茶筅を軸に未来を描く。高山の若き茶筅師 有山正貴さんの挑戦

昨今、世界で空前のブームが起き、日本の抹茶に注目が集まっています。

マグカップなど好みのうつわで気軽に抹茶や抹茶ラテを楽しむ人が増える中で、美味しい抹茶を点てるために代替が難しい道具が、茶筅です。

国内の茶筅でトップシェアを誇るのが、奈良県生駒市高山町で作られる「高山茶筌」。国指定の伝統的工芸品としても知られ、そのシェアは実に99%にものぼります。

室町時代から500年の歴史を持つ高山町の茶筅作りは、かつて一子相伝、口伝によってのみ受け継がれていました。

時代の移り変わりとともに、門外不出という側面は薄れてきたものの、外部からやってきて茶筅師になる人はまだまだ少なく、現在では職人の高齢化や後継者不足という大きな課題に直面しているのが現状です。

今回は、そんな世界に自ら飛び込んでいったひとりの若者を紹介します。

自分のルーツに深く関わる「茶筅師」への思い

有山正貴さん

今回の主役は、茶筅の町 高山出身の若き茶筅師・有山正貴(ありやま・まさき)さん。

有山さんのお祖父様が創業し、20年以上前に一度は廃業してしまった茶筅師の屋号「明竹園」を令和の時代に復活させ、高山の地で修業と製作を続けています。

「20代の頃は、自分と言えばこれ!という何かをずっと探していた気がします」と話す有山さん。

大学生の頃には国際交流団体の立ち上げや運営をおこなったり、その後自分のやりたいことを模索しながらバックパッカーとして海外を旅したり、妻が経営するカフェの立ち上げをサポートしたりと、さまざまなことに熱中していました。

そして30代になり、あらためて自分は何者なのかと考えていたある日、茶筅師だった祖父の思い出が残る実家の部屋でふと、「茶筅、やってみよう」と思い立ちます。

祖父が使っていた道具も残っていた

故郷の町を代表する伝統工芸でもあり、祖父が人生をかけた仕事でもある。自身のルーツと深く関係する茶筅師の仕事を突き詰めていけば、「自分はこれなんだ」と胸をはって言えるのではないか。

そんな思いを抱いた有山さんは持ち前の行動力を発揮し、茶筅師への道を歩み始めました。

茶筅師・谷村丹後さんとの出会い

まずは知ることから始めようと、茶筅作りの実演見学と糸掛け体験講座に参加。そこで出会ったのが、のちに師事することとなる和北堂20代目当主・谷村丹後(たにむら・たんご)さんでした。

谷村丹後さん

丹後さんの技を目の当たりにした有山さん。体験後、たまたま丹後さんと1対1で話せる時間があり、そこで茶筅師になりたい、弟子にしてほしいという思いを打ち明けます。

初めて糸掛け体験をした茶筅。勢いあまって、通常は3重のところを4重に糸を掛けてしまったのだとか

「弟子はとっていない」と、一度は断られたものの諦めきれず、コンタクトを取り続けた有山さん。その姿勢に感心した丹後さんは、「じゃあ一回、作った茶筅を見せて」と返事をします。

そこから、定期的に課題を与えられてはそれに応えていく関係性が築かれていきました。

出した課題に対して、「こちらの想像を超える仕上がり」に驚いたと言う丹後さん。それならばと次の課題を出してみると、またクリアしてくる。その筋の良さを見て、「面白いな」と感じたそうです。

「師弟というか、そんなきっちりとした関係ではないんです。なりゆきで」

丹後さんは、有山さんとの関係をこう表現します。

それは拒絶でも、突き放すことでもなく、同じ土地で茶筅作りに携わる仲間として「持ってきた茶筅を見て、思ったことを伝えているだけ」なのだと。

有山さんが持ってきた茶筅を手に取り、「これはやや硬めやな。こっちは前と比べたら全然良いね」などと伝える丹後さん
課題に熱心に取り組み、そのたび大きく成長する有山さんに「大したもんや」と丹後さんも賛辞を送ります

ハマれば超集中。茶筅作りの全工程に向き合い続けた日々

茶筅作りを始めた最初の3ヶ月は当時住んでいた東大阪で。2025年の8月からは家族で高山町の実家に移り住み、ひたすら茶筅を作り続け、1〜2週間に1度は丹後さんの元へ通う日々を送ります。

この1年余りで作った茶筅は、100本をゆうに超えているのだとか。

幸い、竹を割るための道具も、削るための包丁も、お祖父様たちが使っていたものが残っていました。幼いころ、遊んでほしくて茶筅を作る祖父母の隣でずっと待っていた作業部屋。今、その場所で同じように茶筅を作る有山さんの姿に、「きっと、おじいちゃん、おばあちゃんも喜んでくれていると思う」と、話します。

難しいとされる「味削り」の工程。狙った薄さに削るのは感覚が頼り
有山さんの茶筅作りをきっかけに、「一緒にやってみようかな」と、廃業以来20年近くぶりに道具を手にしたというお父様。茶筅作りを復興していく息子の姿を、静かに、けれど嬉しそうに見守っています

茶筅は通常、専門の工程ごとに分かれた分業で作られます。

かつての有山家でも、例えばお父様は穂先を薄く削る「味削り」という工程、お祖母様は外穂を織りあげ糸で編む「編みかけ」、そしてお祖父様は最後に形を美しく整える「仕上げ」というように、家族や近所に住む職人たちが、それぞれの工程を分業で担っていました。

茶筅の基本工程見本(お祖父様の作)

有山さんは今、ひとりですべての工程に向き合っています。

「やるなら全部やりたいし、全工程が楽しいんです」

一子相伝として守られてきた技を丸ごと引き受けたい、そこには、有山さんらしいまっすぐな好奇心がにじみます。

穂先の硬さを確認する有山さん、最適解を感覚でさぐる

「前後の工程がそれぞれにどう影響するか、分かっていることが本当はベスト」

と、自身もすべての工程を習得している丹後さんも有山さんの姿勢を後押しします。多くの職人は自分が担当する工程には精通していても、それが前後の工程にどう影響しているかまでは、正しく理解できていないのだとか。

「背景を語ることもできるし、すべての工程をパフォーマンスとして見せることもできる。非常に貴重な存在じゃないかなと思うんです」と、有山さんを評する丹後さん

最後の仕上げがやりにくいと感じた時、「なぜだろう」と振り返ってみる。すると、小割の工程がうまくいってなかったことに気づく。すべての工程を自分で経験しているからこそ、そのつながりが見えてくる。

すべてをひとりでやることは、分業が当たり前になった今の高山では、極めて稀な学び方なのだと、丹後さんは感心していました。

一人前の職人になるには5年、10年とかかる。そんなイメージを覆すように、わずか1年余りでひと通りの工程をこなす有山さん。

有山さんの茶筅を実際に使用している茶論*の店長からも、その成長の速さについて驚く声が聞こえてきます。

(*茶論(さろん):中川政七商店が運営する「茶道文化の入り口」を広げることを目的とした茶道ブランド)

「有山さんの茶筅について、点て具合や穂の折れ具合などの経過をお伝えしたら、次の納品ではそれが全部改善されていて。その吸収具合がすごいんです」(茶論 奈良町店 店長・西)

仕上げの工程

特に難しい仕上げの工程についても、「この数か月で段違いに精度が上がった」と太鼓判を押されています。

「器用とは言われますけど、それ以上に好きになったことにはドハマりするんです。ただただ、ひたすら作るのみですね」(有山さん)

とシンプルに力強く答える姿が印象的でした。

高山にとっても「初」となる挑戦

「一番売れていたのは、お茶やお花が花嫁修業だった時代ですね」

そんな風に振り返るのは、長年、高山茶筅を見守ってきた奈良県高山茶筅生産協同組合 所長の吉川和博(よしかわ・かずひろ)さん。

日本一の茶筅の産地として500年以上の歴史をもつ高山ですが、時代とともに茶道人口が減少する中、茶筅作りも縮小していきました。後継者不足から廃業する工房も少なくありません。

吉川和博(よしかわ・かずひろ)さん
生駒市が運営する高山竹林園

今、抹茶ブームが来て、これまでの流れを変える追い風が吹いています。しかしその一方で、人手不足と作り手の高齢化によって生産能力を上げることができないジレンマも抱えています。

茶筅組合に加入している茶筅師は、最盛期で40軒以上あったものの、今では16軒まで減少。このうち「後継者が決まっている家は、4〜5軒ほど」なのだそうです。

茶の湯の広がりとともに、たくさんの流派が生まれ、茶筅の種類も増えていった
材料となる竹の不足という課題にも直面している

そんな状況の中、一度は廃業した家の息子が、故郷へ戻り茶筅作りを再開する。そんなケースは、「有山さんが、初めてだと思います」と吉川さん。そのひと言には、産地の未来への希望がにじんでいました。

この日、有山さんは最初の茶筅として知られる「高穂」に興味を持ち、ほかの種類との違いや竹の割り方による穂の本数の話などに耳を傾けながら、「そうか、そういうことか」と、吉川さんから新しい知識を吸収し、理解を深めていました。

作りながら学び、知りながらまた作る。その姿は、500年続いてきた産地にとっても新しい風なのかもしれません。

始まりの茶筅とされる「高穂」
流派により竹の種類や穂先の形状が決まっている茶の湯の世界

自らの挑戦が高山町にとってどんな意味を持つのか。

有山さん自身は、「僕は自分がやりたいからやってるだけやけど、それが高山の役に立ってたら、嬉しいですね」と、照れくさそうに話してくれました。

一人の「やってみたい」という好奇心から始まった挑戦は、いつの間にか、地域の未来にもつながる一歩になり始めています。

高山竹林園に資料館を整備し、「茶筅の里」として茶筅作りの歴史や技術を広く発信するPR活動も行われている
茶筅作りの実演やお茶会が定期的に開かれ、外国人観光客の姿も少なくない
高山竹林園にある本格茶室「竹生庵」。竹と生駒市から命名

茶筅を手に、海の向こうへ

「小学校の時、この部屋の世界地図を見ながら、おじいちゃんにこの国に行きたいって、よく言うてたんです」

大学生時代の留学や、バックパッカーとして世界を旅した経験。有山さんの海外への憧れは幼い頃からのものでした。

茶筅師という技術を身につけた今、「何もなしのバックパッカーで行くのと、茶筅師として行くのとは全然違う」と、目を輝かせます。

丹後さんも、スタンフォードとロサンゼルスでの講演や実演を経て、海外での茶の湯文化への関心の高さを実感しています。

自身でも海外への発信を広げていきたいと話す丹後さん

いずれ高山を拠点にしながら海外へ茶筅を届けたいという思いを抱く有山さんに対して、「半製品をバックパックに詰めていって、旅先で仕上げてその場で売ったらええよ」と、笑いながら話す丹後さん。

冗談のようでいて、伝統を守るだけでなく、自ら動いて新しい場所へ届けていく、丹後さんらしい自由な発想がありました。

「作り手の顔が見えるということは非常にいいこと。私たちは茶筅を売っているけれど、同時に自分自身も売っている部分がある。SNSがこれだけ活用されている時代だからこそ、自分という職人のスタイルやバックグラウンドも合わせて発信していくことが大切」とも語ります。

実際、今年に入ってからSNSを通じて有山さんに依頼があり、自身が作った茶筅をシンガポール、そしてオーストラリアへ発送したのだとか。その時も丹後さんは「どんどん出していこう」と、有山さんらしいつながりを快く見守り、その背中を押してくれたのだとか。

「丹後さんのおかげはもちろん、両親やご先祖さん、高山で茶筅を守り続けてきた先人の方々、茶筅を発明した方、自然(竹)の、おかげだと感じています」

そう話す有山さん。その言葉の一方で、人との縁をつなぎ、やると決めたらまずは動いてみる。その人懐っこさと行動力こそが、茶筅師としての新しい道を切り拓いているようにも感じます。

竹藪の管理も始めた有山さん。手入れ方法を学びながら若い竹を残し、太くなった竹を切る。数年後には、自ら育てた竹で茶筅を作ることも楽しみのひとつ

血のつながりを超えて、次の世代へ

田んぼの再生にも着手したという有山さん。茶筅を作ること、竹を育てること、田んぼを守ること。別々に見えるこれらの行動は、有山さんの中でひとつの軸でつながっている

 有山さんは、この夏、茶論で茶筅作りのワークショップにも初挑戦します。

「恐れることはない。一回やってみて、反省して、また次に生かしたらいい」。

丹後さんの言葉には、長年積み重ねてきた経験と、若き茶筅師への信頼がにじんでいました。

それでも、「卒業はないんですよ。私は父が唯一の師匠ですが、その父が85歳の時点で『まだ修行中』だと言っていました」と丹後さん。

竹は一本一本違い、その年の気候によっても表情が変わる。同じように作っても、同じものは二つとできません。だから職人は、生涯をかけて竹と向き合い続ける。

「いつでも来てくれたらいい。その時の仕事を見て、思ったことを伝えるだけ。それだけでも意味があると思う」

年齢は違っても、同じものづくりに携わる者同士だからこそ交わせる言葉、わかりあえる感覚があります。

丹後さんには実の息子さんもいます。もし将来、その子が茶筅師になりたいと言った時、「自分が教えられる状態でなければ、有山くんが教えてやって欲しい」。そんな思いも語ってくれました。

有山さんも、「それが、丹後さんへの唯一の恩返しかもしれない」と話します。

高山で受け継がれてきた茶筅作りは、今、親から子へという継承だけでなく、使い手から作り手へ。そして作り手から次の世代へと、人と人の間を行き交いながら未来へ向かおうとしています。

師弟というより、同じ方向を見る同業者として。

そこには高山茶筅の新しい可能性が広がっていました。

文:石田多美
写真:黒田タカシ

【はたらくをはなそう】中川政七商店 店長 稲田晃一

稲田晃一
中川政七商店 中川政七商店 たまプラーザテラス店 店長

2019年 新卒で高速バス会社に入社(販売企画職に従事)
2023年 中川政七商店 渋谷店 配属
2025年 中川政七商店 ルミネ大宮店 配属
2026年 中川政七商店 たまプラーザテラス店 店長


ーー中川政七商店に入社した理由を教えてください。

私が好きなものたちの大半は、だんだんとその数を減らしています。

寄席、銭湯、名画座、演劇、活弁、工芸。

すばらしいから好きになったのに、もしかしたら、数十年後には簡単に楽しめなくなっているかもしれないという現実。「なくなっても仕方ないんじゃない?」という声すら聞こえてくる現実。

しかし、そこでしか得られない美しさや喜びがあるからこそ、長年をかけて私たちの代まで受け継がれてきたはず。それに、たくさんの選択肢がある世の中の方が、いろんな人が楽しく暮らせるはず……。

そんな思いで、中川政七商店に入社しました。自分の技芸、特性、歩んできた人生をストーリーで考えた時、「中川政七商店の販売員になる」ことが、最も効果的かつ合理的である、と判断したからです(あとは「楽しんで働いている人が多そうだから」という非常に感覚的な理由もあります!これは大当たりでした)。

ーー接客をする中で、思い出深いエピソードはありますか。

中学生のお孫さんへの誕生日プレゼントで、カバンを探していらっしゃるお客様を接客させていただいた時のこと。お孫さんの好みや生活スタイル、ご家族の想いをお聞きし、「BAGWORKS」のカバンをおすすめしました。この商品、何より私が普段から使っていて、丈夫さと飽きのこないデザインを非常に気に入っていたものでした。そのことをお伝えすると、最終的にお客様は「BAGWORKS」に決定され、後日アンケートで感謝のお言葉を頂戴しました。

AIが生活に浸透した今、専門的な内容でもAIに聞けばすぐに詳しい情報を教えてくれます。そんなAIになくて販売員にあるもの。それは「意志と責任」ではないでしょうか。あの時の私は、自分の体験を踏まえて、「本当にそう思っていること」を自分の言葉で伝えました。そしてお客様は、そんな私を信じて決めてくださった。そこには、意思を伝えた者としての責任も発生しています。

そこに私たちの存在意義があると感じています。

自分で試したり、使っている人の感想を聞いたり、商品のことを調べたりして、「すごい!」と思ったこと、「本当にそう思っていること」を自分の言葉で伝えられるか、そして、伝えた責任を全うできる知識と誠実さがあるか。そんな「意思と責任」の通ったコミュニケーションが、ますます求められると感じています。

ーー好きな工芸品を教えてください。

染色家・柚木沙弥郎さんの「なかよし」のタペストリー(手捺染)です。柚木さんの作品は、日本民藝館で開催されていた特別展で初めて見ました。衒い(てらい)のない自由闊達な作風に、あっという間に心を奪われました。そこから民藝、ひいては工芸に興味を持ち始め、その興味は中川政七商店に入社するまでに本格化しました。「なかよし」は柚木沙弥郎さんの中でも特に好きな作品で、自宅の居間にドーン!と飾っています。

ーー普段、お仕事以外の時間はどんな過ごし方をしていますか。

寄席、銭湯、名画座、演劇、活弁、工芸を楽しんでいます。

ーーたまプラーザテラス店の周りはどんなところですか。

実は店舗のある神奈川県青葉区は、男性の平均寿命が83.9歳で全国2位なんです!(出典:「令和2年市区町村別生命表の概況」厚生労働省、2020年)

都市文化と自然のバランスの良さが、長寿の理由かもしれません。また、たまプラーザテラス店は1階の屋外に位置しているため、太陽の移り変わりやその日の空気、季節の移ろいを感じながら働くことができます。地域にお住まいの方々もよく店の前を通られ、特にご近所の保育園のお散歩ルートにもなっているようで、さまざまな年代の方の活力を感じながら、日々店頭に立っています。

<愛用している商品>

〇食洗機で洗えるひのきのまな板 小

おすすめ理由:ひのきのまな板へのあこがれと、自分に使いこなせるのだろうか?という不安。それらを一挙に解決してくれる商品です。ほぼ毎日使い、ときには大胆な使用法もしていますが、黒ズミもカビもゼロ。慌ただしい仕事場で静かに佇み、出番が来たら軽やかな身のこなしで、ひのきの香りを漂わせながら完璧に仕事を果たし、次の出番まで万全の状態で待つ。尊敬の念すら抱きます。



中川政七商店では、一緒に働く仲間を募集しています。
詳しくは、採用サイトをご覧ください。

【工芸の解剖学】国産牛革のボストンバッグ

暮らしの中の工芸を紹介する「工芸の解剖学」。

今回は、革の佇まいが美しく使いやすい「国産牛革のボストンバッグ」を解剖します。

希少な国産原皮を利用した上質な革バッグ

皮革の一大産地である兵庫県たつの市で鞣(なめ)した牛革で、ボストンバッグを仕立てました。

国内で生産される牛革の多くが海外産の原皮を使用している中で、希少な国産原皮にこだわっています。表面に傷が少なく、鞣した際の美しさが特徴。今回はコンビネーション鞣しという技法を採用し、自然な風合いを残したまま、汚れや水に強い状態に仕上げています。

長く使うほどに味わいも増していく、育てる楽しみを感じられるバッグです。

本体と同じ革でくるんだ特注のカシメで持ち手を固定。デザインのアクセントにもなっています

革の仕上がりを左右する「鞣し」の技術

動物の“皮”を、素材として利用できる“革”にするために必要なのが「鞣し」の工程です。革らしい風合いを活かせる「タンニン鞣し」と、耐久性に優れた「クロム鞣し」という代表的な二種類の鞣し方があり、今回はそれらを組み合わせた「コンビネーション鞣し」と呼ばれる技法を採用しました。

これにより革本来の風合いや、経年変化を味わえる魅力を残したまま、耐久性があって扱いやすく仕上げることが可能です。

原皮には個体差があるため、鞣しに使うタンニンの配合や分量を都度調節するために、職人の技と経験が欠かせません。その後、大きな樽の中で回転させて革を揉みほぐし、自然なシボ感をつけています。

現代に使いやすいボストンバッグの再編集

横長の形で口が大きく開く手提げかばん。そんなボストンバッグのエッセンスを抽出し、よりシンプルに、使いやすいものを目指しました。要素をそぎ落とし、細部のクオリティを追求しています。13インチのパソコンが収まるサイズ感で、日常からビジネスシーンまで広く活躍します。

持ち手は、コートを羽織っても方にかけやすい長さ

作り手のコメント:エルヴェ化成株式会社(兵庫県たつの市)

「国産ホルスタインの原皮を扱う数少ないタンナーのひとつで、社員一人一人が安定した品質にこだわっています。個体差がある素材を扱い、革らしい硬さと風合いを毎回再現すること、僅かな顔料と塗膜で質感の良さを保つことなどが、特に技量を要する部分です。仕上がりの佇まいにタンナーの個性も出てくると考えています」

デザイナーから:中川政七商店 青野洋介

「シンプルな分ディテールにこだわり、素材の質感を活かして上品な佇まいを目指しました。伴走してくれているのは大阪の縫製メーカーさん。企画やデザインの意図を汲みとって、作り手目線の細かな工夫をたくさんご提案いただいて完成した商品です。完成後もファスナーの滑りが良くなる工夫をしたり、細かなアップデートを続けています。革は使うほどに風合いが変化していく素材です。ぜひ長く使っていただき、自分だけのバッグに育てていただけると嬉しく思います!」

<紹介した商品>
・国産牛革のボストンバッグ

<関連商品>
・国産牛革のボストンバッグ 小

職人の指先から生まれる「小宇宙」。ガラス職人と『宇宙兄弟』、未知の世界への旅路

「ガラスって、透明感があって、ツヤがあって綺麗なんです。でも、それだけじゃない、もっといろんな魅力や可能性が秘められている。日々ガラスと向き合う中で、その可能性を探究しています。偶然性の中にある美しさもそのひとつでした」

そう語るのは、菅原工芸硝子のガラス職人、松浦健司さん。

2026年夏、松浦さんが長年研究を続けてきたガラスの表現技術「void(ボイド)」と、人気漫画『宇宙兄弟』が交差し、新しいガラスの酒器「吹きガラス 月地盃(つきちさかずき)」が誕生しました。

約10年にわたる技法への探求、この酒器が生まれるまでの道のり、そして期せずして宇宙へと繋がったものづくりへの思いを千葉・九十九里の工房で伺いました。

吹きガラス 月地盃(つきちさかずき)
松浦健司さん。伝統工芸士、菅原工芸硝子で製品開発の責任者を務めるガラス職人。ガラス一筋25余年、数々の新商品を生み出してきた

「宇宙の空洞」を意味する名前、偶然性。

松浦さんが「void」と名付けた表現技法を開発し始めたのは、今から約10年前のこと。

目指したのは、「ガラスの表面に凹凸のテクスチャーを施し、新たな風合いと独特の陰影を引き出す」というアプローチでした。

ガラスの中に気泡を閉じ込めるために使われる重曹。松浦さんは、この重曹をガラス表面の加工に活用しようと考えます。

「最初は重曹をガラスのパウダーに混ぜて試したのですが、ガラスが割れてしまったり、シワシワになりすぎたり、気泡が抜けなかったり。試行錯誤を繰り返しました」

ひと口に「重曹」と言っても、食品用から掃除用まで粒子の大きさは千差万別。理想の「クレーターのような凹凸」を求めて粒子を調べ、独自のやり方にたどり着いたのは、職人として15年以上の歳月を重ねた頃でした。

ボイド(void)とは、宇宙科学の分野で「宇宙の空洞」を意味することば。完成したガラスを見たときに、松浦さんが直感的に感じた「宇宙」のイメージがこのことばと結びつき、この技術を用いたシリーズの名前となりました。

ごく少量の重曹を鉄板の上に撒き、成形中の溶けたガラスを板の上で転がして適度の重曹を表面に付着させ、反応させる。という独自の手法で凹凸のあるテクスチャーが生まれる
シェフがお皿の上に塩で仕上げを施すような手つきで、重曹パウダーを鉄板上に撒く松浦さん。真っ暗な空に星を描いているようにも見えてくる?
その日の気温や湿度によって窯やガラスの状態は異なる。状態に合わせて、重曹の加減も変えるのだという

「ガラスが丸く膨らむとき、凹凸も自然の摂理のままに丸く自由に広がっていくんです。同じものは2つとなくて、その偶然性の中に最高の景色が隠れている。だから作っていて本当に面白いんですよ」

地球と月。『宇宙兄弟』のファンだからこそ迷わなかった、一瞬のひらめき

ある日、中川政七商店のデザイナーが、松浦さんの「ボイド」シリーズを見てハッと息を呑みました。そこに無限に広がる宇宙とのつながりを感じたことから、今回の『宇宙兄弟』とのコラボレーション企画が動き始めます。

企画を持ちかけられた松浦さんは、実は大の『宇宙兄弟』ファン。

「お話をいただいて、すぐさま『いいんですか?!ぜひ』と二つ返事でお引き受けしました。どんなものを作るかも、早い段階で『これだ!』と自分の中でイメージがありました。作品を繰り返し読んでいるファンなので(笑)。ボイドの技法で作る、地球と月。迷いはありませんでした」

ファーストサンプルの時点で、「月」と「地球」の色合いはすでに完成していたという
粉末状に砕かれた青の色ガラス
熱したガラスの表面に薄くまとわせる

金属光沢が出る成分を含んだガラスパウダーで表面に薄い色ガラスの層を作ることで、2色の酒器が作られました。

ガラスの透明感と表面の凹凸に光が当たることによって、その時々の色合いと景色が浮かび上がります。「月」のイエローはキラキラとしたゴールドに見えることも。

「地球」は、内側から光を透かすと深いブルーから淡いグリーンへと表情を変えます。

「この盃は、外側から眺めてもグリーンには見えないんです。でも、内側からのぞき込んだ時に、まるで宇宙から見た青い地球のように表情が変わる。この透け感や影の出方こそ、職人として一番見てほしいポイントです」と、松浦さん。

形は、丸みのあるおちょこ型。丸いからこそ、重曹の泡が綺麗なクレーターのように広がるのだと言います

職人は、アスリートのよう。「素手じゃ触れられない」ものと対峙すること

『宇宙兄弟』を読み込む中で、松浦さんは宇宙飛行士たちの姿に、自身が歩んできたガラス職人の生き方を重ね合わせていたと言います。

「吹きガラスの仕事って、製造業なんですけど、アスリートに近いんです。体調を崩したり睡眠を削ったりすると、途端に五感が鈍って、パフォーマンスが発揮できなくなる、ガラス作りが楽しくなくなる。

炎を扱うので、夏は40度を超える環境に身を置くこともあります。なので、健康な体づくりが肝心です。きっと、宇宙飛行士にも通じるところがありそうですよね」

ガラス作りができる体を維持するため、松浦さんは週末以外はお酒を絶ち、徹底した自己管理を続けています。

松浦さんにとって宇宙飛行士と職人を結びつける共通点は、他にもありました。

「人間って、宇宙に行ったら素手じゃ何も触れないでしょう。僕らガラス職人も、1000度を超えるガラスに対して、絶対に素手で触れないんです。だから、自分の手足となる『道具』をすごく大事にしていて、愛着があります」

松浦さんが入社した2000年から、26年間にわたって使い続けている一本の洋箸(ジャック)。だいぶ金属がすり減っているそうですが、松浦さんの手にしっくりと馴染んでいました。

「新しい洋箸も買ってはあるんです。でも、やっぱりこれじゃないとしっくりこない。この道具があるおかげで、指先で感じる細かなタイミングを計り、チームで呼吸を合わせて作品を生み出すことができる。道具こそが、僕たちの命綱です」

ガラスのなかに見る、自分だけの「金ピカ」

日々、1000度の炎と、素手では触れられないガラスに向き合い続ける松浦さん。その姿は、未知なるフロンティアを目指す宇宙飛行士そのもののようでもあります。松浦さんは、自身のものづくりの「核」を、こんな言葉で教えてくれました。

「ガラスの中に宇宙を感じています。宇宙飛行士が未知なる発見のために宇宙へ行くように、天文学者が新たな星を発見するために夜空を見上げるように、私はガラスの新たな美しい表情を発見するために、日々、ガラスと向き合っています。」

まだ誰も知らないガラスの魅力が、きっとある。

それを信じて、その魅力を引き出せるように自分の技術を磨く。松浦さんは「こんなに楽しいことはありません」と少年のように笑います。

作中、主人公のムッタが放った「自分が楽しんだ結果、喜ぶ人がいる」という言葉。松浦さんにとって、まだ見ぬ美しさを追い求めてガラスと対峙する時間そのものが、魂のきらめき……つまり『宇宙兄弟』でいうところの「金ピカ」なのでしょう。

日常の中で、グラス越しに宇宙を覗く

遥かなる宇宙への挑戦の物語と、炎の前で対峙し続けるガラス職人の旅。その二つの軌跡が、小さなガラスのうつわの中で静かに結ばれた「月地盃」。

職人が探り当てた「一瞬の偶然」と、そこに込められた「金ピカ」を、日々の暮らしの中で静かに眺めてみると……。そこにはきっと、あなただけの小さな宇宙が広がっているはずです。

<特集>中川政七商店×宇宙兄弟

菅原工芸硝子のクルーたち。それぞれの「金ピカ」

菅原工芸硝子で、日々ともに熱いガラスと向き合う職人のみなさん。伺ってみると、それぞれの「金ピカ」をお持ちでした。一部、ご紹介します!

桑升桃子さん :「やりたい事、やってみたい事はたくさんありますが、毎日少しずつでもコツコツ積み重ねていく事、それ自体がひとつの挑戦だと考えています。自分のまわりも幸せで、さらに自分達の作った物たちが幸せを広げていけるようなものづくりをしていきたいです」
瀬川千暖さん:「何か困った時や上手くいかなかった時に話せる同期、製造している姿を見て『私もできるようになりたい』と思わせてくれる先輩方はかけがえのない存在です。この職人と言ったらこれ!というような個性ある作品や新製品を作れたらと思っています」
秋山光男さん:「シンプルなグラスをより綺麗に魅力的なものにできるように追求したいと思っています。ガラスに限らず、素材の持つ特徴を洞察力や五感を使いながら、流れのようなものを掴み取って製造するのが理想です。いつかフランスで展示してみたい!」
瀧澤慎仁さん:「就職した時から伝統工芸士になりたいと思っていたので、まずはそこが目標です。仕事を終えたあとの一番の楽しみは、家までの道のりでしょうか。東金・九十九里の田んぼのそばを通るので、季節の移り変わりを感じながら涼しい部屋に向かう開放感が気に入っています」

<紹介した商品>
吹きガラス 月地盃

<関連特集>
中川政七商店×宇宙兄弟

文:小俣荘子
写真:阿部高之

瀬戸の職人と『宇宙兄弟』が手繰り寄せた、土人形の温もり

夜空を見上げ、遥か遠くの宇宙に思いを馳せて挑戦し続ける。

途方もないロマンと、人間味あふれるドラマで多くの人を惹きつける『宇宙兄弟』の世界が、手のひらに収まるちいさな焼き物になりました。

『宇宙兄弟』の主人公、ムッタとヒビトをモデルとした「宇宙兄弟 瀬戸焼 兄弟土人形」。

ころりとしたフォルムと素朴な風合い、思わず手で触れて包み込みたくなるような佇まいです。しかしこの愛らしい形が完成するまでには、「作品の魅力をどう表現するか」をめぐる、対話と試行錯誤のドラマがありました。

宇宙兄弟 瀬戸焼 土人形

リアルを目指すことが正解なのか?

作り手は、愛知県瀬戸市の「瀬戸陶芸社」さん。焼き物の産地として名高い瀬戸の地で、70年以上にわたって陶製人形を手がけてきました。

「日本の人形の歴史を考えると、素朴なものから今の精密なフィギュアへと進化してきたわけですけれど……今回は完全に『逆走』したんですよね(笑)」

そう話すのは、瀬戸陶芸社の水野雄介さん。

水野雄介さん。
瀬戸陶芸社ではディレクション等を担当し、同じ瀬戸で約250年続く窯元「瀬戸本業窯」の後継者でもある

当初このプロジェクトは、既存のフィギュア商品をベースに「いかに忠実に、土で再現するか」というアプローチからスタートしました。制作を担当した原型師は、世界基準の精密なフィギュアを幾度も形作ってきた圧倒的な技術の持ち主。最初に出来上がった試作品も、焼き物とは思えないほどの精巧なクオリティに達していました。

しかし、精密さを追求するなかで浮かび上がってきたのは、「なぜあえて土で作るのか」という問いでした。

土で作ることの意義はどこにあるのだろうか。試行錯誤の中で制作チームは一度立ち止まり、作品の本質に立ち返って考えを巡らせました。

「宇宙兄弟」の魅力のひとつは、過酷な宇宙環境でのミッションや試練の合間に、登場人物たちの人間味あふれる温かさが垣間見える「緩急」。ムッタとヒビトの兄弟も、宇宙飛行士といういわばエリートでもありながら、遊び心と優しさに満ちた人柄。これまでの樹脂のフィギュアがキリッとした「急」の部分を表現してきたなら、今回の瀬戸焼では、手で作られた揺らぎを通して作品の「緩」の部分を届けられるのではないか。

そして、「もし瀬戸陶芸社が、宇宙飛行士をモチーフに郷土玩具(土人形)を作ったらどうなるか?」という、作り手側のクリエイティビティを前面に出した新しい解釈へと、大きく舵を切ることになったのです。

100年前の「ビスクドール」とつながった物語

「第一印象として、とても土人形感が増しました。ドイツのドレスデン地方で作られた素朴な『ビスクドール』を彷彿とさせるというか」

瀬戸の土人形らしさを意識して試作を進める中で、水野さんはこんな感想を抱きました。

型から出したばかりの土人形。土らしさをまとったやわらかなフォルムが印象的 

ビスクドールとは、釉薬をかけずに白い土をそのまま焼き上げ、簡素な絵付けだけで仕上げる素朴な人形のこと。約100年前、第一次世界大戦の影響で生産が滞ったドイツ製のビスクドールに代わり、瀬戸製のビスクドールが大ヒット。瀬戸の陶製人形が世界へ羽ばたき、‟セトノベルティ”として一世を風靡するきっかけのひとつになったのだとか。

そんな、瀬戸の人形作りを発展させた原点と、印象が重なり合ったのです。

かつて作られていた素朴なビスクドール
技術力も高まり、瀬戸ではさまざまな陶製人形が作られてきた

「日本の土人形の歴史を遡ると、古くは土偶などにはじまり、季節の節目や新年を寿ぐ干支飾りなど、いつも『願い』や『祈り』とともにありました」(水野さん)

大地からの恵みである土と人間の手仕事によって生まれる土人形には、地球と人間の結びつきや、天(宇宙)への思いが無意識的に感じられるものなのかもしれません。

瀬戸工芸社は神社仏閣に納める土鈴などの縁起物も多く手がけてきた

あえて土の質感や歪みを残すこと。それは、現代のものづくりに対する、小さな挑戦でもありました。

「精密になりすぎると、粘土で作られているという感覚が薄れてしまう。でも、ちょっと素朴な雰囲気に調律することで、『あ、これは土でできているんだ』と伝わる。土を感じるからこそ、その産地の風景や、手掛けた人の温もりが想像できると思うんです」(水野さん)

手にした人が「ほっとできる温かみ」や「目に見えない祈り」を感じられるものを届けたい。技術があるからこそ難しかった「削ぎ落とすこと」を幾度も重ね、土の本質へと遡っていきました。

手仕事のゆらぎを愛嬌に変えて

試作を重ねて方向性が定まれば、瀬戸陶芸社が誇る職人たちの手によって不思議な魅力をもった土人形がどんどんと生み出されていきます。

石膏の型。ここに「泥漿(でいしょう・原料となる粘土を水と混ぜ、泥状にしたもの)」を注ぎ込む
流し込む速度や、乾かす時間の調整に職人の経験と技が必要となる

瀬戸の土人形に使用されているのは、昭和初期に瀬戸で開発された「白雲(はくうん)」という粘土。白くて発色が良く、軽くて輸送時に割れにくいことが特徴。瀬戸の陶製人形が「セトノベルティ」として一世を風靡し、大量に輸出された際にも原材料として活躍しました。

タイミングを見計らって、石膏型を開いていく

型から出され、素焼きされた人形は絵付けの工程へ。

ムッタとヒビトの人間らしいぬくもりを表現するため、100年以上前の瀬戸焼人形を手本に、一つひとつ手作業で絵付けを施しました。

宇宙服に施された「N.MUTTA」の文字やシンボルマークなどの大切なポイントは、当初の精巧さを追求していた段階では均一なプリント(転写)で仕上げる予定でした。しかしここも、あえての手描きへと変更。一つひとつ人の手で描かれることで微かに生まれる「ゆらぎ」。完璧さではなく、その手仕事の揺らぎこそが、この人形の愛嬌となり、物語の持つ優しさを引き立てています。

精巧さを追求したところから、土らしさと「宇宙兄弟」らしさを考え抜きたどり着いた今回の土人形。最終的な仕上がりが決定するまでに担当者間で繰り返された数々の対話。メールだけでもその数は90通を超えていました。

一つの目標に向かって、異なる専門性を持った人たちが情熱を寄り添わせて壁を乗り越えていく。そのチームワークは、どこかJAXAやNASA、民間企業が力を合わせた物語ともリンクしているようでした。

<紹介した商品>
宇宙兄弟 瀬戸焼 兄弟土人形

<関連特集>
中川政七商店×宇宙兄弟

文:小俣荘子
写真:阿部高之

気軽で楽しい“鍋炊きごはん”を実現する「羽釜鍋」開発記

「鍋で炊くごはんのおいしさを楽しんでほしい!」

そんな想いから、中川政七商店では昔ながらの羽釜をアップデートし、「鍋炊きごはん」を気軽に楽しめる新しいごはん鍋を作りました。粒立ちしたおいしいごはんが炊ける工夫を詰め込んだ、鍋炊きごはん初心者のための調理鍋です。

アドバイザーとして参画いただいたのは、日夜ごはんをおいしくいただく方法を探求しているユニット「ごはん同盟」のお二人、しらい のりこさんと、シライ ジュンイチさん。

中川政七商店のデザイナー 渡瀬聡志とともに、「鍋炊きごはん」のハードルを下げ、ごはんの楽しさや喜びを皆さんに届けるべく奮闘した、開発記の一部をお届けします。

自分で、お鍋で炊くからおいしい!その体験を広く届けたい

――開発のきっかけを教えてください

渡瀬:僕自身、炊飯には普段から鍋を使っています。自分で鍋を使ってお米を炊く一連の行為が豊かだと感じているし、そのことによって、お米がよりおいしく感じられる部分もあると思っているんです。

お米を炊くことは、日本人にとっての根源的な調理行為であるし、この体験をぜひ皆さんにも届けたい。そう考えて、今回の「ごはんがおいしい羽釜鍋」を企画しました。

その中で、自分でお米を炊くことの喜びをできるだけ楽しく伝えたくて、ごはん同盟さんにお声がけさせていただいたんですよね。ジュンイチさんは炊飯レシピ担当、のりこさんは鍋の特徴を活かした調理方法やレシピ開発担当ということで、相談にのっていただきました。

中川政七商店 デザイナー 渡瀬聡志

シライ ジュンイチ:最初は、少し悩みました(笑)。

しらい のりこ:私たちで大丈夫かなって思いました。これまでいろいろな道具で炊いてきましたが、道具の製法についてはそんなに詳しいわけではないので。すでにごはんをおいしく炊ける鍋や釜が世の中にたくさんあるし、そこに新しく切り込むものを作るって大変だなぁと。

ただ、この浅い平型の形状は珍しいし、調理視点で見るとすごく使いやすそうだと感じました。炊飯鍋だけど調理もできるというのはいいなと。

ごはん同盟:シライ ジュンイチさん
ごはん同盟:しらい のりこさん

シライ ジュンイチ:そうだね。私たちはこれまでにいろいろな道具を使ってごはんを炊いてきました。その中で、フライパンでも炊いたことがあるのですが、それが意外と粒立ちのいい炊き上がりで。これはこれでおいしいのでは、と常々思っていました。

甘くてもっちりとした味わいとはまた違う、別軸のおいしさを提案できると、選択肢が増えてごはんがもっと楽しくなるんじゃないかなと。なので、フライパン的な形状のもので、調理もできる鍋っていうところには可能性を感じましたね。

渡瀬:ちょうど「令和の米騒動」の頃に初回の打ち合わせをしていたので、古米をおいしく食べるためにどうすればよいかという話が注目されたりもしていました。ピラフだったり炊き込みご飯だったり、鍋で調理ができれば多様なごはんの楽しみ方ができていいよねって話したことを覚えています。

ゆずれなかったのは“おいしく炊ける”こと。たどり着いた「外硬内柔(がいこうないなん)」のおいしいごはん

――特に苦労した点はどんなところでしょうか

渡瀬:ごはん同盟のお二人からキーワードをいただいて、平型で調理もできる、フライパンと羽釜の間のような鍋というコンセプトがすぐにまとまりました。

そのあと一回目の試作でおおよその形状まではすぐに固まったんですが、そこからですね。実際にお米がおいしく炊けるところを目指して炊飯のテストをしてみたものの、最初はあまりうまくいかなくて。試行錯誤を繰り返しました。

シライ ジュンイチ:フライパン自体がそうなんですが、鍋の厚みが足りないと蒸らしのときにお米に熱が入りきらないんですよね。

渡瀬:そうなんですよ。蓄熱性を高めるためにある程度の厚みが必要とか、蓋にも重みが無いと気密性を担保できないとか。ぎりぎりまで調整して。

しらい のりこ:うまくいっていない時期は、胸を張っておススメできるものを出せるのか、不安に思ったときもありました。最終的には「おっ。これならいける!」って(笑)。

外側のデザインについては渡瀬さんに任せっきりでしたが、こまかい角度や厚みをあと何ミリとか、決めなきゃいけないことがいっぱいあるんですよね。ものづくりは凄いなって改めて感じました。

渡瀬:羽釜のつば(羽)を数ミリ伸ばせば見栄えがよくなるとか、持ちやすさはどうだろうとか、IH対応なのでその部分の確認とか、ずっとディテールに向き合い続けていた気がします。でもやっぱり一番ゆずれなかったのは“おいしく炊けること”なので、底の厚みと蓋の重さのところは本当にこだわりましたね。

シライ ジュンイチ:かといって、蓋が重すぎて使いづらいのも避けたいし。

渡瀬:はい。重すぎたので少しだけ軽くして、つまみの持ちやすさも考慮しています。鍋の仕様が固まってからは、水分量や火にかける時間、蒸らしの時間とか、この鍋でおいしく炊くためのレシピ開発をジュンイチさんに担当していただいて。

シライ ジュンイチ:厚みを出した分、余熱でしっかりと熱が入るんですが、じゃあ前半の沸騰状態はどれくらい続ければいいのか。弱火でじっくりなのか、強火で短くなのか。大まかに2つの方向性でさまざまなパターンを試して、強めの火加減で沸騰時間を短くしたらうまくいきました。

時間をかけてしまうとお米の表面がだれてくるというか。なので加熱時間を短めにギュッとしています。粒立ちがよくて弾力のある炊き上がりを目指して、何パターンもの水加減や加熱時間を試してみました。この羽釜鍋なら「外硬内柔(がいこうないなん)」のおいしいごはんが炊けると思います。

粒立ちしたごはんは、炊きたてはもちろん、冷めてもおいしい

渡瀬:「外硬内柔」!これも打ち合わせで教えてもらって、すごく印象に残っている言葉です。粒立ちがよくて、あっさり炊きあがったおいしいごはん。特に金属鍋との相性がよいらしく、今回の羽釜鍋(アルミ製)にぴったりのキーワードだなと腑に落ちました。

調理もできて、ごはんの楽しみが広がるお鍋

――今回の羽釜鍋のおすすめの楽しみ方を教えてください

しらい のりこ:まずは白いごはんを炊いてほしいですね。それから、焼いて調理ができることが特徴なので、そういった使い方。

焼き色もすごくきれいにつくし、なにより炒めてから炊くみたいな「二段階調理」ができるのがすごくいいと思うんです。ピラフとかはおすすめですね。

渡瀬:「二段階調理」、いいですね。きのこと山椒のピラフもすごくおいしかったですよね。

しらい のりこ:きのこを焼き付けられるのがこの鍋ならではですね。平型で、具材が置き放題なのも嬉しい。好きな具材をたっぷり載せられます。煮ものにもすごくいいし、野菜なんかもおいしく蒸せる。おでんとか鍋料理もいけるし、汎用性がとても高い鍋だなと思います。アルミ製で軽くて持ちやすいし、食卓に置いてよそいやすいのも気が利いている。

シライ ジュンイチ:老若男女が使いやすい、炊飯のハードルを下げてくれる鍋だなって思います。

渡瀬:まさに実現したかったのはそこですね。みんなに鍋炊きを体験してもらいたい。

鯛めし/はじめに鯛を焼き付けてから炊くのがポイント
野菜の蒸し煮 /少量の水で蒸せばうまみを逃さない
スペアリブと根菜の甘辛煮/じっくり煮込めばお肉がほろほろに

――最後に、これから鍋炊きに挑戦する人たちにメッセージをお願いします

しらい のりこ:上手にお米が炊ける鍋なので、とにかく怖がらずにチャレンジしてほしいです!ごはんは優しいから、ある程度は絶対においしく炊けます。鍋も助けてくれるので。

シライ ジュンイチ:極論を言えば、水の量だけ気を付けて計ってもらえれば大丈夫なはず。

しらい のりこ:そうだね。そこはきちんと計量してもらって。水位線、しっかり守ってください。

シライ ジュンイチ:火を止めるタイミングは難しいかもしれませんが、多少遅れてもそこまで焦げ付かないし、焦げたら焦げたでおいしい“おこげ”になる。毎回少しずつ炊き上がりがぶれるのも炊飯の面白さだと思うし、その中でちょっとずつ自分の好みを探していく楽しさもあるはずです。ぜひやってみてください!

<関連する特集> 
ごはんがおいしい羽釜鍋

文:白石雄太