日本最古のあんこ屋が大転換。風味が激変した「先生の豆殺し」

知られざるあんこの歴史

あんぱん、お汁粉、どら焼き、もなか、まんじゅう、お餅、あずきバー‥‥。

あんこを使った食べ物、和菓子を思い浮かべてみて?と質問されたら、ひとつぐらいは簡単に思い浮かべることができるのではないだろうか?

それほど日本人の日常に浸透したあんこを1897年(明治30年)からつくり続けて122年、日本で最も古い歴史を持つあんこ屋さん「きたかわ商店」が、和歌山市内にある。

和歌山県のきたかわ商店

きたかわ商店では、和菓子店「一寸法師」も直営している。決して大きな店ではないけれど、買い物ついでのような女性、車で乗り付けてきた男性、お土産を選んでいるような観光客風のカップルなどなど、お客さんがひっきりなしに訪れていた。

お店に入ると、「本日、売り切れました」という札が置かれている商品がいくつかある。人気の商品は店頭に並んで数時間でなくなるそうだ。

きたかわ商店直営の和菓子店「一寸法師」で販売されているどら焼き
きたかわ商店直営の和菓子店「一寸法師」で販売されている最中

きたかわ商店のオフィスは、お店の隣のビルにある。三代目社長の内藤和起(ないとう わき)さんが、気さくに迎えてくれた。

それにしても、なぜ和歌山に日本最古のあんこ屋さんがあるのだろう。それは、江戸時代から親しまれてきたあんこの歴史に関わっている。

きたかわ商店 3代目社長の内藤和起さん

「あんこってお菓子屋さんが作ってると思ってらっしゃる方が多いんですけど、あんこはつくるのが大変なので、外注に出したい部分なんです。

それで、北川勇作さんという方が1889年に大阪で開いたのが北川製餡所です。その弟子で、私の祖父の内藤直作が1897年、和歌山市内に支店を開きました。あんこは日持ちがしいひんかったから配達がでけへんので、あちこちに支店を開いていたようです」

大阪の北川製餡所はすでになくなったそうで、今現在、その伝統を引き継いでいるのが和起さん率いる内藤家。だから内藤という苗字なのに「きたかわ商店」なのである。

全焼からの再建

直作さんは1908年(明治41年)に独立し、和歌山県内を中心に支店を拡大した。

その結果、今も多くのあんこ屋さんの屋号が北川と内藤で、「東京にある日餡連(日本製餡協同組合連合会)の総会で北川さんって声をかけたらみんなが振り向くみたいな感じです(笑)」。

きたかわ商店は一度、廃業の危機に陥ったことがある。第二次世界大戦後中、空襲によって工場が全焼してしまったのだ。

しかし戦後、和起さんの母親、内藤恭子さんが18歳にして、引き継ぐことを決意する。

「戦時中って、なんにも食べるもんがなかったでしょう。しかも工場も燃えてなくなってしまって。

だから、あんこ屋やったらまた昔みたいな食べるものに困らない暮らしができるんかなと思ったんですって。周りからは、恭ちゃん大変やねんでって言われたみたいけど、『やる!』って言って再開したんです」

きたかわ商店のトレイに入ったあんこ

再開するといっても、工場も機械もない。そこで、昔ながらの碾き臼(ひきうす)を使って手動であんこづくりを始めたそうだ。

その頃は、「甘いものといったらあんこ」という時代だったから、需要はあった。和菓子屋とパン屋に卸すようになり、和起さんが物心ついた時には再び機械化されていたという。

それからしばらく後、二代目の恭子さんが68歳になって「50年やったから引退したい」と言い始めた時、三代目として白羽の矢が立ったのが、和起さんだった。

「母の甥っ子にあたる私のいとこが専務にいて、彼が後を継ぐと思っていたんですけど、『経営は考えてない』と言われてしまって。

私はその時、ぜんぜん責任のない立場で販売営業をしていたんですけど、母から、和起やってくれるか?と言われた時に、ええよって軽く言うてしもたんです。

小さい頃、おばあちゃんから、和起ちゃんは賢いからあんこ屋さんなあ、やさしいからあんこ屋さんなあと言われて育って洗脳されたせいですね(笑)」

「このあんこ腐ってますわ」と言われて

和起さんが三代目に就いたのは、今から20年前、1999年のこと。すでに「甘いものといったらあんこ」の時代は終わり、世の中ではスイーツと呼ばれる洋菓子がもてはやされていた。

あんこの市場は縮小していて、例えば原料となるあずきの作付面積も2003年の4万2000ヘクタールから2018年には2万3700ヘクタールにまで減少している。

社長になり、なんとかしなきゃ、と奮起した和起さんは、あんこを使った洋菓子をつくったり、あずきの健康飲料を開発して特許をとったりとさまざま手を打った。

当時を振り返り、「私はあんこの製造やってないんで、すごく安易に考えてて」と苦笑するが、もしかすると、あんこの職人ではなかったことがきたかわ商店の運命を変えたのかもしれない。

2008年、卸業者からの紹介で、小幡寿康(こばた としやす)さんが訪ねてきた。

かつて皇室御用達の菓子職人で、現在は全国の和菓子店の再建を手伝あっている“放浪の菓子職人”だ。

小幡さんから「(近くにある)橋のところまで来たら小豆の匂いしたから、もうすぐあんこ屋さんがあるとわかった」と言われた和起さんは、誉め言葉だと思って「ありがとうございます」と返した。しかし、そこで小幡さんが続けた言葉に耳を疑った。

鍋であずきを煮ている様子

「ろくなあんこ屋じゃない。湯気に乗って外まであずきの匂いがするということは、あずきから匂いが抜けているということや。風味が残ってないあんこを作ってるんや」。

衝撃はさらに続いた。いきなりの厳しい言葉に驚きも冷めやらぬまま、「工場に入っていいですか?」と言われて、案内。

「ちょっと食べてみていいですか?」と言うので一番質の高い自信のあんこを渡したところ、一口食べての感想が、「このあんこ腐ってますわ」。

さすがにカチンときて「先生、腐ってるわけないじゃないですか」と反論したが、返ってきたのは「腐敗してると言ってるんじゃなくて、美味しくないってことですわ」。

伝統を疑い、常識に縛られない

コテンパンにけなされ、引くに引けなくなって和起さんは、小幡さんに「炊いてる時に匂いがしなくて、くさってないあんこをつくってくれますか?」と言った。

「いいですよ」と答えた小幡さんは、その場できたかわ商店にあるあずき、鍋、砂糖を使ってあんこをつくり始めた。

その間、和起さんは小幡さんを連れてきた人に「なんやのあの先生、頼んでないのにめっちゃ失礼や」と怒りをぶつけていたのだが、しばらくして出来上がったあんこを食べた瞬間、こう思った。

「めっちゃ負けてる!」

「うちのあんこと食べ比べたら、一目瞭然でした。先生のを食べた後にうちのを食べたら、味がしいひんかった。ほんとに、ぜんぜん味が違ったんですよ」

それはもう、老舗の歴史も伝統もプライドも関係なく、完全なる敗北だった。

それほどの違いは、どこから生まれるのだろう。和起さんによると、小幡さんの手法はそれまでの伝統的な製法とはまるで違う。

しかし独自の科学的な理論がしっかりあって、実際に美味しいあんこができるため、何度も目からウロコが落ちたそうだ。

「例えば、昔からあずきを炊く前に一昼夜水に漬けるというんですけど、先生は、そこが一番の間違いだと言うんです。

あずきは子孫繁栄のために生きているから、水を見せてこれから食べるぞって準備したら、雑味とか胸やけの原因になる物質を出すと。

だから『豆殺し』いうて熱湯をばっとかけて、あずきを気絶させて、その間に煮ちゃう。ほんと、発想が変わってるんですよ、先生は」

取材の際、和起さんからほかにもいくつかの小幡式メソッドを聞いて、小幡さんは伝統を疑い、常識に縛られず、常に改善を目指す研究者のような職人なのだろうと感じた。

もし和起さんがあんこの職人だったら、伝統的な製法や自分の仕事を否定されて嫌な気分になり、反発したかもしれない。常にお客さんに接する販売営業の仕事が長かったからこそ、素直に味を評価し、「負けてる」と認めることができたのではないだろうか。

あんこの製造風景

伝統的な製法からの転換

小幡さんのあんこに惚れ込んだ和起さんは、自分の娘で製菓担当だった志真さんを小幡さんのもとに修業に出した。

そして、志真さんが豆の洗い方から学んで帰ってきた時に、100年以上続いた伝統の製法を小幡式メソッドに切り替えた。

きたかわ商店 工場内の風景

昔ながらのやり方に慣れた職人も抱えるなかで勇気のいる決断だったんじゃないですか?と尋ねると、「歴史ある所は味を守ってると言うけど、負けたもんは負け、それなら教えてもらう方がええやん」と和起さんは笑った。

「うちの座右の銘が、変えてはならない商道、変えねばならない商法なんです。お商売は哲学と科学やと思ってて、哲学にあたる商道は変えたらあかんと思うけど、商法にあたる科学は進歩するものだから、良いものに変えていかなあかん。

先生の指導がなんで好きかって言うと、科学的な根拠があるんですよね。先生は毎回言うことが違うという人もいるけど、常に進化してるんだと思います」

あんこを変えたら、風向きも変わった。和菓子の展示会に出展したある日、スーツ姿の数人組がブースに来たので、どら焼きを差し出した。

それが実はこだわり抜いた品ぞろえで知られる高級スーパー、成城石井の原昭彦社長とその社員たちで、この出会いがきっかけで成城石井にきたかわ商店の「極上どら焼き」を卸すことになったそうだ。

きたかわ商店のどら焼き

直営店「一寸法師」でも、変化が現れた。

「お客さんの好みもありますけど、明らかに変わったのはもなかとあずきバーですね。先生のあんこになってから本当によく売れるようになりました。すごくあずきの香りがする、全然ちゃうやんて言われます」

きたかわ商店のあずきバー

変えてはならない商道、変えねばならない商法。

この言葉は、どんな仕事にも通じるものではないだろうか。今日も、きたかわ商店ではあずきが炊かれている。しかし、店の周りであんこの香りはしない。

鍋であずきを炊く様子

〈取材協力〉
きたかわ商店
http://kitakawashoten.jp/

工場直売店
和歌山県和歌山市東紺屋町77

貴志川店
和歌山県紀の川市貴志川町神戸367-1

きたかわ商店 3代目社長の内藤和起さん

文:川内イオ
写真:中村ナリコ

0.2パーセントまで縮小した市場から逆襲する、堀田カーペット新社長のライフスタイル戦略

カーペット生活を選ぶ人は0.2パーセント

カーペットという言葉から、どんな生活をイメージするだろう。

ゴロゴロと寝転がってリラックスするところ?あるいは裸足でフカフカの感触を楽しむところ?

カーペットのある部屋風景

実のところ、この気持ちよさそうな暮らしをしている人は意外なほどに少ない。

「カーペットの市場は、1980年代から1/100にまで減少しました。特に住宅における市場が壊滅しちゃったんですよ」

1962年創業のカーペットメーカー・堀田カーペットの三代目社長、堀田将矢さんはそう語る。

堀田カーペットの三代目社長、堀田将矢さん

大きな理由は、1980年代に「アレルギーの原因になるダニやホコリがたまりやすい」という悪評が広まってしまったことだ。同時に、欧米風のフローリングの生活が浸透し始めて、カーペットの肩身がどんどん狭くなっていった。

いまや新築住宅にカーペットを敷く人の割合は、0.2パーセントにまで減ってしまっている。0.2パーセントというと、1000人中2人という割合だ。圧倒的な劣勢、というより、もはや風前の灯火ともいえる。

その台風レベルの逆風のなかで、堀田さんは住宅用のカーペットの良さを広めて、0.2を少しでも伸ばそうと奮闘している、カーペットの伝道師だ。

堀田カーペット

ちなみに、ホテルやブティック、オフィス、大型商業施設などではカーペットの需要が伸びていて、堀田さんは誰もが名を知る高級ホテルや有名ブティックに納入している。

そちらの事業を手掛けながら、なぜ、はたから見ればどう考えても厳しい一般住宅向けの市場拡大に挑むのか?

それを説明する前に、もう少しカーペット業界の事情を記そう。

タフテッドカーペットが席巻

日本で初めて機械化されたカーペットが登場したのは、1891年。高島屋から発注を受けた大阪市の住江織物(現在創業100年を超える老舗メーカー)が、帝国議会議事堂に敷き詰めた。

創業者の村田伝七さんが、18世紀にイギリスのウィルトンという町で発明されたカーペット用の織機「ウィルトン」でつくるウールのカーペットを参考に開発したものだった。

それから需要が高まり、1916年、同社はイギリスから輸入した織機でウィルトンカーペットの生産をスタート。

堀田さんによると、同社はウィルトン織機自体も日本で製造し、堀田カーペットを含む他社にも販売したことで、大阪府の泉州地域が一大産地になった。

堀田カーペット

1954年、住江織物は新たにアメリカからタフティングカーペットマシンを導入。

このマシンからつくられるタフテッドカーペットは、「既にある基布に多数のミシン針でパイルを植え付ける刺繍方式」で「生産速度はウィルトンの約30倍」と住江織物のホームページに書かれている。

これによって大量生産が可能になり、カーペットが庶民の手にも届く商品となって、市場が一気に拡大した。

現在、日本のカーペットの99パーセントはこのタフテッドカーペット。一方で、経糸と横糸を重ねて織りあげる「ウールの織物」であり、職人の高い技術が要求されるウィルトンウールカーペットの需要は激減した。

今ではウィルトン織機を製造するメーカーが世界に1、2社、日本でウィルトンカーペットをつくる会社も数社になった。

目からウロコの機能性

市場縮小の大波のなかで、堀田カーペットがいまも企業から重宝されている理由のひとつは、同社が糸から開発している稀有な企業で、世界中で生産されているウールの特徴や適性から商品の提案できること。特許の糸を数種類、オリジナル糸で30種類程度持っている。

さらに、ウィルトンカーペットでしか表現できない織デザイン、色、タフテッドカーペットよりも高い耐久性、そして冒頭に記した悪評を覆す機能性が評価されているからだ。

「カーペットは一本一本の毛がホコリをからめ取るので、フローリングよりもホコリが舞い上がらず、部屋の空気をきれいに保つことができます。

しかも、ウールカーペットの場合、ホコリを絡めとっているのはカーペットのなかに織り込まれている『遊び毛』で、掃除機をかければそれごと吸い込まれていくので、特別な手入れも必要ありません。

動物の毛なので油分を含んでいて、汚れや液体も弾くので、飲み物をこぼしても拭き取れば大丈夫です。調湿機能も高くて、夏は冷たい空気を、冬は暖かい空気を均一に保つ働きをします」

堀田カーペット

ウールのウィルトンカーペットならではのデザインや高級感、高い耐久性と機能性を考えれば、企業が採用したくなる気持ちもわかる。

堀田さんはこうした企業向けの仕事で全国を飛び回りながらも、なんとかして住宅向けの市場を再興したいと考えていた。

それは「本当のカーペットの良さをちゃんと伝えていくには、住宅しかないから」。

堀田カーペット

「住宅にカーペットを敷く人が0.2パーセントしかいない今の状態というのは、選択肢の土俵にすらあがっていないということですよね。

でも、一年中裸足で暮らす心地よさや、床に近づく暮らし方、機能性を考えれば、0.2パーセントまで悪くなる暮らしじゃないと思ってるんです。0.2パーセントを5倍、10倍までは増やせるはずなんですよ」

カーペットのある部屋風景

ロンドンで見つけたヒント

この思いを果たすために、最初に開発したのが2016年に発表したウールラグブランド「COURT(コート)」。住宅のカーペット需要が減っている時代に、ウールカーペットの心地よい暮らしを伝えていくために、身近なインテリアとして提案しようという商品だ。

堀田カーペットウールラグブランド「COURT(コート)」
堀田カーペットウールラグブランド「COURT(コート)」

これは多くのメディアに取り上げられ、今では100店舗で扱われるほどの大ヒットになったが、生みの苦しみを味わった。

もともとトヨタ自動車調達部で働いていた堀田さんが、2008年に後継ぎとして戻ってきた時、たくさんの人から「よくこんな大変な業界に入ってきたね」と言われたという。堀田さんにとっても、最初の6年間は「しんどかった」。

「誰から見ても斜陽産業だし、僕が戻ってきた時はリーマンショックの後で、うちの売り上げも落ちて、このままだとやばいって状態だったんです。

入社した時からブランディングしないと生き残れないっていうことは思っていましたけど、なにをしたらいいのかわからなくて、右往左往してましたね。

トヨタで学んだことを活かそうと、トヨタでやったことそのまま持ち込んでも無理だというのも、すぐわかりました。こうしようと言うのは簡単なんですけど、誰がやんねんって」

堀田カーペット

自分の存在意義を探していた堀田さんが突破口を見つけたのは、2014年。

ロンドン出張の際、知人に「今いけてる店を教えて!」と頼み、リストアップされた50軒をすべて訪ねた。その時、「S.E.H KELLY」というテーラーで「これだ!」と確信したそうだ。

「夫婦ふたりでやってるブランドで、誰も行かないような路地裏にある10坪ぐらいの店舗なんですよ。でも、メーカーとしてしっかりものづくりをしていて、世界中からお客さんが来る。

そこのトンマナ(トーン&マナー)、テイストがすごく素敵で、うちの目標になるブランドを見つけた!と思ったんです」

この出会いによって、ものづくりのメーカーとして目指すべき道筋をつかんだ堀田さんが構想に1年、開発に1年をかけてリリースしたのが「COURT(コート)」だった。

堀田カーペット

この商品のヒットで、堀田カーペット自体への注目度が高まった。そこで、17年に父親から社長を継いだ堀田さんは会社のリブランディングを行い、ロゴやホームページを一新。

すると、それまで1年に1、2件程度だったホームページからの問い合わせが1か月に数件くるようになった。しかも、まったくつながりがなかった設計事務所や個人から。まさに、堀田さんが「こうなってほしい」と思い描いていた展開だった。

堀田カーペットのホームページ

個人のユーザーを開拓したその先にある可能性

ここで満足せず、さらにカーペット文化を広めようと開発したのが、DIYタイルカーペット「WOOLTILE(ウールタイル)」。

1枚50センチ四方、カラーは8色、パターンは4つあり、パズル感覚で、好きなカラーや模様を並べて置く。部屋の形に合わせて、ハサミやカッターで簡単にカットすることもできる、ウール製のタイルカーペットだ。

※詳しくはこちらの記事を参照:タイルカーペットの新定番。パズル感覚で組めるDIYカーペットの誕生秘話

DIYタイルカーペット「WOOLTILE(ウールタイル)」

自宅にカーペットを敷こうとなると、それなりの価格がするし、職人の手が必要になる。ラグはサイズに限りがある。

タイルカーペットならどこにでも置けるし、どんな広さにも対応できる。カーペットへの心理的なハードルをグッと下げて、カーペット生活をより身近に、という狙いだ。

この春からホームページやインスタグラムでウールタイルの情報をアップし始めたところ、さまざまなところから問い合わせがあり、正式発売(9月予定)の前から「購入したい」という連絡が相次いでいるという。

「幼稚園の設計事務所とか、ペットショップとか意外なところからも問い合わせが来ています。ほかにもレンタルできないか、ポップアップショップの時だけ使えないかという話もある。想像していなかったことがいくつも起こっていて、ワクワクしています」

DIYタイルカーペット「WOOLTILE(ウールタイル)

目指すはカーペット界の「BOWMORE」

ロンドンの「S.E.H KELLY」と並んで、堀田さんが理想とするブランドがある。

シングルモルトウィスキーの聖地、スコットランドのアイラ島で1779年から醸造所を構える「BOWMORE」。アイラ島最古のウイスキーメーカーだ。

2016年頃、社員からその存在を聞いてひとめ惚れし、2018年1月、実際に訪ねて虜になったという。以下、堀田さんが惚れ込んだ理由だ。

①お客様が飲みたい味を追求するのではなく、自分たちが最高と思うウィスキーをつくっていること。

②世界中に「ファン」がいる。一方で「アンチ」もいること。

③BOWMOREはホテルやコンビニ、バーやレストランもやっていて、アイラ島になくてはならない会社であること。

④アイラ島の海は荒れていて、空は曇り空で、海に囲まれてはいますが決してリゾートっぽくはなく、それでいてとても美しい。目指すべきトーンに近いこと。

⑤醸造所の看板など、めちゃくちゃカッコ良い工場であること。

万人受けを狙うのではなく、自分たちが心底「欲しい!」と思えるものをつくる。ものづくりにとどまらず、たたずまいや地域での在り方を含めて、広い視点で自分たちが「こうなりたい」と思う企業を目指す。その熱量が伝播して、ファンが増える。

堀田さんはそう信じてリブランディングし、COURTやWOOLTILEを開発してきた。

0.2パーセントを2パーセントに。そして世界へ。カーペットの伝道師の挑戦は、まだ幕を開けたばかりだ。

堀田カーペット

<取材協力>
堀田カーペット株式会社
http://www.hdc.co.jp/

「WOOLTILE」ECページ
https://shop.hdc.co.jp/pages/wooltile

<関連商品>
COURT(堀田カーペット)

文:川内イオ
写真:中村ナリコ、堀田カーペット提供

京都 十三や工房の「つげ櫛」、その魅力とお手入れ方法を職人に聞いた

連載「キレイになるための七つ道具」の最終回で取材した十三(じゅうさん)や工房さん。京都で唯一の木櫛調製処です。

実は各地の櫛やさんには十三と名のつくところが多いのですが、これは「くし」という音が「苦・死」につながるため、数字の9と4を足した「13」を屋号にとったものだそう。縁起を担いだ語呂合わせだったのですね。

おすすめはやはり、つげ櫛

1880年( 明治13年 )より木櫛をつくり続ける十三や工房さんが、あらゆる木櫛の中でもっとも優れていると語るのが「つげ(漢字では黄楊)」の櫛です。

最大の特長はその粘度。独特の粘りのあるつげの木地は加工しやすく、磨くほどつややかな美しい木目になるそうです。

裁断、乾燥、矯正、燻し、寝かし、加工‥‥とひとつの櫛が出来上がるまでにかかる期間は、最低でもなんと7年以上。

少しでもお客さまをお待たせしないように、と独自開発した機械もフル稼働する工房は、さながら秘密のラボのようでした。

歯の均一さが命の歯挽き(はびき)は、型に合わせて自動で動く機械を独自に開発
回転モーターに泥をつけて磨いているところ。他にもさまざまに機械を変え、櫛を磨きあげていく

木櫛ならではの良さとお手入れ方法

お話を伺った5代目の竹内昭親さんによれば、髪の質は10人いれば10通りに違うとのこと。自然の素材で作られた木櫛は、そんな髪の静電気や汚れを取り除いてくれます。

お手入れも簡単で、まず使い始めに椿油を布に含んで塗り、1日くるんでおく。ラップでも良いそうです。そして使いながら汚れてきたら、歯ブラシなどで汚れを取り除いてまた椿油を塗れば良いとのこと。

ケガレから身を守るものとして神事や政治の世界でも重んじられてきた櫛。かつては男性の方が重用していた時代もあるそう。十三や工房さんでも、女性用、男性用と様々な種類を揃えています。

手のひらに収まるサイズの女性用
少し長めの男性用

「余分なものを取り除いて、その人の本来の髪の良さを120%引き出せるように」との思いを込めて作られている老舗のつげ櫛。ぜひ一つ持っておきたい一生ものの暮らしの道具です。

専用の箱に入ります

ここで買いました。

十三や工房
http://jyuusanyakoubou.sakura.ne.jp/index.html

文・写真 : 尾島可奈子

*こちらは、2017年7月4日公開の記事を再編集して掲載しました。毎日の使うからこそ、ちょっといいものを。贈りものにも喜ばれそうですね。



<掲載商品>

つげ櫛 麻袋入り

奈良の新名物「鹿コロコロ」は、ものづくりのアイデアの宝庫

車輪付きでコロコロ走る鹿のおもちゃが奈良にあります。

「今から100年後に残る郷土玩具」を目指して、生活雑貨メーカーの中川政七商店が誕生させた新・郷土玩具「鹿コロコロ」です。

古くから日本各地でお土産や子どものおもちゃとして作られてきた郷土玩具。

この新・郷土玩具「鹿コロコロ」は、奈良にもともとあった伝統工芸の「張り子鹿」と、観光客に人気の「ビニール鹿風船」という、新旧の奈良土産を組み合わせて誕生しました。

さらに工程作業にも、伝統的な手法にデジタル技術を取り入れた、ユニークな手法を採用しています。

最近では同じ技術を生かして、首振り張り子の「おじぎ鹿」も登場。

首振り張り子の「おじぎ鹿」

このチャーミングな造形は、表情は、どうして出来上がったのでしょう。今回は奈良県香芝市(かしばし)にあるその製作現場を訪ねました。

障がいのある人たちがアート活動をする「Good Job!センター香芝」へ

鹿コロコロが作られているのは「Good Job!センター香芝」という施設。

木造りの広々としたセンター

奈良市でコミュニティ・アートセンターを運営し、アートを通して障がいのある人の社会参加と仕事づくりをしてきた「たんぽぽの家」が、新たな拠点として2016年にオープンしました。

センターには、利用者が自主製品の製造や企業・団体との商品開発などを行う工房があります。ギャラリー、カフェ、商品のストックルームもあり、商品を販売する流通拠点にもなっています。

Good Job!センター香芝
さまざまな商品の展示販売もされている
「たんぽぽの家 アートセンターHANA」に所属して作家として活動する方の絵画作品も販売する

アートワークに関する活動は全国の福祉施設からも注目を集めています。

伝統工芸を未来に残したい

鹿コロコロの誕生は、センターがオープンする前の2015年に遡ります。

中川政七商店の事業領域である日本の工芸業界では、郷土玩具の型となる木型を作る職人も、その型に和紙を貼って成形する張り子職人も減る一方という、厳しい現状がありました。

「一方で我々にはその担い手となれる工房がある。自分たちが作った商品をもっと世の中に流通させたいという思いもあり、お互いの想いが合致しました」と語るのは、Good Job!センター香芝のスタッフ、藤井克英さん。

Good Job!センター香芝のスタッフ、藤井克英さん
Good Job!センター香芝のスタッフ、藤井克英さん

そこで手を携えて、新しい商品の開発が始まることに。

その最初のコラボレーションが、「鹿コロコロ」だったのです。

張り子と聞くと、竹や木、粘土などで型をとるイメージがありますが、張り子鹿の型は違います。

3Dプリンターから出力した樹脂の型を使っています。

立体作品を3Dスキャンしたデータをもとに3Dプリンターから型を造形する。赤いものがその型
立体作品を3Dスキャンしたデータをもとに3Dプリンターから型を造形する。赤いものがその型

型が出来上がれば、本来の張り子と同じように紙を張って、絵付けをしていきます。この手仕事に携わるのが、アート×デザインの表現を生かして活動するGood Job!センター香芝のメンバーです。

得意分野を生かして

鹿の表情や色味のパターンは、メンバーが描いた鹿の表現が採用されています。

「彼らの創作するものは、どこか有機的でユーモラスな表現になるのです」と藤井さん。

たしかにこの鹿。丸みを帯びた優しいフォルムとともに微笑ましさをたたえています。

ここからのものづくりはメンバーによる手作業。適性に応じた分業をはかり、障害のある人でも使いやすいように道具や作り方に工夫がされています。

張り子づくりは地道な作業の連続です。この鹿コロコロの場合は、和紙を8層糊付けして張り重ね、さらに下地を塗り、その後に絵付けしてようやく完成します。

樹脂の型の色はわざとカラフルにしている。下地の色が見えなくなるまで、貼り残しがないようにとの工夫
1枚1枚小さな和紙を貼ります
日本人形などに使われる胡粉(ごふん)を4回塗装したもの。伝統工芸の素材、技術を大切に継ぐ

「工芸はもともと分業制。メンバーもそれぞれが適性をふまえて得意な工程を任せることで、良い形での協働作業になりました」

鹿コロコロは、ツノがあったり、耳や足があったり、車輪までついていたり。

張り子にしては複雑な造りです。

作る人によって、ちょっぴりふくよかだったりスリムだったり。表情も均一でないところが、逆に個性ある愛らしさとなっています。

「どの子を選ぼうかな、と手に取るお客様も楽しまれるようです」と藤井さん。

絵付け。塗る人によりわずかながらも表情が変わり、それも魅力に

伝統の張り子にこれまでになかった魅力が加わった、と評判を得ています。

さまざまなアートが生まれる

こうした企業とのコラボ商品以外にも、センターからはさまざまなアートワークが発信されています。
ホットドッグ型のオリジナル張り子「Good Dog」は、センター内カフェのマスコット。

サッカー日本代表のシンボルマークでもある「八咫烏 (やたがらす) 」をモチーフにした奈良土産の縁起もの、張り子の「やたがらす」はサッカーファンにも喜ばれています。

左)張り子の「やたがらす」、右)ホットドッグ型のオリジナル張り子「Good Dog」

「新たな奈良土産として始まったこの張り子人形づくりですが、郷土玩具は各地で親しまれているもの。ゆくゆくは、このアートワークの技術を地域の施設とシェアして、全国に広がればと思っています」

自由で楽しいアイテムの数々。これからの日本のものづくりを支える大切な担い手になりそうです。


<取材協力>
Good Job!センター香芝
奈良県香芝市下田西2-8-1
0745-44-8229
http://goodjobcenter.com

文:園城和子、徳永祐巳子
写真:北尾篤司



<掲載商品>

鹿コロコロ(奈良)

金網つじの焼き網で「トーストが美味しく焼ける」秘密

「美味しいトーストが焼ける!」と評判の焼き網をご存知ですか?

焼き網で焼いたトースト
コンロの上に乗せただけの焼き網で、ほんの1〜2分あぶったパン。表面はカリッ、中はふわふわに焼きあがりました

作っているのは京都の「金網つじ」。手で編む京金網の美しさと、道具としての使いやすさが評価され、世界からも注目されている工房です。

辻さんの金網づくりには図面があります。美しい京金網をうみだしています
フリーハンドで編むことが一般的だった京金網作りの現場に図面を取り入れ、使いやすさと見た目の美しさを高めました

平松洋子さん著「おいしい日常」の表紙になった焼き網

金網つじの焼き網は、暮らしの道具に精通した方々が愛用していることでも知られています。エッセイストの平松洋子さんの著書、「おいしい日常」の表紙も飾りました。また、大手パンメーカーのCMで女優の深津絵里さんも使用。パン好きの間で人気が耐えない商品で、生産が追いつかないほどの売れ行きなのだとか。

この焼き網は、何が特別なのでしょう。お話を伺いに京都を訪ねました。

高台寺にある金網つじ
京都 高台寺にある金網つじの店舗。2階では、京金網の製作体験ができます (要予約)
金網つじ 2代目 辻徹 (つじ とおる) さん
金網つじ2代目 辻徹 (つじ とおる) さんにお話を伺いました

網で焼いたパンの美味しさをもっと広めたい

「我が家では、私が子どもの頃から毎朝焼き網でパンを焼いていました。芳ばしいパンの香りが漂う食卓の風景は私の原体験となっています。

家業を継いで自分で金網を作るようになってから、もっと多くの方にこの美味しさを知ってほしい、焼き網を使ってみてほしいと思っていました」

パンの焼き方を映したインスタグラムの投稿
焼き網の活用法や、季節のお勧め食材を調理する様子をインスタグラムで発信している辻さん。使い込むことで変化する網の状態や、パンの焼き方も紹介されていました
焼き網での調理にお勧めの食材の紹介も
こちらは練り物を焼く様子。見ているだけでお腹が鳴りそう‥‥

プロが使う「焼き網」を家庭に

「セラミックから出る遠赤外線は、食べ物を美味しく焼く効果があると言われています」

焼き網に付いている白い部分がセラミック
焼き網の下に付いている白い部分がセラミック

「遠赤外線を出せるのは、『石焼き芋の石』、『炭』、『セラミック』の3つだけ。

実は昔から、料理人の間では『炭の香りはつけたくないけれど、遠赤外線効果で焼き上げたい』時、セラミックが付いた焼き網が使われていました。

プロ用の道具を一般家庭で使っていただけるよう商品化することにしたんです」

金網つじのお店入り口
元々は料理人や和菓子職人などプロ向けの道具を作っていた同店。辻さんが継いでからは一般向けの道具も作り始めました

「発売当初は、プロと同じように昔ながらのセラミックを付けていました。料理人にとっては問題ないのですが、家庭で使う場合の難点がありました。

それは、『洗えない』ということ。脂の乘った魚やお肉を焼くとニオイが残ってしまうので、他のものを焼くならもう一つ焼き網を持たなければいけなかったり、やはり汚れが気になる方もいらっしゃいました」

汚れが気になって、洗ってしまうという人も。洗うと効果が半減してしまうので、辻さんはなんとかしたいと奮闘します。

「いろんな素材を調べていて、行き着いたのが工業製品である『ファインセラミック』です。最先端のセラミック研究を行う企業に依頼して、金網つじ用のオリジナルを製作してもらいました。これなら洗えるし、何より従来のセラミック以上に遠赤外線効果が高いものだったんです」

つじさん

暮らしの道具は、使い勝手が良くてこそ

「せっかくの工芸品に工業製品を加えるなんて‥‥という否定的な声をいただくこともあったのですが、この焼き網を良くするために必要なことでした。

私たちが作っているのは暮らしの道具です。使い勝手が良くて、より美味しいものが作れてこそ喜んでいただけると信じて進めました」

こうして新しくなった辻さんの焼き網は大好評。多くの家庭で使われることとなりました。

焼き網
作られたのは、一般的な大きさの焼き網と、トースト1枚がちょうど乗る小ぶりなサイズ。コンパクトなキッチンでも使いやすい大きさです

長持ちする道具を目指して

辻さんの工夫はセラミック選びだけにとどまりません。使い勝手の検証と、金網つじの技術を生かした仕上げがなされています。

「一般家庭のコンロの火と網の距離を考えて台の高さを調整しました。

それから、金網の枠に巻きつける針金の先端は1本ずつ溶接してなめらかにしています。こうしておくと、壊れにくいですし、スポンジが引っかからないので洗いやすいんです」

枠に巻き込んだ網の仕上げも滑らか。指で触れても滑らかで引っかかりがなく、怪我をしにくい上にスポンジなども引っかからないので洗いやすい
整然と枠に巻きつけられた金網。枠の裏を指で撫でてみると、見事に溶け合っていて尖ったところがありません。そのなめらかさに驚きました

「素材にもかなり迷いました。ずっと使ってもらいたい道具なので、安全性と耐久性を考えてステンレスを選びました。

ステンレスって、すごく硬くて編むのが大変なんです。まさかこんなに売れると思っていなかったので、『失敗したなー!』なんて冗談を言いながら作ってます (笑) 」

ゴルフ手袋で手を守りながら編んでいきます
金属から手を守るため、強くて滑りにくいゴルフ手袋をして編んでいくのだそう。しっかりした生地の手袋でも針金を押さえる指先には穴が空きます。金属を編むハードさを感じました

伝統の技術を現代にアップデートしていく

「工芸に工業製品を取り込んだり、海外向けの道具を作ったりしていると、革新的なことばかりやっているようにイメージされることもありますが、やっていることはずっと変わっていないと思っています。

伝統工芸を受け継がせてもらっている身としては、その技術を守って伝えていくことはとても大切なことです。ただ、守るだけではダメだと思うんです。

今の時代を生きるお客さんにとって、使い勝手の良いものであることが何より大事です。それが伝わったから使っていただけてるんじゃないかなと思います」

金網つじ パン焼き網

使い込むほどに美味しく焼きあがるようになるという辻さんの焼き網。使い方も細かく教えていただいて、トーストサイズを買ってお店をあとにしました。

金網でパンを焼く朝が始まりました。毎日この時間を楽しみにしています。次回は、辻さん直伝の美味しいパンの焼き方を紹介します。

 

<取材協力>
高台寺 一念坂 金網つじ
京都市東山区高台寺南門通下河原東入桝屋町362
075-551-5500
http://www.kanaamitsuji.com/
instagram @kanaamitsuji

文:小俣荘子
写真:山下桂子・小俣荘子

*こちらは、2018年9月17日公開の記事を再編集して掲載しました。毎日の朝ごはんを少しだけ贅沢に過ごせば、1日シャキッと頑張れそうですね。