「新しい佐賀」の魅力がここに。5メディア同時取材で探る、進化する佐賀の旅

「佐賀へ旅行に行く」と言ったら、「佐賀に何があるの?」と聞かれることが多い。
確かに九州内に絞って言っても、観光地として名が上がることは少ないのかもしれません。

だけど、佐賀は思っていた以上に楽しかった。
2泊3日の旅日程だったけど、物足りずにもう延泊するほどに。

佐賀はどこへ行くべきか。現地で教えてもらった佐賀の魅力を、これから何日かに渡ってお伝えしていきます。

主に、肥前窯業圏と言われる地域、有田・嬉野を中心にご紹介。今週のさんちは、佐賀旅特集です。

mediacruise 佐賀 嬉野茶
mediacruise 佐賀 有田 なみだ壺
嬉野 和多屋別荘

 


これまで、日本各地の工芸を取材してきたさんち。

各所を訪れるたびに、「もっともっと多くの人たちに、まだ見ぬ地域の魅力を知ってもらいたい」と思う気持ちは強くなっていきました。

今回発足したのが、複数のメディアが手を取り合ってひとつの地域へ取材に伺う「#medeiacruise(メディアクルーズ)」のプロジェクト

mediacruise

参加メディアは、
明日の朝が楽しみになるような情報を届けるインスタマガジン「cocorone」

これからの暮らしを考えるウェブメディア「灯台もと暮らし」

女子クリエイターのためのライフスタイルマガジン「箱庭」

パーソナルメディアマーケティングサービス「drip」

そして、「さんち」の5チームです!

 

これまで各々に各地を取材してきた5メディアが行動を共にしたら、どんな化学反応が起こるのでしょう?

行き先は佐賀県。
嬉野市、有田町、佐賀市を周った充実の2泊3日を、伝統工芸ライターの山越栞が2日に渡ってレポートします。

1日目: 今、佐賀を盛り上げている方々に出会う

 

都内で活躍したオーナーソムリエが営む「trattoriYa Mimasaka」

さんちチームが最初に向かったのは、佐賀県武雄市で2016年にオープンした本格イタリアンのお店「trattoriYa Mimasaka(トラットリヤ ミマサカ)」。

武雄市のtrattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)

オーナーソムリエの鳥谷憲樹(とりや かずき)さんは、東京の一流ホテル内にあるイタリアンレストランでソムリエを務めた後に単身で本場イタリアに渡り、ワインの知識やサービスのノウハウを勉強。その後、地元にUターンしてこのお店をスタートさせました。

武雄市のtrattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)

店舗となっているこの土地は、元々鳥谷さんの祖父母が暮らしていた場所。
窓の外に広がる完成された庭は、鳥谷さんのご家族が大事に育んできたものだそうです。

武雄市のtrattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)・鳥谷憲樹さん

お皿は有田焼や伊万里焼、波佐見焼など、地元のものを中心に使用。
尋ねると、作り手である陶芸家さんのエピソードを織り交ぜながら、お皿の説明をしてくださいました。

武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース

「Uターンするつもりは元々ありませんでした。東京に憧れてこの町を出ていったけど、大人になった今だからこそ、ここに生きる人々の魅力を感じるようになったんです。今は圧倒的に、佐賀が魅力的だと思います」

地元に戻ってからの鳥谷さんの取り組みは、レストラン経営に留まりません。
町の周年事業イベントや、嬉野茶時のサービス監修、空き家対策プロジェクトなど、地域のための活動に積極的に尽力する鳥谷さん。

「未来の子ども達のために、いいものを残していきたい」

そう言う鳥谷さんが、これからどんなお店、そして地域を作っていくのか。佐賀の未来が楽しみになるレストランでした。

お客様と親しげに言葉を交わしつつ、そつなく心配りをする鳥谷さん

和多屋別荘でmediacruiseクルーと合流!

美味しいコース料理でお腹もいっぱいになったところで、鳥谷さんのお店を後にしたさんちチームは、他の#mediacruiseクルーと合流!

今回のお宿は、以前取材をさせていただいた和多屋別荘さんです。

何度訪れても美しい館内では、代表の小原さん自らがデザインしたというオリジナルの装飾や、200〜300箇所に飾られているお花が出迎えてくれました。

嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘

そして、今回の取材ツアーをプロデュースしてくださったのは、こちらの古田清悟(ふるた せいご)さん。

嬉野創生機構の古田清悟さん

今回の取材のメインエリア・嬉野市出身の古田さん。

代表を務める株式会社嬉野創生機構は、廃業していた旅館を事務所とし、地域の魅力を発信する様々な取り組みをしているまちづくり会社。

古田さんは、他にも東京で映像制作会社を運営しており、地元と東京の2拠点を往復しながら、嬉野地域おこし協力隊の受け入れ先となっており、嬉野と他の地域とを結ぶハブとなっている方です。

mediacruise集合写真

手間暇かけてつくられる嬉野茶の工房へ

「修学旅行みたい!」なんて盛り上がりながら集合写真を撮影した後は、嬉野の若き茶師、松尾俊一(まつお しゅんいち)さんの茶畑へ。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

医療機関に勤務した後、現在は松尾製茶工場の6代目として茶作りに邁進する松尾さん。

茶師になってたったの2年で農林水産大臣賞を受賞するなど、「革命児」との呼び声も高い方です。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん
嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん
嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

一つひとつ手摘みをした茶葉を、炒っては揉み、

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

炒っては揉みを繰り返していきます。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さんのお茶

摘んだばかりの生の茶葉はこんな風にみずみずしさが残った状態。
熱を加えて炒っていくことで、私たちが普段目にするようなお茶の葉にだんだんと変貌していきます。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さんのお茶

手摘みだと、1時間摘んでやっと1キロの茶葉が採れる程度。
この状態から約5時間半をかけて、わずか400グラムのお茶を丹精込めて生み出していきます。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

気の遠くなるような作業に、美味しいお茶づくりへの深いこだわりを実感しました。

嬉野 松尾俊一さんの茶工場
形と大きさの異なる茶器が並べてありました
嬉野 松尾俊一さんの茶工場
手摘みをする際にはこんな笠をかぶります。日よけと通気性が抜群だそう
嬉野 松尾俊一さんの茶工場

樹齢300年超えの「大茶樹」に圧倒される

次に向かった先は、嬉野のお茶の原点となっている「大茶樹(だいちゃじゅ)」のある場所です。

嬉野 大茶樹

おおー大きい!!
お茶の木って、こんなに育つんですね。

約550年前に、明から渡ってきた人々がこの地に伝えたといわれる嬉野茶。それを現在の嬉野茶の原型へと整備した嬉野茶の祖・吉村新兵衛が、慶長年間(1648~1652年)に植えた1本とされるこのがこの大茶樹です。

なんと推定樹齢約350年以上。枝張り約8メートル、樹高約4.6メートルの大木です。

嬉野茶の茶畑
嬉野茶の茶畑

嬉野のお茶に触れた後は、ふたたび宿に戻ってひとやすみ。

嬉野茶の茶畑

害獣のイノシシを、貴重な食材としていただく

夕食はなんと、イノシシ肉のバーベキューをいただきました!

ご馳走してくださったのは、嬉野でイノシシの狩人として活動している太田政信(おおた まさのぶ)さん。

イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野
イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野

元々は茶葉の栽培をしていた太田さんですが、イノシシの獣害に苦しむ茶農家の現状を見かねて、現在はイノシシ猟を本業としています。

イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野
太田さん自らが捕まえ、精肉したイノシシ肉

意外に臭みもなくさっぱりとした豚肉のような味わいで、どんどん箸が進みます。

イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野
スペアリブまで!

取材初日から、贅沢な夕ご飯をいただいてしまいました。

2日目:有田町で焼きもの文化の根付く場所を訪ねる

人の手によってつくられた神秘的な空間「泉山磁石場」

2日目は有田町の各所を取材。さんちチームは有田焼にまつわる取材にどっぷり浸かった1日となりました。

まずはみんなで朝一番に向かったのは、有田焼に欠かせない、陶磁器の原料となる「陶石」をかつて大量に採掘していた泉山磁石場です。

泉山磁石場

約400年前、李参平が率いる陶工たちがこの場所で陶石を発見し、元々は山だった場所を掘り下げていってできたのがここ。

白い岩肌がのぞく不思議な空間に、思わず息を呑みます。

今回は、掘り起こされて洞窟のようになっている空間にも特別に入れてもらいました。

泉山磁石場
内側からの眺め

この日の小雨と相まって、さらに神秘的な顔を見せてくれました。

 

ここからは、メディアごとに有田の町でのお土産の調達と、取材へ。

複数のメディアで合同取材をしたり、独自で訪ねたいところに足を運んだり… それぞれのメディアらしい訪問先を訪ねました。

 

さんちは、有田のものづくりを中心に5軒のお店、飲食店へ。老舗のメーカーから、オープンして1ヶ月たらずの新店まで、有田の魅力を存分に感じる2日間となりました。

その2日目の様子は、明日の記事で公開予定です。どうぞ明日もご覧いただけると嬉しいです。

 

同時取材した5メディアで、佐賀旅の記事を公開中です

それぞれのメディアが切り取った佐賀。どうぞ合わせてご覧ください。

・cocorone:cocorone TRIP 佐賀特集始まります

・灯台もと暮らし:「佐賀県嬉野・有田で見つけた新しいメディアと取材の在り方。「#mediacruise」に行ってきました!【ファインダーと私】」

・箱庭:「地域とメディアを繋ぐ新しい取材のかたち「#medeiacruise」。
箱庭が選ぶ佐賀の「おみやげBOX」つくりました!」

・drip:「知っているけど、知らない世界。”mediacruise 佐賀 嬉野編」

文:山越栞
写真:藤本幸一郎 ・ mitsugu uehara

金沢「加賀八幡起上り人形」とは?市民に愛される郷土玩具でめぐる旅

赤い姿で丸くかわいらしいこの人形は、金沢の「加賀八幡起上り(かがはちまんおきあがり)」。

金沢市の希少伝統工芸に指定されており、縁起ものとして親しまれてきた郷土玩具です。たしかに、なんだか福のあるお顔立ち。おなかに松を抱えこみ、竹や梅の絵も描かれていていかにも縁起がよさそうです。

今回は、加賀八幡起き上がりのことを知るために石川県金沢市を訪ねることにしました。

金沢の郷土玩具専門店「中島めんや」へ

金沢には「加賀八幡起上り」のほか「加賀人形」や「米食いねずみ」などの郷土色豊かな人形が数多くあり、城下町金沢の暮らしが人形によって伝えられているともいわれています。この愛らしい人形たちを作っている郷土玩具店「中島めんや」を訪ねました。

この日は雪。白い景色のなかでよく目立つ、歴史ある黒い建物が「中島めんや」です。
この日は雪。白い景色のなかでよく目立つ、歴史ある黒い建物が「中島めんや」です。
木を彫り込んだ歴史ある看板。
木を彫り込んだ歴史ある看板。

お話を聞かせてくださったのは、7代目にあたる中島祥博(なかしま・よしひろ)さん。

「中島めんや」の創業は文久2年(1862年)、江戸の幕末の頃。創業当時は、村芝居に使われるようなお面や小道具などを作っていたことから「めんや」という屋号になりました。そののち明治時代からは、加賀伝統の郷土玩具や人形も取り扱うようになったといいます。

このような木型に紙を重ねて貼り、糊が乾いてから木型から抜くという「張り子」でお面をつくっていました。
このような木型に紙を重ねて貼り、糊が乾いてから木型から抜くという「張り子」でお面をつくっていました。
当時、お面は村芝居で活躍。こちらは最近のものですが、近ごろは大衆演劇や地方巡業をするお芝居が観られる場も少なくなってきました。
当時、お面は村芝居で活躍。こちらは最近のものですが、近ごろは大衆演劇や地方巡業をするお芝居が観られる場も少なくなってきました。
人気の郷土玩具「米食いねずみ」は、カラクリ人形の影響を受けてつくられた人気の郷土玩具。竹の部分を押さえると、チョコチョコとすばしこく巧妙な動きで米を食べるのです。これで遊ぶとお金が増えるのだとか!
人気の郷土玩具「米食いねずみ」は、カラクリ人形の影響を受けてつくられた人気の郷土玩具。竹の部分を押さえると、チョコチョコとすばしこく巧妙な動きで米を食べるのです。これで遊ぶとお金が増えるのだとか!
7代目の中島祥博さん。学校を出てすぐにこの道に入られたのだそう。
7代目の中島祥博さん。学校を出てすぐにこの道に入られたのだそう。

加賀八幡起上りのこと、教えてください。

さて、本題の「加賀八幡起上り」ですが、どういうものなのでしょう?

———全国に「八幡宮」という名前の神社があるでしょう?八幡さんというのは第15代の応神天皇をおまつりしている神社のことでね。昔、加賀に一国一社の八幡宮があったんですが、八幡さん(応神天皇)がお生まれになったとき、深紅の真綿で包まれてお顔だけを出した姿だったそうで。あるお爺さんが、この姿を形取った人形をつくり、子ども達に与えて幸せを祈ったというのが始まりなんですよ。

と中島さんが教えてくださいました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

当時、加賀百万石藩主の積極的な工芸振興策によって藩には細工所が設けられ、京や江戸の一流作家たちの手によって技術の伝習が行われたのだといいます。そして、この人形をタンスにしまっておけば子ども、特に女の子の衣装に不自由しないという言い伝えもありました。

その由緒から、この地方では古くから子どもの誕生を祝うときや婚礼のお祝いとして、「加賀八幡起上り」を贈ることが習わしになったのだそうです。また、「起上り」という縁起の良い言葉にちなんで、新年や節句の贈りものや、お見舞いなどにもよく用いられているのだとか。

色とりどりの人形もつくられていますが、やはり朱色のものが圧倒的に人気。
色とりどりの人形もつくられていますが、やはり朱色のものが圧倒的に人気。
店内では、大正〜昭和につくられた古い人形も展示されています。
店内では、大正〜昭和につくられた古い人形も展示されています。
こちらは変わり種、手招きしている起上り。ダルマそのものの人形もありました。すべて当時の作家さんのものです。
こちらは変わり種、手招きしている起上り。ダルマそのものの人形もありました。すべて当時の作家さんのものです。

さて、この「加賀八幡起き上がり」はどのようにつくられているのかというと、これもお面と同じように張り子の手法でつくられています。

木型に紙を貼って形づくったものに、胡粉を塗ります。胡粉というのは白色の顔料で貝殻を粉にしたもの。これを膠(にかわ)と混ぜて溶かして3〜4回重ね塗り硬く強くした上から、彩色していくのです。

昔はたくさんの人が携わっていましたが、今では職人さんは3人ほどになってしまったのだそう。つくり手もとても貴重な存在なんですね。

少し古いものなので割れてしまっていますが、これが加賀八幡起き上がりの木型。
少し古いものなので割れてしまっていますが、これが加賀八幡起き上がりの木型。
こちらは昔実際に使われていた大きな木型!お顔がリアルでございます。30センチぐらいあり、ずっしり!今はお店に展示してあります。
こちらは昔実際に使われていた大きな木型!お顔がリアルでございます。30センチぐらいあり、ずっしり!今はお店に展示してあります。
胡粉を塗って乾かします。下から棒をさして作業しやすく。
胡粉を塗って乾かします。下から棒をさして作業しやすく。
中島さんの娘さん、八依(やえ)さんがちょうど彩色作業をしていました。この仕事に携わって3年。幼い頃からいつも近くにあったという「加賀八幡起上り」にはとても愛着があるそう。
中島さんの娘さん、八依(やえ)さんがちょうど彩色作業をしていました。この仕事に携わって3年。幼い頃からいつも近くにあったという「加賀八幡起上り」にはとても愛着があるそう。
近くで見ているだけでも息をのみます。松・竹・梅を描いて縁起良く。
近くで見ているだけでも息をのみます。松・竹・梅を描いて縁起良く。
たくさん並ぶ姿、なんともかわいらしいです!
たくさん並ぶ姿、なんともかわいらしいです!

いざ、絵付け体験!

八依さんが絵付けをしている姿を見ていると、私も絵付けをしたくなってきました。「中島めんや」では、絵付け体験もできるとのこと(※前日までに要予約)というわけで、私も加賀八幡起上りの絵付けにトライすることに。所要時間は約30分。八依さんの指南のもと、はりきってスタートです!

まずは、のっぺらぼうのお人形をもらって最初に目とまゆげを描きます。「一度描くと、消すことはできないので慎重に描いてくださいね!」と、さらりと笑顔の八依さん。緊張しますー!
まずは、のっぺらぼうのお人形をもらって最初に目とまゆげを描きます。「一度描くと、消すことはできないので慎重に描いてくださいね!」と、さらりと笑顔の八依さん。緊張しますー!
顔はペンで描くことができます。「まゆげは目よりも薄く描くと上品になりますよ」というアドバイスがあったのに、うまく描けずにまゆげも濃くなってしまいました。しかも、なんだか下がりまゆの困り顔です。
顔はペンで描くことができます。「まゆげは目よりも薄く描くと上品になりますよ」というアドバイスがあったのに、うまく描けずにまゆげも濃くなってしまいました。しかも、なんだか下がりまゆの困り顔です。
次は、絵の具と筆を使って色をつけていきます。
次は、絵の具と筆を使って色をつけていきます。
手に絵の具がつかないように、人形に棒をさして準備。
手に絵の具がつかないように、人形に棒をさして準備。
ここからはスイスイ!松を描いて、竹を描いて…
ここからはスイスイ!松を描いて、竹を描いて…
梅も忘れずに。縁起を担ぎますよ。楽しいー!
梅も忘れずに。縁起を担ぎますよ。楽しいー!
細かい部分も描き込んで、口元に紅をさして…できたー!!
細かい部分も描き込んで、口元に紅をさして…できたー!!
年季の入った絵付け見本のお人形と、今生まれたてのお人形、一緒に記念撮影です!
年季の入った絵付け見本のお人形と、今生まれたてのお人形、一緒に記念撮影です!

自分で絵付けをすると、なんだか愛おしさもひとしお。しっかり乾かしたら、その場で包んで持って帰ることができます。

今回は、見本に倣ってスタンダードな加賀八幡起上りにしてみましたが、もっとクリエイティブにオリジナル絵付けをするのもおすすめ。自分だけの加賀八幡起上りをつくってみてくださいね。

「今は目の前の仕事を一生懸命するだけだけど、これからは新しいものを作って欲しいな。」と、お父さんから八依さんへの言葉。父娘のツーショットに、はにかむ姿が印象的でした。
「今は目の前の仕事を一生懸命するだけだけど、これからは新しいものを作って欲しいな」と、お父さんから八依さんへの言葉。父娘のツーショットに、はにかむ姿が印象的でした。

お土産には「加賀八幡 起上もなか」

「中島めんや」を後にし、もう1箇所、立ち寄りたいところがありました。「金沢 うら田」では、加賀八幡起上りをかたどった「加賀八幡 起上もなか」を販売しているのです。もなかの中には北海道産の小豆がたっぷり詰まっていて、もちろん深紅の産着をまとっている可愛いもなかです。

小豆色の包装紙をひらくと、真っ赤な箱が。わくわく。
小豆色の包装紙をひらくと、真っ赤な箱が。わくわく。
箱を開けると真ん中に本物のお人形が!
箱を開けると真ん中に本物のお人形が!
小豆がずっしり詰まったもなか。もなかの皮は「中島めんや」さんで見た木型そっくりです。
小豆がずっしり詰まったもなか。もなかの皮は「中島めんや」さんで見た木型そっくりです。

かつては定番商品として「中島めんや」さんの人形が入ったセットがありましたが、大人気のためお人形が準備できなくなってしまい、今では幻の商品に。普段は販売をしていませんが、人形の在庫があれば詰めてくださることがあるそうなので、ぜひ「金沢 うら田」店頭でお声がけしてみてください。

今回は運よく「人形入りセット」を購入できましたが、もなかだけでもじゅうぶん可愛く、美味しく、すてきなお土産になります。

「加賀八幡起上り」をめぐる金沢旅。この土地の歴史の中で生まれ、大切に守られてきた郷土玩具は、世の中の変化とともに形を変えつつも、人形に込められた願いは人々に受け継がれこれからもまた愛され続けていくのだろうな、と思います。

みなさんもぜひ、金沢で「加賀八幡起上り」にふれてみてください。

<取材協力>
「中島めんや」
石川県金沢市尾張町2-3-12
076-232-1818
http://www.nakashimamenya.jp
(絵付け体験は要予約、体験料は材料費込みで648円)

「金沢 うら田」
金沢市御影町21-14(本社・御影店)
076-243-1719
http://www.urata-k.co.jp

文・写真:杉浦葉子
*2017年2月17日の記事を再編集して掲載しました。

“日本”の美しい腕時計。漆、日本画の素材がきらめく文字盤…金沢「C-Brain」の工房へ

突然ですが、みなさんは、ふだんから腕時計を「する派」でしょうか? 私は「しない派」です。でも、そんな私でも、思わず欲しくなった腕時計があります。

岩絵具、箔、漆など、日本の伝統的な美を凝縮した腕時計「はなもっこ」。文字盤だけでも100種類以上あり、見ているだけでうっとりしてしまいます。

シーブレーン はなもっこ
はなもっこ かさねシリーズ 金箔のかさね(定色) 税別 27,800円
シーブレーン はなもっこ
はなもっこ こないろシリーズ 瑠璃(るり) 税別 2,2500円~25,000円
シーブレーン はなもっこ
はなもっこ うるしシリーズ  黒漆 税別 40,800円

しかも、これらの腕時計は、一つひとつ、手作業で作られているというから驚きです。さらに、文字盤に時計部分のケース、ベルトの組み合わせも自由自在。自分好みの腕時計にカスタマイズできるのも、魅力的です。

シーブレーンのアトリエ
ベルトも色とりどり
シーブレーンのアトリエ
一つひとつ手作業で作っていきます
シーブレーンのアトリエ
かつてはベルトの穴も一つずつあけていたのだとか
シーブレーンのアトリエ
今は機械で等間隔に一気にベルト穴をあけるのが主流

ものづくりの楽しさを腕時計に込めて

この素敵な腕時計を作っているのは、金沢にアトリエを構えるC-Brain(シーブレーン)。今回、その時計作りの現場を覗いてきました。

金沢駅からバスで揺られること25分。静かな住宅街の中にC-Brainのアトリエはあります。

シーブレーンのアトリエ
シーブレーンのアトリエ
シーブレーンのアトリエ

C-Brainで制作しているのは、「はなもっこ」の他に「クルチュアン」「iroha (いろは) 」の2シリーズ。いずれも手作りにこだわった腕時計です。

「ものづくりの楽しさや素晴らしさを伝えたいという思いから、C-Brainを立ち上げたんですよね」と語るのは、C-Brain社長の井波人哉 (いなみ・ひとや) さん。

もともと井波さんは、父親の跡を継ぎ、中学校の技術家庭科で使われる教材を手掛ける会社を営んでいたそう。自分が企画・製作をした教材で作ったものを、中学生たちが抱えるように大事に持って帰る姿に感銘を受けたのが、ものづくりにこだわるようになった原体験だったといいます。

1994年に立ち上げたC-Brain。当初は家具製作キットなども扱っていたとのことですが、ハンドメイドで時計を作る方との出会いがあり、腕時計に的を絞っていったのだとか。その当時からずっと作られているのが「クルチュアン」シリーズです。

シーブレーンの腕時計
C-Brainの原点「クルチュアン」シリーズ

しっかりと伝わっていたハンドメイドの魅力

さまざまな人脈に助けられ、順調に販路を拡大。およそ10年で個人が営む雑貨店を中心に全国165店舗で取り扱われるようになりました。

小売業大手からお声がかかったのも、その頃。ただし、非防水だった腕時計を生活防水仕様にすることが求められました。そこで、これまでハンドメイドのみだった時計部分のケースのうち、一部をメーカーに発注するように。

シーブレーンのアトリエ
ケースを手作りしているところ。真鍮の板を円形にしていきます
シーブレーンの腕時計
手前がハンドメイドのケース。ロウ付けされた耳部分がハンドメイド感たっぷり

当初は大手が取り扱ったことから注目度が上がり、売れ行きも伸びたものの、その勢いは次第に失速していってしまいます。

「ハンドメイドで作っていた分、そこには作り手の愛がしっかりとあったんでしょうね。お客さんもそれを分かっていてくれたのだなと改めて思い知らされました」と、井波さんは当時を振り返ります。

伝統的な“日本の美”で差別化

それまでの卸先であった雑貨店から百貨店にシフトすることを考えた井波さん。機能性としての生活防水はそのままに、C-Brainならではの腕時計、原点に帰って手づくりの大切さを意識した腕時計を作ろうと試みます。

「その頃、伝統に対する世の中の意識が変わり始めていると感じたんですよね。僕自身、伝統芸能の加賀萬歳 (かがまんざい) を30年ほどやっていて、宴会などの舞台に立つと皆さんしっかりと見てくれるようになったと肌で感じました」

そこで、伝統的で、かつ、美しいものを時計作りに取り入れようと思い立ちます。そうして生まれたのが「はなもっこ」でした。

まず、井波さんの頭に浮かんだのは漆。輪島の漆職人を探し、漆塗りの文字盤を実現させます。それと同時に、日本画家としても活動する社員の牛島孝 (うしじま・こう) さんの考案で、岩絵具や箔を使った文字盤も作られました。

シーブレーンのアトリエ
岩絵具の原石。左がアズロマラカイト。濃い青の部分はアズライトと呼ばれ、「群青」色に、緑の部分はマラカイトと呼ばれ、「緑青 (ろくしょう) 」の色になるそう。右は、「水浅葱 (みずあさぎ) 」の色の原石、アマゾナイト。粒子の細かさで色の濃淡も変わってくるのだとか
シーブレーンのアトリエ

大切にしているのは「主張しすぎないこと」

アトリエでの時計作り全般を任せられているのが、中学生のころから日本画を描いてきたという牛島さん。その美しさをより多くの人に知ってもらいたいという思いから、岩絵具や箔などの日本画の素材を「はなもっこ」に使うことを思いついたといいます。

「『はなもっこ』で使われているのは、いずれも昔ながらの素材や文様、色彩です。それらはすでに素晴らしいものであり、私たち作り手はそれらの素晴らしさを腕時計に落とし込むのが仕事。だから、作り手の思いを強く主張しすぎないことがこだわりでもあります」

その美しさと腕時計というプロダクトとしての機能性を共存させる上で難しいのが、文字盤の制作だそう。

なんと、真鍮をベースにした文字盤の上に和紙や岩絵具を重ねられるのは0.2㎜ほどの厚さまでなのだとか。

「凹凸や塗りむらがあると、針が引っかかって止まってしまうんです。精密機器としての機能性も求められるので、不良なく作るように注意しています」と牛島さん。

シーブレーンのアトリエ
和紙を重ねた上に岩絵具を塗り重ねていきます。厚塗り厳禁です
シーブレーンのアトリエ
時間を指し示すインデックスも時計作りの大事な要素。こちらでは、和紙に金箔を貼ったものを打ち抜き、一つずつ角度を確認しながら膠でつけていきます
シーブレーンのアトリエ
時針、分針、秒針を載せる道具。1本ずつ針の高さが異なります
シーブレーンのアトリエ
こちらは時計の動作確認をする機器。時計の進み具合のずれをチェックする、時計の聴診器のようなもの

こうして職人たちの手を経て文字盤に宿った美しさは、世代をも超えて魅了する強さを持っていました。

「結果として、客層は10代から70代までと大きく広がりました。中には、親子三世代で購入してくれた人もいましたね」と井波さん。

シーブレーン・井波社長と牛島さん
井波社長(右)と牛島さん(左)

「はなもっこ」は2009年 (平成21年) に金沢ブランド優秀新製品大賞、石川ブランド優秀認定商品銅賞など、数々の賞を受賞。C-Brainを代表する腕時計となりました。文字盤のバリエーションも、岩絵具、箔、漆に始まり、今では紋切や蒔絵、螺鈿と広がりを見せています。

シーブレーンのアトリエ
こちらは集中力が必要な紋切の作業中。30~40分かけて、丁寧に切り抜いていきます
シーブレーンのアトリエ
出来上がった紋切はとても繊細です

選択肢の多さに迷うところですが、それだけに一つひとつの決断も愛おしく思えてきそうです。「この組み合わせかな」「いや、それともこっちの組み合わせが似合うかな」と、大いに迷って自分だけの腕時計を見つけるのも、「はなもっこ」という腕時計の楽しみなのかもしれません。

私とカタログとのにらめっこは、しばらく続きそうです。

<取材協力>

C-Brain (シーブレーン)

http://www.cbrain.co.jp/

文:岩本恵美

写真:C-Brain提供、岩本恵美

80年間変わらぬ味でお客さんを迎える「おでん若葉」

金沢に出かけるとなると、やっぱり北陸の新鮮なお魚が食べたい!と思うのですが、実は「おでん」も名物とのこと。

なんでも数年前、某テレビ番組で、当時のタウンページに記載されているおでん屋の数を人口で割ったところ、全国で石川県がもっとも多いと紹介されたのをきっかけに、「金沢おでん」として注目されるようになったそうです。

観光情報誌などによると、あっさり風味の出汁に、車麩やバイ貝、冬は香箱カニが名物だとか。
それは知らなんだ。ぜひとも味わってみたい。そんなわけで今回の「産地で晩酌」は金沢おでんをいただきます。

兼六園から15分。いわしのつみれが名物の「若葉」へ

向かったのは昭和10年創業の老舗「おでん若葉」。兼六園から歩いて15分ほどの、繁華街から少し離れた商店街にあります。

暖簾をくぐると、ふわっといい香り。食べごろのおでんが出迎えてくれました。

金沢おでん若葉

カウンターに座り、おでん鍋をのぞきながらなにを食べようかと考えるのが至福の時間。金沢おでん名物のバイ貝と、店主おすすめのいわしのつみれに、大根とフキをいただきました。

金沢おでん若葉のいわしのつみれ

噛むほどにねっとりとした旨みのあるバイ貝、特製の白味噌をつけていただく大根。創業以来、継ぎ足して使う煮干しベースの出汁も、おでん種の旨みが加わり格別な味わいです。加えて、どれも大きくて食べ応え抜群。

「当たり前の大きさでやってますが、みなさんびっくりされますね」と言うのは、3代目の吉川政史さん。2代目のお父さんが作る自家製のつみれは、いわしと玉ねぎ、生姜、卵、片栗粉が入り、外はしっかり中はふわふわです。

「みなさん、つみれを食べにおいでになります。ほかの店は固いのが多いので、うちのを食べてイメージが変わったと言われますね」

口の中でほろほろ溶けていくのに、つみれ特有の骨の食感もちゃんと残っていて、確かに食べたことのないつみれです。いわしの脂の乗り具合でつなぎの分量を変えているそうで、「脂がのってるときは、中はトロトロ」なのだとか。

おでん若葉3代目の吉川政史さん
3代目の吉川政史さん

お客さんに声をかけながら、黙々と調理をする政史さんに、金沢おでんの特徴を聞いてみると、「急に“金沢おでん”なんて言われてねぇ」と苦笑。

あぁやっぱり。実はお店に伺う前、取材先で会う人ごとに「おでん」の話を聞いてみたところ、みなさん「なんだか急に騒ぎ出して」と同じような答え。人気店は地元の人が入れなくなってしまったり、「おでん」を出していなかった店まで出すようになったりしているそうです。

「自分らは“金沢おでん”としてやってるわけではないし、店々で味も全然違うと思いますよ。金沢おでんていうと車麩みたいに言われてますけど、うちは、いわしのつみれ、土手焼き、茶飯が名物で、あとはみなさんの好き好きですね。大根もフキも一年中ありますし、もう、ほんとにずっと変わらない、同じです」

突如訪れたブームにもスタイルを変えることなく、いつも通りの味でお客さんを迎える。特徴を見つけようとしたことがなんだか恥ずかしくなりました。

白味噌とたっぷりネギの土手焼きも

おでん若葉の土手焼きの特製鍋
土手焼きの特製鍋

土手焼きも定番メニューのようですが、これも決まりがあるわけでなく、お店によって様々だそう。若葉では、串に刺した豚バラを専用の鍋で茹で、白味噌とたっぷりのネギでいただきます。

おでん若葉の名物、土手焼きと茶飯

うまいっ!

豚の脂と味噌が絡み合って抜群の美味しさ。幸せ。いくらでも食べられそうです。煎茶で炊くという茶飯も滋味深く、おでんにぴったりの味わいです。

おでん若葉
おでんは100円からとリーズナブル

こんなに話題になる前から、金沢おでんに注目していたのが作家の五木寛之さんです。

「金沢のおでんは独特である。冬場はコウバコというズワイ蟹の雌がうまい。香りのいい芹もよかった。(中略)ガメ湯からあがって、厳しい寒気のなかを<わか葉>に駆け込む気分は最高だった。」(五木寛之『小立野刑務所裏』より)

若葉は、一時期、金沢に暮らしていた五木さんがよく訪れていた店としても知られています。

「何年か前にも取材できたり、ひとりでふらりとおいでになりましたね。この味を懐かしんでくれてるみたいで」

金沢おでん若葉

創業から80年以上、ずっと同じ場所で営業を続けてきた、おでん若葉。「お客さんが来たらすぐに出せるように」仕込みは朝9時すぎから。はじめてなのに懐かしいような、ほっとできる味を求めて、帰省したときには必ず来てくれるお客さん、家族4代続けて通っているお客さん、お鍋を持って買いに来るお客さん、金沢おでんを楽しみに来た観光客、今日も若葉は大勢のお客さんで賑わっています。

<取材協力>
おでん若葉
石川県金沢市石引2-7-11
076-231-1876
月曜日定休

離乳食作りから生まれた使いやすさ。「備前焼・一陽窯のすり鉢」

こんにちは。中川政七商店のバイヤー、細萱久美です。

この連載では「炊事・洗濯・掃除」に使う、おすすめの工芸を紹介していますが、今回がいよいよラストとなります。最終回でご紹介する調理道具は、最近使い始めてすぐに使いやすさを実感したので是非ご紹介したい「備前焼のすり鉢」です。

備前焼のすり鉢

ところで備前焼についての基礎知識を少々。私も名前と焼き締めの渋い感じは知っていましたが、実際に自分で使ったのは今回がほぼ初めてです。

備前焼は、千年の歴史があり、信楽や瀬戸などと並ぶ日本六古窯の一つとされています。主に岡山県の備前市伊部町で作られる焼き物で、赤松の割木をなんと約10昼夜の間炊き続け、およそ摂氏1200度という高温で焼き締めます。

「土と炎の芸術」と言われる備前焼は、焼きと同様に土も重要。原土は伊部周辺の粘度の高い土を使います。投げても割れないと言われるほど頑丈な備前焼は、その昔はすり鉢をはじめ、大ガメ、壺などの日用雑器から、茶道が発展した時代には茶陶としても全盛期を迎えました。

備前焼は釉薬を使わず、炎や灰の当たり方によって自然の模様を生み出す「窯変」が大きな特徴です。千差万別の模様となるので、作家さんも窯出しは緊張と興奮の時間であろうと思います。

ちょっと渋好みで、どちらかと言うと高級な器も多いため、今まで近寄りがたい存在ではありましたが、ろくろで一つずつ成型し、登り窯でじっくり焼き付けることを考えると価格も納得なのと、一つとして同じモノがないのも魅力です。

備前焼は釉薬を使わないので、表面の微細な凹凸によってビールの泡がきめ細かくなったり、水を良い状態で長く保つので花瓶にしても花の持ちが良いそうです。基礎知識を学ぶだけでも、機能性にも富んだ備前焼が改めて気になり始めました。

今回ご紹介のすり鉢は、備前焼窯元の一陽窯のオリジナルです。すり鉢と聞くと、上に広がった円錐形が多い中、このすり鉢は、背の低い丸い形をしています。

一陽窯のすり鉢

この形が摺りやすさのミソなのですが、すりこぎを側面のカーブに沿うように動かすと簡単に上手に摺ることが出来ます。

また見た目以上に重量感があるので、軽く押えれば動きにくく摺りやすいのです。そして、食器のような形なので、胡麻和えなどを入れたままテーブルに出しても違和感がありません。一陽窯の木村さんが若きパパの頃、離乳食作りのために考案したのが商品化のきっかけだそう。

一陽窯では、このすり鉢のほかスパイスミルも作っていて、某スタイリストさんなどにも支持されています。もちろん茶道具や日常の食器まで幅広い商品展開なので、産地を訪れることがあれば、一つ一つ微妙に違う中からお気に入りを選ぶのも楽しいです。タイミングが合えば、作業現場も見学させて頂けますよ。

同じ一陽窯さんで購入したもの。砂糖壺として使っています
同じ一陽窯さんで購入したもの。砂糖壺として使っています

一つのアイテムから、今まで気付かなかった工芸の良さや産地に目を向けるきっかけをもらいました。これから和え物の登場が増えそうです。

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、
美味しい食事、美味しいパン屋、
猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文:細萱久美

金沢のいろどりあふれるお針子道具 「加賀ゆびぬき」のこと、教えてください

石川県金沢に古くから伝わる工芸品「加賀ゆびぬき」。絹糸を1本1本重ねてつくられるその模様の美しさは息をのむほどです。「加賀ゆびぬき」のことが知りたくて、金沢で活動されている作家・大西由紀子さんを訪ねました。

——こんにちは。今日は「加賀ゆびぬき」のことが知りたくてやってきました。早速見せていただきましたが、すごく綺麗です!

ようこそ金沢へ。「加賀ゆびぬき」は、もともと金沢に実用品として伝わってきたものです。金沢は城下町でしたから、美しい着物を仕立てるお針子さんがたくさん居ました。

着物のお仕事って、いろいろな色糸を使うでしょう?当時は糸がとても貴重だったので、残った短い糸やあり合わせの糸を使って、お針子さんがお休みの日に、自分のお道具として「ゆびぬき」をつくっていたんです。

昔の人ってお裁縫が日常のお仕事だったので、私たちが文房具を揃えたり、台所のツールを選んだりするように、裁縫道具を揃えたんでしょうね。これは絹糸を1本1本丁寧にかがって模様をつくっていくんですよ。

こちらは伝統的な文様、「うろこ」。由紀子さんの好きな柄だそう。
こちらは伝統的な文様、「うろこ」。由紀子さんの好きな柄だそう。

——絹糸だからこんなに艶があって鮮やかなんですね。私が知っているのは革や金属の「ゆびぬき」ですが、こんなきれいな「加賀ゆびぬき」も実際に使えるんですか?

もちろん!「ゆびぬき」の糸は、単なる飾り糸ではなくて、お裁縫の時に針を押すためのものです。この糸が引っかかりになり、針の頭を滑らせずにしっかり押してくれる。すごく合理的なんですよ。ただ、「加賀ゆびぬき」はやはり手間がかかるので、革や金属の既製品が出回るとやっぱりみんな作らなくなってしまったみたいで。私が「ゆびぬき」をはじめた頃は、金沢でもかなり廃れてしまっていて。

——便利なものが出てくると、なくなってしまう文化もありますね・・・。こちらでは「加賀ゆびぬき」づくりの体験もできると聞きました。私にもできますか?

はい、ぜひつくってみてください。つくりながら、いろいろお話しましょう!

(※関連記事)
「絶対にやらない」と決めていた仕事は天職だった。三代目西村松逸が歩む、加賀蒔絵の世界
お祝い事に欠かせない、金沢の希少な伝統工芸「加賀水引細工」

「加賀ゆびぬき」を一緒につくります

大西由紀子さん。由紀子さんの手からは魔法のように美しい加賀指ぬきが生まれます。
大西由紀子さん。由紀子さんの手からは魔法のように美しい加賀指ぬきが生まれます。

こちらで行われている体験教室はだいたい2時間程度。紙や真綿で土台をつくり、その表面を絹糸で1本ずつかがって模様を出していきますが、ここでは主に土台をしっかり一緒につくって、糸のかがり方を学んだら、のこりはお家で仕上げます。先生、よろしくお願いします!

初心者の私は、3色合わせの縞の模様をつくることに。好きな色糸と、「ゆびぬき」の内側になる布の色を選びます。

色とりどりの絹糸は、メーカーのすべての色が揃っているとか!見ているだけで楽しい。
色とりどりの絹糸は、メーカーのすべての色が揃っているとか。見ているだけで楽しい。
内側になる布もきれいな色。指に触れる部分なので、肌当たりの良い綿の布を使います。
内側になる布もきれいな色。指に触れる部分なので、肌当たりの良い綿の布を使います。
悩みに悩んで、この3色を選びました。内布は落ち着いたからし色に。
悩みに悩んで、この3色を選びました。内布はからし色に。
加賀ゆびぬきができるまで。土台をつくる工程がとても大切なのだそう。
加賀ゆびぬきができるまで。土台をつくる工程がとても大切なのだそう。
糸をかがるのはまだ先になりそうです。
糸をかがるのはまだ先になりそうです。

まずは土台づくりから。実用品なので、自分のゆびの太さをきちんと測り、サイズを合わせてつくります。上の工程を見てわかるように、実は土台づくりの工程がほとんど。逆に言うと、糸のかがりは時間はかかるけれど、基本のかがり方さえ覚えたら、それをひたすら繰り返していくシンプルな作業なのだそうです。

「ゆびぬき」をはめる指の太さと同じ筒をつくります。この筒に、細く切った厚紙をぐるぐる巻いて、固い芯をつくります。
「ゆびぬき」をはめる指の太さと同じ筒をつくります。オーダーのようで嬉しい。この筒に、細く切った厚紙をぐるぐる巻いて、固い芯をつくります。
紙の芯を内布で包んで、糸で止めたところ。左が先生、右が私。この時点でなんだか印象が違いますが「だいじょうぶですよ」と優しくおっしゃる由紀子さんを信じてすすめます。
紙の芯を内布で包んで、糸で止めたところ。左が先生、右が私。この時点でなんだか印象が違いますが「だいじょうぶですよ」と優しくおっしゃる由紀子さんを信じてすすめます。
真綿を巻いていきます。真綿というのは蚕の糸。絹です。ふんわりした綿を引っ張って、なるべく強く固く巻くことで、とても強い土台になるそうです。慣れた手つきの由紀子さんは、くるくると器用に巻いていきます。
真綿を巻いていきます。真綿というのは蚕の糸。絹です。ふんわりした綿を引っ張って、なるべく強く固く巻くことで、とても強い土台になるそうです。慣れた手つきの由紀子さんは、くるくると器用に巻いていきます。
自分好みの厚みになればOK。しっかり巻かれた左側の由紀子さんのものは、なんだか表面のツヤも違うんです。
自分好みの厚みになればOK。しっかり巻かれた左側の由紀子さんのものは、なんだか表面のツヤも違うんです。
土台の上に、等分に印をつけた薄い和紙を巻いたら、土台のできあがり。矢印の方向に糸をかがっていきます。
土台の上に、等分に印をつけた薄い和紙を巻いたら、土台のできあがり。矢印の方向に糸をかがっていきます。
これが製図。模様に合わせて色の順番を確かめます。わかりやすくメモしてくださいました。
これが製図。模様に合わせて色の順番を確かめます。わかりやすくメモしてくださいました。

やっと糸をかがります。基本は、この製図のようにジブザグに土台の縁をすくっていくだけなのだそう。1周したら、次の糸を1周目の糸の隣にぴったり並べてかがっていきます。とってもシンプル。「ゆびぬきの柄はいろいろあるけど、糸のかがり方は基本的にはこの1種類なんです。進めるとどんどん模様になってくるんですよ」と由紀子さん。びっくりです!

こちらは由紀子さんがつくっている途中のもの。土台の隙間が埋まるまで、ジグザグかがりを繰り返します。
こちらは由紀子さんがつくっている途中のもの。土台の隙間が埋まるまで、ジグザグかがりを繰り返します。