竹箸は、軽く・強く・つまみやすい。竹の機能性に惚れ込んだヤマチクの挑戦

みなさん、自宅ではどんなお箸を使っていますか?

食卓の道具として私たちの暮らしに欠かせない「箸」。

毎日使うもので、自分の口に触れるものでもあり、本来は使いやすさや安全性がなによりシビアに要求される道具ですが、「どんなお箸?」と聞かれても、少し返答に詰まってしまうかもしれません。

わたし自身も、あまりに身近な存在であるために「お箸とは大体こんなもの」というぼんやりした常識が出来上がってしまい、あらためて深く考えることがありませんでした。

どんな素材で、誰がどんな風につくっているのか。

今回はそんなお箸の中でも、“竹”のお箸にこだわるメーカーさんに伺って、話を聞きました。

かつては定番だった竹の箸

熊本県玉名郡南関町。福岡との県境近くに工場をかまえる株式会社ヤマチクは、1963年の創業以来、「竹」をいかした製品づくりを続けてきたメーカー。

「竹の、箸だけ。」というメッセージを掲げ、純国産の竹材を用いた箸の専門メーカーとして日々ものづくりをおこなっています。

ヤマチク

「もう一度、竹のお箸を定番にしたい」

そう話すのは、ヤマチクの三代目で専務取締役の山﨑 彰悟さん。

ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん
ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん

いま、お箸と聞いて多くの人が連想するのは、おそらく“木”のお箸。

ただ、日本の食文化に箸が登場したとされる7〜8世紀頃には、主に竹が材料として使われていたとされています。「箸」という漢字に竹かんむりがついているのも、その名残なんだとか。

なぜ竹のお箸は少なくなってしまったのでしょうか。

「竹はあちこちに生えていて身近な素材ではあるのですが、加工が難しく、ある時から『輸入材の方が楽だね』という流れになってしまいました」

竹は真ん中が空洞で、厚みや曲がり方も一本一本大きく異なります。繊維の密集具合で強度も異なり、そのあたりを見極めて同じ形状・品質のお箸をつくるには高い技術とノウハウが必要になるとのこと。

ヤマチク
使える部分の厚みや強度がそれぞれ異なり、加工が難しい

結果、竹の加工をしていた会社も木材加工にシフトしたり、あらかじめ加工された輸入材を仕入れてそこに塗装などの仕上げをするようになったりと、竹のお箸、特に国産の竹を用いたお箸は少なくなってしまったのだそうです。

軽くて強い。竹は道具として優れている

「竹が素材として劣っているわけではなくて、加工さえできれば道具としてはとても優れたものがつくれます。僕たちは、竹のお箸がいいものだからこそ残したいと考えているんです」

と山﨑さんが言うように、しなりがあって強度が高く、木材よりも細く加工できて軽いという竹の特徴はお箸にうってつけ。ヤマチクでは竹のお箸が必ず生活の役に立つ、という思いで生産を続け、その中で加工技術も磨いてきました。

ヤマチク

竹箸しかつくれない。だからこそ生き残れる

シンプルなつくりに見えて、実際は非常に多くの工程を経てつくられる竹のお箸。

実際に工場を見学させてもらうと、見たことのない機械を前に黙々と作業する従業員の方々の姿がありました。

ヤマチク

山で伐採された竹は、竹材屋さんによって四角い棒状の部材に加工されてヤマチクの工場に入ってきます。

そこから、異なる粗さのやすりにかけてだんだんと形を整え、滑らかにし、塗装・検品・包装を経て製品に仕上げます。

竹のお箸 ヤマチク
竹のお箸 ヤマチク

「実は機械で削る方が難しいんです。お箸が口に入った時の口当たりの良さまで考えて仕上げていきますが、手で磨いた方が細かい調整がしやすい。

ただ、生産量との兼ね合いで機械は入れざるを得ないので、そこで技量による差が極力出ないように、難しい工程には治具をつけるなど工夫しています」

竹のお箸 ヤマチク
治具によって一定の品質を担保する

お箸を加工する機械は、そのどれもがオーダーメイドのオリジナル。職人の手の感覚を再現するために、山﨑さんの祖父でヤマチクの初代が考案したのが、熟練の職人が削る角度を再現した治具を取り付ける方法。

もちろん、竹の繊維の状態を見極めながら丁寧に素早く削るにはそれでも高い技術が必要ですが、ある程度習熟すれば仕上がりに差がでないように配慮されています。

「僕らは竹のお箸づくりしかできないんですが、その代わりそこに特化したからこそ生き残れたんじゃないかと思っています」

ヤマチクでは、決まった商品だけでなく、積極的に新規OEMの受注も受け、新しい形状・デザインに挑戦しています。そのたびに、最適な工程を考え、新しい機械の導入も検討し、進めていく。

こうして積み上がってきたノウハウと、そのエッセンスがつまったオリジナルの機械の数々。ここに竹箸専業としてのヤマチクの強みがあります。

初めての自社ブランド立ち上げ。50年後を見越して

プロジェクトメンバーを社員から有志でつのり、一年がかりで自社ブランドの立ち上げにも挑戦しました。

ヤマチク

「『okaeri(おかえり)』というブランドをつくりました。

これまでのように問屋さんに販売をお願いする部分も残しつつ、自分たちでも売り方を考える必要があるなと。

どうやって、どんな販路で売っていけばいいのか。自分たちで学び、メーカーとしてのあり方を少し変えられればと思っています」

竹のお箸と分かるように、持ち手側の先端を赤くしたシンプルなデザイン

目的のひとつは、社員のやりがいの部分。

有名ブランドのOEMを手がけたとしても、これまではヤマチクの名前が表に出るわけではありませんでした。

そんな中、自分たちで考え、自分たちで販売する自社ブランドの存在は、新たなノウハウの吸収はもちろん、社員のモチベーションアップにもつながることを期待しています。

竹のお箸 ヤマチク
ブランド立ち上げプロジェクトに志願した女性社員。仕事の幅の広がりを感じたのだそう

そして、もうひとつは50年後の竹箸づくりのため。

「今、山で竹を伐採してくれる人たちや、部材にして僕たちに届けてくれる加工屋さん。そういった人たちが非常に苦しんでいます。

その中で完成品を仕上げて販売する、僕たちの責任は重いと考えていて、どうにか、みんなが孫の代まで仕事を続けられるようにしていかないと駄目だと考えているところです」

輸入材に頼るメーカーが増えることで、国内の竹を伐採・加工していた人たちの仕事が減り、一人、また一人と辞めていっている状況にあるといいます。

ヤマチク
竹の伐採はかなりの重労働

竹は成長が早くエコな素材とも言われますが、計画的に伐採していかないと、あっという間に伸び放題になり山が荒れてしまう側面も。そうなると山に入ること自体が難しくなり、さらに荒れていくという悪循環に陥るのだとか。

「ありがたいことに生産がなかなか追いついていない状況もありつつ、少しずつですが材料屋さんに利益を回せるように値段も交渉してやっていければ。

荒れている竹林も管理できるようにして、サステナブルな竹の特徴をいかして正しい循環を取り戻したいですね」

我が家ではさっそく竹のお箸が活躍中。その軽さと、きちんとつまめる使いやすさに驚いているところです。

「日常の何気なく使っているものにも決して手を抜かない。それがものづくりの良さだと思うんです。

竹のお箸をつくるところが減ってきた今、Made In Japanの竹箸の品質はヤマチクが背負っている。そんな責任感を持ってこれからも取り組んでいきます」

竹のお箸 ヤマチク

新ブランドも立ち上がり、竹のお箸を食卓の定番にするというヤマチクの挑戦は続きます。

<取材協力>
株式会社ヤマチク
https://www.hashi.co.jp/
新ブランド「okaeri」に込めた思い

文:白石雄太
写真:中村ナリコ、株式会社ヤマチク提供

*こちらは、2019年9月5日の記事を再編集して公開いたしました。

こけしが斬新に進化した。倒れると光る「明かりこけし」が役に立つ

東北で生まれた郷土玩具、こけし。

もともとは、子どもが遊ぶ人形として作られたものでした。現在では、出産や入学卒業、結婚、新築など人生の節目に贈る飾れる記念品としての役割を持って東北地方を中心に親しまれています。

明かりこけし
部屋に飾られたこけしには、記念品としての役割もあったのですね

おもちゃから置物へとその役割が変化してきたこけしですが、さらなる進化を遂げたものも登場しています。それが、こちら。

明かりこけし
こけしの底面から光??

傾けると底面が点灯する、その名も「明かりこけし」です。

なぜこけしがライトに?

この斬新なこけしを開発した、宮城県仙台市の「株式会社こけしのしまぬき」社長の島貫昭彦さんにお話を伺いました。

こけしのしまぬき本店
明治25年創業の「しまぬき」。煙草やお菓子を扱うお店として始まり、現在はこけしをはじめ仙台・東北の工芸品を幅広く扱い、商品づくりも行なっています

島貫さんは、お店での工芸品販売だけでなく職人さんや企業と協力し、工芸品を今の暮らしに合うものにする取り組みをされてきた方。この「明かりこけし」もそうした取り組みの中で生まれた商品なのだといいます。

こけしと地震の関係

「三陸沖は昔から地震が多い地域なんです。東北の家庭にはこけしが飾られていることが多く、『地震があると、こけしが倒れて嫌だ』と言われ続けてきました。

大きな頭と長細い体でできたこけしは、たしかに倒れやすそうなイメージです。実際は小さな揺れでは倒れないのですが、この地域の『地震あるある』として定着してしまっていました。このネガティブなイメージを払拭したいと考えていたんです」

胴の細い遠刈田系
「遠刈田系」と呼ばれる胴の細いタイプのこけし。一見倒れやすそうですが、この形であっても実際には震度4程の揺れまで倒れないのだそう

きっかけとなったのは、2008年に発生した宮城岩手内陸地震。

「甚大な被害の中、こけしもたくさん倒れました。どうせ倒れてしまうなら、何か役に立てる事はないだろうか。そんな思いが芽生えました」

弱点を活用して

倒れてしまうデメリットを活用しよう。そのアイデアがこの「明かりこけし」を生み出します。

内部に傾きを感知するセンサーが取り付けられていて、こけしを横にするとLEDライトがともる仕組みです。スイッチはなく、横にするだけで反応するので、倒れるとすぐに点灯します。

内部の構造
内臓された、傾きセンサー付きのライト部分
傾きセンサー内蔵で、こけしが倒れると自動でLEDが点灯
こけしが倒れると自動でLEDが点灯します

「実験したところ、こけしは震度4程度に揺れが強まると転倒します。大きめの揺れが来た時に、明かりを照らしてくれると安心できますよね。内臓したLEDライトは最長約50時間ほど連続点灯しますので、停電が起きた時にも活用いただけたらと思います」

傾けると点灯する、明かりこけし
ライトの機械部分以外は、通常のこけし同様に全て職人さんの手によって作り出されます

普段は部屋に飾っておいて、いざという時にはすぐ明かりを灯せるお守りのようなこけし。コロンと転んだ姿はどこかユーモラスで、その明かりは緊急時に張り詰めた心を和らげてくれるに違いありません。

伝統的な技術と現代の技術の掛け合わせで、私たちの暮らしを支えてくれる。そんな進化した工芸品がここにありました。

<取材協力>
株式会社こけしのしまぬき
宮城県仙台市青葉区一番町三丁目1-17
022-223-2370
https://www.shimanuki.co.jp/

文・写真:小俣荘子

原点はオードリー・ヘップバーン!“つっかけ”を進化させた「HEP」のサンダル

ピンポーン。

「お届け物です」

「はーい」(あ、靴履くの面倒だな。一瞬だけ、つま先立ちなら、このままでもいっか。エイ!)

なんてこと、ないですか?

玄関につっかけでも常備しておけばいいのですが、靴を出しっぱなしにしておきたくなかったり、玄関の雰囲気に合うつっかけと出会えてなかったり‥‥。

こだわりというのは、他人からするとどうでもいいような、細かいところに常にあるものかもしれません。

ですが、そんな細かいこだわりを満たしてくれるサンダルを見つけました。

奈良の川東履物商店が手がけるオリジナルブランド「HEP (ヘップ) 」のサンダルです。

HEP

日本ならではの履物文化、ヘップサンダルとは?

川東履物商店がある奈良は、雪駄や草履から便所サンダルまで、古くから地場産業として履物の生産がさかんな場所。川東履物商店も、1952年の創業以来、履物づくりを生業としてきました。

「こういうサンダル、昔、おじいちゃんやおばあちゃんの家で見ませんでしたか?」

どこかで見たことのあるようなサンダルを手に、そう話すのは、川東履物商店の川東宗時さん。

HEP
HEPを手がける川東履物商店の川東宗時さん
川東履物商店の川東宗時さん

川東履物商店が商店街の靴屋さんや町のホームセンターなどに卸してきたサンダルは、いわゆる「つっかけ」。またの名を「ヘップ」や「ヘップサンダル」と呼ばれるものです。

意外なことに、「ヘップサンダル」の名は、女優のオードリー・ヘップバーンの名前からとったものだそう。

映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンがつま先部分の開いたバックレスのサンダル、今でいうミュールのようなサンダルを履いていたことから、日本でその形のサンダルを「ヘップサンダル」と呼ぶようになったといいます。

「ヘップサンダルは、実は日本だからこそ定着した生活道具なんですよ」と川東さん。

日本家屋の構造上、母屋と離れに分かれていたり、お風呂やトイレなどの水回りが外にあったりなど、内と外の往来が多かったことから、さっと履いて行き来ができる履物として重宝されてきたといいます。

特に映画が公開された1950年代から数十年は、女性が主に家事を担っていた時代。

食事の支度をするとなれば、板の間と土間の台所を行ったり来たり。

洗濯を干すにも縁側と庭を行ったり来たり。

ちょっとご近所までという時にも、気楽に履けるサンダルとして日本の家庭で長年親しまれてきました。

ヘップサンダル
さまざまなデザインのヘップサンダルが増えていき、日本の家庭に広まっていきました

サンダルの代表ブランド入りを目指して

そんな昔から日本に根付いてきた生活文化としてのヘップサンダルを現代の生活に合うようにアップデートしたのが「HEP」です。

「スリッパや足袋、ビーチサンダルなど、履物って日本発のものが実は多いんです。でも、クロックスやビルケンシュトックみたいに、サンダルといって皆が思い浮かべる日本のブランドってないですよね。だからこそ、日本の文化的文脈をくんだヘップサンダルで、サンダルブランドの代表のひとつになりたいんです」

ブランドデビューを飾る1stシリーズ「BLACK PLAIN」は、手入れが楽な人工皮革製でヘップサンダルの気軽さはそのままに、置きっぱなしにしていても玄関の美観も損なわないシンプルなデザイン。カラフルで装飾が多めになりがちなヘップサンダルをミニマルに仕上げました。

HEP
HEPの記念すべき1stシリーズ「BLACK PLAIN」

シチュエーション別に考えられたデザイン

デザインは全部で4パターン。ドライブ、コンビニ、銭湯、玄関と、シチュエーション別にイメージを膨らませたデザインになっていますが、使い方はあくまで自由だそう。

HEP
「DRV」は運転手の間で愛用されてきたドライビングサンダルが原型。2WAYで使えるバックバンド付きで、アクセルやブレーキが踏みやすいようにソール部分が斜めになっているのが特徴です
HEP
ヘップサンダルのザ・定番的なデザインの「CVN」
HEP
「SNT」もヘップサンダルらしさ全開のデザイン。遠い昔にどこかで見たことがあるようなレトロなシルエットです
HEP
ギブス用サンダルをモデルにした「GNK」は、甲の高さに合わせてマジックテープで調整できるのがうれしいところ

贈り物としても活用してほしいと、引き出し式の箱に収められているのも従来のヘップサンダルとは一線を画します。

HEP
百貨店の包装紙のように高級感を出したというデザインの箱。シューズブラシや消臭剤など、玄関まわりの細々としたものを収納するのにもよさそうです

ユニセックスとなっているので、結婚や新居のお祝いにもぴったり。デザイン違いで夫婦茶碗ならぬ、夫婦サンダルとして贈るのもすてきです。

HEP

もちろん、自分への贈り物にも。

春ももうすぐそこです。

新しい季節に、新しい場所へ。

HEPのサンダルなら、思いつくまま気の向くままに、最初の一歩を踏み出せそうな気がします。

<取材協力>

川東履物商店

奈良県大和高田市曙町15-33

https://www.hep-sandal.jp/

文:岩本恵美


写真:川東履物商店提供、中里楓

<掲載商品>

HEP サンダル CVN
HEP サンダル DRV

いま、木工作家が吉野に移住している理由──「MoonRounds」渡邉崇さんが心奪われた“生きた木”のものづくり

「生きた木」がある吉野エリア

「生きた木がある」と移住する木工作家が増えているエリアがあります。

豊かな自然、心地よい静寂に囲まれる奈良県吉野。木目の美しさと見事な材質で知られる吉野杉や檜の産地です。

奈良県吉野郡川上村に住む「MoonRounds(ムーンラウンズ)」の渡邉崇さんは、2017年に大阪から家族で移住してきた木工家具職人。

川上村に住む木工家具職人MoonRoundsの渡邉崇さん。「MoonRounds」には渡邉さんの大好きな月と自然のサイクルを大切にしたいという想いを込める
川上村に住む木工家具職人MoonRoundsの渡邉崇さん。「MoonRounds」には渡邉さんの大好きな月と自然のサイクルを大切にしたいという想いを込める

木の個性を生かした器たち

「木が持つ個性を大切にした器や家具を届けていきたい」と日々木と向き合う渡邉さん。

その言葉通り、作品はどれも表情が豊かです。

中でも目を奪われたのは、珍しい黒柿の木でつくられた器。

黒柿の木目の色をそのままデザインに生かした器たち
黒柿の木目の色をそのままデザインに生かした器たち

黒柿は、木自身が生み出した木目の黒い模様が特徴で、150年以上経った古木しかその模様は現れないと言われています。

人が意図的に作ることもできません。

市場ではめったに出回らないその黒柿の木を丸々1本買い取り、木目にあわせて作品を考えるそうです。

どんな作品にするかは、素材ありき。だから、一つひとつ器の模様が違います。

大阪にいた頃は、伐採・製材された木を購入して、家具をつくっていた渡邉さん。

生きた木、つまり山の中に立っている木を間近で見ることができる川上村の環境に創作意欲を掻き立てられ、移住を決意しました。

工房は木々に囲まれた山深い場所に佇んでいます
工房は木々に囲まれた山深い場所に佇んでいます

製材された木ではなく、あえてゴツゴツした、いわゆる個性の強い木を見ると「ワクワクする」と言います。

虫食いがあったり菌などが入ったり、有機体らしい姿の楓の木
虫食いがあったり菌などが入ったり、有機体らしい姿の楓の木

渡邉さん曰く「川上村(吉野地域)には、丁寧に育てられた吉野杉や吉野ひのきもたくさんあります。そして、希少な黒柿や桑の木、自然が凝縮した楓の木など、自然から生まれる樹々もあります。素材それぞれの中に個性や美しさを見出して作品にしていきたいです」

何を作るか、からのものづくりではなく、木の形や色から何をつくるのかを想像するものづくり。

木と向き合い、木の特性を生かした渡邉さんの作品は、一つひとつ独特な表情を持ちながら、手触りがよく、手にしっくりと馴染みます。

木の個性を空間演出に。家具づくりにも挑戦。

渡邉さんは、器だけでなく、テーブルやスツールなど木の家具も手掛けています。

取材時は、企画展に向けてスツールを試作中でした。

ろくろやカンナで一つひとつ丁寧に仕上げているスツール
ろくろやカンナで一つひとつ丁寧に仕上げているスツール

「器だけでなく、空間がやわらかくあたたかになるような家具も作っていきたいです」

引き出した木の個性を、いかにその人の暮らしになじむ形にするか。素材と向き合い、使う人のことを想いながら、ものづくりの挑戦は続きます。

木の個性を生かした渡邉さんの器や家具は、暮らしに心地いい森林の風を運んでくれそうです。

<取材協力>
MoonRounds
奈良県吉野郡川上村川上東川179

080-2657-4526

https://www.instagram.com/moonrounds/

<企画展のお知らせ>

川上村「MoonRounds」をはじめ、東吉野村「エーヨン」「中峰渉」、下北山村「スカイウッド」の木の道具が集う企画展が開催されます。

企画展「吉野の木の道具」

日時:3月18日(水)〜4月14日(火)
開催場所:「大和路 暮らしの間」 (中川政七商店 近鉄百貨店奈良店内)
https://www.d-kintetsu.co.jp/store/nara/yamatoji/shop/index02.html

大和路

*企画展の開催場所「大和路 暮らしの間」について

中川政七商店 近鉄百貨店奈良店内にある「大和路 暮らしの間」では、奈良らしい商品を取り揃え、月替わりの企画展で注目のアイテムを紹介しています。

伝統を守り伝えながら、作り手が積み重ねる時代時代の「新しい挑戦」。

ものづくりの背景を知ると、作り手の想いや、ハッとする気づきに出会う瞬間があります。

「大和路 暮らしの間」では、長い歴史と豊かな自然が共存する奈良で、そんな伝統と挑戦の間に生まれた暮らしに寄り添う品々を、作り手の想いとともにお届けします。

この連載では、企画展に合わせて毎月ひとつ、奈良生まれの暮らしのアイテムをお届け。

次回は、「もんぺや」の記事をお届けします。

文:川口尚子、徳永祐巳子
写真:北尾篤司

アジア最大級の「浜松市楽器博物館」で楽しむ、世界の楽器1300点

さらに音楽の街を楽しむなら、楽器博物館へ

音楽の街として知られる静岡県浜松市。浜松駅のキオスクでも販売されているハーモニカの工房の昭和楽器製造さんにお邪魔したあとは、浜松の公立楽器博物館「浜松市楽器博物館」へ。

「昭和楽器製造が寄贈した歴代のハーモニカも展示されていますよ」と、酢山社長に教えていただきました。

浜松市楽器博物館は、1995年4月にオープンした日本初の公立楽器博物館で、アジア最大級の規模を誇ります。「楽器を通して世界と世界の人々の文化を知ろう」というコンセプトのもと、世界の楽器1300点を地域別、テーマ別に展示しています。

その数の多さと多様さに圧倒されます。個人で楽しむ楽器もあれば、儀式などで使われるものも多く、神様の形をしているなど神聖な位置付けの楽器も様々展示されていました。まずは写真を一挙にお見せしますが、まだまだほんの一部です!

単に音を出す道具、装置であるだけでなく、時には美術工芸品であり、時には畏れ敬う信仰の対象である楽器。遠く離れた地域で近しい形状の楽器が作られていたり、はたまた、同じような楽器でも地域によって意味合いが異なり姿が全く違うものを見比べられるのもとても興味深いです。

展示されている楽器の解説が聞けるギャラリートークが毎日開催されます

楽器を眺めるだけでなく、写真や映像、イヤホンガイドで実際の演奏の様子や音を鑑賞できたり、ギャラリートークと呼ばれる展示楽器の解説 (実演される楽器もあります) の時間が設けられているなど、目でも耳でも楽器や文化に触れることができます。

また、体験コーナーでは実際に楽器に触れることもできます。毎週日曜日にはガイドツアー、定期的にコンサートや音楽家を招いてのトークイベントなども開催されています。

ギャラリートークでの実演の様子。楽器の構造についても解説が聞けます
体験コーナーの楽器

見て、聞いて、触れることのできる博物館。

館内に展示されている映像や音声は実際に浜松市楽器博物館の学芸員の方々が現地まで (時には世界の僻地にまで!) 直接赴いて取材してきたもの。楽器も母体となるコレクションに加えて買い付けてきて増やしていったのだそうです。博物館作りをされた方々の熱量が、濃い展示に繋がっているのだなと感じます。

ここだけで1日中楽しんでいられる、見ごたえたっぷりの博物館でした。

暮らしの中に音楽が溢れる街、浜松

お土産としても発展したハーモニカ。熱意ある収集で見ごたえたっぷりの浜松楽器博物館。どちらからも、その根底にある音楽や楽器への思いが伺えました。

街の中でも、春の浜松まつりの前には何ヶ月もかけて練習するお囃子の音が鳴り響き、秋にはジャズの祭典ハママツ・ジャズ・ウィークが開催され、プロだけでなく地域の大人から子どもまで多くの方々が演奏にも加わり盛り上がります。暮らしの中に自然と溶け込む音楽がそこここに。

帰宅後、私もさっそくお土産のハーモニカを吹きました。自分で演奏してみたくなったり、思わず歌い出したくなったり、音楽がぐっと身近に感じられてウズウズする。浜松はそんな気持ちを呼び起こしてくれる街でした。

<取材協力>

浜松市楽器博物館

静岡県浜松市中区中央3-9-1

053-451-1128

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年7月28日の記事を再編集して公開いたしました。

駅でハーモニカが買える街、浜松へ。全て手作業の工房で職人技を見る

ヤマハやカワイ、ローランドといった世界に名立たる楽器メーカーが立地し、楽器の街として知られる静岡県浜松市。浜松の人々は小さい頃から音楽に親しんで育つのだとか。

浜松で新幹線を降り立つと、駅構内に展示されているグランドピアノをフラっと弾いて行く人 (みなさん演奏がハイレベルです!) を目にしたり、駅売店でハーモニカが売られていたりと、さっそく音楽の洗礼を受けます。

また、ランドマークとなっている「アクトシティ」のタワーは、「形がハーモニカに似ている!」ということで、ハーモニカタワーとして親しまれているのだとか。 (設計者はハーモニカを意図したわけではなかったそうです)

ビルも楽器に見えてしまう?!、そんな音楽を愛する人々の街を訪ねました。

ハーモニカの形に似ていると市民に親しまれるアクトタワー。こちら側から息を吹き込んだら音が出そう??

家族5人で営むハーモニカ工房

まず訪れたのは、遠州電鉄の曳馬 (ひくま) 駅からほど近い住宅街にある「昭和楽器製造」さん。浜松の銘工品として認められ、参入が難しいと言われるJRのキオスクでも販売を許されたハーモニカメーカーです。

工房を目指して歩いていると、心地よいハーモニカの音色が響いてきました。

ご家族5人で営むこの工房、全てを手作業で行いハーモニカを製造しています。小さくても正確な音が求められるハーモニカ。1本1本の音程を何度も確かめながら製造されていました。 (外に響いていた音色はチェックする音だったのですね)

社長の酢山義則 (すやま・よしのり) さんと、営業を担当されている中澤哲也(なかざわ・てつや)さんにお話を伺いました。

「彼 (中澤さん) は、娘の旦那さんなの。大手自動車メーカーでバリバリ働いてたんだけど、結婚してここで一緒に働いてもらうことになって今は家族5人でやっています」と酢山さん。みなさんにこやかで、温かい雰囲気が伝わってきました。

家族5人の工房

浜松駅のキオスクでハーモニカが販売されるまで

「戦後間もない1947年に、先代の父がハーモニカ職人2人と立ち上げて、楽器業界に参入しました。平和産業として工場を始め、材料不足に悩みながら、作れば売れるという時代が続いていきました。

ハーモニカの巨匠、宮田東峰 (みやた・とうほう) 先生の指導の下に発売した、“スペシャルミヤタ”は人々に評判を得て大繁盛しました。百貨店のショーウィンドーもスペシャルミヤタ一色になった時代です。

文部省 (現在の文部科学省) の依頼により、全ての小学校でハーモニカが使われ、黄金時代は続いていきます。
しかし、小学校で使われた教育用のハーモニカに代わって、鍵盤ハーモニカが業界進出することにより、ハーモニカは衰退の道をたどっていく事になったのです」

学生用のミヤタモデル

「このままでは駄目だと、色々と工夫をこらしました。当時作っていた宮田東峰先生監修の“スペシャルミヤタ”を“Showa 21スペシャル”にリニューアル、 小学校で使用していた教育用のハーモニカを”からふるハーモニカ”にするなどデザイン面でも新しいものを打ち出し下請けではなく独自ブランドを育てていきました。

転機となったのは、2004年の浜名湖の花博です。

一番奥のお客さんが来ない場所に出店する業者がなくて、商工会議所さんに『ハーモニカを展示販売しませんか?』と持ちかけられました。当時はまだ、ハーモニカは楽器屋さんで販売しているものというイメージで、こんなところに置いても売れやしないと断っていましたが、『どうしても』と声をかけていただいたのでやってみることにしたのです。

実際に展示販売をはじめてみると、一番奥の場所で人通りがないから全然見てもらえないのです。そこで、音を出してみたのです。

ハーモニカの音というのは郷愁が漂う音なんですね。

それで、音を聞いた年配のお客さんが寄ってきてくださって『ハーモニカってまだあるんですか?』と興味を持ってくださるようになって、売れていくようになりました。

6ヶ月の花博のうち、3ヶ月の展示をさせてもらったのですが、その間に全ての在庫が売れて1千万円の売り上げとなりました。

朝から夕方まで展示販売中、引っ切りなしにお客さんがきて買っていってくださる。

商工会議所でも注目されたり、花博会場の近くのホテルのオーナーさんから『うちの売店に置きませんか?』と声をかけてもらえました。こうして、楽器店だけではなく、ハーモニカをお土産物屋さんで展開するということが始まりました。

現在も色々なところに置いていただいていて、参入するのが難しいJRのキオスクさんでも展開しています」

浜松駅構内の大きなお土産物屋さんGIFT KIOSKには酢山社長の看板とともにハーモニカが展開されている

土産物として、広がる可能性

「ポケットに入るオーケストラ」とも呼ばれるハーモニカ。

音に引き寄せられて思わず手にしたくなる気持ちがわかります。持ち運びもしやすいので気軽なお土産としても、ぴったりだったのですね。さらに酢山社長の工夫とアイデアは展開されていきます。

「SLを走らせている大井川鉄道という観光鉄道があります。

夏休みには子どもたちを連れた家族で大いに賑わいます。そのSLの中で『ハーモニカおじさん』と呼ばれる演奏者の方がハーモニカを吹いてお客さんを楽しませていますが、合わせてハーモニカの車内販売をしています。

その時の光景とともに思い出にもなるお土産。お子さんたちにも喜ばれて大いにヒットしています。

かつて浜松では、お弁当販売のように『ハーモニカ娘』と呼ばれる販売員が特急列車の停車時間にハーモニカを販売していたことがあるのです。その現代版ですね」

酢山社長の工夫と1つのところに固執しないアイデアの数々が伺えました。

特急列車の停車中にお土産としてハーモニカを販売する「ハーモニカ娘」を記録した写真 (撮影:宮本照道) も見せていただきました

「博覧会の時に『ハーモニカってまだあるんですか?』と聞かれたように、楽器屋の片隅に置かれているだけだとハーモニカ自体が廃れていってしまいます。楽器としてだけでなく、お土産物としての展開は、ハーモニカを広く伝えて楽しんでいただくという点でもよかったと思っています。吹けば音の鳴るハーモニカは音楽の入り口としてもハードルが低いんです」と中澤さん。

確かに、ハーモニカが身近にあると、子どもたちが音楽に触れるきっかけになったりもしますね。

土産物として人気のミニハーモニカ

戦時中、人々の心を慰めた思い出の音色

酢山社長がこんなお話をしてくださいました。

「お年寄りの方には、あるハーモニカの思い出があるのです。それは戦時中の記憶です。戦時中、大陸に渡った兵隊さんたちへ送る物資の中に、千人針などと一緒にハーモニカを入れて送ったんだそうです。みなさんそれを吹いて遠く離れた地で心を慰めたのでしょうね。

ある方からはこんな話も伺いました。

敗戦後の引き上げの際に、船の中でクタクタになって横になっている人々の間で、その方は思い立って持っていたハーモニカを吹いたのだそうです。すると、みんなが起き上がってハーモニカに合わせて歌を歌って励ましあったそうです。音とともにその時のことを思い出すのだと涙しながら語ってくださいました。

みなさん音楽と記憶が一緒に残っていることがあると思いますが、ハーモニカは戦中戦後日本の人々の中でそうした記憶として残っているようです。

ハーモニカを作っていると、時々そういう思い出話をしに訪ねてきてくださる方がいらっしゃるのです」

ハーモニカは、吹いても吸っても音が出る楽器。腹式呼吸で演奏します。これが健康に良いのではないか?と、デイサービスなどで取り入れているところもあるのだとか。

年配の方に馴染みのある楽器でもあるのでみなさん楽しんでおられるようです。

また、浜松にはハーモニカのサークルがいくつもあり、公民館で会が開かれていたりもします。

浜松まつりの時期には、「ハーモニカ100曲リレーコンサート」という市民参加のコンサートイベントが盛り上がを見せます。暮らしに音楽が密接に関わっているところに音楽の街浜松の様子が伺えました。その中でも、身近な楽器としてハーモニカは一役買っているようです。

厳しい耳による製造現場

(どんなに小さな)お土産のミニハーモニカであったとしても、正しい音が出なければなりません。おもちゃではなく、小さくても本物の楽器です。

ハーモニカは、「よく鳴る、音が正確、そしてデザイン性が重要」と酢山社長。実際にハーモニカができるまでの様子も見せていただきました。何度も音をチェックしていく工程から、そのこだわりが感じられました。

ハーモニカの心臓部分、音を響かせるリード。鳴りをよくするためにリードの状態を整えていきます
足元のペダルを踏んで空気を送り込み音を出し、耳とチューナーを使って正確に音程を微調整して仕上げます
組み立てた後は実際に吹いて最終確認、そしてきれいに消毒します
ミニハーモニカも同様に組み立て、音のチェックがされていました

昭和楽器製造さんでは、この珍しいハーモニカの調律の工程が見学できる、工房見学も行われています。ハーモニカの歴史や作り方について酢山社長から直接解説を聞けるので、ぜひお出かけになってみてください (要予約) 。

最後に見せていただいた貴重な品、戦後の占領下にあったころに製造されたハーモニカ。MADE IN JAPANではなく、Made in Occupied Japan (占領下日本製) と刻印されています

<取材協力>
昭和楽器製造
静岡県浜松市中区上島1-8-55
053-471-4341

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年7月28日の記事を再編集して公開いたしました。