こんにちは。ライターの石原藍です。
福井県越前市は越前和紙、越前打刃物、越前箪笥などさまざまなものづくりが集積している国内でも珍しい地域です。今回は2回にわけて、海外から注目を集めている越前発のものづくりに注目。後編は世界のアーティストからも全幅の信頼を寄せられている、「和紙ソムリエ」をご紹介します。
140年以上の歴史を持つ紙問屋
越前和紙の産地である越前市の今立エリア。先日、そのまち歩きの楽しさをご紹介しましたが、歩いていると和紙業者が軒を連ねるなかで、大きな蔵のある重厚な日本家屋がひときわ目を引きます。今回お邪魔する「杉原商店」です。
少し緊張しながら戸を開けると、出て来てくださったのは、和紙ソムリエとして日々国内外を飛び回っている杉原吉直さん。
同じ敷地内にある大正時代に建てられたご自宅に案内していただき、どうぞと促された客間には墨と筆が用意されていました。はじめて杉原商店を訪れた人には記念に名前を書いてもらっているのだとか。
杉原商店は明治4(1871)年から続く紙の問屋さん。それ以前は江戸時代の中頃から職人として紙を漉いていたと言います。当時は紙の売買を取り仕切る「紙座」という組合があり、一般の人は気軽に紙を売ることができなかったそう。明治時代になり紙座自体がなくなったことから、杉原家は紙の問屋として歩み始めることになりました。
越前和紙の品質はすでに江戸時代以前から高く評価されており、公家や武家が使う奉書紙として使われていました。明治時代以降も紙幣や公用紙として使われることが多く、なんと杉原商店には天皇即位の礼に使用される和紙を宮内庁に納めた記録も残っています。
越前和紙が世界で有名になった日
ピカソやレンブラントなど、世界の名だたる画家も使っていたと言われている越前和紙。近年再び世界で注目されるようになったきっかけは、2002年に開催されたIPEC(アイペック)というインテリアの展示会でした。
「今でこそ和紙ソムリエと言われることもありますが、昔は問屋が表に出ることはなかったんです。例えばサンプル帳に『杉原商店』と名前が書いてあるだけでもお客様からお叱りを受けるくらいでしたから。あくまで流通の仕組みのなかで和紙を卸していたのですが、ある時知人から和紙をインテリアに使ってみては、と展示会への出展を勧められました」
もともと襖紙のような大きな越前和紙も扱っていた杉原さん。しかし、ただ襖として使うのではなく、よりデザイン性の高いインテリアとして装飾すれば、これまでにない新しい和紙の使い方ができるかもしれない、と考えたそうです。
空間のなかで和紙の良さを表現するためにはどうすればいいか。ライトアップなども工夫し、和紙独特の風合いを出すことにこだわった展示会は、大きな反響を呼びました。また、展示会をきっかけに今まで出会うことのなかった分野の人たちとのつながりも生まれました。
「IPECの後にはフランスの展示会にも出させていただき、現地に住むデザイナーとの出会いにも恵まれました。そこから、海外のレストランやホテル、ギャラリーのインテリアに越前和紙を使っていただく機会も増えていきましたね」
周りの反響を受け、和紙の新たな可能性を確信した杉原さん。
その後もヨーロッパやアメリカを訪れるなかで日本を代表する和紙ソムリエとして知られるようになり、今では海外のアーティストからも「和紙のことなら杉原商店」と厚い信頼を寄せられています。
20年経って評価された漆和紙(うるわし)
杉原商店が扱う和紙のなかでも、特に印象的なものが「漆和紙」。
その名前の通り和紙に漆を塗ったもので、和紙の手触りを残しながらも漆の発色と強度が独特な風合いを生み出しています。
越前和紙の産地のすぐ近くには越前漆器の産地があったことから、杉原さんは漆器職人との交流もありました。試しに漆を和紙に塗ってほしい、と職人に依頼したものの、出来上がったものを見たら色が濃くてザラザラ。どんな用途に使ったらいいのかも思い浮かばず、「あぁ、これは失敗したな」と当時は思ったそうです。
しかし、それから20年ほど経ったある時、福井を訪れていた東京の百貨店バイヤーにさまざまな種類の和紙を見せていたところ、漆和紙の質感が素晴らしいと大絶賛。杉原さんにとっては想定外の出来事でしたが、2001年には福井のデザイン大賞も受賞し、漆和紙の知名度は一気に高まりました。
「正直言うと、初めて漆和紙を見たときにはたいして良いものだとは思えなかったんです。時代が変わったのか、私たちの感覚が変わったのか、時間が経つことでその良さが評価されることもあるのか、と驚きましたね」
その後も海外のデザイナーとコラボし、文具やテーブルマットなど漆和紙を使ったプロダクトは続々と誕生しています。
紙漉きの神様が産地を一つにする
越前和紙の良さとは何なのでしょうか?杉原さんにたずねてみました。
「越前和紙はほかの産地に比べて規模も大きく、職人も多いので、生産する力がある。しかも問屋もメーカーも仲がいいんです。これはきっとこの地に紙漉きの神様がいることが大きいと思うんですよね」
越前和紙には昔から伝わる『紙漉きの歌』というものがあり、職人さんは今も紙を漉きながら歌うそうです。
1.五箇に生まれて紙漉き習うて、横座弁慶で人廻す。
2.神の授けをそのまま継いで、親も子も漉く孫も漉く。
3.七つ八つから紙漉き習うて、ネリの合い加減まだ知らぬ。
4.お殿様でも将軍様も、五箇の奉書の手にかかる。
5.川上さまから習うた仕事、何でちゃかぽか変えらりょか。
6.清き心で清水で漉いて、干した奉書の色白さ。
7.辛抱しなされ辛抱が金じゃ、辛抱する木に金が成る。
8.仕舞え仕舞えと日ぐらしゃ鳴けど、しまい仕事でしまわれぬ。〜「紙漉きの唄」より〜
『この紙はお殿様も使っているんだぞ』と歌詞にもあるように、職人それぞれが誇りを持ちながら漉いている越前和紙。職人同士の堅い結束を守りながらも、切磋琢磨する風土が昔から根づいているようです。
世界に出る産地から“世界を呼ぶ産地”へ
現在、杉原さんは新しい取り組みとして、敷地内の蔵を改装し、和紙の新しい用途を発信するギャラリーをつくろうとしています。
「越前和紙が国内外から注目されるようになり、産地でも海外から来られた方の姿をちらほらと見かけることが増えてきました。神社にお参りし、紙を漉く現場を見ていただき、越前和紙の使い方を紹介する場が必要だと思ったんです」
越前和紙の魅力を世界に発信するべく、さまざまな取り組みを仕掛ける杉原さんですが、その一方でこんなことも語ってくださいました。
「うちで扱う和紙はたくさんの種類がありますが、私自身はできるだけ和紙に特別な思い入れを持たないようにしているんです。思い入れが強い和紙があると先入観が入り、お客様にとってベストな提案ができないかもしれない。用途、価格、納期などすべてを俯瞰して分析し、フラットな立場で和紙をセレクトする、それこそが和紙ソムリエの役割だと思っています」
和紙の可能性を引き出し、世界中の人に和紙を使ってもらいたい。その想いを胸に、杉原さんの挑戦はこれからも続いていきます。
<取材協力>
杉原商店
越前市不老町17-2
0778-42-0032
文:石原藍
写真:石原藍、杉原商店(一部)