猫が好きなマタタビは、米とぎに最適だった

こんにちは。元中川政七商店バイヤーの細萱久美です。

つい最近退職し、独立したばかり。

これからも引き続き、モノづくりに関わっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

今までも、これからも日本の各地域に行くことがありますが、何らかのご当地モノとの出会いがあります。

美味しいモノは必ず。そして工芸品と出会えると、帰って使ったり飾ったりするのが楽しみになります。

流通や生産量の事情などで、その土地に行かないと手に入りにくいモノとの出会いは旅の醍醐味とも言えます。

比較的珍しいモノでも頑張ればネットで手に入る時代ですが、作られた背景や土地の香りを感じながら現物を選ぶと、モノへの思い入れも深い気がします。

そんな、各地で出会った優れものを紹介する連載の第一回目。

福島県奥会津「マタタビの米とぎざる」

今回は、ずっと行きたいと思ってようやく行けた福島県奥会津の三島町。毎年6月に開催される『ふるさと会津工人まつり』でどうにかこうにか購入できた「マタタビの米とぎざる」を紹介します。

どうにかこうにか‥‥とは、本当に言葉通り。工人まつりは、全国でも1、2を争う集客力のあるクラフトフェアです。その人気は噂以上で、販売開始9時前の7時位には下見客が結構集まり始めるのです。

さまざまなクラフトが出展していますが、特に人気なのはこの土地ならではの「ざるやカゴ」。

作りの良い山葡萄の籠バッグや、マタタビのざるは初日スタート時でないと入手困難のレア商品なのです。その現実に驚きつつも、何とかマタタビの米とぎざるを買うことが出来ました。

マタタビの米とぎざる

マタタビは、猫が好きなことでも知られていますが、三島におけるマタタビ細工は実に歴史が深く、遺跡の発掘品から、縄文時代には現在の技法が存在していたことが分かっています。

平成15年には、「奥会津編み組細工」は国の伝統工芸品に指定されています。

そんな伝統の技が継承されているマタタビのざるは、素材がしなやかで水分を吸うとより柔らかくなるので、お米を傷つけずに洗え、米とぎに最適です。

お米を上手に洗うポイントは、糠を素早く洗い流すことと、米粒をなるべく割らないこと。

マタタビのざるは、水切れが良いので糠もサッと洗い流せ、手にも米粒にもやさしい素材感なのです。乾きも比較的早いので清潔感も保てます。

マタタビの米とぎざる

色白で、ちょっと帽子みたいな愛嬌のある見た目なので、見える所に出しておいても良いと思います。

マタタビの米とぎざる

マタタビの材料を採取する時期は冬の1ヶ月に限られており、下準備も楽ではなく、作り手は決して多くないそうです。

生産も限られているのでいつでもどこでも手に入るものではないですが、三島町生活工芸館では展示販売があるので、ざるづくり最盛期の年明けから春頃は狙い目かもしれません。

奥会津は秘湯もあり、車で移動中も何度も素晴らしい絶景ポイントがありました。今回は車の旅でしたが、会津若松から新潟県の小出駅を結ぶ超ローカル線の「只見線」は絶景の秘境路線として有名だそうです。

過去の豪雨被害の影響も未だ残るようですが、只見川を眺めながらの、のんびり旅はぜひ計画したいと思っています。

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

わたしの一皿 冷やし中華、とっくに始めています

例年思うが、夏を無事に乗り切れるだろうか。夏が厳しくなっているのか、自分が弱っているのか。連日の暑さがこたえます。

先週は5日間連続でカレーを食べた。男子、夏はカレーですから。みんげい おくむらの奥村です。

暑い日々、スパイスでバテを解消したいとカレーもよいですが、どうしても冷たいものが食べたくなる。そうめん、かき氷。おっと、忘れてはいけないのが「冷やし中華」。

冷やし中華、始めました?こちらとっくに始めております。

個人的に、ゴールデンウィークが終わると解禁しちゃう冷やし中華。我が家ではお店で食べるような冷やし中華は食べません。それはお店におまかせで。

お店の冷やし中華、意外と具の種類が多いでしょう。あれを一揃えするのがちょっと面倒なので、具は基本的に2、3種。タレに黒酢を効かせて。

そのときにあるものでちょいちょいと。そして、酒に合うように。ビールもよいですが、冷酒でも、ワインでも、焼酎でも。

今日の冷やし中華はまさにそんな感じ。1人前の半分ほどをつまみ感覚でいただくのが好き。もちろん1人前しっかり食べても美味しいです。

きくらげ

夏はとにかく酢をきかせたい。黒酢のしっかりきいたタレが冷やし中華には合う。

ビシっと氷水で〆た麺にタレと具を絡め、最後に香菜を。今日は白髪ネギを使ったけど、水菜でもよいし、きゅうりでもよい。

今日は肉が見当たらなかったので肉抜きですが、蒸した鶏ムネ肉なんかをちぎって入れてもよし。

きくらげ

きくらげは歯ごたえが大好きなので必ず使う。もどすだけでよい楽ちん食材。

今日の影の主役はきくらげだ。きくらげが食べたいがために冷やし中華にした、と言ってもよいぐらいだ。

冷やし中華の調理工程

最近では国産のきくらげも、生のものや乾燥のものなどいくつか見かけるが、中国・台湾にはもっともっとさまざまな種類がある。出かけた際に買ってきて、常時いくつかの好みの種類をストックしている。

今日は中国の吉林省長白山のあたりのもので、かなり小さめだが厚みがありとにかく食感がよい。プリプリ、コリコリ。プリプリの麺ともなんとも相性がよい。

小谷眞三さんのガラスのうつわに盛り付けた冷やし中華

涼を取るならうつわも涼やかなものを。今日は倉敷ガラス、小谷眞三さんの抹茶碗を小さな麺丼に見立てて。

御年88歳を迎える小谷さん。こちらのうつわは数十年前の作になる。気泡が入った透明のガラスは白みを帯びて、なんとも夏に涼やかなのです。

倉敷ガラスというと小谷ブルーとも言われる青を浮かべる方も多いかもしれませんが、この白もさすがに定番色、抜群に使いやすい。

(ちなみに小谷さんのものづくりについては以前に特集されているものがあるのでこちらも改めて読んでもらいたい。)

手吹きのガラスと機械生産のガラスと、一番のちがいは何だろうか。

簡単に言えば「ぬくもり」だろうか。手吹きのガラスはよい厚みを持たせることができる。

多少雑に扱っても割れなかったりというところも家庭で使うにはよいし、そのぽってり感が何より冬に使っても寒い感じがしない、というのがもっとも好きなところだ。

ガラスは世界中にある工芸だ。もちろん日本で作られたこのガラスのうつわは和食にも似合う。

しかし世界のどんな料理にも似合うのだ。今日は中華だし、小谷さんがコップ作りの基にしたメキシコの料理だってよいだろう。

冷やし中華、ずびずびと食べ進め、頃合いを見てラー油を入れましょう。味に変化を。この黒酢の冷やし中華は辛子にあらず。

ここのとこ、ラー油も様々なものを見かけるし、美味しいものが本当に多い。ラー油を使い分けるだけでまた冷やし中華の雰囲気も変わります。

好みの辛さに仕上げたら、一気にフィニッシュ。爽快に汗をかきたい。

実は去年の7月もガラスのうつわを取り上げた。その時は福岡県の小石原の作り手太田潤さんで、同時に小石原周辺が豪雨で甚大な被害を受けたことを記した。

あれから一年、今回はたまたま倉敷ガラスだ。今月、倉敷も豪雨で甚大な被害を受けている。一刻も早くおだやかな日常が戻ることを願う。

状況が落ち着いたら、岡山・倉敷に行き、当地の民藝、手仕事を買って作り手をますます応援したい。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

日本最前線のクラフトショップは、日本最南端にあった

工芸産地を地元の友人に案内してもらう旅、さんち旅。

もともと東京で、ショップやものづくりのディレクションに関わっていた村上純司さん。沖縄に移住したとは聞いていたものの、〈LIQUID(リキッド)〉という少し変わった、「飲む」という行為に焦点を当てた専門店を始めたというお知らせが、編集部に届きました。

というわけで今回は沖縄、村上さんのお店LIQUIDを訪ねました。


沖縄県宜野湾市のLIQUID
カーナビを頼りに宜野湾市の高台を上がると、コンテンポラリーなグレーに塗られた米軍のフラットハウス。その横にはホワイトのTOYOTA・デリボーイ。
沖縄県宜野湾市のLIQUID
無国籍感と独特の緊張感がある建物の壁に「LIQUID」と記されたプレートを見つけて一安心
沖縄県宜野湾市のLIQUID、オーナーの村上純司さん
オーナーの村上純司さん。東京・江戸川区生まれ。東京のディレクション会社を退職した後、2017年、沖縄宜野湾市に「飲む」という行為に焦点を当てた専門店〈LIQUID〉をオープン

—お店をはじめられる際、場所は沖縄で探されていたんですか?

「決して沖縄にしぼって考えていたわけではないですが40代の生き方を考えなきゃなと2、3年、考えていたんです。そんなとき仕事で沖縄の行政や商業施設の仕事があって、沖縄を知る機会になりました。

そのときに、年間で1000万人に近い観光客がいることや、海外のお客様が200万人を超えていることを知ったんです。去年、ハワイを抜いたんですよ。もはや東アジアの玄関口と言える。それが一番の理由です、沖縄を選んだのは」

村上さんのしゃべり口はいたって無邪気だが、いわゆる都会が嫌になって感情的に「沖縄に移住した人」とは違う。今の思考の根幹を作ったのは、新卒で採用されたシステムエンジニア職だという。

「入社してすぐ2000年対応(*)っていうのをずっとやっていました」

*西暦2000 年になるとコンピューターが誤作動してしまうという、いわゆる西暦 2000年問題における、既存のソフトウェアに対して施されるその対策

「もともと、理系頭なのもあって、良いベースになっている気がしますね」

その後、村上さんは銀座でスタートした、日本文化を現代の生活に繋げるプロジェクトに関わる事で、ものづくりの世界に足を踏み入れる。

ノットアカデミックな、日本文化の表現

代官山や隅田川、新潟や京都。様々な街の夜を彩った玩具花火ブランド「fireworks」
代官山や隅田川、新潟や京都。様々な街の夜を彩った玩具花火ブランド「fireworks」

「どれが正解かって、やってみないとわからないからどんどん立ち上げて。とにかく企画して、可能性があるものは形にしていこうという考えで動いていました」

ただ、日本文化を伝えるとなると、どうしてもアカデミックになってしまう。そのジレンマを解消するため、子どもでもわかるような日本文化の表現として、線香花火をブランディングする事に。

結果そのプロジェクトは、大人達の共感も呼び、のちの〈fireworks〉の活動にも繫がっていく。

日本文化の発信に深く携わりはじめた村上さん。その後、熱海の老舗旅館〈蓬莱(ほうらい)〉での仕事をスタートする。なぜ旅館に?との質問には、少し予想外の答えが返ってきた。

「日本の文化を、全部表現できるのが旅館だなぁと思って」

蓬莱では、館内でのサービスや蓬莱ブランドとしてのものづくりだけでなく、最終的に女将修行まで幅広く経験したという。

「歩幅がでかい!なんて言われて。すいません!みたいな(笑)

女将さんって、いわば旅館のクリエイティブ・ディレクターなんですよ。旅館全体を監修する業務。そこで、日本文化のトータルプロデュースみたいなことを体験しました」

そういった経験の後、山田遊氏率いる〈method(メソッド)〉を経て、自店の開業準備に。

「method時代は、主に監修業務に関わっていました。どんな商品、どんな店が作りたいのかをまとめていく仕事ですね。今もこの店をやりながら、いくつかのブランドの監修業務に関わっているんですが、それはクライアントさんの頭の中を整理整頓して、やりたいことの最大公約数を打ち出していくことだと思っています」

辿り着いたのは「飲む」という行為

沖縄県宜野湾市のLIQUID、オーナーの村上純司さん

「最初は、沖縄のことをぜんぜん知らなくて。偉そうに沖縄俯瞰してみて、編集してやるぜ!ぐらいに思っていたんですよ。そしたら、当然ながら沖縄には沖縄のものがいっぱいあるし、いろいろな方がいろいろなことをやってることを知りました」

「自分はどういう役割で、自分の意思を持ってやろうかなと、ずっと考えてはいたんですけれど。やっぱり、何でもあるライフスタイルショップやセレクトショップではなくて、専門店がいいなというのが、漠然としてあったんです。何かスペシャリティショップというか、何かに特化したものが良いなと」

専門店ということは決めたものの、今までの経験がゼロになってしまう珈琲の専門店のような、自分が未経験のジャンルではなく、今までの経験を活かすことができる、ものを通した何かの専門店。その可能性について、村上さんは思いを巡らせる。

「あるとき“行為の専門性”っておもしろいなと思って、辿り着いたのが“飲む”という行為だったんです。

飲む行為って、人と人との間に必ずありますよね。しかも時間や場所、その相手やその時の飲み物で、全く行為の役割も変わってくる。休憩の為のお茶だったり、仲良くなる為のお酒だったり」

歴史をさかのぼると、世界最古の文明とされるメソポタミアの時代には既にビールやワインが存在し、茶葉は紀元前には既に発見されていたというからなおさら興味深い。

たしかに、日本はもちろん、中国やイギリスの各国々のお茶の歴史や、最近のコーヒーブームもすべて“飲む”という文化に置き換える事もできる。

「これはおもしろいと思って、沖縄を含む日本でうまれた物を中心に、飲むための道具や家具、飲み物を組み立てていった結果が、液体=LIQUIDなんです」

沖縄だから表現できたラインナップ

沖縄県宜野湾市のLIQUID店内
コンバージョンした外人住宅で「飲む」という行為に焦点を当てて展開される、日本最前線のクラフト。都内では見かける事もままならない、ピーター・アイビーのガラス作品も豊富に揃う。

「セレクトの価値基準もいろいろありますよね。
金銭的価値として、産地で量産して低価格なものの中にも良いものはある。作家さんの手仕事からうまれる情緒的価値もあるし。あとは、単純に美しいねという美的価値もあります。主にはこの三つの価値基準で選んでいて、金額的にも三段階で調整しています。

「大前提として、日本の最前線が見れたり体験できるということは、意識しています。沖縄や東アジアの方が、わざわざ個展や産地に行かなくても、ちゃんと体験できる場というのがあったほうが良いという自分の勝手な思いです。

あと心のどこかで、東京などの都市部の方がいらしても、何かしらの刺激を与えることができるような店‥‥沖縄じゃないとできないことをやろうというのは、どこかでありますね。都市部でこの店をやろうと思っても、おそらくいろいろな問題でできないと思います」

沖縄県宜野湾市のLIQUID店内
店の奥行きを広げる書籍は、店名に因んだラインナップ。選書は〈BACH〉幅允孝に依頼。
沖縄県宜野湾市のLIQUID店内。〈上出長右衛門窯〉には、シーサーの「笛吹」を別注
全国的に人気の〈上出長右衛門窯〉には、シーサーの「笛吹」を別注した。1周年記念として新たなシリーズも展開中
ペルシャブルーで知られる沖縄のレジェンド・大嶺實清氏に、敢えて“黒”でオーダーした碗
独特の深い青、”ペルシャブルー”で知られる沖縄のレジェンド・大嶺實清氏に、敢えて“黒”でオーダーした碗。唯一無二の存在感。
大嶺氏の碗を納めるのは、和紙職人・ハタノワタル氏製作による和紙の箱。
大嶺氏の碗を納めるのは、和紙職人・ハタノワタル氏製作による和紙の箱。他では考えられない、村上さんが生んだ奇跡のコラボレーション。
石川県輪島市から沖縄に移り住んだ、渡慶次夫婦による工房〈木漆工とけし〉
石川県輪島市から沖縄に移り住んだ、渡慶次夫婦による工房〈木漆工とけし〉。彼らにオーダーした「飲む」ための箱ものは、琉球王国の宮廷料理に使われた東道盆(トゥンダーブン)へのオマージュ。
以前関わったプロジェクトでセレクトし、結果的に村上さんの沖縄移住のきっかけにもなった〈木漆工とけし〉の漆のスプーン
以前関わったプロジェクトでセレクトし、結果的に村上さんの沖縄移住のきっかけにもなった〈木漆工とけし〉の漆のスプーン。思い入れ深い一品。

あらためて店内のセレクトを見渡すと、ここが沖縄、日本であることも忘れてしまう無国籍感が漂う。それはそれぞれのディテールやテクスチャー、そしてその村上さんのセレクトが本物であることであることに他ならない。時折個々で見かける事はあっても、同じ空間で見るのは奇跡に近い品々。

そんな日本最前線のクラフトを介し「飲む」という行為にフォーカスした結果、LIQUIDではカレーの展開も視野に入れている。

「カレーは飲み物だよね。ってところでオチをつけておかないと、スカしすぎてるなと思って」と村上さんは笑う。


この空間の中でカレーというだけでも驚いてしまいますが、そのLIQUIDの「飲む」という表現の場は、なんと別棟での酒屋の開店へと続いていました。

LIQUID

沖縄県宜野湾市のLIQUID

LIQUID: 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-17 No.030
LABO LIQUID: 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-7 宗像発酵研究所内
098-894-8118
営業時間:10:00〜18:00
定休日:火・水・木・金曜日
HP:http://www.liquid.okinawa/
Facebook:https://www.facebook.com/LIQUID2017/
Instagram:https://www.instagram.com/liquid_okinawa

文:馬場拓見
写真:清水隆司

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沖縄の新しい酒屋が仕掛ける、フードカルチャーの最前線

沖縄 LIQUID

モダンな一面を持つ守り神、熊本の「木の葉猿」を訪ねて

こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載9回目は申年にちなんで「木の葉猿」を求め、熊本県玉名郡の木の葉猿窯元を訪ねました。

ワイズベッカーさんのエッセイはこちら

木葉の山生まれ、異国情緒漂う赤土の猿

熊本県の荒尾・玉名地域は県内最大の窯元の集積地。
江戸初期、肥後藩主となった細川忠利の主導でこの地に“小代焼”が生まれました。

小代焼はスリップウェアに代表される装飾性と実用性を兼ね揃えた日用の器。
その流れをくむ窯元が大半である中、群を抜いて歴史が古い素焼きの土人形を作っているのが「木の葉猿窯元」です。

熊本県玉名郡の木の葉猿窯元
木の葉猿窯元

木の葉猿の起源は遡ること1300年以上前、奈良時代初期の養老7年元旦に木の葉の里に貧しい暮らしをしていた都の落人が夢枕に立った年老いた男のお告げによって奈良の春日大明神を祀り、木葉山の赤土で祭器を作った。残った土を捨てたところ、それが猿になり「木葉の土でましろ(猿)を作れば幸いあらん」と言い残して姿を消したため、落人たちは赤土で祭器と共に猿を作り神に供えたところ、天変地異の災害があっても無事であった、と言い伝えられます。

以来、悪病、災難除け、夫婦和合、子孫繁栄の守り神とされるようになったそうです。

春日大明神が祀られた宇都宮神社
春日大明神が祀られた宇都宮神社
種々の木の葉猿
種々の木の葉猿

「日本的ではない気がする。アフリカっぽい。」

ワイズベッカーさんがそう言うように起源は諸説あり、南方やインド、中国を起源とする説や明日香村の猿石やモアイを原型とする説などもあるそうです。

江戸時代、木の葉の里が薩摩藩の参勤交代の道中だったこともあり、土産品として全国へ広まり、小説「南総里見八犬伝」の挿絵にも描かれていました。
大正5年の全国土俗玩具番付では、東の横綱に選ばれるほど有名な存在だったようです。

大正5年発行「全国土俗玩具番付」
大正5年発行「全国土俗玩具番付」

現存する唯一の窯元で、受け継がれる意志

「木の葉猿窯元」は、木の葉猿を作る窯元で唯一現存している窯元。

春日大明神を祀ったとされる「宇都宮神社」の参道を下った、ほど近いところにあります。
現在は、中興7代目の永田禮三さん、奥さん、娘さんの家族3人で営んでおられます。

木の葉猿窯元の8代目川俣早絵さん、7代目永田禮三さん、英津子さん
左から8代目川俣早絵さん、7代目永田禮三さん、英津子さん

「終戦後の6代目の頃は、焙烙、七輪、火消し壺などの日用品を作っていました。木の葉猿は僅かしか売れていなかったけれども継続はしていました。」

意外にも、木の葉猿に再び注目が集まるようになったのは近年のことだといいます。
昭和50年に熊本県伝統工芸品に指定、今では年間1万5千~2万個を作られているとのこと。

県内の伝統工芸館、物産館、東京の民芸店などに卸しており、最近は若いお客さんも多くなったといいます。

「小学生の頃から早く両親を楽にさせたいと言ってました。」

そんな親思いの三女・川俣早絵さんは、芸術短期大学で陶芸を専攻して、実家に戻り父に師事。7代目と共に木の葉猿の成形を担当しながら、8代目を継ぐ準備をされています。

習字の経験があり筆が早いという母・英津子さんは着彩を担当。親子3人の共同作業でつくられています。

木の葉猿は、指先だけで粘土をひねって作ったものを素焼したままの素朴な玩具。
形と謂れの違いで10種類ほど、大小合せると20種類以上。

食いっぱぐれないようにおにぎりを持っている「飯食い猿」や、赤ちゃんの象徴を抱いている「子抱き猿」、団子に似ている「団子猿」など。永田さん親子にその作り方を教えて頂きました。

①土練
まずは土を均一にするために、土練機を使って土練り。
土は地元の粘土を使い、素朴な風合いを出すために荒削りなものを選んでいるとのこと。

木の葉猿の材料になる赤土の粘土
材料になる赤土の粘土
土練機
土練機

②成形
粘土を指でひねって形をつくり、ヘラで細部を削る。そして1週間以上乾燥。
ヘラなどの道具は自身で竹を削って作られるそう。

木の葉猿窯元 製作風景
ヘラを使って整形の仕上げ
木の葉猿窯元 製作風景
粘土の乾燥

③焼成
乾燥した人形を300~500体まとめて月に一回程度、1日がかりで素焼き。
その後、いぶし焼きをして表面を黒っぽく仕上げ。

木の葉猿窯元 製作風景
いぶし焼きが終わると表面が黒っぽくなる

④絵付け
素焼きが完了した人形に、絵付けをして仕上げ。
以前は泥絵の具を使用していたが、現在は水溶性の絵の具を使用。

絵付けをした飯喰い猿
絵付けをした飯喰い猿

模様は昔から変わっておらず、白を基調に群青色と紅の斑点をつけるのが基本。
その意味は正確にはわかっていないそうですが、青と赤と白の彩色は「魔除け」を表しているのではないかと言われています。

種類によって魔除けや祈り、願いが込められた木の葉猿は、玩具というよりも御守り的な存在だったのではないでしょうか。

「木の葉猿をプレゼントした9割の夫婦が子宝に恵まれている」というお客さんがいるくらいなので、結婚祝いに添えてあげるのも良いかもしれませんね。

モダンなオブジェとしての意外な一面

永田さんにお話を聞いていて驚いたのが、カリフォルニアのイームズハウスにも木の葉猿が飾られているということ。

写真が載っている雑誌を見せてもらいましたが、確かに、本棚の和洋折衷なオブジェと一緒に木の葉猿が並んでいました。

イームズ夫妻が自身で持ち帰ったのか、プレゼントだったのかは定かでありませんが、アメリカのミッドセンチュリーモダンと日本の郷土玩具の接点が、まさかこんなところにあるとはという感じです。

土偶や埴輪のように原始的で、どこかユーモラスな木の葉猿が、モダンなオブジェとしての魅力も持っているという新たな側面。
日本の郷土玩具の意外な一面が垣間見れましたね。

さて、次回はどんな玩具に出会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第9回は熊本・木の葉猿の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第10回「宮城・独楽玩具の酉」に続く。

<取材協力>
木の葉猿窯元
熊本県玉名郡玉東町木葉60
営業時間 8:00-19:00
電話 0968-85-2052

文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」6月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

猛暑ですね。氷で点てる、冷たい抹茶はいかがでしょう。

夏のための、冷たい抹茶があるのをご存知でしょうか。

氷で点てる、「氷点(こおりだて)抹茶」。
名前からして、なんとも涼やかな飲み物です。

 

暑い夏にもお茶会を。

元々茶道の世界では、暑い夏にお茶会はしないそうです。夏はお稽古もお休みする、というところもあるほど。その理由は、ただただ「暑すぎてできないから」。

暑く狭い茶室で、熱い抹茶を飲むのは辛い!というわけです。納得。

だけど、空調も整い、涼しい環境が用意できるようになった現代。
やっぱり夏にもお茶会を開きたいよねという想いで考案されたのがこの「氷点抹茶」というわけです。

茶論の氷点て抹茶

お茶の旨みと甘みを味わう

氷点抹茶は、お湯で点てたものを冷やすのではなく、最初から冷たい水で点てます。抹茶と水をゆっくりと合わせ、一気に点てる、を2回繰り返し、氷を浮かべたら完成。

ほどよく苦味が抑えられ、抹茶の旨みや甘みを存分に愉しめるのが特徴です。
また、ゴクゴクと飲めるのも嬉しいところ。暑い日に、ちょっと粋に楽しめる日本の飲みものです。

 

古都で味わう、氷点抹茶

そんな氷点抹茶をいただける、茶論 奈良町店。他にも、冷煎茶、抹茶ラテなど、夏に楽しみたいお茶メニューが揃っています。庭の緑で目を休めながら、涼味を満喫してみてはいかがでしょうか。

冷煎茶
たっぷりの氷で出す冷煎茶
茶論 奈良町店の「白いかき氷」
こだわりの練乳と瑞々しい寒天の「白いかき氷」も人気
茶論奈良町店 庭

茶論 奈良町店
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町31-1(遊中川 本店奥)
0742-93-8833

営業時間
【喫茶・見世】 10:00~18:30 (LO 18:00)
定休日 毎月第2火曜(祝日の場合は翌日)
https://salon-tea.jp/

 

文:宮下竜介

7月、謎の天才絵師「絵金」が高知の夜を彩る。

こんにちは。BACHの幅允孝です。

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。高知の旅も4話目になりました。

7月の高知を彩る「絵金」とは?

高知の夏は「絵金」に彩られる。といっても、何のことだか分からないかもしれません。

「絵金」というのは、幕末から明治にかけて高知で活躍した、独自の芝居絵屏風で知られる画家のこと。絵師・金蔵の名をとって「絵金」と呼ばれているのです。

高知県香南市赤岡町にある須溜田八幡宮で毎年7月の14・15日に行われる神祭。そこでは、神社に伝わる18点の芝居絵屏風を暗闇のなかロウソクの灯りだけで鑑賞する風習が続いています。

しかも、それらの絵は神社近くの商店街にある氏子たちの家に点々と置かれ、町全体を使ったインスタレーションのよう。

その日だけは街灯や自動販売機の電気も消し、当時と同じ光で闇に浮かび上がる絵金の作品をみるのです。

祭りの夜の雰囲気を再現した施設「絵金蔵」の様子
祭りの夜の雰囲気を再現した施設「絵金蔵」の様子

残念ながら、僕らは神祭のタイミングとは合いませんでしたが、その絵金の作品と祭りの文化を伝える「絵金蔵」を訪れ、この謎の多い絵描きについて詳しく知ることができました。

絵金
絵金

髪結いの子から土佐藩御用絵師に

まずユニークなのが絵師・金蔵の来歴。

1812年に髪結いの子として生まれた彼は幼い頃から画才を認められ、土佐藩御用絵師の前村洞和に学び狩野派を叩き込まれます。

通常、狩野派の修行期間は10年ですが、彼はわずか3年で免許皆伝。洞和から一字を拝領し、洞意の号を受けました。

髪結いの子が名字帯刀を許される御用絵師、林洞意にまで上り詰めたのです。

絵金
絵金蔵の中の展示資料を見学中

ところが、そんな順風満帆の彼を待ち受けていたのは突然の悲劇。33歳のとき狩野探幽の贋作事件に巻き込まれた彼は、お城下追放になってしまいます。

その時、彼が林洞意として描いた作品のほとんども焼き捨てられました。

後年描かれた狩野風の白描からはその天才的な筆力をうかがい知ることができますが、その優れた筆力が仇となって御用絵師・林洞意は闇の中へと姿を消すことになってしまったのです。

それからの10年間。失意の金蔵が一体どこで何をしていたのかは、未だに謎のままです。

絵金

ところが10年後、土佐に戻った彼は御用絵師の堅苦しい裃を脱ぎ、庶民の中で描きたい絵を自由に描く町絵師として復活します。

当時人気のあった歌舞伎や浄瑠璃の演目を脚色して芝居絵屏風を描き、廻船問屋や商工業が栄えた赤岡の町で庶民の熱狂的な支持を集めました。

それが、絵師・金蔵が誕生したきっかけです。

闇夜で目撃する絵金の筆致

弟子たちの作品を含め「絵金」風の芝居屏風絵は、1枚の絵の中に芝居のストーリーが幾重にも表現されているのが特長です。

絵金の弟子は「絵金さん」と呼ばれ親しまれた
絵金の弟子は「絵金さん」と呼ばれ親しまれた

二曲一隻屏風には赤や緑の鮮やかな色彩が踊り、大胆な構図の躍動感がみる人に「これでもか!」と迫ってきます。

紆余曲折を経た絵師・金蔵の絵にかける執念と描く悦びが屏風に叩きつけられているようなのです。

そんな彼の怨念にも似た筆致が暗闇のなかから浮かび上がる迫力は、実に見応えがあります。

絵金

というのも「絵金蔵」でも神祭の夜に倣って展示室を暗くし、ほのかな光のみで「絵金」を鑑賞できる仕組みがあるからです。
できれば、次回は本当の闇で彼の執念を目撃したいものですが‥‥

展示室では提灯を手に、祭りの夜さながらに暗闇の中で絵金の屏風絵の複製を見学できる
展示室では提灯を手に、祭りの夜さながらに暗闇の中で絵金の屏風絵の複製を見学できる

ちなみに絵金についてもっと詳しく知りたい方は高知県立美術館が発行する『絵金 極彩の闇』がおすすめです。

絵金蔵で関連書籍を手に取ることもできる
絵金蔵で関連書籍を手に取ることもできる

2012年に絵金生誕200年を記念して開催された展覧会図録ですが、大衆芸術として学術的には陽の目をみなかった「絵金」の価値を再認識させるきっかけになりました。

祭りの道具だった「絵金」が芸術として見直され、地域の活性化にも役立っているのです。

《まずはこの1冊》

『絵金 極彩の闇』 (高知県立美術館)

絵金 極彩の闇

<取材協力>
絵金蔵
高知県香南市赤岡町538
https://www.ekingura.com/


幅允孝 (はば・よしたか)
www.bach-inc.com
ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。


文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之