子どもが喜ぶオリジナルもなか。ポイントは専門店の“もなかの皮”

最近の子どもとしては珍しいかもしれませんが、うちの娘はケーキよりも和菓子好き。

今日は、娘が大好きな和菓子の中から「最中(もなか)」について学んでみることに。

“もなか”というと、どうしても中身が気になってしまいがちですが、今日は「皮」が主役です。

オリジナルアイス最中

みなさん、もなかの皮を作る専門店があるのをご存知でしょうか?

和菓子屋さんでも、あんこは自家製で皮は専門店のものを使う、というケースが多いのだそう。

そんな専門店が作る皮を使って、オリジナルのアイスもなかを作ってみたいと思います。

加賀種食品工業株式会社の「最中皮」

菓子どころ金沢にある「加賀種食品工業株式会社」。

1877年(明治10年)の創業以来、最中皮や、ふやきなどを専門に作っています。

写真提供:加賀種食品工業株式会社

専務の日根野逸平(ひねの いっぺい)さんにお話を伺いました。

「もなかの皮を自家製で用意している和菓子屋さんは全国でも数軒です。もなかの皮は複雑で長い工程を経て作られるため、昔から分業制になっています」

「もなか」と名のつくお菓子は平安時代からあったそうですが、今の形になって一般的に食べられるようになったのは江戸中期頃からといわれています。

「明治の頃には、もなかの皮は専門店で作られるようになりました」

多くの人にもなかを食べてもらいたい。190種類の「最中皮」

加賀種さんは東京の神田で創業。その後、2代目が富山出身だったこともあり、1912年(明治45年)に北陸の金沢に移転しました。

加賀種さんの特徴の一つが、既製の皮の種類が多いこと。顧客に合わせた皮だけを作るのではなく、丸型、四角型をはじめ、一般的に広く使われる型を多く取り揃えています。

「昔ながらのものですと、お城や藁葺き屋根の家とか、桜、菊、栗、貝などの季節ものが多いですね」

オリジナルアイス最中
帆立貝
オリジナルアイス最中
金沢ゆかりの「福梅」。お正月には紅白の福梅最中を食べる

金沢ゆかりの「福梅」のほか、七福神、干支、ダルマ、松竹梅、鏡餅、鯛などの縁起物や、金太郎、眠り猫、くま、うさぎ、いちご、クローバーなど、バリエーション豊富です。

オリジナルアイス最中
うさぎ
オリジナルアイス最中

どうしてこんなに種類があるのでしょう?

「うちは、皮を焼く金型も自社製なんです」

通常、金型は専門業者が作るそうですが、現在、業者が全国で2軒となってしまったことから危機感を持ち、10年ほど前に自社製に切り替えたのだそう。

自社製になってからは、型のアイディアが出るとすぐに製作できることから、さらに種類が増え、現在、その数は190種類にものぼります。

オリジナルアイス最中
カップ型

誰にでも買えるように。そこには「もっと多くの人にもなかを食べてもらいたい」という思いもあります。

また、「今、我々が金沢にいることの意味は大きい」という日根野さん。

「茶の湯の文化が受け継がれてきた金沢の街で、目も舌も肥えているみなさんの厳しい目に晒されながら技術を磨いています」

加賀種さんの最中皮で作るアイスもなか。作る前から楽しみになってきました。

材料は、もち米と水だけ

それでは、もなかの皮を選びましょう。

加賀種さんの最中皮は、オンラインショップ「たねらく」で誰でも注文することができます。

「いっぱいあって、迷っちゃうなぁ〜」と言いながら、娘が選んだのは「うさぎ」と「星」。

オリジナルアイス最中

他にも、カップ型や定番の型を選び、注文から数日で届きました。

いよいよ、アイスもなかを作ります。

と、その前に、もなかの皮はどうやって作られているのでしょうか。

加賀種さんのHPで製作工程を見ることができるので、視聴することに。

オリジナルアイス最中

皮の材料はシンプルで、もち米と水のみ。

そのため、良質な「もち米」が欠かせません。加賀種さんでは、北陸産の「新大正もち」を使っています。

独特の粘りとコシがあり、焼き上がりの風味がよく、皮を作るにはぴったりの品種なのだそう。

精米したお米は粉にしてから蒸し、餅につきあげます。

オリジナルアイス最中
蒸しあがったもち米(写真提供:加賀種食品工業株式会社)

米のまま蒸すよりも、粉にしてから蒸して餅にする方が均一に伸び、サクッとした食感になるそうです。

その後、餅を伸ばし、人差し指サイズに切っていきますが、やわらかい餅を均等に切るのが職人の腕の見せ所。

「小さ過ぎると形にならないし、大き過ぎると耳(余分な部分)ができてしまう。手の感覚だけで切っていくので覚えるのが大変です」(日根野さん)

次に、切った餅を金型に入れ、焼いていきます。

写真提供:加賀種食品工業株式会社

これもすべて手作業。火加減を調整しながら焼き過ぎたり色むらがないよう、均一に焼いていきます。

焼きあがったら、ひとつひとつ検品し、色むらのあるものや欠けているものは外していきます。

オリジナルアイス最中
検品作業(写真提供::加賀種食品工業株式会社)

こうして最中皮が完成。職人さんの手作業にこだわり、ひとつひとつ丁寧に作られていることがわかりました。

娘も、皮の材料が大好きなお餅と知り、俄然、興味が湧いてきた様子。

せっかくなので、まずは、皮そのものを味わってみることに。

オリジナルアイス最中

美味しい!!

パリッとして、香ばしくて、口溶けはふわっとしています。甘みはないので、子どもには物足りないようですが、大人は皮だけ何枚でも食べられそう。

アイスと一緒に食べるとどんな風になるのでしょう。

あれこれ試してみたくなる

最初に、シンプルな「アイスもなか」を作ります。

オリジナルアイス最中

うさぎの型に、いちごアイスを詰めていきます。

オリジナルアイス最中
皮は冷やさず、常温のままでOK。アイスは少し溶けている方が詰めやすい

隙間なくアイスを詰めるのがコツとのこと。バターナイフなどを使うと子どもでもきれいに詰められます。

オリジナルアイス最中

裏表、両方の皮にアイスをつめたら、2つを重ねます。

オリジナルアイス最中

星型にはバニラ。

オリジナルアイス最中
オリジナルアイス最中
オリジナルアイス最中

できたら冷凍室へ入れて固めます。その方がアイスと皮がなじむのだそう。

オリジナルアイス最中

30分ほど置いて、いただくことに。

オリジナルアイス最中
オリジナルアイス最中

美味しい!!!皮がしっとりとアイスになじみ、口どけがふわっとしています。

オリジナルアイス最中

コンビニなどに売っているアイスモナカの皮は小麦粉で作られているものが多く、最後までパリッとした食感が特徴ですが、もち米の皮は、もちっとした食感。

皮の風味もしっかりと感じられます。

フルーツなどを挟んでみるのも美味しそうです。

次は、トッピングで楽しんでみることに。

オリジナルアイス最中
オリジナルアイス最中
フルーツ、あんこ、レーズン、くるみ、カラーシュガーなどお好みのものを
オリジナルアイス最中
オリジナルアイス最中
カラーシュガーをのせて。あえてピンク色だけを選んでのせるのが女子っぽい

アイスが溶けないうちに「いただきます!」

オリジナルアイス最中

これまた美味しい。パリッとした食感の後、皮が主張し過ぎずにアイスと一緒にふわっと溶けていきます。

皮を味わっているかどうかは不明ですが、娘も「おいしぃ〜」と、あっという間に完食。

もなかの皮は小さめのものが多いので子どもにもピッタリ。味やトッピングを変えていろいろ楽しめるのもうれしいです。

オリジナルアイス最中
大好きなレーズンをのせて
オリジナルアイス最中
大人向けの抹茶にあんこ。もち米の皮にはやっぱりあんこが合う
オリジナルアイス最中
カップ型の皮を使えばフルーツパフェ風にも。子どもが集まる時に、アイス最中パーティーもいいですね

あれこれ試したくなって、ついつい食べ過ぎてしまいました。

いろんな食のシーンで使える材料に

自分で作るアイスもなかに、娘も大満足。

オリジナルアイス最中

皮自体の美味しさも知ることができ、親子で楽しく美味しく学べました。

「これからは、もなかの皮を和菓子の材料としてだけでなく、料理やデザートなど、いろんな食のシーンで使える材料として提案していきたい」という日根野さん。

オリジナルアイス最中

「お米でできているものなので、毎日食べているご飯のように、いろんなものと相性がいいので、いろいろに楽しんでもらえたらと思います」

クラッカーがわりに、チーズなどのおつまみをのせても美味しそうです。

「もちろん、もなかとしても食べてもらいたいです。ケーキだけでなく、もなかやおまんじゅう、どらやきとか、和菓子を食べてもらえるとうれしいです」

オリジナルアイス最中

オリジナルのアイスもなか作りをきっかけに、親子で和菓子を楽しんでみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
加賀種食品工業株式会社
石川県金沢市春日町8-8
076-252-2221
オンラインショップたねらく

文・写真 : 坂田未希子

ガラス作家 安土草多さんの「魔法のランプ」で、暮らしの景色が変わる

オフィスも駅もデパートも無機質な光に溢れている東京で、満員電車から見えた夕日の差しこむ川と土手。普段はなんてことない風景に、一瞬の美しさを感じることがあります。

あぁきれいだなぁと思う、心に留めておきたい景色にはいつも、自分好みの“光”がある気がします。

今日の主役は、真っ白な雪が輝く飛騨高山で出会った、ぽっと心あたたまるような明かり。ガラス作家の安土草多(あづち そうた)さんが作るランプシェードのある風景です。

ガラス作家・安土草多さんのランプシェード

草多さんの明かりにはなぜか、あたたかさで心を溶かしてくれるような優しさがあります。優しさの正体は、ぽてっとした厚みのあるガラスか。それにより柔らかくなる電球の光か。それとも、ガラスのゆがみや気泡か。光の屈折が明かりに加える様々な表情かな。

どれだけ勘ぐってみても正直わからないのです。明かりって本当に不思議と、我に返ってしまうほど、ガラスの明かりに魅了されてしまいます。

草多さんのお父さまはガラス作家として有名な安土忠久(あづち ただひさ)さん。忠久さんの作るグラスは、白洲正子が「へちかんだ(ゆがんだ)グラス」と言って、愛用していたことで知られています。

草多さんの作品すべてを取り扱う「やわい屋」

涼やかさ、鋭さ、気丈さを語られることが多いガラス。そのなかで草多さんの作るガラスには、どこか有機的で、人間らしさのようなものを感じます。その不思議な柔らかさは、草多さんが「自分の手を通すからできるものを」と、常に独自の表現を模索していることにあるのかもしれません。

安土草多さん。大量生産の工場に出向き、自分にしかできないことを探したりも

「昔は均一なものを作ることが難しかったから、そこに価値があったけど。今はもう同じ品質のものを大量生産できるようになりました。ガラスなんか特に、じっくり時間をかけてサイズを測りながら進めれば、ある意味、誰でも作れてしまうんですよね。だから僕は、それとは違うところを目指したい。日々やり方を模索しながら、どんどん更新していってます」

「僕、中学時代に使っていたアフガニスタンのグラスが、すごい好きだったんです。ガラスの中に向こうの土が入った、なんの変哲もないグラスだったんですけど」

「自分でグラスを作っている時に、“俺、あれが好きだった”って、急に思い出したんですよね。でも、たくさん作るために人の手を借りていたら、あのグラスの世界には絶対行けないと、仕事をしていて分かってたんですよ。だから、自分は1人で仕事をして、自分の感性だけに依存したものを作ろうと決めました。自分がこれでいいと決めたものは、それでいいんです」

あたたかい明かりの奥には、自分の感性や口元・手元の感覚だけを頼りに作る職人の静かに熱いこだわりがありました。

窯も自分で作り、改良を重ねていってる草多さん。環境自体がオリジナルだから、自分のオリジナルのものができると言います。

製造技術について伺うと、「小難しい知識なんて必要なくて、自分が好きだと感じたものを買ったら良いのに」と言いつつも、工場を見せてくださいました。

パイプに溶けたガラスをとり、
ころころと転がして、形を整える
少し吹いて小さな球をつくる。吹く角度によって形が変わるので、いろいろ試す
ガラスに色があるように見えるのは、ガラス自身が熱で発光しているから。「熱を持ってるガラスは美しいですね。それだけエネルギーがある」と草多さん
さらにガラスを盛り付けていく
冷ましながら形を整えたら、型へ
パイプのついてない方に、ガラスの塊をくっつけ、元のパイプの方を切り離す
切り離した側が口元となるので焼き戻して
口元を切る
もう一度焼き戻したら
徐冷炉に入れて、できあがり

ガラスを巻きつけたときの手の感覚。そして吹いた時に口元で感じるガラスの堅さ。それらの感覚を頼りに、作りたいものに合わせて毎回工程を変えていくそうです。ちょっと今日は冷えてるなぁと思ったら、どこかの工程を早くしたり。硬い状態でも作れるものに変えたり。ガラスの温度やとり方、伸ばし方、吹込み方が毎回違うので、ひとつも同じ形にはなりません。

わずか数分で成形が終わる作品づくり。草多さんの一瞬の判断が、一つひとつの明かりの表情を変えます。

安土草多さんのガラスシェード
無機質な部屋の照明を、手仕事のぬくもりを感じる工芸品に変えれば、一人落ちつく自分の時間が演出できそうです

一瞬の積み重ねで奇跡のように生まれたガラス。そんなことはぼんやりと明かりを見ている間は思いもしないのだけれど。

手作りのガラスの照明にして、生活にぬくもりが増えた気がしたのは、見えないところにも人の息がかかっているものだからかもしれません。

< 撮影協力 >
やわい屋
住所:岐阜県高山市国府町宇津江1372-2
電話:0577-77-9574
営業時間:11:00~17:00
※ やわい屋さんでは、安土草多さんのすべての作品を取り扱っています

飛騨高山・やわい屋
飛騨高山・やわい屋

文:田中佑実
写真:今井駿介

*こちらは、2018年1月18日公開の記事を再編集して掲載しました。1つ置くだけで、お部屋の雰囲気をガラリと変えてくれる明かり。やわい屋でお気に入りを探してみてはいかがでしょうか。

9月は梅仕事ならぬ「ゆず仕事」を。おいしい柚子胡椒を自分で作るキットに出会いました

爽やかなゆずの香りとピリッとした辛さがクセになる、柚子胡椒。

最近では、お菓子にも「柚子胡椒味」が登場するほど、市民権を得ています。冷蔵庫に常備しているという人も多いのではないでしょうか。

そんな柚子胡椒を、自宅で簡単に、自分でおいしく作れてしまうキットに出会いました。

それが、「ゆずごしょうキット」です。

ゆずごしょうキット商品写真

つくっているのは大分県宇佐市の院内 (いんない) 町。実は柚子胡椒は、大分県発祥の調味料なのです。

キットの中身はいたってシンプル。ゆずと青唐辛子と塩だけです。

ゆずごしょう

食材がシンプルなだけに、レシピさえわかれば、キット不要で作れてしまうんじゃないかと思ったら大間違い。

実はこのキット、「ある理由」から1年を通して9月にしか販売していないのです。

柚子胡椒にも旬がある

長い間、西日本でゆずの生産量1位の座をキープしていた大分県宇佐市院内町。ところが、近年では、高齢化でその勢いが失われつつありました。

そんな産地を元気にしようと、2008年に誕生したのが「ゆずごしょうキット」でした。

「このキットのいいところは、柚子胡椒を作るのに最適な時期のゆずをお届けできることです」

そう話すのは、「ゆずごしょうキット」を考案した、生活工房とうがらし代表の神谷禎恵(かみや・よしえ)さん。

神谷禎恵さん
神谷禎恵さん

「柚子胡椒にも、旬があるんですよ」

おいしい柚子胡椒を作れる旬は、9月のたった1ヶ月間なのだそう。10年ほど前からこの取り組みを続ける神谷さんは、長い経験の中から柚子胡椒に最適な素材をしっかりと見極めてキットを作っています。

使用しているゆずは、院内町余谷 (あまりだに) で佐藤敏昭さん、了子さんご夫妻がつくっている「ハンザキ柚子」。日当たりや風通しにも気を配り、無農薬でていねいに手入れされて育てられたゆずです。皮が格別においしいのだそう。

ゆずごしょう

「ゆずの旬を逃がさないことが味の何よりの決め手。一番おいしい時期はそろそろかなと、毎年ゆずのピークを探りながら収穫しています」

青唐辛子は、大分県日田市天ヶ瀬産のものを使用。昭和の初めから柚子胡椒用に作られているもので、鷹の爪ほど辛くはなく、唐辛子そのものを食べてもおいしいといいます。

「青唐辛子の辛味は日によって違うんです。温暖化の影響もあってか、年々、辛味の進度が早くて、試作をしながら分量を調整しています」

ゆずごしょう キット 唐辛子

それにしても、なぜ完成された柚子胡椒ではなく、このような体験キットという形にしたのでしょうか。

「私は院内町がある大分県宇佐市の出身なのですが、実はこの取り組みを始めるまで、ゆずの産地が同じ市内にあるとは全く知りませんでした。

院内町を訪れたら、白いゆずの花の姿がとても美しかったんですよね。この美しいゆずの姿を知らずに、完成した調味料の状態で買ってもらうのは、違うなと思ったんです。ゆずのことをもっと多くの人に知ってもらいたかった。

ゆずの花
ゆずの花

それと、地元の人たちは昔から当たり前のように自宅で柚子胡椒を作っていたので、手作りの柚子胡椒を知ってもらいたいという思いもありました」

おいしさの先にあるもの

ところが、キットを出したばかりのころは、クレームの嵐だったそう。

クレームの内容は、一般に流通しているチューブ入りや瓶入りの商品とは、色や見た目が違うというものでした。

院内の柚子胡椒は、ゆずの皮をむいて作るのがベスト。作り方の説明書きにそう書いてあっても、インターネットのレシピを参考にしてすりおろしてしまう人もいたそう。

そこで神谷さんは、2012年ごろから柚子胡椒の作り方をレクチャーする講座を始めます。

神谷禎恵さん

「きちんと作り方をお伝えして、柚子胡椒づくりを体験してもらうと、香りや色、味に、皆さん感動してくれるようになりました。

でも、私が伝えたいのは『レシピ』という簡単な一言ではくくれません。 『おいしい』の先にあるものを伝えたい。

おいしいものは、たいていすぐに手に入る時代です。

この「ゆずごしょうキット」を通して味わってもらいたいのは、産地に思いをはせる時間です。

ゆずの香りを感じながら自分の手で皮をむき、塩や唐辛子の量を調整しながら作っていくその間に、産地のことや生産者の顔、地域に根付く食文化など、柚子胡椒の背景にあるものを感じてもらいたいんです。

ゆずごしょうキット

だから、私の講座でのテーマは『縁側でばあちゃんが作る柚子胡椒』なんですよ。

イメージの背景に、そこに吹く風や縁側で聞こえる蝉の声、おばあちゃんがすり鉢でゴリゴリすっている音まで思い浮かびそうでしょう。

そういうものすべてを含めた柚子胡椒のおいしさを伝えたくて、この10年ずっと走ってきました」

おいしいだけでなく、旬や産地の情景を感じながら、素材と向き合って自分で完成させる「ゆずごしょうキット」。

手作りなので、辛味や塩味を自分好みに加減ができるのもうれしいところです。

梅仕事ならぬ、ゆず仕事。9月の新しい楽しみが一つ増えました。

<関連商品>
「ゆずごしょうキット」

文:岩本恵美

写真:尾島可奈子

マンション住まいで蚊帳を体験。吊って気づけた特徴と新たな使い道

暑い日が続きますね。夜はちょっとでも涼しく、すやすや眠りたい。

昔の人も同じでした。高温多湿の日本の夏にかつて欠かせなかった暮らしの道具が、蚊帳 (かや) です。「となりのトトロ」や「火垂るの墓」にも夏の情景として印象的に登場しますね。

広々とした和室で吊るイメージがありますが、洋室で吊るとどうなるのでしょう?

エアコンや扇風機の登場ですっかり見かけなくなりましたが、蚊帳は今も作られています。電気を使わずに夏の大敵・蚊を避けられるし、見た目にも涼しそうですよね。

吊ってみたい。吊った中でゴロンと寝転がってみたい。マンション住まいでも吊れるのかしら。

好奇心の赴くまま、実際に吊ってみました。エアコンも扇風機もある今の時代だからこそ、電気のいらない夏の道具、蚊帳の使い勝手を検証したいと思います。

蚊帳を吊ってみる前に。そのルーツをたどる

実際に吊ってみる前に、少し蚊帳という道具のことを紐解いてみました。

人が蚊帳を吊って寝ている姿は、鎌倉中期の絵巻物にすでに登場しているそうです。その頃は高貴な身分の人が使っていたと考えられ、広く庶民に普及したのは江戸に入ってから。

寝室の大きさに合わせてその家の女の人が縫い、1日で縫いあげないと縁起が悪いとされていました。大勢の女性たちで協力して無事縫いあげると、蚊帳の中でささやかな宴を開いて祝うなどの風習も、各地に残されているそうです。

大切な寝床を守るものなので、単なる道具以上の意味を持っていたようですね。終戦前まではどの家庭にもある、夏の必需品でした。

素材によって変化する蚊帳の特徴

古くは「絹」や「木綿」が主流だった蚊帳も、現代では「麻」や「ナイロン」など様々な素材が。それぞれに特徴も異なります。

・本麻…麻100%。素材の中でもっとも涼しいのが特徴。蚊帳らしい風情を楽しめる

・両麻…麻とレーヨンの混合。涼しさもありつつ、本麻よりも値段はお手頃

・片麻…両麻と綿の混合。涼しくて丈夫、そして値段も手頃でバランスがいい

・ナイロン…丈夫で長持ちだが、麻と比べて熱がこもりやすい

・綿…素材としては軽いが、麻と比べるとやや熱がこもりやすい

選んだのは「本麻」の蚊帳、6畳サイズ

蚊帳の素材としては清涼感のある「麻」のものが人気です。今回吊ってみたものも、吸湿性の高さが特徴の「本麻」で織ったもの。大きさはちょうど6畳サイズ。布団2枚がおさまる大きさです。

早速、お部屋に蚊帳を吊ってみました

今回撮影にご協力いただいた田中さん (仮名) のお家は、ご夫婦と2歳になるお子さんと3人でのマンション住まい。蚊帳を吊るお部屋のいつもの様子はこんな感じです。

蚊帳の天井部分に付ける四隅には輪っかがついています。これを和室では長押 (なげし・柱から柱へ渡す横木) や鴨居 (かもい・ふすまや障子など引き戸を滑らせるための横木) や柱に、金具や釘で引っ掛けて吊るします。

吊り金具のほか、右手前のような紐を用意しておくと、蚊帳と金具の間を調節できて便利です

今回のお部屋の場合は、天井のこうしたフックを活用。

蚊帳の吊り方と注意点。試してみてわかったこと

吊るときの注意点としては生地の裾をしっかり床につけること。蚊が入ってきては元も子もありませんからね。実際に吊ってみると‥‥

お部屋の雰囲気がガラリと変わりました!

やわらかく光と風が通ります。本と麦茶とうちわでも用意して、中のソファでいつまでもくつろいでしまいそうです。

蚊帳の中は格好の遊び場です

最近はこうして、蚊よけの夜具としてだけでなく、お部屋の雰囲気を変える道具として蚊帳を使うお家もあるそう。エアコンの風が直接当たるのも防げるので、お昼寝にも最適ですね。

ちなみにこの蚊帳は一面が左右に開けるようになっています。持ち上げてみるとなんともゴージャスな、天蓋付きのベッドのような雰囲気の空間になります。

空間が一気にゴージャスになります
蚊帳の間から覗くテラス。景色が少し変わります

設置時間は30分ほど。慣れるまでは吊る位置を決めたり四隅をバランスよく吊るまで、少し時間がかかるかもしれません。しかしきれいに吊れた後に現れる空間は格別です。

ちなみに昔は吊ったり畳んだりが大変だったことから、竹竿にあらかじめ吊り紐を通しておいたり、割った竹を半円状にして蚊帳を張り、すぐたためるようにしたりといろいろ吊り方を工夫していたようです。

価格は今回のもので86,400円 (税込) 。はじめはいいお値段にびっくりしましたが、内装をアレンジできる可動式の家具だと思えば、決して高い買い物ではないのかもしれません。

そして昔の人はこれだけ大きな面積の布を自分で(しかも1日で!)縫っていたなんて、本当に大変だったろうなぁと頭が下がります。

後日談。我が家でも吊ってみると‥‥!

実は、あまりにも部屋いっぱいすぎて写真に納められなかったのですが、我が家でも吊ってみました。念願叶って中でゴロンと寝転がってみると、毎日見ていた部屋が全く違う表情を見せていました。天井の蛍光灯の光が和らぎ、音も遮断するのか、独特の静けさがあります。

四方を囲まれていても向こうが透けて見えるので、圧迫感がなく、むしろやわらかい布に守られているような安心感。どこか子どもの頃に作ったダンボールハウスや秘密基地の心地よさを思い出します。

そして心なしか涼しい。蚊帳はその特徴として、吊ることで空気の壁を作るので、内側におこる気化熱で体感温度を下げる効果があるのだそうです。

実際に吊ってみてわかった蚊帳の特徴、よさ、面白さ。「かつての必需品」にしておくのはもったいないように思いました。リモコンのスイッチをピッと押すよりは手間がかかりますが、誰かと一緒に吊るせば「もうちょっとそっち上!」なんて、吊るす過程もまた楽しい。

夏をもっと心地よく過ごしたくなったら、思い切って蚊帳の中に飛び込んでみるのも、いいかもしれません。

<掲載商品>
麻の蚊帳 (中川政七商店)


文:尾島可奈子

*こちらは、2017年7月21日公開の記事を再編集して公開しました。

首里城の屋根が赤い理由は?沖縄「赤瓦」のヒストリー

「沖縄の屋根」と聞いてどんなものを想像しますか?

私は、赤い瓦屋根の家が真っ先に思い浮かびました。

シーサーが乗った赤瓦屋根もよく見かけます
シーサーが乗った赤瓦屋根もよく見かけます

青い空と風情ある赤い屋根の組み合わせは南国沖縄のイメージそのもの。現在は様々な建築技術が取り入れられ、赤瓦の住宅ばかりではなくなりましたが、それでも街を歩いているとこうした建築を見つけられて嬉しくなります。

街の中の赤瓦屋根

それにしても、沖縄の瓦はどうして赤いのでしょう。

沖縄県内の瓦工場で唯一、伝統的な赤瓦の製造技術を保持し、現代建築から文化財の修繕まで幅広く手がける「八幡瓦工場」を訪ねてお話を伺いました。

沖縄の赤瓦を支える八幡瓦工場へ

八幡瓦工場。焼きあがった赤瓦が所狭しと積まれていました
八幡瓦工場。焼きあがった赤瓦が所狭しと積まれていました
沖縄県赤瓦事業協同組合の代表理事も務める社長の八幡昇さんは、沖縄赤瓦造りの第一人者です
沖縄県赤瓦事業協同組合の代表理事も務める社長の八幡昇さんは、沖縄赤瓦造りの第一人者です

沖縄ならではの土から生まれる「赤瓦」

「赤瓦は、17世紀後半から作られ、今日まで使われてきた沖縄の伝統的な屋根瓦です。沖縄南部一帯で取れる地域特有の『クチャ』という泥岩を使って作っています。柔らかくて扱いやすいクチャは、泥パックなどの化粧品としても使われるほど、沖縄の人には馴染みのある土です」

この黒い土が「クチャ」です (現在は強度を増すために赤土を20%ほど混ぜて使います) 。あれ、クチャは赤く、ない?
この黒い土が「クチャ」です (現在は強度を増すために赤土を20%ほど混ぜて使います) 。あれ、クチャは赤く、ない?

「クチャは鉄分を多く含んでいます。鉄分は酸化すると赤くなります。酸化焼成という方法で焼き上げることで、鮮やかな赤い瓦が生まれるのです」

水と練り合わせて成形したばかりの真っ黒の赤瓦
水と練り合わせて成形したばかりの真っ黒の赤瓦
成形後に数週間〜数ヶ月乾燥させます。こちらは乾燥させた焼成前の赤瓦。色が黒から白に変化しました
成形後に数週間〜数ヶ月乾燥させます。こちらは乾燥させた焼成前の赤瓦。色が黒から白に変化しました
そして焼きあがると、赤い瓦に!
そして焼きあがると、赤い瓦に!

沖縄の気候に適した機能性

「赤瓦は美しいだけではありません。機能の面でも沖縄での暮らしを支えてきました。

赤瓦には適度な吸水性があり、スコールなど急な雨が降った際にその水分を吸い、晴れて気温が上がると水分を蒸発させます。水分を蒸発させる時、熱を逃がし涼しくしてくれるので屋根裏の温度が下がり、室内を涼しくすると言われています。

『瓦が呼吸している』とも言われていますが、日差しが弱まる冬は暖かく、夏を涼しく過ごせる屋根を作れるのです。

また、強い日差しを浴びても瓦がカラカラに乾燥することがないので割れにくく、耐久性も高くなっています。漆喰でしっかりと止められて吹き飛ばないようにすることで、強力な台風にも耐えるようになっています」

赤瓦

素材の吸水性や頑丈さに加え、さらには、瓦の形にも温度調整の機能があるそうです。

沖縄の赤瓦屋根をよく見ると、凹凸がはっきりしています。丸く山型になっているものを男瓦、平らなものを女瓦と呼び、主にこの2つを漆喰でとめて屋根を葺きます。

赤瓦
交互に並んだ男瓦と女瓦で凹凸がついているのがわかります

丸く飛び出した男瓦は太陽の光が当たりやすく高温になる一方で、平らな女瓦は日差しを避けることができて温度が上がりにくくなっています。これもまた、強い日差しによる屋根裏の温度上昇をやわらげる工夫なのだとか。

庶民が憧れた赤い屋根

17世紀後半から使われるようになった赤瓦。首里城が火災で消失した際、当時貴重だった赤瓦を使って城を再建しました。赤は「高貴な色」とされていました。また、当時の最先端技術で作られた赤瓦は高価なものであったといいます。そのため琉球王府のみが使用し、庶民が赤瓦を使うことは許されていませんでした。

首里城
現在の首里城正殿。首里城は沖縄戦を含めて、過去4度の焼失と再建を繰り返してきました。戦後の復元の際にも沖縄赤瓦が使われ、首里城跡は2000年に世界遺産にも登録されました。初代の建設年は定かではないものの、瓦ではなく板葺きであったとされています
昔ながらの方法で作られた復元用の赤瓦
昔ながらの方法で作られた復元用の赤瓦
文化財などの修復、復元に使われるそう
文化財などの修復、復元に使われるそう
筒状に作って、乾かしてから4つに割ることで瓦が出来上がります
筒状に作って、乾かしてから4つに割ることで瓦が出来上がります
復元した赤瓦
復元した赤瓦
復元した赤瓦

一般人に赤瓦の使用が解禁されたのは、明治時代に入ってからのこと。美しく機能的な赤瓦は庶民の憧れでした。ただし禁止令が解かれたとはいえ、瓦屋根はまだ高価であったためほとんどの住宅は茅葺き屋根のまま。

「いつかは自分も赤瓦のマイホームを」

そんな思いを募らせ、念願叶って使うものだったようです。こうして少しずつ赤瓦屋根の街並みが作られていったのですね。

シーサーの乗った赤瓦
屋根にシーサーが乗り始めたのは赤瓦が庶民に解禁された時期といわれています。漆喰と瓦の破片でできたものが乗せられていました。瓦屋根を葺いた職人たちが、割れたりかけたりした赤瓦を利用して遊び心で作ったのがきっかけなのだそう

広く一般に普及した赤瓦。現在では一般住宅のほか、文化財などの修復はもちろんのこと、学校や役所などの公共施設、ホテルリゾートなどの商業施設にいたるまで、幅広く使われています。

モダンな建築にも赤瓦が取り入れられています
モダンな建築にも赤瓦が取り入れられています

「近年は、現代の建築技術と融合した形で赤瓦を使うことも増えています。昔ながらの建物は減りましたが、沖縄らしい景観は残していきたいものです。私たち赤瓦の作り手は、時代に合わせたものを作れるよう新たな技術を生み出しながら、伝統の素材と技術を守り伝えていきたいと思っています」

そう力強く語る八幡さんの言葉には、赤瓦への愛があふれていました。

<取材協力>
有限会社八幡瓦工場
http://80000.okinawa.jp/
沖縄県与那原町字上与那原291番地1
098-945-2301

文:小俣荘子
写真:武安弘毅

*こちらは、2018年6月11日公開の記事を再編集して掲載しました。

渋谷の「かつお食堂」はここから始まった。「かつおちゃん」こと永松真依さんが出会った天職とは?

人生をかけてやりたいことは何か。

その質問に即答できる人はどれぐらいいるだろう。

自分が本当にやりたいことを見つけた人は、それだけでもう半分勝ちなんじゃないかと思ったりします。

好きなことに突っ走ってる人はとてもキラキラしてるし格好いい。だけど、それはその人の今の姿。

これが天職だと思えることに出会うまではやっぱり、紆余曲折あるものだと思うのです。見つけようと焦ってもすぐに見つかるものでもないし、ふとしたきっかけで見つかるものでもあるのかもしれません。

今日は、「鰹節」に魅せられた女性、“かつおちゃん”の話。

渋谷 かつお食堂のかつおちゃんこと、永松真依さん
かつおちゃんこと、永松真依さん

「昔は真面目に仕事もせずに、毎晩のようにクラブで遊んでばっかりで。やりたいことも特になかったし、趣味がお酒を飲むことみたいな‥‥二日酔いで気持ち悪くって、仕事にならないこともよくありました(笑)」

そんな永松さんの人生を変えたのは、「鰹節(かつおぶし)」でした。

職業:鰹節伝道師

渋谷 かつお食堂のかつおぶし

そんな職業、はじめて聞きました。たぶん、世界にひとりなんじゃないかと思います。

鰹節伝道師の仕事は、その名の通り“鰹節の魅力を伝えていく”こと。ワークショップをしたり、TEDでスピーチをしたり、講師をしたり、イベントで鰹節を使った料理を出したりと方法は様々です。

渋谷の宮益坂から始まった「かつお食堂」

そんな「鰹節伝道師」こと永松さんが、2017年11月にオープンした「かつお食堂」。東京・渋谷の宮益坂近く、もともと夜にバー営業をしている「bar & miiii」さんの場所で、朝からお昼までの営業でスタートしました。 (*2019年8月8日より渋谷区の鶯谷町にお店を移転しています)

かつお食堂
移転前の、「bar & miiii」さんの場所でのお店の様子。この看板が目印

朝ごはん、どうしてますか?

「おいしいご飯と味噌汁が食べられるところが少なかった」

それが、永松さんがこの店を始めた理由です。

「お洒落なカフェやパン屋さんはたくさんあるけど、自分たち日本人の大事な基盤とも言えるご飯とお味噌汁のお店が無いなって。じゃあ鰹節の店をやろうと思ったんです」

それから、この場所“bar & miii”で飲んでる時に店主に相談したことをきっかけに「じゃあウチでやれば?」となったのだそうです。

オープン以来、大きな宣伝も、呼び込みもしませんでしたが、かつお食堂の小さなスペースはいつもお客さんでいっぱいです。みんなこんなお店を求めてたんだろうなと感じます。

かつお食堂

人生を変えた、おばあちゃんのお味噌汁

ここからは時間を少し戻して、永松さんが「鰹節伝道師」になるまでの話。「夜遊びばかりしてた」という数年前に話は戻ります。

娘の生活を心配したのでしょうか。「おばあちゃんのところにしばらく行ってきたら?」というお母さんの勧めもあって、おばあちゃんの住む田舎、福岡での生活がはじまります。

「おばあちゃんはちょっと足が不自由で、普段あんまり料理をしている記憶はなかったんですけど、その時はお母さんから私のことを聞いてたのか、ご飯を作ってくれたんです」

台所でおばあちゃんが取り出したのは鰹節削り器。鰹節を削ってひいたお出汁で、お味噌汁を作ってくれました。

「“おいしい”ということに、もちろん感動しました。だけど、何よりもおばあちゃんの鰹節を削ってる姿が美しかったんです」

“シュッシュッ”いう鰹節を削るリズム音と同時に、削りたての鰹節の香りが広がる

「女の人をはじめて美しいと思った」と、その姿に惚れ込んだ永松さん。

「おばあちゃんが、これは日本の文化で昔はみんなこうやって削ってたんだよって教えてくれました。でも、自分が見たのは初めてだった。

『田舎に行ったら、鰹節を削ってる人がまだいるかもしれない。』そう思って旅に出ました」

その発想もすごいけど、その行動力がもっとすごい。だけど、その時の感動はそれほど強かったんだと思います。

条件は、とにかく田舎

「鰹節を削ってる人」を求めて、すぐに旅がはじまります。適当な電車に乗って景色を眺めながら、素敵だなと思ったところで降りる。降りた駅で、バスの運転手さんに「田舎に行きたい。」とだけ伝えて、とにかく田舎へ、田舎へと向かいます。

その結果、たどり着いたのは日本でも有数の長寿村でした。

山梨県 西原の山村。「90歳を超えたおじいちゃんが、バリバリ山の中でバイクに乗ってるようなところ」だったそうで、元気な高齢者たちが、雑穀を育てて暮らしていました。

「そこで畑仕事を手伝ったら気に入ってくれて、そこに住むようになったんです」と、今度は山で暮らすことに。畑でできた蕎麦の実を摘んで、水車で挽いて蕎麦を打つ。そんな、絵に描いたような田舎暮らしでした。

期待どおり、そこの人たちは鰹節を削って食べていました。「日本の美しい姿が、まだ残っている」と、嬉しかったそうです。永松さんもおばあちゃんから教わった鰹節削りで出汁を取ってみんなに振る舞うこともありました。

そんなある日、「鰹節ってそもそも、どうやって鰹節って作ってるんだろうね」という話題に。「そういえば、鰹節は大好きだけど知らないなぁ」と思った永松さん。

次は、製造現場を求めて旅が始まります。さすがの行動力です。

宮古島から気仙沼まで。太平洋側縦断

太平洋側全域で作られているという鰹節。南は沖縄の宮古島から、北は宮城の気仙沼まで、鰹節の産地をめぐったそうです。「見学をしたい」と造り手さんへ電話をして現地に飛び込む。製造現場で、とことん作り手と話し込み、時には一緒に鰹節作りを手伝わせてもらいながら製法を学びました。

渋谷 かつお食堂の永松さん

「私は本を読むのがあまり得意じゃないので、ほとんどの知識は現場で教えてもらいました」と永松さんは言います。

直接会ってもらえたら分かりますが、永松さんの鰹節の知識量には驚きますし、なんといっても話がおもしろい。

「鰹節にだけしか含まれてない成分があって‥」「旨味の元は‥」 「カビ付きの鰹節の特徴は‥」「花かつおっていうのは‥」と、いろんなことを教えてくれます。

かつおちゃんこと、永松真依さん

きっと、製造の現場まで経験してるからこそ、作り手の思いまで伝えられるんだろうなぁと思います。まさに、鰹節伝道師。ちなみに私は、出汁はずっと昆布といりこ派でしたが、完全に影響を受けて最近は鰹出汁になりました。人の熱量は、味覚にだって影響するのかもしれません。

メニューは、かつお定食。以上

長い旅を経て、東京に戻った永松さん。かつお食堂をオープンします。

鰹節を知り尽くした永松さんの「かつお食堂」は、“鰹節のおいしさを伝えたい”という想いの元、基本的にメニューは1つで「かつお定食」のみ。鰹節ご飯、お味噌汁、だし巻き卵、お漬物の構成です。

渋谷 かつお食堂のかつお定食
鰹節の美味しさだけをそのまま伝えるための、シンプルで潔い構成

使われる鰹節は、日本各地から厳選されたものを使用。出汁に合わせて使うお味噌も変えるのだそうです。

渋谷かつお食堂 のお味噌汁

鰹出汁のよく効いた香り高いお味噌汁。あぁ日本人で良かったなぁとしみじみ感じます。

かつお食堂のかつお節ご飯

そして、眼の前で削ってくれる鰹節がたっぷりと乗った鰹節ご飯。鰹節ってこんなにおいしかったのかと、香り高さと旨味に驚かされます。ふだん食べてる鰹節との味の違いに、削り器がほしくなるほど。コーヒー豆と同じで、鰹節も削りたてがおいしいのだそうです。

渋谷・かつおちゃんこと永松さんが運営するかつお食堂

鰹節伝道師として、かつお食堂を初めて数ヶ月。お客さんも増えて、1日の提供数を早々に完売し、早めにお店を閉めることもしばしば。

「鰹節がこんなにおいしいって、知らなかった」「自宅でも真似したいけど、どうやるんですか?」というお客さんの反応が何よりうれしいのだそう。

永松さんと話しててすごいなと思うのは、聞いているうちに鰹節のことがどんどん好きになっていくこと。

愛しい恋人の自慢話をするみたいに鰹節について話すから、ついつい聞き入ってしまうし、鰹節って本当にすごい」と、鰹節が好きになっていきます。

かつお食堂のかつおちゃんこと

おばあちゃんから受けた一瞬の感動によって始まった、「鰹節伝道師」という人生。「やりたいことも特になかった」という彼女は今、天職を見つけてとてもイキイキとしていました。

「人生にとって一番の幸福とは何か?
それは自分の天職を知ってこれを実行に移すことである。」

そんな、誰かの言葉を思い出しました。

<かつお食堂>

東京都渋谷区鶯谷町7-12 B1
※営業スケジュールはfacebookまたはinstagramをご確認ください
facebook : https://www.facebook.com/katsuoshokudou/
Instagram : https://www.instagram.com/katsuoshokudou/

文:西木戸弓佳
写真:長谷川賢人

*こちらは、2018年7月31日公開の記事を再編集して掲載しました。取材から1年。新天地での活躍とおいしいご飯がますます楽しみです!