三十の手習い「茶道編」一、今日から変わる、きれいなお辞儀の仕方

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お茶の作法も、知っておきたいと思いつつ、過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、すっかり忘却の彼方。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第1弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。今回は初日のお稽古レポート、その後編です。

前編はこちら

◇今日から変わる、きれいなお辞儀の仕方

今日は好きなように飲んでみてください、とお茶を一服いただき、一同少しくつろいだところで、「礼」の稽古が始まりました。

「礼の始まりは、きれいに座ること、きれいに立つことです。

立礼でも座礼でもルールは全部一緒です。背筋を伸ばしてきちんとお辞儀をする。その、頭がボトムラインに達した時に、一拍止めるときれいなお辞儀になります。

この時、互いの頭を上げ下げするタイミングが揃っている方が気持ちいい。揃えたかったら、お辞儀をする前に相手の顔を一瞬パッとみることです。そうすれば、必ず揃います」

では、やってみましょう、とまず座礼の基本姿勢から習います。

「男性は正座したら、膝と膝の間に拳二つ分くらい空ける。女性は一つ分。丹田に力を入れて、顎を引いて、1度大きく息を吸って、静かに長く吐いてください。

気息(きそく)を整えて、ことにあたる、ということが大事なんですね。

大きな木を抱えるように体の前で手で丸を作って、そのまますっとおろしてきます。
手の甲を上に向けて、太ももの上に乗せる。
何をするにもこの動作からやっていきます」

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「この状態で、礼。
たとえ深々としていなくても、背筋が伸びていて、ほどよい角度で一旦止めることが大切です」

次は、席を立つ時の所作。

「立ち上がる時はつま先立ちをして、かかとの上にお尻を載せる。その時背筋がまっすぐに伸びていること。

これができない時は、足がいうことを聞いていない時なので、絶対に立ってはダメです。逆にどんなにビリビリきていても、この姿勢になれるなら、足がいうことを聞いているので大丈夫。この状態で膝をすっと浮かせて、立ち上がります」

本当に、このやり方だと着物でも無理なく立ち上がれます。

「背筋は自分が思っているほどまっすぐに伸びていません。背中が弓なりになっているくらいのつもりで立ってみて、肩をグッと後ろに落として下げる。これでやっとまっすぐです」

一通り実践してみた後で宗慎さんの語られた言葉が、とても力強く、心に刻まれました。

「手に入れた知識、教養こそ財産です。これは他人が絶対に奪うことのできないものです。

1回聞いて知った話は、なかったことにはできない。後天的に訓練してきれいになるとわかったら、相手のお辞儀をチェックする人生が始まるんです。

だから、勉強しておかないと駄目なんです。口に出さないだけで、自分は知らないけれど相手が知っていることがたくさんあると思ったら、恐ろしいですよ」

これからはお辞儀はきれいでないといけない、というファクターの加わった人生になるんです、とニッコリ語られる宗慎さんの言葉に、座にはさぁどうしよう、という笑いが起こりました。

◇ものを選ぶこと、選ばれるものを作ること

「お茶って一つには、物を選ぶということだと思うんです」

話題は礼から、道具のお話へ。

「たいそうなものを選ぶのではなく、身の回りにある小さなものを、おざなりにせずに選んでいく、その作業が大事です。作り手にすれば、選んでもらえるものを作ろう、ということですね」

そうして、大切にされている扇子と黒文字楊枝を見せていただきました。

広げた姿に、すでに緊張感があるでしょう、と開いてくださった扇子は、艶やかな漆塗りの親骨に純銀の要。数年寝かせてから貼られたという和紙の扇面は、閉じるとパチンと小気味良い音がします。

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一般的なものより長さのある黒文字楊枝は、なんと象牙製。ずっしりと重みがあります。

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「これからものの美しさを習うというのに、初心者だからとお店の人が安いものを勧めるのは間違いです。自分のお小遣いで買える最高のものを買おうという気構えが、買う側も売る側も大事なんです」

◇気がある人になる

2服目をいただいて、そろそろお稽古も終盤。稽古中に繰り返し宗慎さんが語られたのが、「気がある」という言葉でした。

「世の中で一番大事なのは、気があることです。
気を持って『こういうものをわかるようになりたいな』と我勝ちに、自分の方から間合いを縮めようとさえ思えば、あっという間に縮まりますよ。

練習とは言わないということも大事なところです。練習でなく、稽古です。

古事記の冒頭に、なんでこういう歴史書を作るのか、が語られます。そこに出てくる言葉が、「稽古照今」。稽古の稽という字は、考えるとか、思い致すという意味です。つまり、古を考えて今を照らすということ。

人間のやることに大差はないのだ、だから、かつての人々のやってきた事に思いを致し、今の我々がやっていこうとしていることを照らす、ということです。

ですから、練習という言葉よりも稽古という言葉の方が僕は好きです」

言葉のひとつひとつにも、気を持って。

「大層だと思っていたことは実際そうでもなくて、逆に、そうでもないと思っていたことが、大したことだったと気づくことの方が多いんです。扇の1本、茶巾の1枚を選ぶことが、いかに難しいか。それに気づくことが大切です。

自分が正しいと思っていたら永遠に変わらないですよ。気がある人になっていきましょうということです。

―では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

習いたての礼で第1回目のお稽古が終了。ゆっくりと上げた頭に、きれいに立つ、座るということを、やっておいてください、と宗慎さんの言葉が染み込んでいきました。

◇本日のおさらい

一、何事にも気息を整えてことにあたる

一、礼は頭を上げる前に一拍止める。相手と呼吸を合わせて

一、身の回りの道具一つひとつ、おざなりにせず自分で選んで大事にする

前編はこちら


文:尾島可奈子
写真:庄司賢吾
衣装・着付協力:大塚呉服店

愛しの純喫茶 〜鎌倉編〜 イワタ珈琲店

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。第1回目はたくさんのカフェがある駅前でもひときわ目立つ老舗、鎌倉のイワタ珈琲店です。

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鎌倉駅東口を出てすぐのにぎやかな小町通り、可愛らしい食品サンプルにレトロなタイポグラフィで「イワタ珈琲店」のサイン。これは名店の予感しかしないと迷わず店内へ入ると、そこは分厚いホットケーキが評判の有名店でした。満席の店内の中、入ってすぐに人数とホットケーキの注文があるかどうか聞かれます。聞けば焼くのに20分ほどかかるとのこと。何の前知識もなく、ランチを食べたばかりでおなかはいっぱいだったけれど、好奇心には勝てずホットケーキとコーヒーをオーダーしました。

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開店前の様子。10時のオープン後は常連さんと観光客の方々で賑わいます。

創業71年の風格はありながら、きれいに手入れされた店内は清潔で、品が良い。その秘密を、3代目店主の岩田亜里紗さんにうかがいました。お店は、形あるものは、どうしても朽ちてしまう。でもお店は変わらないでほしいという昔からのお客さんからの声を受けて、ソファをデザインそのままに復刻したり、テラスを建て替える時になるべく以前の雰囲気を残したりと隠れた努力をしているそうです。昭和23年から働いているスタッフと家族同然に働き、常連さんを大切にする店主の気持ちがお店のひとつひとつを形づくっていました。

そうこうしているうちに、念願のホットケーキが運ばれてきます。60年ほど前から看板メニューのホットケーキは、銅板の上、当時から変わらぬレシピでじっくり焼くこと20分。熱々のホットケーキに大きなバターとたっぷりのシロップをかけて、いただきます。

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ホットケーキばかりに目がいってしまいがちですが、コーヒーは横浜のキャラバンコーヒーによるイワタ珈琲オリジナルブレンド。期待通りの苦味とコクです。

ショーケースに並ぶケーキも懐かしい味でおいしい。
ショーケースに並ぶケーキも懐かしい味でおいしい。

ついさっきランチを食べたことも忘れ、分厚い2枚のホットケーキをペロリ。変わらないために変わっていく老舗の味は、おなかのキャパシティなんてものともしないのでした。


イワタ珈琲店
鎌倉市小町1-5-7
0467-22-2689

文・写真:井上麻那巳

「工芸と歴史」松岡正剛と中川政七が語る工芸の変遷

2016年に創業三百周年を迎えた株式会社中川政七商店。その十三代当主である中川政七と、各界を代表するゲストが互いの専門分野をクロスさせて語らう対談企画。

第1回のテーマは「工芸と歴史」。”知の巨人”として名高い日本文化研究の第一人者、松岡正剛氏をゲストに迎えます。事前に寄せて頂いたコメント冒頭の一文は、「今、工芸の半分が、死んでいる」。いきなり核心に迫る幕開けです。

(以下、松岡正剛氏発言は「松岡:」、中川政七発言は「中川:」と表記)

バックミラーで歴史を映す

中川:今年、中川政七商店は三百周年を迎えたのですが、様々な角度から工芸を捉え直してみたいと考えました。そこで、各界で活躍されている方と対談をして知見を深めていこうというのが、今回の企画の主旨です。

第1回は、未来を考えるにはまず過去を知らなければいうことで、工芸×歴史をテーマに選びました。工芸も含めた日本の文化の変遷を紐解くなら、この方以外にはまず考えられないだろうと思います、記念すべきお一人目のゲストは“知の巨人”、松岡正剛さんです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

松岡:今日はよろしくお願いします。三百周年、おめでとうございます。

中川:ありがとうございます。実は正剛さんとお会いするのはこれが初めてではないんですね。そもそも三百周年を機に、社史をちゃんと整えようと思ったのですが、自社の資料がたいして残ってないので、どうせならもうちょっと広げて工芸の歴史全体を読み解きたいなと思ったのです。

ちょうどその時に松岡さんの『情報の歴史』(NTT出版)がイメージに浮かんで、松岡さんをたずねました。最初にお会いした時に松岡さんが言われた「歴史というものは未来を作るためにある」という言葉が、いまでも印象に残ってます。

情報の歴史 対談
対談のきっかけとなった『情報の歴史』(NTT出版)

松岡:最初に中川さんと交わした時の歴史と未来というのは、「バックミラーで歴史を映しながら前へ進む」ということです。そのバックミラーは一個である必要はない。いくつものフィルターやミラーで歴史をセレクトするのがいい。歴史を選定して前へ持って行くということです。その装置さえあればどんな未来へも進めます。その場に応じたものに歴史を持ってくることができるのは、未来が先行しているからです。

中川さん独特のセレクト感覚のもとで、立体的で不思議なバックミラーが作れれば面白いなというのが、僕が最初にあなたと会った時の「歴史は未来」と言った意味なんです。

中川:なるほど、今伺うと、よりはっきりとわかります。

松岡:そもそも中川さんが自分の会社の「のれん」に歴史を感じたのはいつ頃からなんですか。ビジネスコンサルティングという手法とシナリオと戦略を持って工芸の業界に入って、それが元々の家業とも重なっているわけだから、とてもユニークなケースだと思います。変なニュータイプ。「のれん」にこだわりがあるような、ないような。必然性があるような、ないような、ね。どの辺からそういうことをした方がいいと思い始めたんですか。

中川:変なニュータイプですか(笑)。工芸メーカーへのコンサルに関して言うと、何か戦略性が先にあったわけではなく、もう必要に迫られてなんですね。この仕事に入った頃、世の中ではファストファッションがどーんときている時で、要はたくさん作ることで安く作れる。それもあるかなと思ったのですが、こと工芸に関していうと、1000個作るから安くしてって言いに行ったらそもそも断られる。「いや、うち1000個も作られへん」って。

対談 中川政七商店

松岡:なるほど、工芸の特殊性に気づいたわけだね。小さなロットの注文生産だからね。

中川:1000個作るために100個作れるところを10軒探すのはすごく大変です。そして毎年のように廃業の挨拶に2、3軒来られる。このままいくとまずいなと思いました。それで、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げました。元気にするには彼らが自活していく道を考えなきゃいけない。そうすると経営に直接手を入れるしかないって思ってやり始めたんです。戦略的にというよりは、生きるためにスタートしたんです。

松岡:工芸や民芸を支える文化や基盤が今の日本にしっかりあるかっていうと、無いと思います。例えば、言葉の歴史を見てみるとよく分かります。言葉は当初、非常に意味が多様なんです。「自由」という言葉でいうと、日本では「自由狼藉」のように「勝手気まま」という意味があった。

しかし、明治維新後に「リバティ」という言葉が入ってくると、西洋の価値観も流入してくるわけです。単なる「勝手気まま」ではなく、民主主義や自由主義を含めた「自由」という言葉に変わっていく。次第に、リバティ的「自由」の意味が主流になっていくんですね。そうすると、「自由」の意味の多様性が少しずつ失われていく。本来言語は正反対の意味を内包するほどに多様です。日本でいうと江戸の粋(イキ)に対して京都の粋(スイ)、公家の「あはれ」に対して武家の「あっぱれ」。

中川:確かに、「あはれ」と「あっぱれ」では全く意味が変わってきますね。

松岡:そこが言語の面白さなんですが、リバティだけになってしまうと価値観が単一になっていくんですね。これは「工芸」に関しても言えることです。一時期は多くの人が「工芸」はこれでいいのか、「民芸」と言う方がいいのか、という風に向き合った時期があった。けれど、主流に対する反対・アンチが出にくくなっているのではないかと思います。

かつて、工芸の中には信仰も祈りも縁起物も、たくさんの意味と価値観が含まれていたけれど、もうそれは細かく散ってしまっている。お土産品とか民芸品とかは一体何に使うんだろうとみんな思い始めています。そこにきて、中川さんが話したように、メーカーが非常に少ないロットの中で戦っているということは、中川政七商店だけが抱える問題というよりも日本全体がそろそろ考えなければいけないことでしょうね。もしこれから新しい工芸を作り直すのだとしたら、今言ったようなことを一挙に起こしていった方が面白いと思います。

中川:そのためにもきっと「バックミラーで歴史を映しながら前へ進む」ことが大事なんですね。

弁慶の七つ道具と工芸の意外な関係

中川:改めて工芸の歴史を振り返ってみると、工芸とは、そもそも自分たちが使うものを自分たちの手で作るところから始まっていると思います。そこから始まって、権力者がお抱えで作らせていた時代がある。利休の黒楽茶碗みたいに、自分で作るのではなくプロデューサー的な人が出てくる。

さらに時代が進んで一般庶民も工芸品を買うようになって、量が必要だから効率的に作るようになる。それが商売になると思ってだんだん産地が形成されて流通も発達してくる。時代背景が変わるとそれに応じて工芸を取り巻く環境も変わる。だからその度に工芸のあり方も変わってきたのです。

松岡:工芸はいつでもその時代の長所と短所を技術面と意匠面の両方で抱えながら生まれ育ってきています。ただ生活技術やファインな表現技術にくらべると、少し遅れてセットされていく。

中川:それが遅れると衰退になるし、遅れなければ常に産業として成立していく。ここ30年のことを言うと日本の産地の出荷額は1/4以下になってるわけで、間違いなく工芸の世界は衰退しているんですよね。衰退の理由ははっきり分かっています。それは物を作ってる人と使う人の間が、時代と共にすごく遠くなってしまったことです。その時期に商売として栄えたからこそ人が集まってくるんでしょうけど、結果的には距離ができてしまって衰退の時代を迎えて今に至っています。それが未来への一つの示唆でもあると思うんです。

松岡:そこを中川政七商店はどうしようとしているの?

中川:当たり前のようですけど、距離が近くなればいいんじゃないかって思いました。とはいえ、自分で作って自分で使うわけにいかないので、今の時代における近くなるって何なのかを考えました。

その一つの解答は、「産業観光」なんじゃないかと思っています。産業観光というと世界遺産に認定された富岡製糸場のような産業〈遺跡〉を見学に行くものを思い浮かべがちなのですが、僕の言う産業観光は、生の産業を見に行く観光です。

対談 中川政七

現在進行形で動いている工芸の現場を見るのは刺激的だと思います。その兆しは既に出ていて、新潟の燕三条地区が年に1回だけ「工場の祭典」というオープンファクトリーを開催しています。ふだん稼働している生の職人の現場を開放しているのですが、扱うものが金属なので火もあって派手なんです。見たら誰でも「おー」ってなるし、そこで作られた物が横で売られているとやっぱり欲しくなる。全国から3万5千人を超える人が来ています。そういう作る人と使う人の近さが、もしかしたら一つの未来像なんじゃないかなと思うんです。

昔は流通が発達して物を動かしたけれど、今は人を動かしてそっちへ寄せていく。そうするとその現場だけじゃなくその周辺の土地性も含めて楽しめる。産地に来て見てもらうことが工芸の未来だと思うんです。

松岡:そういう意味では、歴史の中にも産業観光的なことはあったと思います。例えば奥州平泉で秀衡椀という器が作られる。そこには金が関わりますね。産業があるレベルに達すると、「奥州でなぜかおもしろいものが出来上がって都にまできた」と伝播します。するとどんなものだろうとみんなが見に行くんですね。奥州街道をずっと越えて、未知のものを見に行く。 義経の奥州下りに出てくる金売吉次(かねうりきちじ)は金の商人だし、弁慶が持っていた七つ道具は鉱山開発の道具です。そのうち義経と弁慶の物語がそうだったように、工芸だったものがお芝居になり、技術だったことが謡曲にもなる。これも観光であり、文化なんです。

対談 松岡正剛

中川:弁慶の七つ道具も、実は土地の工芸と関係していたんですね。

松岡:奥州に不思議なものがあるというのが噂になって、メディアが伝える。物がいいということだけではなく、たくさんの物語がくっついて、進化するんです。これらがいずれ浮世絵にもなり、最後には童謡のようなものにもなる。メディアを次々と乗り換えながら工芸がアートや物語になっていきます。「工芸の復活」ということが我々の一つの目標だとして、そこに何が足りないかというと、もちろん投資や職人さんの力などもありますが、こういった「変換」が必要なんだと思うんです。

中川:変換というのはどういうことですか?

Historyから新しいStoryを生み出す

松岡:お茶を例にすると、お茶摘み自体の観光力も多少はありますが、それが茶の湯に変換されたことが大きかった。「ちゃっきり節」という民謡になったり、それが鉄道唱歌になったりした。そのうち駅弁とお茶がワンセットになっていった。そういう変換が起きていくことが重要なんです。 ありとあらゆるものがかつては工芸品にくっついていたんですね。これらの変換によって次々と観光の資源が生まれていたんです。

最近の浴衣にしても、夜店や花火に着ていく人は増えていますが、それだけでは物語の数が少なすぎる。もっと祭りやコンサートやスポーツ観戦にも結びつくべきです。 産業観光というものが起こるんだとすれば、もっといろいろなものが変換され、転用され、転写されて増えていった方がいい。

中川:なるほど。松岡さんが本で書かれていた「物語を構成する5つの要素」を思い出しました。 物語の舞台となる「ワールドモデル」がまずあって、そこで「ストーリー」が繰り広げられる。「ストーリー」を進めるのは物語を生きる「キャラクター」と象徴的な「シーン」、そして読み手と物語の世界をつなぐ「ナレーター」、でしたね。

僕は、そういう物語をちゃんと作って多くの人が興味を持ってくれれば結果的に生き残っていけるし、商売として成り立つと信じています。僕らはたまたま工芸にいるからそれが起点、「ワールドモデル」になるわけですが、それだけじゃ物語は起こらない。だから昔のことを調べるんです。あるいは職人さんに専門的なことをいっぱい教えてもらう。彼らが「キャラクター」になることもある。 昔からのいろんな面白い話があるわけじゃないですか。それがまさに文化だと思うんです。それらをていねいに勉強しながら、その中にある面白いタネ、「シーン」や「ストーリー」や「キャラクター」を見つけ出してきて、変換する。僕らが「ナレーター」になるんです。

変換してたくさんの物語にすることでそれは伝わるし、伝わるとそこに物が売れるということも付いてくる。それが膨らんできて、ある一定の膨らみになると人が来始めるんだと思います。それは、ずっと中川政七商店がやっていることです。だから工芸じゃなくても実はできると思うんです。お酒であっても農作物であっても。

対談 工芸 歴史

松岡:そうそう、そういうふうになった方がいいですね。今の日本を面白くするには、工芸もお酒も書も花も全部が一斉に立ち上がらないと駄目なんです。 今の日本の多くの企業のように、グローバルで勝ち組になるしかないっていうロジックだけではいけません。だって勝つのは少数だから。勝っても負けても成立する物語がもっと増えないといけません。 Historyという言葉にStoryという言葉が入っているように、歴史をめぐる面白さはやっぱり物語性なんですよ。

中川:歴史や背景をきちんと見ない限り新しい物語は紡がれないと思っています。創業三百周年という節目は、まさに歴史をバックミラーで見ながら未来に向けた物語を考える、ちょうど良い機会だったと思います。歴史の中から工芸や産地の新しい物語を紡いでいくことを、ひたすらずっと、やっていくのが僕らの生業なのかなと思います。

松岡:ぜひそうして下さい。これからの活躍を楽しみにしています。

対談 工芸 歴史

話者紹介

松岡 正剛(まつおか せいごう)
雑誌『遊』編集長、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を経て、現在編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。日本文化、芸術、生命哲学、システム工学など多方面におよぶ思索から情報文化技術に応用する「編集工学」を確立。日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱。システム開発、企業プロデュース、地域文化再生など多彩なプロジェクトを手掛ける。

中川 政七(なかがわ まさしち)
中川政七商店代表取締役社長 十三代。京都大学法学部卒、富士通株式会社を経て中川政七商店へ。「遊 中川」「中川政七商店」「日本市」などのブランドで直営店出店を加速させ、工芸をベースにしたSPA業態を確立。「日本の工芸を元気にする!」をビジョンに掲げ、業界特化型コンサルティングを各地で行う。2016年11月、十三代政七を襲名。

中川政七と松岡正剛

写真:井原悠一

柔らかな鴨と季節の野菜を贅沢にいただく加賀料理 治部煮

こんにちは。さんち編集部の西木戸です。
突然ですがみなさん、玉子焼きは何派ですか?私は、甘めの出汁巻きが好きです。二番だしを多めに入れて焼いた分厚い玉子焼を、粗めにおろした大根と一緒に食べるのが我が家の定番です。
地域によって、味付けや調理法が違うのは日本料理の面白さ。食べ親しんだ味もいいですが、旅に出て食べたいのはやはりその土地ならではの料理です。今まで食べたことのない素材や、いつもと違う食べ方に出会いは、とてもウキウキするものです。 また、料理が違うとなればそこに使う器も違ってくるはず。もしかすると料理の進化に合わせて、それを盛る器だって、料理にいちばん似合うよう形を変えたり、新しく作られてきたかもしれません。
かつて、芸術家であり料理人・美食家でもある魯山人氏は、「美味しい料理にふさわしい器が必要だ」と料理に合う器を作り始めました。「うまく物を食おうとすれば、料理に伴って、それに連れ添う食器を選ばねばならぬ」と言い残しています。工芸の産地で料理をいただくときには、それが盛られている器にも注目して、目でも楽しみたいものです。

加賀料理 治部煮

石川県金沢市をはじめとする加賀地方で発展してきた郷土料理である加賀料理。 今回ご紹介するのは、その代表格である「治部煮」です。
江戸時代から伝わり、加賀藩の武家料理が起源とされる料理なのだそう。輪島塗の美しいお椀の蓋を開けると、湯気と共にお醤油のいい匂いがします。さすが武家料理、贅沢に鴨肉が使われていました。加賀名物のすだれ麩、里芋、椎茸などのお野菜と一緒に煮込まれています。お砂糖のきいた甘いお醤油味の日本らしい味付け。もちろん合わせるのは日本酒です。地酒「常きげん」。しっかりとお米の香りがし、少し濃いめの治部煮にもよく合います。美しくとても美味しい加賀料理に、お酒も一合、二合、三合、、とついつい進んでしまったのは言うまでもありません。ご馳走さまでした。

ここでいただけます

源左ェ門
石川県金沢市木倉町5-3
076-232-7110

文:西木戸 弓佳
写真:林 直美

京都・茶筒の開化堂の140年続く茶筒づくりに迫る

京都市下京区に「茶筒の開化堂」を訪ねて

「開化堂」の茶筒をご存知でしょうか。

蓋を茶筒の口にそっと合わせれば、すーっとなめらかに落ちて蓋がおのずとぴったり閉まる。細密な職人仕事に思わずため息が出る、佇まいの美しい茶筒。

手づくりならではつくりの良さや、使い込むほどに変わる色の変化も楽しみのひとつで、長く一生ものとして使える茶筒は、日本だけでなく海外でも人気です。

京都市下京区河原町、鴨川が流れるほど近くの茶筒司、「開化堂」を訪ねました。

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140年の年月を越えて続く茶筒づくりの現場へ

明治8年に創業した「開化堂」。イギリスから仕入れたブリキの板を、それまで日本になかった丸缶にしようとしたのは初代でした。以来140余年もの間、その技で茶筒を作り続けているのだといいます。

茶筒づくりは、まず素材を切るところから。ブリキ、銅、真鍮などの板を大きな押し切りでカットします。ここでほんの少しでもずれると茶筒の上下がうまく合わなくなってしまうという、大切な作業。

ちょっとしたクセも響いてしまうので、いつもひとりの職人さんが担当するのだそう。

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蓋の高さや胴の高さが台に印されているものの、少しのズレも許されない。
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大切なブリキの型。昔から、「火事になったらこれだけでも持って逃げろ」と言われていたそう。

断面の表と裏の微妙な歪みをとったり、丸めた時の合わせ目に段差ができないように板の端を木槌で叩いて薄くしたりと、板の段階でていねいな準備が必要。丸めた時に重なるのりしろに筋を入れるのも、かなりの精密さが求められます。

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うっすら入ったのりしろの線が見えるでしょうか。

裁断した材料を1枚1枚、「三枚ロール」という道具で真円になるように丸め、「ハッソウ」と呼ばれるクリップのようなものでのりしろを止めてはさみます。

この「ハッソウ」は昔から開化堂で手づくりされているもので、ピアノ線を曲げてつくっているそう。なんと常に3000個もあるんですって!

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真円に丸めた筒を「ハッソウ」ではさむ。
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これが「ハッソウ」。1年使うとバネの力が弱るので消耗品。

130以上の工程の集大成として生まれる「開化堂」の美しい缶

底入れ・ハンダづけの作業は、2人で向かい合って。下から火で温めているので、向かいの人に丁度良いタイミングで筒を置いてもらわなければ温度の管理が難しいといいます。

「昔、親父と母親がふたりでこの作業をしてたんですが、夫婦ゲンカしたら微妙に母親がタイミングをずらしていたんですよ(笑)」

とおっしゃるのは6代目の八木隆裕さん。昔は家族だけの工房でしたが、今は若い職人さんがたくさん増えて賑やかです。

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隆裕さんも毎日工房に入り、いろいろな作業を担当します。
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今はガス火だけれど、おじいさんの頃は炭火。毎朝おばあさんが火をおこす係だったそう。
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ハンダづけに使うコテも年季が入っています。
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胴に合わせる相方を決めて、調子を合わせていきます。
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わずかな調整は隆裕さんが経験で覚えてきた技術です。

磨きの作業でようやく終盤。との粉と菜種油をつけて、磨きすぎず絶妙なタイミングを見極めて磨き上げるといいます。細かな作業工程は、130工程以上。全ての作業に細密さが求められ、その集大成として「開化堂」の美しい缶が生まれます。

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磨き作業。昔は足踏みで回転させる装置を使っていたそう。

手しごとを堺の街から。関西を代表するクラフトフェア「灯しびとの集い」

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
全国各地で行われるいろいろなイベントに実際に足を運び、その魅力をお伝えする「イベントレポート」。今回は、大阪府堺市で、11月12日 (土)・13日 (日) の2日間にわたり開催された「灯しびとの集い」に行ってきました。

気持ちの良い秋晴れの中、会場内にはたくさんの人が。
気持ちの良い秋晴れの中、会場内にはたくさんの人が。

関西を代表するクラフトフェア「灯しびとの集い」

「灯しびとの集い」は2009年からスタートしたクラフトフェア。今年で8回目を迎えました。出展するつくり手の質と運営スタッフの意識の高さから評判となり、関西をはじめ全国からたくさんのクラフトファンが訪れるイベントとなりました。会場は大阪府堺市の大仙公園。刃物の産地として知られる堺は、歴史的に見ても、日本の工芸を育てた「茶の湯」に縁が深い街。その堺に、日本全国のつくり手と使い手が集まってきます。

会場の大仙公園はちょうど紅葉を迎えていました。
会場の大仙公園はちょうど紅葉を迎えていました。

様々なプロの視点で選ばれる出展作家たち

500組あまりの応募がある中、実際に出展できるのは100組。約5倍の倍率の中、毎年異なる選考委員がその年の出展者を選びます。今年の選考員は小林和人さん(Roundabout/OUTBOUND店主)、塚本カナエさん(商品開発ディレクター)、堀あづささん(dieci店主)、正木なおさん(ギャラリスト)、柳原照弘さん(デザイナー)、辻野剛さん(fresco /灯しびとの集い実行委員会会長)の6名でした。「ものに対する立場の違いから、それぞれで全く目線が違って面白い」と自身も作家でありながら実行委員長を務める八田亨さんは語ります。必要事項と小さなコメント欄、決まったレイアウトによるたった3枚の写真で選考は行われ、出展作家のジャンルは陶磁、ガラス、木工、金属、染織など多岐にわたります。やはり圧倒的に多いのは陶磁ですが、革や布といった素材を扱う作家さんも多くいました。

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ここで、個人的に気になった作家さんを写真でご紹介。 1組目は岐阜県の林志保さんです。作品シリーズによって異なる特徴的なマテリアルが印象的。

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2組目は埼玉県の鳥居明生さん。これまで様々な陶磁器の器をつくられてきたけれど、数年前より「かたまりをつくりたい」と思い現在のスタイルになったそう。ペーパーウェイトのようでもあり用途が無いオブジェのようでもある「かたまり」たちは、ユニークな世界観をつくっていました。

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3組目は大阪府のefusaさん。2016年に活動を始めたばかりだそうですが、張子の技法でつくられる紙のプロダクトは独特のオーラがあり、一目で釘付けに。

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青空の下、ここでは紹介しきれないほどたくさんのクラフトが並びます。

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会場には厳選された飲食店のブースも並びます。南大阪を中心に、どこも関西では知る人ぞ知る人気店ばかり。その中でもいくつかのお店は朝から行列ができることもあるのだとか。また、音楽ライブやトークショーも行われ、クラフト以外でも楽しい時間を過ごせる工夫があちらこちらに。

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クラフトブームの、これから

「灯しびとの集い」を立ち上げた当初の志は今でも全く変わらないと語る実行委員会会長の辻野剛さん。この言葉の一方で「クラフトを “ブーム” にはしたくない」と言っていた辻野さんは、2015年の開催後にこう語っています。

この「流行」を皆さんはどんな風に捕らえますか? “本当にクラフトとして秀逸な生活の道具という作品を、人々の暮らしに滑り込ませる。” そんな狙いを持って始めた「灯しびとの集い」は、単純に手作りの物が市場に氾濫する様子に危惧を感じながら、クラフトフェアを開催してきました。しかし、実際にその現実が目前に広がり、多くの人がそれらに関わるようになりました。ところが、その事実は直面してみればそれほど怖いことではありませんでした。公園というバブリックな場所での開催は、作品(作家)と使い手の偶然の出会いを期待した故。本当に優れた物を紹介することで、目利きを育み、次代のクラフト振興や豊かな生活環境を牽引する目的を持って続けてきました。今実際に目前に起こっている現象は、人々に多様で豊かな「選択肢」が育ち、多くの人がそれを楽しめるという状況ではないでしょうか。

第7回 灯しびとの集いを終えて」より一部引用

目利きを育てること。実際に、8年間毎年ここで器を買うことが習慣になった人もいます。当たり前にクラフトが生活に溶け込み、百貨店やオンラインショッピングと同じように、選択肢のひとつとしてクラフトフェアがある。旅の行き先のひとつに工芸産地を選ぶことも、こうして当たり前になっていけたらと、身の引き締まる気持ちになりました。

灯しびとの集い公式ウェブサイト

文・写真:井上麻那巳