家臣が楽しむのではなく、藩主が楽しむものなので、当時の藩主の趣向は入っているのではないかと思います。これから研究されていくテーマのひとつですね」

どんな方が考えたのか。なんだかワクワクします。

「誰かデザインセンスに飛んだアーティスティックな方がいて、設計、全体をプランニングしていかないと、こういうカッコイイ景観にはならんのではないかと思いますね」

崖の下から石を積み、隙間に川原石を埋めて積み上げていく

金沢城の石垣の特徴がわかったところで、これらの石垣がどのように作られたのか、城内にある模型を見ながら教えていただきました。

「これが石垣の構造です」

金沢城の石垣
石切場や発掘調査で発掘された石を使った模型。城内2箇所に展示され、見ることができる

「崖の下の方から石を積んで、後ろや隙間に川原石で埋めながら積み上げていきます。

奥行きの長い石は重量もあるので頑丈です。構造としては、石と石の間にモルタルや粘土を挟んで一体化する剛構造の壁ではなく、大きな石をバランスよく積んでいく柔構造の壁ですね」

金沢城の石垣

左が原石に近いもの。右は石垣用に加工された石。どうやって、この形にしたのでしょうか。

「割って加工します。初めに穴をいくつも掘って、穴の中に鉄製の太い楔(くさび)を入れ、上から大きなハンマーで叩くと割れます」

穴を掘ったり削ったりするのは鉄のノミを使っていたそうです。

金沢城の石垣

江戸時代の設計士「穴生」とは

石垣に使われている戸室石は、金沢城から9キロほど離れた石切場から運ばれてきました。

「戸室石は火山のマグマが冷え固まった安山岩で、堅いけれど加工がしやすい。そのため、早くから加工の技術も発達しました」

ご案内いただいた石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫さん
ご案内いただいた石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫さん

石切場で形を作って、お城では積むだけというのが基本的な流れ。

ということは、設計段階で石の形や数が決まっていたということでしょうか?

「そうですね。まずはどういう石垣を作るか、高さ幅、そのためには石がいくつ必要か見積もらなければなりません」

設計士がいたのでしょうか。

「石垣作りの一番上にいる技術官僚を“穴太(あのう)”といいます。現場での指揮はもちろん、石垣を作るのに角石は何個必要か、この形はいくついるのか、企画寸法、数を積算し、それを作って持ってくるまでの人夫賃の経費まで積算するのが穴太の仕事です」

金沢城の石垣
石垣が露出しているところもあり、より構造がわかりやすい

穴太は、近江国(現在の滋賀県)坂本が発祥とされます。城郭の石垣などをつくる専門の技術者として幕府や諸藩に仕え、築城ラッシュの際には大きな活躍を果たしたそうです。

「信長が安土城の技術者として穴太を抱え、秀吉が継承し、秀吉につながる大名のところに穴太が散らばって、全国に広がっていったようです」

加賀藩では利家が穴太を抱え、武士と同様に「穴生」という職を置きます。

「職になると代々世襲になるので、技の伝承が図られていく。でも、一つの家だけだと途絶えることもあるので、穴太家(後の奥家)と後藤家が世襲していました」

金沢城の石垣に関する古文書の多くは、この後藤家の10代目、彦三郎氏によるものだそうです。

「普通、職人の技は文字に残すものではなく、一子相伝、秘密のもの。ところが、江戸後期になって世の中の様子が変わってくると現場の数が少なくなって、技術伝承が難しくなってくる。そこで、筆まめだった彦三郎さんが自分の家に伝わってきた技術を書き残さないといかんと、図面を入れながら残した。これが他にはない貴重なものになっています」

彦三郎さんが手がけた石垣。大火から建物を守った亀甲石(六角形の石)を入組み込むなど、陰陽五行思想の影響もみられる。玉泉院丸庭園の「色紙短冊積石垣」も彦三郎さんが命名
彦三郎さんが手がけた石垣。大火から建物を守った亀甲石(六角形の石)を入組み込むなど、陰陽五行思想の影響もみられる。玉泉院丸庭園の「色紙短冊積石垣」も彦三郎さんが命名

手仕事ならではの美しさがある

石切場で形作られた石は城に運ばれた後、そのまま積まれていくものもありますが、切石積み石垣はさらに表面加工を行います。

金沢城石垣

「戸室石はスパッと切れるわけではないので、割った後、削って平らにする必要があります。荒加工までを石切場でやって、現場に運んでから仕上げ加工をしていたようです」

金沢城の石垣

これは、表面を平らにし、さらに角を縁取り加工したもの。

「“縁取り”技法は、石垣で凹凸のない真っ平らな壁面を作る上でとても重要です。この縁に定規をあてて、石の出入りをミリ単位で微調整することになります」

なぜそこまでやったのでしょう。

「“縁取り”は庭園や重要な門など、人目に触れる所に多いので、見栄えだと思います。

今の工業製品のような均一性はありませんが、そこがまたいい。手仕事なのでひとつひとつ違う、工芸品のような美しさがあると思っています」

お宝が眠ってる!?ロマンを感じる利家時代の石垣

最後に東の丸北面にある、城内で最も古い石垣を見に行きました。

「こちらが利家時代に築かれた石垣です。自然石や荒割りしただけの石を積む“自然石積み”です」

金沢城石垣

無骨で荒々しく勇ましさを感じさせる石垣です。

「これまで見てきたものと違ってデザイン性などはありませんが、よく見ると、一つだけ大きな石があるでしょう」

金沢城の石垣
中央下に一つだけ大きな石

「あの石の裏に何かあるんじゃないかと思っているんです」

え!お宝ですか!?

実際何か入っていたことはあるんですか?

「石工の道具が入っていることはありますね。ここを発掘するということはまずないので、想像するしかないのですが」

これだけ石垣にこだわってきた金沢城です。きっとなにかある。あってほしいと期待してしまいます。

美的センスを持ち合わせた藩主

防御としてだけでなく、見せるための石垣。

今回ご紹介したのはごく一部ですが、どれもこれまでの石垣のイメージを覆すものばかりでした。

金沢城に限って、なぜこれほど多彩な石垣が作られたのでしょうか。

金沢城の石垣
奥は「切石積み」、手前は「金場取り残し積み」と、違った手法の石垣が組まれているところもある

「加工に適した戸室石があったこと、穴太家を家臣に抱えるなど石垣造りの技術的な体制が整備されていたこともありますが、やはり、藩主の意向がなければできなかったと思います」

美的センスを持った藩主、そしてそのセンスを家臣たちも認めていたからこそ、腕によりをかけたのかもしれません。

石垣の博物館であり美術館ともいえる金沢城。

当時の技の粋を見に出かけてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
石川県金沢城調査研究所
*金沢城公園の散策には金沢城ARアプリのご利用もおすすめです。

文・写真 : 坂田未希子

この連載は‥‥
土壁、塗壁、漆喰、石壁、板壁。その土地に合った素材、職人の技、歴史が刻まれた各地の「壁」を紹介する、特集「さんちの壁」。壁を知ると、旅はもっと面白くなります。

*こちらは、2018年5月26日公開の記事を再編集して掲載しました。金沢城を訪れたら、数百年も前の手仕事に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。