羽田空港で買える!鉄板の日本お土産5選を、外国人観光客に詳しい店員さんに選んでもらった

年末年始でながいお休みを取られる方もいるシーズンになりました。「旅の玄関口」は数あれど、羽田空港には日々、国内外から多くの人が訪れます。なかには、海外を訪ねていったり、あるいは遠く離れた場所に住む友人に会ったりすることも。

そんなときには手土産のひとつでもあると、会話のきっかけになりますね。でも、忙しいさなかで「用意するのを忘れた!買いに行けなかった!」というのも、ままあるもの。

短い時間で、なおかつ喜ばれるものを選びたい‥‥けれど、決め手に欠ける!というときに嬉しいのが「鉄板」の選択肢です。

そこで今回は、羽田空港に拠点を構え、日本各地の生産者と作り上げた「日本の土産もの」をコンセプトにした商品を取り揃える、「日本市 羽田空港第2ターミナル店」の村田店長に、「鉄板の日本お土産」を5つ選んでいただきました。

日本市 羽田空港第2ターミナル店
日本市 羽田空港第2ターミナル店。「第2旅客ターミナル」の地下1階に店を構える

海外の方に喜ばれるものを、というお願いをしていますが、アイテムはどれも日本らしさを感じさせるものばかり。もちろん、日本人にお渡ししても、喜ばれることでしょう!

1.注染手拭い

特に人気の柄は「ことわざ手拭い」と「富士山」とのこと。

「海老で鯛を釣る」
注染手拭い 富士山

染色の技が詰まった芸術品として見られ、「日本画のように飾る」という楽しみ方もあるのだとか。

2.おみくじ

「だるま」や「福招き猫」をモチーフにしたおみくじ。手乗りサイズで、フィギュアとしての可愛さもあり。

お土産としても気軽に贈れることもあり、まとめて購入する人も多いそう。

「中身のおみくじは日本語ですが、そこもまた日本で購入したという価値を感じていただけるようです」と村田さん。

3.招き猫だるま

「だるま」を知っている人が多く、さらにだるまと招き猫がコラボレーションしているという点に、他にはない面白さがあり、人気を呼んでいます。

4.季節のおやつ

やはり、日本のシンボルともいえる「富士山」柄が手に取られやすいそう。

「金太郎飴」や「巾着袋」も日本らしさを感じるものであり、見た目のインパクトもあるため、お土産として選ぶ方が多いのだとか。

5.富士山グラス

ビールを注ぐと、まるで雪化粧をした富士山のように見えるのがユニークなグラス。そのアイデアや、桐箱に入った繊細さも目にとまる様子。

英語の説明書が入っている点も、海外の方にとっては嬉しいポイントのようです。

村田店長に外国向けのお土産について、あれこれ聞いてみた

せっかくの機会ですので、海外の方と接することも多い村田店長に、選ばれるお土産の傾向などもお聞きしました。

──人気のお土産の傾向はあるのでしょうか?

今回挙げた5点を見ても、「飾る」など、シンプルな使い方の商品が好まれるようです。機能性の高さよりも、使い方がわかりやすいものが人気です。

また、「日本の商品=美しく繊細」というイメージが強く、サイズ感が小さく巧妙なつくりのものにも心惹かれる方が多くいらっしゃいますね。

人気のモチーフはお国によって異なり、欧米の方は富士山、アジア圏ならだるまを選ぶ傾向にあります。

──外国人観光客から、どんな質問を受けますか?

その商品が「そもそも何か、どのように使うのか?」といった質問をよくお受けします。

商品としては、だるまなど日本的なお飾り類と、やはり「ふきん」は数が多いために、おすすめ商品として映るようで、お問い合わせもいただきますね。

──日本人のお客様から「海外の方へのお土産にしたい」という相談をもらうことはありますか。その際は、どんなものを勧めることが多いですか。

こちらのご相談、とても多いです!

空港という立地上、海外の方と取引の多い、ビジネスパーソンの方が数多くいらっしゃるからでしょうか。女性も含め、お仕事関係での贈り物を探して、ご来店くださっています。

おすすめとしては、やはり今回挙げたような人気商品をはじめ、「気軽なお土産用」なのか「ご進物用」なのか、あるいは「お相手のお国はどちらなのか」など、ニーズに合わせた提案をさせていただいております。

──ここ数年の中で、売れ筋商品にも変化はありますか?

変化を感じるのは、アジア圏のお客さまが選ぶ商品です。

お土産としてお求めやすい小物から、バッグやストールなどの高級志向な一点ものを、厳選してお買い物されるようになりましたね。

考えられる理由としては、2〜3年前までは世間的に「爆買い」というものがありましたが、小物のまとめ買いや目に付いた印象的なものを大量に選ぶという傾向からの変化があるようです。

現在では何度も日本を訪れている方が増えていること、嬉しいことに当店や取り扱う「中川政七商店」のものをご存知の方も増えてきたことから、気に入ってくださった商品のリピートや、事前にお目当ての商品をチェックしてから探しに来てくださることで、商品が絞られてきたからだと推測しています。

土産は字のごとく、もともとは「その土地の産物」という意味合いで使われていました。日本という土地で見ると広いようですが、今回挙げてもらった5点は、まさに「日本」を感じさせるものばかり。

空の玄関口で贈り物に迷ったときに、あるいはどこかへ行く前の準備として、今回のおすすめが役立ちますように!

<取材協力>
日本市 羽田空港第2ターミナル店
東京都大田区羽田空港3-4-2
東京モノレール羽田空港第2ビル駅 B1F
03-3747-0460
https://www.yu-nakagawa.co.jp/p/211

文:長谷川賢人

電気を使わずに冬を暖かく過ごすアイディアを集めました

先日は季節外れの暖かさでしたが、週末からぐっと冷え込みましたね。なかなか着られなかったニットや厚手のコートの出番がようやくやってきました。

今回は、寒さ対策の記事をご紹介。体の内側も外側も暖めて、寒さを乗り切りましょう!

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(食)体の中から暖かく

この寒い冬は「生姜好きの生姜シロップ」で体を温めて乗り切ります

 

中川政七商店「生姜好きの生姜シロップ」でおいしい生姜湯やジンジャーエールをご自宅で。

手軽に美味しい生姜湯が飲める!と筆者お気に入りなのが「生姜好きの生姜シロップ」。商品名通り、生姜好きのみなさんにぜひ紹介したい一本です。

産地:読みもの

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かつては琵琶湖の底だった、伊賀の土でつくった土鍋

 

丸く小さなこの器は、耐熱・保温性の優れた土でつくられた伊賀焼の「あたため鍋」。直火も電子レンジもOK!おかゆを炊いたりチャイをつくったり。赤ちゃんのミルクをあたためるのにも最適なので贈りものにもおすすめです!

産地:伊賀

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(衣)インナーもアウターも「味方の一枚」を

THE MONSTER SPEC ダウンジャケット

デザインのゼロ地点 第11回:ダウンジャケット

 

ダウンジャケット誕生のきっかけは、アウトドア好きな男性が九死に一生を得たことからでした‥‥!!そこからどのような歴史、開発を経て今の形に辿り着いたのか?ダウンジャケットの“なるほど”盛りだくさんでお届けします。

産地:東京

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二〇一七 如月の豆知識

 

如月(2月)は少し先ですが、いよいよ本格化してきた寒さに早めの準備が必要。芯まで冷える時期までに揃えておきたい「あしごろも」をご紹介します。

産地:飛鳥・橿原・広陵

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(住)足元を見直してみる

お風呂とトイレ以外、すべてカーペット。堀田さんが選んだ暮らしのかたち

 

「羊毛には調湿機能があって、部屋全体の空気を一定に保ってくれるんですよ。夏は冷たい空気を、冬は暖かい空気を均一に保ちます。エアコンの効きもよくなるので、省エネにもなりますしね」。堀田さんが語る、カーペットの魅力に迫ります。

産地:堺

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(旅)日本の冬と言えばやはり温泉!

ひなの宿 ちとせ

日本三大薬湯と里山料理が待っている。松之山温泉「ひなの宿 ちとせ」

 

やはり寒い日は、温泉に浸かりたい!そんな願いを叶える、編集部おすすめの温泉宿を紹介します。

産地:越後妻有

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

大掃除が楽しくなる職人の道具を、すす払いの日に使いたい

日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多ある記念日のなかで、こちらでは「もの」につながる記念日をご紹介していきたいと思います。

さて、きょうは何の日?

12月13日は、「すす払いの日」 その歴史はいつから?

お正月を迎えるにあたり、家のすすやちりを払って掃除をする「すす払いの日」。

平安時代にはすでに行われていたといわれています。そして、12月13日に行われるようになったのは江戸時代。この頃使われていた「宣明暦」という暦では、12月13日は「鬼の日」という日で、婚礼以外は何をするにも吉という良い日でした。

そのため、この日を新年を迎える準備をはじめる日として江戸城では大掃除をしたのだそうです。

これは単なる大掃除ではなく、年神さまを迎えるための信仰的な行事でもありました。その年の厄をとり払うという大切な節目の日だったんですね。

「すす払いの日」には家族みんなで大掃除をして、それが終わると「すす払い祝い」として神さまに「すす払い団子」をおそなえしたり、「すす払い餅」「すす払い粥」といって一家でお餅やお粥を食べる習慣があったそうです。

また、すす払いの後にはお風呂「すす湯」に入り、身も心も住まいも清々しくきれいにして、年神さまを迎えていました。

この習慣は大正時代のころまで続いていましたが、13日に掃除をすると年末までにまた汚れてしまうため、次第に年末に大掃除をするようになったのだそうです。

白木屋傳兵衛の江戸箒で「すす払い」

「すす払い」は、「すす掃き」とも呼ばれていました。近ごろは良い掃除機もたくさんありますが、こんな行事の話を知ると昔ながらの箒(ほうき)を使いたくなります。

1830年(天保元年)創業の江戸箒老舗「白木屋傳兵衛(しろきやでんべえ)」の箒は、国産の「ホウキモロコシ」という植物を使い、熟練職人が素材を丁寧に選って編み上げたもの。

実用的でさっと使える箒は、やはり日本のお掃除には欠かせません。

使いやすい道具があればお掃除もなんだか楽しいもの。今年も気づけば12月。少しずつ新年の準備をはじめましょう。

<掲載商品>
(左から)
ひもはりみ・小(白木屋傳兵衛)
サッシ箒(白木屋傳兵衛)
掛け無精ほうき(白木屋傳兵衛)
江戸長柄箒・極上(白木屋傳兵衛)

<関連商品>
小掃除箒とはりみ
卓上箒とはりみ

白木屋傳兵衛中村商店
http://www.edohouki.com

文・写真:杉浦葉子

※こちらは、2016年12月13日の記事を再編集して公開しました。少しずつ準備して、気持ちの良い新年を迎えたいですね。

宮内庁で雅楽を聴ける?千年続く音の秘密を「三楽長」に聞いた

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

今回の「古典芸能入門」の舞台は、なんと皇居の中。

宮内庁式部職楽部 (以下、宮内庁楽部) が奏でる「雅楽」の鑑賞に出かけました。みなさんも音楽の授業やNHKの報道などで、その音色を耳にしたことがあるのではないでしょうか。

記事の後半では、宮内庁楽部を率いる「三楽長」のインタビューもお届けします。

雅楽とは?一般公募で楽しめる機会も

宮内庁の中にある雅楽の舞台。「雅楽」とは、日本古来の歌と舞、古代のアジア大陸から伝来した器楽と舞が日本化したもの、その影響を受けて生まれた平安貴族の歌謡、この3種類の音楽の総称をいいます
「雅楽」とは、日本古来の歌と舞、古代のアジア大陸から伝来した器楽と舞が日本化したもの、その影響を受けて生まれた平安貴族の歌謡、この3種類の音楽の総称をいいます。10世紀頃 (平安時代中期) に今の形が完成し、伝承されてきました

宮内庁楽部の雅楽は、1955年に国の重要無形文化財に指定され、楽師全員が重要無形文化財保持者に。2009年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された日本最古の古典音楽です。

宮中の年中行事、饗宴、園遊会、さらには伊勢神宮の遷宮や天皇即位などの特別な儀式で演奏されます。

一般人が直接鑑賞する機会は滅多にない宮内庁の雅楽ですが、春と秋に演奏会が開催されます。春季雅楽演奏会は、芸術団体や外交団を招待しての開催ですが、秋季雅楽演奏会は一般公募による抽選が行われます。3日間、午前と午後合計6公演は、宮内庁の中で雅楽が鑑賞できる貴重な機会となっています。

宮内庁式部職楽部
宮内庁式部職楽部庁舎
宮中の中庭を模して作られた空間
開放的な舞台空間は、照明に加えて天窓から自然光が入り、足元には白い砂利が敷かれています。宮中の中庭を模した作りとなっているのだそう

上演前から打楽器は舞台の上に並べられています。

鞨鼓 (かっこ) 。雅楽において指揮者の役割を担う打楽器。打ち方によって演奏を指揮し、楽曲の進行に合わせて途中で音を止める役割も
鞨鼓 (かっこ) 。雅楽における指揮者の役割を担う打楽器。打ち方によって演奏を指揮し、楽曲の進行に合わせて途中で音を止める役割も。写真に写っている花は赤色ですが、裏面には青色の花が描かれています。慶事は赤、弔事は青を表にします
太鼓(釣太鼓)。拍子を決める役割を担います。大きなリズムを刻みます。枠の上には火焔の細工がされ、太鼓中央には唐獅子が描かれています
太鼓(釣太鼓)。大きなリズムを刻み、拍子を決める役割を担います。枠の上には火焔の細工がされ、太鼓中央には「七宝花輪違 (しっぽうはなわちがい) 」の紋印、その周りに唐獅子が描かれています
舞台の両脇に立つのは鼉太鼓 (だだいこ) 。舞楽 (ぶがく=舞と演奏) の際に使われます。左の太鼓は太陽を表し龍の彫刻が施されています。右は月を表し鳳凰の彫刻が。陰陽五行の思想からなる雅楽の世界観を表します
舞台の両脇に立つのは鼉太鼓 (だだいこ) 。舞楽 (ぶがく=舞と演奏) の際に使われます。左の太鼓は太陽を表し龍の彫刻が施されています。右は月を表し鳳凰の彫刻が。中国古来の陰陽五行説やインド伝来の大乗仏教思想を取り入れて成立した世界観を表しているのだそう

雅楽のオーケストラ演奏「管絃」

演奏会は2部構成で、前半は管絃 (かんげん) 、後半は舞楽 (ぶがく) となっています。

管絃
管絃とは、管楽器、絃楽器、打楽器による合奏です。現在では、唐楽 (中国の音楽) の「三管両絃三鼓」の楽器編成で演奏されます。「三管」とは笙 (しょう)、篳篥 (ひちりき) 、龍笛 (りゅうてき) 、「両絃」とは楽琵琶 (がくびわ) と楽筝 (がくそう) 、「三鼓」とは鞨鼓 (かっこ) 、太鼓、鉦鼓 (しょうこ)を指します

今年の管絃は、「青海波」と「千秋楽」の2曲。「青海波」は、源氏物語にも登場する古くから愛され続けている曲。「千秋楽」はお芝居や相撲の最終日の呼び名としても耳にする言葉ですが、この曲が法会などの行事の最後に演奏されたことに由来するのだとか。

演奏が始まってまず驚いたのは、一つひとつの楽器の音の存在感です。

雅楽では、管楽器がメロディを、打楽器と絃楽器がリズムを奏でます。絶え間なく響く「笙 (しょう) 」は高音なので「天空の音」といわれ、主旋律を奏でる「篳篥 (ひちりき) 」は人の声を表現した「地の音」と呼ばれます。笙と篳篥で天地を表しているのだそう。

主旋律を奏でる篳篥 (左)、和音でメロディを支える笙 (右) 。笙は、伝説上の鳥である鳳凰が翼を休めている姿を模したといわれることから、「凰笙(ほうしょう)」とも呼ばれます
主旋律を奏でる篳篥 (左)、和音でメロディを支える笙 (右) 。笙は、伝説上の鳥である鳳凰が翼を休めている姿を模したといわれることから、「凰笙(ほうしょう)」とも呼ばれます
上から、龍笛、高麗笛、神楽笛。龍笛を主として、曲の種類によって使い分ける。主旋律と同じメロディを基軸に装飾的に奏でます
主旋律を装飾するように奏でられる「龍笛」は、天と地をつなぎ自由自在に飛び回る「龍の音」。上から、龍笛、高麗笛、神楽笛

存在感のあるそれぞれの音が溶け合い、塊となって押し寄せます。音の渦に飲み込まれていくようで、言うなれば「音の海を潜水している」ような浮遊感。どこか懐かしく、心地よい音色です。

上から、楽筝 (がくそう)、和琴 (わごん) 、楽琵琶 (がくびわ) 。絃楽器ですが、雅楽では主にリズムを支える
上から、楽筝 (がくそう)、和琴 (わごん) 、楽琵琶 (がくびわ) 。絃楽器ですが、雅楽では主にリズムを支えます
打楽器。上段左から、鉦鼓 (しょうこ) 、太鼓 (釣太鼓) 、鞨鼓 (かっこ) 、三ノ鼓 (さんのつづみ) 、笏拍子 (しゃくびょうし)
雅楽の打楽器。上段左から、鉦鼓 (しょうこ) 、太鼓 (釣太鼓) 、鞨鼓 (かっこ) 、三ノ鼓 (さんのつづみ) 、笏拍子 (しゃくびょうし)。リズムを操り、全体を指揮します

舞と音楽が溶け合う「舞楽」

2部構成の後半は、演奏と舞が合わさった「舞楽」。中国大陸経由の文化をルーツとした「左方 (さほう) の舞」と、朝鮮半島経由の文化がルーツの「右方 (うほう) の舞」が上演されます。

左方の舞
赤と金を基調とした装束を纏う「左方の舞」
右方の舞
緑と銀を基調とした装束を纏う「右方の舞」

今年の演目は、左方の舞が「陵王 (りょうおう) 」、右方の舞が「胡徳楽 (ことくらく) 」でした。

「陵王」は雅楽の代表的な演目。かつて中国にあった北斉の陵王は大変美しい顔立ちをしていたため、戦場へ挑む時は厳しい仮面をつけていたという故事に基づいています。龍頭を乗せた面をつけて、勇壮華麗に舞います。

地面が震えるような大太鼓の力強い音が印象的。管絃の浮遊感ともちがい、舞楽では楽器の響きが舞と一体化して音が「見える」ようでした。

舞は、飛んだり跳ねたりするような激しい振り付けがあるわけではありません。静かで直線的な足の運びが中心の、ゆっくりとしたステップに惹きつけられます。雅楽の優美さを形にしたようでした。

「体に染み込ませる」三楽長に聞く、雅楽の受け継ぎ方

ルーツとなった中国や朝鮮の音楽の多くは消失してしまっている中、雅楽は1000年前とほぼ変わらぬ様式で残っています。これは世界でもまれなことだそうです。

現代の雅楽を楽師として受け継ぎ、後進の育成にも務められている、宮内庁式部職楽部の首席楽長、東儀博昭 (とうぎ・ひろあき) さん、楽長の多忠輝 (おおの・ただあき) さん、東儀雅季 (とうぎ・まさすえ) さんの三楽長にお話を伺うことができました。

首席楽長 東儀博昭 (とうぎ・ひろあき) さん
宮内庁式部職楽部 首席楽長 東儀博昭 (とうぎ・ひろあき) さん

——— みなさんにとって「雅楽」とは、どのような存在なのでしょうか。

東儀博昭さん「雅楽とは『伝えるもの』です。私たちには雅楽を後世へ伝承していく責任があります。個人の考えでアレンジを加えるようなことはなく、『正しいもの』を守り、伝えていくべく日々雅楽と向き合っています。難しい部分を安易な形にしたり、自分の都合のいいように変えてしまうのではなく、先輩から伝えられてきたものをそのままに後世に伝えていくのが、私たちの務めだと思っています。

現在も、一子相伝 (師と弟子の一対一) の形式で稽古は行われます。譜面は覚書にすぎません。先生から口伝で叩き込まれたものを吸収していく。一生懸命練習して身体に染み込ませる。血や肉となるように、私自身もただひたすらそれを続けてきました。

雅楽の世界は世襲制が原則です。江戸時代までは各家で稽古をしていましたが、明治時代に宮内庁に統合されて以降は、学校のような形式で宮内庁の楽部内で学ぶシステムとなりました」

——— 東儀家も多家も1000年以上続く由緒ある楽家 (楽師として雅楽を世襲してきた家柄) ですが、どのように学んで来られたのでしょうか。

東儀博昭さん「子どもの頃から身近に雅楽がある環境ですので自然と身体に馴染むものはありましたが、本格的に楽部で学び始めるのは中学生からですね。予科 (週に一度、宮内庁内で師匠と一対一の稽古が行われる) が3年間、高校生から本科が始まります。歌、菅、舞の主要3科目をはじめとし、管楽器の次は、絃楽器、打楽器と複数の楽器を習得していきます。

さらには、海外の賓客をもてなす晩餐会における洋楽 (オーケストラ) 演奏も宮内庁楽部が担当しています。そのため、楽典 (音楽理論) とピアノの他に、もう1種類の西洋楽器も必須として学びます。卒業試験に合格すると、晴れて楽師となります」

——— 1つの楽器を習得するだけでも難しいことですが、歌や舞に複数の楽器を演奏するというかなりハードな内容ですね。

多忠輝さん「たとえば、舞楽で舞うにはメロディもリズムもしっかりと体得していなければ成立しません。究極の舞は、音を消した状態で見ても音楽が聞こえてくるものです。単に等間隔のリズムで舞うのではなく、音楽と一体となって舞います。

すると『篳篥のフレーズに呼応した表現になる』という風に音が動きを通して伝わってくるものです。総合芸術というのはそれぞれをきちんと学び身体に染み込ませていないといけません」

楽長 多忠輝 (おおの・ただあき) さん
宮内庁式部職楽部 楽長 多忠輝 (おおの・ただあき) さん

——— 実際、どのようなお稽古をされるのでしょうか。

多忠輝さん「私は9歳から個別の稽古に通っていましたが、楽部に入って再度始めから習い直しました。最初は『唱歌 (しょうが) 』。楽器を触らず、手を叩きながら先生の歌った通りに楽器のメロディを唱えるということを繰り返します。正しく歌えるようになってやっと楽器を持たせてもらえます。私が実際に笙を持ったのは17歳の時。だから8年がかりです。

譜面通りに演奏するだけであれば、録音されたものや動画があれば早々にできてしまいますが、それだけでは本当の意味では習得できたとは言えません。例えば菅の稽古の際に『この音で吹きなさい!』という先生の指導内容は、とても抽象的ですが重要です。『今のお前の音は、大きいけれどちゃんとした密度の濃い音ではないぞ』と教えられる」

——— 「密度」ですか。

多忠輝さん「緊張感のある張り詰めた音を吹きなさい、と言われます。音というのは、小さくなったら弱くなる、大きくなったら強くなるが全てではありません。小さい音でも強い音があるし、大きい音でも弱い音があるということをみっちりと仕込まれるんですね。

それが非常に厳しいので、吹きやすい柔らかいリードで吹いたり、簡単な方へ流れてしまいたくなる。ところが、本物の音を吹けると、その違いがわかるようになる。そのあたりが、『正しい』か否かの分かれ目になるのだと思います。

伝承するということは、人が変わっても変わらぬものを伝えていくことです。雅楽が長い年月継承してこられたのは、個人の主観的な思いに流されず、集団で守ってきたからだと思うのです。

楽師だけでなく、学者さんや雅楽を支える人々による議論があり、背負ってくるものがあったから残っているのではないでしょうか。個人個人だったらどんどん違う方向に行ってしまったと思うんです。

今の自分が理解しきれていないとしても、先生から教えられたことをきっちりと教える、そうすれば、また次の人が自分より深められるかもしれない。多くの人によって守られてきた雅楽には、簡単に個人が語ることのできない、崇高な存在意義がきっとあるとはずなのです」

——— 最初に東儀さんが「雅楽とは伝えるものである」とおっしゃったのは、個人を超えて雅楽を未来に継承していく使命とともにある言葉なのですね。

楽長 東儀雅季 (とうぎ・まさすえ) さん
宮内庁式部職楽部 楽長 東儀雅季 (とうぎ・まさすえ) さん

東儀雅季さん「多さんのお話にもあった通り、ここに学びに通い始めると、意味も知らされずに歌を教わります。ひたすらその音程を歌い続け、覚えていきます。『せんざい〜‥‥』と歌わされるわけですが、子どもの頃は『千歳 (せんざい=ちとせの意味) 』のことだと知りませんでした。わからないから「洗剤」を頭に思い浮かべて『変だな?』なんて思っていました (笑) 。

でも、ここはすごく厳格な場で、へらへらふざけたりできない、真面目な態度で授業を受ける環境でした。子ども心にピシっとしなくてはと、緊張感を持って取り組んでいたんですよね。

ですから、大人になった今もこの場所は特別です。ここでの演奏会では、先輩方でも緊張していることがあります。格別の心持ちで向かいます。間違いのない完全な演奏をと挑む、それが我々のプライドでもあります」

宮内庁式部職楽部の舞台

「理屈は後からついてくる、そんなものは一生知らなくてもいい」なんて言う先生もおられるのだとか。身体に染み込んだ雅楽の演奏だからこそ、聞く側に直感的な感動を与えてくれるのかもしれません。

そして雅楽には、人の喜怒哀楽などの情緒表現は存在しないのだそうです。そのため感情移入はないのですが、それでも情緒に訴える感動がたしかにありました。

その根底には、思考を超えたところで身体で受け止める森羅万象の「気」のようなものがあるように感じました。力強い存在感に圧倒される一方で、音の渦に潜り込む心地よさを味わったり、「音」が見えた気がしたり。

当然、音色そのものの美しさへの感動もありますが、音の中に見え隠れする力の存在に、心が震える瞬間があるのかもしれません。だからこそ、宮中儀式をはじめとした神仏との交流に雅楽が用いられてきたのではないか‥‥そんな風に思いました。

<取材協力>

宮内庁 式部職 楽部

文・写真:小俣荘子

上演写真・楽器写真提供:宮内庁

こちらは、2017年12月23日の記事を再編集して公開しました。本年もあとわずか。年の瀬に、千年続く伝統の音、雅楽の話題をお届けしました。

地域×ものづくりの新しいリアル。「仕立屋と職人」が長浜で過ごした1年を追いました

「Iターン」という言葉、今やすっかり普及していますが、実際見知らぬ土地にみんなどうやって仕事を見つけ、暮らしているのでしょう。

その新しい形、「Wターン」とでも言いたくなるようなスタイルで地域に関わる4人組に出会いました。

プロジェクトごとに拠点を移しながら全国のものづくりの課題解決に挑むユニット、「仕立屋と職人」。

その取組み、メンバー構成ともにユニークです。

4人のうち2人は工芸産地に、2人は東京に拠点をおきます。

現地担当は、もともと洋服などの縫製を仕事にしてきたユカリさんと、グラフィックデザイナーの石井さん。

ワタナベユカリさん
石井さん

東京組は、サービスデザインを生業とし、2人の体感知を事業に組み立てるブレーン、古澤さんと、出来上がったアイテムの販路を開拓する流通のプロ、堀出さん。

それぞれに専門分野が異なる4人が集い、2016年に「仕立屋と職人」を旗揚げ。

右下から時計回りに石井さん、ユカリさん、堀出さん、古澤さん
右下から時計回りに石井さん、ユカリさん、堀出さん、古澤さん

実は4人とも、フリーランスや会社勤めなど、別の仕事を持っています。いわばパラレルキャリアとして「仕立屋と職人」を立ち上げ、伝統工芸の世界に携わっているのです。

立ち上げの契機となった福島県郡山市、和紙で作る張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」さんとは、一緒に和紙のジュエリーブランドを立ち上げた
立ち上げの契機となった福島県郡山市、和紙で作る張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」さんとは、一緒に和紙のジュエリーブランドを立ち上げた

立ち上げの経緯や福島の取組みを追った前編はこちら:「パラレルキャリアで伝統工芸に挑む。異色ユニット『仕立屋と職人』に密着」

拠点をジグザグと移動し、現地と東京の2拠点をもち、仕事もダブルで掛け持ち。

後編となる今回は、彼らの現在の取組みを追いながら、それぞれがなぜ「2足のわらじで伝統工芸」という今のスタイルを選んだのか?地域に関わる仕事のリアルに迫りたいと思います。

絹の街、長浜

「仕立屋と職人」が2017年から活動拠点を置いているのが、滋賀県長浜市。第一弾の福島からすると、北から西への大移動です。

現地担当のユカリさんと石井さんは実際に、長浜市の木之本町という土地に事務所を置いて生活しています。

空き家を借りて開いた事務所には、屋号を染め抜いた暖簾が
空き家を借りて開いた事務所には、屋号を染め抜いた暖簾が

長浜は250年続くシルク産業の街。養蚕農家から生地の織り屋さんまで各工程が集積しています。作る生地も、同じ絹織物でも紬やビロードと種類が豊富です。

中でも一帯で作られる高級絹織物「浜ちりめん」は、表面の細やかな凹凸が特徴の美しい白生地。京友禅や加賀友禅の下地として古くから用いられてきました。

浜ちりめん。凹凸のある表情が特徴
浜ちりめん。凹凸のある表情が特徴

しかし、浜ちりめんの年間生産量は最盛期だった昭和40年代の185万反に対して、現在はわずかに4万反ほど。和装需要の減少による打撃は深刻です。

そんな街で2018年3月、小さな変化がありました。

250年の歴史上初めて、携わる製品や工程、職種の違いを超えて長浜のシルク産業関係者が一堂に会するミーティングが行われたのです。

題して「長浜シルク産業未来会議」。

長浜シルク産業未来会議

その名の通り、自分たちの携わる伝統産業を、どう考えているか、これからどうしていきたいか、立場を超えて話し合う会議でした。

長浜シルク産業未来会議

「あれだけの面々が一堂に集まったことは本当にすごいことだと思います。地域一丸となって、地場産業の活性に取り組むきっかけにもなりました」

長浜商工会議所の吉井さんは、当日の様子をこう振り返ります。

その会議の仕掛け人こそ「仕立屋と職人」。

前例のない会議の開催を取り付け、当日の議事進行を務めました。

出てきたアイディアや意見を取りまとめるユカリさん

しかしメンバーの4人とも、もともとこの土地の出身でも、繋がりがあったわけでもありません。

一体どうやって彼らはこの地に根を下ろし、何をしようとしているのでしょうか。

「起業型」地域おこし協力隊とは?

「郡山で第一弾の取組みをしている最中に、滋賀の長浜市が『地域おこし協力隊』を募集していると聞きました。

従来の協力隊と違うのは、起業型ということ。

伝統産業の資源を再編集して、活性化につながる新規事業を自分たちの裁量で立ち上げてくださいというものでした」

自治体は一定額の活動資金や生活拠点を提供し、隊員には任期3年で成果が出るよう活動してもらいます。

興味を持って何度か長浜を訪れていくうちに、魅力的な職人さんとの出会いや産業の現状を知り、

「次に仕立屋と職人がなんとかしたい場所はここなんじゃないか」

そう思って応募を決めたそうです。

長浜市側も福島での取組み事例や掲げるミッションを評価し、長浜が次なる「仕立屋と職人」の活動拠点に決まりました。

ミッションin長浜

彼らの掲げるミッションは「職人の生き様を仕立てる」こと。

取組み第一弾の福島では実際に職人さんに弟子入りをして、張り子の魅力をジュエリーという新しいプロダクトに「仕立て」ました。

2人が弟子入りした張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」
2人が弟子入りした張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」
「デコ屋敷本家 大黒屋」とともに立ち上げたジュエリーブランド「harico」
「デコ屋敷本家 大黒屋」とともに立ち上げたジュエリーブランド「harico」

「でも長浜の場合、浜ちりめんの工程は38にものぼります。

それぞれにプロフェッショナルで、全ての技術を覚えることは難しい。

だから長浜でまず僕らができることは、彼らの仕事を手伝うことではなく、伝えることでした」

拠点を移してからは、養蚕農家さんに何度も足を運んでは蚕の一生を克明にレポートし、生地メーカーや工房を一軒一軒訪ねては「職人のリレー」と題して取材を続ける日々。

「『また来たの?』『よう飽きないね』なんて最初はみんな戸惑っていたんですが、毎日のように通ううちに『あの記事反応どう?』とか『今日はこの作業をするよ』って声をかけてくれるようになって」

ユカリさん

「職人さんにとって当たり前の、何十年も続けている仕事でも、外からきた私たちにとっては『すごい!』の連続なわけです。

そういうヨソ者の視点が、自分達の仕事にまた新たな誇りを持つ、きっかけにもなればと思って取材を続けています」

実際に2人が取材した有限会社 吉正 (よしまさ) 織物工場さんに私もお邪魔させてもらいました。

「すごい!」が生まれる現場へ

代表の吉田和生さんは3代目。浜縮緬 (ちりめん) 工業協同組合の理事長でもいらっしゃいます。

左が吉田さん。真ん中に座るのは先ほど未来会議で登場した商工会議所の吉井さん。「仕立屋」の2人を吉田さんや長浜のメーカーさんたちと引き合わせてくれた人物です
左が吉田さん。真ん中に座るのは先ほど未来会議で登場した商工会議所の吉井さん。「仕立屋」の2人を吉田さんや長浜のメーカーさんたちと引き合わせてくれた人物です

浜ちりめんの主な流通先である京友禅や加賀友禅は、細やかで優美な絵柄が何よりの特長。わずかな生地の難でも、染め上がった時にその繊細な世界を損ねてしまいます。

「長年友禅の表生地に浜ちりめんが使われてきたことは、何よりの品質の証です」と吉田さんは誇らしげに語ります。

浜ちりめんの反物
浜ちりめんの反物
この印が、厳しい検品基準をクリアした「浜ちりめん」の証
この印が、厳しい検品基準をクリアした「浜ちりめん」の証

その高い品質は、糸づくりから生地織りまで一社が一貫して行う生産体制が支えています。

一般にはこうした機械が動いているのが織物の現場のイメージですが‥‥
一般にはこうした機械が動いているのが織物の現場のイメージですが‥‥
織り機に縦糸をセットするための前工程。製品の種類ごとに本数や長さ、幅を整えていきます
複雑な工程を丁寧に教えてくださいます
複雑な工程を丁寧に教えてくださいます
集まってきた糸は難がないか細かくチェック
集まってきた糸は難がないか細かくチェック
こちらは緯 (よこ) 糸に水をかけて柔らかくしながら撚る工程。ちりめんはこのように糸に強い撚りをかけることで、表面に独特の凹凸が生まれる
こちらは緯 (よこ) 糸に水をかけて柔らかくしながら撚る工程。ちりめんはこのように糸に強い撚りをかけることで、表面に独特の凹凸が生まれる
撚りの工程クローズアップ
こちらも糸に撚りをかける道具。撚りの工程は機械を変えて繰り返され、生地に様々な風合いを生み出します
こちらも糸に撚りをかける道具。撚りの工程は機械を変えて繰り返され、生地に様々な風合いを生み出します
出来上がった糸を巻き取る管の列。全38工程に及ぶものづくりの現場は、普段見慣れない道具やアイディアに溢れています
出来上がった糸を巻き取る管の列。全38工程に及ぶものづくりの現場は、普段見慣れない道具やアイディアに溢れています

すでに浜ちりめんにかなり詳しくなっているであろうユカリさんと石井さん。目をキラキラさせながら、質問も活発に飛び出します。

話を聞く石井さん
ユカリさん
ユカリさん
ユカリさん

こうしたものづくり現場の取材や街の歴史のリサーチなど、移住してから半年はひたすらインプットに費やしたそうです。

そんな地道な活動が功を奏したのが、3月に行われた「長浜シルク産業未来会議」でした。

会議の題名は直前まで「浜ちりめん未来会議」だったそう。

「でも、私たちが取材を通して知ったように、長浜にはその前段階にある養蚕農家さんや、紬やビロードなど違う種類の織物メーカーさんもいる。それほど絹に特化している面白い産地です。

浜ちりめんという言葉に変えてシルク産業と言うことで、この会議が自分ごとになる人が増えます。

より多くの人を巻き込むことで、普段出会えなかった視点でお互いの仕事や地域の産業を、話し合えたんじゃないかと思っています」

中と外の視点

地域おこし協力隊の任期は3年。移住してから1年が経ち、現在は少しずつ、現地でのインプットをカタチにしていく段階に差し掛かっています。

現地での体感知をアイディアに結びつけていくためには、東京組とのリモート会議が欠かせません。

取材当日も、スカイプで東京組のひとり、古澤さんも交え、3人にお話を伺えました。

事務所には膨大な話し合いの軌跡が
事務所には膨大な話し合いの軌跡が

石井さん:「僕たち2人が地域に入り込めば入り込むほど、地域の枠組みや関係性の中でものごとを考えるようになります。

それは産地に当事者として向き合うという点ではとても大事ですが、その上で冷静にやることの優先順位や、やらないことの線引きをしていかないと世の中に伝えたいことの焦点がぼやけてしまう。

そこに東京組の客観的なツッコミが生きてくるんですね。中の状況を踏まえて外から判断するっていう仕組みが仕立屋の強みだと思います」

自分が「仕立屋と職人」である理由

そんな「外」の視点を担うリモート組の古澤さんは、東京で会社員としての顔を持っています。

石井さんも協力隊として長浜の取組みを続ける傍ら、フリーランスのグラフィックデザイナーとしての仕事も続けています。

こうすることで、新しい土地でも生活基盤を安定させながら、「仕立屋と職人」のミッションにしっかり時間と予算をかけることができるそうです。

なぜそのような働き方を選んでまで、地域のものづくりに携わろうと思ったのか。動機はそれぞれに違いました。

サービスデザイナー、古澤さんの場合:「全てのモチベーションが揃う場所」

「僕はすごく平たく言うと、伝統工芸だからやっているって感じは全然ないんです。

この人いいな、面白いなという人や、実現したら面白いなと思うアイディアに対して、あるべき姿への道筋を組み立てて、その価値を広げていきたい。

『仕立屋と職人』では、現地にいる2人を介してそういう魅力的な人やモノゴトに出会える。そこに自分のやってきたことを生かして解決すべき課題がある」

未来会議での古澤さん
未来会議での古澤さん

「僕が仕事をしたいと思う全てのモチベーションが揃ったから、『仕立屋と職人』をやっているという感じです」

グラフィックデザイナー、石井さんの場合:「デザインが力を発揮できる場所」

「僕はデザイナーですが、デザインって力を発揮する場所をデザイナーが自分で見つけるべきだと思うんです。

自分じゃなくてもできるところでは、デザインを作らなくていいかなって。それは僕じゃない誰かがやるから。

でも必要なところっていっぱいあると思うんですよね。それが仕事になるかならないかは自分次第。それを見つけたいと思ってきたのがひとつです。

もうひとつは、日本人が日本のことを誇らしげに話せたらいいなということ。

僕は伝統工芸の世界に出会う前にロンドンに留学していた時期があったのですが、みんながあまりにも自分の国を誇らしげに話すのがうらやましかった。

僕は千葉出身で、自分にはカルチャーがないなって思って生きてきたのに、外に出てみたらそのカルチャーがないって言ってたところのカルチャーを何も知らなかった。

だったら自分みたいなやつが、嬉しそうに日本のことを話せたら世界が変わる気がするなと思ったんです。デザインが力を発揮する場所って、そういうところなんじゃないかなと。

それを突き詰めて考えていった先にたどり着いたのが、日本の伝統工芸でした」

吉正織物さんにて
吉正織物さんにて

縫子、ユカリさんの場合:「伝統工芸を介して、心が震える世界を作る」

「私はずっと洋服を仕立てる縫製の仕事をしていました。

作りながら、私が使っているこの生地は一体なんだろうって疑問が湧いてきて、そういうことを気にせずただ作り続けていくことに、違和感を感じるようになりました。

どんなものにも素材や形の理由がちゃんとある。その背景を伝えられたら、そのものの価値がもっとパワーアップして誰かに届く。

でもそれは私一人では出来ないとわかった時に、こうやってみんなと会えたから今があるという感じです。

作り手が良いと思っているものを、ちゃんと世の中に届けたい。私がものづくりをしてきた人間だからこそ伝えられる言葉もあると思っています」

仕立屋と職人

「でも同時に、発信だけじゃなくそれを受け取る側も一緒に育っていかなきゃいけないと強く思っています。

どんなに良さを語っても、それを見た人が『へーそうなんだ』で終わったらどうにもならないから。

あるものを見た時に心が動く世界を、同時に作らなきゃいけない。

仕立屋と職人が作るのはプロダクトだけありません。伝統工芸を介して心が震える世界を作っていきたい。作り手も使い手もひっくるめて。

そういう世界を、このチームなら作れると思っているのが、私が『仕立屋と職人』をやっている理由です」

サービス設計、デザイン、ものづくり。それぞれに違う背景を持ちながら、全員の「やりたい」が詰まっていたのが伝統工芸の世界でした。

長浜にきて1年と少し。

「仕立屋と職人」の長浜編はまだ途中ですが、その取組みは、地域で働きたい人やものづくりに関わりたい人、自治体にとっても、新しい「夢の叶え方」を示しているように感じました。

<取材協力> ※登場順
仕立屋と職人
http://shitateya-to-shokunin.jp/

長浜商工会議所
http://www.nagahama.or.jp/

有限会社 吉正織物工場
http://www.yoshimasa-orimono.jp

文:尾島可奈子

【はたらくをはなそう】日本市店長 村田あゆみ

村田あゆみ
(日本市 羽田空港第2ターミナル店 店長)

2014年 入社 新卒7期生
日本市 羽田空港第2ターミナル店 配属
2015年 日本市 東京スカイツリータウン・ソラマチ店 店長
2018年 日本市 羽田空港第2ターミナル店 店長

幼い頃から、絵を描いたり、工作をしたりすることが好きで、
毎日ひたすら何かをつくっていた私には、
想像もつかなかった「店長」というお仕事。

一見繋がりがないように思えますが、
どちらも「表現する」ことに変わりはありません。

天気も違えば、お客さまも違う、
1日として同じ日がない店内をよくよく観察し、
お店のあるべき姿を考え抜く。
そこで思い付いたアイデアを、売場全体の演出や言葉に落とし込み
表現していくことにやりがいを感じています。

お店は1人ではつくることができないので、
一緒に働くスタッフのアイデアもとても重要。
どんな空間にしたい?
どんな言葉を使って商品の魅力を伝えようか?
毎日まるで、展覧会を開いているかのような気持ちです。

お客さまがお褒めの言葉をくださったり、
スタッフが笑顔で働いている姿が見られたりすることが何より嬉しく、
「どうしたら人を楽しませることができるか」という思いを大切に、
お店づくりをしています。

突然アイデアが湧くと、眠れなくなるときもありますが笑、
それくらいお店のことを考えるのが楽しいのだと思います。

考え抜くことを楽しんで、思い通りの世界を表現し、
いつか生まれ育った奈良で、最高のお店をつくることを夢見ています。