【わたしの好きなもの】天然毛の歯ブラシ

洗い上がりつるつるの歯ブラシ

朝昼晩の歯磨きは、毎日欠かせないルーティンですね。

歯磨きには、ナイロンの歯ブラシを使っている人が多いかと思います。私もそのひとりで、大体1ヶ月から2ヶ月くらいで買い替えていました。スーパーなどで見かけると予備を買ってちょっと多めにストックしたり。考えてみるとあまり経済的ではありませんね。

そんなときに気になっていたこの「天然毛の歯ブラシ」。

素材には馬毛が使われており、どんな磨き心地なんだろうと、とても興味をそそられました。どちらかというとちょっと硬めの、コシがあるブラシの方が好みですが、はたして馬毛の強度のほどは?



天然毛の歯ブラシデビューの日。せっかくなのでこちらも気になっていた「海塩の粉歯みがき」といっしょに使ってみました。



ヘッド部分は、市販の歯ブラシで「小さめヘッド・コンパクト」とうたわれているものよりはやや大きめのサイズ。ブラシにコシがあり、歯茎を傷めずに磨けている感じがします。

ブラッシングの後は歯の表面がつるつるに。舌で確認すると明らかでした。



ちなみに、普段の歯磨きでは口の中が泡あわになってしまうのが苦手で、いつも短い時間で吐き出してしまうのですが、「海塩の粉歯みがき」は泡も立たず、ほどよい塩加減なのでテレビを見ながらずっとマッサージしている感覚。

磨き終わったら軽く口をゆすぐだけでさっぱりします。歯が抜けたときの血止めに塩水でうがいした思い出が蘇ります。

私はゴシゴシと強めに歯磨きをしてしまう癖があり、これまで歯ブラシを頻繁に買い換えていました。その点、馬毛のブラシはコシと弾力から復元力が高く、寿命が長いのも嬉しいところです。

お手入れとして、使用後は水気をよく切り、最後にティッシュかタオルで軽く押さえるようにしています。



獣臭がするのでは?と気になる方へ。最初に「海塩の粉歯みがき」を使って磨いたときは香ばしいような、独特のにおいがありましたが、1週間もすれば薄れてきます。また、ミントなどのチューブタイプの歯磨き粉を使う場合には、ほとんどにおいは感じられませんでした。

今まで何本も買い替えてきた消耗品のナイロン歯ブラシから、長く大事に使える歯ブラシに出会えました。さっぱりとした後味の「海塩の粉歯みがき」もお気に入りです。

編集担当 今井

使うほど美しさ、使いやすさに気づく。コンマ単位の技を駆使した「隅切りトレイ」はこうして生まれた

冬は雪深く、一年を通して湿潤な地域が広がる北陸では、独自の風土がさまざまな工芸技術を育んできました。

そんな北陸の地で2020年1月誕生したのが、ものづくりの総合ブランド「RIN&CO.」(りんあんどこー)。

漆器や和紙、木工、焼き物、繊維など、さまざまな技術を生かしたプロダクトが動き出しています。

RIN&CO.
お盆の材料
RIN&CO.
九谷焼の産地

今回は「RIN&CO.」を立ち上げた漆琳堂の内田徹さんとともに、プロダクトの製作現場を訪れ、北陸のものづくりの魅力に迫っていきます。


*ブランドデビューの経緯を伺った記事はこちら:「漆器の老舗がはじめた北陸のものづくりブランド「RIN&CO.」が生まれるまで」

木の美しさを引き出すトレイ

今回ご紹介するのは、白木の隅切りトレイ。

隅切りトレイ

木はタモを使用し、ナチュラルな風合いを出すためクリア仕上げを施しています。

タモ材は、ナチュラルで淡い色と、色の深さが異なる木目の美しさが特徴。

淡い色みや黄みがかった層がグラデーションのようになり、木目の奥深い美しさを引き出しています。

四隅が切り取られた八角形の形は持ちやすく、手になじみます
四隅が切り取られた八角形の形は持ちやすく、手になじみます

この商品をつくっているのは、福井県鯖江市河和田(かわだ)地区の井上徳木工。

井上徳木工

河和田地区は1500年以上続く越前漆器の産地ですが、井上徳木工では丸いお椀ではなく、重箱やお盆、小箱といった木を組んでつくる「角物」の木地を手がけています。

漆を施される前の木地。このままでもすでに美しい
漆を施される前の木地。このままでもすでに美しい

越前漆器は業務用のものが多く、高い耐久性が求められます。

漆塗りや蒔絵・沈金を施すと木地の木目は見えなくなってしまうものの、土台がしっかりつくられていないと、その価値は下がってしまうのです。

井上徳木工は技術の高さはもちろんのこと、「こんなものがほしい!」というお客さんの要望をかなえる再現力で、これまで数々のニーズをかたちにしてきました。

ポリシーは「断らないこと」

工房の2階にある倉庫を見せていただくと、そこにはさまざまなかたちのお盆や重箱が、棚や床いっぱいに並べられていました。

2階の倉庫

なんと、これらはすべて商品になる前のサンプル。

「昔は棚一つでおさまるくらいの量だったんですよ」と語るのは、井上徳木工の井上孝之さん。

井上孝之さん
井上孝之さん

井上さんは井上徳木工の2代目。高校卒業と同時に家業を継ぎ、30年以上角物を手がけてきました。しかし、時代とともに角物を取り巻く状況も変化してきたそう。

「私が継いだ頃は決まったかたちをつくっていれば良い時代でしたが、次第に生活も多様化し、定番のかたち以外の問い合わせが増えてきました」

どんな制作依頼にも可能な限り応える。そんなポリシーから、多くのお客さんが井上さんのもとを訪れるようになり、サンプルの数もどんどん増えていきました。

角物のサンプル

時間も労力もかかるサンプルづくり。せっかく作っても取引に繋がらないこともあります。断る職人さんも多いなか、井上さんはどうしてきめ細やかに対応するのでしょうか。

「商品のデザインは図面上ではちゃんと描けていても、実際につくると木の特徴や癖によって微妙に変わるもの。つくってみないとわからないことがたくさんあるんです。

もちろんサンプルなので、1回つくってそのまま終わり、というものもたくさんありますよ。でも、次へのヒントになるかもしれないので、決して無駄にはならないと思っています。

つくるものの幅が広がると、産地の活性化にもつながりますしね」

サンプルを手に取る井上さん

図面通りに仕上がるか、無理のない工程か、などサンプルづくりを通して検証を重ねる井上さん。

蓄積された技術と経験があるからこそ、お客さんへの提案やアドバイスにも説得力があります。

職人同士に生まれた新たな接点

「RIN& CO.」を立ち上げた漆琳堂の内田さんと井上さんは、塗り、木地の立場でともに河和田エリアの漆器づくりに携わる職人同士。しかし、意外なことにこれまであまり接点がなかったそう。

「RIN&CO.」を立ち上げた越前漆器メーカー、漆琳堂の内田さん(左)
「RIN&CO.」を立ち上げた越前漆器メーカー、漆琳堂の内田さん(左)

「井上徳木工さんは角物の木地、私はお椀などの丸物の塗りを手がけていたことから、これまであまりお仕事をご一緒することがなかったんです。

しかし、2016年にこのエリアで始まった体験型マーケット『RENEW』をきっかけに、井上さんの工房にお邪魔する機会が増えました」

ものづくりの現場を一般の方に見て知っていただくイベント「RENEW
ものづくりの現場を一般の方に見て知っていただくイベント「RENEW」

工房に足を運ぶなかで、井上さんの技術の高さを目の当たりにした内田さん。そこで「RIN&CO.」の商品として、「日常のいろいろな場所に馴染むナチュラルなトレイ」を依頼することになりました。

シンプルなかたちを生み出す高い技術

「隅切りトレイ」には、井上さんの細やかな技術が詰まっています。

「普段、私たちがつくるものは漆塗りに隠れてしまう下地の部分。しかし、今回は白木をそのまま生かして木目の美しさを際立たせる商品。使う部材選びは慎重に行いました。

同じ木でも微妙なくすみや黒ずみがあるので、均一に美しい木目の部材を選ぶのは大変でしたね」と井上さん。

「何百枚も同じ品質の部材を切り出すのは難しいんですよ」と井上さん
「何百枚も同じ品質の部材を切り出すのは難しいんですよ」と井上さん

トレイの形状は井上さんの膨大なサンプルから絞り込み、手になじむ「隅切り」に。昔からあるかたちの一つですが、通常よりもサイズを小さくすることで、さまざまなシーンで使えるトレイを考えました。

しかし、サイズを小さくすることで難しい部分もあったそう。

「隅切りはいくつもの木のパーツを組み合わせてつくるのですが、厚みや角度の精度が商品のフォルムにも大きな影響を与えます。

通常よりサイズが小さくパーツも細かい分、角度をつける加工は神経を使いました」と振り返ります。

パーツの角度や長さがほんの少し変わるだけで隙間ができてしまいます
パーツの角度や長さがほんの少し変わるだけで隙間ができてしまいます

さまざまな木工用機械を駆使する井上さん
さまざまな木工用機械を駆使する井上さん

長年の経験と勘でわずかな角度も調整していきます
長年の経験と勘でわずかな角度も調整していきます

「小さいパーツでわずか2cmほど。それをコンマ単位で加工していくのは、井上さんのなせる技だなと驚きましたね。

同じ漆器の世界でもなかなか知る機会がありませんでしたが、角物木地には表には見えない高度な技術が駆使されているんだとあらためて驚きました」

内田さんと井上さん

今回のトレイの制作を通じて、内田さんには大きな気づきが、井上さんには新たな目標が生まれたそう。

「これまでさまざまなかたちのサンプルをつくってきましたが、原点に戻り、あらためて『定番のデザイン』の良さを見直したいと感じるようになりました。

時代が変わっても残り続けるものには、使いやすさやなじみやすさなど定番になる理由があります。

シンプルなデザインを活かしながら、材質や大きさといった組み合わせを変えるなど、今の時代にあわせたものづくりを続けていきたいですね」

「シンプルなかたちだからこそ、妥協せず美しさを追求していきたい」と井上さん
「シンプルなかたちだからこそ、妥協せず美しさを追求していきたい」と井上さん

こうして完成した「隅切りトレイ」。

縦18cm、横30cmと少しこぶりなサイズは、お皿やカップを乗せても、玄関で小物置きとしても使えるなど、暮らしのいろんなシーンにそっと溶け込みます。

トレイイメージ
トレイイメージ2

使えば使うほどにその使い勝手や美しさに気づくような、暮らしに欠かせない道具の一つになりそうです。

<掲載商品>
越前木工 隅切りトレイ
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/g/g4547639670120/

<取材協力>
有限会社井上徳木工
福井県鯖江市河和田町26-19
https://www.tokumokkou.jp

文:石原藍
写真:荻野勤、中川政七商店

「究極のおろし金」は力いらずで洗いやすい。ミシュラン料理人が頼る「紀州新家」とは

大根をすりおろすのって、けっこう大変です。すりおろすのに力が必要だし、おろし器に大根の繊維が目詰まりしてしまうこともあって洗うのが面倒くさい。

そんなこんなで敬遠してしまいがちな大根おろしですが、それでもやっぱり和え物や揚げ物、秋の焼きさんまや和風ハンバーグにだって欠かせません。そんな葛藤を抱えつつ、道具を見直してみれば何とかなるのかも‥‥と見つけたのが、「紀州新家」の純銅手打ちおろし金です。

紀州新家

すり下ろしに力は不要。使用後はサッと水洗いでOK

昔ながらの手打ちおろし金は、下に向かって広がっているちりとり型が主流ですが、紀州新家のおろし金は長方形。

幅がある持ち手部分はしっかりとホールディングでき、力を入れやすいようになっているので、余計な力をかけずにお年寄りや女性でも楽にすりおろすことができます。

紀州新家

嬉しいことに使用後のお手入れも簡単で、食材の繊維が刃に引っかかっていても、使用後は水で流せばするりと落ちていきます。

紀州新家のおろし金は、目立ての角度が違う

こうした使い勝手のよさの秘密は、鏨 (たがね) を使って刃を掘り起こす「目立て」の角度にありました。

これまでの手打ちおろし金は、製作時の打ちやすさから、斜め45度に目を入れるのが一般的。それに対して紀州新家のおろし金は、金板に対して真っ直ぐに目立てされています。それにより目詰まりしにくく、刃に残った繊維質も水の力だけで落ちていくのです。

紀州新家

もちろん、味にも違いが出てきます。

紀州新家

「目の一つ一つが刃となってしっかりと食材に当たるので、食材をつぶさずに『切って擦る』という感覚。食材のよさを活かしたまますりおろせるんです」と、紀州新家の新家崇元 (しんけ たかゆき) さん。

紀州新家の新家崇元さん
紀州新家の新家崇元さん

使う食材や目指す仕上がりによって、目の大きさや角度の研究を重ねてきたといいます。

純銅おろし金の美しさに魅せられて

そんな特殊な目立ての技術を習得するには長年の鍛錬が必要だろうと思いきや、なんと新家さんが本格的におろし金作りを始めたのは2018年だというから驚きです。

「伝統工芸をやってみたいと考えていたんですよね。いろいろとリサーチする中で純銅おろし金に出会い、その美しさに魅せられました。しかも、江戸時代から現在まで受け継がれてきた300年もの歴史ある調理器具で、日本固有の文化。そんな素晴らしいものが高齢化や後継者不足で存続の危機だと知り、独学で作り始めたんです」

紀州新家
2018年度グッドデザイン賞も受賞。おろし金作りを始めてわずか半年のことでした

それまでは建築やガーデニング業に携わってきた新家さん。伝統とは一線を画す、独自の目立ての方法やおろし金の形は、全く別の畑から来た新家さんだからこそ実現できたのかもしれません。

おろし金にも個性あり

現在、目立ての入れ方や大きさによって25種類ほどある紀州新家の純銅おろし金。食材の繊維が少し残ったようなザクザクとした食感に仕上がるものから、口の中でふわっと雪のように溶けるものまで、食材や料理に合わせて楽しむことができます。

紀州新家
紀州新家
中には、すりおろしたものを刷毛でササっと器に移せるおろし金も!

「京都『祇園さゝ木』や東京『くろぎ』など、ミシュラン店の料理人の方々にも使っていただいています。目標は、海外のミシュラン三つ星シェフに紀州新家のおろし金を届けること。

すりおろす文化は日本特有なんですが、フレンチのジュレやスープなどにも応用できると思うんですよね。フードプロセッサーや包丁で刻むのとは違う味わいを求めているシェフにぜひ使ってもらいたいです」

おろし金ひとつで食感や味わいが変わってくるもの。

たかがおろし金、されどおろし金なのです。

料理や食材に合わせておろし金を使い分ける。

プロの腕前ほどとはいかなくとも、そんな「おろしの道」を極めてみたくなる一品です。

 

<取材協力>

紀州新家

和歌山県橋本市向副1039

0736-33-2877

https://www.kisyushinke.com/

文:岩本恵美

写真:中里楓

*こちらは、2019年9月20日の記事を再編集して公開いたしました。

桐たんすの良さを今見直す。服をカビや虫食いから守る圧倒的な気密性の秘密

成人式や結婚式、子どもの入学・卒業式といった人生の節目に袖を通す、ドレスや着物などの晴れ着。

高温多湿な日本の気候で、こうした晴れ着の保管は非常に難しいもの。

気をつけていたつもりでもカビが生えてしまったり、虫に食われてしまったり。そんな失敗を防ぐため、晴れ着、特に着物の収納に古くから活躍してきたのが、“桐”のたんすです。

桐のたんす

桐たんすというと、昔の嫁入り道具の定番でおめでたいもの、といったイメージしか持ち合わせていない人も多いかもしれません。

実際は、日本の気候に適応するための高い機能性を兼ね備えた家具であり、その性能は、今の時代においても衣服収納の“最上級”とされるほど。

桐たんす

しかし近年、人々の価値観や住環境が変換する中で、その数は減少の一途を辿っています。

大切な衣服を守りたいニーズ自体は変わらないならば、これからの時代に桐たんすの持つ機能性を活かす道はないものか。

日本一の桐と称される「会津桐」の里、福島県の三島町で、桐たんすづくりや桐の持つ可能性について聞きました。

会津桐たんすの圧倒的な気密性

ほかの木材に比べて軽い、熱を通しにくい、水が浸透しにくい、伸縮が少ない、といった特徴を持つ桐の木。

中でも、福島県大沼郡三島町を中心とした一部のエリアで育った桐は「会津桐」と呼ばれ、材の緻密さや木目の美しさから日本有数の品質をもった桐として重用されてきました。

「冬が長い影響なのか、木目の中で冬目と呼ばれる部分が太くなります。その結果、はっきりと美しい木目が出てきます。材が緻密で、削ったときには非常に綺麗な光沢が出る。そして桐の中では少し硬い部類なので、しっかりとした加工ができることも特徴です」

三島町で「会津桐」のみを使って桐たんすづくりを続ける会津桐タンス株式会社の板橋充是さんは、そう話します。

会津桐タンス 管理部長 板橋充是さん
会津桐タンス 管理部長 板橋充是さん

こうした会津桐の特徴と、職人による精密加工が合わさった結果、会津の桐たんすは着物や貴重品の保存に高い効果を発揮してきました。

「桐は湿気を吸ったり吐いたりする性質を持っているので、年間を通じて内部の湿度があまり変動せず、カビが生えにくいんです。

また、着物につく虫が嫌がる成分を含んでいて防虫効果もあるとされています。個人的には、非常に気密性が高いのでそもそも虫が入り込めないんだと思っています」

桐タンス
修理を繰り返して長く使えることも特徴のひとつ。こちらは、上半分だけ新調したタンス

その気密性の高さは、新潟・福島で水害があった際にも証明されたのだとか。

「洪水で、弊社のお客様が使われていた桐たんすが流されてしまったんです。

ぷかぷかと水に浮いている状態で発見され、引き上げてみると、中の着物がまったく濡れておらず、大変感激されました。

桐たんすの性能は本当にすごいと感じましたね」

板橋さん

このほか、火災にあった際にその難燃性、気密性のおかげで中身が無事だったこともあったそう。衣服収納の“最上級”というのも頷けます。

使えるまでに35年

こうした性能の高さを実現するためには、熟練の加工技術はもちろん、桐の木を育てる段階からさまざまな手間暇をかけて準備をする必要があります。

「太さの目安として直径30〜40cm。30年以上は育てないと使える桐になりません」

と、板橋さんが言うように、まず使える材料になるまで30年以上。桐は、きちんと手をかけて育てないと10〜20年ほどで寿命を迎えてしまうため、その間も気が抜けません。

桐タンス
敷地内に保管している桐の木材。時間が立つほどシブが出て黒くなってくる

さらに、伐採してからは、変形を抑えるための乾燥と、後の変色を抑えるためのシブ抜きに3年〜5年。そこまで管理してようやく、材料としてのスタートラインに立てます。

桐
乾燥を終えて切り出した木材。たんすの表面に使えるのは、木目が綺麗に揃っている部分だけ。左側の間隔が広いところは使えない
桐
桐は樹の中心に穴があって幅広板がとり難い。また、なるべく無駄を出さないために、継ぎ合わせて使用する
桐タンス
柾目を揃えて一枚の板をつくる下ごしらえの作業中

非常に手間と時間を要する桐の生育ですが、桐たんすの最盛期だった昭和40年頃には1本数百万円で取引きされており、多くの人が競って育てていたのだそう。

また、かつては女の子が生まれると家の近くに桐を植え、嫁入りの時にはその桐でたんすをつくり、親の想いを詰め込んで持たせる風習も盛んでした。

「実際には、シブ抜きまで含めると35年ほど掛かるので、嫁入りに間に合わないこともありました。その時は、すでに工場にある材料と交換する形でたんすをつくっていましたね。

桐が高値で売れるので、そのお金でたんすをつくって、他の道具も揃えて結婚式の費用まで賄えた家もあったようです」

100組に1組しか買わない。桐たんすの現実

地域の文化に深く関わっていた桐の木ですが、外国から入ってくるの安い輸入材の影響などもあり、桐の植栽はどんどん減少していきます。

「昔は桐畑で何十本もまとまって植栽されているところがいくつもありましたが、今はあちこちにポツリポツリと生えているものをかき集めないといけない状況です」

桐タンス
これだけの桐材を保管しているところはほとんどないんだとか

さらに、桐たんす自体も時代の変化に抗えず、生産数はどんどんと減少しています。

「今でも、自分の娘の嫁入りにたんすを贈りたい親御さんはいらっしゃいます。

そうした親子が年間100組ほどは弊社の展示場に足を運んでくれるのですが、結局、娘さんの方が『いらない』と言って断ってしまう。

お買い上げいただけるのは、100組中1組といったところでしょうか」

マンション住まいで大きなたんすが置きづらいことや、そもそも着物を着る習慣がなくなっていることもあって、立派な桐たんすをもらっても必要ないと考える人が大半のよう。

「40年前は、お嫁に行くときに1棹(さお)、2棹は当たり前という時代だったんですが。需要はかなり減っています」

桐タンス
内部は色々なパターンがあり、実はサイズも含めて柔軟にオーダーできる
桐タンス

桐の米びつにバターケース。桐の特徴をいかした新商品

生産数減少にともなって、桐たんす職人の数も少なくなってきているといいます。

職人
会津桐タンス株式会社で30年以上のキャリアを持つ二瓶さん
かんな
精密な加工を要するタンスづくりには、かんなを極めることが必須となる
桐タンス
組み立てから修理まで、基本的にすべての工程をひとりの職人が担当する

仕事がなくなると、新しい人を雇えず、後継者が完全に途絶えてしまう。

会津桐タンス株式会社では近年、技術継承の意味も込めて、たんす以外の商品開発にも積極的に取り組んでいます。

「もう少し身近なもの。茶筒だったり、米びつだったりをつくっています。

重要なのは、桐の良さ・特徴をいかせるのかどうか。

軽さ、断熱性、気密性のあるものづくり。かつ、時代に合った商品をつくりたいと考えています」

米びつ
会津桐でつくった米びつ

米びつにしても、茶筒にしても、気密性や湿度の調整は大切で、確かに、桐でつくれば理にかなっています。茶筒の開閉の機構は、たんすの引き出しの加工技術を応用しているのだそう。

茶筒
気密性を利用した、スライド式の茶筒

最近取り組んでいるのはバターケース。

「真夏は無理ですが、それ以外の季節は机の上に出しっぱなしにしておいてもバターが溶けず、いつでも塗りやすい状態で使えて快適です。

桐の断熱性のなせる技かなと思います」

シンプルな商品ながら、桐材のブロックをくり抜いてつくっており、そのおかげで内側に角がなく洗いやすいなど、細かい工夫もされています。

これからも、桐でつくる必然性があるもの、自分たちの技術をいかせるものに挑戦していくつもりとのことでした。

椅子
桐の椅子は、その軽さに驚きます。肌触りも優しく、ご高齢の方に好評なのだそう

1棹100万円前後にもなる桐たんすの補填にとしては厳しいですが、桐の良さに触れる入り口として人々の手に渡れば、桐たんすの魅力が見直されるきっかけになるかもしれません。

30年後、今年植えた桐でたんすをつくりたい

桐たんすそのものに関しても、嫁入り需要は減少したものの、50代以上の方からの注文や、修理の依頼はまだまだ健在とのこと。

桐タンス
引き出しのレール部分は、貼り付けではなく、分厚い状態から彫り出してつくることで、経年しても隙間があかない
桐タンス
こうした小物入れサイズのものでも、その気密性は健在

さらに、サイズの小さなタイプや、洋間にも合うチェストタイプなどをラインアップし、間口を広げつつあります。

桐タンス
チェストタイプのたんす

大切なものを大事に保管したい。そのニーズが変わらない以上、衣服収納の“最上級”である桐たんすの本質を変えずに、今の時代にあった収納を実現できる可能性も十分にあると感じます。

この春には、「桐たんすの格好良さに惹かれた」新入社員が東京からやってきました。

東京工芸高校の卒業生である彼女は「古いたんすにも魅力がある。現代風に少しリメイクしてみたり、取り入れやすいサイズにしてみたり、挑戦してみたいです」と話します。

新入社員
東京からやってきた新入社員

若い人たちにも響く魅力は必ずある。それが伝えられれば、需要も回復し、職人を目指す人も増えるかもしれない。

桐たんすをかっこいいと感じる彼女は、この会社にとって、そして地域の人にとって、きっと励みになる存在なのではないかと感じます。

桐畑の再生にも町ぐるみで取り組み始めた三島町。板橋さんも、東京からやってきた彼女も、口を揃えて話したのは「今植えた桐で、30年後にたんすをつくりたい」ということ。

耐用年数100年ともいわれる桐たんすづくり。時代に合わせたアップデートを模索しながら、次の30年にどんな形で続いていくのか、この先がとても楽しみになりました。

<取材協力>
会津桐タンス株式会社
http://www.aizukiri.co.jp/

文:白石雄太
写真:直江泰治

*こちらは、2019年10月8日の記事を再編集して公開いたしました。

「和紙屋のどら息子がおかしなことやっとる、くらいが丁度いい」 ── 伝統を受け継ぐ、若き和紙職人のサブカルチャーな目論み

はじめてそれを見たのはもう2年以上前になるだろうか。

和紙である。でも、ただの和紙ではなく、そこには何かが混ざっていた。よく見ると印刷された文字や写真のようなものが‥‥。

佐賀 名尾和紙
佐賀 名尾和紙

これは、いったい何なのか。もちろん和紙である。和紙ではあるけれど、その1枚には何か意味があるような、新しい可能性を示唆しているような‥‥そして単純に思った。和紙ってこういうこともできるんだ、面白いなあ‥‥それが最初の印象だった。

和紙とは何なのか?

「あれは和紙の原料に、雑誌や紙箱を細かくして混ぜ込んで、すいたものなんです」

和紙職人として活躍する谷口弦さん
和紙職人として活躍する谷口弦さん

そう話すのはつくり手である谷口弦さんだ。佐賀市大和町の名尾地区にある「名尾手すき和紙」の7代目。300年以上の歴史を誇る名尾和紙の伝統を、現代に受け継ぐ若き和紙職人である。

同地区にはかつて100軒ほどの工房が並んでいたが、今では1軒のみに。

※詳しくは「名尾の山里でたった1軒の和紙工房が“残しておきた紙づくり”」をご覧下さい

佐賀市大和町の名尾地区にある「名尾手すき和紙」工房

そんな工房の後を継いだのがおよそ7年前。大学卒業後、アパレルショップの店員として働いたこともある。が、結局のところ「自分にしかできないことをやりたい」と家業の紙すきを選んだ。もちろんゼロからのスタートだ。

紙の原料となる“梶(かじ)の木”を栽培。一般的に使われるのは楮(コウゾ)や三椏(みつまた)などだが、梶の木は楮の原種。これを使うことが名尾和紙の特長の一つだ。

梶の木
これが梶の木。1年かけて成長させ、1月頃に刈り取る

刈り取った梶の木は蒸して皮を剝き、乾燥させる。再び煮て、水にさらし、打解して柔らかな繊維にする、といった途方もない手間暇をかけて、ようやく紙すきを行うことができる。そして、そこからは来る日も来る日も紙をすく、

紙漉きの工程風景

すく、

紙漉きの工程風景

すく。

漉いたあとの和紙

そうした日々を繰り返し続けた谷口さんの頭のなかに、あるとき、一つの疑問が生まれた。

── 和紙っていったい何なのか?

「和紙の定義みたいなやつですね。これをしなければならないといった決まりごとがあるのかなって。偉い和紙職人の先生に聞いてみたことがあるんです。『和紙の定義って何なんですか?』って。そうしたら、何て言ったと思います? 」

和紙職人として活躍する谷口弦さん

「『俺にも分からん』だって(笑)。そうか、こんなにすごい人でも分からない曖昧なことなんだ、と思って自分なりに調べてみたんです」

分かったことといえば“和紙”という名前だけど、流通しているものは国内でつくられているものばかりではないこと。手すきもあれば、機械すきもあること。

和紙の歴史は1400年以上あるといわれるけど、そもそも“和紙”という言葉が登場したのはたった150年前の明治期であること。欧米からもたらされた“洋紙”と差別化するために、“和紙”という名前をつけたのだということ‥‥。

そうしたことの一つひとつが面白かった。紙にまつわる書物や図録を読み漁り、学べば学ぶほどに奥深さを感じた。そして“紙”というものにのめり込んでいった。

紙の再生=魂を宿す紙づくり

そのなかで谷口さんのアンテナに引っかかったのが“還魂紙(かんこんし)”だった。

「還魂紙は使い古しの紙を集めてつくる再生紙のことですけど、中国から伝えられたとき、日本人はそれを文字通り“魂が還る紙”ととらえた。日本人の宗教観にマッチしたというか、当時の誰かがものすごく勘違いをしたというか(笑)。

それでも日本における還魂紙は独自の文化として、完全なるカウンターカルチャーとして発展した歴史があるんです」

たとえば、鎌倉時代には紙をすくときに遺灰をすきこんだ。その紙に写経をして故人を弔う風習があったとか。

また古紙回収・再生が当たり前のように行われていた江戸時代。大切な人からもらった手紙や帳面をすき込んでは、ここぞという大事な場面で使っていたという。

「還魂紙の別名を“宿紙(しゅくし)”ともいうんですが、確かに何かを混ぜることで紙の中にその何かが宿るな、と。そうした考え方が面白くて、ものすごく好きで。

手ですく→再生する→魂を還す→俺、できる!みたいに思ったんですよね(笑)」

何かを混ぜて再生させる ──。

白くてきれいな和紙もいいけれど、思いや願い、希望、そのものに込められた物語といったものを一緒にすいて紙にする。そこに現代の和紙としての価値を見出した。

紛れ込んだ「闘」の一文字

「和紙職人としてはまだまだ30%くらい」と谷口さんは言うけれど、それでも紙すきの技術や背景を、体で覚え、頭で考え、心で感じながら作業をしてきた。

これから先、自分にできることは。自分にしかできないことは何だろうかと模索していた、そんなとき。

紙漉きの工程風景

「紙をすいていたらゴミが入ったことがあって。ピンセットで取り除くんですけど、そのときのゴミというのが新聞紙の1文字で『闘』だったんです。うわ!これって、今の俺に対する言葉なんじゃないかって(笑)。

紙に浮かんだ文字からそうしたメッセージを感じたんです。でね、もしかして還魂紙でいうところの“魂”とは、現代なら情報みたいなものにも当てはまるのかな、と思ったんです」

そうこうして誕生したのが、雑誌「ポパイ」やアディダスの空箱をすき込んだ和紙である。

「できたとき、これってなんじゃろと思って。面白いものなのか、それとも価値のないただのゴミなのか。実のところ、よく分からなかったんです。

それでもいろんな人に見せたら突拍子もない、っていう驚きではなくて、なるほどっていうインパクトを感じてもらえた。

それに『こういう素材を混ぜることもできる?』『これを崩すとどうなりますか?』っていう質問をいろいろもらえて、ああこれは面白いな、無限の可能性があるなと思ったんです」

ほかにもいろいろなものを混ぜてみた。

名尾和紙 大日本市展示会にて
ロンTや葉っぱをすき込んだ和紙も
様々なものや色が練りこまれた和紙
多彩な表情を見せる和紙‥‥面白いなあ

カラフルなチラシだったり、モノクロの漫画だったり。庭の泥や砂、珈琲の出がらし、チョコレートの原料であるカカオ‥‥面白そうだと思うものを片っ端から試してみた。

かつて和紙業界において別の素材を混ぜることはある意味、御法度とされてきた。けれど、先々代にあたる祖父はいろんな素材を混ぜて新しい和紙をつくっていたし、先代の父はといえばタブーとされる色づけを行った。

最後に残る1軒の工房として名尾和紙の伝統を守りながらも、最後の1軒だからこそ名尾和紙の伝統をアップデートしていく。

「うちの家系は元来、守るだけじゃなくて、新しいことに前向きなマインドがあるんでしょうね。僕自身も、和紙屋のどら息子がおかしいことやっとるなー、くらいに思ってもらえれば丁度いいな、と」

祈りを無駄にしない

そして谷口さんは還魂紙をメインとした活動を行うブランド「KAMINARI PAPER WORKS (カミナリペーパーワークス) 」を立ち上げた。

ロゴマークは雷を模したデザインだが曰く、

KAMINARI PAPER WORKSのロゴ

「これは注連縄(しめなわ)についている紙垂(しで/注連縄などについているギザギザの紙のこと)をイメージしたもの。注連縄は雲を、紙垂は雷を表し、雷が落ちた場所は五穀豊饒が叶うとされていて、言うなれば和紙業界全体に雷を落とせればいいなと。あとは単純に『なんでも紙になります』ってことなんですけど」

紙になります‥‥かみになり‥‥かみなり‥‥。コホン。

今ではその活動が、いろいろなカタチになり始めている。たとえば、これ。

大小さまざまなサイズの、多彩な色合いの紙が混ぜ込まれている和紙

大小さまざまなサイズの、多彩な色合いの紙が混ぜ込まれているが、その正体は、

和紙に練りこまれていたのは折り鶴

千羽鶴だ。

長崎の原爆資料館に届くたくさんの千羽鶴を、そこに込められた祈りごと残せないかとこの葉書が生まれた。

「意味合い的にも、いいものができたと思います」

破棄してしまうのではなく、和紙にすき込むことで新しい形に生まれ変わり、人の思いが残っていくのだ。

カミナリペーパーワークスの取り組みは、東京・渋谷に新しくオープンした「渋谷PARCO」でもお目にかかることができる。美術専門誌の「美術手帖」が展開する直営店「OIL by 美術手帖」のカウンターに、歴代の『美術手帖』を細かく混ぜてすいた和紙が使われているのだ。

渋谷PARCOの「OIL by 美術手帖」のカウンター

新しい和紙のカタチが、これまでの和紙の概念をふわっと軽やかに超えていく。谷口さんは言う。

「今までやってきたことを守りつつ、つなぎつつ、可能性をもっと先に延ばしていけたら」

絶賛、発展途上中。その道のりは果てしなく続くだろう。どこまでも、どこへでも。

<取材協力>
名尾手すき和紙
佐賀県佐賀市大和町大字名尾4756
0952-63-0334
https://naowashi.com/

文:葛山あかね
写真:藤本幸一郎

漆器屋と紙メーカーが作る「ポチ袋」?異色コラボの理由は“北陸”にあり

冬は雪深く、一年を通して湿潤な地域が広がる北陸では、独自の風土がさまざまな工芸技術を育んできました。

そんな北陸の地で2020年1月誕生したのが、ものづくりの総合ブランド「RIN&CO.」(りんあんどこー)。

漆器や和紙、木工、焼き物、繊維など、さまざまな技術を生かしたプロダクトが動き出しています。

RIN&CO.
RIN&CO.
RIN&CO.
RIN&CO.

今回は「RIN&CO.」を立ち上げた漆琳堂の内田徹さんとともに、プロダクトの製作現場を訪れ、北陸のものづくりの魅力に迫っていきます。


*ブランドデビューの経緯を伺った記事はこちら:「漆器の老舗がはじめた北陸のものづくりブランド「RIN&CO.」が生まれるまで」

紙漉きから加工まですべて行う会社

今回ご紹介するのは、越前和紙でつくられたポチ袋。

RIN&CO. ポチ袋
色は4色。柄は5種類あります

ポチ袋はお子さんにはもちろん、大人同士でもちょっとしたお礼やお心づけに使える便利なアイテムの一つです。

和紙ならではの少しざらざらした手触りにやわらかい色合い、そしてワンポイントのイラストが目を引きます。

おめでたい意味が駄洒落に込められています
フグのイラストは「福」、昆布は「よろこぶ」、伊予柑は「いい予感」など、おめでたい意味が駄洒落に込められています

 RIN&CO.

この商品を手がけているのは、福井県越前市のTAKIPAPER(瀧株式会社)。

TAKIPAPER

1500年以上続く越前和紙の産地で、紙漉きから印刷、加工まで一貫生産を行う会社です。

越前和紙をメインに封筒や名刺、貼り箱、ちぎり和紙のラベルなど、多種多様な紙製品を受注生産。

よく目にする表彰状もここでつくられています
よく目にする表彰状もここでつくられています

和紙の封筒や葉書は人気商品の一つ。オリジナルのデザインにも対応しています
和紙の封筒や葉書は人気商品の一つ。オリジナルのデザインにも対応しています

TAKIPAPERの創業は、美術や工芸に使われる「揉み紙」の生産からスタート。

揉み紙には手作業で揉んだ和紙に裏紙を張り合わせる工程があり、機械を導入しながら試行錯誤していきました。

「意外かもしれませんが、当社で紙漉きをはじめたのは創業からしばらく経ってのことなんです。糊を張り合わせる機械から次は印刷の機械も入れようか、紙も自社で漉こうか、と設備を整えているなかで、すべての工程を自社で行うようになりました」

と語るのは、TAKIPAPER3代目の滝道生(たき・みちお)さん。

TAKIPAPER3代目の滝さん
TAKIPAPER3代目の滝さん

TAKIPAPERのように、製紙から印刷、加工まで手がけている会社は和紙の産地のなかでも珍しく、全国各地から寄せられる幅広いニーズに応えています。

圧倒的な和紙のノウハウ

越前和紙のポチ袋はどのように誕生したのでしょうか。「RIN& CO.」を立ち上げた内田さんに聞いてみました。

「私は越前市の隣、鯖江市で漆器をつくっていますが、TAKIPAPERさんの技術の高さは、ものづくりのジャンルは違えど噂に聞いていました。まずは越前和紙でどんなものをつくることができるのか。そこから滝さんに相談したんです」

「RIN&CO.」を立ち上げた内田さん(左)
「RIN&CO.」を立ち上げた内田さん(左)

内田さんが訪れた時のことを滝さんも振り返ります。

「北陸のさまざまな工芸がコラボレーションしていく、というブランドのコンセプトを聞いてワクワクしましたね。さまざまな和紙の製品を手がけていますが、普段、うちの名前が表に出ることはほとんどありません。そういう意味でも、産地が活気づく取り組みだなと感じています」

「漆器を手がける内田さんが立ち上げたのも面白いなと思いました」と滝さん
「漆器を手がける内田さんが立ち上げたのも面白いなと思いました」と滝さん

とはいえ、越前当初はほとんど和紙について知らなかったという内田さん。滝さんとの商品づくりのなかで技術やその背景を教わり、次第に越前和紙の奥深さを感じていったそう。

「このあたりは山々に囲まれている雪深い土地。だからこそ、豊富な雪解け水があり、越前和紙の産業が栄えていったことを知りました。北陸の風土がものづくりを支えてきた背景は、和紙も漆器もも同じだなと感じましたね」

内田さんと滝さん

TAKIPAPERの膨大なサンプルを見せてもらいながら、打ち合わせを重ねること数回。次第に内田さんのなかで少しずつあるコンセプトが見えてきました。

「越前和紙は1500年もの長い歴史のなかでも、『奉書紙(ほうしょがみ)』という身分の高い人に送られる公文書として使われてきました。大切な人に伝える・贈るコミュニケーションツールとして、和紙の価値を今の時代にも伝えたい。そんな思いもあり、ポチ袋をつくってみることになりました」

ポチ袋といっても、和紙の種類や加工、印刷方法など選択肢は無限大。

滝さんのこれまでのノウハウから、越前和紙の良さを引き出せる紙質や印刷方法などを吟味していきました。

ポチ袋の紙は、中身が透けないよう少し厚みのある紙を選択。紙を漉いた時にできる漉目(すのめ)をあえて出し、和紙らしさを表現
ポチ袋の紙は、中身が透けないよう少し厚みのある紙を選択。紙を漉いた時にできる漉目(すのめ)をあえて出し、和紙らしさを表現

「漉目のある凹凸の和紙に美しく印刷するのは簡単ではありません。協力会社と連携を取りながら、その都度最適な印刷方法を選択しています」と、滝さん。

色ムラが少なくなるよう、印刷しやすい配色同士で版を作る工夫も
色ムラが少なくなるよう、印刷しやすい配色同士で版を作る工夫も

印刷した和紙をポチ袋の型に抜く打抜機
印刷した和紙をポチ袋の型に抜く打抜機

ポチ袋の形に沿って切り目をつけているところ
ポチ袋の形に沿って切り目をつけているところ

TAKIPAPERでは機械の加工だけでなく、最後の仕上げは人の手によって行われます。

「どんなに機械やコンピュータが発達しても、人の手に勝る価値はない」と語る滝さん。

和紙の切り取りや貼り合わせなど、多くの人によるきめ細やかな作業が商品の品質につながっているのです。

不具合がないか目視しながら、丁寧に和紙を外していきます
不具合がないか目視しながら、丁寧に和紙を外していきます

越前和紙の良さとは

滝さんが考える越前和紙の魅力とは何なのでしょうか。

「和紙の良さは、“佇まい”だと思っています。同じポチ袋をつくるのも、和紙と上質紙やコート紙ではまったく仕上がりは異なります。商品を通じて和紙ならではの質感や風合いを感じてもらいたい。そのためにも、私たちは品質の確かなものをつくり続けるだけです」

ポチ袋の和紙を持つ滝さん

長年培われてきた技術と人の手により誕生した越前和紙のポチ袋。

親しい人の喜ぶ姿を思い浮かべながら、あなたならポチ袋にどんな思いを込めますか。

 RIN&CO.

文:石原藍
写真:荻野勤、中川政七商店

<掲載商品>
RIN&CO.「越前和紙 ポチ袋」
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/g/g4547639669827/

<取材協力>
TAKIPAPER(瀧株式会社)
福井県越前市岩本町2-26
http://www.takipaper.com