おばあちゃんの着物を今っぽくする小物をプロに聞く

「1年のはじまりの日は、新品のいい服を着なさい」と昔、祖母が言った。

その理由は分からないですが、たしかにパリッと新年を迎えられるのは気持ちがいいものです。もう祖母はいないけれど、今でも新年にはちょっと背伸びして買った服や着物を着るのが我が家の習慣。

だけど、今年は祖母の着物を着てみようかなぁ。
この前実家のタンスを整理していたら、祖母や母の着物がたくさん出てきたのです。

母親は「ちょっと古くさいんじゃない」なんて言いますが、正統派の柄や色づかいはとても素敵に思えました。そしてなにより、祖母が若いときに着てたものと新年を迎えるのはなんだか嬉しいものです。

でも、たしかにそのまま着るとちょっとクラシックさが目立つかもなぁ。

それなら、着物のまわりの小物であそんでみようと、昔の着物でもシックに着れる小物やアクセサリーをプロに教えてもらいました。

教えていただいたのは、きもの やまとのブランド〈 THE YARD 〉の池田さん。着物はもちろんのこと、合わせる小物のセレクトがとても素敵なブランドです。

以前、「お正月に身につけたい、縁起のいい着物の柄6選」の記事でもお世話になりました。

THE YARD 渋谷モディの店内
THE YARD 渋谷モディの店内

和装にも洋装にも似合う小物を

小物を選んでもらうにあたってもうひとつ。

「和装でも洋装でも使えるもの」をお願いしました。正直、そんなに着物の頻度が高いわけではないので、なかなか「着物だけ」で使えるものを揃えるのはちょっとハードルが高い。だからできれば、洋服でも使えるものを、と。

そのオーダーに、「小物のセレクトの基準は、和洋兼用で使えるものだから大丈夫です」と心強い答えが返ってきました。

それでは早速、教えてもらったものを紹介していきます。アクセサリー、バッグ、布ものと続きます。

SIRISIRI 籐細工のアクセサリー

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/SIRISIRIのアクセサリー

まずご紹介するのは、意外性を感じさせるマテリアルと伝統的な職人技術との組み合わせにより、コンテンポラリーな作品を発信するジュエリーブランド、SIRI SIRIです。

昔からある技法や素材を使いながらも、その組み合わせやデザインで現代のかたちに落とし込む。そのアウトプットにはいつも、技術は使い方だなぁと考えさせられます。

「洗練されたデザインなので、シルクやシルクウールなどの着物と合わせると、より上品な装いになると思います」と、教えてくださいました。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/SIRISIRIのブレスレット・ヘアゴム
SIRISIRI / ARABESQUE Hair Tie CLEAR / 30,240円(税込)

今回紹介いただいたのは、ガラスと籐(とう)のブレスレット。ヘアタイとしても使えます。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/SIRI SIRI(シリシリ)のバングル
同じARABESQUEコレクションのバングル / 33,480円(税込)

serial number のヘアゴム

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/Serial Numberのヘアゴム

真鍮の大きな丸が目を引く〈 serial number(シリアルナンバー)〉のヘアゴム。

ブランド名にある<serial>とは英語で「ひと続きの」という意味。「ひと続きの小説や映画のように、持ち主とアクセサリーがひとつの物語を綴っていく」というコンセプトのもと、アイテム1つ1つにシリアルナンバーが刻印されています。

「経年変化していくと、真鍮の輝きが増していきます」と池田さん。長い間を共にする着物みたいに、一緒に成長を楽しんでいきたいアクセサリーです。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/Serial Numberのヘアゴム
serial number / ヘアゴム tuki / 7,020円(税込)

季節を問わず通年で、そして和装にも洋装にも使えそうなシンプルなデザインです。

CHRISTIAN PEAUの革バッグ ショルダーポーチバッグ

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/CHRISTIAN PEAU(クリスチャンポー)

日本製ながら流通のほとんどがヨーロッパのため、日本での取扱いは珍しいCHRISTIAN PEAU(クリスチャン ポー)のバッグは、これを目当てに来店されるお客さまも多いのだそう。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/CHRISTIAN PEAU(クリスチャンポー)
CHRISTIAN PEAU / ショルダーポーチバッグ / 43,200円(税込)

持ち手部分は取り外し可能で、付属の長いハンドルを使えばショルダーバッグとしても使えるのが嬉しいところです。

THE YARDで売られてるものは、もともとの型をリサイズして通常より少し小さめサイズ。

着物にはやはり、少し小さめのバッグの方が似合うとのことですが、もちろん洋服に合わせても。お財布とハンカチ、スマホ、ちょっとした化粧道具ぐらいは入りそうなサイズ感がちょうどいいです。

Hender Schemeのレザーバッグ

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/ヘンダースキーマ(hender Scheme)・スキマのバッグ

「もっとシンプルなバッグを」と次に紹介してもらったのが、Hender Scheme(エンダースキーマ)のレザーバッグ。

シンプルなデザインが、どんな服装にも合わせやすそうです。半分に折り畳んで、クラッチバッグのように持てるようになっています。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/ヘンダースキーマ(hender Scheme)・スキマのバッグ
Hender Scheme / not eco bag wide /14,040円(税込)

素材は、シボ加工のカウレザーを使用。素材の上品が、いろいろなスタイリングに持ちやすいバッグです。

THE YARDのオリジナルブランケット

紹介してもらい「なるほど!」と思ったブランケットやストール。
柄の多いクラシカルな着物でも、シックなトーンのテキスタイルがバランスを整えてくれそうです。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/AUGUSTE-PRESENTATIONのブランケット

AUGUSTE-PRESENTATION (オーギュスト プレゼンテーション) と一緒に作ったオリジナルのブランケット。1枚羽織るだけで、がらりと雰囲気が変わりそうな大判です。

メルトン仕上げの生地がとても温かく、これがあればコートはいらないかもしれません。着物の帯を守るのはもちろんのこと、洋服でも活躍しそうな1枚。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/AUGUSTE-PRESENTATIONのブランケット
AUGUSTE-PRESENTATION / ブランケット / 42,120円(税込)

男女兼用なので、家族やカップルで共有してもいいかもしれません。着物をマニッシュに着こなすなんて粋なコーディネートができそうです。

evam evaの別注カシミヤストール

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/evam evaのストール

山梨県のニットメーカーevam eva(エヴァム エヴァ)に別注した、カシミヤ100%のストール。従来のストールより大きめで、着物の羽織を着用した時でも覆い被せられるサイズ感になっています。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/羽織がわりになるストール
evam eva / カシミヤ大判ストール / 64,800円(税込)

デザインで特殊なのが、ストールの端についた太めの切り返し。羽織ったときに、羽織の衿型(えりがた)のように見せることができます。着物仕様ですが、洋装に合わせても凛とした印象になりかっこいいです。

着物コーディネートに合うこものをTHE YARD(ザ・ヤード)に教えてもらう/SIRI SIRI(シリシリ)

小物次第で印象の変わる着物の着こなし。「ちょっとクラッシックで着こなせないかもなぁ」と眠らせている着物もぜひ、引っ張り出してみてください。

< 取材協力 >
THE YARD (株式会社やまと)
http://the-yard.jp

■ THE YARD 渋谷店
東京都渋谷区神南1-21-3 渋谷モディ4F
03-4336-8241

■ THE YARD 仙台店
宮城県仙台市青葉区中央3-7-5 仙台パルコ2 2F
022-714-2581

文:西木戸弓佳

フィリップ・ワイズベッカーが旅する たった一刀で形づくる、木彫りの亥を求めて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

いよいよ最終回となる連載12回目は、亥年にちなんで「奈良一刀彫りの亥(イノシシ)」を求め、奈良の大林杜寿園を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイを、どうぞ。

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奈良のせんとくん

亥に会うため、奈良に来た。
いったい何処に隠れているのだ?鹿の存在は、あちこちにあるが。

横断歩道を渡っている鹿

横断歩道にて。

奈良の道路に描かれた鹿のマーク

道路上にて。

鹿をかたどった彫刻

私たちが訪ねた一刀彫り職人の工房のウインドーにまで‥‥。たまげた!

職人

あぁ、やっと!亥が現れた!

職人は、すでに作業にとりかかっている。
一刀彫りという技術で、楠の塊を彫っている。

一刀彫りで作られた木の犬と道具

しかしこれはデモンストレーション用で、実のところ、今は戌を制作中だという。

犬の写真

この写真がお手本になっているということか。ふむ‥‥。

干支の木彫り人形

板の上に並べられたのは、戌、亥、そして干支の仲間たちだ。

訪問は終わった。私の眼差しは、あちらこちらをさまよい、止まる。

お茶会の様子

鹿(そして亥)の国の訪問の後は、中川政七商店本社での忘れがたいお茶会だった。

──

文・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
写真:フィリップ・ワイズベッカー、貴田奈津子
翻訳:貴田奈津子

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

幕末の「下町ロケット」 島津家が世界に誇った薩摩切子の紅色

「もう、できません」

職人が何百回と失敗しても、殿様は引き下がらなかった。

「列強にできて、我々にできないわけがない」

──今日は、列強の危機迫る幕末に、世にも美しい切子ガラスの器を生み出した薩摩藩と、100余年後、幻となっていたその「薩摩切子」を蘇らせた人々のお話です。

はじめは無色だった切子ガラス

カットガラスの模様が美しい切子細工。

薩摩切子の器

江戸の地で花開いた「江戸切子」が有名ですが、もともとは色ガラスでなく、透明なガラスに切子を施したものだったそうです。

実際に江戸時代に作られた江戸切子の器
実際に江戸時代に作られた江戸切子の器

そんな中、着色ガラスの研究に心血を注いだのが、幕末の雄、薩摩藩でした。

幕末。国難に、ガラス工芸で立ち向かった薩摩藩

鎖国時代にあっても、三方を海に接する薩摩の地には外国の情報がよく入ってきます。

薩摩のシンボル、桜島
薩摩のシンボル、桜島

江戸からはるか離れた場所にありながら、藩を統べる島津家は迫りくる列強の脅威をヒリヒリと肌で感じていました。

「幕末に開国を悟っていた殿様は他にも何名かいましたが、他藩はまず、列強に負けない武力を持とうとしました。

薩摩藩のユニークなところは、軍事だけでなく社会インフラなどの産業の増強にも力を注いだことです。そのひとつが、薩摩切子でした」

そう語るのは、株式会社島津興業の有馬仁史 (ありま・ひとし) さん。

幕末の動乱を経て技術が途絶えた薩摩切子を、およそ100年ぶりに復刻させたのが、島津家の系譜を継ぐ株式会社島津興業です。

島津興業が運営する「薩摩ガラス工芸」の工房
島津興業が運営する「薩摩ガラス工芸」の工房

「薩摩切子」復刻のきっかけは100年後のデパートで

「途絶えてからすでに100年以上がたち、現物もなければ、設計書もありません。わずかに残された資料や写真を頼りに復刻はスタートしました」

復刻のきっかけは、鹿児島の百貨店で1982年に開かれた展覧会だったそうです。

「ガラスの歴史を研究していた先生が開いたもので、研究の成果として復元した薩摩切子が展示されたんです。

鹿児島に切子があったことすら知らない人が多い中で、その蘇った姿は話題になり、復刻の機運がにわかに高まりました」

県からのオファーも受け、島津興業が復刻の舵取りをすることとなりました。

日本の産業革命から生まれた工芸品。発起人は島津斉彬

そもそも薩摩切子とは、幕末に島津家が藩をあげて取り組んだ産業の近代化、工業化プロジェクト「集成館事業」から生まれた工芸品です。

発起人は幕末の名君として名高い、薩摩藩第11代藩主、島津斉彬 (しまづ・なりあきら) 。

斉彬は藩主に就くとすぐ、大砲づくりに必要な製鉄や造船、紡績などの工場群「集成館」を、桜島を臨む現在の鹿児島市磯地区に建設させます。

鉄を溶かす旧集成館の反射炉跡や機械工場などは、日本の産業革命遺産を構成するひとつとして、2015年に世界遺産登録されました。

名勝 仙厳園
反射炉跡が敷地内にある旧島津家の別邸、名勝 仙巌園
反射炉跡
反射炉跡

「産業の近代化はイギリスをはじめ、世界各地で起きてきました。ではなぜ日本の産業遺跡が世界遺産として注目されたのか。

それは鎖国という、外国からの情報がほぼ得られない状況下で、わずかな資料や既存の技術、資源だけを頼みに、驚くほど短期間で成し遂げられた産業革命だったからです。

そうしたエネルギーが、薩摩切子誕生の背景にもあったと思います」

幕末の『下町ロケット』

江戸切子が隆盛を極めていた当時、薩摩藩には薬瓶など、実用のためのガラスを作る技術しかありませんでした。

「それが斉彬の代になって、『このガラスを美術工芸品の域に高めよ』と言う。

ところが身近には教えを請える外国人指導者もいませんし、参考となる書籍はみな洋書です。まずは本を翻訳するところから始まるわけですね」

翻訳ができても専門用語がわからない。用語がようやくわかっても、設備も道具も技術もない。

「中でも難しいのが、ガラスの着色です。色ガラスはすべて、鉱物を原材料にした化学変化で出来ています」

同じ鉱物を使っても、色は温度によって変化する。溶かしたガラスを一定の時間、一定の温度で保てなければ、狙った色にならないそうです。

色とりどりの発色はすべて、原料となる鉱物の種類と温度管理で変化する
色とりどりの発色はすべて、原料となる鉱物の種類と温度管理で変化する

「そんな化学の知識ももちろんない中で、江戸の当時はすべて手探りの実験です。

現代でいえば、『下町ロケット』みたいな話ですよね。何度も失敗する中で、温度と時間の関係に気づいていったのだと思います」

職人が数百回失敗しても、他国では実際にできているのだから、と叱咤激励して島津家がどうしても手に入れたかったのが、当時はどの藩でも発色に成功していなかった、赤い切子ガラスでした。

斉彬自慢の紅ガラス

薩摩藩はついに、日本で初めて、深い紅色の切子ガラスを誕生させます。

復刻された伝説の「薩摩の紅ガラス」
復刻された伝説の「薩摩の紅ガラス」

「『薩摩の紅ガラス』として、一躍有名になりました。斉彬も完成した当時は大いに喜んで、近しい人にプレゼントして自慢しているんですね。

自慢したくなる気持ちもよくわかります。今でもこの紅色は、発色させるのが大変難しい色なんです」

薩摩藩の職人たちが資料も道具も設備もないところから薩摩切子を誕生させたように、100年後の島津興業もまた、明治初期には途絶えたという「幻の切子」を、わずかな資料を頼りに復刻しなければなりませんでした。

二人の職人との縁から動き出したプロジェクト

「最盛期の薩摩切子の工場には、100人以上の職人がいたと言われています。しかし幕末の動乱や事業主であった藩の解体とともに、事業は縮小していきます。

この一帯は幕末から明治にかけての動乱で戦地になったこともあり、資料もほとんど残っていませんでした」

そんな中で、島津興業の薩摩切子復刻プロジェクトは持ち上がりました。

「職人を呼ぼうにも、みんな薩摩切子が一体なんであるかを知らないわけですよね。

すでにどこかの工房で地位を獲得している職人が、まだ形のない工房に来ようとは、なかなか思わないわけです」

それでも、展覧会を開いた先生のつながりで、ガラスの専門学校を間もなく卒業する一人の女子学生をカット職人として採用。

カットの様子
カットの様子

さらに、視察先のガラス工房で、たまたま薩摩切子の存在を知る、鹿児島出身の成形職人に出会い、意気投合。

成形の工程
成形の工程

「成形、カットとこの二人が両輪になって、だんだんと復刻が現実のものになっていきました」

100年前の姿を求めて

技術は整った。しかし復刻の見本にできるものは、わずかに昔の写真などしかなかったそうです。

「切子は、外側の色ガラスと内側の透明ガラスが一体となって、外側に切り込みを入れることで模様を表していきます。

薩摩切子は他の切子と比べて分厚く、その分、切り込みの角度や深さによって、色のグラデーションを出す『ぼかし』の表現ができるのが特徴です」

ぼかしの見本。切り込みの角度や深さによって色の濃淡が変わっていきます
ぼかしの見本。切り込みの角度や深さによって色の濃淡が変わっていきます
浮かび上がるような柔らかな色合いになります

「実は後世になって、カットの角度や深さまで研究した薩摩切子の専門書が出版されているのですが、実際にその通りにやっても、イメージ通りにはならなかったんですね。

目指す姿にするために、手探りで理想の色やカットの角度、深さを見つけていく。プロジェクト初期は、それこそ試行錯誤の繰り返しだったと思います」

1982年の展覧会から3年後の1985年には、薩摩切子の工房「薩摩ガラス工芸」がスタート。

薩摩切子の認知も少しずつ広まり、30年が経った現在は成形からカット、磨きまで26名の職人さんが働いています。

工房も、昨年には一般の方も見学できる施設としてリニューアルオープンしました。

作業の様子を間近で見学できます
作業の様子を間近で見学できます

もしも薩摩切子が100年続いていたら

もうひとつ、有馬さんが教えてくれた薩摩切子の特徴があります。それは模様。

「たとえば江戸切子は単一柄の連続ものが多いんです。着物の江戸小紋と一緒ですね。

一方で薩摩切子は、ひとつの器の中に複数の模様を組み合わせて表現します。当時のヨーロッパのカットガラスのように、非常にデコラティブなんですね」

面ごとに模様が違うのがわかります
面ごとに模様が違うのがわかります

「これは想像の域ですが、おそらく斉彬が、海外への輸出を視野に入れていたためではないかと思うんですね。

海を渡っても、一目見てそのゴージャスさがわかってもらえるような表現を目指していたのでしょう。

それを証明するように、当時作られた薩摩切子の中にも、日本の食文化にないような、デキャンタのような形をした酒瓶があったようです。

どこかで見聞きした西洋のトレンドをキャッチして、製品作りに取り入れていたんですね」

技術を研鑽し、不可能を可能にしていく姿は、復刻から20年たった現代の薩摩切子にも見ることができます。

ぼかしの表現が難しい黒の切子の器。濃淡の違う黒ガラスを2層合わせるアイディアで誕生しました
ぼかしの表現が難しい黒の切子の器。濃淡の違う黒ガラスを2層合わせるアイディアで誕生しました
全国でも珍しいという、明るい発色の黄色い切子
全国でも珍しいという、明るい発色の黄色い切子

「私たちは単に昔の姿形の通りにするのではなく、江戸時代に薩摩切子が『目指したもの』を大事にしています。

これはたらればの話になりますが、もし、薩摩切子の技術が途絶えずに100年続いていたら、果たして職人たちはずっと昔の技術や製法のまま作っていただろうか、と考えるんですね。

幕末にあって斉彬が、海外にも誇れる最高級の切子ガラスを作ろうとしたように、私たちも志は受け継ぎながら、今できる最高の技術で作れる現代の薩摩切子を、作っていくつもりです」

現代に蘇った薩摩切子。

その姿は単なる復刻版ではなく、江戸時代に他藩に先駆けて研究を成功させた志そのままに、これからも進化し続けていくのだろうと思います。

<取材協力>
株式会社島津興業 薩摩ガラス工芸
鹿児島県鹿児島市吉野町9688-24
099-247-8490 (島津薩摩切子ギャラリーショップ磯工芸館)
http://www.satsumakiriko.co.jp/

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、公益社団法人 鹿児島県観光連盟

※こちらは、2018年1月24日の記事を再編集して公開しました。大河ドラマ「西郷どん」にも登場した薩摩切子。ぜひ実物をみていただきたい工芸品です。

人気のマスキングテープ「mt」を生んだ “和紙の透け感がかわいい”という感覚

みなさんには「手離せない文房具」はありますか?100均やコンビニでも手軽に買える文房具ですが、自分にあったものとなると、なかなか出会えないものです。

そんな中で、ノートはこれ、万年筆はこれ、と指名買いされる文房具があります。手離せない理由はどこにあるのか?身近で奥深い、文房具の世界に分け入ってみましょう。

人気文房具マスキングテープを世に広めたカモ井加工紙の「mt」

人気文房具のマスキングテープ。

その使い方は実に幅広く、専門の本まで出るほど。

今となっては、当たり前のように文房具コーナーに色とりどり、柄もさまざまなマスキングテープが並んでいますが、もともとマスキングテープって文房具ではなく、業務用の道具だったのをご存知ですか?

その誕生の秘密が知りたくて、文房具としてのマスキングテープを世に広めたカモ井加工紙株式会社さんにお話を聞いてきました。

マステ「mt」の秘密その1、原点はハイトリ紙

マスキングテープのシェア9割を誇るカモ井加工紙さんの本社は、岡山県倉敷にあります。

カモ井加工紙本社

そのはじまりは、さかのぼること95年前、1923年に創業者の鴨井利郎氏が「ハイトリ紙」の製造を始めたことから。

ハイトリ紙とは、飛んでいるハエを捕らえる粘着面がある紙。ちなみに岡山弁ではかつて、ハエのことを「ハイ」と呼んでいたそう。

粘着剤がついたリボン状やシート状のこんな紙をおばあちゃん家などで見たことありませんか?

カモ井加工紙のハイトリ紙
カモ井加工紙のハイトリ紙。左は平型、右はリボン型
カモ井加工紙のハイトリ紙
お話を伺った専務取締役の谷口幸生さん。使い方を実演してくださいました
お話を伺った専務取締役の谷口幸生さん。使い方を実演してくださいました

食品問屋出身の初代が食品に寄って来るハエをどうにかできないかと、ハイトリ紙を作り始めたといいます。その延長で、殺虫剤を製造していたことも。食品の天敵である害虫を退治するハイトリ紙や殺虫剤は人気商品となりました。

ハイトリ紙と殺虫剤のポスター
レトロな当時のポスター
カモ井加工紙の機械
ハイトリ紙を製造していたかつての機械

マステ「mt」の秘密その2、時代のニーズに合わせて変化

1960年代に入り、高度経済成長を迎えると、ハイトリ紙で培った粘着技術を活用して、紙製の粘着テープを作るように。これがカモ井加工紙さんのマスキングテープの原型です。

カモ井加工紙の業務用マスキングテープ

そもそもマスキングテープの「マスキング」とは「覆い隠す、養生する」という意味。

大衆車として自動車の需要が増えていった時代は、車の塗装用として活躍したのだとか。車をこすったり、ぶつけたりして塗料がはがれた際に、その周りにテープを貼ってマスキングすることできれいに塗りなおすことができます。

カモ井加工紙の業務用マスキングテープ
当初は青がマステのスタンダード色。その後、さまざまなカラーバリエーションが生まれました。ちなみに、車用にはテープが目立つように車体の色として稀な黄色を採用

さらに時代は進み、1970年代になると、超高層ビルの建築ラッシュに。建築現場では、シーリング用の養生テープとして重宝されました。

業務用のマスキングテープは、薄くて丈夫なことが大事。素材には、薄さと強度を併せ持つ和紙が採用されています。

カモ井加工紙の業務用マスキングテープ
その薄さは、窓の向こうが透けて見えるほど

こうして、マスキングテープは時代の変化に合わせて用途を広げながら、業務用として塗装や建築のプロたちから絶大な支持を受けたのでした。

マステ「mt」の秘密その3、文房具としてのマステのきっかけは“工場見学”だった

そんなプロたちが愛用するアイテムに目をつけたのが、とある3人の女性たち。

「貼ってはがせる」「手で簡単に切れる」「文字が書ける」「透け感がかわいい」と、メーカーや職人たちとはちょっと違う、独自の視点でマスキングテープに価値を見出していました。

その熱心さは、ホームセンターなどを巡り、各社のマスキングテープを買い集めては比較研究していたほど。

カモ井加工紙資料室
彼女たちが作ったマスキングテープの本
カモ井加工紙資料室
マステ愛があふれています

「マスキングテープの生まれるところを見に行きたい」。

新たな本を作るべく、各製造元に工場見学を申し込んだ彼女たち。そのリクエストに応えたのが、カモ井加工紙さんでした。

2006年に彼女たちが工場見学にやってくると、それまでカモ井加工紙さんが気づかなかったようなマスキングテープの可能性を示してくれました。

業務用のマスキングテープに文字を書くことはなかったが、もともとテープに塗料がのるように作られていたことから、結果として「文字が書ける」テープであったこと。

プロとしてはテープはまっすぐ切りたいところも、彼女たちにとってはギザギザの切り口がかわいいという新しい感覚。

テープの薄さと丈夫さを追求して辿り着いた和紙に、かわいい“透け感”があるということ。

そして、「もっとカラフルなマスキングテープを作ってほしい」との要望。

「とにかく、彼女たちの熱量がすごかったんですよ。熱意がすごく伝わってきて、突き動かされました。ものづくりをする立場として面白く感じたので、じゃあ、やってみようということになって」と谷口さん。

こうして、文具・雑貨向けマスキングテープ「mt」の商品開発がスタート。

彼女たちの望みの色を出すのには苦労したそうです。

「非常にバランスが微妙な中間色だったんですよ。それを再現するのが結構大変でした」とmtの企画・広報を担当された高塚新さんは振り返ります。

そして、およそ2年の月日をかけて、誕生したのがこちら。2008年にmt初のアイテムとして発売されました。

カモ井加工紙のマスキングテープ「mt」

これまでに作られたmtのマスキングテープは2000種類以上。今でも年に600種類ほどが新しく追加されているというから驚きです。

現在、カモ井加工紙さんのマスキングテープの製造は、業務用が8割、文具・雑貨用が2割とのことですが、業務用も文具・雑貨用も基本的な製造方法は同じなのでmtの商品開発に手をかけるのは苦ではないそう。

これも全て、カモ井加工紙さんのものづくりの核となる「粘着技術」を活かした商品だからこそ。

「全く関係のないものを作ってほしいいと言われたら、お断りしていたと思うんですよ。これまでと近しいところのものづくりをやって、業界やお客さんが変わるというのは面白かったですね」と谷口さん。

さらに、mtの誕生は、マスキングテープを手にするお客さんを職人から一般の人に変えただけでなく、カモ井加工紙に入社を志望する人たちも変えたといいます。

mtが世に広まることでカモ井加工紙の認知度もアップし、「何か面白いことができる場所」として認識されるように。志望者にはデザイナーや外国の人もいるのだとか。

カモ井加工紙さんが培ってきた粘着技術とマスキングテープへの深い愛が感じられる工場に潜入した記事はこちら

<取材協力>
カモ井加工紙株式会社
https://www.kamoi-net.co.jp/
「mt」ブランドサイト

文:岩本恵美
写真:尾島可奈子

※こちらは、2018年4月19日の記事を再編集して公開しました。

わたしの一皿 土鍋のある景色

気づくと食器棚のうつわたちが冷えてきました。

冬がもうすぐそこか。家にはそんな、目に見えるだけじゃない「景色」がある。

生活の景色。たとえば、個人的には火を使って料理をするとか、家電をなるべく目立たせたくないとか、そんなことだったりするんだけど、景色って実はとても大事でしょう。今日はそんな話。みんげい おくむらの奥村です。

土鍋をふだん使っていますか。

うちは断然土鍋派。炊飯器やら、ホットプレートと一体になったような鍋、そんな便利な家電もたくさんあるだろうが、それでも冬にはぜったいに土鍋の景色がほしい。

もちろんそれは景色だけの話ではない。味もよいのです。

うちでご飯を食べると「普段はしないんだけど‥‥」って言いながらおかわりをする人が多いから、まず間違いないのだと思う。これホントの話。

冬に限らず毎日のように土鍋で米を炊いたり調理をしたりしているけれど、冬は特によい。

何がよいって、土鍋を火にかけるとなんとなく部屋があたたまったり、湿度が高まったりする感じがある。はかったことはないが、たぶん事実だ。

これがそもそも景色としてよい。湯気がぼぼーっと立ち上るあの姿はなんともホッとする景色でしょう。

いやいや、そんなの時間がある人しかできないよ、とは言わないで。土鍋で米を炊くことをおぼえると、炊飯器よりも楽。

僕なんかとうの昔に炊飯器を捨ててしまったので、電気の炊飯器だとどう炊いてよいかわからない。

米を炊くのに使う土鍋は主に2つで、米炊き専用の深さがあるものと、今日使っている万能のもの。

後者は伊賀の量産のもので、値段も使いやすさもバランスがとてもよいもの。伊賀の土で作られた土鍋はこういったものから、作家さんのこだわりのものまでかなり幅が広いが、ともかくも土鍋と言えば伊賀、という産地。

初めて土鍋を買うなら、見た目も大きさもクセのない、できるだけふつうのものがよいでしょう。変わったものは慣れてからにすべし。

網に盛りつけられた小えび

今日はいつもの市場で安かった小エビを使った炊き込みご飯。こういう時の定番の桜エビに限らず、淡いピンク色の小エビは炊き込みご飯に映える。

これはいわゆるアミ。塩辛なんかに使うやつ。酒と薄口醤油だけであまり強い味をつけない、ごくごくシンプルな仕上げに。

ごま油や中華だしで炊けば中華風になるし、バターを入れるとちょっと洋風に。炊き込みご飯は具も味付けも自由度が高く、大好きだ。

小エビの炊き込みご飯をつくる風景

炊き込みご飯の時にこちらの土鍋を使うのは口が広くて、炊き上がりの景色が特によいから。小さなエビで一面薄ピンク。たまらんのですよ。

この土鍋ご飯の炊き上がりの湯気の感じなんてのは、末代まで伝えたい日本の家族の風景だと思っている。

土鍋でつくる炊き込みご飯
茶碗に盛りつけられた炊き込みご飯

薄味で仕上げて、最後に小ねぎをたっぷりとまぜこむ。これでまた色がよくなりますね。ああ、たまらない。

今日のものはえびから出る塩気もそれほど感じられないもので、実にあっさりと仕上がった。おかずと食べてもちょうどよい炊き込みご飯。

日本酒を飲みながらだったら塩をぱらりとふりかけるかもしれない。食感が欲しければごまでもどうぞ。

土鍋っていうのは本当にふしぎなもんで、生き物のような、相棒のような、特別な感情が湧く。

土鍋を洗っていると、なぜか必ず「お疲れ様、今日もありがとう」と思えてくる。炊飯器にはそんなこと思ったこともない。

鍋底にだんだんに火の色が付いたり、うっかり吹きこぼしてその跡が付いたり。ふとそんなのが目につくとまたこれが愛おしい。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

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日本のおやつ職人・まっちんと行く、京都の厳選あんこ菓子巡り

こんにちは。元中川政七商店バイヤーの細萱久美です。現在、フリーでメーカーさんの商品開発や店舗運営のお手伝いをさせて頂いています。

かれこれ20年以上メーカーに属していたので、モノづくり関係の知り合いは多いと思います。

特にここ10年は日本の工芸や食品との関わりの中で、実際に自らモノを生み出す作家や職人、自社のモノづくりを熟知している経営者などと接して、その専門について学ぶ機会にも恵まれています。

その道のプロから聞く話は興味深く、我が道を歩み続けて極めていくことは、なかなかマネの出来ることでは無いと感じます。

探求熱心でプライドや誇りを持ちつつも、謙虚かつ貪欲に他から学ぶ姿勢は、見習うべき点多しです。私には作ることは出来なくても、そんな方々の姿勢や、探求の様子を見聞して、伝えることは出来そう。

私の知る尊敬すべきプロが、これはすごいと認めるモノやコトって果たして何なのかを探ってみようと思います。

まずは長きに渡る友人でもあり、仕事でもお世話になっている「まっちん」こと、町野仁英(まちのきみひで)さんが認める「和菓子」は如何に、ということで京都を一日食べ歩きして「これ」と言う逸品を探すことにしました。いつもまっちんと呼んでいるので、ここでもまっちんで失礼します。

岐阜の山本佐太郎商店とのコラボブランド、「大地のおやつ」シリーズ「ツバメサブレ」

まっちんは、知る人ぞ知る和菓子職人。最近は和菓子職人と言う肩書きはやや違和感もあります。

と言うのも、商品開発などプロデュース業も増えており、岐阜市の「ツバメヤ」の名古屋店は、限定の黄金わらび餅を求めて連日行列だとか。岐阜の山本佐太郎商店とのコラボブランド、「大地のおやつ」シリーズは中川政七商店でも安定の人気です。

まっちんは日本の良い素材にこだわって、みんなが安心して食べられるお菓子を、スタンダードなおやつとして作り続けているのがすごいところ。そして間違いなく美味しいのです。

最近では、NHKの「きょうの料理」に出演。珍しくロケありでまっちんが紹介されていました。

なかなか見ないケースで、とても良く編集されていたと思います。この番組でも、簡単でしかもまっちんらしいおやつを作っていました。今の肩書きを言うなら、「日本のおやつ職人」か?

まっちんとの出会いは約9年前くらいで、まっちんが実家の伊賀で和菓子屋を営みつつ、イベントにも精力的に参加していた頃。本わらび餅や草餅、おはぎなどまっちんが作る生菓子に、たまたま訪れた小売店のイベントで出会いました。

その時買って食べた本わらび餅の衝撃は今でも忘れられず。食感やら味やらボリュームやら初めてのわらび餅でした。

それからすぐに伊賀に会いに行ったりと、ぐいぐい行く私を怪しんだか怪しんでないかは分かりませんが、和菓子を通じて仕事と食べ歩き友となった訳です。

まっちんが手がけるおやつから、食生活もマクロビとかオーガニック?とイメージしていたのが良い意味で裏切られ、純喫茶や庶民に愛されるソウルフード好きな点でも食の好みが合います。

でも、和菓子の基本である「あんこ」への探究心や突き詰める姿勢は半端なく、そこは当然ながら単に和菓子好きの私とは次元が違います。

そんなまっちんに一番響くあんこを使った和菓子は果たしてどこのどれでしょう。
事前に厳選した京都のお店五軒を訪れました。

「神馬堂」の焼き餅

上賀茂神社そばの「神馬堂」の焼き餅
上賀茂神社そばの「神馬堂」の焼き餅
上賀茂神社そばの「神馬堂」の焼き餅

まずは、上賀茂神社そばの「神馬堂」さん。

1872年創業、140余年続く焼き餅の店です。別名葵餅と言われる門前菓子です。

餅であんこを包んで焼いたシンプルなお菓子で、素材の味と焼き加減が直に伝わります。素朴な美味しさに惹かれてお客さんが朝から絶えません。一応16時までの営業ですが、手作りなので作れる数に限りもあり、早めに売り切れることも少なくないようです。

お餅の見た目や包装紙の可愛さも含め、私も大好きなお菓子ですが、まっちんも原点のようなお菓子だと語ります。

「神馬堂」の焼き餅を食べる町野仁英さん

まっちん曰く、味に無駄がなくて潔い。毎日作ってるからできる味で、地に足のついた安定感がある。

代々続いているものを淡々と毎日続けられることがすごい。みずみずしさのある餅米とあんこのバランスは、また食べたくなる味だと。

シンプルなだけに誤魔化せないから実は一番難しいかも、とは職人まっちんならではの感想です。
何個でも食べられそうなお餅ですが、先が続くのでひとまず我慢。