工芸再生支援で倒産危機からV字回復。マルヒロが地元に公園「HIROPPA」をつくる理由

中川政七商店では、2009年より工芸メーカーの再生支援(以下、経営再生コンサルティング)を手掛けています。その最初のクライアントが、焼き物の波佐見焼で知られる長崎県波佐見町の産地問屋、マルヒロでした。

中川政七との出会いから、12年。見事に再生を遂げ、事業を拡大しているマルヒロが新たにつくったのは、市民に無料開放する公園「HIROPPA(以下、ヒロッパ)」です。

なぜ公園? どんな公園? 

少しの不安と大きな期待を頂きながら、波佐見町を訪ねました。まずは、中川政七とマルヒロとの出会いから振り返ります。

もともと、隣町の佐賀県有田町でつくられる「有田焼」の下請けとして日常で使われる食器の大量生産を担ってきた波佐見町では、生地をつくる「生地屋」、成形に必要な「型屋」、陶器を焼く「窯元」など分業制が発達してきました。

そのなかで外部からの注文をまとめ、職人に発注し、完成品を受け取って配送などを手配するのが産地問屋で、そのうちのひとつであるマルヒロは、馬場廣男さんが1957年に創業しました。

マルヒロだけでなく、波佐見町にとって大きな危機が訪れたのは、2000年頃。生産地表記の厳密化の波を受けて、波佐見町でつくられた焼き物が「有田焼」ではなく「波佐見焼」と名乗り始めると急速に売り上げが落ち始め、バブル期に175億円あった産地生産額が2011年には41億円にまで下落します。

マルヒロも経営が悪化し、倒産の危機に直面していた二代目の馬場幹也さんが中川政七商店に電話をかけたのが、2009年夏でした――。

「こりゃ困ったな」から始まった経営再生コンサルティング

―おふたりの最初の出会いから教えてください。

中川 僕は2008年に『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』という本を出して、工芸メーカーの再生支援を請け負いたいと書きました。この本を読んでうちに電話してきたのは、幹也さんだけなんです。電話を受けた社員が、「コンサルティングって仰ってるんですけど……」と戸惑っていたのを憶えています(笑)

馬場 そうなんですね。

中川 それで2009年の夏、奈良の本店で初めてお会いした時に連れられてきたのが、匡平君(現社長)。一言も喋らなかったから、おとなしい人だなというのが最初の印象でした。

馬場 僕は父ちゃんがやるもんだと思っていたし、なにをするのかもよくわかってなかったから、特に喋ることもなかったんですよ。

中川 でも、初めてマルヒロに行って改めて挨拶をしたら、「あとは匡平に任せますから」と言って、すぐにいなくなっちゃった。

馬場 ビックリしました。なにも聞いてなかったから、「きょとん」ですよ。

中川 僕もだよ(笑)

馬場 その時は、ブランドってなに? という感じでした。

中川 それで匡平君と話を始めたら、会社のことについてもなにも知らないし、焼き物にも詳しくなくて、こりゃ困ったなっていうところからのスタートでしたね。

馬場 困ったなどころじゃなかったと思います。

中川 まずはちゃんと話ができるようにしなくてはと思って、課題図書を毎月1冊渡しました。それを読んで、感想文と自分の会社にどう応用するのかを書いてもらって。

馬場 会計の本とか『チーズはどこに消えた』とか、いろいろ読みましたよね。僕が忘れられないのは、経営の数字のことがよくわかんなくて、ウソをついた時にめちゃくちゃ怒られたことです。

中川 当時の匡平君は、適当な数字を言ったりしてたからね(苦笑)

馬場 月に一度、中川さんが来る日は気が重かったです。毎回宿題が出るんだけど、例えばデザインってゴールがわからないじゃないですか。うちはオリジナルのモノをつくったことがなかったし。だから、デザイナーのりさちゃん(※現在もマルヒロにてデザイナーを務める、新里李紗さん)と数日前から泊まり込みで準備をしていましたね。

いつも当日になっても宿題が終わらなかったから、時間を稼ぐために中川さんを長崎空港まで迎えに行った後、高速道路に乗らず、下道を使っていました(笑)

中川 そういうことなの!? 高速料金も節約してたのかと思ってたよ(笑)。でもまじめな話、あの頃のマルヒロは借金が売上の1.5倍もあって本当に倒産寸前だったから匡平君も必死だったよね。

馬場 そうですね。僕は父ちゃんと「2年間は言われたことをやる」と最初に決めていました。なにをするにしても、やらないといけないというよりは、やり切るしかない状況でした。

中川 コンサルをするのは初めてだったし、これがうまくいかなかったらこの先ないなと思ってたから、僕も必死だったよ。

プレッシャーで吐いた日

―—経営再生コンサルティングはどのように進んだのでしょうか?

中川 スタートした2009年の夏に、2010年6月の中川政七商店主催の展示会で新商品をデビューさせようという目標を立てました。進め方としては、僕から「こんなのやったらいいよ」と提案するのではなくて、匡平君たちがやりたいことをどう形にしていくかというスタイルです。でも、最初に匡平君が出してくれた案は、実は本当にやりたいものではなかったんだよね。

馬場 はい。最初は、中川政七商店さんで扱ってもらえるような商品をつくろうとしました。それが一番堅実だろうと思ったんです。

中川 なにをつくったらいいのか自信がないなかで、これだったら売れそうかなという案を出していた。でも途中で「やっぱりやめたい」と言いだして、方向転換をすることになったんです。

馬場 それが、「60年代のアメリカのレストランで使われていた大衆食器」をテーマにしたカラフルなマグカップのシリーズ「HASAMI」です。

中川 僕も本当にやりたいことをやったほうがいいと思ったけど、内覧会まで時間がなかったから焦りもありました。

馬場 中川さんも一度、「本当にこれで売れるのか?」って心が揺れた時がありましたよね。それで、僕とりさちゃんが奈良まで説明に行ったんです。その時に中川さんから、「ブランドは、本人がやりたいことをどう具現化してやり続けるのかが大切で、ふたりが奈良まで来て説明してくれて覚悟が伝わったからこの方向で行こう」と言ってくれたことをおぼえています。

中川 「HASAMI」をデビューさせると決めてから、匡平君が感じているプレッシャーはすごかったよね。これがうまくいかなかったら恐らく会社を畳まざるを得ないという状況だったから、運転しながら吐いたりしてたもんね。

馬場 あのプレッシャーは二度と味わいたくないですね。

中川 それぐらいのプレッシャーのなかで2010年6月に無事にデビューして、幸いそれがうまくいったんだよね。

馬場 マグカップはセレクトショップに5万点出荷して、いろいろなアパレルメーカーからもOEMの話が来るようになりました。

中川 それが最初の1年で、もう1年、シーズン3ぐらいまで一緒にやったんだよね。

馬場 次のシーズンを出すことになった時、最初の頃みたいに中川さんが僕らにあれこれ教えるんじゃなくて、僕らからプレゼンする形に変えてくれました。それもよかったです。

中川 最初の1年はある程度リードして、2年目からはある程度任せるようにしたんです。

波佐見パークからHIROPPAへの道程

――2011年に2年間の経営再生コンサルティングが終わって、ちょうど10年。マルヒロはポップカルチャーを取り入れた焼き物メーカーとして注目を集める存在になり、今では売り上げが3億円を超えています。そして、2021年10月には波佐見町内に敷地面積1200坪の公園「HIROPPA」をオープン。なぜ焼き物メーカーが公園をつくったのでしょうか?

中川 2年目の最後のほうに、これまで生き延びるために目の前のことをやってきたけど、もうちょっと先のビジョンを決めようという話をしたよね。その時に、「波佐見に映画館をつくりたい」という話から、「波佐見パーク」という言葉が出てきました。ヒロッパと波佐見パークはつながっているの?

馬場 つながっていますね。波佐見パークの話をしていた10年前は僕も25歳ぐらいで、「映画館とかマックがあったらいいな」ぐらいの感覚だったんですよ。だから、まずは焼き物をどう売っていくかという段階で、アメリカのフォントデザイン会社「ハウスインダストリーズ」と組んで、新しいブランド「ものはら」をつくったり、スケボーブランドとコラボしたりするようになって。そこに手応えを感じて、「焼き物屋がやらないことに注力しよう」という方針になったのが2017年頃です。

中川 そうなんだね。

馬場 その頃に子どもが生まれて、「波佐見町には子どもたちがのびのび遊べるような公園がない」と思ってたんですよ。振り返ってみれば、もともと、仕事で関わっている人や友だちに、気軽に「うちにおいで」と言えて、いろいろな人が集える場所があったらいいなと思っていたから、「公園をつくろう」と考えました。そういう意味で、「波佐見パーク」とヒロッパはつながってます。

中川 僕がコンサルティングしたつくり手さんは、みんな教え子的な感覚があるんだけど、匡平君が好きな世界観やカルチャーと中川政七商店の世界観はぜんぜん違うし、教え子のなかでも異質の存在です。でも、それぞれの方向で一生懸命やって前に進んでくれたらいいなという感覚だから、今日、たくさんの家族がヒロッパで楽しそうにくつろいでいる姿を見て嬉しかったです。

馬場 ヒロッパはまだ完成してないので、あとはこれからどうコンテンツを加えていくか。観光農業をしたくて、ヒロッパの一部に5万本のひまわりを植えたんですよ。残念ながら、今年は大雨で全滅しちゃったんですけどね。ひまわりの種って高カロリーで、大リーグの公式食品なんです。これをお店で炒って、塩とかチリとかフレーバーで味を変えるフリフリポテトみたいな「フリフリシード」を売る予定です。あと、ひまわりの種を乾燥させて真空パックにすると3年もつんです。これをトレッキング用の行動食にして売り出そうと思ってます。

中川 それは面白いね。

馬場 はじめる前は「観光農業をやる」って言ったら、工芸業界の方から鼻で笑われましたよ。でも結局、町が残らないと工芸が残らない。工芸だけあります、それで人が増えますかって。人がいるから工芸する人が出てくるんじゃないですか。

中川 工芸をなんとかしようと思ったら、町から手をつけなきゃいけないっていうのは本当にその通り。町が盛り上がっていると面白い人が寄ってきて、そのうちの何人かが工芸に興味を持ってくれたらそれが一番だよね。

馬場 ヒロッパにはうちの商品も置いてあるから、来てくれた人たちが「こいつら、こんなんつくりよると!」と思ってもらえたら仕事が拡がるかもしれないし、町の人が「かっこいい公園があるから遊びにおいでよ」って友達に紹介してくれれば、それがまた人を呼びますよね。小さい子たちがマルヒロや焼き物に興味を持ってくれれば、将来、マルヒロで働きたい、波佐見町に住みたいと思ってくれる可能性もありますし。

ヒロッパ内の物販スペース 

中川 2013年に、新潟の燕三条で町工場を観光客に解放してものづくりの魅力を伝える「工場の祭典」を始めたのがきっかけで、僕は「産業観光」が日本のものづくりを再生するひとつのカギになると言い続けてきました。それをどう捉えてどう具現化するのかはそれぞれで、うちはN.PARK PROJECTを立ち上げ、匡平君はヒロッパをつくったけど、「人を呼び込み、見てもらう、その状況をどうつくるか」というテーマは一緒だと思います。

馬場 そうですね。ヒロッパをオープンしてから予想以上にたくさんの人がきてくれて、ビックリしています。公園のなかにあるお店もコーヒー屋も売り上げは伸びているから、コロナが収束するまで、できるだけ近くにいる人たちを大切にしていれば、その後は必ず観光でもプラスになると思っています。

経営再生コンサルティングでマルヒロに残せたこと

中川 リスクを挙げればきりがないから、コロナも含めて、ヒロッパをやらない理由はいくらでもあったと思うんだよね。それを躊躇なくやれるのは、素晴らしい。自分がやりたいことに真剣に向き合えばなんとかなるんだっていうのは、コンサルティングで残せたところだと思う。

馬場 最近よく言われるんですよ。よく踏み切りましたねって。そこまで重くは考えてなくて。

中川 そうやって、自分がいいと思うことにちゃんと信じて突っ込めるというのは、実はなかなか稀有なことなんですよ。匡平君の場合、吐くようなプレッシャーを克服した経験があって獲得した自信だから、そこは強いよね。

馬場 僕に教えてくれた人も、奈良のまちなかにでっかい建物建ててますからね。「鹿猿狐 ビルヂング(中川政七商店初の複合商業施設)」を見て、「うわーやられたね」って思いました(笑)。少し離れて、いろいろな角度から見たんですけど、かっこいいんですよ。先にヒロッパを見せつけたかった!

中川 いい意味で「なにくそっ」と思うのが匡平君のいいところだよね。教え子のなかに、僕にこんなふうに言ってくる人はいません(笑)。でも、僕もヒロッパを見て嫉妬を感じたんですよ。僕にはできない世界観を描いて、それを実現しているのはすごいなと思うし、ヒロッパでなにを目指すのかというアプローチも含めて面白い。

馬場 ヒロッパをつくる時も、中川さんの言葉を思い出しましたよ。マルヒロが本当に潰れそうだったコンサルの最初の頃に「無理な時には、意地で続けることが悪になるから。これが当たらなくても続けるということは考えないほうがいいよ。それでいろいろな会社が苦しくなっているのを知ってるから」って言われたんです。

中川 それは、僕が親父から言われたことでもあるんだよね。「商売に失敗したからといって、命を取られるわけじゃないから気楽にやれ。最後に変な悪あがきをするな」って。最後の一線をどこかで引いておくのは、大切なことだよね。

馬場 そういう風に言ってくれる人、いないんですよ。みんな、頑張れ、大丈夫って言うじゃないですか。中川さんの言葉を聞いて、ほんと気が楽になりました。だから、ヒロッパをつくる時にも、「ずるずるやるのはやめよう」って決めたんです。

中川 ヒロッパができて、これからどうしようという狙いはあるの?

馬場 まずは、来年、ちゃんとひまわりを咲かせたいですね(笑)。周囲で山登りをしている人たちもいるから、一緒に行動食をつくりたいです。うまくいけば、マルヒロで初めて違う商売ができるので。そうやって工芸をやりながら、ちょっとずつ領域が拡げられればと思っています。

中川 匡平君は、人を巻き込んで自由にやらせながら、それをちゃんと商売につなげる。商売人として優秀だよね。初めて会った時と比べたら、本当に立派になったなと思いますね。これからも、匡平君らしく前に進んでください。

「一日園長」として招待いただいた中川政七。馬場さんと、ヒロッパを歩きながらお話もさせていただきました

HIROPPAの紹介記事はこちら

<取材協力>
有限会社マルヒロ
佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙775-7
https://www.hasamiyaki.jp/

HIROPPA
長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷682
https://hiroppa.hasamiyaki.jp/


 文:川内イオ
写真:藤本幸一郎

憩いの場、そして旅の目的地に。波佐見焼の産地メーカー・マルヒロがつくった公園「HIROPPA」

若い世代が集まる公園

歩いている人は、見当たらない。走っている車も、ほとんどない。地方に行けば珍しくない少し寂しい風景が、「そこ」に着くと一変します。

立派なヤシの木が南国を感じさせるゲートをくぐると、目の前には一面の緑。ふかふかした芝生のうえでお弁当を食べたり、コーヒーを飲んだりしてくつろぐ大人たちがいます。その周りを元気いっぱいに駆け回る子どもたち。そんな姿を笑顔で見守る、おじいさんやおばあさんも。ほかでは見かけないユニークな遊具からは、楽しそうな笑い声が聞こえてきます。

併設されているショップに入ってみると、カラフルでポップなデザインのマグカップや食器などが置かれています。若いカップルが手に取って選んでいるのは、お揃いのお皿でしょうか?

商品もずらりとラインアップ(画像提供:マルヒロ)

ショップの一角にあるコーヒー屋さん「OPEN-END」のカウンターは、英語の「J」のような形。長い棒の部分にはイスが置かれていて、ひとりの女性がパソコンを開いていました。

都会のおしゃれスポットのようなこの場所は、2021年10月1日、長崎県波佐見町にオープンした公園「HIROPPA」(以下、ヒロッパ)です。

敷地面積1200坪にも及ぶヒロッパは無料で遊べる公園ですが、県や町のものではなく、波佐見町の伝統工芸品「波佐見焼(はさみやき)」の産地メーカー・マルヒロが、建築、デザインを手がける「DDAA」と一緒につくったもの。きっかけは、2018年にマルヒロの三代目を継いだ馬場匡平さんのアイデアでした。馬場さんに子どもが生まれてから、「この町に子どもたちがのびのび遊べるような公園がほしい」という想いが湧いたと同時に、産地としての危機感もあったと言います。

「公園をつくったのは、小さい子が焼き物屋の公園で楽しく遊びながら焼き物に興味を持ってくれたらいいなと。若い子たちも、面白い会社だから訪ねてみようと思うかもしれない。町が残らないと工芸が残らないでしょ。町に人がいるから、工芸をする人が出てくるんですよね」

マルヒロ三代目社長・馬場匡平さん

有名デザインユニットが手掛けたモニュメント

馬場さんは、ヒロッパをたくさんの人が集まる魅力的な「場」にするために、建築家、アーティストやクリエイター、庭師と組んでたくさんの工夫を凝らしました。

公園の入り口にある、「HIROPPA」と書かれた賑やかなデザインのモニュメントは、東京パラリンピックのアイコニックポスターを手掛けた3人組のデザインユニット「グーチョキパー」が手掛けたもの。3人のうちのひとりが、コーヒーショップ「OPEN-END」のスタッフの同級生だったのが縁になったそう。しかしこのモニュメント、来年には別のデザインに変わると聞いて驚きました。

「昔のライブTシャツって、背中にたくさん協賛企業の名前が入ってたんですよ。そのイメージで10年後、違うデザインの『HIROPPA』が並んだ10周年記念Tシャツをつくりたくて。ロゴを世の中に浸透させようってよく言うけど、デザインのほうに寄せた方が面白いことできるかなって。いろんな人がヒロッパを描いたってわかるし」

取材の日、このモニュメントの写真を撮っている人が何人もいました。でも、毎回必ず撮影する人は珍しいでしょう。オープンから1年経てば、公園に来る人もリピーターが増えるはず。そのタイミングでモニュメントのデザインを新しくすれば、リピーターもまた撮影してSNSにアップする。毎年それを繰り返すことで、ヒロッパはつねにフレッシュなイメージでいられると感じました。

世界的な庭師の手による植栽

ヒロッパには、ぐるっと一周できる道があります。この道は車いすの人も、足が悪い人も、小さい子も歩けるように設計されたもの。馬場さんの強い要望であらゆるところがバリアフリー化されており、マルヒロの直営ショップへの出入り口も段差をなくし、「一番こだわった」という広くて清潔なトイレには、授乳室や子ども用便器なども設置されています。赤ちゃんから高齢者まで、障がいがある人にもない人にも優しい公園なのです。

ヒロッパを見渡すと、たくさんの植物が目に入ります。この草木、決してなんとなく植えられたものではありません。馬場さんが植栽を頼んだのは、波佐見町に拠点を置く造園会社「西海園芸」の二代目、山口陽介さん。

イギリスの王立植物園「キューガーデン」で1年間働いた経験があり、世界三大ガーデンフェスティバルのひとつ「シンガポール・ガーデン・フェスティバル」で最高賞の金賞を受賞したこともある、国内外で活躍する世界的な庭師です。馬場さんは、長年の友人である山口さんとともに、とてもユニークな植栽に仕上げました。

「この公園には、パッションフルーツやキウイなど20種類以上の果樹を植えました。果実がなったら収穫して、フレッシュジュースにしてお店で売ります。これがおいしいんですよ!」

さらに、公園の一角では20種類以上のハーブを栽培。これはお弁当や飲料の販売コーナー「キオスク」で、来年5月からお弁当のラインナップに追加される「えん弁当」にて使用されます。

ハーブ畑も広がる(画像提供:マルヒロ)
2021年10月現在は、地元カフェのお弁当などを販売

それだけではありません。馬場さんはヒロッパの奥のエリアに5万本のひまわりも植えました。夏の見どころになるうえ、高カロリーな種を収穫し、お店で炒って販売したり、トレッキングの行動食として売り出そうという計画です。ヒロッパは「食べられる公園」と言っても過言ではありません。

果樹ではないケヤキや桜にも、ちゃんと意図があります。ヒロッパの正面にある5本の若いケヤキは、夏になるとこんもりと枝葉を茂らせ、重なり合います。大人にとっては外にいるのがつらい暑い日も、その木陰で涼をとりながら、子どもを遊ばせることができるのです。また、夏に離れたところからヒロッパを眺めると、一本のケヤキの大木があるように見えるそう。このケヤキは、ヒロッパの象徴的な存在になるのでしょう。

桜は、格子状に組まれた高床式倉庫のような遊具「あみあみジャングル」を突き抜けるようにして植えられています。なぜ? 春になると、「あみあみジャングル」の内部が桜の花でいっぱいになるように設計されているのです。ピンクの花びらが舞う遊具って、粋ですよね。

あみあみジャングルの内側にも桜が植栽されている(撮影:Kenta Hasegawa)

マルヒロの焼き物とコラボしてきたイラストレーター兼アーティスト、竹内俊太郎さんが描いた大きなうつぼがぐるっと巡る砂場「YAKIMONO BEACH(やきものビーチ)」には、目からウロコのアイデアが。なんと、ここにある「砂」は廃材となった焼き物を砕いたものが使われているのです。見た目はほぼ砂だから、もちろん裸足で歩いても大丈夫。そしてこの砂場、高低差をつけることで、水を貯められるようになっています。夏の暑い時期には、水遊びもできるのです。

空から撮ってかっこいい公園

子どもが登ったり飛び降りたりしている、ベンチのようなコンクリートの造形物は、実は著名なアーティストの作品。オランダのアムステルダムを拠点に世界で活躍する現代アーティスト、DELTA (デルタ)ことボリス・テレゲンさんが、ヒロッパのためにつくったものです。

数年前に友人の紹介で出会ったボリスさんと馬場さんは、2018年にコラボして波佐見焼のフラワーベースなどを製作しました。その時、波佐見町に来たボリスさんに、馬場さんが「公園をつくる時、一緒にやりましょう」とオファー。実際に計画が動き出してから連絡をしたところ、ボリスさんは「待ってたよ」と快諾してくれたそう。

「国内で、この大きさのデルタさんの作品を見られるのはここだけですよ。実はこれ、空から見たら『HIROPPA』という形になっているんです。公園をつくり始めた時、空から撮ってかっこいい公園にしたいという想いがあって、デルタさんにお願いしました」

上空から見ると「HIROPPA」に(画像提供:マルヒロ)

この作品、側面を見ると水が流れたような跡がついています。これは、2021年8月に波佐見町を襲った記録的な大雨によるもの。

「普通やったら直すって言うけど、話を聞いたら普通はここまでの跡にはならなくて、今年の大雨だからできたと。それなら、あえて残そうと思いました。あの雨の跡で、豪雨が降った2021年にオープンしたって語れるじゃないですか」

側面に雨跡を確認できる(画像提供:マルヒロ)

ヒロッパをつくるにあたり、馬場さんは基本的に細かな判断はせず、依頼したそれぞれのプロフェッショナルに任せましたが、雨の跡を残すことにはこだわったと言います。ランダムな跡は、確かに作品の個性になっているように感じました。

ヒロッパには、もうひとつアート作品があります。入口で、公園で遊ぶ人を見守るように立っている二体の土偶。これは、馬場さんと親交のある土偶作家の三浦宏基さんの作品です。

「三浦君が窯元に勤めていた時、よく無理をきいてもらっていたので、独立する時に依頼しました。ここに置くことで、最後に写真を撮って帰ってくれたら面白いなって。この土偶は野焼きという昔の温度が低い焼き方でつくっているから、いずれ苔が生えてきます。苔が生えてきたら味が出てきて、かっこいいよね!」

ヒロッパは「器」

ガラス張りで明るく、気持ちのいいヒロッパのショップは、マルヒロの直営店。なかではマルヒロの器やおいしいコーヒー、お弁当、子どもが遊ぶちょっとしたおもちゃも売っています。

コーヒーショップの「OPEN-END」

これまで焼き物に興味がなかったり、マルヒロのことを知らないという人も、「公園に行こう」とヒロッパに足を運べば、知らず知らずのうちにマルヒロの器を目にする仕掛け。ショップの売り上げは伸びていて、コーヒーやお弁当の売り上げも予想以上にいいそうです。

馬場さんにとっては、ヒロッパは「器」。ここにどんなコンテンツを仕込むと、どんな化学反応が起きるのか、その実験はまだ始まったばかりです。「だいたい日曜はスケボーしてる」という馬場さんが、隣町でスケボー教室をやっていた22歳の若者に声をかけて、来年からはスケボー教室もスタート。東京オリンピックでは、日本人の若い選手が大活躍しました。将来、ヒロッパからオリンピック選手が出てくる可能性だってあるのです。

自社のショップを持っているメーカーは星の数ほどあると思います。しかし自社の公園、しかもあらゆる世代を惹きつける公園を持っているメーカーは、マルヒロぐらいではないでしょうか。

取材の日、長崎空港でこんなシーンを見ました。荷物をピックアップした女性が、空港のゲートから出てきたところ、別の女性が「久しぶり!」と声をかけました。どうやら迎えにきたようです。長崎に着いたばかりの女性が、「今日、どうする?」と尋ねると、迎えの女性が言いました。

「波佐見にね、すごくいい感じの公園ができたんだよ。行ってみない?」

「え、そうなの? いいね!」

ふたりは笑顔で去っていきました。地元住民の憩いの場になっているヒロッパは、早くも旅の目的地になっているようです。


<取材協力>
有限会社マルヒロ
佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙775-7
https://www.hasamiyaki.jp/

HIROPPA
長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷682
https://hiroppa.hasamiyaki.jp/


文:川内イオ

写真:藤本幸一郎

コンパクトな五月人形で、気軽に楽しむ端午の節句飾り

五月人形、と聞くと勇壮でいかめしくて、というイメージでしょうか。

せっかくの端午の節句、お祝いしたい気持ちはあっても、家に飾るには場所も取るし、部屋の雰囲気と合わせるのが難しそうだし、そもそもどうやって選んだらいいか…

そんな初節句のお悩みに、自身も一児の母であるデザイナーが向き合い生まれた五月人形があります。

今の暮らしの中で飾りやすいコンパクトな五月人形を。手織り麻の木目込み武者飾り

手織り麻の木目込み武者飾り

国指定の伝統的工芸品である「江戸木目込人形」の職人さんが手掛け、着物部分には中川政七商店ゆかりの麻織物を採用。両手に乗るほどのコンパクトな大きさです。

組み立ての様子。紐飾りなどの細かいパーツも、職人さんが全て手で結んでいきます

 *木目込み人形とは?はこちら

華美になりすぎず落ち着いた雰囲気、かつコンパクトなサイズで、洋間のちょっとしたスペースや玄関先でも、空間に馴染んで飾りやすい五月人形を目指しました。

顔立ちはあどけなさの残る子ども顔。ですが口元はきりりと結んで、武者らしい凛々しさも漂います。

企画したデザイナーはこう振り返ります。

「子どもの初節句を迎えて、五月人形を選ぼうとあちこち回ってみましたが、『これ』と思えるものになかなか出会えませんでした。多くは、飾りがメタリックで重厚感のあるもの。お顔は写実的で、勇ましい表情。

でも、床の間など和のしつらえができる住まいが少なくなっている今、洋の空間でも飾りやすいような、よりかわいらしい飾りがあってもいいんじゃないかなと考えました」

子どもの成長を祝うせっかくの初節句。自身だけでなく、周りの子育て世代からも聞こえる悩みの声を生かし、もっと気軽にお祝いを楽しめるように、と他にも節句シリーズが続々登場しています。

どれも小さなスペースでも飾れて、場の和洋を問わず、なおかつ全国の工芸を生かしたものづくりを目指しました。

焼きものならではの質感も楽しめる、有田焼の武者飾り

有田焼ならではの透き通るような白磁に、頬っぺのピンク色の染め付けがなんとも愛らしい武者飾りです。和洋どちらの空間にも飾りやすく、節句のお祝いだけでなく、季節の飾りとしても楽しめます。

小さい中に「らしさ」が詰まった、こけし武者箱飾り

折り紙の兜を被った、子どもらしいこけしの武者飾り。小さい中にも後ろに鯉のぼり、脇に菖蒲の花など、端午の節句らしさが詰まっています。お祝いを楽しんだ後は、台座にしている箱の中にすっぽりと納まり、収納にも困りません。季節の飾りとして玄関先やリビングに飾っておきたくなるかわいらしさです。

力強い成長を大胆な「一刀」に込めた、奈良一刀彫の兜飾り

まるで一刀で彫り上げたような、素朴で力強い造形からその名のついた奈良一刀彫の兜飾り。

木の塊からノミで彫りだされた凛々しい兜は、手のひらサイズながら、飾れば空間が一気に節句のお祝いの雰囲気に。シンプルな中に力強さと華やかさのある兜飾りです。

甲冑師が生み出す勇壮な武者の世界。江戸甲冑の兜飾り

東京都の伝統工芸品である江戸甲冑の職人さんとつくった兜飾りです。今も受け継がれる甲冑づくりの技術と、実際の甲冑に用いられる素材を生かし、武者の勇壮さを小さな飾りの中に表しました。金属ならではの質感と力強い原色の色彩で、重厚感がありながら空間がパッと華やぎます。吹き返し部分と敷布には神聖で魔除けの力を持つとされる麻を用い、「お子様のお守りとなってくれますように」という願いを込めました。

飾りたいから飾る、五月人形に

これらの五月人形を企画したデザイナーは、初節句を迎えて、こうした節句飾りを家で飾ることの大切さに気付いたと言います。

「節句の人形は、お守りのような存在。年に一度飾ると、一緒に子どもの成長を見守ってくれているような、安心した気持ちになります」

どれだけ暮らしが変わっても、子どもの健やかな成長を願う親心はいつの時代も変わりません。暮らしが変われば、その暮らしにあったやり方で、季節のお祝いを楽しめるのがいちばんです。

伝統行事だから、誰かに贈られたから「仕方なく飾る」のではなく、「飾りたいから飾る」節句人形との出会いが少しでも増えて、こうした季節の行事が、楽しく次の世代へ受け継がれていきますように。

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文:尾島可奈子

世界中の“寒いをなくす”起毛のパイオニアとつくる、腹巻きパンツとネックウォーマー

ちょうどいいあたたかさがずっと続く、特殊な起毛生地って?

寒さの厳しい季節。暖房をつけていても寒かったり、たくさん着込むと肩が凝ったり、逆に暑くなり過ぎて不快だったりと、何を着ればいいのかも悩ましい。そんな寒さにまつわる悩みから解放してくれる、腹巻きパンツとネックウォーマーを、起毛のパイオニアとともにつくりました。

ふわふわの生地は気持ちよくて、ちょうどいいあたたかさ。
腹巻きパンツは、よく伸びて動きやすく、縫い目がないからストレスフリーな履き心地。薄手なのでボトムスの下にはいても響きにくいです。締め付け感もなく、夜履いて寝ると快適に眠れます。

ネックウォーマーは、肌に直接触れてもチクチクしない肌触り。どんな服装にも合わせやすいシンプルなデザインと落ち着いたカラー展開です。

「身に着けているだけで、どうしてこんなにあたたかいのだろう?」答えを求めて、つくり手であるワシオ株式会社さんを訪ねました。

「このあたりは、古くから靴下づくりが盛んな場所なんです。戦後、農業の副業として自分たちで改造した編み機で靴下をつくっていたのが本業へ発展し、一大産地へと成長していきます。その中でワシオ創業者の祖父は靴下の卸問屋を営んでいました」と、ワシオ株式会社3代目の鷲尾岳さん。統括部長として次々と新たな取り組みにチャレンジされています。

特許取得の技術でつくる、圧倒的な保温力を持つ生地

「この生地は、靴下の編み機を改造した機械でつくっているんですよ。きっかけは、約50年前。近所の靴下生産者の方が面白い生地ができたと起毛技術を思いついたことから、祖父と共同で開発に取り組んで“ワシオ式起毛”と呼ばれる特許技術を確立させました。肌触りから起毛生地に“もちはだ”と名付けました」

応接室の壁には1970年代から現在まで、生み出してきた製品が並べられています。

「他にはないあたたかさの秘密は、特殊な起毛技術にあります。まず、起毛生地はパイル編みだからタオルのようなループがある。ループは中に空気を溜め込んで、生地にクッション性をもたらしてくれるもの。
でも一般的に生地を起毛させる方法だと、剣山のようなものがついている起毛機で生地の表面をゴリゴリ削っていくから糸が切れて、ループも失われてしまう。それがワシオ式起毛では、編みながら特殊なブラシで繊維をかき出すように起こしていくので、ループを残したまま起毛させることができるのです」

「ループと起毛部分に空気が溜まり、それが二重の壁となってくれる。外の空気を遮断して、体温であたためられた空気を逃がさないので、あたたかさを保つことができるんです。最近よくある発熱させてあたためる生地とは構造が全然違う。この起毛生地は、断熱と保温。だから僕たちは、あなたを“あたためる”ではなく、あなたの“寒いをなくす”と言っています」

ループには、クッション性があるので触り心地はふかふか。糸が切れていないので、断面が発生せず、ウール製品によくあるチクチク感も軽減されています。

実際に身に着けてみると、するんとなめらかな肌ざわり。ふんわり軽いのに、しっかり守られているように感じられ、外出してもあたたかさが続きました。バイカーや釣り人から支持されているのも納得です。

「僕たちはただひたすらにあたたかさを追求し続け、口コミに助けられてきました。そのおかげか、世界的冒険家の植村直己さんも南極大陸探検時に、もちはだの靴下を履いてくださったんですよ」

唯一無二の編み機が生み出す起毛維持で、寒いをなくしたい

「この特殊な起毛生地は、ワシオ株式会社にしかない完全オリジナルの機械でつくっています。50年前のアナログな機械をベースに、もっと幅広い生地が編めるようにするなど、どんどん改造を加えています。メンテナンスも改造も自分たちの仕事で、必要なパーツも手づくりしているので、本当にここでしかつくれない起毛生地です」。

工場には、世界でここにしかない丸編み機が110台も並んでいます。起毛を施す瞬間は門外不出。切り替え作業には細かい調整が必要で生産が追いつかず、在庫切れになることも少なくないそう。

工場の一角に工作室があり、肌着メーカーとは思えないほど金具や工具が充実しています。職人が火花を散らしながら溶接していることもあるそう。

「この生地が発明された50年前から、『世界から寒いをなくしたい。』をテーマに、起毛一筋でやってきました。僕は小さい頃からもちはだを着ていたので、冬が嫌だと感じたことがなかった。だから周りに「寒いから布団から出たくない」だったり、マイナスな印象を持っている人が多かったのに驚いたんです。そうすると、1年の4分の1も憂うつな気持ちで過ごさないといけない。それって、すごくもったいないですよね」。

空気で保温するワシオ式起毛の腹巻きパンツ。チャコール、グレー、レンガの3色
空気で保温するワシオ式起毛のネックウォーマー。チャコール、カーキ、グレーの3色

「手先や足先が冷えているなら、まずお腹をあっためて欲しい。腹巻きパンツで熱が逃げないようにしてあげるといいですね。首も太い血管が通っているので、積極的にあたためたほうがいい場所。ネックウォーマーを着けると、あたたかいので肩もリラックスできます。日常使いしやすいよう、薄いタイプを使っているので、たくさん使って欲しい。それで、毎日心地好く、活動的に過ごしてもらえたら嬉しいです」

おじいさんから三代に渡って受け継がれる、寒さをなくすことへの強い想いと、圧倒的なあたたかさを持つ起毛生地。腹巻きパンツとネックウォーマーは、冬の“寒くてつらい”印象を変えてくれそうです。


<取材協力>
ワシオ株式会社
兵庫県加古川市志方町高畑741-1
http://www.mochihada.co.jp/

<掲載商品>
空気で保温するワシオ式起毛の腹巻きパンツ
空気で保温するワシオ式起毛のネックウォーマー

「収納しない掃除道具」のススメ。インテリアに馴染むアイテムで、家仕事を気軽に楽しく

出しっぱなしにしておくと、生活感が出てしまうフローリングワイパーなどの掃除道具。一方で普段よく使うものだから、取り出しやすいところに置いておきたい気持ちもあります。

さっと取り出せて、生活感が出ない。両方を叶えてくれるインテリアのような掃除道具があれば…。そんな想いから、リビングに出したままにしておける、佇まいのよい掃除道具をつくりました。

どれも、床や家具などに木を使うことが多い日本の家に合うよう、木や真鍮などの素材を使って、インテリアに馴染む工夫をこらしています。

仕舞い込まずにすぐ手に取れる場所に置いておけると、ちょっとした隙間時間にさっと掃除に取りかかれるという嬉しい効果も。

日々の家仕事をもっと気軽に楽しくする「収納しない掃除道具」を床掃除編、デスク周り編に分けてご紹介します。

[床掃除編]

吉野桧のフローリングワイパー

掃除機のような騒音もなく、気軽に掃除ができるフローリングワイパー。アルミやプラスチック、樹脂製が一般的ですが、こちらは持ち手やヘッド部分に、家具によく使われる桧を採用。ヘッドの接続部分にも真鍮を使い、インテリアになじむ佇まいです。

使われているのは奈良が誇る良質な吉野ヒノキ。素材を知りつくした吉野郡川上村の職人が手間ひまをかけてつくっています。

ヘッド部分は磁石でシートを固定するので、市販のシートはもちろん、厚みのあるクロスをセットしての拭き掃除も可能。部屋のちょっとしたスペースに立てかけても空間によく馴染み、使いたい時にさっと取り出せます。

「インテリアのような」カーペットクリーナー

日常的によく使い、すぐ手近なところに置いておきたい掃除道具の代表格、カーペットクリーナー。持ち手やケースがプラスチックのものが多く、置いておくとどうしても生活感が出てしまうのが悩みどころです。

「インテリアのような」カーペットクリーナーは、その名の通り、どんな空間にも自然と馴染む佇まいを大切にしました。収納ケースは木目の美しい楢材で仕立て、ハンドル部分はサビにくく昔から日用品や工芸品などの素材として用いられてきた真鍮製です。

市販のスペアテープも使えるサイズ。繰り返し使うほどに、真鍮はアンティークのような風合いを増します。置いてある時も取り出して使う時も、見た目に楽しい掃除道具です。

小掃除箒とはりみ

掃除機が入らない狭いスペース、細かい段差の掃除に便利な小ほうきとはりみ(ちりとり)のセットです。

ホウキグサを麻糸で束ねた小ほうきと和紙でできたはりみは、どちらも佇まいが美しいだけでなく、静電気がおきずに払ったホコリがまとわりつきにくく、効率よく掃除ができる優れもの。

ちょっとしたスペースに吊るしておけばホコリやゴミが気になった時にさっと掃除に取りかかれます。

[デスク周り編]

吉野桧のハンディモップ

家具の上やデスク周りのホコリ取りに活躍するハンディモップを、フローリングワイパーと同じく吉野桧と真鍮の組み合わせでつくりました。桧ならではの木目が美しく、壁にかければインテリアに馴染む佇まいです。

モップはホコリを吸着する極細繊維のマイクロファイバーで、洗って何度も繰り返し使えます。

熊野で作った掃除筆

さらに細かな隙間のお掃除に便利なのが、こちらの「熊野で作った掃除筆」。

凸凹が多く繊細な仏具のホコリを払うための筆に着想を得て誕生しました。手掛けたのは筆の生産で有名な広島県熊野町の筆メーカー。やわらかく繊細なヤギの毛を使い、小回りのきく形・サイズに仕上げました。

持ち手は天然木と真鍮、吊り下げ紐には革紐を採用。落ち着いたデザインで、パソコン周りや本棚の近くに吊るして置けばキーボードの隙間や棚の掃除にサッと使えます。

隙間の多いキーボードや液晶ディスプレイなどに軽く当てれば、毛先がすっと細かな隙間にまで入り、チリやほこりをやさしくかきだしてくれます。

佇まいも使い勝手もいい掃除道具で、毎日の家仕事をもっと心地好く。インテリアを選ぶように、お気に入りを揃えてみてはいかがでしょうか。

<関連特集>

文:尾島可奈子

<掲載商品>

吉野桧のフローリングワイパー
「インテリアのような」カーペットクリーナー
吉野桧のハンディモップ
熊野で作った掃除筆

【心地好い暮らし】第3話 しめ飾りをつくる

箱を空けた瞬間に稲わらの香りが辺り一面に広がる。中身が何かを知っていても、まだ商品として完成していない素材の束を手にすると大人の私もワクワクする。久しぶりに向き合った見知った顔も嬉しくて、つくろうつくろう!と前のめりに愉しい時間が始まった。

今日の先生である羽田さんと初めて仕事をしたのは10年前になる。転職したてで右も左も分からない生産管理担当(私)とインハウスデザイナーとしての出会いだった。すでにたくさんの商品を担当していた彼女は、毎回本当に楽しそうにプレゼンテーションをおこなうので、聞いている方も自然と笑顔になっていつの間にか彼女のファンになってしまう。当時からそんなデザイナーだった。
あれから10年、その間に彼女は結婚し、数年後に母となった。たくさんの役割が増えていった日々だったと思うが、ものづくりに対する熱量は少しも衰えず、愛嬌がある豊かな商品をたくさん生み出してくれている。

その中の一つに「季節のしつらい便」という商品がある。これはもう宣伝になってしまって恐縮なのだけれど、日本に伝わる年中行事を親子で手軽に楽しめるようにと、数年前から羽田さんが担当しているシリーズだ。今の時代を生きる一人のお母さんとして、自分の子供に伝えるならという視点で毎回試行錯誤してくれている。

年中行事というと、正直とても面倒な準備が必要だったり、正式に行うには手順が多すぎて流石に無理ですわ…というものもある。そこは否定できない。ゆえに世の中が便利になり暮らしのスピードが速くなる中で、そういった「面倒なもの」は、どんどん失われていっている。

でも一方で、微かにでも受け継がれ、残っているものには何らかの意味があるのではないかなぁとも思ってしまう。実際、季節の節目に行われることが多い歳時記と呼ばれるものは、今よりももっと難しかったであろう子供の無事な成長を祈ったり、次に来る季節に備えて暮らしを整え、元気に乗り切るための知恵が詰まったものも多い。
古のご先祖さまが面倒なことを四季折々に設定したと考えるよりも、年中走り続けて息切れしてしまわないように、節目ふしめで無事を感謝し一呼吸置くための工夫だと考える方が自然だなと思う。

だから、羽田さんに「しめ飾りを、稲わらからつくる」という構想を聞いた時、一瞬躊躇はしたものの、いつもの楽しそうなプレゼンを聞くうちに、来年の正月は自分でつくったしめ縄飾りで迎えると決めた。年末年始こそ一呼吸にもってこいだ。

ということで冒頭のシーンとなる。つくった感想としては、お子さんも絶対に楽しんでいただけると思うが、大人がつくってもとても楽しい。少し難しい部分もあるが、どうやったら上手くできる?と考えることも面白い。それに二人でつくれば「そこ持っててね」と助け合えるので、あっという間に立派なしめかざりが形を成してきた。

中心に掲げる願いには、来年資格試験を控える家族の為に「合格」と書いてもらった。しめかざりの木札には「笑門」などが書かれることが多いけれど、本来注連縄飾りは各家庭で願いをこめてつくられていたもの。そう考えると木札にも、自分たちの家族、今の暮らしに合わせた願いごとを考えて書くというのもひとつの楽しみ方だと教えてもらって、なるほどと思った。羽田さんは縁起のよい人なのでとてもご利益がありそうだ。

今年ももう二ヵ月をきった。年末に向けどんどん慌ただしくなる日々の中でも、こうして少しづつ準備をしながら穏やかに新年を迎えることができるといいなと思う。来年は健やかなよい年になりますようにと願いながら。


<関連特集>


書き手 :千石あや
しめ飾りづくりの先生:羽田えりな


この連載は、暮らしの中のさまざまな家仕事に向き合いながら「心地好い暮らし」について考えていくエッセイです。
次回もお楽しみに。