和傘CASAが仕掛けた、日本一の和傘産地の逆襲。

長良川てしごと町家CASAを訪ねて

「日本一の和傘産地の逆襲!築100年の町家を伝統工芸体験拠点『CASA』にしたい!」

そんな目標をかかげ、わずか1ヶ月で目標額の150%にあたる300万円のクラウドファンディングに成功。

2018年5月にオープンしたのが、岐阜和傘専門店「和傘CASA」です。

建物は「長良川てしごと町家CASA」として、和傘販売のほか、活版印刷の工房も併設されています

築100年の町家を改装した店内には常時、蛇の目傘、番傘、日傘と60本近くが揃い、実際に手にとってその手触りや柄の美しさを確かめることができます。

お店があるのは岐阜城のお膝元、風情ある町なみが残る岐阜市川原町。

鵜飼で有名な長良川がすぐ近くを流れます。

お店を出て見上げると金華山のてっぺんに岐阜城がそびえ立ちます

実は岐阜は日本の和傘の7割近くを作る日本一の和傘産地。

しかしCASAが誕生するまで、岐阜県内に和傘を扱うお店は一軒もありませんでした。

「ピーク時は600軒あった問屋さんも今ではわずかに3軒です。

それに問屋さんはあくまでも卸すのがメイン。一般の人が欲しいと思っても、目にすることすらかなわない状況でした」

そう振り返るのはCASA立ち上げ当初からお店を見守ってきた店長の河口郁美さん。

「始めるときには、売れないよと老舗の問屋さんから言われましたね。

でも、岐阜の人ですら和傘の存在を知らないということに危機感を覚えたんです」

今日はそんなピンチから始まった、「和傘産地の逆襲」のお話です。

はじまりは「おんぱく」から

「もともと地域にある文化が、外から見ると面白くて貴重である、ということは地元にいるとなかなか気付きにくいんですよね。

そういう見出されていない魅力を一堂に集めて発信するために、10年ほど前から『おんぱく』をやり出したのが私たちの原点です」

温泉泊覧会、通称「おんぱく」はもともと2001年に別府で始まった取り組みで、今や全国に展開される地域活性の手法。

中でも「長良川おんぱく」は、流域ならではの体験・アクティビティが100以上開催され、全国の開催地の中でも最大規模を誇るそうです。

事業の切り盛りにあたり、「長良川おんぱく」事務局を軸に長良川流域の持続可能な地域づくりを支援する、NPO法人ORGANが設立。

これが、のちの和傘CASAを運営する母体になっていきます。

「イベントは毎年秋に開催していたんですが、そうすると季節的にお見せできない魅力もありました。

おんぱくで体験を提供されている漁師さんや猟師さん、農家さんなどの魅力を伝えて、いつでも商品が購入できるようにしたいと、はじめにオンラインショップを立ち上げました。

そこから、今度は町なかにも、職人さんたちの商品をいつでも手に取れる場所が欲しいねと話すようになりました」

こうして長良川流域で作られたものだけを扱うセレクトショップ「長良川デパート 湊町店」が2016年6月にオープン。

この時お店で扱っていた工芸品が、岐阜名産である提灯と和傘でした。

岐阜和傘につのる危機感と、新たな出会い

取り扱う品物の中でも河口さんたちが気にかかっていたのが、和傘。

日本一の産地であるのに、地元の人でも詳しく知らない。作り手も問屋さんも減っている。一般の人が興味があっても、買うお店がない。

危機感がつのる中、一人の職人さんとの出会いがありました。

税理士事務所職員から和傘職人へ異色の転職を果たし、修行中だった河合幹子(かわい みきこ)さんです。

「着るものが和服から洋服に変わって、今では和傘をさす人をほとんど見かけないですよね。

でも河合さんの作る傘を見たときに、とてもポップだなと思ったんです。和傘イコール和服、ではなくて、洋服にも合いそうだなって」

たとえ現状は厳しくても、手を止めずに仕事を続けてきた職人さんや問屋さんがいる。そこに続こうとする若手の職人さんもいる。

伝えることが、やるべきことだ。

そう決心し、見事にクラウドファンディングを実らせて、岐阜県内で唯一の和傘専門店CASAが2018年の春にオープンしました。

CASAで扱う和傘の中には、同時期に独り立ちした河合さんのブランド「仐日和 (かさびより)」の傘も。

中でも桜の花びらをかたどった傘が美しいとSNSで注目を集め、河合さんとその傘を扱うCASAの取り組みは、一躍脚光を浴びることとなりました。

「河合さんの傘は、CASAでしか買えないんですよ。お店のオープンと彼女の独立が重なって、岐阜和傘ブランドを一緒に育ててきたような気持ちですね」

他にも店内では市内の問屋さんや、独立して自分のブランドを持つ職人さんの和傘などを幅広く扱います。

「CASAを立ち上げたことで、初めて横のつながりができたように思います。

長良川デパートだけだった時は、お客さんも岐阜に和傘があることを知らずに、一目惚れして買う方がほとんどだったんです。

それが専門店ができたことで、和傘が欲しいと思う人に直接、岐阜和傘の存在が届くようになった。

CASAのことを知った人がお店に足を運んでくれて、こんなに和傘を欲しいと思う人がいたんだと、私たちも気づくことができたんです。

これでようやく、みんなで岐阜和傘を残していこうという気運が高まってきたように思います。ここまで繋いできてくれた職人さんや問屋さんには、感謝しかないですね」

最近では和傘づくりに欠かせない、骨やろくろの部品職人をサポートするクラウドファンディングにも成功し、今まさに育成事業を始めているところだそう。

「和傘って何万円というお買い物で、お客さんも気に入ったものをよくよく選んで、惚れ込んで買うものかなと思います。

だからふらっとお店にきてくれた人が、すぐその場で買わなくっても構わないんです。お店を通して、和傘をいつか欲しいなと思う人を増やすのが、私たちのミッションです」

「岐阜に美しい和傘あり」を声を大にして伝える拠点を得て、日本一の和傘産地の逆襲はこれからが本番です。

<取材協力>
和傘CASA
https://wagasacasa.thebase.in/
岐阜県岐阜市湊町29番地

土屋鞄の職人、竹田和也さんの“仕事の理由”── 想像の10倍難しくても、僕はこのランドセルを作る

ものづくりの世界に飛び込んだ若きつくり手たちがいる。

何がきっかけで、何のために、何を求めてその道を選んだのか。そして今、何を思うのか。さまざまな分野で活躍する若手職人を訪ねる新連載、はじめます。

竹田和也さん。27歳。

上質でシンプルな革製品を生み出す「土屋鞄製造所」に入社して1年と6カ月。現在はランドセルづくりの最終工程を担うまとめ斑に所属している。

それまでも地元・島根の革工房で修業をしていた。ある程度、経験はあるし、自分なりに革製品もつくってきた。だから入社後も「なんとかなるだろう」と気楽に考えていたという。これまで学んだことがあるのだから自分にはできるはずだ、と。

けれど。

土屋鞄製造所

「そんなの、一瞬で打ち砕かれましたね(笑)」──。

まずは竹田さんがどうして鞄職人をこころざしたのか、そのあたりから話を進めてみよう。

出会いは、自転車旅の途中で

大学生の頃、自転車旅が好きだった。

「福岡に住む友達のクロスバイクに乗らせてもらったとき、なんだこれ、ものすごく乗りやすい、気持ちが良いなと思って。その足ですぐに自転車屋に行きました」

自転車を購入した福岡から、実家のある島根へと向かった。およそ450㎞。4日間かけて旅をした。

土屋鞄製造所 竹田和也さん
島根県出身。「目の前は海、家の後ろにはすぐに山があるような田舎でした」

「それが面白くて。自転車旅にはまったんです」

時間を見つけては旅に出た。島根から広島、四国をぐるり。鳥取から兵庫を巡るなど西日本を中心に、あてもなく、気持ちがおもむくままに走り続けた。

そんな旅の途中で目に映ったのは、たくさんのものづくりだったという。

「木工職人がつくった木のスプーンだったり、ゲストハウスに置いてある椅子やソファが地元の職人の手づくりだったり。なかには、ものづくりを通して町おこしをしようとしている人もいて。そういうことに刺激を受けました」

もともと、ものづくりは身近だった。

「父が何でも手づくりする人で。一番近いコンビニが13㎞先にあるような、ものすごい田舎だったこともあり、買うよりつくるほうが早かったからなんですけど(笑)

テーブルや棚、僕たちの玩具も。欲しいものがあったらまず自分でつくるという環境にありましたね」

ものをつくる。その感覚はすでに体に染み込んでいた。でも、何をしたいか、何をつくるのかは定まっていなかった、そのときまでは。

「何度目の旅だったか。たまたま立ち寄ったのが革製品の工房でした。そこではじめて職人の仕事ぶりを見たんです。鞄をミシンで縫っていたり、木槌で金具を打ちつけていたり。その姿がものすごく格好良くて、憧れた」

そこから2年半。地元にある革製品の工房で修業をした。ひととおりの技術を覚え、自分なりに革製品もつくってみた。

けれど、つくるほどに自分の未熟さが見えてきて、「技術的にも知識的にも、もっといろんなことを学ばないといけない、もっと知りたいと思ったんです」

とりあえず、いろいろな革製品を手にとってみようと向かったのは東京だった。あちこちの工房をめぐり、たくさんの製品を見てまわった。

そのとき。衝撃を受けたのが土屋鞄だった。

1965年創業。上質な革素材を使いつつ、ランドセルはもとより、大人向けの鞄や財布などの革製品をつくり続ける人気ブランドである。

「手にとったのは大人向けの鞄なんですけど〝コバ〟がすごくきれいで。ぴっかぴかしていたのが、すごく印象的だったんです」

鞄の革の断面部分が“コバ”
鞄の革の断面部分が“コバ”。綺麗に仕立てられているのが見てとれる

コバとは革をカットしたときの断面のこと。この部分の表面には微妙な凹凸や段差があり、はじめにそれを丁寧に磨いて滑らかに整え、さらにコバ液という特殊な液を塗り重ねるという作業が必要になるという。

いわば職人ならではの仕事であり、コバを見ればその職人の力量が分かるポイントでもあるという。

「コバをきれいにするのってすごく時間がかかるし、手間暇もかかる。たくさんの鞄をつくらなきゃいけないなかでも、そうした部分に一切手を抜かず、しっかりとこだわってつくっているというところに心惹かれて」

土屋鞄の職人技が、竹田さんに入社を決心させることになったのだ。

「菊寄せ、きたー!」

かくして、土屋鞄に入社した竹田さん。数ヶ月の研修後に配属されたのはランドセルづくりのまとめ斑だった。

作業中の竹田さん

土屋鞄のランドセルづくりは150以上のパーツを用い、300を超える工程がある(前記事「土屋鞄のランドセル、300工程を超える手仕事を間近で見学」をご覧ください)。

まとめ班とはいくつものパーツが組み合わされてきたものを、最終的に完成させる工程のことである。

クリップで留めてある部分に革を張り、縫い付けるのもまとめ班の仕事
クリップで留めてある部分に革を張り、縫い付けるのもまとめ班の仕事

「はじめは外周部分に、ノリを塗って革を貼り、へり返しという作業をひたすらこなしました。

ランドセルを持って説明する竹田さん
「ここがへり返し部分です」と竹田さん

へり革をつける“へり返し”という作業
へり革をつける“へり返し”という作業

本体側に革がのってもいけないし、逆にすき間が空いてもだめで。ピシッと美しく仕上げることが、はじめは難しかったですね」

その後、ようやく任されたのが菊寄せだ。

菊寄せとは鞄や財布などのコーナー部分の処理の仕方で、放射状にひだを寄せながら細かく折りたたむ技術のこと。職人技が試される大事な部分であり、ここを任されるということは職人として一歩前進したといえる。

「菊寄せきたー!と思いましたね。ついにこの部分を任せてもらえるのかと嬉しかった。

ランドセルの菊寄せ部分
菊寄せをすることで強度を増し、美しく仕上げる

でも、それと同時に、菊寄せなんてできる気がまったくしませんでした(笑)

どこから寄せ始めれば均等なひだになるのか、返す幅はどのくらいにすればいいのか。

線が引いてあってその通りにすればいいっていうわけではないので、とにかく何回も、何回も繰り返すことによってその感覚を身につけるしかありませんでした」

菊寄せに取り組む竹田さん
菊寄せに取り組む竹田さん

正直なところ、ゆっくり丁寧にやればできる。

「でも、それではやっぱりだめで。ある程度のペースを維持しながら、精度は絶対に落とさない。それができてはじめて職人として認められるのではないかと」

菊寄せの作業風景

菊寄せを担当しておよそ6カ月。ようやく自信をもって「菊寄せができる」と言えるまでになったという。

竹田さんの菊寄せ。美しい仕立てである
竹田さんの菊寄せ。美しい仕立てである

さらなる試練。「でも、これが楽しい」

そして今、新たな挑戦を始めているという。

「まとめミシンという作業です」

ランドセルの外周をぐるりとミシンがけしていく作業のことで、300工程のなかの、最後のミシンがけにあたる。

「ランドセルにおいて一番目立つミシン目だと思うので、プレッシャーを感じますし、想像より10倍くらいは難しい」

ランドセルを持って説明する竹田さん

たとえば、つまみの部分は革の厚みの分ズレが生じるため定規押さえを使えない。手の感覚を使いフリーハンドでまっすぐに縫わなければならないし、

蓋とのつなぎ目にある段差
蓋とのつなぎ目にはこんな段差が。分厚い革をまとめて縫うのは至難の業だ

蓋とのつなぎ目には段差があるため、同じ目幅に揃えるためには微妙な力加減が必要になる。さらには針を入れる角度やカーブの進め方、スピードに至るまで、一つの工程ながらも覚えることは山ほどある。

「とにかく最初は緊張してしまって。でも、ミシンがけは力んだらだめなんです。絶対にうまくは縫えない。先輩からよく言われるのが『力を抜きながら、ミシンの力を信用して縫え』ということ。

最近、ようやく力を抜くということが分かって来たような気がしますけど‥‥難しいですね。でも今、すごく楽しいです」

土屋鞄製造所 竹田さん

鞄職人としての使命感が生まれた瞬間

300という途方もない工程が必要とされるランドセルづくり。

「でも、だからこそ鞄職人としては一つ一つハードルを超えていく楽しさがあるし、一つずつクリアしていくことで次のステージに進めるような面白さがあります」

繰り返しこなすことで基礎を叩き込むことができるし、できることが増えるたびに職人としての腕が上がっていくような充実感を覚える。

そしてもう一つ。土屋鞄でランドセルづくりに携わることによって得たことがあるという。

作業中の竹田さん

「責任感というのでしょうか。地元で自分なりに鞄をつくっていたころは、自分のペースで、自分の思う通りにつくればよかった。もちろん、それはそれでいいんですけど、あの頃の僕にとってそれは甘えでしかなかった。今、思えばですけど。

土屋鞄製造所 竹田さん

この工房は、誰でも見学できるようになっているんです。時折、小さなお子さんが僕らの仕事をみながら『僕の鞄はここでつくられているんだね』という声が聞こえてくるんです。

土屋鞄製造所

そういう声を聞くと、この子たちが6年間、安全に楽しく過ごせるようにつくらないといけないなと思うし、少しのズレや歪みもあってはいけない、しっかりとつくって届けたいという、使命感みたいなものが沸くようになったんです。

工房の廊下にはお客様から届いたメッセージが貼られている
工房の廊下にはお客様から届いたメッセージが貼られている

きっと人間が生まれてはじめて持つ、きちんとした鞄がランドセルですよね。人生で一番長く使う鞄になるかもしれない。そういうものづくりに携わることができていることが、自分としてはなんかいいなと思っています」

そんな竹田さんの目標は?

「そうですね‥‥サンプル職人ですかね‥‥。

サンプル職人とはデザイナーと一緒に製品の企画を立てる人であり、ランドセルのことを熟知した職人だけができること。つくり手にとっては神みたいな存在です」

でも、とりあえずは。

「目の前のランドセルづくりを確実に覚えて、精度良く仕上げることに専念しようかと」

竹田さんの鞄職人としての道はまだまだ続く。

自転車旅がきっかけで鞄職人になった竹田さん
自転車旅がきっかけで鞄職人になった竹田さん。「工房に通うのももちろん自転車です」

<取材協力>
土屋鞄製造所
東京都足立区西新井7-15-5
03-5647-5124 (西新井本店)
https://tsuchiya-kaban.jp
https://www.tsuchiya-randoseru.jp

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、土屋鞄製造所

土屋鞄のランドセル、300工程を超える手仕事を間近で見学

上質な革素材を使い、鞄や財布、小物など、上品でシンプルな革製品を次々と生み出す「土屋鞄製造所」。

レザーファンのみならず、名前を耳にしたこと、あるいは手がけた製品を目にしたことがあるかもしれない。男性から女性まで幅広い支持を誇り、今や全国各地に13店舗、さらに台湾にも進出するほどの人気ぶりなのだから。

大人がハマる、その魅力はどこにあるのか。東京・西新井にある工房を訪れた。

はじまりは11坪の小さな工房から

扉を開けると、そこにはだだっ広い空間が広がった。

扉に描かれたミシンマークが可愛い
扉に描かれたミシンマークが可愛い

所せましと鞄らしきものが‥‥
所せましと鞄らしきものが‥‥

いろんな音が響いている。ダダダダとミシンの走る音、トントントンとトンカチで革を打つ音、コンコンと穴を開けるような音も‥‥。

よく見ると、多くの人が床に直接座って作業をしている。あっちでも。

土屋鞄 ランドセル

こっちでも。

土屋鞄 ランドセル

そっちでも。座布団を一枚ひいて、あぐらをかいたり、足を伸ばしたり。手先を使うだけでなく、全身を使って作業をしているようである。

土屋鞄 ランドセル

もうおわかりのことと思うが、つくっていたのは‥‥

「ランドセルです。土屋鞄製造所はランドセルをつくることから始まりました」とは広報の三角 (みすみ) さんである。

ものづくりへの姿勢に魅力を感じ、入社を決意したという
ものづくりへの姿勢に魅力を感じ、入社を決意したという

土屋鞄製造所といえば、いわゆる“大人の鞄”のイメージが強いかもしれないが、スタートは子どものためのランドセルだった。

1965年。土屋鞄製造所は東京の下町にあるわずか11坪の小さな工房から始まった。

土屋鞄 ランドセル

当時、職人は創業者の土屋國男さんとたった一人の職人だけ。理想のランドセルを追い求め、
デザインをする人、素材を研究する人と、1人から2人、2人から3人へと、少しずつ仲間を増やしていったとか。そして今では製品の企画から製造、販売まで一貫したものづくりを行うまでになっている。

そもそもランドセルの理想のかたちとはどんなものなのか。土屋鞄が鞄づくりにおいて大切にしていること、そして人気のワケとは‥‥。ランドセルをつくる工程を追うほどに、そうしたことの答えが少しずつ見えてきた。

ランドセルには鞄づくりの粋が詰まっている

ランドセルづくりは素材選びにはじまり、裁断して、小さなパーツをつくっていく。小さなパーツをのりづけやミシンがけによって組み合わせて大きなパーツに仕立てたら、最終的に大きなパーツを一つの立体に組み立てていく‥‥。

と、おおまかに書いたが、綿密にいうと150以上のパーツを使い、300工程を超える手仕事によって成り立っている。

ランドセルを構成するパーツの一部
ランドセルを構成するパーツの一部

しかも、いずれも職人技が必要だ。たとえば素材選び。質の高い、良い状態の革を選ぶことはもちろん、大事なのはその革のクセや個性を見極めることである。

シワや傷、虫さされ跡がないかなどを厳しくチェックして使う部位を決める
シワや傷、虫さされ跡がないかなどを厳しくチェックして使う部位を決める

「どの革を使うのか、革のどの部分を使うのか。人間一人一人の肌の状態が違うように、自然の動物である牛一頭一頭にも個性がありますから。

そのなかで、たとえばランドセルの蓋には丈夫さが求められるので牛の背部分の革を、子どもの背中があたる部分には、柔らかな質感の革を使うというように、パーツごとに使う部位を決めていきます」

ミシンがけも難敵だ。

躊躇なくミシンがけをする職人さん‥‥プロである
躊躇なくミシンがけをする職人さん‥‥プロである

縫うのは真っ直ぐな平面ではなく、微妙なカーブをもつ立体。見ているとダダダダ、ダダ、ダダと緩急をつけながら丁寧に、しかしスピーディーにミシンをかけていく。

場所によって糸の太さも違えば、目の数も違う
場所によって糸の太さも違えば、目の数も違う

「とくに分厚い革が幾重にもなる部分は、歪みが出やすい。はじめは少しの歪みでも工程が進むにつれて次第に大きくなり、完成したときには決定的な歪みになりかねないので、やはり相当の技術が必要です」

はじめは、どこの部分なのか見当のつかなかった小さなパーツが、順序良く組み合わされ、次第に見覚えのある形になっていく。

内側に可愛いイラストが!テキスタイルデザイナーとのコラボ製品も
内側に可愛いイラストが!テキスタイルデザイナーとのコラボ製品も

また、目を釘付けにされたのが最終工程に近い“菊寄せ”という作業。

目打ちを使って細かくひだを寄せていく
目打ちを使って細かくひだを寄せていく

菊寄せとは鞄や財布などのコーナー部分の処理の仕方で、放射状にひだを寄せながら細かく折りたたむ技術のこと。織り込んだひだが菊の花びらのように見えることから、そう呼ばれるとか。

ため息がでるほどに美しい仕立てだ
ため息がでるほどに美しい仕立てだ

補強の意味をもつと同時に、見た目も綺麗な仕上がりに。菊寄せで職人の技量が分かるといわれるほど、繊細な仕事なのである。

心に寄り添う“思い出のうつわ=鞄”

“ランドセルづくりにおいて大事なのは、子どもたちが安心して使い続けることのできる丈夫さと使い心地。そして年月を経ても、愛せる佇まいであること”──。

「これは創業者である土屋がよく言う台詞です。ランドセルとしての機能性はもとより、6年間使い続けるものだからこそ、使うほどに愛着がわくようなものをつくりたい。鞄は“思い出のうつわ”だから、と」

創業より55年。追い求めたのは“丈夫さと美しさを兼ね備えた凜とした佇まい”だ。

そういえば土屋鞄のランドセルは箱型にもかかわらず角張ったイメージがまったくない。どこか丸みをおびたフォルムで、やさしい印象を受ける。

「たとえば、蓋部分の下側にあるラインを見てください。少しだけ山なりにカーブしているのが分かります。もしこれが直線だとしたら、もっと強くて堅い印象になるかもしれません」

ゆるやかで美しい曲線にミシンがけをすることは、とても難しいそうだ
ゆるやかで美しい曲線にミシンがけをすることは、とても難しいそうだ

また色合いに関しても「6年間、子どもたちにきちんと寄り添えるかどうかを考える」という。ベーシックな色だけでなく、ほかにはない微妙な色合いの製品も数多い。

多彩な色を考案。いずれも上品な趣だ
多彩な色を考案。いずれも上品な趣だ

微に入り、細に入り。土屋鞄では150ものパーツ一つ一つ、糸の太さや目幅に至るまで、すべてにおいて考え尽くされ、確かな手仕事によって生み出されているのだ。

「いろいろな鞄がありますが、とくにランドセルづくりは特殊だと言われます」

ちなみに工房はショップの脇にあり、誰でも見学可能。子ども用には低い位置に小窓(三角さんの右下部分)が設置されている
ちなみに工房はショップの脇にあり、誰でも見学可能。子ども用には低い位置に小窓(三角さんの右下部分)が設置されている

「袋状のものであれば裏面にして縫って、また表にひっくり返すことができますが、ランドセルは箱型ですから、より難しい作業を要求されることになる。

しかも、土屋鞄の職人たちは一つひとつ丁寧に、たくさんの数をつくるので、鞄づくりの基礎をきちんと身につけて応用できるようになるのだと思います」

ランドセルを選ぶ時間は家族の大切な時間になっていた
ランドセルを選ぶ時間は家族の大切な時間になっていた

大人鞄でも、大切なことは同じ

そんな土屋鞄製造所が、大人向けの鞄をつくり始めたのは2000年頃のこと。

西新井本店の店内にはたくさんの“大人向けの鞄”が並んでいた
西新井本店の店内にはたくさんの“大人向けの鞄”が並んでいた

当たり前といえば、当たり前の成り行きだろうと思う。

技術があるからこそ、子どもだけでなく、大人にとって大切な“思い出のうつわ”となるような鞄をつくりたい。そう思うことは至極当然のことである。

小学生にとってランドセルがかけがえのない宝物になるように、大人であっても宝物と呼べるような鞄に出会えたなら、それはどれほど幸せなことだろう。

大人ランドセル。日本人のみならず、外国人からも人気だとか
大人ランドセル。日本人のみならず、外国人からも人気だとか

高い技術がある。そして鞄一つひとつには、その人がその人の人生を、その人らしく生きていくことができるようにとの思いが込められている。

だからこそ。

土屋鞄が生み出す大人鞄は人気なのだろう。素直にそう思い、腑に落ちた。

次回は、そんな土屋鞄のものづくりに惚れこんで入社した若手職人の物語を紹介したい。

土屋鞄 ランドセル

<取材協力>

土屋鞄製造所

東京都足立区西新井7-15-5
03-5647-5124 (西新井本店)
https://tsuchiya-kaban.jp
https://www.tsuchiya-randoseru.jp

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、土屋鞄製造所

ランドセルの作り方には、かばん作りの全てがある。人気メーカー大峽製鞄に聞いた、使いやすさの秘密

小学校でおなじみのランドセル。

近年はカラーバリエーションも増え、楽しみの幅も広がりました。

ランドセルの基本的な形は明治時代から100年以上変わっていないのだそう。それは、機能面でも完成されたデザインだったから。

※詳しくは、「ランドセルの歴史は学習院から。老舗メーカーに聞く「箱型・革製」の秘密」をどうぞ。

学習院型ランドセル
初めてランドセルを学校鞄に採用した学習院初等科のランドセル

進化するランドセル

長年、子ども達の学校生活を支えてきたランドセルですが、時代に合わせて変化してきた部分もあります。

前出の50年ほど前のランドセル。錠前ではなくベルト式の開閉でした
50年ほど前のランドセル。開閉部分にベルトが使われていました。現在はより開け閉めしやすい錠前式が一般的になっています

前回、ランドセルの歴史や型について教えてくださった大峽製鞄さん。同社は、ランドセルメーカーの草分けとして、学習院初等科をはじめ、多くの国公私立校の指定ランドセルを手がけてきました。

その大峽製鞄製のランドセルは、年々進化を遂げています。より使いやすく安全なランドセルを研究した結果、ひと目ではわからないところにも多くの工夫が施されました。

オオバランドセルならではの改良と技術のこと、専務の大峽宏造 (おおば こうぞう) さんに伺いました。

専務の大峽さん。まだランドセルが全国に普及していなかった頃から製造に取り組み、学習院初等科をはじめ国公私立校の指定ランドセルを数多く手がけてきた大峽製鞄は、ランドセルづくりの草分け的存在です
専務の大峽さん。大峽製鞄は、皇室の薬箱や有名小学校のランドセルなど手掛けてきた老舗鞄メーカー。これまでに文部大臣賞7回、東京都知事賞11回、通産大臣賞、経済産業大臣賞と数々の賞を受賞。熟練した職人が作り出すランドセルは、高い評価を受けています

より安全に、より軽やかに

「薄暗がりでも車から見えるように、反射材を付けたり、肩ベルトに防犯用具などを取り付けられる金具を付けたりと安全性を高める工夫を加えています。側面には、鋼の細いプレートを1本入れて、軽いまま強度を高めました。上に人が乗ってもつぶれないんですよ。

また販売を続ける中で、小柄だと背中でかばんがグラつくことがあったり、脇腹部分にベルトが食い込んで痛い思いをしたりする子がいると知りました。そこで、ベルトを少しカーブさせて、優しいホールド感でグラつきにくく子どもの体に合う形を研究しました」

体が痛くなく、フィットして背負いやすいようにカーブを加えたベルト
体が痛くなく、フィットして背負いやすいようにカーブを加えたベルト

さらには、背面にクッションを付けて凹凸をつくり、背中にフィットさせ肩にかかる負担を軽減。ムレにくいという利点も生みました
さらには、背面にクッションを付けて凹凸をつくり、背中に沿わせ前かがみにならなくても重心が腰に来るデザインに。肩にかかる負担が減り、より軽く感じるのだそう。凹凸のお陰でムレにくいという利点も生まれました

PCの普及でランドセルのサイズも大きくなった

改良を加える上で、第一に考えることがあるといいます。それは、安全であること。

「近年、PCの普及に伴いA4書類が多くなりました。これに対応して、ランドセルのサイズを大きくする必要が出てきました。以前の大きさだとA4フラットファイルが入らなかったんです。

従来のランドセルは小学一年生の背中に収まるサイズで作られていました。単純に大きくしてしまうと、周りとぶつかったり何かに引っかかりやすくなったり、怪我につながりかねません。

弊社では、背中に当たる部分だけ大きく、フタに向かって幅が従来のサイズに狭まる『台形』にすることを考えつきました。A4のフラットファイルは一番手前に入れて、教科書を順番に並べればこれまで以上にランドセルの中が整頓されます。良いアイデアでした」

台形にすることで、A4ファイルが入りつつ、サイズはコンパクトに
台形にすることでA4ファイルが入りつつ、コンパクトなサイズのままに

ランドセルにはかばん作りの全てがある

より使いやすいランドセルへと進化する過程で、部品点数が増えたといいます。その数200余り。従来のランドセルの倍以上です。

組み立ての手間はかかるものの、小さな部品を数多く組み合わせることで耐久性は高まり、総重量を減らすことにもつながりました。

そんな大峽製鞄では、新しく職人が入ると、まずはランドセルづくりの修行をさせるそう。ランドセルづくりには、材料の選定から加工までかばんづくりの技術すべてが織り込まれているからです。

高い耐久性は、子どもに学びを与える

「ランドセルは子どもたちが初めて手にする本格的な革製品です。小学校の6年間、毎日使い続けるわけですから、『良いモノを大事に使えば長持ちする』ことを子どもたちはきっと学びます。

素材選びの時も、製作の時も、『これは本当に6年間耐えられる品質か?』と常に問いながらやっています」

ランドセルを縫い合わせる様子

同社のランドセルの大きな特徴は、商品により、重要な部分を手縫いしていること。

「ミシン縫いは上糸が下糸を引っ掛ける構造のため、1カ所でも切れるとほつれる場合があります。手縫いは上糸と下糸がそれぞれ別々に交差して穴を通っているため、仮に1カ所切れてしまったとしてもほつれません。また強度が必要な部分は職人が糸を強く締めるなど、細かい配慮で耐久性を高めています」

2本の糸を使った手縫いで仕上げるので、一部が切れたとしてもほどけない
2本の糸を使った手縫いで仕上げるので、一部が切れたとしてもほどけない頑丈なつくりとなる

革の傷も見逃さない

素材選びでは、ベテランの目利きが仕入れた革を入念に確認する作業が行われます。表面の傷や汚れをチェックしたら、裏面も検分。

表から見て美しくても、裏に傷があると加工する工程で思い通りの形にならなかったり、傷みやすかったり粗が出てきてしまうのだそう。傷やへこみ、血管の痕、目が粗いところなどに印をつけておき、重要な部分には使いません。

巨大な牛革から、ランドセルのカブセ (ふだ部分)は2〜3枚程度しか取れません。それほど厳選されているんです
巨大な牛革1枚から、ランドセルのカブセ (ふだ部分) は2〜3枚程度しか取れません。それほど厳選されているんです

革は裏側をチェックすることが重要。穴や傷、血管の痕などがあると美しく仕上がらないので使いません。こちらはお腹の部分。目が粗い
裏面を見せていただきました。革の目は部位によって粗さが異なります。こちらはお腹の部分。目が粗くザラザラとしています

こちらは、背中の部分。お腹に比べて目が細かくなめらかに整っています。強くて美しい部分なので、大事なパーツに使われます
こちらは背中の部分。お腹に比べて目が細かくなめらかに整っています。強くて美しい部分なので、大事なパーツに使われます

世界で注目される「大人のランドセル」

今、海外からもランドセルに注目が集まっています。

独特のフォルムに魅せられてファッションアイテムとして取り入れたり、機能性の高さに注目して日常使いのかばんとして買い求めたり。空港や免税店でお土産として購入する人が増えているそう。

大峽製鞄は、世界にランドセルを広めることにも一役買っていました。

2011年にイタリアのフィレンツェで行われたメンズファッションのトレードフェア「ピッティウォモ」に出展。ピッティは、世界中のファッション関係者が集まり、審査を通過したメーカーだけが出展できるイベントです。

そこで反響が大きかったのがランドセル。多くのメディアで取り上げられました。

この出展を機にイタリアの高級百貨店やセレクトショップにも置かれ、バーニーズ ニューヨークなどの一流バイヤーが商談をもちかけてくるようになったのだそう。

さらに2012年には、毎年ミラノで開催される国際かばん見本市「ミぺル・ザ・バッグショー」の「スタイル・アンド・イノベーション」部門で入賞を果たします。

受賞商品は、大人のランドセルをコンセプトに作られたかばん「リューク」。

東京藝大との産学協同事業で生まれた、大人のランドセル「リューク」
東京藝大との産学協同事業で生まれた「リューク」。「ミペル・ザ・バッグショー」では、約600の出展社の中から入賞

「嬉しかったですね。革製品でヨーロッパに出て、評価されるのだろうかと不安がありましたから。自動車や家電で日本は有名ですが、革製品は輸出の対象にはならないと思っていました。ヨーロッパには高い技術と歴史があります。その場所でランドセルを通じて磨いた技術が認められたことは、大きな自信につながりました」

専務の大峽さん

「エルメスのデザイナーや、セリーヌのマネージャーなどは自分用に買ってくれました。彼らの多くは自転車通勤。背負うこともできて、肩にかけてもカジュアルになりすぎないおしゃれなランドセルが相当気に入ったようです」

ファッションショーで披露された大人のランドセル「リューク」

子供たちのために生まれたランドセル。改めて眺めてみると、やはりかっこいい。

考え抜かれた形と製作技術が、子どもの小学生活を支え、さらには大人をも魅了しています。

<取材協力>
大峽製鞄株式会社
東京都足立区千住4-2-2
03-3881-1192
https://www.ohbacorp.com/

文・写真:小俣荘子
画像提供:大峽製鞄株式会社

*こちらは、2019年4月25日の記事を再編集して公開いたしました。

 

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ミニランドセルで傷もそのまま、思い出を残す。革職人 寺岡孝子さん「1日1個」のものづくり

ミニチュアランドセルをつくって20年

「キズはそのまま残してください」

卒業式の季節。ある革職人の元に、こんな要望とともに日本全国からランドセルが押し寄せる。

ランドセルには、リクエストの書かれた手紙が添えられる
ランドセルには、リクエストの書かれた手紙が添えられる

「飼っていたワンちゃんの噛み跡がついている部分を残してほしいというリクエストをもらったこともあります。人それぞれ、いろんな思い入れがありますよね」

そう話すのは、寺岡孝子さん。役割を終えたランドセルをミニサイズに作り変える仕事を20年近く続けている。

寺岡孝子さん

ミニランドセル
約1/4サイズに生まれ変わったランドセル

「魔法の」ミニランドセル

寺岡さんが作るミニランドセルは、1日に1個。

ミニランドセルづくりは、カブセと呼ばれるフタ部分から全パーツを切り出して作ることが一般的。素早くきれいなミニサイズが作りやすいからだ。

しかし彼女は、ランドセルをいったん全て解体し、可能な限り元と同じ場所からパーツを裁断して組み上げる。時間はかかるが、元々あったキズ、汚れ、オリジナルのデザインが残る本物をそのまま「魔法で小さくしたようなランドセル」ができ上がるのだ。

糸の色が2つとも違う。それぞれ元の色に近い糸を使って仕上げている
黒のランドセルは赤い糸、ピンクのランドセルは薄ピンクの糸。元々使われていたものに近づけるため、色糸も使い分ける

内側の柄も、元のまま
内側の柄も、そのままに

思い出をギューッと詰め込んで

「ミニランドセルづくりは、とにかく細かいパーツが多く、手間がかかる仕事なんです。だけど、工程をシンプルにした画一的なミニチュアは私には物足りなくて。元々ランドセルが好きだったこともあり、思い出の部分をギューッとそのまま残せるようにと工夫していたらこんな風になっていました。

以前勤めていた工房では社長に『よくこんなに面倒くさいことができるね』 と驚かれましたが、褒め言葉だと思っています。

プロが見ると効率の悪さに呆れる、誰もマネしない仕様です (笑) 」

鞄作りの修行中にミニランドセルに出会った寺岡さん。まず可愛らしさに惹かれ、その一つひとつに固有の思い出があることに気づき、ますます夢中になった。

そして、ミニランドセルづくりを追求したいと自身の工房を立ち上げた。通常の鞄作りを続けながら、年間200個ほどのミニランドセルを一人で手がけている。

製作したランドセルの記録ノート。受付時に、依頼主のリクエストを細かく確認している。「思い出の詰まった長いお手紙をいただくこともあります」と寺岡さん
製作したランドセルの記録ノート。持ち主の希望や、構造上の可否を説明したことなどが詳細に書きつけられていた。「最初の対話にしっかりと時間をかけます。思い出の詰まった長いお手紙をいただくこともあります」

ミニランドセルの作り方

まる1日かけて作り上げるミニランドセル。その様子を覗かせてもらった。

この日、手がけていたのはこちらのランドセル
この日、手がけるランドセル。キズとハートマークを残して欲しいというオーダー

名札入れの部分もハートマークにくり抜かれている可愛らしいデザインだった
名札入れの部分もハート型にくり抜かれている可愛らしいデザインに、顔をほころばせる寺岡さん

可能な限り、元の素材を残す

まずは、ランドセルのパーツを切り出す工程。カッターやキッチンバサミなど、革加工用の道具にこだわらず使い勝手の良いものを活用しているそう。

まずは、ランドセルをパーツごとに解体していく

ランドセルは6年間壊れず使えるようしっかりと作られている。それを切り分けていくのはかなりの力仕事。カッターの刃は作業の途中で何度も交換されていた。

「フタを開けて覗いた時の景色も同じだったら嬉しいですよね」と、底板も分解して残す
「開けた時の景色が以前と同じだったら嬉しいですよね」と、底板も分解して残す

糸を切ることで、革に開けられた糸穴を残しておく。この穴を生かして、最後に手縫いで仕上げると元の雰囲気を残せるのだそう
糸を切ることで、革に開けられた糸穴を残しておく。この穴を生かして、最後に手縫いで仕上げると元の雰囲気を出せるという

作業していると、中から出てきた鉛筆の芯や削りくずで寺岡さんの手が真っ黒に。

「猫の毛が入っていたこともありましたよ」

使い込まれたランドセルならではの光景だ。

よりオリジナルに近づける工夫

残して欲しいとリクエストのあった、側面のハートマーク
残して欲しいとリクエストのあった、側面のハートマーク

「以前は、両サイドに柄があったら片方しか残せなかったんです。ミニサイズになる分、側面の革を短くする必要があるので。

でもある時、底面の革を削って、両サイドの革を繋げばできるなぁと思いついて。それ以来、左右とも元のデザインを残せるようになりました」と寺岡さんは嬉しそうだ。

両サイドの柄が残るように、底面を切り落とし長さを短くして繋げた
両サイドの柄が残るよう底面を切り落とし、長さを短くして繋げた。革を扱う職人だからこその技が光る

もちろん、内側の柄もそのまま残るように貼り合わせます
内側の柄も、当然そのまま残るように貼り合わせる徹底ぶり

見えないところも、そのままに

寺岡さんの再現は、見えるところだけにとどまらない。ポケットの内側のパーツや、サイズ合わせのために短くしたファスナーの留め金なども手をかけて取り外して付け直す。

ランドセルに施された刺繍、さらにはポケットの中についていたラベルまで切り出します。ラベル!!
ランドセルに施された刺繍、さらにはポケットの中についていたラベルまで切り出す。ラ、ラベルまで!!

「ここまでくると自己満足かもしれません。でも、ふとした時に気づいてもらえたら喜んでくれるかなと思って」

こちらは、フタについた金具。左右の位置が同じになるよう、解体したら髪に貼り付けておくのだそう
取り外したカシメ (フタについた金具) は、左右を元の通り取り付けられるよう紙に貼り付けて保存しておくのだそう

こうしてそれぞれの場所からパーツを切り出すことで、フタの部分がそのまま残る。これが、正面の印象を元のままにすることにも一役買っている。

フタの部分は金型を使って切り出す。この位置で切り出すと、正面の糸目がそのまま生かせるのだそう
フタの部分は金型を使って切り出す。この位置で切り出すと、正面の糸目がそのまま生かせるのだそう

もちろん、時間割ポケットもそのままに
もちろん、時間割ポケットもそのままに

手縫いが仕上がりの印象を決める

全パーツを切り出したところで縫い合わせの工程へ。

ミシンで縫い合わせる準備

オリジナルに近づけるために、ミシン糸も元の色に近いものを選ぶ。

オリジナルに近づけるために、糸の色もより近いものを選ぶ。「同じ赤でも結構違うものなんです」と寺岡さん
色糸サンプルから近しい色を探す。例えば、同じ赤でも色味は様々

ポケットの内側に縫い合わされ、無事に元の位置に戻るラベル
ポケット内側の縫い合わせ。ラベルも無事に元の位置へ

だんだんと元の形に「戻って」きた
縁 (へり) も角の位置を合わせて縫い合わせる。だんだんと元の形に「戻って」きた

仕上げは、手縫い。ロウをつけた2本の太い糸を、革にあいた糸穴に通していく。本来、この縫い方は強度を増すためのもの。まるで本物のランドセルづくりのよう。

「こうすると雰囲気が出てより可愛くなるんです」という
「こうするとよりランドセルらしさが出るんです」と手縫いでランドセルを仕上げる寺岡さん

最後にベルトを取り付けてやっとできあがる。

ついに完成!

底板も収まり、元の景色を取り戻したミニランドセル
底板も収まり、元の景色を取り戻したミニランドセル

力仕事に始まり、細部にまで元の面影を残したミニランドセルが完成した。

ご依頼はお早めに

寺岡さんの元に届くランドセルは、卒業式直後のものだけではないそう。

「引越しやリフォームなどで家の大掃除をした時に、しまい込んでいたランドセルを見つけた方からの依頼もあります。ただ、年数が経っていると革の劣化が進んでいて、加工に耐えない状態のものもあります。早めに依頼いただけるとできることも増えるのでおすすめです」

この日製作されたランドセルは、側面の柄がセンターに来るよう、左右の幅を調整して革を折り曲げた。こうした加工ができるのは革がまだ古くなっていなかったから
この日製作されたランドセルは、側面の柄がセンターになるよう、左右の幅を調整して革を折り曲げた。こうした加工ができるのは革がまだ古くなっていなかったから

しまい込まないランドセル

小学校卒業とともに使わなくなるものの、捨てるには忍びない。そんな思いから、どこかに仕舞い込まれてしまうことの多いランドセル。

寺岡さんの手によって生まれ変わったミニランドセルは、その後どうしているのだろうか。

「『リビングに飾っている』なんて、嬉しいお声をいただきます。小さくて可愛いので、インテリアになるようです。

上のお子さんのミニランドセルを見て、自分のも早く小さくしたいと言う卒業前の妹さんがいたり、中学校のバックも加工してほしいというリクエストをいただいたりしています」

通学鞄としての役割を終えたランドセル。寺岡さんの「魔法」で、思い出を残す新たな出番が始まっている。

<取材協力>
梅田皮革工芸
東京都荒川区南千住3-40-10-314
03-3801-4685
http://www.hakodateume.com/

文・写真:小俣荘子

 

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*こちらは、2019年3月25日の記事を再編集して公開いたしました。

スルッと洗いやすい弁当箱。秘密は老舗メーカーが極めた漆器の技術にあり

加賀「たつみや」が手がけた「ごはん粒のつきにくい弁当箱」に見るお弁当箱の進化

みなさんは普段、どんな弁当箱を使っていますか?

プラスチック、アルミ、竹、木、琺瑯……カラフルでデザインもさまざまですが、素材によって長所や短所はあるものです。

例えば、プラスチック製は手軽だけど少し安っぽい感じがしてしまうし、木や竹製はごはんが美味しそうに見えるけど、密閉できないので汁こぼれしやすい。アルミ製は丈夫だけどごはん粒がくっつきやすいしレンジにかけられない、琺瑯は清潔感があるけど重い……。

そんな悩みを解消するお弁当箱が、今年ある産地からデビューしました。

なんでも、ごはん粒がつきにくく、汚れが落ちやすく、軽くて耐久性も高いとのこと。しかもレンジや食洗機もOK。

そんな優秀なお弁当箱、本当にあるのでしょうか?手がけたメーカーさんにお邪魔して、その秘密を教えてもらいました。

漆器の産地に生まれた弁当箱メーカーの老舗「たつみや」

やってきたのは石川県加賀市の山中温泉地区。安土桃山時代から400年以上の歴史を持つ「山中漆器」の産地です。

訪ねたのは昭和20年創業の老舗弁当箱メーカー「たつみや」さん。

たつみやのショールーム
たつみやのショールームには数々のお弁当箱が。テンションが上がります!

もともと漆器業として開業した たつみや(当時はタツミ商会)ですが、創業のきっかけは弁当箱の製造を依頼されたことだったそう。

当時は戦時中。金属資源を集めるためアルミの弁当箱まで回収されていた時代で、アルミの代替品となる木製の弁当箱をつくる仕事が舞い込んだのです。しかしほどなくして終戦を迎えたため、その時は弁当箱を製造することはなかったそうですが、創業から45年経って、再び弁当箱の製造をはじめることになります。

そんなたつみやさんが新たに開発したのが「ごはん粒のつきにくい弁当箱」。

中川政七商店が企画・デザインし、漆器産地の技術を生かして実現しました。

「ごはん粒のつきにくい弁当箱」 / 2,800円(税抜)
中川政七商店のお弁当箱 くっつきにくい
朱・薄墨・紺の3色

ムラなく同じ色を再現する塗りの技術

「ごはん粒のつきにくい弁当箱」の塗りを担当しているのは三嶋忍さん。

三嶋さんは、自動車の塗装から漆器の塗師に転身した異色の経歴の持ち主

工房に入ると、まさに紺色の弁当箱を塗っている最中。合成樹脂で作られた黒い素地にウレタン塗装を施していきます。

塗装

1分もかからないうちに底や側面もあっという間に紺色に。

塗装2

一見、ただ全体を塗っているだけのように見えるかもしれませんが、実は塗りはとても神経を使う作業なのです。

例えば、こちらの2枚の蓋。奥の方がほんの少しだけ色が濃いのがわかるでしょうか。

蓋の違い

「塗料は時間が経つと微妙に色が変化するんです。気温や湿度によって変化の具合が異なるため、毎日のコンディションを見極めることが大切。色の変化を予測しながら塗り具合を調整しています」と三嶋さん。

また、四角い形状は丸型と違い一定の厚みで塗るのが難しく、機械で塗ったとしても色ムラが出来やすくなります。手作業ですべて同じ色を再現するのは、かなりの経験と技術が必要なのです。

色によっても塗料の成分が異なる
色によっても塗料の成分が異なるため、塗り方を微妙に変えているのだとか

そして、外側以上にムラなく塗るのが難しいと言われている弁当箱の内側。こちらは粒子が細かい特殊素材を使うことにより、ごはん粒がつきにくく、汚れが落としやすい効果を加えています。

ごはん粒がつかない弁当箱

シンプルな弁当箱だからこそ、ごまかしがきかない。漆器の産地だからこそできる、高い技術を目の当たりにしました。

洗いやすさや使い勝手を試してみた記事はこちら:洗いやすく持ち運びに便利!お弁当好きが中川政七商店「ごはん粒のつきにくい弁当箱」を使ってみました

景気が悪くなるとお弁当がブームになる!?

「お弁当は景気が悪くなるとブームになるんですよ」と教えてくださったのは、たつみや代表取締役の齊官慶一さん。

たつみやの齊官慶一さん
齊官慶一さん

戦後は漆塗りの茶托や菓子鉢などを製造していたたつみや。昭和30年代からはプラスチック(合成樹脂)の素地にウレタン塗装を施した合成漆器が山中漆器の産地でもつくられるようになっていきます。

たつみやが弁当箱の製造に乗り出したのは、バブル崩壊後の1990年のこと。世の中が不況になったことで、外食よりもお弁当が見直されるようになり、弁当箱の需要が増えていきました。

「当時はまだアルミ製のドカ弁のような弁当箱が主流でしたが、たつみやでは幅広い年代の方に使ってもらえるよう色やデザインにもこだわったさまざまな種類の弁当箱を企画してきました」と語るのは、同じくたつみや常務取締役の齊官篤志さん。

たつみや 齊官篤志さん
「多品種小ロットで、お昼休みが楽しくなるような弁当箱を企画しています」と齊官篤志さん

よく見かける二段型の弁当箱は、実はたつみやが日本ではじめてつくったものだそう。驚きです!

現在も定番商品として人気のある「あじろシリーズ」

その後、2008年のリーマンショックの影響で再び世界的な不況に。お弁当はこの時も人気となり、そのブームは海外にまで浸透していきます。

こけし型や武将モチーフの弁当箱は海外でも大人気
たつみやショールーム2

今では400種類以上の弁当箱を展開しているたつみや。デザインや色のバリエーションは増えていますが、先ほどご紹介した塗りに加え、装飾を施す蒔絵など、すべての弁当箱に漆器の技術が取り入れられています。

蒔絵
蒔絵もすべて手作業。多彩な表現が可能です
仕上がった製品を一つずつ念入りに検品

さらに漆器だけでなく、同じ石川県の繊維産地でつくられた素材でお弁当バンドやふろしきをつくるなど、地域内でのコラボレーションも進んでいます。

たつみやのお弁当箱

漆器のような風合いを持ち、繊細な技術が活かされた「ごはん粒がつきにくい弁当箱」は、いろんな素材の長所を取り入れた画期的な製品。

実現できたのは、漆器産地ならではの高い技術があったことに加え、たつみやがこれまで新しい弁当箱に挑戦しつづけてきたノウハウがあるからこそ。

日本が誇るお弁当文化は、時代によってかたちを変えながらも、お弁当箱とともに進化していくのかもしれません。

中川政七商店とたつみやが作ったお弁当箱

<掲載商品>

中川政七商店のお弁当箱

ごはん粒のつきにくい弁当箱 朱/薄墨/紺(中川政七商店)

<取材協力>
株式会社たつみや
石川県加賀市別所町漆器団地12-4
https://hakoya.co.jp

文:石原藍
写真:前田龍央、一部 たつみや、石原藍

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こちらは、2019年3月7日の記事を再編集して掲載しました。日本が誇るお弁当文化、大事にしたいですね。


<掲載商品>

「油汚れも落ちやすい」ごはん粒のつきにくい弁当箱
「油汚れも落ちやすい」ごはん粒のつきにくい弁当箱 大