女の子の健やかな成長を願って飾る雛人形。幾重にも衣裳を着飾った「衣裳着 (いしょうぎ) 人形」と人気を二分する「木目込み人形」の存在をご存知でしょうか?
木目込み人形とは?
木目込み人形とは、人形の土台に彫りこまれた溝(木目)に布を「木目込み」、人形のかたちに沿って衣裳を貼り重ねていく人形のこと。一方の衣裳着人形は、縫ってある着物をワラや木の芯に着付けてつくります。
「他にも木目込みは顔立ちは手書き、飾りは燭台、花は紅梅白梅、段飾りで一緒に飾るのは雅楽の人形。一方衣裳着はガラスの目に飾りはぼんぼり、花は桜や橘、段飾りには五人囃子というのが定番です。木目込みは上品な印象で、衣裳着は華やか、というのが従来のイメージでしょうか」
そう語るのは東京・上野にある真多呂人形の三代目、金林真多呂さん。真多呂人形は、木目込み人形発祥の地、京都の上賀茂神社から唯一「正統伝承者」として認定を受ける、由緒あるつくり手です。中川政七商店の木目込み人形も、真多呂人形さんにつくってもらっています。
「明かりをつけましょぼんぼりに/五人囃子の笛太鼓〜」という雛祭りの歌は、思えば衣裳着の雛人形の様子を歌ったものだったのかもしれません。一方の木目込み人形は、長く愛される存在でありながら、意外とその詳細を知られていません。
今回は、制作の過程を覗かせていただきながら、280年受け継がれてきた木目込み人形の魅力をたっぷり伺ってきました。
木目込み人形は京都生まれ、東京育ち
木目込み人形は江戸時代中期、京都の上賀茂神社に仕えていた、髙橋忠重が神事に用いる柳筥(やないばこ)という箱の残り木でつくったのが始まりと言われています。衣裳は神官の服装の余り布でした。
いわば仕事の傍らの余技として生まれた人形でしたが、次第に評判を呼び、その技術が江戸の町に伝わると、独自の発展を遂げるように。昭和に入ると雛人形として定着し、さらに「江戸木目込人形」として国指定の伝統的工芸品に指定されました。
「木目込み人形が東京で発展したのは、人形師の吉野栄吉が京都で木目込みの技術を学んで持ち帰ったのがきっかけでした。我々の初代・金林真多呂は栄吉の息子の喜代治に師事し、新たに創意工夫を加えながら木目込み人形を継承してきたと聞いています」
初代から受け継ぐ木目込み人形づくり
木目込み人形はその名の通り元々は木製でしたが、現在は桐塑(とうそ。細かい桐の木屑とノリを混ぜて粘土状にしたもの)という素材で本体を作ります。
この製法は、吉野栄吉が考案し業界に浸透していったもの。桐塑は木よりも軽く、切ったり削ったりも木と同じようにでき、何より数をたくさんつくることができます。さらにそれまで木を彫ってつくっていた原型も粘土型に変更。どちらも木目込み人形の量産を可能にした、画期的なアイデアでした。
ここから工程は衣裳を着せていく「木目込み」に向かっていきます。胡粉(貝殻を焼いてつくる白色の顔料)をにかわで溶かして本体に塗っていく「胡粉塗り」は、本体の強度を保ち、後の「木目」を彫りやすくする効果があるそう。ひと工程ごとに、美しく仕上げるための工夫を感じます。
すべてが手作業。いよいよ木目込みの工程へ
ここからいよいよ木目込みへ。布地を定着させるために水に溶かした「寒梅粉(かんばいこ)」を溝に塗り、生地を一枚一枚入れ込みながらカットしていきます。
人形の印象を決める頭師の仕事とは?
人形づくりは分業制。職人さんも工程ごとに分かれています。特に髪の毛を付けたり顔立ちを描く頭部は、「頭師(かしらし)」と呼ばれる専門の職人さんが一手に引き受けます。
真多呂さんが信頼を置く頭師が、埼玉県岩槻市の人形工房中村さん。岩槻市は江戸から続く人形の町として知られています。頭づくりの様子も、岩槻の工房にお邪魔して間近で見学することができました。
顔を描く面相書きの職人さんの傍には、頭部がたくさん差し込まれた藁の束。昔ながらの道具がある一方で、目の前にはタブレットが。この画面で人形ごとの顔立ちを細かく確認して描き分けているそうです。人形づくりの道具も日々アップデートされていることがうかがえます。
「表情は、一筆書きでさっと描かれているように見えますが、実際は細かく何度も重ねて描いていきます。目は中心から外側へ描くのでなく、どちらの目も左から右へと一方方向に描いていくのが基本なんですよ」
こうした雛人形の顔立ち、昔は切れ長の目がスタンダードでしたが、今では表情も多様化し、かわいらしい印象のものも多いそう。中川政七商店の雛人形も、真多呂さんと相談しながら、大人も子どもも親しみやすい表情を模索していきました。
顔が出来上がったら、髪つけの工程へ。人形の髪は「菅(すが)糸」という撚りをかけていない糸を使用しています。
どこから見てもかわいいように。仕上げの工程へ
こうして完成した頭部が真多呂さんに届くと、いよいよ仕上げの工程です。頭部や手を本体につけたら、持ち物や被り物も仕立てていきます。
こちらは五月人形の組み立ての様子。紐飾りなどの細かいパーツも、職人さんが全て手で結んでいきます。
「頭部も本体も一つずつ個体差があります。五月人形なら兜の被り具合も人形ごとにちょっとずつ変わるんですよ」
仕上げで印象的だったのは髪をセットする工程。櫛でとかし、水で濡らしてドライヤーで乾かしてクセを直して…と、まるで美容師さんが髪をセットしているようでした。
こうして、少しずつ命を吹き込まれていった人形がついに完成しました。
次の100年も、愛される雛人形を目指して
工程を見せていただいて感じたのは、つくり方もお雛様の表情も、時代に合わせて変化や工夫を重ね続けてきているということ。
「100年変わらないものを、といいますが、必要とされなければなくなってしまいます。時代に合わせてあり方を変えて、欲しいと思ってもらえるものを今後もつくり続けていきたいです」と金林さん。
子どもの健やかな成長を願う親の気持ちはいつの時代も変わりません。ただ、家族のあり方や暮らし方は時代ごとに変わります。表情を描くひと筆、衣裳を木目込むひと手間に、いつの時代も親心に応えてきた木目込み人形の「変化の歴史」を感じました。
<取材協力>
真多呂人形
文:尾島可奈子
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